真実の枝は君に愛を知らせる
「で、興奮してプレパーク行って、ひたすら薪を燃やしていたら、熱中症ぽくなって。現在気持ち悪い、と」
「大丈夫。水シャワーも浴びたし。ちょっと寝たら、かなり大丈夫になった」
「熱中症ってね、脳みそ溶けてるの。もう少し横になってなよ」
「ごめん、美穂……」
「模型室。思ったより作業しやすいね。涼しいわ」
今日締切りのパース絵。
完成予定の物件をかなり正確に描く仕事で、デザイン課がその仕事を終えて建築部に引き渡す時に必要なものだけど、私が床をガラスにしたことで、書き直してになっていた。
必要だから今日中と言われていたのに、すっかり抜け落ちていた。
モデリングの変更はしてあったので、あとは微調整だけなんだけど……。
「ごめん……」
「人の仕事を見るのは面白いね。同じアプリ使ってるのに全然違う。仁奈子のは、ほんと直感ぽくて、面白い」
「そうかな……」
ちびちびとスポーツドリンクを飲みながら話した。
「で?」
「え?」
「基樹さんにキスされた感想は?」
「……火を燃やしながらずっと考えてたんだけど、何かおかしくない?」
「何が」
「ずるいとか、本気にさせて……とかなんかドキドキする言葉投げたわりには、一瞬で居なくなったよ」
「余韻がな」
「全くなくない? なんか、違うんじゃ無い? 私のこと好きになってくれたのかな? と思ったけど、何か違うんじゃないって気がしてしょーがないの」
「好きじゃない人間にキスしないでしょ」
「なんか変じゃないー?」
私は並べた椅子に横になり、ゴロゴロしながら言った。
お腹に乗せたスマホが振動して、電話を知らせた。和也だ。
「パース、もう少しで終わる。というか美穂がやってくれてる」
「お前、基樹に何したんだ」
和也の声は静かだ。
「え?」
キスのこと? 身構えた。
「基樹に何を言った」
言う?
「何もしてないと思うけど」
「今日基樹と会った?」
「ガラス工房で。あ、ガラスうまくはまった?」
昨日作ったガラスは、今日現場に運ばれて、はめられた。
「完璧だぞ。明日見に行け」
「良かった」
「なあ、あのガラス、会長が作ったって本当か?」
「ああ……うん」
ロールおじさんね……和也にはまだ説明してないなと思う。
「お前、会長と面識あったのか」
「うーん……あるような……会長としては無いような……」
「仁奈子!!」
パソコンのメール画面を見ていた美穂が叫んだ。
「基樹さん、次期社長、辞任するって」
「え……?」
「……決めたって、連絡があった」
手元のスマホで和也も言った。
気が付いたら走っていた。
表に出てタクシーを止める。
「辞任表明をしてから、基樹に連絡が取れない。美織さんから聞かれてるんだけど、美織さんの電話にも出ない」
和也も必死に探していた。
辞任は大々的に発表されていて、ネットのニュースにも載っていた。
うちの会社はとにかく、新田建設は大手デペロッパーだ。
その社長である美織さんの婚約者が、辞任表明をした。
音なしの森の責任と取る形か? と記事には書かれている。
基樹さん、なんで?
