断念
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悪霊は渡島さんを殺そうとはしなかった、渡島さんの求婚発言を単純に信じたとは思えないが、思想が惑わされたのは間違いない。何を言うこともなく、何をする訳でもなく、ただ心底驚いたような顔をしていた。
破壊された建物の跡地の中心部分に向かうと、瓦礫を軽々と持ち上げて何枚か放り捨てて、穴のような空間を作ると、その中に冬眠するかのように消えて行った。まるで先ほどの瓦礫からの登場シーンを逆再生するかのように。
「いやぁ、一時退散してくれて良かったですね。正面から戦ったって勝てる相手じゃないですよ。いくら発散したからといって、まだ完全にストックが無くなった訳じゃないはずだから。まあでも供給源が無くなれば、限度以上の妖力は自然に体の外に垂れ流すことになる。時間を掛ければ、掛けるだけこっちが有利ですからね。……晴香さん?」
「あの子をどうするつもりですか」
あの子は渡島さんを殺そうとした、そんな悪霊をこの男はどう思っているのだろうか。
「はい、俺が二人で一緒に暮らします。あの子を育てますよ」
…………、はあ?
「あのう、あの子悪霊ですよ。消滅させる予定じゃなかったのですか?」
この有り様が目に見えてないのだろうか、この跡形も無く破壊された私達の事務所の馴れの果てが。これから奴が悪霊として、関係のない一般人を無差別に襲わないという保証はどこにもない、食べたとかいっていた機関の同士達の無事も、まだ確認されていないのだ。
「そうですね、これは俺の勝手な推察ですけども、奴は三次元物質でもない訳ですよね。だったら破壊が出来るなら、再生も出来るんじゃないかなって。食べたって言っていた連中も吐き出して貰えばいいし。あとはまあ、真っ当な子供に育てていけばいいんじゃないかなって」
そんな訳がないだろ!!
自分が殺されかけたのを、もう忘れてしまったのだろうか。三歩、歩けば記憶が無くなる鶏か、お前は!!
冗談じゃない、本当に馬鹿なんじゃないだろうか。人を襲う悪霊を育てるなんて、それが陰陽師が言う台詞か!!
百歩譲ってあの子が建物を完全に元に戻し、閉じ込めた機関の陰陽師の全員を無事に解放したとしても、それでもう人間を襲わないって決まる訳じゃないだろう。
それともまさか、もう絶対に倒せないと踏んで、撃退を断念して事実上何の平和の保証もない、封印みたいな意味で提案しているのだろうか。だとしたら腰抜けにもほどがある、我々陰陽師が至る発想ではない。
「どうしてあの子を倒さないんですか? 放っておけば弱体化するのでしょう。それを狙って倒してしまえば」
「無理ですよ、俺にはあいつは殺せないし、晴香さんにもあいつは倒せない。あいつは俺の子供だから、俺は父親としてあいつを守らなきゃいけないんです」