遺伝
「お母さん、こんなゴキブリはスプレーで抹殺して、一緒にディナーを楽しもうよ。おい、何を見ているんだよ、ゴキブリ。排水溝に帰れ」
……取り敢えず、冷静な分析をさせて貰うとピンチだ。この場には陰陽師などとは全く関係のない一般人が大勢いる。そんな中で戦闘になったら、安全に戦うことが出来ない。せめて結界に包み込めれば……でも私はさほど結界術は得意じゃない。渡島さんの方はどうだろうか。
「渡島さん……、あのぅ。何でだらだらと涙を流して私の服の袖を掴んでいるんですか。いい歳なんだから止めて下さいよ」
「……俺の初恋がぁ~、幸せな人生がぁ~。勝ち組リア充ロードがぁぁぁぁ~」
何を言っているのだ、この変態は。目の前に悪霊がいるのだぞ。いい加減に涙と鼻水を拭いて、真面目モードに切り替わって貰わないと。
「落ち着いて下さい、渡島さん。違います、この子は私の娘じゃないです」
「ちくしょう、まさか娘さんがいたなんて。既婚者にアタックを掛けていたなんて。俺は人類の中で一番醜い存在だぁぁぁぁ。うぅぅぅっぅ」
「悪霊です、悪霊鑑定のプロなんですよね。悪霊ですよ、意識を戻して下さい。あなたの師匠の命を奪った悪霊と同じタイプが目の前にいるんですよ」
駄目だ、反応が無い。机の上に腕で枕を作り、その上に顔を隠してしまった。
「マスター、ラーメンを一つ」
おい、悪霊。何を勝手に注文しているんだ。完全に見下した目で渡島さんを眺める娘。さぞや楽しそうだ。 誰を襲おうとすることもなく、誰に迷惑を掛けることもなく、大人しいものだ。というか、悪霊って食事を取るの?
「かしこまりました、お客様」
だから店長、何気に嬉しそうな顔をしてラーメンを持ってくるな!!
代金は私が払うことになるのだろうか? 別に一食分くらいはどうでもいいのだが、これから私はこの子とどう接していけばいいのだ。陰陽師としてなら、この子を即刻排除が妥当なのだが、この悪霊を倒すには私が死ぬか、私が心を乗り越えるかのどちらかしかない。
「お母さん、そんな男は捨てておいて、私とお喋りしましょう。この前のハイキングみたいに」
「……あなたは悪霊です。私の子供ではないのです。きっとあなたは私の心の弱さの中から生まれてきたので、私を親だと思ってくれているのでしょうが、私はあなたを娘だと思えません」
「違います、お母さん。私はお母さんから生まれました。しかし、そんな弱い心なんて名称しがたい概念的な物から私は生まれてません。ちゃんとお母さんのお腹の中からしっかり生まれてきました」
……なんだと、随分と話が違うじゃないか。
私はてっきり概念的な意味での母親だと思っていた、私の能力が使えるのは遺伝ではなく、心からトレースしたからだと思っていた。違うのか?
「お母さん、私は確かに悪霊です。でも……『この世に存在しない何か』ではないのですよ。どうしてあなたの娘がいないと言い切れるんですか? いるんですよ、確かにこの世界にあなたの娘という存在が」