尋問(2)
身構えると、百合が言った。
「コーヒーと紅茶と緑茶があるけど、どっちが良い?」
突然の質問に拍子抜けした。
このタイミングで、飲み物を何にするって訊くか?普通。
こんな辺鄙なところ電気まで作って住む人だけのことはあった。
百合は、普通の人じゃなかったのだ。
いうなら、変人だった。
流れでコーヒーをお願いすると、百合は俺たち二人を残して台所へ消えた。
俺たちが逃げるとは思いもしないのだろう。確かに、自転車のワイアーキーを外してもらわないと、帰るに帰れないのだが……。
お湯を沸かす音がして、何やらごそごそしていたが、しばらくしてコーヒーとカステラを持って現れた。色と香りからすると、インスタントじゃない本格的なコーヒーのようだ。
この分なら、多分、台所もシステムキッチンに変わっているのだろう。
「まあ、食べながら話そやない。どうぞ」
どうして、ここでコーヒーやカステラが出てくるのか分からないが、毒が入っているってことはないだろう。
小声で祐樹に言うと、これも小声で馬鹿にされた。
「俊哉、お前、サスペンスの見過ぎ!」
どぎまぎしながら礼を言って、カステラを口にした。
驚いた。これが美味しいのだ。
スーパーなんかで売ってる安物じゃなく、多分、名のある店のカステラなのだろう。
底にザラメが付いているが、紙まで舐めたいくらいだ。こんなシチュエーションじゃなかったら、もっとおいしかっただろう。
緊張しながらコーヒーを飲んだせいで、砂糖もミルクも入れ忘れた。まあ、コーヒーが上等だったのとカステラが甘かったから、何とかなったんだけど。
「生菓子があったら良かったんやけど、何分、こんな辺鄙な田舎じゃ手に入らへんのや」
この人、一応、柴山が辺鄙な田舎だって自覚はあるのだ。
だったら、どうして住む気になったんだ?
しばらく黙々とコーヒーを飲み、カステラを食べた。先に口を開くと、言わずもがなのことを言ってしまいそうだったからだ。
でも、向こうはこちらにしゃべらさせたいようで、結局、誰も口を利かず、互いに観察し合った。
沈黙に我慢できなくなった頃、おばさんが口を開いた。
勝った。この手の我慢比べで負けるのは、大抵女の方だ。
「ウチな、おじいちゃんからこの家相続したんやけど、長いことほったらかしにしてたんや。
そやけど、家におったらいろんな誘惑が多すぎて仕事にならへんし、こっちで仕事しよ思て見に来たら、何やら、面白いことになっとった。
そやから、あんたらが来たら、話聞こ思て待っとったんや。ネタになりそうやったし」
体中から力が抜けた。どうやら、俺たちを学校当局に通報する気はないようだ。
だって、通報する人が、「あんたらが来たら、話聞こ思て待っとったんや。ネタになりそうやったし」なんて、言うはずがないだろ。
でも、ネタになりそうやったって、どういう意味だろう。ワケが分からん。
百合は、人懐っこくて押しの強そうな女性だ。年の頃は、お袋より少し上って感じで、お袋が四十五だから、五十前後ってとこか。
中肉中背できりりと着物を着ている。黄色に黒のチェックの着物で、向かいの島田さんのおばあちゃんが黄八丈とか呼んでたヤツに似ていた。島田さんのおばあちゃんが、高いのよ、と嬉しそうに教えてくれたヤツだ。そんなものを普段着として着てる。しかも、いかにも着慣れた感じで。
着物に合わせているのだろう。髪はショートだが染めていない。真っ黒だ。
以前、お袋が、着物には黒髪の方が似合うのにって、茶髪の着物姿をディスってたけど、きっと、この人の価値観も似たようなもんなんだろう。年頃も似ているし。
「あんたらが来とったこと、学校には言わへん。約束するわ。そやから、あんたらがここでやっとったこと、教えてくれへん?」
意外な展開に目が点になった。一瞬、意味が分からなくて、俺と祐樹は、互いの頬をつねり合った。
百合は、俺たちの様子をおかしそうに見ている。
ごくりとつばを飲み込んで、祐樹が口を開いた。あいつが、こういう場面で発言するって珍しいことだ。よっぽど、興味がわいたのだろう。
頼むから、相手を挑発するようなこと言うなよ。
「えっと、加藤さん……でしたね」
「そうや。そやけど、百合さんって呼んでくれへん?」
「じゃあ、百合さん」
「ええわあ。若いハンサムな男の子にファーストネームで呼んでもらうのが、ウチの夢やってん」
思わず、脱力した。結構ミーハーなのだ。
祐樹も同様のようで、深呼吸して体勢を立て直した。
「ネタにするって、どういうことですか?」
「ウチ、物書きなんや」
「物書きって、作家とかルポライターってことですか?」
