表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Love or Lover  作者: コイル
5/9

今だけの永遠と共に

「仁奈子、なんだこれ。この計算間違ってるから、全部違ってるぞ。ちゃんと見ろ」

 パソコンの画面にメールが届く。

 保育園用の重量計算、一晩かかったのに、全部間違ってるのか…。

「直します……はい……」

 私はパソコンデスクにアゴをのせたまま答えた。

 保育園のリフォームは私の案が無事に通り、来週着工するために、今日打ち合わせが組まれていた。

 もうすぐ私の手を離れるため、細かい作業が必要となっていた。

 今回は怪我をしたので、模型作業は他の人に任せて計算作業とパースをつかった絵を描くのがメインの仕事となり、それもテンションが上がらない要因に…。

 いや、違う。

 基樹さんとホテルでケーキ食べてから、仕事のテンションが上がらないままだった。

 私は基樹さんとどうなりたいの?

 恋人? 話相手? 結婚したいの?

 恋人って、どうしてなるんだっけ。趣味があうから、とかじゃなかったっけ。

 結婚って、相手をどうやって選ぶの? 同じ思考の人を選ぶんじゃないの? 一緒に生きていくんだし。

 食べ物で好きなものが一緒とか、そういうことじゃないの?

 私と基樹さんは似てるし、一緒に笑えじゃない。

 少なくとも美織さんといる基樹さんより、笑ってるでしょう?

 楽しいって、思ってくれてるんじゃないの?

 それじゃ私は不満なの?

 それって、社長と仲が良い社員じゃん。それでいいじゃん。

 じゃあ、なんでこんなにやる気が出ないんだろう。

 結婚したいの? 恋人になりたいの? 仕事でみとめてほしいの?

