廻りはじめた気持ち
社内コンペは、施主の名前が伏せられる。
間接照明をメインにした家がほしい、とか。
たくさんの犬と子供が共存できる家、とか。
それだけ公表されて、どのコンペに応募するか自分で決める。
それは有名人の施主も多くなってきた我が社で、施主目当ての仕事をしないように……という配慮からだ。
だから私は今回の間接照明の家の施主さんが、うちの会社と仲がいい新田建設の、社長の娘さんだと知らなかった。
「娘は今日仕事で、どうしてもこれなくて。でもこのランプのアイデアをとても気に入っていたよ」
「ありがとうございます」
入社して5年。こんなエライ人と話をしたのは初めてだった。新田建設は大手デベロッパーで、数100億規模のマンションも多く手がけている。
「娘はうちの会社で作る家より、藤木さんの会社で作る部屋のが好きらしい。あははは!」
「それは光栄だ」
笑ってる我が社の社長、藤木社長をみるのも初めてだった。
初めて祭りで、あげく、こんな高級な店で食事とか、もう無理!
スプーンとフォークの数が多すぎて、何をどうすればいいのか、わからない。
そして一番遠くの席に、基樹さんがみえた。
模型室で基樹さんが好きだと自覚してから一週間、一度も会ってなくて、顔を見るのは久しぶりだった。
顔を見たくてたまらなくて、前に流れていたテレビ番組の録画を美穂に貰い、毎日見たほどだ。
でも、模型室でみた笑顔は全くなくて、もっと基樹さんに会いたくなった。
ちらりと覗きみると、今日は髪の毛をしっかり整えていて、今までみたことがないメガネをしていた。
すごくカッコイイ。それにスーツも似合う。高いスーツって、見るだけで分かる。
せめて、基樹さんが居ると知っていたら、服を新調したのに!
目の前に置かれたサラダをモシャモシャと食べた。
「……仁奈子、お前スープ用のスプーンでサラダ食べるなよ」
「(え?!)」
和也は口を掌で押さえて笑いをこらえていた。
「(わけわかんないんだもん!)」
訴えると、和也は肩を掌でトンと叩いた。
「外から順番に使うだけ。俺のみとけ」
和也は意外と上手にフォークとナイフを使い、食事をしていた。
なんだか悔しい。
「家では、ねぶり箸なのに……」
じろりと見てきた和也に両肩をあげて謝った。
怒った和也にドスンと肘鉄されて、私は逆に落ち着きはじめた。
隣に和也がいるなら、きっと大丈夫だ。
食べていると、藤木社長に聞かれた。
「あのランプは、月島さんが作ったんですか?」
答えに困った。素直に基樹さんが作ったと答えていいのだろうか。
社長の仕事をしてるのしか見たことがない基樹さんが制作をする。
それを言ってしまっていいのか。
いや、言うのは勿体ない気もしていた。
私だけの秘密にしたい。そう思い始めていて、何度も和也にも聞かれたが、答えを濁していた。
ちらりと基樹さんを見ると、ゆっくりと右手の人差し指を口元に持って行って、メガネの向こうにある瞳を小さくした。
そして口元だけで、ヒミツ、と言った。
心臓がはねて、締め付けられる。
「あの! 思いつきです」
作ったと嘘は言えない。でも設置した思いつきは、嘘じゃない。
「そうか、クリエイターの鏡だ。これからも頑張って」
「はい」
もう一度基樹さんを見ると、瞳を閉じて、メガネの向こうで小さく微笑んでいた。
そう、あの顔が見たかったの。
鼓動が早すぎて、サラダの味なんて分からない。
外の空気を吸おうと席を立ち、ベランダに出た。
店の作りが変わっていて、建物の構造が気になったのもある。
こんな高級店、自分じゃ入らないし、デッキに使われてる木材も、最高級に良いものだ。
視点が完全に建築系で、我ながら笑ってしまう。
デッキからは川が見えて、そこに見事な満月がゆらいでいた。
ふわふわ、丸い波。
ベンチに座り、鞄の中を見た。
【藍染めの空に】。この本を基樹さんに返したかった。
この本には芥川龍之介のオマージュがある。海外の作家さんだけど、好きなのだろう。
告白のシーン。
貴方が好きです、と伝える彼女に彼は言う。
そんなにストレートに言うもんじゃないよ。オシャレじゃない。
じゃあなに、月が綺麗とでも言う?
