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48.




 

 (帰さない・・って)

 

 「・・・俺は泊まることになっても構わないけど、」

 

 冬乃の視界の端には、押しやられた紅色の布団。

 

 「冬乃ちゃんはそうはいかないでしょ。沖田だって、俺に会いにいった冬乃ちゃんが夜通し帰ってこなかったらどう思うかな」

 

 冬乃の瞳の前には、冬乃を案じ、冬乃の無茶をなんとか止めようとする藤堂の強い眼差し。

 

 (藤堂様・・)

 そんな彼だからこそ、

 たとえ本当に夜通し一緒に居たとしても、冬乃に何か無理強いするはずがないことも。冬乃は分かっている。

 

 (・・ごめんなさい)

 

 

 「だから沖田に心配かけたくないなら約束して。この件は俺や沖田たちに任せるって、冬乃ちゃんは何もしないって」

 

 

 冬乃は、藤堂の想いを汲むことにした。

 

 「わかりました。約束します」

 

 冬乃の瞳に大きく安堵の溜息をついた藤堂が映った。

 

 

 

 

 

 

 「送っていけないけど、気をつけて帰ってね」

 

 藤堂が茶屋の前まで呼びつけた駕籠に、冬乃は乗り込みながら、

 今一度そんなふうに声をかけてくれる藤堂を見上げた。

 

 「藤堂さんもお気をつけて」

 「うん」

 

 

 藤堂が覆いを下ろしてくれたと同時に、駕籠が地面を離れる。

 早くも悪しき酔いが再開しそうな感がしながら、冬乃は駕籠の内にぶるさがる紐に掴まった。

 

 

 冬乃の駕籠が道の角を折れる時、まだ佇んで見送ってくれている藤堂の姿が覆い越しに見えた。

 

 (藤堂様・・)

 

 あと何回、あの笑顔と会えるのだろう。

 

 刻一刻と迫る彼の死期と、

 何もできなければ必ず訪れてしまう悲劇が、日に日に冬乃を苛む。

 

 最期まであの笑顔を護れますように

 

 そのためになら。この先きっと破ってしまう時がくるだろう、あの場では何もしないなどと藤堂には約束したけれど。

 

 (本当に、ごめんなさい・・)

 

 

 「ひっ・・!」

 

 突然、

 

 (え)

 駕籠かき達の叫んだ声とともに、駕籠が減速した。

 

 冬乃は前のめりに倒れそうになって、慌てて紐を掴んでいた両の手に力を入れるも、

 ドスンと次には衝撃が来て、駕籠が地に鈍く跳ね。

 

 駕籠かき達が駕籠を手放したのだと、

 思い至った頃には。覆いに大きな影が映り。

 

 その影から伸びた手が、覆いを乱暴に開きあけた。

 

 「出ろ」

 

 逢魔が時のくれない色を向こうに。

 抜き身の刀を手にした男達が、冬乃を見下ろした。

 

 

 あまりの不意の出来事に、冬乃は茫然と男達を見上げた。

 

 

 「早く出ろ」

 

 冬乃が動けないでいるのへ、苛立った様子で目の前の男が手を伸ばしてきて、

 冬乃ははっとして簪を引き抜き、その手を突き刺した。

 「このッ」

 

 先端が丸いとはいえ、奔ったであろう痛みで男が手を引っ込めた隙に、

 冬乃は反対側へと、覆いを上げることもせぬまま殆ど転がり出て、

 

 だが残念ながら、そちら側にも男達は回っていた。

 「おとなしくしろ!」

 駕籠を出たところを難なく左右から押さえ付けられた冬乃は、ただでさえ身動きのとりづらい着物にまで足元を捕られながら、むりやりその場に立たされた。

 

 「おまえは藤堂の馴染みだな!」

 

 (・・え)

 

 ここで藤堂の名が出たことに、冬乃は驚いて男達を見回した。

 

 「これは予定より早く伊東を葬れるやもしれぬな」

 「ああ、尾けてきて正解だったな・・!」

 「もう少し藤堂のほうに人数を回すか?」

 「架岳らに向かわせたんだ、大丈夫だろう」

 


 (どういう・・こと・・?)

