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14.




 千代に断られても、冬乃はその時になって彼女を独りにしてしまう事などできるはずも無く。冬乃は気を抜くと涙が滲む心持ちのまま、横の書状を手に取った。

 

 先ほど島田が来て、近いうちまた組の金策を行う相談を近藤としてから帰っていった。

 大柄でも愛嬌のあるぷくぷくの体と優しい人当たりの天使の如き島田には、ある意味うってつけの役割だと。冬乃はおもわず微笑んでしまいながら、島田の置いていった書状を整理する。

 

 仕事をしていれば気が紛れた。

 そのあたりが、何も手に付かなくなる恋わずらいとは違うようで。どういう違いなのか冬乃には今一つ分からないが。

 尤も恋わずらいなら最初の頃と比べて、だいぶ上手につきあえるようになっている。

 

 (きっと・・)

 恋わずらいは、躰の作用。

 今こうして抱えている悲しみは、心の作用。

 冬乃に思いつくのは、その違いだけ。心も脳ゆえに体の一部とはいえ。

 

 心の定義にも記憶を含むのなら、心は脳だけに在るとはいえないものの。

 

 

 (・・混乱してくるからやめよ。それに)

 

 千代の家を出てからずっと考えていた事も、脳裏つまり心からそろそろ追い出さなくてはならないだろう。

 

 千代がどうしても接触を許してくれない時は、どうすればいいか。

 それはやはりもうその時に考えるしかないのだと。

 

 

 「冬乃さん、それが終わったらいったん休憩に入ってくれてかまわないよ」

 

 冬乃を振り返って近藤がにっこりと微笑む。あいかわらず優しい“父” に冬乃は癒されながらぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 

 

 「心がどこにあるか?」

 

 沖田の愛しげな眼が、すぐ間近で冬乃を見返した。

 

 

 休憩をもらってすぐ沖田の部屋を覗いた冬乃は、昼寝をしている沖田を発見して。布団まで忍び足で向かって、こっそり横の畳に座って寝顔を堪能しようとしたのだが。

 横に座った瞬間に、ぬっと伸びてきた沖田の腕に冬乃は絡め捕られ、布団の中まで引きずり込まれて今に至る。

 

 

 「“わが心いずくにありともしれず、天魔外道も、わが心をうかがい得ざる也”」

 

 そして沖田が冬乃の先の質問に返事をしたらしいことは分かったのだが、冬乃はすぐには理解できずにきょとんと沖田を見つめた。

 

 (いまの、どういう意味?)

 

 冬乃の反応に、沖田が想定内の様子で微笑った。

 

 「心の在処は定まるものではないという見解だが、兵法から来ている言葉」

 

 沖田の説明に。

 「兵法・・」

 そして冬乃は目を見開いた。

 

 「剣の極意に於いては心も体も同一のものとされる。“体得” した動きは何者にもその思考、心、を読み取らせず、本人にとっても無我の状態にある。先のは柳生新陰流の兵法にある言葉だが、どの流派にも通ずるもの。冬乃もその動きができているよ」

 

 「え・・?!」

 

 「簡単にいえば、稽古を重ねた結果、一々考える事なしに体で動けるに至るまで高められた状態だね」

 

 (あ・・)

 

 冬乃は、沖田に背を預けて真剣で闘った時のことを思い出した。

 あの時、たしかに冬乃の体は自然と動いた。それまでに沖田に何度も稽古をつけてもらっていた通りに。

 

 

 おもわず感動に瞳が潤みながら、冬乃は愛しそうに抱き寄せてくれる沖田の胸へと頬を摺り寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「冬乃ちゃん、どうしてこんなところに居るの」

 

 夕餉の席。

 廊下をやってきた藤堂が、広間の入口で佇んでいる冬乃を見て微笑みかけてきた。

 

 「あ、まだ皆さまお揃いでなかったのでなんとなく待ってようかと・・」

 沖田も道場なのか来ていないのだ。冬乃はそのまま首を傾げる。

 

 

 近藤なら先ほど冬乃と一緒に来て、入口で出会った土方と席へ向かい済みなのだが。

 

 「こんなところで待ってなくていいよ。中、入ろ?」

 (それもそうだよね・・)

 藤堂が促すのへ、冬乃は抗うこともないので頷いた。

 

 そういえば藤堂は、日中は非番だったはずだ。きっちり正装している藤堂を改めて見やって冬乃は目を瞬かせた。どこか畏まった所にでも出かけていたのだろうか。

 

 「あ、伊東先生、本日はお疲れさまでした」

 

 冬乃と藤堂が広間へ入ろうとした時、さらに廊下を向こうからやってくる伊東に藤堂がいち早く気づいてそんな挨拶を送った。

 

 (本日・・?)

 

 「藤堂君こそ、今日は有難う」

 伊東が歩んで来ながら、にっこりと柔和な微笑を作る。

 

 伊東の周りには、常に彼の心酔者が侍っていて。今も伊東はそうして数人の隊士達と共に廊下を来て、まもなく藤堂の前で立ち止まった。

 

 「あの事を宜しく頼みます」

 藤堂の目をしっかりと見て伊東はそんなふうに言った。

 みれば伊東も、いつも以上に堅苦しい正装をしていて。

 

 「はい!」

 藤堂がはきはきと返事をし、伊東は再び微笑むと「では失礼」と言い置き広間へ入っていった。

 

 (あの事?)

