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そこは誰もいなくなった  作者: 椿 雅香
15/27

多野椎奈(1)

本物の作家さんを知らないので想像で書きました。万一、失礼があったとしたら、お許しください。m(__)m

5 多野椎奈


 一週間後、俺たちは再び、柴山へ出かけた。そして、前回の訪問が夢でなかったことを確認し、多野椎奈と友だちになった。


 人生で最大の幸運だ。


 このときは、そう思っていた。


 何しろ、俺たちは超有名人と友だちになったのだから。

 こんな山奥へ、しかも、俺たちの縄張りに引っ越して来てくれて、ラッキーって感じだ。


 でも、考えてみれば、出版社の担当さんの苦労は相当なものだろう。

 何しろ、打ち合わせするのに、わざわざ柴山ここへご足労いただかなければならないのだから。


 こんなことを考えるようになったのは、この日、出版社の担当さんという人に紹介されたからだ。


 井上さんという若い男の人で、二言目には、どうせなら関東に引っ越してほしかった、と嘆いていた。


 「東の方へ引っ越しなさるってお聞きしてたので、絶対関東、それが無理でも名古屋辺りに引っ越されると思ってたんです。

 それなのに、こんな日本海側の山奥に引っ越されるなんて。新幹線からローカル線に入って、それからバスに延々乗って。乗り継ぎの時間も無茶苦茶不便で、ものすごく時間がかかるんですよ。

 もう、詐欺も良いとこですよ。

 僕、編集長に滅茶苦茶怒られたんですよ。情報収集が甘いって。

 会社近くに物件用意して、そこに引っ越していただけば、こんな苦労はしなくて済んだのにって」



 俺たちが友だちになった多野椎奈は、とんでもない唯我独尊のおばさんだった。


『愛しい夫の殺し方』で夫を殺そうとジタバタする、真面目だが天然でどこかおかしい妻は、絶対、百合本人だと、俺たちは確信した。

 

 何しろ、編集の井上さんの泣き言なんか一切スルーするのだ。

 耳で聞くのだから、無視とは言わず無聞とでもいうのだろうか。とにかく、全く聞かない。いや、聞こえてはいても、言語として理解していない。

 言うだけ無駄なのだ。


「そうなん?悪かったわ。そやけど、関東なんか行ったら、ますますようけの人が見物に来はるやない。

 あれって、見物や。『要注意人物』って、看板が上がってるみたいなもんや。

 ウチ、生活できる程度の原稿料は欲しいけど、タダで見世物みせもんになる気はないんや。

 ウチなんか見んと、白浜か上野でパンダでも見てたら良いのに」

「でも、ここって、打ち合わせするにも遠いですし、原稿いただきにあがるのも時間がかかります。編集長が、先生だけ締め切りを早めにお願いしないと間に合わないって頭抱えてました」

 

 井上さんの反撃が出た。言い方は婉曲だが、恫喝に近い。

 この人、結構腹が黒いかも……。


「大丈夫。今日日きょうび、プロットも原稿もメールで送れるし、打ち合わせは、電話でできるやない。何かあったら、メールか電話で連絡してくれれば良いんや。

 便利な時代やわ」


 さすが年の功。百合は井上さんの反撃なんかものともしない。


「でも、締め切りに遅れたら、どうなるんです?

 今までなら、僕が横に張り付いてでも書いていただきましたが、それができないんですよ?」


 おっと、再び井上さんの逆襲。


「大丈夫。締め切りなら、ちゃんと守るし。あんたに迷惑かけへん」


 ゴングが鳴って、バトルは終わった。


 井上さんが胡散臭そうに見やった。

 絶対、締め切りを守らないと確信している目だ。

 百合は、いかにも大阪のおばちゃんという感じで、図太い。

 振り回されるだけの井上さんが気の毒に思えた。


 この日、俺たちは、百合のリクエストにより、ドーナッツを十個買って行った。

 百合によれば、ドーナッツのような生菓子は、わざわざ買いに行かなければ手に入らないらしい。


「車があるんだから、食料品とかの毎日の買い物のついでに買えば良いのに」

 俺が言うと、鼻で笑われた。


「買い物なんかネットスーパーで買うて配達してもらえば良いんや。

 わざわざ出かける必要あらへん。

 百歩譲って出かけるにしても、週に一回行けば十分や。

 買い物しない日にドーナッツ食べたなるから問題なんや」

 

 百合は、根っからの無精者で、食いしん坊だった。


「ウチ、怠け者やし」というのが口癖だと知ったのは、しばらくしてからのことだ。


 だから、旦那が浮気したのだろう。

 そう言うと怒られそうだから黙っていた。

 