 心のなかにある違和感に手が届かなくて、思考がまとまらない。

 考えても答えがないことをフェイクなゲームみたいに考え続けて、当然答えもない。

 まだ動きが鈍い右手でマウスをグリグリ動かす。

 違う。

 私だけ特別だと、私だけが基樹さんを理解してると思ってたけど

 【理解してからといって、特別じゃない】と気がついたんだ。

 特別な人なんて、産まれた時から決まってるんだ。

 私も美織さんみたいにお嬢様に産まれないと駄目だったのかな。

 もう産まれる場所間違えた。

 なんとなくミナモ女子大学をネットで調べる。

 広尾にあるのか……。

「今から大学に行くのか」

 後ろから画面を覗き込んだ和也が聞いた。

「いったら人生変わるかな」

 あごを乗せたまま答える。

「大学なんて行かなくても、実力で変えられるだろ、仁奈子なら」

 私は後ろに視線だけチラリと送る。

「変わらないものも、あるんです」

「なんだよ」

「人生……」

「とりあえず、仕事しろ」

 頭にゴツンと資料が載せられた。

「毎回痛いんだけど」

「気分転換にやってこい」

 見ると、昔和也と一緒に遊んだプレパークの修繕工事の仕事だった。


 プレパークとは、原っぱだ。

 でもただの原っぱじゃない。

 東京の真ん中にあるのに、火起こしできるし、煮炊きもできる、のこぎりが放置してあり、木材もある。

 本格的なアウトドア体験が学校帰りに、しかも子供だけで出来る場所なのだ。

 私と和也が住むマンションの近くにプレパークがあり、私はいつもそこにいた。

 よく考えたら、人生ではじめて【家】とよべるものを作ったのは、プレパークかもしれない。

 小学校の仲間と支柱を打ち、屋根を作り、階段を作った。

 私の全ての原点はプレパークにある。

 そこはほとんとがボランティアでまかなわれていて、今回の依頼は古くなった事務所の修繕依頼だった。

 無論、お金は雀の涙。

 私が今やっている保育園の仕事は億単位だが、プレパークは驚きの2万円。

 木材買ったら終わりそうだ。

 でもここが腕の見せ所。

 東京って実は木材が余ってる。

 森の管理のために木材を切るのだけど、森のなかに転がしたまま。

 それを運び出すのには膨大なお金と手間がかかる。

 だから森の中に木材は無限に転がっている。

 そんなの知り合いに頼んじゃうもんね。

 私はワクワクしながら、幼なじみでプレパーク仲間で、今は運搬会社にいる池村ちゃんにラインした。

 池村ちゃんも一緒にプレパークでべっこうあめを作った仲間だ。

【池村ちゃん、プレパークに家作らない?】

 返信はすぐにきた。

【いい木があるよ!】

「くふふふ……」

 やっぱりこういうのが楽しい。

 私は再び右手に鉛筆をガムテープで巻き付けて、ラフ絵を描き始めた。


「キノコがはえてる!」

 池村ちゃんが送ってきた【この木はどう?】と送ってきた写真にうつる木には、きのこがニョコリとはえていた。

 プレパークできのこが取れたら面白い。

 頼まれてるのは事務所の修繕だけど、事務所の裏側でキノコ栽培してたら、プレパークっぽい。

 我慢出来ずにラフを抱えてプレパークに行くことにした。


「久しぶり!」

 プレパークには世話人という管理人さんがいる。

「修繕、やります!」

 私はラフを見せた。

「大人になった仁奈子ちゃんに作ってもらえるなんて!」

 視界には私が昔作った秘密基地が見える。

「昔はあのレベルでしたけどね、今は違いますよお~」

「え、これキノコ?」

 ラフをみた世話人がくいつく。

「池村ちゃんが使っていいって」

「事務所でキノコ育てられるの? すごい、すてき!」

 私は今の事務所の裏に回った。

「すごい湿気と雑草だから、もうバッチリですよ」

「食べられるの?」

「食べられるキノコらしです。これは」

「丸焼きだね、丸焼き」

 プレパークは、とにかく何かを焼いて食べる。

 火のなかにくべて食べる。

 私はその単純さが好きだった。

 私はラフを持って、昔自分が作った秘密基地という名の高台に登った。

 高さ2メートル。

 小学校の時は無限の高さに見えたけど、今なら右手を怪我した状態でも簡単に登れる。

 立つと世界が変わってみえて、この世界で一番たかい場所にいるのは自分だと信じていた。

 私がつくった世界。

 なんて無敵で儚くて永遠なんだろう。

 よく見ると、私が昔つくった【秘密基地】という看板の上に、文字が足されていた。

【なんでも探偵事務所】。

 私が大人になる間に、ここは秘密基地から、探偵事務所になったらしい。

 時を超えて、ここにあり続けるのに、違う人が愛し、住み続ける場所。

 ここに私がつくった基地は、形を変えながら、呼び名を変えながら、一生ここにあるんだろう。

 今だけの永遠と共に。

 涙が出てきて、それを流したまま、空をみていた。

 

