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116.




 どうやってあれから近藤の部屋へ来たのか、冬乃はよく覚えていない。

 

 倒れかけたところを沖田に支えられ、「その反応は可愛すぎだろ」とまた揶揄われたところまでは、覚えていて、

 

 頭の奥がぼやっとするままに冬乃は、近藤の茶の用意のために井戸場へ、沖田は斎藤を連れて自室へとそれぞれ向かい。

 

 そして今に至る。

 井戸場で、恐らくは体が覚えているままに自動的な動作をしていたのだろう、

 きちんと今、冬乃の膝の前に、茶に必要なものが揃っているところを見る限り。

 

 

 「冬乃さん、さっき歳の言った事は、そんなに気にしなくていいよ」

 

 未だ気を抜くとぼんやりしてしまっている冬乃に、近藤が気遣ってくれる。

 

 「すみません」

 冬乃は慌てて会釈をして、用意を終えた茶の盆を近藤の脇の畳に置いた。

 置きながら。

 

 (総司さんと・・)

 またも、冬乃の心の視線は茶を素通りしてしまう。

 

 (・・・一緒に住む・・)

 

 きっと冬乃が食事を作って沖田の帰りを待っていて。

 風呂の用意もしておいて。

 そして彼が帰ってきたら、今日はどちらにしますか、なんて聞いたりするのだ。

 

 

 (そんなことが、叶っていいの・・?!)

 

 

 そして、・・だけど。

 

 (夜もずっと一緒、てことは)

 

 冬乃の心配している事は、避けようが無いのではないか。

 

 それでも沖田と一緒に住むという、そんな甘い誘惑に、

 冬乃が抗えるはずも、また無く。

 

 

 

 「冬乃さん、そういえばそろそろ書簡は読めるようになったかな」

 

 ふと近藤が文机から顔を上げて、冬乃を振り向いた。

 

 「あ・・」

 

 冬乃ははっとして近藤を見返した。

 

 

 沖田がこのところ毎日欠かさずに、少しの時間でも確保してくれて、おかげで文字の読解の特訓は更に進んでいた。

 

 もっとも、その特訓の時間は、随分と芳潤な時間でもあって。冬乃が難しい箇所をきちんと読めたりするたびに、抱擁と口づけのご褒美が降ってくるのだから。

 

 時々、冬乃がかえって読解に集中できなくなることは、もちろん内緒にしている。

 

 

 

 「はい・・っ、恐らくなんとか・・」

 

 冬乃は、どきどきと胸を高鳴らせつつ答えた。

 

 「そうか、それは有難い。では早速・・」

 近藤が、冬乃へ書簡を出してきて、仕事の指示を伝えてくるのへ、

 真剣に向かいながら冬乃は、

 

 沖田のおかげでついに従事が叶ったこの仕事に、今は全力で集中しよう、と。漸く心内を鎮めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 藤堂と沖田は、“男同士の話”というのを無事済ませた様子だった。

 二人の以前と変わらぬやりとりを耳に、冬乃は安堵とともに、

 

 食事の場でいま冬乃を挟んで、愉しげに旅の土産話をしている藤堂を隣にして、

 これまで全く、藤堂の気持ちに気付けなかった自分に、少々落ち込んでもいて。

 

 (ずっと妹みたいに接してもらえてるんだとばかり・・)


 以前に山野に、鈍感、といわれたが。

 これではその通りではないか。

 

 (ごめんなさい藤堂様。そしてありがとうございます・・)

 

 同じかたちの想いは返せなくても、冬乃にできる方法で想い返していけたら、と。

 冬乃に対しても以前と全く変わらない態度で接してくれる藤堂に、冬乃はそして心の内で頭を下げた。



 (それに・・山南様のことも・・本当にごめんなさい)

 

 藤堂、斎藤、沖田、冬乃の四人で広間へ来る間。

 八木家への挨拶の後に光縁寺で手を合わせてきたよ、と藤堂のほうから話をしてきた。

 山南の埋葬された寺だ。

 