 

 いま伊東を亡き者にしようとしているらしい彼らが、一体どの立場の者なのか、

 すぐには理解に及ばず。

 

 数えて七人、いずれも髪はぼさぼさ、よれた袴で、見るからに浪人という風体の男達を前に冬乃は、

 彼らが藤堂にこのあと何をするつもりなのか只々心配になって。

 

 解ることは、この浪士達はすでに遥か前、きっと藤堂が屯所を出た頃から隠れて尾けてきていたのだ。

 

 そして、茶屋では誰か他の客が入ってきた音など全くしなかったから、冬乃たちが茶屋に居るあいだ茶屋の前か、いや、一本道の手前あたりでずっと待っていたに違いなく。

 やがて冬乃の駕籠が一本道から出てきた後、二手に別れ冬乃のほうを更に追ってきたのだろうか。

 

 

 「しかし果たして妓のために来るかだな」

 「知らん。機会は使うだけさ。来なけりゃ次の機会を待つしかなかろう」

 

 (まさ・・か)

 

 冬乃は片手に持ったままの簪を、おもわずきつく握り締めた。

 

 彼らは冬乃を人質に藤堂をおびき寄せ、無抵抗にして捕らえるつもりなのではないか。

 

 そして藤堂を人質に、

 伊東をおびき寄せるつもりだとしたら。

 

 (この人たち、)

 藤堂と伊東の師弟関係までを既に調べ上げているという事になる。つまり伊東を葬るため長らく計画的に行動してきたということではないか。

 

 

 (・・・なんで)

 

 反幕府側にとって、伊東一派は敵ではない。

 

 同様に、幕府側にとっても伊東たちは御陵衛士としてかわらず幕府側の立場であり当然に敵ではない。

 

 まして伊東が、反幕府側と関係を築きつつ幕府側へ内密に協力している事は、知る者が限られる極秘事項。

 

 

 (だけどそれをやっぱり・・気づかれてる・・の・・?)

 

 

 「しかし新選組と殺り合ってくれたほうが、清々したんだがな」

 

 どきりとした冬乃は、いま目の前の男が吐いた台詞に、動揺をみせぬため慌てて目を伏せた。

 

 「流石におまえのその案は実現するか分かったものじゃない」

 「だが成功すれば一度で両方を葬れるんだぞ」

 「どうせ仮に成功したとて、そこまでは巧くいかんよ。葬れてせいぜい伊東一派だろう」

 

 

 (その案って・・まさか・・・)

 

 

 「ま、今回で予定より早く片がつくなら、それに越したことは無い。これ以上伊東の奴に動かれては困るからな・・」

 「その通り」

 「坂本のほうはどうなってるんだ?行動の予測がつかぬあ奴こそ、一刻も早く葬るべき!この前も例の襲撃計画を止めたのは実は奴だったと聞いてるぞ」

 「わかっておる、そう焦るな。今方々で手配しておるわ」

 

 浪士達は冬乃が新選組の者とは露ほどにも思っていないのだろう、

 もとい、何を話しているかなど冬乃に解かるはずもないと思っているに違いなく。

 

 つまりあの待ち合わせ時の藤堂との小声の会話も、遠巻きに隠れていたであろう彼らには、幸い届かずに済んだようだ。

 

 かわらぬ寒空の下、往来を行き交う人の全くないこの路地で、思うままに話し込んでいる彼らへ、

 そうして冬乃は何も解らぬふりで、ひたすら怯えた様子を見せるに徹した。

 

 内心は、激しく動揺しているものの。

 

 

 (・・坂本龍馬を狙っている話まで此処で出てくるなんて・・そして伊東様は同じ理由で狙われている・・)

 

 

 大政奉還後のこの時期、龍馬がこれ以上血を流さぬ動乱の終結のために動いていた事は言うまでもなく、

 

 伊東もやはり、そうなのだと。

 まさに先程の藤堂の話で、冬乃には確信が持てたばかり。

 

 藤堂から伝わってきた伊東の志も、彼が打ち出す新体制案も、平和な終結への大きな導標と成り得るものだと。

 