 涙をぬぐい、高台に座った。

 小学校から帰ってくる子供達が見える。

 ランドセルを玄関に放り出して、お母さんから100円貰ってマシュマロやいて食べたなあ…。

 あれ炭が落ち着いてからじゃないと、コゲるの。

 でも美味しくてたまらなかったな。

 ゴロゴロしながらラフを描く。

 今ある事務所をつぶすのは勿体ないな。

 でも屋根が腐って雨漏りするんじゃ、中まで木が腐ってるか。

 囲むように二階建て構造にすると、今ある基礎だけは使えるかな。

 あの建物、基礎はコンクリだもんな、プレパークにある唯一のコンクリ。

 壊すのもお金がかかるし、そんな所に2万円払えない。

 何も遮るものがない視界と、青い空。

 しめった土の香りが、もうすぐやってくる夏を知らせてる。

 土の香りは、季節によって違う。今は間違いなく7月。

 梅雨が抜けきらない空気の重さと、常にふる雨で、草木が喜んで調子に乗ってる。

 この匂い。

 なんて落ち着く……。

「甘っ!!」

 高台でゴロゴロしていると、甘い匂いがたちこめてきた。

 煮炊きできる場所をみると、おじいさんが一人で何かを作っていた。

 プレパークは基本的に子供が遊ぶ場所だ。

 お母さんがいることはあるが、おじいさんが1人でいるのは珍しい。

 まあ、私も大人なのにゴロゴロして絵を描いてる人には違いないが…。

「そこの人。手伝って」

 高台から見ていると、おじいさんに声をかけられた。

 甘い匂いに誘われて、私は下りた。

「ほら、そっち回して」

「なんですか、これ」

 言われたまま、真ん中に何かくっついてる物体を火の上で持った。

「くるくる回すからね」

「はい」

 棒を回すと、上から液体を掛けた。

「はい、ちょっと火に近づけて」

「了解です」

 右手が使えないのが残念だが、久しぶりの火にテンションがあがり、付き合うことにした。

「これって、バームクーヘンですか」

「正解」

 おじいさんは、液を垂らしながら言った。

 プレパークで一度だけ作ったことがあるので、知っていた。

 棒の真ん中にホットケーキミックスを卵でといた液体を掛けながら回す。

 少し焼けたら、またかけて回す、焼くの繰り返しで、バームクーヘンが出来るのだ。

 私の記憶が正しければ、あまり美味しくは無い。

 とにかく火加減が難しいし、焼きすぎるとカスカス、焼かないと生焼け。要するに不味い。

 それに子供達が楽しんでやる遊びの一種なのに、おじいさんが一人で、何やってるの?

 そう思いながら、楽しくなっていく気持ちを抑らえれなかった。

 

「出来たね」

「いいですかね」

 バームクーヘンはかなりの大きさになっていた。

「さあさあ切りましょうよ!」

 私はこの瞬間が大好きだ。

「いや、このまま30分寝かす」

「ええええーー」

 素でがっかりしてしまった。

「寝かしたほうが美味しい」

「お腹空きましたよお」

 もうすっかり友達気分だ。

「空腹は最高のスパイス」

「ええええーーー」

 おじいさんは、鞄の中から何かを出した。

「今から生豆をいる」

「時間かかるじゃないですか……」

「どうせ待つんだから、手伝え」

「はい……」

 コーヒーの生豆を炭火で煎るのも、大人になってから何度かプレパークでやったけど、これが難しい。

 とにかく焦がしすぎても、やらなくても駄目で、加減が難しくて、深い味にはほど遠く……。

「生豆って、難しいんですよ?」

 こうなったらプレパーク通を気取ってやる。

 文句たれながら手伝った。

 ひたすたら動かす必要があるので、結構大変なのだ。それに……。

「コーヒー入れるなら、お湯沸かさないと!」

「そうだな」

「そうだなじゃないですよ!」

 薪でお湯を沸かすのというのは、実は一番面倒なのだ。

 常温の水を沸騰させるために、量にもよるが最低10分かかる。

 私は置いてあった斧で薪を割る。

 右手を怪我してるので、左で振り下ろして、足で斧を押し込む。

 実はこの方法が一番簡単だと知ったのは大人になってからだが。

 子供のころは体力の限界など知らなかったので、斧をガンガン振り回していたが、今じゃ無理だ。

「君は、めちゃくちゃ上手いな」

「おじいさんは順序悪すぎですよ!」

 私は薪を足して火を強くして、一番小さい鍋に水を入れて蓋をした。

 ヤカンなんてステキなものは、プレパークには無い。

 それに蓋をしないと、灰で飲めないものになる。

「君は、何でも知ってるんだな」

「はい、豆焦げますよ!」

 家が近いから記憶がないけど2才からここに来てるのだ。

 料理と呼べない適当飯を作るのは、慣れている。

「小学生の時なんて、毎日きてべっこうあめ作ってましたよ、砂糖溶かしてね」

「楽しそうだ」

「あと究極の泥団子」

「なんだそれは?!」

 おじいさんはくいついた。

「泥を固めて、それを火の近くに置く。で、固まったら、また泥をつけて丸めて、また火の近くに。それこそ1ヶ月くらい毎日続けると、鉄球みたいに光りますよ」

「今すぐ作ろう」

「コーヒー、コーヒー」

 私は声を出して笑った。

「仁奈子ちゃんが作った泥団子は伝説でしたよ~」

 管理人が出てきて話し始めた。

「毎日持ち帰って磨いて、学校にも持って行って、帰ったら作って。凄かったですから」

「えっへん」

 自慢したが、自慢できるのだろうか。

「ピッカピカに磨いて、それを夏の自由研究に提出したら、低学年の子に壊されてですね、今でも犯人探してます」

「あはははは!」

 おじいさんは膝を叩いて笑った。

「よし、30分たったね、お湯も沸いたし」

 おじいさんは手引きのミルで豆をひいて、出来上がったバームクーヘンを切った。

 

