名前
……騙されては駄目だ、こいつは悪霊であり、私の子供ではない。
こういう怪しい言葉を言って私を不安にさせたいだけなのだ。第三世代型は憑りついた相手の心が見える。きっと私が何に不安を持っていて、何を思って安心しているかなんて手に取るように分かるはずだ。私は渡島さんの言葉を信じて、この悪霊のことを『この世に存在しない何か』だと思っていた。だから『私の子供は存在しないから擬態出来た』と解釈することにしていた。
この悪霊はそれを真正面から打ち砕きにきただけなのだ。
「お母さん、私のお願いを覚えていらっしゃいますか?」
「……一緒に生活する、ですか?」
「それは当たり前です。私が言いたいのは、名前が欲しいということです。私も振払追継である以上は家族内で呼び合う名前が欲しいのです。音無の名を持ちたいのです」
音無……。音無を語りたいか……。私がこの名字を使用する時は、本部への提出文書を送る時と、母親と呼び合う為だけである。
「そんな使いもしない代物を得て、何に利用する気ですか?」
「利用? 違います、誇りです。そこに名前があるというだけで、自分という存在が固有名詞になるだけで、私は幸せになってしまうのです。子供というのは親が思っているよりも自分の名前という物に誇りを持っています。名字ではなく、名前にです。だって名前という物は両親から与えて貰う最速にして、最大の愛の形なのですから」
……だからお前を愛してないって……。
……私はあなたを産んでない。概念的に誕生してないという話が本当なら、私はあなたをどうやって産んだというのだ……。
もうこれ以上の質問は私の精神が耐えられなかった。私は受け入れられない、受け入れてはならない。なのにどうして、私の頭はこの子を『娘じゃない』と断定しないのだろうか。
すると、さっきまで机の上で泣いていた渡島さんが顔を上げた。
「……ねぇ、そこの追継さん似の幼女。本当に君が晴香さんの娘さんだというのなら、お兄さんに君のお父さんを紹介してくれないだろうか?」
……そうか、父親だ!! 私がこの子の母親ならば、父親も存在するに決まっている。どうして今まで気付かなかったのだろう。
「……いない、そんな人いない。分からない」
……いない……よね。ここで見知らぬ誰かの名前を言われたら、本当に焦るところだった。やはり私はこの子の母親ではない。概念的に心から生み出した、悪霊だという結論だ。
「……ちゃんと聞いて。知らないんじゃないの。分からないってさっき言ったけど……それも微妙。正確には”いない”の。父親なんて奴は。だって私は……お母さんの子供だから。お母さんの希望だから、……希望でしかないから」