 

 伊東は今の“スパイ” 的な状態にいつまでも甘んじるつもりはなかっただろう。彼の志も大局を見据え、いずれは敵対する双方を和解させる架け橋となるを望みながら活動していたはずで。

 

 それなのに、その道なかばで彼は斃れてしまう。

 そしてまるで、只、新選組の裏切者と、後世では見なされ。

 

 

 (どうしたら・・止められるの・・)

 

 

 方々で手配している、と男は言った。

 つまり此処に居る男達だけではない。いったい今どれほどの数の者が、動乱の平和な終結など望まず、武力討幕をもくろみ、坂本や伊東の活動を疎んでいるというのだろう。

 

 (その人達が多ければ多いほど・・・)

 

 歴史は、この先、どこまでも阻んでくる。

 

 

 それこそ冬乃が懸念し、恐れていた事態ではないか。

 

 当事者の近藤達以外に、伊東の暗殺に直接的または間接的に関わった者達が実はいたならば――そんな『元の歴史』を望む存在が、いればいる程――その歴史を覆す事が、困難になってしまうと。

 

 

 

 片手に握り締めたままの簪が、きしりと悲鳴をあげ。震えてしまうその手を冬乃は、尚もきつく握りこんだ。


 (恐れない・・そして絶対に最後まで諦めない)

 

 あの時、僧と沖田を前に強く決意した想いを冬乃は懸命に呼び起こす。

 

 

 『元の歴史』を望む――彼ら武力討幕派が、

 伊東と新選組の秘密裏の関係に、既に気づいているのか、またはこの先気づくのか如何か。

 今の彼らの会話からは掴めない。

 

 けれど、どちらであっても。

 

 この男達を含めた討幕派の内、何者達かが、

 伊東の懐いた志と理想を潰すために、

 

 伊東の近藤暗殺企てという捏造の情報を、もし何らかの方法で、それも討幕派側からであるがゆえに信憑性の高い情報として流すことに成功し、

 新選組に伊東を粛清させるにまで至ったのだとしたら。

 

 (一番の原因は・・)

 伊東が、討幕派すら含めた反幕府側と関わり合いを持つ、難しい立ち位置であったからこそ、

 近藤達に生じてしまった懐疑や不信感に他ならない。

 

 伊東が敵側へ寝返って近藤を暗殺しようとしているのだと、

 そんな致命的な誤解に導くほどの。

 

 逆に言えば伊東はそれほどまでに、反幕府側との密な関係構築を成し得つつあったのだろう。

 

 それは寝返ったからなどでは決して無い、

 

 一和同心

 

 敵や味方の括りを超えて、

 いつか必ず双方を繋ぐため。

 

 

 

 

 (伊東様・・・)

 

 だから冬乃のすべきことは。

 

 もう今なら、はっきりとみえる。

 

 

 

 

 

 

 「おい、架岳たちはまだか」

 「遅いな」

 「藤堂が抵抗しているんじゃないだろうな」

 

 そうであってほしいと冬乃は強く願いながら、吹きつけ続ける冷風にぶるりと身を震わせた。

 

 「藤堂はこの妓のことは見捨てた、ということか」

 「そうだろう。どうせそのうち、架岳たちも諦めて戻ってくるさ」

 「そうだな・・使い道のある藤堂は未だ殺るわけにもいかぬしな・・」

 「まあ、そう上手くいくはずもなかったか」

 「この妓はどうする」

 

 

 冬乃は。違和感をおぼえ。

 

 冬乃を護ろうと、つい先程もあれほどの想いを見せてくれた藤堂が、ここで冬乃を見捨てるとは、到底思えず。

 (そうだ・・)

 藤堂が、同行に抵抗するはずが、ない。


 

 それならどうして、彼はいつまでも来ないのだろう。

 

 (今、殺さないって言ったけど・・万一藤堂様に何かあった・・なんてことないよね・・・)

 

 胸内を覆い出した不安で、冬乃は漸く怖々と顔を擡げ。道の先を見据えた、時。

 

 

 (あ・・・!)

 

 

 「おい、誰か来る」

 「あれはっ、まさか」









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