和也とデザインの仕事をするという未来を捨てて。
照明を作るという夢を捨てて。
立った場所が角鳴住宅の次期社長という立場だったはずなのに。
そんな子供みたいなこと……、と思って小さく笑ってしまった。
そういえば、基樹さんは元々かなり子供っぽい人だった。
支配欲が強くて、我慢が出来なくて、好きな小説なたとえ話ばかりして、都合の悪い電話は無視して逃げるような人で、仕事さぼって川下りに来ちゃうような。
そうだ、基樹さんは、そんな人で。
私はそんな基樹さんが好きで仕方ないから、確信がある。
基樹さんはきっとあの場所にいる。
リフォーム中の保育園。
今日ガラスがはめこまれたばかりだ。
私は中に入った。
基樹さんはきっとここにいる。
階段をのぼり、4階へ。夜のビルは静かすぎて、怖い。
靴の音だけが私がいることを示す。
4階についた。
見上げるとガラスは天井にはめられていた。
「きれい……」
時間はもう8時すぎ。
部屋は真っ暗なのに、空間に揺らぎが生まれている。月の光に満たされた天空の海。
月夜の流れは夜の雫。
少し雨がふったのだろうか。
雨粒が見事なコントラストを落としていた。
ガラスは大成功だった。
私は床に座り込んで見上げていた。
ガラスの上。人影が見えた。
「基樹さんでしょ」
「……やっぱり月島さんには見つかったか」
「みんな心配してますよ」
私は安心してスマホを取り出した。
「待って。連絡しないで」
ガラスの上で基樹さんが言った。
ガラスの上はそれなりに遠く、暗いので、基樹さんの表情は見えない。
私はスマホを鞄に戻した。
もうすこしこのままで居たいとも、思っていた。
「ごめん、驚かせて」
私は4階。基樹さんは5階のガラスの上のまま、話し始めた。
「とりあえず、基樹さんが見つかって良かったです」
「見たかったんだ、夜の景色が」
「上手にできて良かったです。ガラス削ったのは大学以来初めてだったので」
「いいよ、本当に、いい」
私は嬉しくなって、えへへと笑った。
「この保育園は、朝7時から夕方6時までの営業だから、夜の景色は誰も見ない」
「そうですね」
「一生、俺と月島さんしか見ない」
二人で無言で浮かぶ月を見ていた。
「親父は元々、ただのオタクなんだ」
「藤本社長が?」
キッチリと仕事している場面しか知らないので、想像がつかない。
「プラモデルが好きで、部屋の一面、つくる予定の箱で埋まってるよ」
「えー、意外です」
「それでも角鳴住宅の婿養子で、社長になるために結婚した人だから、趣味と仕事はハッキリ別れていた」
「あ、そうですよね、創設者はお母さんのお母さん…とかですよね」
「うちの家系は元々男にオタクが多くて、女が社長気質なのかな。俺も照明を作るのはいいけど、それは趣味にしろって、ずっと言われていた」
「そうなんですか」
「大学までの約束だったんだ。大学の間は、照明を作ってていい。建築課にいてもいい」
「じゃあなんで和也との約束を破ったんですか」
「親父が倒れたんだ、前日に」
「え? じゃあそれを和也に言えば……」
「その当時俺は、角鳴住宅の息子だって、和也に言ってなかったんだ」
「え……」
「和也はずっと吉永会長に憧れてて、角鳴住宅に入社したいって言ってたんだ。言えないだろ、吉永会長は、俺の祖父みたいなものだ」
和也が会長に憧れてたなんて、知らなかった。
「俺が悪いんだ。ずっと分かってたのに、逃げて、逃げて、全てから逃げていた。流されるのが楽で、常になんとかなる……そう思っていたんだ」
「和也、落ち込んでました」
「知ってる」
「ああ、でも、それで角鳴住宅一本で就職したんですね」
それは覚えてる。和也はデザイナーとしてもディレクターとしても有能で、アルバイトした大手からも話がきていたのに、角鳴住宅しか受けなかった。
不思議がる私を誘ったのも和也だ。
お前はデザイナーだけど、生活破綻者だから俺が面倒みてやるよ。
あの言葉に甘えて私も入ったんだ。
「会社には俺が誘ったんだ。全部話して、謝った。どうしても、和也に近くにいてほしかったんだ」
「……安心感ありますよね……」
「抜群のな」
私も基樹さんも和也に甘えてばかりだ。やっぱりお母さんだ。小さく笑った。
「社長なんて、なんとかなるだろ……と思ってたけど、美織さんを見てると俺がしてることなんて、ただ椅子に座ってるだけだと気づかされる」
「美織さんは、すごいですね」
「違うと言わさず、すごい力で全てを巻き込んで自分の向かいたい方向へ向かうからな」
「独自のパワーですね」