 『皆で必死に説得したのに決意が固かったんだって?山南さんらしいや』

 哀しく微笑ってそう呟いた藤堂からは、彼の内で訣別ができているさまが感じ取れて。

 

 

 (藤堂様・・)

 

 藤堂は受け止めていても。

 

 冬乃にとっては、死期を知っていながら、命を助けることは叶わない己の無力さは、再び冬乃の胸に暗く翳を落としていた。

 

 じきに、藤堂もまた、避けられない運命に向かってゆく。冬乃は考えないように努めていた彼のこの先を、どうしても思い出してしまい。

 

 

 「・・ていうことがあったんだよ!ありえないでしょ?!」

 今も楽しそうに語らう藤堂の隣で。冬乃は膝の上の手を握り締めた。

 


 (命は救えなくても。藤堂様が望む最期を見つける、絶対に)

 

 騒ぐ心を落ち着かせるべく、静かに、そして冬乃は息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東下組が帰屯してから連日。

 

 斉藤のほうはどうか分からないが、沖田はやはりどうやら“斎藤渇望症”だったらしく、時間を見つけては斎藤を道場に引っ張り込んでおり。

 久々に彼らの稽古を見る者達も、初めて見ることになった新入りの者達も、大いに刺激を受けている様子で、このところ道場は常に活気だっていた。

 

 

 なにより、局長の近藤と副長の土方の下に、監察および、八つの隊に各組頭と伍長を配置した新編成も組まれることとなり、これまでの体制はより一層強化され。

 

 今、まさに新選組は、最盛期を迎えていた。

 

 

 

 編成の表を冬乃は、すでに近藤の部屋で見ていた。

 

 後世によく伝わっているものとは、少々違っていたことが印象深く、冬乃は、未だ平成十二年の段階では未発見の事柄なのだろうと、胸の高鳴る想いで受け止めた。

 

 

 各隊の組頭に関しては以下である。

 

 一番隊 組頭 沖田 総司

 二番隊 組頭 永倉 新八

 三番隊 組頭 井上 源三郎

 四番隊 組頭 藤堂 平助

 五番隊 組頭 斎藤 一

 六番隊 組頭 伊東 甲子太郎

 七番隊 組頭 武田 観柳斎

 八番隊 組頭 谷 三十郎

 そして、

 小荷駄隊 組頭 原田 左之助





 新編成が貼り出されたその日。冬乃は千代を訪れるつもりで休みをもらっていた。

 

 

 以前に千代と古着屋で買った、淡い梅鼠色の帷子を着こみ、門へと向かっている時。

 

 「冬乃さん」

 梅雨が来そうで来ない微妙な空の下、声をかけてきたのは蟻通だった。

 

 

 想い返せば、沖田と大々的に恋仲であると知れ渡ってからは、あの池田の他に、冬乃に声をかけてきた数少ない隊士ではないか。

 

 

 「なんだか、すごく久しぶりに話せる気がする」

 

 少し遠慮がちに囁いた蟻通は、どこか寂しげながら温かい眼差しで、冬乃を見た。

 

 「あの、・・沖田先生との事、おめでとう」

 

 そして零されたその台詞に。冬乃はおもわずぺこりと頭を下げて。

 

 「冬乃さんのことは、ひとめぼれでした」

 

 下げた頭に優しく降ってきたその声に。冬乃は、はっと頭を上げた。

 

 

 (蟻通様・・)

 

 「もちろん、相手にされてないのは分かってたから。・・俺は冬乃さんが幸せだったら、それでいいんです」

 

 呼びとめてすみません

 と蟻通は言い足して、冬乃から一歩離れて。

 

 

 「どうかずっとお幸せに」

 

 「あ・・ありがとうございます・・っ」

 

 冬乃は込み上げる想いに、もう一度、深く礼をし。去ってゆく蟻通の背を暫く見送った。

 

