54.
京の冬夜は、しんと静まり。
凍てついた空気を纏う。
犬猫の鳴き声すら起こらぬ闇を、しかし今宵はバラバラと多数の足音が蹂躙し出した。
前方の路地、向こう数か所からは息を殺して待ち構える気配。
(・・数が多すぎるな)
後方からは更に増した足音が近づく。
尋常で無いその音に、背後の隊士達には緊張が奔り。
沖田は、感覚を研ぎ澄ませた。
「一つ前の角まで戻る」
まもなく立ち止まり振り返った沖田を、驚いた隊士達が見上げる。
が、すぐに其々短い返事で踵を返し。
「走るぞ」
今や列最後尾の沖田の声に押されるように、元来た道を走り出した。
遠く道の向こうからこちらへ向かって来ている足音の主達が、皆の目に映り。
こちらの引き返す動きに対し、彼らは早くも吼え声をあげている。
待ち伏せている連中が気づくのも時間の問題だろう。
「屯所まで互いにまとまって走り続けろ」
前をゆく隊士達へ沖田は指示を追わせた。
「袋小路は避けろ、屯所めざしてひたすら進め」
「はっ」
「それから、」
目的の角を曲がり始める隊士達へ、沖田は更に声を掛ける。
「俺は少し遅れてゆくが、待つなよ」
「・・え」
驚いた隊士達がいずれも振り返り。
「組長、まさか」
「そんな」
「組長・・」
「大丈夫だ。すぐに追う」
「行け」
沖田は促した。
「これは命令だ」
互いに戸惑った顔を見合わせた隊士達は、
その言葉に意を決したように沖田へと頭を下げ。一目散に走り出した。
駆け込んできた一番組の隊士から報告を受けた土方は、
急ぎ援隊を向かわせるなり、自分は近藤の部屋へ飛び込んだ。
「総司のやろうッ、組下全員先に逃してしんがり務めやがって、未だ戻ってきてねえ・・!」
布団だけ敷いて沖田達巡察隊の帰屯を起きて待っていた近藤が、飛び込んできた土方に目を見開いた。
「向こうはかなりの人数が居たらしい・・!今、二番と三番組を向かわせているが、・・あいつ・・」
「落ち着け、歳。総司なら大丈夫だ」
普段、隊務においては非情なまでに冷静沈着な土方が、珍しいほど狼狽えている。
実は近藤よりもずっと情に篤い土方の、こうした一面を知る者は数少ないだろう。
「すぐ帰ってくるさ。心配するな、・・・・と噂をすればほら、帰ってきたんじゃないか?」
急に外が騒がしくなったのを受けて近藤はおもむろに立ち上がった。
近藤が中庭側を開けると、庭園の向こう、この夜分にもかかわらずいつのまにか、開け放たれた隊士棟の部屋じゅうが煌々と灯りを点け、
叩き起こされた様子で泡を食って動き回る隊士達、そして、
召集した彼らと、全員無事に戻っていた一番組を引き連れ、帰ったばかりでまたも出て行こうとするかの沖田の姿が、見え、
「・・・沖田!!」
近藤の背後、土方が堪らず大声で呼び掛けた。
「先に報告に来い!!」
「副長、現場判断にて出動を優先します」
一瞬土方を向いた沖田の、
「二三番組の人数ではまだ足りない」
朗々とよく通る声が返ってくるや否や、
あっという間に走り去ってゆく沖田ら隊士達を。もはや土方は呆然と見送り。
「な。無事だったろう」
そんな土方の肩に手を置き、近藤が笑った。
「しかしさすが共有が早い。帰ってくる時に二番三番組と出会ったのか、此処で一番組隊士に聞いたのか」
とにかくあとはあいつらに任せておけ
と近藤が添えて。
「・・二隊でまだ足りないとはどういう事だ、報告で聞いた人数より遥かに多いというのか」
土方は訝った。
「一番組隊士からは、後ろを来ていたおよそ十五から二十人と聞いたが」
「きっと他にも居たんだろう」
「他にも、って・・」
だとすれば沖田は、いったい何人を相手に立ち塞がったのか。
「あいつは早々に戻ってきたんだから、なに、無茶はしてないさ」
唖然としている土方を宥めるように、近藤は微笑んだ。
土方の気のほうは。納まるわけがない。
「組長が組下を護ってどうする!逆だろうが!」
一二三番組総員で浪士達と大乱闘した末、無事多数を捕縛して凱旋してきた沖田達を、労ったのち。
副長室に呼びつけた沖田へ土方は開口一番、一喝した。
「隊士はてめえの命令には従うしかねえんだ!組長残して去らなきゃならなかった隊士達の気持ちも少しは考えろ!」
「そう言う土方さんだって、きっと俺と同じ事したでしょうよ」
「てめッ・・」
「まあ総司の事だ、その場での最善策を採ったんだろう」
横から慌てて近藤が割って入った。
「歳はな、おまえのことが心配で仕方なかったんだ。怒るのも当然だ」
「勇さんはちょっと黙っててくれ」
「・・スマン」
飛び火を受けた近藤が、おとなしくなる。
「お聞きのように、連中の数が多すぎでしたからねえ」
沖田が肩を竦める。
「下手に迎え討てば組に死人が出る」
「おまえはっ・・一人残って、その『死人』になる危険を採ったんだぞ!?」
「んなヘマはしませんよ。時間稼ぎに、適当に斬り伏せておいただけですよ」
土方は、遂に深い溜息をついた。
沖田の話もそれはそれで理解せざるをえない。
相手の人数が多数ならば、沖田の言うように迎え討つのは得策ではなく、
かといって撤退中に道の先を廻られ囲まれるわけにもいかない以上、誰かが最初に引き付けて時間稼ぎをする役を担うのも、理に適っている。
「・・だからと言って、おまえ一人で残らずとも良かっただろう・・!」
土方は尚、食い下がった。
「いくらおまえだろうが、万が一という事があるんだぞッ」
「それはそうですが」
沖田が困った顔になった。
「俺一人の方が動きやすいですから」
「・・・・」
飄々と放たれたその台詞に絶句する土方の、隣では近藤が苦笑し。
「おまえの腕じゃなければ、そんな判断は許さねえところだ」
ついに吐き捨てた土方に。
沖田が多少すまなそうに今一度肩を竦めてきた。
「もういい、行け」
土方が再び深い溜息ともに手を振ると、
「心配かけて御免ね、歳さん?」
立ち上がりながら沖田がにんまりした。
「うるせえ、おめえなんざ二度と心配してやるかよ!」
「歳、俺も部屋に戻るぞ。おやすみ」
あいかわらずの二人にひとり破顔している近藤が、挨拶でしめる。
「総司も、今日は御苦労だった。おやすみ」
「おやすみなさい先生、と“歳さん” 」
わざと昔の呼び方を続ける沖田に、
「とっとと寝ろ」
土方は舌打ちして追い払った。