「お先にどうぞ」

 おじいさんに促されて、バームクーヘンを食べた。

「……なんですかこれええええ」

 私は一口たべて絶叫してしまった。

「ホテルカノンのバームクーヘンより美味しいじゃないですかああ」

「あんなの、バームクーヘンじゃないよ」

 おじいさんは、美味しそうに食べた。

「あれがバームクーヘンじゃなくて、何がバームですか!」

 ついにバームクーヘンというのが面倒になって、バームになった。

「材料にもこだわってるし、炭火の温度に勝てるものないよ、さ、コーヒーもどうぞ」

 一口飲むと、味の下に深みのあるような甘さを感じた。

 和也が勝っているコーヒーと同じくらい、それより香ばしくて美味しいかも。

「超うまいです……」

「でしょでしょ~」

 おじいさんは得意げだ。

「もう、おじいさんのこと、バームさんって呼びます」

「あははは!」

「私は月島です。また一緒に作りたいです!」

「よし、連絡先を教えなさい、バーム弟子」

「はい師匠!」

 2人で爆笑した。青空に抜ける声が気持ちいい。

 連絡先……と思い、高台に置いたままだったスマホを取りに行くと、大量の着信に気がついた。

 時間を確認すると、今日ある保育園の打ち合わせの時間を過ぎていた。

「ぎゃああああああ、会社に戻ります!」

「へ? 君って会社員だったの? プレパークの人じゃなくて?」

「どっからどうみても会社員でしょ?! じゃあまた」

 叫んで走った。

「またね~~」

 後ろからのんきな声がついてくる。

 あああ、怒られる。でも何か心にのっていた重りが消えて、とても仕事したい気持ちになっていた。

 私は、作りたい。

 建物と、そこに続く人生を。

 私がつくった秘密基地は、まだそこにいた。

 私は何も変わってない。

「えへへへ」

 笑いながら走る。

 右手の痛みも感じなくなっていた。

 指を動かすと、動く。

 持ち上げても、痛くない。


「すいませんでした!」

 会議室で頭を思いっきり下げた。

 会議室には基樹さんと伊織さん、建築部の人が待っていた。

「どこいってたの?」

 美織さんが怒っている。

「違う仕事の現場に」

「今は保育園の仕事が優先でしょう。何をしようとしてるの?」

「プレパークを…」

「あんなの慈善事業じゃない。あなたがやらなくていい。誰かにやらせて」

 言い返せる立場にもなく、はい……と小さく答えて椅子に座った。

「すいませんでした……」

「保育園。やるなら、ちゃんとしなさい」

「はい……」

 基樹さんが私を見てるのが分かる。

 でも顔を上げられなかった。

 煮炊きに夢中で時間を忘れるなんて社会人失格だ。情けない。

 でも、心は折れてない。

 何か心の中に、芯を感じ始めていた。

 私は、できる。

 


