愛の測り方
空に、明るく元気な夏の陽が現れ始めるこの季節。
なぜだか、やたらうきうき感が漂ってきます。
「フーミくんっ!おっはよー!」
元気な太陽娘、川瀬皆八木さんです。
今日のツーサイドアップな髪も元気いっぱいです。
その髪には、先週のデートの時に恋人であるフミ君が選んでくれた、明るい黄色の飾り紐がお洒落しています。
「おはよー、ユキナ、今日も可愛いね」
ちょっとぽやんとした中性少年、衣津々フミ君です。
そういえばフミくんって結構マイペースですね。いつもこんな感じ。
互いのおうちの方角が違うため、朝一緒に登校しようね?ってできなくて寂しい、と一時期ユキナさんがしょんぼりしていたこともありましたが、学校で新しいユキナに会えるのがすごく楽しみだよ?とフミ君に言われて元気を取り戻したこともあります。
勿論、頭なでなでしながらです。
いいですね。
「ねぇねぇ、フミくん……今日、スクエアで行きたいところがあるの。一緒に行こう?」
「うん、勿論だよユキナ……ちなみにどこに行きたいの?」
「えへへ……秘密ぅ。放課後楽しみだねっ!」
数学の授業です。
嘉遠野先生が変なことを言い始めました。
「では今日の授業は……数学で愛情を表現してみましょうか」
「????」
はい……?
「そうですね、定義が定まっていないと難しいですし、とりあえず定数iとしておきましょう。マイナスになると憎しみになる、とも定義しますから、iは自然数にしておきましょう。ええ。i>0と……ここに、憎しみと愛が表裏一体であることの証明ができそうですが、それは、おいておきましょう」
え、先生、一体何の話。
「????」
当然、いきなりのことに教室のみんなも困惑しています。
ああ、混乱魔法ですね、先生凄腕です。
「皆さんのように、まだお付き合いが長くない方は……ああ、幼馴染などと長い間に愛情や信頼関係を築き上げている人は別ですが、その場合は違う方程式が必要ですので」
お、幼馴染方程式には興味があります……って違いますっ!
「このように、そうですね、初期値を……初期値……初期……初期値という意味合いのイニシャライズも頭文字がiですね……付き合う前をi0とでもしておきますか。ということはi=0もありえますね。ということはi≧0ですね」
もういいです。
「お付き合いをした瞬間に愛情値であるところの……愛情値はLoveのlがよかったですか?」
くるりと振り返って不意打ちのように問いかける嘉遠野先生。
「ど、どちらでもいいですわ……」
ですわ。
不意打ちをうけてどきどきしちゃう深山永礼お嬢様。
びっくりするよね。アモーレでもよろしくて?
「さて、愛情値の上限を決めておかないといけませんが、どのくらいになると思いますか?」
そんなことを言い始めます。愛情値の上限という日本語ってありましたっけ。
「愛は、はかれない」
一組のマスコット天使、園上真理ちゃんが重々しくいいます。
いいこと言ったという感じでちょっと嬉しそうです、可愛いですね。
「とりあえず測れるものとして仮定をおきますね」
「むぅ」
す、するー……。真理ちゃんの不満顔も可愛いです。
「愛は……無限大よっ!」
仲間のピンチに、同じマスコット天使であるところの三橋由美さん、通称みゆみゆが、切り返します。
そうだー、いっぱいあるんだぞ!
「i≦∞と……これでいいですか?ふむ」
あれ?これはいいの?
「Aさん……これだと情感が湧きませんね……。幸いこのクラスには恋人さんが何組かいるようですから、モデルになっていただきましょう。えー……では川瀬皆八木さんで」
「は……はい?」
つ、次なるターゲットは、ユキナさん。頑張れ!
「川瀬皆八木さんをAに代入します」
「すごい語感ね……」
同感です。
人って代入できたんだ。
「A =川瀬皆八木さんです」
あ、はい。
「ではBは……衣津々君ですね……フミ君をBに代入します」
「ふ、フミ君……っ!?」
フミ君もびっくりです。
嘉遠野先生、なぜ愛称を知ってるんです?
