その2
学校は酷い騒ぎになっていた。テレビクルーがリアルタイムに放送していたせいもあるのだろうけど、この朝早くからこれでもかというほどの野次馬が学校の周りに集まっている。
それでもさすがに無断で敷地内へ入ってくる度胸――というよりは分別のない人はいないようだったが、普通に登校したいだけの一般生徒たちにとっては恐ろしく邪魔である。かく言う僕もどうにかこうにか人ごみを抜けてようやく学校の中へ入ったばかりだ。
「にふっ」
僕の後ろから抜けて来たクロが溜息をつくように息を吐いている。彼女の出で立ちは少々特殊なため、集まった野次馬が口々にクロの事を話しているのがいやでも聞こえて来た。
真っ黒なネコミミ帽子。漆黒のブラウス。これまた真っ黒なミニのプリーツスカート。そこに取り付けられて揺れている黒猫の尻尾。足は黒のオーバーニーソックスに覆われ、靴だけは何故か荒神高校指定の黒いローファーをはいていた。
そんな黒一色の中、首に巻かれたチョーカーに取り付けられた銀鈴が、チリリと軽やかな音と共に朝の白い光を反射している。
まあ、正直僕もこんな子が町中を歩いていたら絶対に凝視してしまうだろう。それくらい異質で、何より彼女の黒は映えるのだ。
近くの商店街の人はもうずいぶんと慣れてくれたが、さすがに自転車で三十分以上かかる学校近辺まで来るとそうも行かない。まあ、今更な事だけれど。
「ほら、行くよクロ」
「に~」
妙な視線を向けてくる野次馬を無視して、僕はクロを連れて一直線に件の現場へ向かった。普通はそんなところへ行っても先生なり警察なりに追い返されるだけなのだろうが、僕にはちょっとした伝手がある。それは――
「あら? やっぱり来ましたのね。待っていましたわ」
ブルーシートに覆われた西校舎の現場。数人の先生と警察関係者に混じって佇んでいた荒神高校指定の制服を着た女子生徒が、僕の姿を見るなり口元に笑みを作った。
「お早うございます静先輩」
「に。シズカ」
僕の挨拶に続けてぴっと手を上げたクロは、そのまま相手に飛びついていた。
「あらあら。今日はクロちゃんも来ましたのね」
それを難なく受け止めてクロの頭を撫でているこの人は、三年の朝霧静先輩だ。
背中まで伸ばされた黒絹のような艶を放つ髪がとても綺麗だが、前髪が少々長く伸び過ぎて先輩の目元を隠してしまっているため、僕としては少々野暮ったい印象を受ける。
が、首から下のプロポーションは反則級といっていい。正確な数値は知らないが、細身でありながら少なくともD以上と噂される豊満な胸に加えて細い腰に安産型のお尻と、宗也に言わせれば男子生徒の夢が具現化されたような存在という事だ。
さてそんな先輩がなぜ警察に混じってこんなところにいるのかといえば――
「あ、こらそこの君! ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
背後から聞こえて来た声に、僕はくるりと振り返った。するとそこには見知った若い刑事さんがいて、僕を見るなり明らかに「げっ」という顔になった。
「お早うございます朝川さん。朝早くから大変ですね」
「あー……うん、お早うシロ君。で、君がいるって事は――」
「に」
いつの間に隣へ来ていたのか、クロが刑事さん――本名朝川勇樹さんに手を上げて挨拶をしていた。普通の人が見ればその愛くるしさに顔が緩むのだが、朝川さんは手で顔を覆って天を仰いでいる。
僕はその理由を知っているので特に何も突っ込まない。とりあえず挨拶は済ませたので、それよりも重要な事を静先輩に聞く必要があった。
「静先輩。現場ってどうなってるんですか?」
「残念だけれど死体はもう運び出してしまいましたわ。資料の写真はあるのだけれど、見たい?」
「ええまあ。クロは確実に」
「しゃっしん。しゃっしん」
なぜか上機嫌なクロが静先輩の腕にまとわりついて写真をねだっている。ねだっている写真がそういうものでなければ非常にかわいらしい光景なのだろうが、まあそんな事はどうでもいい。
「静お嬢様。そう簡単に捜査資料を部外者に見せるのは……」
そう苦言を呈してきたのは朝川さんだった。毎度毎度言われることは同じだというのに、この人も大概面倒な役回りだなと思う。別に同情はしないのだけど。
「あら? この子たちは十分に関係者ですわよ? だって私の身内のようなものですもの」
「あー、えっと……はあ、分かりました。俺が始末書を書けばいいんですよね」