「臭っ! 仁奈子、臭っ!!」

 美穂は鼻をつまんだ。

「知ってる……」

 プレパークの恐ろしい所は、火の前にいると体が煙でいぶされて、臭くなるところだ。

 この匂いは恐ろしい、なんと3日後も頭から匂う。

 行くと決めたときは、全身丸洗いできる服で、頭には帽子なのだが、今日は思いつきで火の前に立ってしまった。

「ほら」

 頭の上に服が何枚も投げられる。

 見ると和也の服だった。

「俺の着替えで良かったら着ろ。会社に置いてあるやつだけど、この前持ってきたやつだからキレイ」

「……お母さんありがとう……」

「産んだ覚えはない」

 私はそれを持って、会社のシャワー室に向かった。

 会社のシャワー室を使う日が来るなんて……。

 女性用と男性用があるのは知ってたけど、ほぼ男性用しか使われていない。

 会社に泊まり込んだ男性社員が使うか、現場から帰ってきて着替える建築部が使うか……程度だと思ってたけど、まさか自分が使うことになるなんて。

 初めてはいったシャワー室は、思ったよりキレイだった。ちゃんと掃除さんが入ってるんだ。

 勿体ない。じゃあ会社に泊まった時はたまに使おうかな! とシャワー浴びながらおちゃらけて、あんまり泊りたくない…と一人で落ち込んだ。

 備え付けのシャンプーもある。

 全身洗って、置いてあるタオルでふいて、和也に借りた服を着る。

 昔は何も気にせずに着ていた和也の服。

 ポロシャツとズボン。

 頭からかぶった瞬間に和也の匂いがして、美穂の顔が浮かぶ。

 本当は、よくないよな…。

 逆の立場で考えたら、たまらなく無神経だ。

 でも臭すぎるのも、問題だ。

 脱いだ服の臭さったら、無い。

 私はそれをビニール袋に入れて、気がついた。

 ドライヤーがない。

 肩までしか髪の毛がないから、ほっとけば乾く……? えー……グチャグチャになりそう。

「あ!!」

 思わず声が出た。模型室には、ボンドをすぐに乾かすために、ドライヤーが置いてある。


 模型室にいくと、誰もいない。

「あった!」

 私は鼻歌を歌いながら、ドライヤーをかけた。

 そうそう、ここにはドライヤーがある。私って天才。

 気分が良くなると、頭の中がちゃんと動く。

 プレパークのラフを出して、書いて、またドライヤーで乾かして、また書いた。

「乾かしてから、書けば?」

 振り向くと、基樹さんがいた。

 私は立ち上がり、頭をさげて謝った。

「遅刻して、すいませんでした」

 基樹さんは、後ろの席に座り、ドライヤーを手に取り、私を座らせた。

 そして、髪の毛の束を手に取り、ゆっくり乾かしはじめた。

 なんて気持ちいいんだろう……。

「くしは?」

「ないです……」

 ぼんやりしながら答えた。

 基樹さんは、手ぐしで整えながら、私の髪の毛を乾かした。

 太い指の感触が、頭にふれて、そのまま私の気持ちを締め上げた。

 カチリとドライヤーを切る音がした。

「……まだ匂うね」

 くん、と基樹さんが私の髪の毛の匂いを嗅いだ。

 体全身に熱が走って、思わず身を固くした。

「すいません……」

 絞り出した。

「それは、プレパーク?」

 基樹さんは、机の上に描かれたラフをみて聞いた。

 私はノートを閉じた。

「保育園が優先なので、この仕事はやめておきます」

 嘘だった。

 でも、これ以上迷惑をかけられないし、プレパークは近所だ。

 土日に作業すれば大丈夫。それに締切りもない。

 友達も手伝ってくれるはずだし、2万円なんてお金は、手伝ってくれる友達に渡そう。

 私はそれより大事なものを、あそこで思い出した。

「そう? やりたいなら、やればいいのに」

 基樹さんは言った。

「いえ、いいんです」

 私の秘密基地再び。

 それだけで、色あせて見えた保育園の仕事が楽しく感じはじめた。

 私にはまだ、未来を繋ぐ力がある。

 それが基樹さんと描く未来じゃなくても、私が作った物には、未来がある。

 今考えることは、恋愛じゃなくて、結婚じゃなくて、仕事。


「これ……和也の服?」

