痛覚
父親である渡島塔吾を救出するために、日野内飛鳥と音無晴菜がこの体育館の隅まで忍び寄っていたのである。俺が無闇に殴られていたのが、報われたというものだ。だが、助けるまでに至らなかったのが、ちょっと危険かもしれない。
「これだから私の娘は、愛情を持って成長してくれるのは嬉しいけど……余計な真似をするんじゃないよ。常日頃から悪い人間には気をつけろと言っておいたのに……。っつ、父親だから……悪い人……じゃないと判断したのか」
俺が思うに、あなたの娘さんの怪しい人物に対しての警戒心は、常人のそれとは比べ物にならないと思うが、そんな事は今はどうでもいい。もう少し発見が遅れたら危なかっただろうな。リーダー自身も自分の理論が狂っている事に気がついてきたみたいだ。悪霊としての発想に正当性が追いついていない。
「なぁ、もうそろそろ諦めませんか? もう終わったんです、全てが。もうこれ以上に火花を散らす必要はないんです。帰りましょう、皆で、家に。痛みなら分かち合いましょう」
確かに今回の理事長の判断は結果的に見ても、家族愛的に見ても大外れだったであろう。そこに弁解の余地など残ってない。しかし、それでもリーダーが被害者から加害者になってはいけない。傷ついた事は、傷つけていい理由にはならない。
神様は人間に『痛覚』という物を人間に譲渡した、それは別に人間に嫌な意味で苦しみを味あわせる事ではなく、人間を守る為に人間にそんな機能を備えたのだ。いわば人間が必要以上にダメージを受けないために、人間は本来的に攻撃から身を守るため、もしくはダメージを悪化させないために治癒活動を促す為のものだ。
だから神様は人間の『からだ』と『こころ』に痛覚を植え付けたのだ。人間がこれ以上苦しまなくていいように、心を痛めたお陰で潰れてしまわないように。心があるから怨念を抱くんじゃない、痛みがあるから怨念が生まれるんじゃない。きっと人間はそんな機能がなくても、立派に悪霊になれる。レベル2までの悪霊がそうだったのだから。人が人を殺すのに感情など無いのだ。
だから心の苦しみは自分への危険信号だ。怒るから相手を避難し自分を守ろうとする。罵詈雑言を言われて悲しいから、誰かに愚痴を言う。傍に誰もいない時に寂しいと感じるのは、人間は群れで生きていく生物という本能だ。
だから心の痛みを全面的に外に吐き出さなきゃいけない。塞ぎ込んで、抱え込んで、背負いきったらいけないんだ。痛みの本来の用途を発揮することができない。もしくは過剰防衛になる。だから……人は助け合うんだ。
「だからもう落ち着きましょう。愚痴も聞きます、鬱憤も晴らしてどうぞ。だから殺人だけは止めましょう」
飛鳥が遂に倒れていた渡島塔吾を起こした、音無晴菜が傷口に回復を始めた。あんまり得意じゃないって言っていたような。それでも必死に頑張っているのだろう。
「よし、その男をこっちに連れて来てくれよ」
「お兄さん、もうお母さんは大丈夫ですか? あんまりまだお父さんを許しているように見えないのですが? 近づけて大丈夫ですか?」
大丈夫じゃねーよ、分かっているよ。でも、このまま俺とのお喋りでこの悪霊を倒せるはずがないだろう。ここまで絶望な思いをした彼女を救うには、話の本質を叩き切るしかないんだ。
「大丈夫だ、俺が盾になる。魂が揺れている、今が寧ろチャンスだ」
チャンス? 自分で言って悲しくなってくる。壁になるなら俺には数多の暴力が襲うのだろう。また拷問の始まりだ、だれかを助けるのには、誰かの痛みを肩代わりするには……こうなる。
「よし、とっととそのオッサンを連れてこい。リーダーを救う準備が整った」




