22.
「姐さん、御控えなすって!」
そうして翌日。
顔合わせで組まで忍ぶようにやって来た小鉄が、冬乃に会うなり刹那に発したその台詞と動作に。冬乃は固まった。
手をまっすぐに突き出してきて、低姿勢で冬乃を見上げてくる彼を前に。
(ど、どう返せばいいんだっけ!?)
この動作、冬乃が時代劇で見たことのある彼ら特有の初対面の挨拶ではなかったか。仁義を切る、とかいう。
困った冬乃が、一寸のち、ここは同じく小鉄の真似をしてみることにして、腰を下げ、片手を前に、残る手を背に、おずおずと構えたところで。
隣で沖田が噴いた。
「ここまで不自然だと、さすがに当日まで特訓だね」
(う)
特訓とは、もしやこの挨拶をだろうか。
「へえ、まあ未だ時間はありますさかい。当日、姐さんは仁義だけしかと切らはったら、あとはずうっと黙っててもろうてええんどすわ。うちの子分どもが繕いますさかい。それ以上の、子分どもの面倒事につきましてはすんまへん沖田はん、ひとつ何卒よろしゅう頼んます」
「いや、こちらこそ」
にこやかに頷く沖田の後ろで、土方が同じく頷いた。
「当日の段取りについては特に変更はありません。協力、感謝します」
「なんてことありしまへん」
やがて姿勢を正した小鉄を前に。
冬乃は、改めて緊張をおぼえていた。
相当な場数を踏んできたに違いなく。顔も腕も古傷だらけ、よく見れば指の数もいろいろ足りない。
小柄なことから小鉄が愛称となったらしいが、その身から醸し出す気配は、体の小ささを超えて力強く、威風に満ちている。
(これが“侠客”・・・)
ただのならず者たちとは一線も二線も隔てる、侠客と称されうる彼らは、
仁義を貫く生き様をもってして同じく、武士とも通じるものを持つのだろう。
(・・・私なんかに務まるのかな、侠客)
今から不安になってくる。
昨日の山崎や今の小鉄の話からして、とりあえず賭博で丁か半かまではやらなくてよさそうだが。
「姐さんなら大丈夫ですわ」
ちろりと、小鉄がそんなふうに言って冬乃を見上げてきた。よほど顔に出ていたらしい。
「姐さんからは、太い芯が一本通ってはるのを感じますわ。姐さんやったら、うまいことやれます、心配せえへんで堂々と振舞っとくれやす」
(え・・)
「有難う」
沖田がまるで代わりに礼を言ってくれるのを耳に、冬乃はほろほろと緊張が解けるのを感じて。
「が、がんばります・・!」
冬乃も、大きく礼をした。
当日の段取りはこうだ。
武州からの旅の夫婦を装い、京で反幕府側の志士達に協力している疑いがある侠客の、その縄張りに入り、
そこで一宿一飯を願い出る。博徒の世界では通例、その地を仕切る者の世話になりにゆくのが筋なのだという。それを敢えて利用するのだ。
その家に匿われているかもしれない志士や、そのほか出入りする者を内から確認し、捕縛等の対応を行うために、以前の潜入捜査の時と同様、怪しまれずに部屋を借りるまでが冬乃のいちばんの仕事だ。
小鉄のほうからは、界隈で未だ顔が知られていない子分を数人、沖田たちの子分として供につけてもらい、外で控える山崎ら監察との間の、諸処の連絡係として動いてもらう手筈になっている。
(そういえば・・・)
冬乃はそっと横の沖田を見上げた。
(総司さんは、どんな格好になるの?)
