92.
(つまり・・)
沖田が以前に話してくれた仮定でいうならば、
その変わった後の未来では、母から生まれる冬乃という『器』には、
千代ではない全く別の、他の魂が入って。
そうして、
その冬乃は、やはり。
(・・私であって・・私ではない・・)
変わった先のそんな未来は――まさにあの夢でみたような世界は、
実際に今、どこかで存在しているのだろうか。
あの僧の話のように、
歴史を変えた先“新たな流れに約束された未来” へと、
この先もしも時が流れゆくならば。
(待って・・)
彼は何と言ったか。
『貴女様が戻ることの叶う未来は、大なり小なり違う流れで行きつく先の未来でございます』
『ですのに貴女様は、元の流れの内の未来へと、そこに留まる貴女様のお体の元へと、強制的に、引き戻されていらした』
ひとことも。
“流れ” が同時に存在しているとは、言っていなかったではないか。
それもむしろ本来在るのは、変えた先の未来のほうと、言わんばかりの。
僧は歴史いわば時の流れを、ひとつの川に喩えて説明した。
その流れは、ならそのとおり大きな一本の流れであって。
その中を無数の個々の流れ――個々の歴史が在り、
それらの細かな流れは、
周囲の流れと作用し合いながら次の流れを確定して、流し流されてゆく。
すべては、大きな、ひとつの川の内での出来事、
細かな個々の歴史が集う、ひとつの広大な集合体として、
その“時の流れ” は、一本の流れで在り続けるという事なのではないか。
(・・一本の流れというなら・・)
その“川” まるごとなり川の一部分の流れだけが、
あるとき突然『複製(派生)』 されて、横を並行して流れるような事態になど、ならないのでは。
(SFでよくある『並行世界』のように、歴史を変えたせいで、元の歴史と新しい歴史に分岐して、同時に存在していると思ってた・・・でも)
僧の喩えの川の流れのように、時がひとつの大きな流れで完結するならば、
そこから分岐して、つまり変更のたびに同じ存在が幾つも増え続けるのは、おかしくないか。
流れが変わったならば、その変わった状態のまま今度は流れてゆくだけ。
僧の言った、元の流れ、という意味は、
だからきっとそのままの、変わる前の流れ、という意味であって。
ゆえに変わった以上、もう、その元の流れは、存在していないはずなのに、
それなのに
あたかも存在したままであるかのように、
その元の流れへと、
変化――『無常』のことわりを超えて、冬乃が帰されていた事に、あのとき僧は驚いたのだ。
・・それでもたとえば。もし仮に、
なんらかの並行世界は実在するのなら、
きっとそれは、冬乃の想像したような、外から歴史の変更が生じた時に複製されて分岐をする類いのものでは無しに。
(もっと別の・・“初めから在るもの” とか・・?)
もちろん冬乃には分かりようもない事だけども。
(でも、きっと“魂” だけは)
唯一無二なのではないだろうか。
これまでの僧や沖田の話してくれた仏教のことわりから、冬乃はそんな印象を懐いて。
そしてそうであれば、もし何らかの、別のかたちの並行世界が在るとしてさえ、
そこに存在する世界や肉体・・宿り木こそ、似通っていても、あの夢でみた世界のような、宿る魂は別がゆえに、やはり同じであって違う世界が少しずつ広がってゆくのだろうか。
そんなことまで想像してみてから、冬乃はつと息を呑んだ。
(そもそも・・)
そんな並行世界の存在有無はどうとしても、
もし確かに、時の流れが分岐など起こさず
もう元の歴史が存在せず、
変わった後の歴史だけが残るならば。
(だったら今までのは、どういうこと・・)
僧が驚いていたように、
すでに千代の歴史は変わって存在しないはずの、元の歴史の世へと、冬乃は帰され続けていた。
究竟の力が、文字どおり万物のことわりを超越して、その世界だけを残し続けているとでもいうのか。
それとも。
(あれはすべて、“見せられていた幻” ・・ってこと・・・?)
冬乃はおもわずぶるりと震えた。
もし冬乃が使命を終えて帰される時、
その時、冬乃が向かう先の未来は、ならば、どちらなのか。
(だって幻のようなものだったなら、いつまでも続くものなの)
なによりもし、
いま紡がれている新たな未来のほうへと、帰されることになるのなら、
(“私” は・・“互い” に、どうなってしまうの・・・??)
その未来の『冬乃』の体には、もう別の魂が宿っているはずで、
そしてあの夢のように、別の人生を生きているだろうに、
沖田のことも、知らずに。
先程よりも距離の近づいている陸を、ぼんやり見つめたまま冬乃は、
おもわず小さく頭を振っていた。
(・・だいたい元の世はもう幻だなんて・・まさかね)
第一、
この魂だって、属する元の世の肉体のほうに囚われているままなのではないのだろうか。
それに母や千秋たちや統真と、あんなに会話をして、統真からは薬まで貰って、此処の世にまで持って来たのに。
どんなに究竟の力では何だって出来るのだろうとしても、
あれらがすべて幻のみせたものだなんて、冬乃は俄かには信じたくない。
きっと冬乃のこの想像のほうが、何か間違えているのだと思いたい。
(・・でも)
もしも仮に、
いま想像している時の流れのことわりこそ、真実なら。
(もう私の帰る先は・・・)
沖田が冬乃を覗き込むような動きを、冬乃は背に受けて。
(あ・・)
背後を見上げた冬乃に、心配そうな彼の眼が映り、
冬乃は咄嗟に、大丈夫ですと微笑みかけていた。
急いで自然を装い、冬乃は前へ向き直る。再び背の温かな腕内に身を凭せ掛け。
また何も無理には聞かずに只、応えて深く抱き包めてくれる沖田の、今はまだ此処にあるぬくもりを冬乃は精一杯に享受する。
冬乃にとって唯一無二の、この居場所を。
(そう・・)
たとえこの先に、帰る場所が、もう何処にもない事態になろうと。
(・・どうでもいい)
沖田がいなくなってしまう時点で、
もとより冬乃の居場所は、無くなるのと同然なのだから。
その後の事など。
冬乃は、そして思考を閉ざした。




