序
騙されたフリをしていたの。
―だって、愛していたから。
* *
かつてこの大陸には三皇と呼ばれる聖人たちと、その教えを汲む五帝がいた。
五帝の最後とも言われる禹は、治水を成し遂げた功績により舜帝に重用され、崩御の際に帝の位を禅譲された。
禹もまた大臣を己の後継者として天に推挙したが、禹の子である啓が優秀であった為人々は啓に集ったという。禅譲の時代は終り、世襲による世代交代が行われ始めた。
これが夏王朝の興りである。
夏は十四代十七王を数えたが、最後の桀王に至っては献上された美女に惑い、彼女の言うことならどんなことでも聞いたという。
豪奢な宮殿を建て、肉を山と積み、船を浮かべられるほど大きな酒の池を作った。民の窮乏を顧みず、宴楽の限りを尽くした暴君に民心は離れた。
民たちは「時日曷喪,予及汝偕亡!」(日はいつ滅するのだ、(滅する)その時は我らも共に滅んでしまおうぞ!)と怨嗟の声を上げ、ついに湯が兵を揚げて夏を討った。
桀王は南方の鳴城まで逃げのびたがそこで死んだ。国を傾けた美女もまた殺されたという。
諸侯は湯を尊び、天子とした。
ここに商王朝が始まる。
* *
桀王が惨敗したという報は入らなかった。
煌びやかな宮殿からは散りばめられた宝玉が剥がされ、少しでも金になりそうなものは容赦なく奪われていった。働いていた者たちの所業に、彼女は王が戦に負けたことを悟った。
(もう、そろそろかしら?)
絹の衣装を羽織った妹喜はふらりと立ち上がった。
「妹喜様……!」
「貴女たちも早くお逃げなさい。兵はもう、すぐそこまで迫ってきているはずよ」
「ですが……!」
最後まで仕えようとする少女に、彼女はひらひらと手を振った。
「ここにある玉も何もかも持っていっていいから。さあ、早く」
ありったけの金目の物を渡し、彼女は今まで仕えてくれた侍女たちを追い出した。
「……嘘つき」
もう彼女を見張る者はいない。毒を籠めた助言をする者たちもいない。
妹喜はたった一人になった。
部屋を出、ふらふらと近くの楼台へ向かう。自分から死ぬつもりはない。どうせなら愛する男の手で最後を迎えたかった。
楼台からは周りがよく見えた。もうすでに見張りもいないそこから地上を見下ろす。
王城からすぐ近くに軍勢が見え、あちこちで悲鳴や剣の音がしてくることから一部はすでに王宮の中に入ってきているようだった。
そして。
「……そなたが王を惑わした悪女か」
どれほどの時間が経ったろうか、甲冑をがしゃがしゃ言わせながら敵の兵士たちが楼台に上がってきた。その後ろに守られるようにしているのが彼だろうと彼女は思った。
「ほほ……か弱き女子がどうして王を惑わすことなどできましょう……」
彼女は嫣然と笑む。兵士たちが動揺するのがわかった。
「かまわぬ、殺せ」
冷徹な声に彼女は高笑いした。そのぬばたまの瞳に涙が浮かぶほど、激しく。
「愛おしい履様、貴方が誰よりも憎らしい……」
それが国を傾けた美女の最後だった。




