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Love or Lover  作者: コイル
2/9

廻りはじめた気持ち

 社内コンペは、施主の名前が伏せられる。

 間接照明をメインにした家がほしい、とか。

 たくさんの犬と子供が共存できる家、とか。

 それだけ公表されて、どのコンペに応募するか自分で決める。

 それは有名人の施主も多くなってきた我が社で、施主目当ての仕事をしないように……という配慮からだ。

 だから私は今回の間接照明の家の施主さんが、うちの会社と仲がいい新田建設の、社長の娘さんだと知らなかった。

「娘は今日仕事で、どうしてもこれなくて。でもこのランプのアイデアをとても気に入っていたよ」

「ありがとうございます」

 入社して5年。こんなエライ人と話をしたのは初めてだった。新田建設は大手デベロッパーで、数100億規模のマンションも多く手がけている。

「娘はうちの会社で作る家より、藤木さんの会社で作る部屋のが好きらしい。あははは!」

「それは光栄だ」

 笑ってる我が社の社長、藤木社長をみるのも初めてだった。

 初めて祭りで、あげく、こんな高級な店で食事とか、もう無理!

 スプーンとフォークの数が多すぎて、何をどうすればいいのか、わからない。

 そして一番遠くの席に、基樹さんがみえた。

 模型室で基樹さんが好きだと自覚してから一週間、一度も会ってなくて、顔を見るのは久しぶりだった。

 顔を見たくてたまらなくて、前に流れていたテレビ番組の録画を美穂に貰い、毎日見たほどだ。

 でも、模型室でみた笑顔は全くなくて、もっと基樹さんに会いたくなった。

 ちらりと覗きみると、今日は髪の毛をしっかり整えていて、今までみたことがないメガネをしていた。

 すごくカッコイイ。それにスーツも似合う。高いスーツって、見るだけで分かる。


 せめて、基樹さんが居ると知っていたら、服を新調したのに!

 目の前に置かれたサラダをモシャモシャと食べた。 

「……仁奈子、お前スープ用のスプーンでサラダ食べるなよ」

「(え?!)」

 和也は口を掌で押さえて笑いをこらえていた。

「(わけわかんないんだもん!)」

 訴えると、和也は肩を掌でトンと叩いた。

「外から順番に使うだけ。俺のみとけ」

 和也は意外と上手にフォークとナイフを使い、食事をしていた。

 なんだか悔しい。

「家では、ねぶり箸なのに……」

 じろりと見てきた和也に両肩をあげて謝った。

 怒った和也にドスンと肘鉄されて、私は逆に落ち着きはじめた。

 隣に和也がいるなら、きっと大丈夫だ。

 食べていると、藤木社長に聞かれた。

「あのランプは、月島さんが作ったんですか?」

 答えに困った。素直に基樹さんが作ったと答えていいのだろうか。

 社長の仕事をしてるのしか見たことがない基樹さんが制作をする。

 それを言ってしまっていいのか。

 いや、言うのは勿体ない気もしていた。

 私だけの秘密にしたい。そう思い始めていて、何度も和也にも聞かれたが、答えを濁していた。

 ちらりと基樹さんを見ると、ゆっくりと右手の人差し指を口元に持って行って、メガネの向こうにある瞳を小さくした。

 そして口元だけで、ヒミツ、と言った。

 心臓がはねて、締め付けられる。

「あの! 思いつきです」

 作ったと嘘は言えない。でも設置した思いつきは、嘘じゃない。

「そうか、クリエイターの鏡だ。これからも頑張って」

「はい」

 もう一度基樹さんを見ると、瞳を閉じて、メガネの向こうで小さく微笑んでいた。

 そう、あの顔が見たかったの。

 鼓動が早すぎて、サラダの味なんて分からない。


 外の空気を吸おうと席を立ち、ベランダに出た。

 店の作りが変わっていて、建物の構造が気になったのもある。

 こんな高級店、自分じゃ入らないし、デッキに使われてる木材も、最高級に良いものだ。

 視点が完全に建築系で、我ながら笑ってしまう。

 デッキからは川が見えて、そこに見事な満月がゆらいでいた。

 ふわふわ、丸い波。

 ベンチに座り、鞄の中を見た。

【藍染めの空に】。この本を基樹さんに返したかった。

 

 この本には芥川龍之介のオマージュがある。海外の作家さんだけど、好きなのだろう。

 告白のシーン。

 貴方が好きです、と伝える彼女に彼は言う。

 そんなにストレートに言うもんじゃないよ。オシャレじゃない。

 じゃあなに、月が綺麗とでも言う?