そして彼は彼女にキスをする。
芥川龍之介が、そういって告白したという逸話がある。
アイラブユーなどというものじゃない。品よく、月が綺麗。
それだけで全てが通じる。
思わず口にする。
「月が、綺麗」
「月島さん」
振り返ると、そこに基樹さんが居た。
「わ……!」
さっきの言葉、聞かれてないだろうか。背中から汗が噴き出す。
私は急いで鞄の中から、本を出して、基樹さんに渡した。
「あの、ずっと返そうと思って。あの、毛布はどうすれば。えっと、本なんですけど、これ間違えてて、あ、知ってますよね、あの」
一気に伝えたいことが溢れてきて、全てを言葉にしようとして、全てがカラ回った。
「……落ち着いて?」
ギューと体の中から絞られそうになって、はい、だけ答えた。
大きく息を吸い込んで、はき出した。大丈夫。
私はまず本を基樹さんに渡した。
「間違えて持って行ってしまって、すいませんでした」
「ありがとう……この翻訳者さんが、好きなの?」
基樹さんは本を胸元にしまって言った。
「基樹……社長も、ですか?」
「基樹でいいから」
心臓がイチイチ跳ねるが、話をしたい欲が勝った。
「あ、はい、あの、えっと、基樹……さんも、この翻訳家さん、お好きなんですか」
「品がよくて、無理してなくて、よい文章だね。綺麗だよ」
綺麗なのは基樹さんだと思う。
月の光に照らせた前髪。また触れたいと思ってしまい、掌を握りしめた。
「毛布はあげる」
「えええ、あんな良い物を、もらえません」
あとで調べたら、高級ブランドも物だった。値段もすごく高い。
我が家にあるペラペラの毛布の十倍の値段だった。
基樹さんは、少し考えてから言った。
「あれはもらい物だし、会社に置いておいたら? また泊まった時に使える」
「あの私……あんまり……会社に泊まりたくは、ないんですが……」
「あははは」
基樹さんが声をあげて笑った。それだけで、私の気持ちも踊った。
「えへ」
「そうだね、じゃあ、模型室に置いておいたら? みんな使うでしょう」
「いやです」
「え?」
自分ではっきりと断ってしまい驚いたが、言葉がでるのを止められなかった。
「あれは私に基樹さんが掛けてくれた物だから、私のです」
「……うん、いいよ。だから、あげるって」
「………はい」
急に恥ずかしくなってうつむいた。
何を言ってるんだろう。我ながら意味が不明だ。
椅子にもたれようと思ったら、食事会用に無理して買った高いヒールにでよろめいた。
「?!」
「あぶない」
また基樹さんに支えられてしまった。
ふわりと香る整髪料の匂い。
それにクリーニングではない、正しい男の人の香り。
腕に伝わる指の関節の太さと、人間だという証の熱。
めまいがして、カポリと靴が脱げた。
そのまま床に足をつく。
ひやりとした感触に、悲鳴をあげた。
「わ! あの、ヒールに慣れなくて」
基樹さんは、私の腰を抱き、そのまま近くの椅子に座らせた。
体に纏う太い腕の感触。
頬が燃えるように熱く感じた。
ゆっくりと椅子に座らせて、靴を取りに行き、履かせてくれた。
「大丈夫?」
「はい……」
全然大丈夫じゃない。
目の前にひざまずいた基樹さんがいる。
月の光に照らされた輪郭が、甘くて美しい。
メガネの縁が白く照らされている。
私はそれをずっと見ていた。
「月が、綺麗だね」
「え?!」
本の内容と完全にシンクロしていて、心底驚くが、この告白方法は本の一番最後だ。
まだ基樹さんは読んでいない、はず、
「満月だ」
「……はい」
「明るい」
私は絞り出した。
「月が、綺麗ですね」
基樹さんは優しく微笑んだ。