 彼もまた、誰かと幸せになれますように。冬乃は心から祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 (・・まだ池田様には、恋仲を装っていると、そういえば思われたままだったりするのかもしれない)

 

 やがて、門へと再び歩み出しながら、冬乃は以前やはり声をかけてきた池田に関して、胸に過ぎった疑問にまたすぐに足を止め。

 

 

 (装うのを黙っていてくれたわけだし・・その御礼を兼ねて、きちんと伝えたほうがいいよね)

 

 「おい未来女」

 

 (わ!)

 

 いきなりそこへ、背後から土方の声が響いた。

 

 吃驚して振り返れば、少し着飾ったふうの土方と、隣には沖田がいて。

 

 (あ・・)

 

 「おまえ、どこ行く」

 土方の問いに。しかし瞬間、冬乃は固まった。

 

 沖田を前に、咄嗟に言葉が出なかったのだ。

 千代に会いに行く、とは。

 

 

 「あ・・と、ちょっと買い物に・・」

 

 

 千代に。冬乃は、無性に会って話がしたかった。

 

 沖田との事を伝えられるわけでもないのに、それでも。

 

 すでに冬乃は、千代の運命すら変えてしまったのだ。

 彼女がそれなら今そしてこの先、どうなるのか。

 気懸りだった。

 

 

 「一人でのこのこ出歩くな。おまえだって、顔が知られているかもしれねえんだぜ」

 冬乃を前に、土方が溜息をついた。

 

 「え?」

 

 「俺や組の人間との外出時には、毎回頭巾を着用してもらってますから、大丈夫なはずですよ」

 あまり冬乃を怖がらせないようにと、沖田が横から継ぎ足す。

 

 冬乃は二人を見上げた。

 

 (一人で出歩くなって・・どういうこと・・?)

 

 「貴女には言ってなかったね。最近、隊士が狙われる事件が続いていて、隊士達には今、一人歩きを禁止している」

 続いた沖田の説明に、冬乃は驚いて目を瞬かせた。

 

 

 「まあ、幹部の人間達は、好き勝手に一人で歩き回ってるけど」

 藤堂とか。

 ついこの前も一人でさくさく壬生へ行っていた彼の名を、沖田が哂って例に挙げる。

 

 

 (私の少し前に、井上様が出ていくのもお見かけしたような・・)

 

 「まったくもって示しがつかねえ」

 規律の鬼の身からすると面白くないのか、土方が舌打ちした。

 

 「だからといって、貴方の女通いにまで付き合わされるのもねえ」

 「ってめ、いちいちばらすな」

 

 (え)

 

 冬乃はおもわず沖田を見上げた。

 だがすぐ、不安げな表情にでもなってしまったかと気づいて俯く。

 

 「・・ああ、」

 沖田が、冬乃の驚くほど優しい声を発した。

 「俺はただの土方さんの護衛だから。この人を上七軒まで送ったらすぐ帰るよ」

 

 沖田のその言葉でほっとしてしまった冬乃は、顔を上げながらそのままちらりと土方を盗み見た。

 

 上七軒・・お相手は後世に有名な君菊さんだろうか。

 と咄嗟に思った事は、胸に秘める。

 

 

 「・・・て、考えてみりゃ、おめえも俺を送った後は、一人で歩くんじゃねえか」

 

 これではやはり示しが。

 と、ふと眉をひそめた土方に、沖田が今更気づいたのかと哂う。

 土方からしても、沖田が一人で歩いていようと心配は無いために、失念していたのだろう。

 

 

 「俺のことはいいですよ。ただ貴方は、帰りは駕籠で帰ってきてください」

 夜は暗いからどうせ見えまいなどと油断しないように、と土方に念を押す沖田に、土方は「わかったよ」ときまりが悪そうに横を向いた。

 

 

 「で、未来女のほうはじゃあ本当に大丈夫なんだな」

 

 「そりゃ、念には念をいれりゃキリがないですよ。本当なら四六時中そばにいて護っててやりたいですし、むしろ叶うならば、安全な場所にずっと閉じ込めてしまいたいですがね」

 そういうわけにもいかないでしょう。

 

 沖田がさらりと。溜息に乗せて呟いた。

 

 

 (・・・え?)