 そして彼は彼女にキスをする。


 芥川龍之介が、そういって告白したという逸話がある。

 アイラブユーなどというものじゃない。品よく、月が綺麗。

 それだけで全てが通じる。

 思わず口にする。

「月が、綺麗」

「月島さん」

 振り返ると、そこに基樹さんが居た。

「わ……!」

 さっきの言葉、聞かれてないだろうか。背中から汗が噴き出す。

 私は急いで鞄の中から、本を出して、基樹さんに渡した。

「あの、ずっと返そうと思って。あの、毛布はどうすれば。えっと、本なんですけど、これ間違えてて、あ、知ってますよね、あの」

 一気に伝えたいことが溢れてきて、全てを言葉にしようとして、全てがカラ回った。

「……落ち着いて?」

 ギューと体の中から絞られそうになって、はい、だけ答えた。

 大きく息を吸い込んで、はき出した。大丈夫。

 私はまず本を基樹さんに渡した。

「間違えて持って行ってしまって、すいませんでした」

「ありがとう……この翻訳者さんが、好きなの?」

 基樹さんは本を胸元にしまって言った。

「基樹……社長も、ですか?」

「基樹でいいから」

 心臓がイチイチ跳ねるが、話をしたい欲が勝った。


「あ、はい、あの、えっと、基樹……さんも、この翻訳家さん、お好きなんですか」

「品がよくて、無理してなくて、よい文章だね。綺麗だよ」

 綺麗なのは基樹さんだと思う。

 月の光に照らせた前髪。また触れたいと思ってしまい、掌を握りしめた。

「毛布はあげる」

「えええ、あんな良い物を、もらえません」

 あとで調べたら、高級ブランドも物だった。値段もすごく高い。

 我が家にあるペラペラの毛布の十倍の値段だった。

 基樹さんは、少し考えてから言った。

「あれはもらい物だし、会社に置いておいたら? また泊まった時に使える」

「あの私……あんまり……会社に泊まりたくは、ないんですが……」

「あははは」

 基樹さんが声をあげて笑った。それだけで、私の気持ちも踊った。

「えへ」

「そうだね、じゃあ、模型室に置いておいたら? みんな使うでしょう」

「いやです」

「え?」

 自分ではっきりと断ってしまい驚いたが、言葉がでるのを止められなかった。

「あれは私に基樹さんが掛けてくれた物だから、私のです」

「……うん、いいよ。だから、あげるって」

「………はい」

 急に恥ずかしくなってうつむいた。

 何を言ってるんだろう。我ながら意味が不明だ。

 椅子にもたれようと思ったら、食事会用に無理して買った高いヒールにでよろめいた。

「?!」

「あぶない」

 また基樹さんに支えられてしまった。

 ふわりと香る整髪料の匂い。

 それにクリーニングではない、正しい男の人の香り。

 腕に伝わる指の関節の太さと、人間だという証の熱。

 めまいがして、カポリと靴が脱げた。

 そのまま床に足をつく。

 ひやりとした感触に、悲鳴をあげた。

「わ! あの、ヒールに慣れなくて」

 基樹さんは、私の腰を抱き、そのまま近くの椅子に座らせた。

 体に纏う太い腕の感触。

 頬が燃えるように熱く感じた。

 ゆっくりと椅子に座らせて、靴を取りに行き、履かせてくれた。

「大丈夫?」

「はい……」

 全然大丈夫じゃない。

 目の前にひざまずいた基樹さんがいる。

 月の光に照らされた輪郭が、甘くて美しい。

 メガネの縁が白く照らされている。

 私はそれをずっと見ていた。

「月が、綺麗だね」

「え?!」

 本の内容と完全にシンクロしていて、心底驚くが、この告白方法は本の一番最後だ。

 まだ基樹さんは読んでいない、はず、

