手を繋いで
それは私が、まだ小学校へ上がったばかりのこと。
自分には一つ上の兄と、六つ上の姉がいた。
小・中と隣にあったため、毎日一緒に登校していたのである。
『道路の黒いところはマグマだから、白い所しか歩いちゃいけないんだぞ!』
『道路の白いところは電気が流れてるから、黒い所だけ歩くんだよ!』
この年代というのは、いろいろと理由を付けては遊びの一つにしたがるもので。
自分と兄も、そんなことを言い争うのが日常茶飯事となっていた。
そして決まって最後には、『お姉ちゃんはどっちが危ないと思う?』と。
姉の審判を待つまでがお決まりの流れ。
どちらが正しいのか、第三者の手に委ねるのである。
自分達よりうんと年上(それでも五、六歳だけど)の者に任せるのだ。
どんな結果が出ても恨みっこナシの、実に合理的なやり方だった。
――だけれど、その時に限って。
『どっちも危ないでしょ。即死よ即死』
どちらつかずの答えを、姉は出したのである。
『即死……!』
当時の自分達でも、(ゲームで得た知識で)ヤバいと感じた。
思わずゴクリと、二人で喉を鳴らしたものである。
『――でも、お姉ちゃんと手を繋いでる時だけ無敵になれるから』
そう言って、『一緒に手を繋いで学校に行こうね』と。
三人で手を繋いで登校していたことがあったのだ。
思えばその頃から、『姉は強いから無敵になれるんだ』と。
そんな謎の理論を、刷り込まれていたような気もしないでもない。
――だからなのだろうか。
「地元に帰ってきたんだから寿司だろ寿司」
「いいや、全員酒飲めるんだから居酒屋行くだろ?」
それぞれ社会人となり、一人立ちして。
何かの行事で集まった時には、決まって兄とは意見が分かれるのだが――
「帰ってきたら迷わずお好み焼きでしょ。もう予約してるんだから付いてくる!」
――そんな姉の、無敵の姉の、力強い言葉が。
今でも、恐らくこの先ずっと。
なによりも決定権を持っているのだった。