 基樹さんは、私が着替えたポロシャツを、ツン、とつまんだ。

「借りました。あまりに臭いので」

 心臓がしつこくドキリと踊るが、飲み込んで答えた。

 仕事、仕事。自分に言い聞かせる。

「大学時代にみたことがある」

「基樹さんが、先輩だったんですか?」

 動くようになってきた右手で保育園の模型を作りながら聞いた。手先を動かしてると落ち着く。

「俺は先輩というか……単純に留年。学校に行ってなかったから」

「それで和也と同じ学年に」

「……月島さんと、和也は、幼なじみなんだっけ」

「小学校1年生の時から一緒ですよ、同じ建物なんです。あ、部屋は別ですよ、あはは」

 笑い話にしながら、こんなの、基樹さんは興味ないだろうな……と思う。

「和也の好きな人は、もう何十年も月島さんなんだね」

「へ?」

 振り向いたら右手がまだくっついてない模型の壁を倒した。

「あわわ」

 それを直した。

「大学時代に毎日月島さんの話を聞いたよ」

「そう、なんですか」

 和也め、何を話したのか、あとで聞かないと……。

 ボンドをニュルニュルと出した。

「月島さんは、俺を好きなんだよね?」

「へっ?!?!」

 再び振り向いたら、また壁が倒れた。

 基樹さんが微笑んで私を見ている。

「え……あ……」

 何も言えずにボンドが、ポチャリと机に落ちた。

「好き?」

 にっこりと笑う。

「あ……はい、好き、です」

「じゃあ、和也の服なんて着てちゃ駄目だ。服を買いに行こう」

「えええええ?!」

 基樹さんは、私の腕を掴んで模型室を出た。

 壁が倒れた模型が私を見ている。


「とてもお似合いです」

 私の部屋くらいありそうな広い試着室で、私はワンピースを着ていた。

 いや、着せられていた。

「あの……」

 私は大きな鏡の真ん中で真っ黒なドレスに包まれていた。

「色はこれと、赤と?」

 基樹さんは椅子に座って店員さんに聞いた。

「青と、深緑になっております」

「赤は、どんな赤?」

「全部もってまいります」

 店員さんが試着室から出て、私は基樹さんを見た。

「あの、こんな高い服、買えません!」

 さっきちらりと値段をみたら、月給レベルの金額だった。

「当然プレゼントするよ。前から思ってたんだ、このワンピース、月島さんに似合うと思ってたんだ」

 基樹さんは微笑みながら言った。

「そんなの頂けません!」

「保育園の請けてくれて嬉しかったんだ。お礼」

「そんな……」

「保育園が出来た後に大規模ばパーティーもあるし、それに着てきてくれればいいよ。経費だ」

「失礼します」

 店員さんが、何枚も同じワンピースを持って入ってきた。

「全部着て」

 基樹さんは椅子にしっかりと腰かけたまま、にこにこと言い放った。

「あ、靴も持ってきて。これと、これ」

「承知いたしました」

「あ、色は赤と黒と……」

「全部持ってまいります」

「えーー……」


 目の前に並ぶ可愛い服と小物にテンションが上がらない女子などいるだろうか。

 最初は無理です! すいません! ばかり言っていたけれど、こんな店ごと借りてファッションショーみたいなこと、何度もできるわけじゃない。

「基樹さん見てください、このファーで、ピンクのドレス着ると、ミッシェルファニーの小説のエミルみたいですよ!」

「ほら、早く言わないと」

「【私のファーに触れる男は、どこ?】」

「【僕が触れるくらい、そのファーは長いのかい?】

「【触れたら狐になってやる】……ですね?!」

 読んでる本が似てるから、ネタがどれだけでも出てくる。

「見てください、このコートにサングラスしてピンヒール履くと……」

「エレファントガールの、エミー!」

「【私の足はどこ? こんな靴で外を歩かせるつもり?】」

「【見たいね、その靴で僕の横をあるく君を】」

「見たいですか?!」

「いや……似合ってないな……」

「酷い!!」

「だって、コートが床に付きそうだ」

「キャー、すいません!」

 広い試着室には私と基樹さんしかいなくて(店員さんが気を利かしてくれたのだろう)