「満月だ」

「……はい」

「明るい」

 私は絞り出した。

「月が、綺麗ですね」

 基樹さんは優しく微笑んだ。

 まるで月光のように。


「基樹」

 デッキの入り口から女の人が入ってきた。

「ここに居たの?」

「………ああ」

 基樹さんは、ゆっくりと立ち上がった。

「みんな探してるよ」

「ごめん、外の空気が吸いたくなって」

 女の人は椅子に座る私に気がついた。

「あ、貴方があの部屋を考えてくれた月島さん? 私、新田美織。新田建設の娘。遅れてすいません、今仕事が終わって」

「え、あ、すいません!」

 私は急いで立ち上がった。

「ランプのアイデア、すごく良かった。ありがとう」

 笑顔が見事に作られていて、すごいと思った。

 しっかりと表情を作っている。同時に芸能人って、こんな感じかなと思った。

 整えられた眉と、今日一日生活してきたとは思えない美しい肌。シールで貼られてように艶やかに光る口紅。

 長い髪は絹のように整えられていて、それがふわりと重力でしなった。シャンプーのCMのようだ。

 黒い服は、暗いデッキでも分かるほど高級な品で、月の光に照らされて、光沢のあるドレスのように見えた。

 真っ赤ではない、深紅の靴が光っている。

 普通に歩いていたら、汚れない? その靴に曇りや汚れは見当たらない。

 私は自分の子供のオモチャみたいに赤い靴が恥ずかしくなり、足を少し引いた。

 私のはサイズが微妙にあってなくて、歩くとカポリと安い音がした。

「ね、基樹、部屋に戻ろう?」

「ああ」

 二人は部屋に戻っていった。

 美織さんは、深紅の靴を見事にはきこなし、もちろん踵など浮かない。

 長い膝下と、高いヒール。

 あれがちゃんとしたヒールの姿だ。

「………」

 私は二人をぼんやりと見送った。

 真っ赤で安っぽい靴を履いて、宇宙ステーションに一人残された人類のように、ぼんやりと。

 今私がいる場所と、基樹さんがいる場所は、月と地球くらい離れている。

 美織さん、基樹さんのこと、呼び捨てにしてたな…。

 基樹。

 私は再び、椅子に座った。

 冷たい椅子が現実を知らせる。

 ここは宇宙じゃなくて月じゃなくて、人類は私ひとりじゃなくて、でも私はひとりだ。


 

「仁奈子」

 振り向くと和也がいた。

「ごめん、戻るね」

 社長や施主さんもいるのに、ずいぶん長くデッキに居てしまった。

「お前さ」

 和也の表情がいつもと違う。まっすぐに私をみる瞳に一瞬戸惑った。

「ん?」

 冷静なふりをして椅子から立ち上がる。

「基樹社長のこと、好きなの?」

「へ……?」

 思いがけない質問に、目が泳ぐ。どこを見ればいいか分からない。

 視界に入る真顔の和也に身動きが取れなくなる。

「基樹は、婚約者いるよ。さっきの新田建設の娘、新田美織。お前が部屋作った人」

 脳内でふわりと二人が手を繋ぐ。

 基樹さんの長い指が美織さんの細く美しい指に絡まる。

「……あ……そうなんだ」

 そう言ったままうつむいた。私だってバカじゃない。男の人を呼び捨てに出来るのは、きっと幼なじみか、恋人か、家族だ。

「そうなんだ…、そっかあ、そうだなあ……うんうん」

 そのまま再び椅子にすわりこんだ。

 膝が濡れて、泣いていると気がついた。

「そっかあ……、そうだよなあ……うん」

 さっき歩いていった美織さんを思い出す。

 深紅の靴は、足にぴったりとサイズがあっていて、歩くと軽い音がしていた。

 私はカポカポ。

 そんなレベルだ。

 理解してる。大丈夫。

 元から何とかなるなんて思ってないじゃない?

 本当に?