まるで月光のように。
「基樹」
デッキの入り口から女の人が入ってきた。
「ここに居たの?」
「………ああ」
基樹さんは、ゆっくりと立ち上がった。
「みんな探してるよ」
「ごめん、外の空気が吸いたくなって」
女の人は椅子に座る私に気がついた。
「あ、貴方があの部屋を考えてくれた月島さん? 私、新田美織。新田建設の娘。遅れてすいません、今仕事が終わって」
「え、あ、すいません!」
私は急いで立ち上がった。
「ランプのアイデア、すごく良かった。ありがとう」
笑顔が見事に作られていて、すごいと思った。
しっかりと表情を作っている。同時に芸能人って、こんな感じかなと思った。
整えられた眉と、今日一日生活してきたとは思えない美しい肌。シールで貼られてように艶やかに光る口紅。
長い髪は絹のように整えられていて、それがふわりと重力でしなった。シャンプーのCMのようだ。
黒い服は、暗いデッキでも分かるほど高級な品で、月の光に照らされて、光沢のあるドレスのように見えた。
真っ赤ではない、深紅の靴が光っている。
普通に歩いていたら、汚れない? その靴に曇りや汚れは見当たらない。
私は自分の子供のオモチャみたいに赤い靴が恥ずかしくなり、足を少し引いた。
私のはサイズが微妙にあってなくて、歩くとカポリと安い音がした。
「ね、基樹、部屋に戻ろう?」
「ああ」
二人は部屋に戻っていった。
美織さんは、深紅の靴を見事にはきこなし、もちろん踵など浮かない。
長い膝下と、高いヒール。
あれがちゃんとしたヒールの姿だ。
「………」
私は二人をぼんやりと見送った。
真っ赤で安っぽい靴を履いて、宇宙ステーションに一人残された人類のように、ぼんやりと。
今私がいる場所と、基樹さんがいる場所は、月と地球くらい離れている。
美織さん、基樹さんのこと、呼び捨てにしてたな…。
基樹。
私は再び、椅子に座った。
冷たい椅子が現実を知らせる。
ここは宇宙じゃなくて月じゃなくて、人類は私ひとりじゃなくて、でも私はひとりだ。
「仁奈子」
振り向くと和也がいた。
「ごめん、戻るね」
社長や施主さんもいるのに、ずいぶん長くデッキに居てしまった。
「お前さ」
和也の表情がいつもと違う。まっすぐに私をみる瞳に一瞬戸惑った。
「ん?」
冷静なふりをして椅子から立ち上がる。
「基樹社長のこと、好きなの?」
「へ……?」
思いがけない質問に、目が泳ぐ。どこを見ればいいか分からない。
視界に入る真顔の和也に身動きが取れなくなる。
「基樹は、婚約者いるよ。さっきの新田建設の娘、新田美織。お前が部屋作った人」
脳内でふわりと二人が手を繋ぐ。
基樹さんの長い指が美織さんの細く美しい指に絡まる。
「……あ……そうなんだ」
そう言ったままうつむいた。私だってバカじゃない。男の人を呼び捨てに出来るのは、きっと幼なじみか、恋人か、家族だ。
「そうなんだ…、そっかあ、そうだなあ……うんうん」
そのまま再び椅子にすわりこんだ。
膝が濡れて、泣いていると気がついた。
「そっかあ……、そうだよなあ……うん」
さっき歩いていった美織さんを思い出す。
深紅の靴は、足にぴったりとサイズがあっていて、歩くと軽い音がしていた。
私はカポカポ。
そんなレベルだ。
理解してる。大丈夫。
元から何とかなるなんて思ってないじゃない?
本当に?
私の中の私が話しかけてくる。
ランプを手に微笑む基樹さんの顔がゆがむ。
違う、少しだけ社長じゃない基樹さんを知った。だからもっと、知りたくなっていた。
触りたくなっていた。それだけ。
違う。何が違うの?
