法則
「お母さん、お母さん。私はあなたの娘です。だから、お母さんは私を愛してくれなきゃいけないのです」
悪霊にしてはべらべら喋るなあと感じていたが、言っていることその物は、かなり無茶苦茶だ。何が愛してくれなきゃいけないだ、今どきの子供を演じたいなら、『ほっといてくれ』という態度を取れ。
「だから、お母さん。これから一緒に私と暮らして下さい。そして私と一緒に生活して下さい。私とあなたは家族なのだから」
これは私が陰陽師だということを分かっていて、言っているのだろうか。もし、私が何者かなどということを度外視して接近しているとしたら、たいした度胸だ。
「…………あなたのお名前は? もし本当に私の娘なら私があなたに名前を付けているはずです。あなたの名前は何ですか」
「決まっているじゃないですか、私はあなたと名前は同じ。そして私の祖母であり、お母さんのお母さんの名前と同じ。皆揃って、振払追継に決まっているではないですか。私の名前は振払追継です」
だろうな、そう返答すると思っていたよ。今の発言で二点、分かったことがある。一つは、この悪霊は私が私の母と入れ替わっていることに気付いていないのではないか、という疑問である。結論から言って、答えは『気付いている』のだ。この悪霊は、私を私個人としての存在として認識している。今の私のような立場になって、私の母に『お母さん』と語りかけているのではない。音無晴江ではなく、音無晴香を母親だと思っている。
そして、もう一つ。
「お前はやはり、私の子供じゃない」
胸のポケットに隠し持っていたお札から、妖刀『下切雀』を取り出した。我が家に受け継がれる特殊な双で剣あり、私の血筋の人間に対してのみ最大限の力を発揮する。
「あなたが本当に私の娘だと言うのなら、家族同士の間でお互いのことを『ふりはらいおいつぎ』なんて呼び合わないんですよ。あなたは私の本名を知らない、そしてあなたに名前など無い。これがあなたが私の娘ではないという、決定的な証拠です!!」
私は次の瞬間、この私に良く似た悪霊に襲い掛かった。容赦なく、全力で。
『下切雀』の能力は、両方の剣の相互付与の掛け合いである。例えば、右の剣をこの世のどの剣よりも切れ味の高い剣する。そしたら、左の剣はこの世で最も切れ味が悪い剣になる。お互いがお互いの尻拭いをし合うことで、片方にのみ絶大的な効果を出せる。という法則である。
勿論、デメリットは存在する。まずこの二本を右手と左手の両方に、何かしらのかたちで掴んでいなくてはならない。一本でも手放せば、効果は全て無効になる。そして、一つの法則を完成させるだけでかなりの妖力を持っていかれる。だというのに、複数の法則を成立させることは出来ない。別の効果を発動したら、先に発動していた能力は右も左も消えてしまう。
何よりも悪霊は一回か二回、切られたくらいじゃビクともしない。
だが、だがそれ以前に切ることすら出来なかった、避けられた訳でもない。この世で最も切れ味が高い剣である下切雀の右方が、悪霊がいつの間にか持っていた剣により、正面から防がれたのである。
「そんな馬鹿な、下切雀を防ぐなんて。……まさか」
「えぇ、お母さん。そのまさかです。私はお母さんの娘ですから、同じ下切雀を持っているに決まっているじゃないですか」
待て待て、おかしいだろう。絶対にあってはならないことだ。
下切雀は私の血族じゃなければ、持つことすら出来ない代物だ。そして今の私の切れ味と全く同じ鋭力を備えているとしたら、もし本当に下切雀だとしたら……どこから妖力を調達したというのだ。確かに悪霊は妖力を持つ生き物だが、陰陽師や妖怪とは全く種類が別の物なのだ。そんな妖力に下切雀が反応する訳がないだろう。
「お母さん、私はお母さんの娘として、一つだけお願いがあるのです。どうか可愛い娘の為にひと肌脱いで下さいませんか?」
「……っ」
「心苦しい顔をしないで、私はお母さんを攻撃したりなんかしないよ。どうか私のお願いを聞いて下さい。私に娘として名前を付けて欲しいのです。お母さんの音無晴香という名前のような。音無に続く名前の部分を」
ついに……ついに……。この悪霊は、渡島さんと私の母しか知らないはずの、本名まで口にしやがった。