 

 今すごい台詞を告白された事に。一寸のち気が付いた冬乃は、

 

 次には真っ赤になっていた。

 

 

 「てめえ・・さらりと、デカいのろけを聞かすんじゃねえ」

 

 土方が、冬乃の見事に色づいた頬を見やって苦笑し。

 

 (総司さん・・っ・・)

 

 はい、もう閉じ込めてください・・!

 

 冬乃のほうはよほど返したいが、もちろん口を噤む。

 

 

 「それとも、」

 沖田が手を伸ばし、そんな冬乃の色づいたままの頬を撫でる。

 まったく土方の存在におかまいなしである。

 

 冬乃はもちろん、されるがままでいる。

 

 「冬乃をそれほど心配してくれるなら、俺が冬乃の買い物につきあうから、貴方は駕籠で行ってくださいよ」

 

 

 「嫌だね。歩くのが好きなんだよ俺は」

 土方が即答する。

 

 「知ってます」

 沖田が仕方なさそうに笑った。

 

 土方がむかし行商をしていた頃に歩いた総距離たるや、いったい日本列島の何周分だろうか。

 歩くことそのものが好きでなければ、とても出来た事ではあるまい。

 

 土方のその健脚ぶりは、

 徹底的に鍛えてきた足腰をもつ沖田の健脚ぶりにも、容易に匹敵するだろう。ある意味それ以上かもしれない。

 

 

 「冬乃、どうせなら北野で買い物すれば?」

 

 そして沖田が妥協案を出した。

 上七軒は、前に安藤と行った北野天満宮の界隈にある。

 

 「ああ?冗談だろ、こいつを連れて歩いたら着く頃には日が暮れるだろが」

 冬乃の亀歩きに付き合うのが嫌なのだろう、土方が即時の反対表明を出した。

 

 (う)

 冬乃は、買い物と嘘をついた以上、一瞬言葉に詰まる。

 

 「あ、あの・・私のことはだいじょうぶですから・・」

 土方からの無言の圧も来るので余計に冬乃は焦る。

 

 

 「・・俺が冬乃と歩きたいんだけど」

 

 

 

 強烈すぎる威力だった。

 

 冬乃は押し黙った。

 そんなふうに言われた冬乃が断れるはずも、無い。

 

 

 「帰りは・・さすがに歩いてたら夜中になりそうだから駕籠で帰ろう」

 (う)

 「おまえな・・」

 そうまでして一緒にいたいのかよ。と土方の諦めた声が落ちて。

 

 

 はたして三人は、並んで町へ出ることとなった。

 

 

 「頭巾は持ってるよね」

 「はい」

 外出の際には何があるかわからないので頭巾を携帯するよう、沖田に言いつけられている。冬乃は取り出すと、沖田達と門へ向かいながら着用した。

 

 もっとも、沖田達と共に歩かなければ、頭巾をいま着ける必要もないのだが。

 

 

 それでも沖田と町に出られるのなら、もちろん頭巾だろうが何だろうが被ってでも出たいのが本心で。

 

 (嬉しい・・)

 

 沖田と二度目の北野。

 

 ただ、千代の所へ行くのはまた後日になるだろう。

 

 

 (それにしても総司さんって、やっぱちょっと強引・・?)