そして決行の日。冬乃は、打ち震えた。
彼の、あまりの似合いっぷりに。
(目・・目のやり場が)
元々着流しの似合う沖田が、いま冬乃の前、袖口と肩に見事な華吹雪をあしらった粋な着物を着流し、
しかもいつも以上に着崩して、その褐色の逞しい胸筋を露わに懐手で立っていて。
割れた腹筋を覆うサラシまでしっかりと覘き。腰には刀の一本差し。
着流しに一本差し自体、風呂上りに寛ぐ恰好としてはありえても、これで街中に居れば、一見では隆盛極める公儀方新選組の幹部だとは誰も思うまい。
その上、目的の侠客の前では外すらしいが、それまでは頭巾を着けて顔を半分以上覆っているのだ。
この迫力で顔まで覆っていては、むしろおもいっきり怪しい人間ではないか。
そう、もう明らかにお尋ね者の様相な。
なのにこんな格好も似合っているとは、これ如何に。
そんなわけで沖田の部屋に入るなり真っ赤になっている冬乃に、面白そうに近づいてくる沖田から、
(・・きゃあぁ)
冬乃は、もはや後退る。
いや、いったい夫婦になってすらいつまでも彼の“男の色気” に免疫がつかないのはどうなのかと。自分でも思っても、つかないものはつかないのだから仕方ない。
何度だって惚れ直してしまう、その事にならば慣れに慣れきったものの。
(総司さ・・)
襖まで後退りぴたりと背を合わせたきり硬直する冬乃の、目の前まで来て沖田が、冬乃の着崩しぎみの胸元へ躊躇なく手を挿し入れてきた。
「冬乃、こういう恰好も可愛い」
頭巾から覗く悪戯な眼が冬乃を見下ろす。
冬乃の身も心も、奥深く一瞬で焦がしてしまえる、その眼で。
(あ・・)
沖田の残る片腕が冬乃の頭上の襖を押さえ。横なら土壁で、そうして完全に逃げ場を絶たれて襖を背に囲われた冬乃が、
「んん…っ」
サラシの上から弄られる胸を、まもなく息も絶え絶えに上下させた頃。
「入るぞ」
背の襖から不意に土方の声が届いた。
「て、おい、なんで開かねえんだよ」
続いた怒り声に瞠目した冬乃から、沖田が哂いながら身を離した。と同時に、沖田の腕の押さえが無くなったことで冬乃の背後の襖がすらりと解放され。
「うお!」
急に開けれたと思ったら目の前に冬乃の頭が現れて驚く土方に、
冬乃は今度は蒼くなった顔で慌てて向き直る。
「・・・おめえら、また何かしてたな」
あいかわらずの鋭い睥睨を受けて、冬乃はぶんぶん首を振った。
「早いですね。もう鉄さんが来たんですか」
沖田がそしてあいかわらずの飄々な調子で肩を竦め。
「こいつの挨拶が上達したか心配して早めに来てくれたそうだ」
土方の問いを完全に無視した沖田へ、それでも土方が忌々しげに返答した。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。特訓しましたから」
そうなのだ。あれから毎日、冬乃は滞りなく初対面の挨拶ができるまで、沖田に何度も繰り返し練習させられた。
その過程で沖田の仁義を切る姿も当然、参考に散々見せてもらったわけで。その板についた姿は、思い起すたび冬乃の頬を紅く染める。
ようするに、
(かっこよすぎて、もう、ずるい)
なんでそんなに休む暇なく何度も惚れ込ませてくるのかと。
「鉄さんの子分たちももう来てる。おら、用意ができてんなら行くぞ」
土方がどこかげんなりした顔になるなり、踵を返した。
突然ぽっと頬を染めた冬乃の心情になぞ、大体の予想がついただろう土方からすれば、
見ていられないといったところなのかもしれない。
「「「お控えくだせえ!」」」
(わ)
小鉄の子分らしき三人が、冬乃を見るなり一斉に見事な仁義を切ってきた。
そうだった。冬乃と彼ら三人は初見だ。
「御三方こそお控えなすって!」
冬乃は慌てて、特訓の成果を披露する。
が続けて、
「「「いえいえ、姐さんこそお控えくだせえ!」」」
さらに腰を低くする三人。
「手前ども、端から、キン、ギン、スズ、と申しやすッ」
(き・・金属ファミリー?)
小鉄が連れてきた子分のなかでの代表格らしいスズが、ものすごい勢いで名乗って、冬乃はおもわず目を瞬かせた。
(あ、と)
「失礼しました、手前は冬乃です!」
「「「とんでもねえでございやす、よろしゅうお頼み申します冬乃姐さんッ」」」
更なる間髪入れぬ三人の挨拶に、
(こっ)
「こちらこそ!」
冬乃は圧されながらも、今一度、腰を下げてみせた。
「お見事でございやした」
小鉄が、顔を上げた冬乃に、最後に恭しく礼をして。
「姐さんの今の仁義の切り様でしたら、もう大丈夫ですわ」
一連のやりとりを満足気に、いや愉しげに、やはり懐手のままに見ていた沖田を、冬乃はちらりと横に見上げた。
目を合わせた沖田が頷いて返してくれる。
「沖田はん、本日は、こやつらを宜しゅうお頼み申します」
「「「よろしゅうお頼み申します、沖田の親分!」」」
見事に声の揃う三人に、
