出発
厄災を弾くという能力は、後出しジャンケンに確実に勝利できるという能力である。『あいこ』はともかく、『負け』は無い。だって負けは察知できるから。心理戦においても奴に敗北はない、だって事前に確実に勝利できる事が約束されているんだから。
これが絶対回避信号というチートじみた能力の強みだ、単純に攻撃を躱せるという意味だけではない、痛みを負わずに済むという『確定した安全』を持って行動が取れるという意味なんだ。
「私の生前の死因は交通事故でねぇ。こんな悪霊の最終形態になるまでは、殺された場所で地縛霊なんかしていたんです。勿論、誰かを襲うなんて真似はしていません。ただ殺された場所から一歩も動けなくなって、退屈で仕方がなくて」
奴は発言をしながら俺を両腕で絡みつけると、そのまま後方に下がった。人質として確保するために抱いているのか、それともこいつの言っていた恋愛感情だろうか。
「そんな時にですよ、私に恋人が出来た。その女性は高校生くらいの若い女性で、特殊な体質の人だった。最初は私に近づいてきて『成仏しろ』だの、『迷惑をかけるな』だの言ってきて。初めは面倒だなと思っていましたが、反射鏡を通して彼女と会話する時間だけが、私の唯一の楽しみになっていた。いつしか私は、ずっと彼女の傍にいたくなった」
こいつは何なんだよ、急に自分の過去なんぞ喋りやがって、気持ちが悪い。だが、これで奴の能力の攻略に繋がるかもしれない。俺のように微弱の才能しかない人間が陰陽師になる場合もあれば、一般の陰陽師など知りもしないで生きている方々にも、悪霊や妖怪を透視する才能を持った人間がいるのだ。陰陽師は地縛霊に対し、説得なんぞしない。きっと一般の方だったのだろう。
「でも私は彼女に『取り憑く』事ができなかった。私は臆病だったから、彼女が私の事を嫌いになってしまうのではないか、そう思ったから。彼女の嫌がる事をしたくなかったから。でも……彼女は、私なんかとは比べ物にならないくらいの悪霊に取り憑かれた」
……直感的に分かった、柵野栄助の事だ。やっぱりこの姿は奴が俺の前に憑依した人間だったのだ。女子高校生だという情報から一致する、着物を着ている理由はわからないが。
「私は彼女に会いたかった、なのにあなた方が彼女を封印してしまった。彼女を殺して柵野栄助を捕獲した。恐らく彼女の意識はその時に死んでしまったのだろう」
それで俺たちが許せないってか、俺を捕獲してソイツの変わりにでもしようってか。こいつの言っている事は無茶苦茶だ。被害者を追い回すストーカーの心理だよ、いや容姿だけが同じ人間を追っている辺り、もっと気持ち悪い。精神異常者の心理状態だよ。
……待てよ、落ち着いて考えるんだ、俺。本当にその噂の女子高校生は、体が死んだ瞬間に死んだのか? 相良十次の『畳返』の空間に閉じ込められて、俺は初めて柵野栄助に出会った。だが、あの時の女性は……もしかしたら……。
「おい、行弓くんを返せ!! 貴様は人質にするつもりか!!」
「馬鹿な事を言わないで下さいよ。私の恋人を人質なんてするわけないでしょうが。安心して下さい、柵野栄助に献上したりしませんから、これから愛の逃避行ですよ。邪魔しないで下さい」
じゃあなんで奴はすぐに出発しない、奴は何をしようとしている。未練がましく俺に何を訴えている。俺にここで何をさせようとしている。
考えろ、思考を止めるな。何か一つの結論ができそうなのだ。俺が二回目に意識を乗っ取られて、柵野栄助に元の体を明け渡した時に違和感を感じた。どうしても一回目に会った柵野栄助と同一人物とは思えなかったのである。
まさか、最初に出会った時の柵野栄助は……噂のあの人だったのか。だから脱出方法を素直に教えてくれたのか。本当に俺の体を乗っ取る事が目的なら、試合など無視して俺をあの空間に閉じ込めたまま、混乱を招いてリーダーだの理事長だのを呼び起こせばよかったのだ。だが、あの人は俺に対して好意的だった。
じゃあ‥…まさか……俺がこの体に入ってしまった事によって……消えてしまった。じゃあ面来染部は二度とあの人には会えない。彼女をこの世から消したのは、最後のトドメを刺したのは……俺か?