 

 土方もそれを受け入れているのか、こういった仕事と関係ない事ならば沖田に譲るのだと。

 少し驚きながら冬乃は、土方と沖田を交互に見上げた。

 

 沖田が、つと振り返り。

 「そのうち歩くのが辛くなったら、おぶってあげる」

 にっこりと笑った。

 

 (お・・おぶ)

 

 本気で言ってそうな沖田に、冬乃は二度目の赤面を返しながら。

 沖田の隣で土方が「恥ずかしいからやめてくれ」ともはや呻くのを目にした。

 

 

 

 

 

 「で、おまえは何を買う気なんだ?」

 土方を先頭に、沖田と冬乃が横並ぶかたちで、三人は昼下がりの町中を歩む。

 

 冬乃がいつもの作業着でなく帷子に着替えているので、土方も沖田も、ただのちょっとした買い物だとは思っていまい。

 

 

 しかしそもそも嘘だったので、土方の今の問いに冬乃は再び返答に困った。

 

 「かんざし・・を?」

 

 結局にわかに浮かんだ物を述べてみた冬乃だが、しかし、

 「結ってねえのに、それ以上どこに差すんだよ」

 すぐに土方につっこまれる。

 尤もだ。

 

 「いつもその同じ簪だけでは飽きるからでしょ」

 沖田が何ともなしに聞いてきた。

 おもわぬ助け船に冬乃は、頷きかけて、

 

 だが沖田に買ってもらったこの簪に、決して飽きてなどいないので、はっとして、冬乃は頷くどころか結局ぶんぶんと首を振っていた。

 

 「何それ、どっち」

 冬乃の動きが面白かったのか笑い出す沖田に、

 振り返った土方が、怪訝そうに冬乃を見る。

 

 

 (だ、だって)

 

 今も冬乃の頭の横、少量の束にして捩じった髪に差しているこの簪には、買ってすぐに命すら助けてもらったのだから。

 沖田に買ってもらえた、それだけでも宝物なのだ。後生大事につけていたくて当たり前である。飽きるなど絶対にありえない。

 

 (でも、これもつけたままで、土方様の言うように、さらに二本目まで流し髪に差すのは・・ちょっと変)

 

 

 「おめえは大体、何故結わない」

 そこに更なる土方のつっこみが来て。冬乃はついに内心涙目になった。

 

 髪を流している姿を沖田に褒められたからなどとは、口が裂けても言えない。

 たぶん沖田も褒めたことなどとうに忘れているだろう。

 

 「・・・結うと頭が痛くなりそうだからです」

 

 咄嗟にまたしても変な返しをした冬乃に、沖田が噴き出すのを横目に、

 

 「・・・・」

 土方が。そして遂に、完全に呆れた顔で冬乃を見返した。

 

 

 沖田はこの時代の若者らしく、総髪に出来得る程度の長さの髪をまとめて後ろに結んでいるが、

 さすがに土方は、剃り落としてこそいないもののきちんと髷を結っている時が多い。

 

 髷のきつさに比べたら、女性の髪の結い方など緩いほうなのかもしれず。

 冬乃は、適当な返事をしたものの恥ずかしさに負けて俯いた。

 

 

 「結わなくていいよ、これからも」

 

 (え)

 しかしそこに落ちてきた沖田の優しい声に、冬乃は瞬間的に顔を上げていた。

 

 「このままで。」

 沖田の手が、頭巾の下の冬乃の髪を絡め、梳いた。

 

 (総司さん・・!)

 

 なんとなく道行く人々の視線を、今のでよけいに感じるが、冬乃はもちろん気にしない。

 

 「てめえら」

 土方が今一度振り返り、睨んできたが。最早それも気にしない冬乃である。

 

 (総司さんに、また認めてもらえた・・っ)

 冬乃を愛でるような眼差しで。

 

 冬乃の意識はもう今、それ以外に向きそうになく。

 

 

 「・・大体、てめえがいつも下ろし髪で挑発してっから、隊士の奴らが浮き立ってんだよ」

 

 

 (・・・ん?)

 

 いま何か変な単語が聞こえたような。

 

 

 沖田へ集中していた意識をむりやり土方の今の台詞に当てるべく、冬乃は鼓膜の残響を再生する。

 

 (挑発・・て言った?)

