迎撃
狂気が走った、眼鏡の女から発する異常な感じは、この場の空気を悍ましいく捻じ曲げた。確かにあの女は仲間のピンチに割って入って、助けてやろうとか、そんな常人的な頭のつくりはしていない。だが、狂気を伝染させて仲間を混乱させ、不可能を可能にする力がある。
「ぐっつ、う、う、う、うがぁぁぁぁぁあぁ」
まさか徐々にではあるが、あの怪力女め。奴の忠告を呑む気か。正気じゃないぞ、飛鳥の総勢十二体の一反木綿の絞め上げを力を抜いて、体の骨を折らせて、するり抜けるなんて。
「正気ですか、やめなさい。あなたは膨大な妖力を持つ妖怪と契約しているわけではありません。体の修復だって満足に成功する保証なんてないんです。そもそも人間が全身の骨を折る痛みに耐えられるはずがないじゃないですか。止めなさい!!」
その通りだ、結果から言うといくら回復能力があるとはいえ、人間が痛みに耐えられるかどうかは、別の問題なのだ。特に脊髄などは致命的であり、頭蓋骨だろうが強く打ち付ければ人間は死ぬ。漫画じゃあるまいし、軟体動物じゃない人間はそんなに打たれ強い生物じゃないのだ。
「えっと、日野内飛鳥さんでしたっけ? 攻撃を続けていいんですか? その人死んじゃいますよ?」
こいつは馬鹿じゃない、あんな作戦が通らないことは分かっている。ただ、今のあの怪力女は信じるかもしれない。つまり奴の狙いは、彼女の脱出じゃない。きっと飛鳥の精神的動揺を狙っているのだ。自分が割って入って奴を助けるよりも、よっぽど効果があると思っているのだろう。
それか、精神がサイコであるか、とかだ。人が痛がる姿を見るのが好きとか、本当に人の内蔵が出ているシーンとか、骨が在らぬ方向に折れるのを見るのが好きとか。
「ほらほら、死んじゃいますよ~」
「そんな事に動揺する私じゃありません。私は行弓くんと違って優しさや人情は持ち合わせてません。彼女を脱出させるためにしている事でしょうが、無駄です」
でも飛鳥の判断が鈍っているようには感じる、だって彼女は機関の模擬戦で殺さないように闘う事をしていたのだ、悪霊以外には手加減をして戦った場合の方が多いのだろう。殺していい状況なのか、分からなくなっている。
「ふっふっふ、動揺していますね。ですが、このままお喋りを長く続けても仕方がありません。私が決着を付けさせてあげますよ」
あいつは宝記菖蒲の方を見た、まさか仲間を見捨てるどころか、切り捨てる気か。まさか……、そんな馬鹿な。
「鬼神スキル『蓮柱』」
蓮柱、元俺の体の得意戦術である。御札を固めて剣にする技術で、即席で素早くつくれて、少ない妖力で作成できるのが強みだ。反面、極めて脆弱だ。攻撃力も防御力も薄く、すぐに駄目になる。
「さて、じゃあ役立たずは死んで貰いましょうか。首を狙って投げましょう」
まて、女の腕でそんなサイズの剣を投げて首にヒットするはずがないだろう……、いや一般常識に囚われちゃいけない。相手は陰陽師だ、まだ式神も見せていないのに、相手が出来ない事なんて何も決めつけられないだろう。
「動かないでください。あなたを攻撃しますよ」
「大丈夫ですよ、私が狙うのはそこの役立たずですから。それじゃあいきますね。しっかり拘束しておいてください」
駄目だ、あいつは本当に投げる気だ。女の子の上投げで真面な飛距離を稼げるはずがないのに。まるで槍を投げる感覚で奴の首を跳ねる気だ。ここで飛鳥の方が奴の脅威についていけなくなった。これが高度な心理戦だった事によくやく気が付く。奴は助けに入るよりも、よっぽど確実な行動で、奴を回収したのだ。
「飛鳥、駄目だ!! 拘束を緩めたら!! 蓮柱は警戒しなくていい。首になんざ当たらねぇ!! そもそも奴の鎧なら関節部に当たらない限り問題がない。心配しなくていいんだ!!」
助言を言うタイミングが完全に遅かった、俺が喋り始める瞬間と同時に奴は剣を投げたのだ。それに反応して動揺した飛鳥が拘束していた一反木綿を迎撃に使ってしまった。想像通りの結果になった、持ち上げられた宝記菖蒲の足にすら届かないくらいの高さしかない、飛鳥に届くなんて論外だ。何の能力も掛かっていない、警戒するに値しないブラフだ。
でも飛鳥は動いてしまった。五体もの一反木綿を迎撃に回してしまったのである。お陰で宝記の方の拘束が甘くなる。ただでさえ集中に欠けていた飛鳥がここでまたパワーダウン……。これを奴が見逃すはずがなかった。
「おい、この二人が片付いたら貴様を殺すからなぁ!!」
宝記菖蒲が一反木綿の拘束を破り、脱出した。