「こちらこそ世話になります」
沖田がにっこりと礼を返す。
すでに山崎ら監察は現地に行っているはずだ。
よってこれより作戦開始である。
「駕籠を出るまでには、頭巾を着けておいて」
あれから更に旅装の出で立ちになった沖田が、幹部棟まで呼び出した駕籠に乗り込みながら冬乃を振り返った。
そう言う沖田が、もはや煩わしかったのか今の間は頭巾を外しているのだが。
「はい」
冬乃が答えた横で、駕籠かきが簾を持ち上げた。
これから、屯所を出て街の中心地を通過しきるまでは、皆して駕籠で向かう。
一見で沖田とは分かるはずがなくとも、旅の侠客の一行として目立つことには変わりない。事情を伝えていない見廻組などに鉢合わせたりして余計な騒動を生まないためにも、人目を避けるに越したことは無く。
(とはいっても)
冬乃は、目の前の品格漂う駕籠を茫然と見やった。
どうやらこの武家御用達の駕籠は、冬乃のためらしいのだ。
通常、市井の人々が使う駕籠は、乗り心地が悪く、酔ってしまう人も多いというが、
おもえば沖田とこれまで乗っていた駕籠は、どれも武家だけに許される駕籠ばかりで、質が良く、そういった辛い想いをしたことはない。
今回も、沖田が冬乃のために、屯所から人の少ない所まで乗っていくぶんにはいいだろうと、それらの駕籠を呼んでくれたのだ。
おこぼれ状態で武家駕籠に乗っていけるスズたちが、飛び上がって喜んでいる傍で、冬乃は、あいかわらずの沖田の過保護ぶりにどうにも頬肉が緩んでしまう。
侠客の一行がゾロゾロ武家駕籠から出てきたら大問題だと思うけども。と、降りる時に誰にも目撃されないことを、冬乃はこっそり祈りつつ、駕籠に入ってふかふかの座布団に座り込んだ。
そんなわけで、そうして着いた町はずれ。
ゾロゾロ降りて暫く。
「やはり来るか」
沖田がぼそりと呟いたのを冬乃は耳にした。
(・・え?)
見上げた冬乃の瞳には、前を向いて歩む彼が何やらめんどくさそうに息を吐いたのが映り。
(来るって、何が?)
「おめえさんら、どこのモンや」
直後に背後から鳴り響いた声に、冬乃は驚いて振り返った。
沖田達の後ろを歩んでいたスズたちメタル三人組も、慌てて振り返る。
「は!その腰のモンで、侍にでもなった気ぃやないやろなア!」
のっそりと最後に振り返った沖田の、腰にある刀へと、声をかけてきた男たちが視線を向けるなり嗤い出した。
「侍の乗る駕籠なんぞ使いよって!阿呆やな!」
成程、目撃されていたらしい。
じつは沖田が腰に差している刀は、通常の刀ではない。
匕首といって鍔も立派な鞘も無い、武士の身分ではない者に所持を許されている刀であり。
ゆえに男たちは、沖田が匕首の刀差しのくせに武士のつもりで武家駕籠を使ったのかと揶揄しているのだ。
冬乃が再び沖田を見上げると、彼はやはりめんどくさそうな様子を全開にしている。
普段纏っている一切の気配を今はわざと消している様子の彼が、唯一ダダ洩れさせているのが、そのしちめんどくさそうな気配で。
それを横でびしばしと感じる冬乃は、頭巾の下でおもわず苦笑った。
「おい、その女のかんばせ、拝ませろや」
まあもっとも、今の冬乃たち一行の恰好が恰好だけに“同業者” に絡まれても仕方がないのだろう。
しかし未だ、この界隈は目的の侠客の縄張りではないはず。
(てことは・・・)
いま冬乃たちに絡んでいる我が物顔の男達は、これから“世話”になりにゆく侠客の手下ではない。
つまり沖田達は、気兼ねなく振舞える、
・・・という事。
ちらりと冬乃は、憐れみをもって男達を見やった。
「おい、おめえさん聞いてんのか」
「“親分”、」
男達を見据えてスズたちが、懐にしのばせていた短刀の匕首を構える。
「いい。抜くな」
彼らの背後で沖田が短く制し。一瞬冬乃を抱き寄せた。
「ここに居て」
顔を上げた冬乃の前、沖田がスタスタと男達へ向かってゆく。
まもなく横を通り抜けた沖田をスズたちも驚いたように見上げて。
まっすぐ向かってくる沖田に、男達は面食らったようだった。
「な、なんや、やンのか!」
男達が慌てて懐から匕首を出したのと。
「野暮が」
沖田の吐き捨てた言葉が聞こえたのは、
同時で。
(え・・・いま)
瞬間、光が奔り抜けた気がして冬乃は、目を瞬かせた。
(見まちがい・・?)
「こっちは女連れなんだから、少しは気を利かせろよ」
「そ、そうやわ!」
固唾をのんで見守っていたスズたちが、はっと気づいて沖田の台詞に続けて怒声を追わせる。
「旅のめおとに絡むなんざぁ、おめえさんら野暮中の野暮やで!」
「仮にも花の京でやくざもん張ってンなら、そンくらいは洒落籠めや!」
「なんやと!!」
一斉に男達が叫んで、前へ踏み出した、
刹那。
ぱさぱさと、いずれも軽やかな布音を奏でて。
彼らの腰帯がその足元へ舞い落ちた。
「・・・・え」