 マイナーな小説のヒロインごっこを楽しんでしまった。


 結局買って貰ったのは、真っ黒なワンピース。

 恐ろしく背中があいているので、専用の下着まで買って貰った。

 そして深紅の靴まで。

「ありがとうございました」

 車の中でお礼を言う。

「楽しかった。いつも買い物なんて楽しくないんだけど、今日は楽しかった」

「なんかすいません」

 店員さんに迷惑だったのは間違いない。

「いいよ、いつも買ってる店だから、迷惑料金くらいは買い物してる」

「私は遊んでいただけです……」

「今度は鞄を買いに行こう。面白い店があるんだ。建物が石が出来てる」

「あの……もう結構です……」

 建物には興味があるが、これ以上お金を使ってももらう義理がない。

「俺が行きたいんだ」

 そう言われると、何も言えない。

 それにこんな高級な服に、合わせる鞄がないもの本音だ。

 基樹さんは車を駐めて、模型室に戻った。

 するとそこには和也がいた。

「……?! お前、なにその格好」

 私の服装を見て和也は驚いた。

「買いものに、基樹さんに連れて行ってもらったの」

 実は高級店の服を着て仕事をするわけにもいかず、店の近くにあった量販店で適当に服を買った。 

 基樹さんに買って貰った服の10分の1の値段だけど、私はこれが1番気楽だ。

 それに、和也を好きでもない私が、和也の服を当然のように着てるのは、どうしても違うと思った。

 隣にいた基樹さんは、和也の服が入った服を持ち上げた。

「和也。服返すわ」

 基樹さんが言った。

「え?」

「女の子が男物の服着ていいのは、彼氏の家だけだろ」

 和也は大きく息を吸い込んだ。

 表情が変わる。


「……基樹。お前何考えてるの?」

 和也は、静かに答えた。

「お前こそ、美織さんいるのに、仁奈子にちょっかい出しすぎだろ。なんだその袋。違う服も買ったのか」

 私が持っていた高級店の袋を和也は見た。

「バカだな、お前は。月島さんは俺を好きなんだ」

「ひえええええ」

 私は横で思わず悲鳴をあげてしまった。

「だから、俺は月島さんに服を買ってもいいし、それを月島さんが着てもいい」

「でもお前は仁奈子を好きじゃないんだろ」

 和也はにらんだまま言った。

「俺は美織と結婚するから」

 基樹さんは当然のように言った。

「だから、なんでこういうことするの?」

 和也は続けた。

「俺のことを好きな女が、和也の服を着てるののが、面白く無いから」

「なにそれ!」

「なんだそれ!」

 おもわず和也と同じタイミングで言ってしまった。

 基樹さんは当然という顔のままだ。

 それからは、違った。

「あははははは!」

 私は笑いが止らなくなって、ずっと笑っていた。

「ふざけるな」

 和也は模型室を出て行った。

 私が思ってるより、はるかに基樹さんは子供で、なんて強欲で、王様で。

「あはははは、面白く無いって、なんですか、もう」

「そのまま」

 基樹さんのスマホが鳴り、基樹さんはそれに答えながら、模型室を出て行った。

 口だけで、またね、と言いながら。


 和也から借りた服を家で洗濯して、袋に入れた。

 和也の家の住所は聞いている。

 バスに乗り、吉祥寺を越えて、またバスに乗った。

 南口からバスに乗るのは初めてだった。

 和也と初めては、無限にある。

 実はファーストキスは和也だ。

 してみようか、してみようか、という小学2年生の浅い気持ちだったが、今考えると和也は私を好きだったはず。

 それから1週間一緒に帰ってくれなくて、私は淋しかった。

 キスしたことより、和也が一緒に帰ってくれない。それが淋しかった。

 はじめて手を繋いだ異性も、私のパジャマ姿を見たのも、一緒に眠ったのも、全て和也だ。

 和也が1人暮らししてるマンション。

 練馬と吉祥寺の間にある。

 和也の好みらしく、コンクリート打ちっ放しのオシャレな建物だ。

 102号室。

 チャイムを鳴らすとすぐに和也が出た。

 部屋着じゃない、ちゃんとした服装。

 私がいくと言ったから、きっと待っていてくれたんだろうな。

 和也はそういう人。

 いつもちゃんとしてて、私と遠くから近くから見ていてくれる。

「入れば?」

「和也、前に言ったよね。この部屋に今度来るときは、幼なじみじゃなくて、月島仁奈子として来てくれって」

「……ああ」

「だから私はこの部屋に入れないよ」

「そうか……」

 私は借りた服を渡した。

「でもね、久しぶりに和也の服着て、和也を男の人だって、ちゃんと分かったよ」

 和也は小さくうなずく。

「ちゃんと意識したから、部屋には入らないで、帰るね」

「ああ」

 まだ開いたままのドアを背に私はバス停に向かった。

 私たちは、何かを始めるなら、まずここから始めないといけない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 基樹さんズルい〜〜婚約者いるのに独占欲〜 4話から思ってましたがズルい!けどそこが良い… 適度に振り回してくる男性は好きです あと試着のシーン好きです! 海外ドラマでよく聖書や昔の映画、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