 冬乃は、伊東の背を見送る藤堂を横でじっと見つめてしまった。

 

 その視線に気づいた藤堂が、冬乃を見返して。

 「あ、」

 冬乃は慌てた。

 「伊東様とどこかへお出かけなさってたのですか」

 

 聞いてしまってから、後悔するも遅い。これでは伊東と藤堂のやりとりに首を突っ込んでいる状態ではないか。

 

 「うん、ちょっとね」

 だが藤堂は気にしたふうでもなく、それだけ言ってにこにこ微笑むと、促すように広間を向いた。

 

 

 席へ向かってゆく藤堂に続きながら、冬乃は小さく溜息をつく。

 

 何かが確実に始まっている。

 

 藤堂が伊東と行動を共にすることなら、これまでにもあった。伊東は藤堂の元々の師匠なのだから当然で。

 (だけど今日のは・・)

 

 それは、これまで伊東の言動をできるかぎりに観察してきた冬乃の勘だった。

 

 数日前にも伊東の心酔者の一人が、隊に所用と断り江戸へ向かっている。その隊士が伊東の部屋を訪ねていた時、冬乃は部屋の前の廊下をさりげなく掃除しながら、金策という言葉を耳にしていた。

 

 もう分離の準備を彼らが始めているのだとしたら。

 冬乃の胸に不安がよぎる。

 

 

 (でもそれなら、・・それが近藤様達に反することなら。藤堂様が何もしないでいるはずがない)

 

 藤堂ならば。

 もしも今の時点でさえ、近藤と伊東のめざす道にこのままでは危ういまでの相違があるなら、

 近藤と伊東どちらにも、その間を取り持とうとそれこそ必死に働きかけているはずではないか。

 

 それがもし未だ小さな綻びであっても、いつか取返しのつかない裂け目となってしまわぬうちに。

 

 ただ、一方で、

 素直でまっすぐに物事を捉える藤堂だからこそ、もし若干の危うげな相違がある程度なら、まさかその程度の小さな違いがいずれ血をみることに繋がるなどと、想像もしないのではないかとも。冬乃には思えていて。

 

 

 冬乃は隣に坐す藤堂をそっと見やった。

 

 味噌汁の蓋を開けて、鼻歌を歌い出しそうな上機嫌でさっそく食事を始めている。

 その横顔に、後ろめたい隠し立ての様子などとうてい垣間見えない。

 伊東との今日の外出も、頼まれ事も、近藤達に明かせないような事では全くないのだ。

 

 そしてもしそれらが分離の準備の一環であっても、そしてこれからもっと藤堂が関わっていくとしても。やはり、決して謀反の動きではないのだと。

 未だ表立っての準備を避けているのなら、そこには何かしらの伊東なりの配慮があるのかもしれない。

 

 (そうじゃなきゃ、藤堂様がこんなに幸せそうにしてるはずないから)

 

 藤堂もまた心酔し尊敬してやまない伊東と、今日行動を共にした事、頼まれ事があって頼られている事、

 

 沖田と近藤におきかえてみれば、その喜びは、冬乃にも手に取るようにわかる。

 

 分離にせよ思想の段階にせよ、もしもこの先に伊東と近藤達が敵対しかねない事態が、今すでに少しでもあるのなら、

 藤堂が、近藤達のため、何より伊東のために、やはりその回避に懸命になっていないはずがない。

 そしてその場合、こんな平和な穏やかな顔などとてもしていられるはずもない。

 

 だから・・

 

 

 「冬乃ちゃん?食べないの」

 また具合が悪いのかと心配そうに見つめられ、冬乃は慌てて膳へ手を伸ばす。

 「あ、ふたりとも道場の戻り?」

 同時に藤堂が冬乃の後方へ声を掛けた。冬乃が振り返ると、沖田と斎藤が連れ立ってやってくるのが目に映った。

 

 「ああ」

 腹へった、と沖田が返事をしながら袴を捌いて冬乃の隣に座る。

 斎藤は勿論いつも通り黙したまま頷いて、沖田の向こう隣へ正座して。

 

 (あ・・)

 三人揃っての夕餉は久しぶりではないだろうか。冬乃は、彼らの間でつい頬を緩ませた。

 

 「俺たち揃うの、久しぶりじゃない?」

 藤堂も同じ事を思ったらしく、そんなふうにどこか嬉しそうな声をあげた。

 おもわず藤堂を見た冬乃に、「だよね?」と藤堂がにこにこと同意を求めてきて。

 

 (藤堂様)

 

 「はい・・っ」

 

 この笑顔に。偽りなどあるはずがないのだ。

 

 冬乃は、安堵の傍らで、

 この先それならば藤堂達が迎える局面は、冬乃が疑い始めていたように、やはり何らかの誤解が発端なのではないかと。それがいずれ血をみることに繋がるなどと藤堂がいま想像もしていないような、きっとほんの小さな相違から。

 

 改めて胸内をよぎった、その懸念に。

 

 

 「藤堂様・・」

 

 冬乃は、つい呼びかけていた。

 呼びかけておきながら、

 

 「え?」

 

 何を言えばいいかなど用意しているはずもなく。

 

 「あ・・の、近いうちご相談したいことが・・」


 

 咄嗟に繋いだその台詞は、

 

 

 だがこの場に少々の波紋を生じたことに。冬乃が気がつくのは、夜も更けてからだった。

 

 



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