 私の中の私が話しかけてくる。

 ランプを手に微笑む基樹さんの顔がゆがむ。

 違う、少しだけ社長じゃない基樹さんを知った。だからもっと、知りたくなっていた。

 触りたくなっていた。それだけ。

 違う。何が違うの?

 私は基樹さんを好きになっている。

 もっと知りたい。知って欲しい。

 涙でぼやけた視界に大きな腕が見えて、気がついたら、後ろから抱きしめられていた。


「俺にしとけって、前に言った」

「………」

 耳元で響く声に、動けなくなった。


 和也に抱きしめられている、と理解するまでに数秒かかった。

 でもそれは違うと冷静になって、腕から抜けた。

「和也……?」

 おそるおそる振り向くと、そこにはいつもと違う、真顔のままの和也が居た。

「10年前から気持ちは変わってない」

「和也……」

「それは、知ってて」

 和也は、そのまま部屋に消えた。

 私は椅子に座り込んだまま動けなかった。

 月だけが私を笑う。

 ねえ、月。

 あなただけは私の味方なんじゃないの?

 月が綺麗。

 月が、とても綺麗。




 家の鍵を開けるのが怖いと思ったのは初めてだ。

 和也は先に帰っている。

 それに、和也の家の風呂は今故障中。

 間違いなく、今、私の家に和也は居る。


「俺にしとけって、前に言った」


 前って何年前? 私と和也が高校生だったのは、もう10年近く前だ。

 好き? 好きな人とこんな当たり前に一緒に生活できない。

 私、絶対に基樹さんと一緒に生活なんてできない。

 ドキドキして息も出来ない。

 こんな普通に10年も接するなんて、恋してたら無理でしょう?