二人の会話に割り込んだ。
だって、本物の作家もしくはルポライターなんて生まれて初めて見たのだ。そりゃ、興奮もするよ。
面白い展開になってきた。俺たちは、自分たちの置かれた立場も忘れて、興味津々になった。
「そうや。ペンネームは……タノシイナ」
「タノシイナって、あの……多野椎奈ですか?」
あまりにもメジャーな名前に唖然とした。本物だろうか。
っていうか、予想外の展開に絶句した。
眉につばを付けたいが、それをやったら激怒されそうで、つばを飲み込んで目の前の人を凝視するにとどめた。
祐樹も同様のようで、本人確認をしようと画策した。
「『愛しい夫の殺し方』で日本ミステリー文学大賞新人賞とった、あの多野椎奈さんですか?」
「そうや。あんとき、旦那が浮気して離婚するかせんかですったもんだしとったんや。そやから、いっそ殺したろか、どうやって殺したろって妄想しててな。そのままにしとったら本当に犯罪者になりそうやったし、ガス抜きに小説にしよ思て書いたんや。
そしたら、それが大当たり」
「あれ、ベストセラーになったよな」
祐樹に確認すると、深々とうなずいた。
「俺も俊哉も読みました。面白かったです」
「おおきに。そやけど、後が大変で」
「何が大変だったんですか?」
祐樹が、優等生の顔で質問する。いつもの横柄さは姿を消し、まるで先生に質問する小学生だ。
「税金って、次の年に来るんや。
所得税は次の年に確定申告して決まるし、住民税はそれに基づいて決まるって感じや。
でもって、国民健康保険の保険料って住民税に基づいて決まるから、ドカーンと収入があったら、次の年にドカーンと税金やなんかが団体さんで出ていくことになるって寸法や。
話には聞いとったから、頑張って貯金しとったんやけど、お祝い気分で結構使てしもて。
ほんま、大変やったわ。
あの後、しばらくヒット作なかったし」
本人にとっては大変なことだったようだが、税金なんかの説明されても理解できない。
大体、税金って、親が何とかするもので、俺たち高校生にとっては縁がない。そんなことを丁寧に説明されても意味不明だ。
ただ一つ分かったことは、誰もいないし、何もない柴山に住む変人は、あの超有名な推理小説家だったってことだ。
「多野椎奈ってペンネームは、やっぱり二葉亭四迷の乗りでつけたんですか?」
俺も小学生の乗りで訊いた。
「そや。面白いやろ?」
呑気なおばさんだった。
この人が、コミカルな離婚騒動を舞台に夫を完全犯罪で殺そうとする小説『愛しい夫の殺し方』の作者だったのだ。
何の証拠もなかったが、祐樹も俺もこの人が多野椎奈本人だと確信した。
大体、こんな辺鄙なところに住もうという酔狂な人は、あの小説の作者ぐらいしかいないだろう、って失礼なことを考えた。
百合が話題を元に戻した。
「あんたたち、ウチの家、別荘にしとってんな」
やっぱり、そう来たか。
ここまで来たら、当たって砕けろだ。でも、当たって砕ける相手が、あの多野椎奈だというのは幸運だった。
本音を言えば、砕けたくなんかなかったんだけど。
「別荘って言うより、秘密基地にしたんです」
正当な持ち主に断りもなく勝手に上がり込んで利用したのだから、別荘であろうが秘密基地であろうが、どっちも同じだ。
しなくても良い訂正だが、そこはキチンとしておきたかった。だって、相手は、あの多野椎奈なんだから。
「馬鹿。どうでも良いことにこだわるな。そんなことより、謝るぞ」
祐樹が小声で叱責したので、我に返った。
そのとおりだ。些細なことにこだわってる場合じゃない。
俺たちは、セイノって調子で二人同時に謝った。
「勝手に使って申し訳ありません」
「すみません。廃屋だと思ったんです」
俺たちが、あんまり必死なので、百合は笑い出した。
この展開で、どうして笑うんだ?意外な展開に付いて行けない。
「怒ってるんやない。お礼を言いたいんや。
前から柴山で仕事しよかって思とったんやけど、古い家やし、ほったらかしやったやろ?そやから、どないなっとるか心配しとってん。
でも、あんたらが手ぇ入れてくれたおかげで、思ったより状態が良かったみたいや。おおきに。ありがとな」
「本当に怒ってないんですか?」
あり得ない、と祐樹が尋ねると、百合は平然と笑った。
「誰も住んでおらん家や。管理せえへん方も悪い。そない気になるなら、定期的に点検に来なならん」
「勝手に上がり込んでお家をいじったこと、許してくれるんですか?」
「ピッキングとかしたやろ」
悪戯っぽくウインクされて、背中を汗が流れた。
……バレてる。
だんだん百合が大阪のおばちゃんらしくなってきます。