 でも、本当に出不精で、お袋が買い物難民の身を嘆いていたが、百合はネットで注文して配達してもらえば良い、と全く意に介さない。

 週に一回スーパーへ出かけるって言ってたが、もしかして、それもさぼっているかもしれない。

 多分、歩いていける近所にスーパーがあっても、ネットで注文するんじゃないだろうか。


 百合がネットを多用するのは、お袋は配達料金を惜しむのに、百合は送料や配達料金を気にしないという違いがあるせいだ。


 だから、食べ物でも着るものでも通販や配達を利用しまくる。

 きっと、国道から柴山へ通じるあの細い回りくねった道を配達業者の車が行ったり来たりしているはずだ。


 でも、我が家のような町中に配達するのと、柴山のような秘境に配達するのが、同じ料金っていうのは不合理なような気がする。


 百合にそういうと、彼女は手を叩いて喜んだ。


「俊哉くん、あんたのその発想って良いわぁ。それ、もろた」


 ネタ帳にメモする百合を横目に、祐樹がいかにも祐樹らしい意見を述べた。


「だけど、配達料金って、〇〇市ならいくらって書いてあるんだよな。柴山ここは一応市内だし、括弧書きで柴山だけ300円アップとか書いてなかったはずだけど……」

「きっと、柴山は人が住んでないから、書かなくても良いって思ったんだろ」

「でも、ここに住んでる人がいるわけだ」

「百合さんの注文が増えたら、きっと、括弧書きで柴山は300円アップって変えるさ」


 俺たちの会話をメモしていた百合が笑い出した。よく腹を抱えて笑うと言うが、本当に目に涙まで浮かべて笑うのだ。


「あんたら、良いわあ。無茶苦茶良いわ。あんたらと友だちになれて、ほんま良かったわ」


 ようやく笑いを収めて、涙を拭き拭き言うので、俺たちは憮然とした。そんなに面白いこと言った覚えはない。

 初めての日に買い物がらみの話題でそんな会話があったので、次に来るとき、ドーナッツを十個買って来て欲しいと頼まれると、途中で少し寄り道すれば良いだけだから、と引き受けたのだ。それに、買って行ったドーナッツのうちいくつかは俺たちの口に入るのが分かっていたし。

 約束通り、俺たちがドーナッツを渡すと、お釣りはいらないからと、千円札を二枚くれた。

 

 よっぽど嬉しかったのだろう。

 

 早速食べようと、お茶にした。ドーナッツには、コーヒーだ。

 

 

 お茶の話題は、俺たちが余所の家からどうやって建材をひっぺがしたかってことで、本当なら他人に聞かせられる話じゃないが、百合の要望だから仕方がない。

 

 壁の板はこんなふうにはがしたとか、天井の板は脚立を使ってはがしたとか、いろんなテクニックを実演交えて披露した。

 

 俺たちの話をするだけじゃなく、俺たちの方からは百合の新居のことを訊いた。


 前回泊まったとき見せてもらった百合の家(元秘密基地の家を俺たちは元小山さん家じゃなく、百合の家と呼ぶようになっていた)は、リビングだけじゃなく、水回りやなんかが最新式のものに変わっていて、俺たちの稚拙なリサイクルなんか笑い話の種にしかならかった。まあ、それで良いのだろう。

 

 前は、汲み取り式の便所だったのに、ウオシュレット付きの洋式水洗トイレになっていたし、風呂だってシステムバスになっていた。キッチンなんか、IHクッキングヒーターのシステムキッチンだ。食器洗い機まで付いている。

 

 柴山は都市ガスが来ていない。まあ、町の中心部でさえ都市ガスが来ていないのでプロパンガスを使ってるのだから、当然といえば当然なのだが。

 だから、以前は業者がプロパンガスのボンベを管理している地域だった。

 今は誰も住まなくなったので、その業者も来ていない。百合の家は、新たにプロパンガスのボンベを入れた形跡がない。きっと、オール電化なのだろう。

 剥がれ落ちていた壁はセラミックの外壁に変身し、塗装部分も完璧だ。


 ここに住む気満々なのだ。


 大人が、業者を使ってやると、こうまで違う。

 俺も祐樹も、大人の実力ってヤツに打ちのめされた。

 俺たちのやっていたことは、所詮、子供のままごとだったのだ。


 それでも、百合に礼を言われて救われた。

 

 彼女は、俺たち二人にキチンと頭を下げたのだ。たとえ高校生相手でも世話になったことは礼を言う。

 物事を公平に評価する人だった。


「とりあえず、お礼言うとくわ。勝手に上がり込んだことは褒められたもんやないけど、あんたたちのおかげで、思ったほど傷んでなかったさかい」



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