 私は家の前の花壇に座り込んだ。

 パーティー用のドレスは生地が薄く、上着もなく、寒い。

 でも家に入る勇気が出なかった。

「仁奈子」

 横を向くと、和也がいた。

 スーツを手に、もう普段着に着替えていた。

「お前何やってんの? はやく着替えろよ」

 いつもの和也に拍子抜けした。

「え。和也はどこで着替えたの?」

「会社。速攻シャワー室行って着替えた。あんなスーツなんて苦しくてやってらんないわ」

「そっかあ……」

 一気にほっとして花壇から立ち上がった。

「寒い」

「早く風呂入れ、バカ」

 いつもの和也だ。嬉しい。安心して心の真ん中が暖かくなる。

「可愛いって言ってよ。どう? このドレス」

 嬉しくて照れくさくて、バカみたいなポーズをした。

「さっきさんざん見た」

 髪の毛をグシャグシャされて、背中を押された。

「じゃあな」

 和也は自分の家に消えた。

「おやすみ」

 私は心底安心して、部屋の鍵をあけて、玄関に座り込んだ。

 告白なんて、無かったことにしてほしい、お願いだから。

 和也は和也で居てくれないと、私は困る。

 そう願いながら、真っ赤な靴を脱いだ。

「いたた……」

 はき慣れない靴で、かかとに靴擦れが出来ていた。

 カトン。

 音がして振り向くと、ドアに付いているポストから靴擦れ用の絆創膏が落ちてきた。

「和也?」

「必要だろ。買っといた」

 ドアの向こうから声がする。

「何枚要る?」

「……2枚」

「あいよ」

 ドアポストからもう一枚落ちてきた。

「今度こそおやすみ」

 ドアの閉まる音が聞こえる。

「おやすみ」

 玄関に落ちた2枚の絆創膏を手にとって思う。

 どうして私は和也を好きになれないのだろう。

 好きだったら楽なのに。

 あんなに私のことを理解してくれる人は、居ないのに。

 それでもこの瞬間私が考えるのは、基樹さんと美織さんが、手を繋いで消えるシーンだった。


 帰り道、偶然見てしまった。

 同じ車に消える2人。

 2人とも微笑んでいた。

 暗闇で響く靴音と深紅の靴。

 同じ車で帰るんだ。

 帰るよね、婚約者だもん。

 痛い。

 胸も、心も、足も、全部痛い。




 模型室は落ち着く。

 この部屋は狭い。いや部屋自体は広いのだが、模型を作るのに必要なものが所狭しと置かれていて、そのせいで作業スペースは机1つ。後ろにも机が1つ。

 でもその机は物置で、基本的に模型室で作業する人の食事や飲み物置き場になる。

 うちのデザインリフォーム課は作業する人間が数十人いるが、この模型室を使うのは、どうやら私だけだ。

 他にも広い部屋はたくさんあるし、なによりこの部屋は暗い。半地下だ。なんとなくジメジメしてる。

 みんな素材を取りに来るだけで、別の場所で作業している。

 私はむしろ、この狭さと半地下ゆえに香る土の匂いが大好物だった。

 今日もさっきから雨が降り出したようで、春と雨と夕方がまざった匂いがしていた。

 半地下から見えるのは、会社の小さな中庭だ。

 さっきからそこから音が聞こえていた。

 好奇心から覗くと、そこには基樹さんがいた。

 両手に白い軍手をして、丁寧に雑草を抜いている。

 中庭の広さは四畳ほどで、小さいわりに季節の花が植えてあり、小さな椅子も置いてある。

 その中庭に出られる部屋は限られてるし、誰がみるわけでもないような場所にあるのに雑草はなく、誰が面倒みてるのだろうといつも思っていた。

 基樹さんだったんだ…。

 私はその姿を、こっそりと見た。

 スーツの上着を脱いでワイシャツ姿で、ネクタイをズボンに入れて、少しずつ丁寧に雑草を抜いていた。

 耳を澄ますと小さな声で歌っている。

 鼻歌?

 ガラスは完全に密封で声は少ししか聞こえない。

 何を歌ってるの? 

