脱走
様子がおかしい、と五百機さんがそう表現したが……そもそも奴は一体、どこの妖怪で、何をする為に鶴見のクッキーを奪ったのか。俺は、親しくない妖怪に対しての対処法を知らない。俺の機関の妖怪達は上司に奴隷のように動かされている間に、いつの間にか仲良くなっていた。だが、今の俺はそんな環境にいない。海坊主に対峙した時にも似たような思いをしたが、初対面の妖怪を前に『直ぐにお友達になれる』などという都合の良い会話能力は、俺には備わっていないのだ。同調できない以上は、相手の気持ちも分からない。
相手を理解するには時間が掛かり、相手と理解し合うにはまた更なる時間がかかる。
「ちょっと、リーダー呼んでくる。事情を知っているかもしれない」
そう言うと、五百機さんが部屋からいなくなった。
さて、机の下から一向に出てこないカワウソさん。このまま食料を奪われるくらいなら、どうだっていいのだが、もし奴が何か目的があってこの場に現れているのだとしたら、このまま奴を放置することは出来ない。
「よし、行弓君が出陣だ」
ダモンが俺の肩を押した。やりやがったよ、こいつ。
どうせ俺が適任だとか勝手に思っているのだろう、非常に迷惑な勘違いだ。海坊主の時に成功したのは、目的が勧誘であったからであって、今回の目的は会話のそのものなのだから。
だが、この場に残るメンバーはダモンと鶴見、そして俺。
……ダモンはどれくらい妖怪に対し会話が出来るのか分からない、いきなり俺に投げるあたり自信がないのかもしれない。鶴見も牡丹燈篭の脱却の一件からそれほど上手とは思えない。リーダーや五百機さんはこういうの得意な気がするが、あの二人のことだ、確実に俺に任せるに決まっている。
仕方ない……、俺が行くか。
俺は腰を落とし、顔を机の下に向けた。まずは同じ目線に立たなくては。
「えっと……俺は橇引行弓。史上最弱の陰陽師だ……って、あれ?」
怯えている、体を震わせ、涙目で俺を見ている。
俺に対する恐怖心なのだろうか、ちょっと初めての経験だな。
「おいおい、怖がるなよ。お前と話がしたいだけなんだ。お前が思っているほど、俺は怖くないぜ」
「……強くないの?」
その初めて発したカワウソの声は掠れていた。
強くないの? うーん、はっきり言うなら俺は弱いかな。
最近、妖力吸収の新たなる戦術や、捕獲不能レベルの妖怪である烏天狗の復帰により、ちょっとはマシになったと自負しているが。
「……俺、………逃げてきたんだ、機関から」
また怯えた声で喋った。何にせよ、事情を語ってくれるのはありがたい。
だが、機関から逃げてきたというのは、どういうことだろうか?