「月島さんも、仕事してるときはそんな感じだよ」
「へ? 自覚ありません」
「それが出来るのが、向いてるってことなんだよ。俺は向かいたい方向が見えるのは、照明を作ってる時だけだ」
小さな小さなランプの事を思い出していた。
掌サイズの灯す明かり。
「こんな素晴らしいものを作る人が近くにいるのに、それを売る立場で居たくない。俺は作りたいんだ」
「はい、ええ」
何度もうなずいた。そんなの知っている。
「もう逃げるのは辞める。社長は辞めさせてもらう。もっと向いてる人間がいる」
ガラスの上で基樹さんの表情は見えないが、声には明るさを感じた。
「逃げるのは今日で最後」
「あはは、確かに。みんな探してますよ」
「さっき連絡した。もうすぐ来るよ。降りよう」
基樹さんが5階から降りてきた。
自然と私の手を握る。
二人でゆっくりと一階へ降りた。
「基樹!」
保育園の前には美織さんがいた。
「どういうことなの? 何も聞かされてない」
私はその場を離れた。
川沿いを歩いて駅へ向かう。
夏の夜。虫たちの声と、もう夜なのに鳴いている蝉の声。
もう夏が終わる。
でも、まだ鳴き止むわけにはいかない。
また諦めるわけにはいかないのだ。
ふわりと流れる夏風と月と川の音が気持ち良くて、てくてく歩いた。
全てが丸くいけばいい。
そんな簡単なことじゃないけれど、それでもそう願う。
私はデザインしか出来ない。
そんな自分を少し誇れる気がしていた。
いつもの運動靴で会社に行こうとして、慌ててヒールに変更した。
今日は物件引き渡しの日だ。
「私の部屋のために、ありがとうございます」
美織さんは、部屋の真ん中に置かれたテーブルで和やかに微笑んだ。
今日は私がデザインした間接照明の部屋が引き渡される。
デザイン部、建築、営業、今日はテレビも来てる、みんなで部屋の完成を祝う。
リフォームに入ってから、何度か見に来たけど、建築部の方が頑張ってくれて、素敵な部屋になっていた。
「では、照明つけます」
部屋全てを明るくする電気が消されて、間接照明だけつけられた。
その光はランプに向かい、部屋中を見事に美しく見せた。
壁に浮かび上がる見事な樹木の絵。
「この絵がよくて、デザイナーの華英さんに協力を願いました」
華英さんは、今一番勢いがあるデザイナーさんだ。
やっぱり美織さんは、セッティングする力に長けてるなあ。
私は部屋の奥にある椅子に座り、ワインを少し飲んでいた。
あまりワインを飲まないので、味の良し悪しは分からないけど、きっと高いワインなんだろうな。
「おいし……」
「良かった」
振り向くと美織さんが居た。
「お疲れ様です」
私は立ち上がった。
横の席に美織さんは座った。
そして大きく息を吐き出してから言った。
「基樹に何を言ったの?」
またこれか。私は少し口をとがらせた。
私も元座っていた席に座った。
「何も言ってません」
「基樹はずっと、私のものなの。大学の時からずっと。呼べば来てくれたし、食べたいご飯は何でも作ってくれるし、買い物だって頼めばいつでも一緒に行ってくれるし」
「私の、もの……?」
基樹さんをもの呼ばわりされて、少し苛立った。
「あのままで良かったのに。私の近くに入れくれればそれで頑張れたのに。何を言ったの? どうして私から離れるの?」
美織さんは、思ったより真剣な表情をしていた。
それで頑張れた。
いつも、頑張ってるって、ことだもんな……。
飄々と生きているように見える美織さんの裏側が少し見えた。
美織さんも、シャチョーさんだけど、ちゃんと美織さんという【人間】だ。
私は少し美織さんに近づいて、指さした。
「あの、ランプ。誰が作ったか知ってますか?」
「……? デザイナーさんでしょ?」
「基樹さんですよ。模型のランプも、実物のランプを作ったのも、基樹さんです」
模型室でずっと基樹さんはランプを作っていた。
誰にも知られないようにしていたけど、私には教えてくれた。
久しぶりに、どうしても作りたいって。
模型室に工具持ち込んで、ずっと作ってた。
私が帰った後に工具が出たままになったりしてたから、社長としても仕事を終えてから来ていたのだろう。
あれは基樹さんの全てだ。
「え……、あれ、月島さんのアイデアだって言ったじゃない」
「あのランプを基樹さんが持ってきて、それをみて、使うアイデアを考えたのは私です。でも、あれは作ったのは基樹さんですよ」
「基樹なの……」
美織さんは黙り込んで、ずっとランプを見ていた。
ランプはただ光をうけて返すだけ。
そこにいて、輝くだけ。