93.
船は、夕暮れ前に紀州沖へ到着し。
紀州まで陸路を来ていた兵や見廻組の隊士を乗せて、艦内の医者たちが重傷者の治療にあたった。
だが見廻組隊長を含めた彼らの数人は、治療の甲斐なくまもなく亡くなって。
夜になり、近藤たちに見守られながら、殆ど意識を回復することはもう無くやがて静かに息を引き取った山崎と、彼らの合同の水葬が、厳かに執り行われた。
(お疲れさまでした・・山崎様・・)
肉体の苦しみに最期まで耐え抜いた彼を送りながら、冬乃は涙もそのままに手を合わせ、冥福を祈った。
山崎も、これまで先立った新選組の皆も、
おもえば人の世に再び生まれかわることになるのなら、
そしてもしもそれが日本で、平成の頃に輪廻が継いでいるのなら。
今度こそは、平和の世の中に生きて、
あるとき冬乃とも道ですれ違っていたりしないだろうかと。
或いはもっと身近にいたのかもしれない。知人や、友人や、・・
(・・・でも、そんなわけないのかな)
彼らが人に生まれかわった場合でさえ、
次の生誕地は日本ではないかもしれないし、もし、人に分類される存在が宇宙の何処かにも居るのなら、地球ですらないかもしれないのだから。
次世や続く世でまた関わり合うことの、果てしなく低い確率と、
そんな輪廻の数珠の中で、此処の世で彼らと出会い、共に過ごせた縁の、尊く稀有な確率にまで、
思いが巡った頃。
冬乃は合わせていた手を、漸く下ろした。
二の世で再び夫婦となる
稀有どころではない、確率の数値などとうに凌駕したその縁にも。
改めて思い巡らせながら。
そして。
そんなにも無数の、確率と縁の連なりの中で、
いま、何かの縁があって、または何かの縁が始まる過程にいるのかもしれない、
新たな未来での『冬乃』に宿った、魂から。
そこに生きるための『器』を、元の冬乃が奪っていいはずが無いのだと。
だから冬乃が新たな未来のほうへ“帰る” 事態は、やはり有りえないという事にも。思い結んで。
だとしたら冬乃の帰される先は、元のままの世でしかないという事も。
もしもそこがやがては掻き消えるかもしれない幻だろうと。
(・・・でももう本当に存在してなくて、あれが幻だとしたって・・これまで見せられていただけマシなんだ)
あの夢でみたような世界を突然、
もっと前の段階でいきなり突き付けられでもしていたら、
(きっと受け入れられるわけなかっただろうから・・)
もう元の冬乃を知る母も千秋たちも、いないのだ。
そう真面に考えてみれば、淋しさと悲しみが一度に冬乃を覆い尽くす。
(・・それでもお母さんや千秋や真弓は、同じ存在なはずで、消えたわけじゃない。・・だから、いい・・)
それに、『冬乃』が彼女たちの前から消えたわけでも、ない。
かつて想像してしまった、平成での死を選んだ場合の母への残酷な結末も、また無いのだ。
母から娘を奪うことには、幸い、なっていないのだから。
(これ・・・って)
つと冬乃は胸内を駆け抜けた、想いの記憶に、息を呑んだ。
(・・とっくに、私が選んでいた事・・・)
沖田との此処の世と、冬乃の本来居る世と、
どちらかを選ばなくてはならないのなら。
自分の本来の世を捨ててでも、
彼を、選びたいと。
(これは・・・その結果―――――?)
「戻ろう」
水葬の儀が終わり、
皆が船室へ粛々と戻りゆく此の場では、さすがに抱き包めているわけにもいかぬというに。
このまま冬乃の体が冷えきってしまうのではと、沖田は心配になっていた。
他の誰よりも長く冬乃が手を合わせたまま、まるで思考の海底へそのまま落ちてしまったかのように時を経過し、
ふと手を漸く下ろしたと思えば、今度は、昏い現の海をぼんやり見つめている。
「・・ぁ、はい・・」
沖田のかけた声に、そして冬乃は暫しの間を置いて我にかえったように顔を上げてきた。
促して歩き出せば、冬乃が未だ少しぼんやりしつつも、あとをついてくる。
沖田はほっとしつつ、大分減った人波と吹き付ける冷風の中、先を急いだ。
船室には、既に先ほど土方と戻っていた近藤だけでなく、未だ土方も居た。
遅かったなと言いたげに沖田たちを一瞬見遣り土方は、再び何か話の途中のようで近藤へ向き直る。
沖田の背後では冬乃が、土方の存在に委縮したような様子で、沖田の背に少し隠れた。
沖田は、
そんな冬乃へ向き直り、彼女を深く抱き締めた。
案の定、服を通してすら伝わる冷えに冷え切ったその体に、沖田は溜息をつき。
後ろからはすかさず土方の怒気が飛んできたが、冬乃の体をこうして最も効率良く温めずに放っておくなど、選択肢に無い。
総司さん、とすぐに心配そうな瞳が見上げてきて、
沖田は、気にするなと眼で微笑み返し。一応近藤の手前、
「冬乃がすっかり冷えてしまったので温めます」
冬乃を抱き包めたままに、背後へ伝えておく。
「お、おう」
近藤からの返事に乗せて、土方の諦めたような舌打ちが届いた。
これで心おきなくと、冬乃をよりきつく抱き締める沖田の、腕内に冬乃がそっと目を閉じながら顔をうずめた。