「B=フミ君ですね。この辺は、あくまで、情感を現すために表現しただけにすぎませんから、特にAとBの定義はおきませんので」
は、はい。
「ええ、ええ……では次にAがBに、つまり川瀬皆八木さんがフミ君に与える愛情量の測定をしましょうか」
なんという強烈な力をもった言葉でしょうか!
愛情量の測定だなんて……うあー。
「……ご、ごくり」
教室のみんなが思わず息をのみ、不思議な緊張感がクラスを支配します。
「ちょっと抱き着いてみてください」
なんてことない風におっしゃる愛の数学教師、嘉遠野氏。
その瞬間、教室に走る衝撃。
「!」
「!」
「!?」
ふぃやっっふー!!ナニソレナニソレ。
あ、ユキナさんとフミ君が口をぱくぱくさせてる。
珍しい光景ですね、この子たちから冷静さを奪えるなんて……先生さすがです!
「え、ええと……先生?」
薄く青いリボンをつけた妃が丘佳奈美さんが、戸惑いを隠せずどういう意図かを確認します。
うんうん。なにそれー。
「机上の数値をおいてもいいのですが、理論数学ではなく実証応用してみましょう。はいどうぞ?」
まさかの実践派っ!
「あ、あの……本当に?」
ユキナさんが顔を真っ赤にして、おそるおそる、いけないドキドキ教師に質問します。
「おや、お嫌いでしたか?」
眼鏡が光ります!
きゃぁあ……眼鏡っ!
「い、いえ!大好きよ……フミ君……?」
そこは、どんな状況であって否定しない大事なところなのです。
勇気を振り絞り……。
「う、うん……よ、よぉし……えい」
フミ君もきりっとした顔になりました。
覚悟を決め、胸に愛を秘めた格好いい男の子の顔つきです。
「きゃ」
そして、フミ君の方から優しく、それでいていつもより強く、ユキナさんを抱きしめます。
不意を打たれたこともありますが、思わず可愛い声を上げてします、ユキナさん。
なんだかいつもと違って、借りてきた猫みたいに大人しく可愛らしいです。
「素晴らしい……美しい光景ですね……ええ、とりあえず、愛情を図る単位はドキドキにしますね……ええとでは単位はdk……ああこれだと酸素透過係数と同じになりますからddkとしておきますね」
ええ、ええ。先生は、まったく動揺することなく、新しい愛情を計る単位を作り出しました。
ddk……。
「新しい単位が生まれたわね……」
そうね。
思わず口走ってしまう、おさげ眼鏡こと工藤三美奈さん。
「えー、さてddkの測定は、とりあえずお二方の脈拍の合計値にしておきましょう。平常時のお二方の平均脈数を一定値……そうですね130としておいて、それを差し引いた残り、つまり、ドキドキの増加分を愛情値にしておきますね。ああ、これで吊り橋効果の検証もできそうですが」
「これって、数学?」
段々なにしてるのか分からなくなってきました。
ポニテボクっ娘こと井上凛ちゃんも同意見のようです。
「今の時点をi1としましてこの時の愛情値ドキドキは150ですね……ああみんなの前でいきなりですから、高いのですね。特殊条件もありますか」
普通にさっさと、脈を計りドキドキとかおっしゃる先生。
「i1=150……と」
淡々と表示します。
「不思議な世界……いま、授業中よね?」
前髪ぱっつん黒髪ロング美少女の島澤さんまでが、このどきどきわーるどに取り込まれかけています。おそるべし。
「ええとそれでは、ああ、すいません連続で少し時間をおいて三回抱き着いてもらえますか、ええ、そうですね……はいはい、ああ慣れてきましたか?」
容赦なく恋人たちに試練が課されます。これが、愛の試練……!
「i2=142、i3=137、i4=133と、まだ幅が大きい……初々しいですね」
しかもこの人まだ容赦なさそうーっ!