私は基樹さんを好きになっている。
もっと知りたい。知って欲しい。
涙でぼやけた視界に大きな腕が見えて、気がついたら、後ろから抱きしめられていた。
「俺にしとけって、前に言った」
「………」
耳元で響く声に、動けなくなった。
和也に抱きしめられている、と理解するまでに数秒かかった。
でもそれは違うと冷静になって、腕から抜けた。
「和也……?」
おそるおそる振り向くと、そこにはいつもと違う、真顔のままの和也が居た。
「10年前から気持ちは変わってない」
「和也……」
「それは、知ってて」
和也は、そのまま部屋に消えた。
私は椅子に座り込んだまま動けなかった。
月だけが私を笑う。
ねえ、月。
あなただけは私の味方なんじゃないの?
月が綺麗。
月が、とても綺麗。
家の鍵を開けるのが怖いと思ったのは初めてだ。
和也は先に帰っている。
それに、和也の家の風呂は今故障中。
間違いなく、今、私の家に和也は居る。
「俺にしとけって、前に言った」
前って何年前? 私と和也が高校生だったのは、もう10年近く前だ。
好き? 好きな人とこんな当たり前に一緒に生活できない。
私、絶対に基樹さんと一緒に生活なんてできない。
ドキドキして息も出来ない。
こんな普通に10年も接するなんて、恋してたら無理でしょう?
私は家の前の花壇に座り込んだ。
パーティー用のドレスは生地が薄く、上着もなく、寒い。
でも家に入る勇気が出なかった。
「仁奈子」
横を向くと、和也がいた。
スーツを手に、もう普段着に着替えていた。
「お前何やってんの? はやく着替えろよ」
いつもの和也に拍子抜けした。
「え。和也はどこで着替えたの?」
「会社。速攻シャワー室行って着替えた。あんなスーツなんて苦しくてやってらんないわ」
「そっかあ……」
一気にほっとして花壇から立ち上がった。
「寒い」
「早く風呂入れ、バカ」
いつもの和也だ。嬉しい。安心して心の真ん中が暖かくなる。
「可愛いって言ってよ。どう? このドレス」
嬉しくて照れくさくて、バカみたいなポーズをした。
「さっきさんざん見た」
髪の毛をグシャグシャされて、背中を押された。
「じゃあな」
和也は自分の家に消えた。
「おやすみ」
私は心底安心して、部屋の鍵をあけて、玄関に座り込んだ。
告白なんて、無かったことにしてほしい、お願いだから。
和也は和也で居てくれないと、私は困る。
そう願いながら、真っ赤な靴を脱いだ。
「いたた……」
はき慣れない靴で、かかとに靴擦れが出来ていた。
カトン。
音がして振り向くと、ドアに付いているポストから靴擦れ用の絆創膏が落ちてきた。
「和也?」
「必要だろ。買っといた」
ドアの向こうから声がする。
「何枚要る?」
「……2枚」
「あいよ」
ドアポストからもう一枚落ちてきた。
「今度こそおやすみ」
ドアの閉まる音が聞こえる。
「おやすみ」
玄関に落ちた2枚の絆創膏を手にとって思う。
どうして私は和也を好きになれないのだろう。
好きだったら楽なのに。
あんなに私のことを理解してくれる人は、居ないのに。
それでもこの瞬間私が考えるのは、基樹さんと美織さんが、手を繋いで消えるシーンだった。
帰り道、偶然見てしまった。
同じ車に消える2人。
2人とも微笑んでいた。
暗闇で響く靴音と深紅の靴。
同じ車で帰るんだ。
帰るよね、婚約者だもん。
痛い。
胸も、心も、足も、全部痛い。
模型室は落ち着く。
この部屋は狭い。いや部屋自体は広いのだが、模型を作るのに必要なものが所狭しと置かれていて、そのせいで作業スペースは机1つ。後ろにも机が1つ。
でもその机は物置で、基本的に模型室で作業する人の食事や飲み物置き場になる。