「え? 勇樹さんそんなもの書いてらしたの?」
口元に手を当て、どこか上品に静先輩が驚いている。
まあ、確かに捜査資料を親戚とはいえ部外者に見せたなんて事になればどこかで誰かが責任を取らされるだろう。たとえそれが形だけのものであっても体裁を整える必要はある。
「霧山さんに押し付けられるんですよ。静お嬢様を好きにさせるように言っているのはあの人ですから、本来はあの人が書かないといけないはずなんですけど」
「まあまあ。勇樹さんごめんなさい。霧山のおじ様には私から連絡を入れておきますわ」
「ああ! いや待ってください。そんな事されても結局俺が書く事に変わりないって言うか、静お嬢様に告げ口したとかなんとか言われていじめられかねませんて」
静先輩の申し出に、朝川さんが目に見えて狼狽し始めた。相変わらず上司にこき使われてしまっているようだ。あちらもなまじ親戚筋だというのがよくないのだろうと僕は考えている。
「そうですの? ……分かりましたわ。けれど、おじ様の事で悩み事が合ったら私に言って下さいね。少しはお力になれるはずですわ」
「はあ。はい、ありがとうございます。……ああ、それで写真でしたね。ちょっと付いて来て下さい」
言って、朝川さんはブルーシートで覆われた現場の方へ向かって行った。
それに自然な動作で静先輩と先輩にくっついているクロが続いたので、僕もやや慌ててその後を追う。
「朝川だ。例の霧山さんから話が通ってるお嬢さんと、その友人を通して欲しい」
「え? ああ、はいどうぞ」
ブルーシートの囲いの入り口にいた捜査員の方が僕たちの事を見るなり怪訝な顔になったが、朝川さんが話を通すとすんなり中へ入れてくれた。
普通ではありえないのだが、これが静先輩のすごいところである。いや、実際には名家である朝霧家の影響力だろうか。
静先輩は自分の家柄を自慢するような事はしないが、思いっきり利用する事はある。今回のようなありえないごり押しはもはや日常茶飯事だ。
もっとも、これに関しては先ほどちらりと名前の出た親戚のおじさんが静先輩を甘やかしているせいでもあるわけだが。
そんなこんなでブルーシートの中へ入ると、中で作業をしていた捜査員の方々が全員一瞬だけこちらを見て、静先輩の姿を見るなりやや呆れたような顔をしてそれぞれの作業に戻っていった。
重ねて言おう。もはやこれは日常茶飯事なのだ。
「死体発見現場はそこの血痕が残っている場所です。実際の状況は――このファイルの写真を確認してください。っと、俺は聞き込みに回りますので、一応行っておきますけど邪魔はしないでくださいよ」
「ええ。ありがとう勇樹さん」
「君らもくれぐれも注意してくれよ」
「分かってますよ朝川さん」
「にー」
年長者らしい注意と釘刺しをして、朝川さんはブルーシートの囲いから出て行った。残された僕らは一先ず朝川さんに渡されたファイルを開いて中身を確かめる。
よりによってというのも何かおかしいが、死体の写真は一番最初のページにあった。
それは一人の女子生徒。ただし、一見して女子生徒だと分かったのは着ている制服が女子のものだからで、その顔は血と脳漿に塗れた上に酷く歪んでしまっているため、顔だけを見たら性別など分からないだろう。
「死んだのは奥山宏美という二年の女子生徒ですわ」
「ああ、一個上の先輩だったんですか」
おそらく僕が来る前に調べていたであろう死者の名前を静先輩が口にした。といっても、僕はまるで面識が無いので名前を聞いたところで何の思いも湧いては来ない。
「見事に頭から落ちたという感じですわね」
「そうですね。けど、よくもまあ校舎の壁面から狭い範囲までしかないコンクリートに落ちたものですね。あの血痕の位置、端っこギリギリですよ?」
死体発見現場は大別して三つのエリアに分かれている。
一つ目は校舎の壁から二メートル程度まであるコンクリートに覆われたエリア。つまるところ校舎の基礎だ。
そこからまた三メートルくらいが二つ目の土の地面がむき出しになっているエリア。
そして最後が僕の首くらい――百五十センチくらいの高さがある、目隠しにもなっている植木のエリアだ。もっとも植木に関してはブルーシートの向こう側なので今は見えないわけだが。
そんな現場状況で、この写真の中で死を主張する女子生徒は非常に狭いコンクリートに頭から落下してしまったのだ。
もしか土の上に落ちれば、まあ首の骨を折りはしただろうが死ななかった可能性は十分にある。不運だったという他にないだろう。