フミくんに抱かれいてるユキナさんのもじもじが止まらずスカートがひらひらしています。フミ君は、そんなユキナちゃんの背中を優しくなでてあげてます。素敵ですね。
「さて、これを二平面グラフにしましょう。横軸を愛情期間としますね、そこに任意の点のi1からi4をとります……このような感じですね」
うん。二平面グラフとか、今この教室の雰囲気で一番合わない言葉だと思うのです。
「では縦軸を愛情値であるドキドキの累積値にしますね。そして愛情期間の任意の点に対して計測された愛情値ドキドキの累積値と交差する点をプロットします……こんな感じですね。このグラフが今現在の川瀬皆八木さんとフミ君の愛情を表現しています」
わかんない、わかんないです先生。
何いってるのぉ。
「なんだか……すごく恥ずかしい……」
ちらりと、完成された愛情の形を確かめるユキナさん。
うん。愛情は曲線です。
「……でも、このどきどきも悪くないなぁ……」
フミ君ってやっぱり度胸ありますよね!
「さて、みなさん、このグラフをみて気付いたことはないでしょうか?」
えー、なになに?
「愛情値の増え方が、少し減っています」
誰っ!そんなこというの?
鋭い指摘は、雪宮お嬢様。
おっとりした口調ですが、この不思議ワールドに取り込まれていない様子。
なんてクール。さすがお雪さん。
「!」
「!」
そして教室に走る戦慄!
大きな熊の笠薙くんですら、強敵に出会ったかのように険しい顔をしています。むん。
「愛が……足りないの?」
マスコット三天使最後の一人、佐藤莉理花ちゃんがそんな切ない一言を……。
その言葉は重いです。
「そ、そんなことないよフミ君っ!あたしいつでも、愛情増やすよっ!」
「ユキナ……僕もだ!こんなことで愛を減らしたりなんかしないっ!」
まるで、劇中のクライマックスのように慌てて、互いに互いを抱きしめなおし、必死に己の愛を訴える二人。
今は数学の授業中です。なにこれ。
「まぁまぁ、落ち着いてください。このグラフは、“数学の授業中”に“みんなの前”で“抱き着く”ことにより増加する“二人の脈拍の数の合計値”ですから、気にしないでください。お二方が深く愛し合っていることはわかっていますよ。さて」
先生ないすふぉろー。悲劇は回避されたのです。
「人間は慣れる生き物ですから、当然この増加値が減っていって当然です。違う行為を行えば新たな刺激となり、また違う曲線が描かれるのですがね。簡単に瞳を見つめた後に抱き合うと多分、すごく跳ね上がるでしょうから……どうぞ?」
そこも実験するのっ!?
さらなる愛の試練、科学の発展に犠牲はつきものだとでもいうのでしょうかっ!
嘉遠野先生、容赦ない……。
「!!」
もう、教室の誰も冷静ではいられません。ええ。
だって恋愛ドラマを直に見ているような状況ですもの。
しかも、主演は同じクラスメイト、普段から何気なくお話しし、同じ教室にいるのがあたりまえの自分たちと変わらない等身大の仲間なのです。
「え、ええと……」
とめるべきか、どうなのか。
まだ転校してきてから日が浅い、月川姫奈お嬢様の恋人、日向俊君が、戸惑いを隠せず……そう!世界的企業の御曹司が戸惑いを隠せず、口ごもっています。
まさか、数学の授業中に、果たしてこれは授業なのか、恋愛指南なのかわからない状況に放り込まれるなんてないですよね!
何この雰囲気。
「ふ、ふみくぅん……」
「ゆ、ゆきな……」
ユキナさんが目をうるうるさせて、どうしようってフミ君を見つめます。
フミ君はじっと、ユキナさんの瞳をみつめながら、優しく抱きしめます。
安心して、フミ君の胸に顔をうずめるユキナさん!
フミ君、格好いい!
「ええ、ええ、200を超えましたね、このように……なのでこれはあくまでサンプルモデリングですのでね」
そして、淡々と例外について、実証実験の結果をお伝えするマッドマスマティシャン・嘉遠野!