うちのデザインリフォーム課は作業する人間が数十人いるが、この模型室を使うのは、どうやら私だけだ。
他にも広い部屋はたくさんあるし、なによりこの部屋は暗い。半地下だ。なんとなくジメジメしてる。
みんな素材を取りに来るだけで、別の場所で作業している。
私はむしろ、この狭さと半地下ゆえに香る土の匂いが大好物だった。
今日もさっきから雨が降り出したようで、春と雨と夕方がまざった匂いがしていた。
半地下から見えるのは、会社の小さな中庭だ。
さっきからそこから音が聞こえていた。
好奇心から覗くと、そこには基樹さんがいた。
両手に白い軍手をして、丁寧に雑草を抜いている。
中庭の広さは四畳ほどで、小さいわりに季節の花が植えてあり、小さな椅子も置いてある。
その中庭に出られる部屋は限られてるし、誰がみるわけでもないような場所にあるのに雑草はなく、誰が面倒みてるのだろうといつも思っていた。
基樹さんだったんだ…。
私はその姿を、こっそりと見た。
スーツの上着を脱いでワイシャツ姿で、ネクタイをズボンに入れて、少しずつ丁寧に雑草を抜いていた。
耳を澄ますと小さな声で歌っている。
鼻歌?
ガラスは完全に密封で声は少ししか聞こえない。
何を歌ってるの?
基樹さんの歌に、歌声が聞きたいと思ったが、無理なようだった。
ゆっくりと動く口元を見ていた。
雑草を抜いた場所をたがやし、肥料を入れて、混ぜて。苗を持ってきて植えていく。
小さな葉。
水をやり、椅子に戻り、それを見ていた。
小さな子供が遊ぶのをみているような眼差しで。
スマホがなり、電話に出た。
そして消えていく。
いいなあ、すごくいいなあ。
時期の花に詳しいとか、どうやって勉強したんだろう。
私は庭関係は全く手を出してないから、花とか全然わからない。
基樹さんは、何でも知ってるんだな…。
ぼんやりと思って、外を見ていた。
「月島さん?」
声に驚いて振り向いた。
「なにしてるの」
「基樹さん?!」
さっきまで中庭にいたはずの基樹さんが模型室にきていた。
実は中庭を見るためには、椅子に上がらないと見えない。
私はアーロンチェアの上に靴を脱ぎ、登っていた。
「いえいえいえいえ、気分転換です」
どんな気分転換だ? と思いながら、口から出てきた言葉はそれだった。
急いで椅子に座る。
基樹さんの顔をみると、耳まで真っ赤になっていた。
「どうしたんですか?!」
「あの……ひょっとして……ここから中庭が見える?」
「あ、あははは、は……すいません」
基樹さんは耳まで赤いまま、後ろにある椅子に座り込んだ。
「……見てた?」
「はい……」
言い逃れ出来ない。だって見てたし、椅子の上に立ってたのも、見られてた。
「聞いてた?」
「音はあんまり聞こえません」
「あんまり?」
「いえ、ほぼ全く」
残念なことに、と心のなかで付け加えた。
「良かった」
黒い髪の毛をクシャクシャとかきまわした。
心臓がぎゅーっとなる。ああ、触りたい。触りたくてたまらない。
「あー……、実は新田建設の美織さんから、模型を見ながら聞きたいことがある、ということで、ここに来ました」
「あ、はい」
美織さん、と発音する基樹さんに喉をえぐられるような苦しさを感じる。でも仕事だ。
「ちょうどここに模型があります」
基樹さんは見ながら言った。
「かなり作り込みが進んでるね」
「はい」
「日時の調整は、宮田和也くんに聞いた方が良いのかな」
「私がよくても和也が居ないと、ちょっと色々無理なので」
「了解しました」
「たぶんこのランプの接続面の話だと思います」
「はい」
「取り外せるのか、単体で使えるのか、またどういった燃料を考えているのか」
「それはですね……」
基樹さんの質問に答えながら、私の中の疑問をどうしても聞きたくなった。