「あら? この事件は事故ありませんわよ? 屋上に靴と遺書があったそうですわ」
「え? それじゃあ自殺――なわけはないですよね。ただの自殺でクロが興味持つわけありませんし、先輩もここに来る分けがないですから」
「そうですわね。とりわけ私は何も見ていない事が不可解極まりありませんもの」
「え?」
静先輩が妙な事を言った。何も見ていない事が不可解だというのはどういう事なのだろうか。
僕が不思議そうな表情をしているのに静先輩は気がついたのか、
「ああ。私、奥山宏美さんが屋上から落ちた時間にはちょうど部室にいたんですの。正確にはその三十分は前からずっと」
そんな説明をしてきた。
学校に黙ってマスターキーの複製を所持している先輩は、セキュリティの切れている時間であればいつでも好きな時に学校に忍び込めるのだ。
今日も今日とて早朝から部室で何か作業でもしていたのだろう。
「部室って新聞部の部室ですよね? そう言えば部室の位置ってちょうど――」
僕はついと顔を上に向ける。ブルーシートで覆われているせいで校舎は見えないわけだが、件の部室は三階の階段脇の部屋で、何を隠そう奥山宏美の落下現場とは同じX軸上に存在している。
つまりは早朝から部室にいた静先輩は、居眠りでもしていなければ窓の外を落下する奥山宏美の存在には気が付けたはずなのだ。
「けれど、私は下に落ちた音しか聞いていませんわ。その時はちょうど青い空を眺めていましたから、人くらい大きな物が落ちて行くのを見逃すはずがありませんもの」
「確かにそうですね。でも、死体は間違いなくそこにあった」
「どころか、落ちる瞬間の目撃者もいるそうですわ。早朝練習でグラウンドにいた陸上部の方らしいのですけれど、まだお名前は分かっていませんわ」
ふうと静先輩が小さく溜息を吐き出した。さすがの先輩といっても警察に先んじて目撃者へ事情聴取が出来るほどではない。警察の聴取が終わった辺りで資料を手に入れるか、判明するであろう名前から直接聞きに行くかになるだろう。
「目撃者は目撃者として、朝礼が始まる前に今目の前の物を調べませんか?」
「そうですわね。確かに今は生の匂いが残る現場を調べる事から始めましょう」
パタンとファイルを閉じた先輩が同意を示し、僕らは捜査員の邪魔にならないよう慎重に現場を見て回る事にする。
「シロ」
すると、もうすでに現場を嗅ぎ回っていたクロからお呼びがかかった。僕と静先輩は一度顔を見合わせ、血痕が残る場所から少しずれたところでしゃがみ込んでいるクロへと近づいた。
そうしてクロの元へ行くと、彼女はじーっとコンクリートの表面を見つめつつ、ゆっくり指を伸ばして何かをつまみ上げた。
それを僕の方へ差し出してきたので、片手を皿のようにしてそれを受け取る。すると、僕の手には白い砂粒のような物が乗っけられた。
「何だこれ?」
自分の指でも摘み取ってみるが、実に何の変哲もない砂である。これがどうしたんだとクロに目で聞けば、彼女はぺんぺんと今さっき自分が砂を摘み取った場所をしめし、次いでコンクリートと校舎の壁面との境の辺りを指差した。
その指先に視線を向ければ、
「あれ?」
「砂山、ですわね」
僕と静先輩は同時に奇妙な砂山を発見した。山といってもちょっとこんもり砂が積もっているだけの代物だが、右を見ても左を見てもそんなものが出来ているのはそこだけで、だからこそ妙に気になった。
加えて言うのであれば、最初にクロが示したコンクリート面にもうっすらとではあるが同じような白い砂が散っている。野外である以上は砂があったとしておかしくはないが、よくよく見れば明らかにここだけ砂の質が違うのだ。
一体何の砂なのかは分からないが、とにもかくにもおかしいという事だけは確かである。
「多分鑑識の方が採取しているはずですわ。鑑定結果が出たら教えて頂きましょう」
「そうですね。とりあえず他も見てみましょうか」
その後僕らは朝川さんが戻って来るまで現場を探し回ってみたが、他にこれといっためぼしい物を見つけることは出来なかった。
奇しくも朝川さんの戻りと朝礼直前の予鈴が同時だったため、それ以上の調査を一時断念して僕らはそれぞれの教室へ向かう。
早朝の落下死事件。自殺を示す痕跡。静先輩の証言。謎の砂と砂山。
まだまだ分からない事だらけだが、それは追々調べていけばいいだろう。
正式な学校の生徒ではないクロとは一時別れ、僕は足早に教室へと向かった。