犬歯
久留間点滅の変わり果てた姿は、もう原型を留めていない。体長は二メートル以上はある、妖力で空中に浮遊したまま降りてこない。目は鮮血の赤に染まり、肌は少し濁りのある黒色で、鱗や鰭などもあって本当に海の中にいそうな感じだ。口が二つ並んでいて、相変わらず両方とも歯並びは悪い、犬歯とかもう唇からはみ出ている。まがまがしい波長が肌に伝わってくる、これも奴の能力だろうか。
「この姿になったらそう簡単に元には戻れないんだ。ある意味ではこれはただの暴走状態だからね。折角に人間に化けて楽しんでいたのに、あの人間は気に入っていたんだぞ。許せない、俺はお前達を絶対に許さない。でも栄助様の言いつけは絶対だから、君は許してあげる。でも……そこの青髪。お前は死刑だ」
何かくる……モーションをした事に気が付き、その事を五百機さんに確認しようとする前に、俺の傍から既にあの人は消えていた。退避したのではない、後方に吹き飛ばされていたのである。慌てて背後を振り向くと、現実化した空間においてコンビニに叩き付けられていた。しかも奴は吹き出し続けている、まるで壁に練り込んでいるかのようだ。壁との間で圧死させる気か。
助けに行かなくては…………俺に何ができる? だって今の俺はあまりに無力だ。式神はない、陰陽師の妖力もない、この体の仕組みを理解できるわけでもない。腕力や脚力は前の人格以下だ、そもそも宙に浮けない以上は奴に攻撃を与えられない。駄目だ、あまりに俺の出来る手段は無さすぎる。
「待ってくれ、攻撃を止めろ。お前の目的は俺を回収する事だろう。これ以上はその人に攻撃をするな。それ以上に攻撃を続けるなら、舌を噛んで自殺する!!」
「うぇ~? 何を言っているの? 止めてよ、そういう責任の被り合いみたいな。まるでこの女が君の仲間みたいじゃないか。いいかな? 君はもう人間じゃないの、悪霊なの。人間を殺すのが悪霊の使命、悪霊を殺すのが陰陽師の使命だ。確かに君を擁護しようとする人間もいるのだろう。だが、この世界中で何人かい? 五人? 六人? その何倍の人間が君に『死んで欲しい』と思っているだろうね」
そりゃあ、俺が死ねば柵野栄助は死ぬのだから、この事実を正確に理解した場合に俺に死んで欲しいと思う人の方が多いだろう。だからって俺が死んでいいという話にはならない……はずだ。
「あのねぇ? 君は今さっきに舌を噛んで自殺するなんて事を言ったけどさ。君はじゃあ何で生きているの? 死にたきゃ死ねばいいじゃん、おかしいだろう。何だい、自殺する準備をこっちが作ってあげないと自殺もできないの?」
……それは、俺が本当に人間の味方と言い張るなら、自殺しろよって言いたいのか。
「他の人間にとって『君を守る』という決断は、君が『自殺する』という判断と同じくらいのレベルの難しさだと思うよ。だって我々はこれからも次々に人を襲い続ける、もしかしたら自分の大切な人が明日にも殺されているかもしれない。誰だって家族が大事だ、生活が大事だ、自分が大事だ。君だってそうだろう、君だって『自分が大切』だから生きているんだろう」
それは……俺がお前を殺すから……俺には無理でもリーダーが倒すから……確証はない。柵野栄助の強さは桁外れだ、俺が打算できるような生物じゃない。俺が死ぬ事の方が遥かにノーリスクで、効率的で、犠牲者が少なく済むだろう。なのに俺は可能性が低い方に望みをかけて、確証の無い自分自身以外の誰かに責任を押し付けている。柵野栄助を復活させたのは、他の誰でもない俺なのに。
「だからね、僕は君に『もっと自分を大切にしろ』って言いたいの。僕は君に生きていて欲しいと思うよ。面来染部さんだって、勿論柵野栄助様もだよぅ。だからね、僕の仲間になってちょ」