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150.


 「総司さん・・ほんとうに」

 

 ありがとうございます

 

 再び込み上げた情感に突かれて、囁くようになってしまった冬乃の声を。沖田が受け止めるように冬乃の手の甲へと、その手を重ねた。

 いつのまにか、膝横に流した自分の手が裾を握り締めていたことに、冬乃はそれで気がついて。

 

 「冬乃が、また帰ることになるなら」

 そんな冬乃を変わらぬ優しい声音がそっと包んだ。

 

 「親御さんには何度でも、どんな些細な事でも、まだ伝えられる事があるならば、伝えておいで。何かしらの悔いがなるべくでも冬乃に残ってしまうことのないように」

 

 

 沖田の大きな手の温もりに引かれ、深く腕のなかに包まれながら、冬乃は目を閉じた。

 穏やかに拡がる安息の裏で、刺し込まれたままの痛みが再び心奥を抉って。

 

 沖田が気にかけてくれているような事には――母の居る世を離れる事には、ならないのだろうから。

 さらには此処の世への永住が、ひいては冬乃と母の世での“死” になるなど。沖田が知るよしもなく。

 

 今このときも冬乃の体が平成の世に残っていて、昏睡した状態である事、

 時空移動の、この現象を母に明かして信じてもらえるはずのない事も。

 

 

 沖田からすれば、冬乃が家族と話してくる事は即ち、

 冬乃が家族の元を離れ、沖田の居るこの身寄りのない世へと“嫁いで幸せになる” 決意を伝え、

 わだかまりを可能な限り残さないようにする事であって。

 

 まさか冬乃の世で“永久に目覚めなくなる“ 決意を胸に訣別してくる事ではない。


 

 (もしも・・)

 

 此処の世で死を迎えるまで永住すること、それ以上に、沖田を追うことすら、

 真に冬乃に叶うなら。

 

 その幸せな“平成での死” を前にして。冬乃は逆にこれ以上は、何も伝えずに済むだろう。

 

 母に一番に伝えたかった言葉なら、もう伝えることができたのだ。

 あとは恨み言しか残っていないようなもの。

 永劫の別れにおいてそれは、きっと重い置土産にしかならない。わざわざ打ち明けて、母を二重に苦しませることはないと。

 

 

 二重――母の“娘” を、母から奪ってしまう事との。

 

 それでも、どうしても冬乃の望む想いはやはり変わらない。

 

 (総司さんの傍に居たい)

 

 これだけは。そうして母を“捨てる” 罪悪感に、どんなに咎められようと最早、揺るぎない望みとして懐いている。

 

 所詮は望みでしかなくても。或いは、望みでしかないために。



 

 「大丈夫です・・・」

 冬乃は。

 

 平成の世との訣別、

 その起こることのない想定のなかで、答える。

 

 「総司さんのおかげで、話したい事ならもう全て、話してこれました。もうすでに、悔いはありません・・」

 

 


 (ごめんなさい)

 

 母と沖田、どちらへともなく。

 最後のことばを、冬乃は胸内に呟いた。

 

 

 

 「・・以前に冬乃が言ったように、母君から冬乃が愛情を感じることができていたなら、」

 冬乃を腕の中に抱き締めたままに、沖田の温かい手が冬乃の頭の後ろをそっと撫でた。

 

 「母君が、冬乃の幸せを願っていることもまた、信じてみていいと俺は思う」

 

 冬乃はいま耳にした事を俄かには呑み込めずに、顔を上げた。

 

 (私の、幸せ・・?)

 

 

 「つまり冬乃の望んで選んだ事は、母君の望む事でもあると」

 

 

 (あ・・・)

 

 冬乃が此処の世を選ぶ事を指しているのだと分かって、冬乃は目を見開いた。

 

 幸せになろうとして、母の居る世を離れてでも此処へ来たいと望んでいる。もしも本当に、そう母にきちんと伝えられたなら、

 

 母はそれを受け止めてくれると。

 

 (信じてみても・・・いいの・・・)

 

 

 「もちろん世の母君の気持ちを俺に推し量れるわけではないが、俺は、それが冬乃の望む幸せなら、冬乃を手放すことを厭わない。冬乃を愛する母君ならきっと」

 同じ想いだと信じている

 

 

 沖田の穏やかな声が救い上げるように、冬乃の心をふわりと軽くしたのを感じた。

 ふたたび零れ落ちた涙が、冬乃の頬を静かに伝い。

 冬乃は残る雫を圧し出してしまうように一瞬強く目を瞑った。

 

 本当にそうであれば。冬乃の内の母へのあらゆる罪悪感は、今度こそ完全に削ぎ落ち、消えてゆくように思えて。

 

 実際に冬乃の望みが叶うには冬乃と母は“死別する” ことになるなどと、沖田が知るよしもない中で掛けてくれた慰めであっても。だから、たとえそれが祈りの内を出なくとも。

 

 

 (・・こんなに)

 

 いま冬乃の心は、深い安らぎに包まれて、

 

 

 幸せで。

 

 

 (温かい・・・)

 

 この温さは、

 

 氷塊のように解けることの叶わなかったあの疎外感をも、一瞬で解かしてしまえそうで。

 

 

 

 もう錯覚ではない、その確かな予感に。

 

 冬乃は沖田の腕の中でそっと凭れ、目を閉じた。

 

 

 

 かつて冬乃の罪悪感が向けられてきた、もうひとりの存在をいま、冬乃は瞑った瞼の裏に想い浮かべていた。いつも花の綻ぶような優しい笑顔で、そんな冬乃を迎えてくれた彼女を。

 

 

 (総司さんとの事、ちゃんと伝えなきゃいけない)

 

 冬乃が使命にはっきりと気づいてからも、なお沖田との幸せな時間を前にしては、心が気にかけてきた、その人へ。

 

 

 (そうしたら、・・これで私は)

 

 

 もうひとつの『禁忌』に、

 

 

 

 きっと今度こそ。抗える。

 

 

   



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