 

 

 「それに関しての誤解は、彼女自ら解いたはずだからもう大丈夫ですよ」

 

 冬乃がますます首を傾げるような返事が、横で沖田から飛ぶ。

 

 (何、何の話)

 

 

 「井上さんだ」

 

 だが冬乃が沖田を見上げた時、沖田が前方を見つつ呟いた。

 

 つられて前を見た冬乃の目に、道の先かなり遠くに、こちらへ歩んでくる井上が映る。

 先ほど何処かに出かけていたから、いま屯所への帰りだろう。

 

 

 「・・ったく源さんまで一人歩きかよ」

 土方が早くも溜息をついた。

 

 

 「様子がおかしいですね」

 だが沖田がさらに呟き。

 

 (え?)

 

 「井上さんの後ろを来る三人」

 

 

 冬乃がその言葉に、井上のさらに後ろを凝視した時、

 「あ」

 土方が小さく声をあげた。

 

 同時に冬乃も、井上の後方で、己の顔に布と頭巾を巻き始めた三人の侍を見とめて。

 確かに、明らかに怪しい。

 

 

 「総司、」

 どうする

 と土方が、前を睨んだまま沖田に声をかける。

 

 井上との距離はまだ大分ある。助けに行くには遠すぎる。

 

 「井上さんなら大丈夫ですよ、俺達はむしろ奴らに気付かれぬよう、このまま歩んだまま近づきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 井上の後ろを離れて歩む頭巾の三人を、冬乃は固唾を呑んで見つめる。

 

 井上の歩みはかなり速いのか、冬乃達が亀歩みにもかかわらず、井上との距離は思ったよりも早く縮まってゆく。

 後方の三人は、まるで絶好の機会を根気よく窺っているようだった。

 

 

 ついに井上のほうも、土方達に気が付いた様子だった。だが手を振ってくるでもなく、ただ視線を合わせてきただけで。

 

 つまり、後方の三人に気付いているのだ。

 

 

 互いの距離はさらに縮まる。

 

 冬乃は息を殺したまま、彼らを見据え。

 

 

 (あ)

 

 そして、躍動は。一瞬にして起こった。

 

 頭巾の三人が抜刀するのと、

 その殺気を読んだ井上が抜刀するのとは同時だった。

 

 キィン・・ッと鋭い金属音が響き、

 井上が振り返って受け止めた、その攻撃は、

 

 だが二の太刀を繰り出すことは無く。

 受け止められたと知るや否や、男達は慌てるように、井上に背を向けて走り出した。

 


 不意に風が、冬乃の横を吹き抜けて。

 

 違う、

 風と感じたほどに。

 

 次の刹那に沖田と土方が、彼らを追うべく駆け出したのだと、冬乃は気づいて。

 茫然と。まさに風の流れ去るように遠ざかる二人の背を見つめた。

 

 

 「冬乃さん、」

 あっというまに二人とすれ違いながら井上が、冬乃のほうへ駆けてくる。

 

 「井上様」

 「驚かせてごめんよ」

 納刀しながら井上がそう言うと、土方達へ再び視線を投げた。

 

 「いやあ、あの二人が居合わせて良かった」

 「え」

 「いくら逃げ足が速かろうと、あの二人には適うまい」

 

 井上の台詞に今一度、土方達を見やれば、成程もう今にも追いつきそうで。

 

 「このところ、隊士を襲っては、斬り結ばれるとすぐ逃げていく輩がいてね・・間違いなく奴らだろう。これでやっと収まる」

 

 まさに先程、沖田が言っていた件だろうと。冬乃は想い出す。

 

 

 まもなく悲鳴と共に、土方と沖田に峰打ちされた頭巾の三人が、路上に倒れこんだ。

 

 「おお、良し良し」

 ほっとした様子で井上が声をあげる。

 