「了解しました、では詳しいスケジュールを宮田くんに確認します」
椅子を立とうとする基樹さんと一緒に立ち上がった。
「基樹さん」
「はい」
「……ランプのアイデアは、美織さんのために考えたものですか? 私が美織さんの家を作ってると知って、持ってきたんですか?」
「違います」
基樹さんは真っ直ぐに私を見て言った。
「月島さんの途中まで作った模型を、ネット上のサーバーで見ました。僕が壊してしまったもの。なんて美しいんだろう、とても好きだと思った。そして反省した。何をしたんだ僕は、と」
うちの会社は、作業を毎日写真にとって、ネット上にアップする。
それはお互いの作業がどこまで進んでいるか確認するもので、私も壊れる前の模型をネットにアップしていた。
基樹さんが見たのはそれだ。
「僕は昔、照明を勉強した時期があって、気がついたらあんなランプを作っていたんだ。ただ作っていた。作りたくて、それを月島さんに見て欲しいと思った」
「私に」
「はい」
模型は私の全てだ。私が考えて、私の全てにアイデアが入っている。それをみて美しいと。好きだというのを聞いて、気持ちが口をつく。
「私、基樹さんが好きです」
基樹さんは、顔色ひとつ変えずに私を見ている。
私は自分で言った言葉に少し驚きながら、でも迷わず基樹さんを見た。
「基樹さんを、もっと知りたい。基樹さんを、好きになりはじめてます」
「……ごめん、僕には婚約者がいる。新田建設の美織さんだ。もう決まってる」
「知ってます」
「……」
「模型は、私の全てです。好きだと言ってもらえて、嬉しいです。それは美織さんがいても、いなくても、変わらない」
「ありがとう」
基樹さんはふわりと微笑んだ。
涙がでてくる。でも、今は泣けない。
何度も瞬きをしてこらえる。そして必死に言った。
「これからも、模型室に来てくれますか? もっと、話がしたいです。あの、庭のお花のこととか!」
ふられたからといって、もう二度と話せないのはゴメンだと思った。もっと話したい。もっと基樹さんのことを知りたい。
「もちろん」
基樹さんは模型室を出て行った。
私は椅子に座り込んだ。
そうだ。何も変わらない。
美織さんに勝てるわけがない。
でも、私の模型はここにあるし、基樹さんのつくったランプもここにある。
すべてはここにあるし、私は基樹さんのことを好きなのは、美織さんが居ても、何も変わらない。
でも心の真ん中は苦しくて、釘を打ち込まれたように痛くて、椅子の上で膝を抱え込んで泣いた。
「……基樹はイヤなやつだぜ」
涙をふいている私の後ろに和也が立っていた。
「なんでこのタイミングで俺を模型室に呼ぶんだ」
「ごめん」
私は何度も涙をふいた。でも涙はとまらなくて、仕方なくて部屋に置いてある基樹さんから貰った毛布をかぶった。
我慢できなくなって、大声で泣いた。
毛布の上から頭を撫でる感触があり、和也の声がする。
「打ち合わせの日付決まったら、知らせる」
毛布にくるまったまま、何度もうなずいた。
ふられたって、基樹さんに会えるじゃないか。
もうそれでいいじゃないか。
「なんで泣けちゃうのかな。婚約者がいるなんて、知ってたのに」
「お前はいつも泣いてるだろ」
「そうかな」
「たまに泣くこと目当てで映画みたり、小説読んだりしてるだろ」
「そうかも……」
無性に泣きたいときがあって、わざと泣ける作品を取り出して見たりしてるかも……。
「ただ、泣きたいんだろ」
「ん」
和也は、机に腰掛けたまま、何も言わず、ただそこにいた。
私が泣き止むと、静かに席を外した。
毛布から顔を出すと、そこには私が好きな缶コーヒーが置いてあった。
ありがとう、和也……。
告白で終わったんじゃない。
ここから全てが始まるんだ。