「今は数学の授業ですので」
そう、ぽつりと仰る先生。
「そ、そうでしたっ!」
「だ、だめね、てっきり、どきどきする時間かと」
「す、数学おそるべし……」
息を吹き返した教室でざわめきがおこり、現実世界へと帰ってきた一組のみんな。
おかえりー。
「ではここで、川瀬皆八木さんのフミ君に対する愛情の単位当たりの増加値がこのようになりますね。等差数列に近いように感じますが、まぁおいておいて」
淡々と、こなします。
「このグラフの形状は段々と愛情ドキドキが逓減、つまりだんだんと増加値の増加幅が減っていく様を現しています。沢山データが取れれば微分方程式で一回ごとの特定単位時における愛情が計測できるわけですね」
こんこん、と普通に数学の授業が続けられます。
「それとは別に、この増加の合計値を積分方程式を立てれば特定期間における、川瀬皆八木さんがフミくんに与えた愛情量がわかるわけです」
でも、教えてくれる内容がなんかすごいです。
そして嘉遠野先生は、みんなを振り返り、その手を後ろで組んで、長いけれども大切な言葉をゆっくり染み渡らせるようにお話ししました。
「人間の価値は、得たものではなく与えた物で計るべき、と言った過去の人物もいらっしゃいます。愛情は相手に与えることができる素敵な感情ですね。数学を使い、このように表現することも可能ですので、皆さんもぜひ数学をより深く学んでください。数学なのですから、その数を何ととらえるかは、あなた方の自由なのです。ぜひ、単に公式を覚えて無味乾燥な問題を解くだけではなく、イメージしてください。数は生きているのですから、楽しくお付き合いしてあげてください」
ああ、先生は、数学が、「数」というものがお好きなのですね。
本当に。
「お二方ともありがとうございます。それと、これは私見ですが」
そして、今日、愛を確かめさせてくれた二人に対して仰る嘉遠野先生。
「愛情とは測るものではなく、深め合うものだと考えています。これからも互いを大切に思いやる心を忘れずに、素敵な人生にしていってくださいね」
はい!
そのあと、そうはいっても愛情値ドキドキを計ってみる生徒がいて。
数字ではなく、愛情を高めあう単位として今日のドキドキは~という会話が増えました。
ユキナさんとフミ君?その日は一日中、静かに抱きしめあうことが多かったそうです。
らぶらぶですね。
放課後です。
「あ、あのね……フミ君、朝のお話……一緒に、スクエアにいこ?」
「う、うん……うん」
朝、約束してましたものね。
「ねぇ、あの二人は一体誰かしら……」
「ああ、とてもいつもの川瀬皆八木と衣津々とは思えないな」
すっかり、しとやかになってしまったユキナさんと、男を使い果たしたかのように大人しいフミ君の姿に、親友の島澤さんと笠薙君も、思わずといったところです。
「すごかったものね、嘉遠野先生の授業」
てくてくと、渦中の人達のところに歩いてくる、おさげ眼鏡工藤さん。
「なんでだろっ?したことって、ただみんなの前でぎゅってしただけなのに」
「そうよねー、なぜかしらっ?」
なぜなぜ?な、井上凛ちゃんと妃が丘佳奈美ちゃん。
「きっとね~、ただ抱きしめるという行為だけではなくて、互いの愛情というものについて客観的に分析される、とうことが~」
山海香織さんが胸の下で腕を組み、指を頬にあてて分析してらっしゃいます。胸大っきいですねっ!
「とても恥ずかしかった、ということかな。この学校ではいつもこんな授業をやっているのかい?すごく興味深くはあったが」
そしてその言葉を、超転校生の日向俊君が引き継ぎます。
いつもはしてないですよ?
「い、いえ違うわ?そんなに頻繁にはなくてよ?」
その後ろから月川姫奈お嬢様が、きちんと否定してくれます。
「でも、あるのか……」
あるんです。
夕陽が差す広い道を、二つの影が仲良く歩いていました。
一つは制服を着たツーサイドアップの少女で、一つはその少女の愛する少年です。
「ね、綺麗な夕日だね!フミくんっ!」
ようやく、いつもの調子が戻ったのか、スクエアからの帰り道で愛しい人に話しかける川瀬皆八木雪那さん。
「ああ、とっても綺麗だ……」
夕日も、ですけどね……フミくん!
「ユキナ……。君と一緒に……大好きな君と一緒に、この綺麗な夕日を見られて、僕は幸せだよ」
「フミ君……あたしもよ!大好きです!」
二つの影は、優しく一つになりました。