 沖田達が三人を縛り上げるのを目に、井上と冬乃は、人々の喧噪の中をぬって進んだ。

 町の者達は、目撃した今の一連の活劇に湧き立っている様子だ。

 

 

 縛り終えた三人を道の端へと寄せ、沖田が立ち上がり、冬乃達のほうへ向かってきた。

 土方は、気絶したままの彼らの脇に立つ。

 

 向かってくる沖田も向こうに立つ土方も、あれほど速く走った後なのに既に息も乱していないさまに、冬乃は驚いた。


 「さてと、儂はちょっくら番所に寄るか」

 沖田が来るのを受け、井上が呟いて。

 

 

 去ってゆく井上と入れ違うように沖田が、冬乃の傍へ立った。

 

 (あ・・)

 

 特に会話も無く。ただ傍に立たれるだけで、

 どきどきと早まり始めた心臓に。冬乃はもう、自嘲してしまうしかなかった。

 

 たとえば今の捕りものだってそうで、只々、逢うたびにどうしようもなく何度でも、彼に惚れ直すように。

 幾たび繰り返しても、冬乃の胸の高鳴りが無くなることなんて、きっと永遠に来ないのではないかと。

 

 

 冬乃はそっと横に見上げた。

 

 沖田がすぐに見返してきて、穏やかに微笑んでくれるのを。冬乃はそしてまた、慣れることなくどきどきと目を逸らした。

 

 

 

 

 やがて、井上が番所から役人を連れて戻ってきて。土方と沖田は後を井上達に任せ、再び、冬乃を連れて、北野へと向かい出した。

 

 

 

 

 

 道すがら、どんな家がいいかと改めて沖田に聞かれ。沖田と一緒ならどんな家だって嬉しいばかりで、何も思いつかずに困り出す冬乃に、

 こちらも困り出した沖田が、

 「そしたら俺のほうで幾つか候補を見つけておくから、それらを二人で見に行って決めよう」と、新婚さんですか、と冬乃がまたも倒れそうになるような台詞で締めくくって。

 

 やがて、やっとのことで着いた北野で、土方と別れ、

 予備として持っておくことに落ちついて冬乃は、沖田と二人で簪を見てまわるという、これまた幸せすぎるひとときを過ごした後、

 さらには当たり前のように買ってもらえた簪を手に、駕籠に乗り込んだ頃には。

 もうすっかり日は傾き、空には勝色が広がりゆく時分で。

 

 

 

 駕籠に揺られながら、冬乃は大きく幸福感に溜息をついた。

 幸せでも溜息が出るなどと、

 沖田に出逢うまでは知りもしなかった。

 

 

 (こんな幸せが永遠に)

 

 続くことなど、

 無いとわかっていても。

 

 わがままに、更なる奇跡を祈ってしまう。

 

 

 何度でも。この時だけを、繰り返せたならと。

 

 

 

 

 (だけどそれは当然叶わないこと・・)

 

 

 冬乃は手の内の簪を握り締めた。

 だから、今を。

 今の、この二度と戻ってこない、一瞬の積み重ねを。

 大切に記憶に刻んで、生きていこうと。

 

 冬乃は己に、懸命に言い聞かせる。

 

 

 幸せでもいいと言ってくれた沖田の言葉が、想い出されて、冬乃を包み込む。

 

 自分の存在で、沖田と千代の運命を変えてしまった罪悪感は、消えることは無いかもしれなくても。

 

 (消えなくてもいい・・)

 むしろ消えてはならないのかもしれず。

 

 

 この罪悪感と。

 

 向かいゆく不安と恐怖と。

 

 

 今、目の前の幸せを感じる想いと。

 

 深い止めどない感謝の想いと。

 

 

 共に。全てまとめて、持ち続けていく。

 

 

 

 それが、

 この先の道しるべとして今の冬乃に、唯一出せた答えだった。

 

           

 

 





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