 基樹さんの歌に、歌声が聞きたいと思ったが、無理なようだった。

 ゆっくりと動く口元を見ていた。

 雑草を抜いた場所をたがやし、肥料を入れて、混ぜて。苗を持ってきて植えていく。

 小さな葉。

 水をやり、椅子に戻り、それを見ていた。

 小さな子供が遊ぶのをみているような眼差しで。

 スマホがなり、電話に出た。

 そして消えていく。

 いいなあ、すごくいいなあ。

 時期の花に詳しいとか、どうやって勉強したんだろう。

 私は庭関係は全く手を出してないから、花とか全然わからない。

 基樹さんは、何でも知ってるんだな…。

 ぼんやりと思って、外を見ていた。



「月島さん?」

 声に驚いて振り向いた。

「なにしてるの」

「基樹さん?!」

 さっきまで中庭にいたはずの基樹さんが模型室にきていた。

 実は中庭を見るためには、椅子に上がらないと見えない。

 私はアーロンチェアの上に靴を脱ぎ、登っていた。

「いえいえいえいえ、気分転換です」

 どんな気分転換だ? と思いながら、口から出てきた言葉はそれだった。

 急いで椅子に座る。

 基樹さんの顔をみると、耳まで真っ赤になっていた。

「どうしたんですか?!」

「あの……ひょっとして……ここから中庭が見える?」

「あ、あははは、は……すいません」

 基樹さんは耳まで赤いまま、後ろにある椅子に座り込んだ。

「……見てた?」

「はい……」

 言い逃れ出来ない。だって見てたし、椅子の上に立ってたのも、見られてた。

「聞いてた?」

「音はあんまり聞こえません」

「あんまり?」

「いえ、ほぼ全く」

 残念なことに、と心のなかで付け加えた。

「良かった」

 黒い髪の毛をクシャクシャとかきまわした。

 心臓がぎゅーっとなる。ああ、触りたい。触りたくてたまらない。

「あー……、実は新田建設の美織さんから、模型を見ながら聞きたいことがある、ということで、ここに来ました」

「あ、はい」

 美織さん、と発音する基樹さんに喉をえぐられるような苦しさを感じる。でも仕事だ。

「ちょうどここに模型があります」

 基樹さんは見ながら言った。

「かなり作り込みが進んでるね」

「はい」

「日時の調整は、宮田和也くんに聞いた方が良いのかな」

「私がよくても和也が居ないと、ちょっと色々無理なので」

「了解しました」

「たぶんこのランプの接続面の話だと思います」

「はい」

「取り外せるのか、単体で使えるのか、またどういった燃料を考えているのか」

「それはですね……」

 基樹さんの質問に答えながら、私の中の疑問をどうしても聞きたくなった。



「了解しました、では詳しいスケジュールを宮田くんに確認します」

 椅子を立とうとする基樹さんと一緒に立ち上がった。

「基樹さん」

「はい」

「……ランプのアイデアは、美織さんのために考えたものですか? 私が美織さんの家を作ってると知って、持ってきたんですか?」

「違います」

 基樹さんは真っ直ぐに私を見て言った。

「月島さんの途中まで作った模型を、ネット上のサーバーで見ました。僕が壊してしまったもの。なんて美しいんだろう、とても好きだと思った。そして反省した。何をしたんだ僕は、と」

 うちの会社は、作業を毎日写真にとって、ネット上にアップする。

 それはお互いの作業がどこまで進んでいるか確認するもので、私も壊れる前の模型をネットにアップしていた。

 基樹さんが見たのはそれだ。

「僕は昔、照明を勉強した時期があって、気がついたらあんなランプを作っていたんだ。ただ作っていた。作りたくて、それを月島さんに見て欲しいと思った」

「私に」

「はい」

 模型は私の全てだ。私が考えて、私の全てにアイデアが入っている。それをみて美しいと。好きだというのを聞いて、気持ちが口をつく。


「私、基樹さんが好きです」


 基樹さんは、顔色ひとつ変えずに私を見ている。

 私は自分で言った言葉に少し驚きながら、でも迷わず基樹さんを見た。

「基樹さんを、もっと知りたい。基樹さんを、好きになりはじめてます」

「……ごめん、僕には婚約者がいる。新田建設の美織さんだ。もう決まってる」

「知ってます」

「……」

「模型は、私の全てです。好きだと言ってもらえて、嬉しいです。それは美織さんがいても、いなくても、変わらない」

「ありがとう」

 基樹さんはふわりと微笑んだ。

 涙がでてくる。でも、今は泣けない。

 何度も瞬きをしてこらえる。そして必死に言った。

「これからも、模型室に来てくれますか? もっと、話がしたいです。あの、庭のお花のこととか!」

 ふられたからといって、もう二度と話せないのはゴメンだと思った。もっと話したい。もっと基樹さんのことを知りたい。

「もちろん」

 基樹さんは模型室を出て行った。

 私は椅子に座り込んだ。

 そうだ。何も変わらない。

 美織さんに勝てるわけがない。

 でも、私の模型はここにあるし、基樹さんのつくったランプもここにある。

 すべてはここにあるし、私は基樹さんのことを好きなのは、美織さんが居ても、何も変わらない。

 でも心の真ん中は苦しくて、釘を打ち込まれたように痛くて、椅子の上で膝を抱え込んで泣いた。

「……基樹はイヤなやつだぜ」

 涙をふいている私の後ろに和也が立っていた。

「なんでこのタイミングで俺を模型室に呼ぶんだ」

「ごめん」

 私は何度も涙をふいた。でも涙はとまらなくて、仕方なくて部屋に置いてある基樹さんから貰った毛布をかぶった。

 我慢できなくなって、大声で泣いた。

 毛布の上から頭を撫でる感触があり、和也の声がする。

「打ち合わせの日付決まったら、知らせる」

 毛布にくるまったまま、何度もうなずいた。

 ふられたって、基樹さんに会えるじゃないか。

 もうそれでいいじゃないか。

「なんで泣けちゃうのかな。婚約者がいるなんて、知ってたのに」

「お前はいつも泣いてるだろ」

「そうかな」

「たまに泣くこと目当てで映画みたり、小説読んだりしてるだろ」

「そうかも……」

 無性に泣きたいときがあって、わざと泣ける作品を取り出して見たりしてるかも……。

「ただ、泣きたいんだろ」

「ん」

 和也は、机に腰掛けたまま、何も言わず、ただそこにいた。

 私が泣き止むと、静かに席を外した。

 毛布から顔を出すと、そこには私が好きな缶コーヒーが置いてあった。

 ありがとう、和也……。

 告白で終わったんじゃない。

 ここから全てが始まるんだ。



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