その1
僕はネコを飼っている。名前は『クロ』。割と小柄で、性別は……女の子、だ。
ああ、えと、飼っているというのは語弊があるかもしれない。実際のところ、彼女は勝手に僕の家に居着いており、それに対して僕がご飯と寝床を提供しているに過ぎないのだから。
どちらかというと、彼女が主で僕が召使いといった方が正しい……のかもしれない。
まあ、それはいい。そんな事より彼女の事をちょっとだけ話そう。
好物は魚。特に生魚と煮魚を好む。焼き魚は小骨が喉に引っかかるのが嫌なのか、あまり好きではない。
でも、秋刀魚だけは大好きなようだ。焼いても生でも頭から食べていたし。
嫌いなものはイカ。理由は単純で、食べるとすぐにおなかを壊すからだ。
食欲は旺盛だが、全体的にほっそりしていてしなやかな印象を受ける。まだ子どものはずだが、美人さんだ。これは間違いない。
彼女はお腹が減ればご飯を求め、眠くなれば昼寝をし、暇になればちょっかいを出してくる。
こうしてみると自堕落でややぐうたらかもしれないが、まあ特段珍しくもないだろう。
ただ、これがまた輪をかけた気まぐれさんで、彼女はいつもふとした拍子にいなくなる。
そしてこちらの心配をよそにいつの間にか戻って来て、お気に入りになっている居間のソファーでくつろいでいたりするのだ。
基本的には無傷で帰ってくるのだが、たまに擦り傷や引っかき傷を作って帰ってくるので、僕が治療してやっている。大方どこかで野良猫とでも喧嘩しているのだろう。
さて、いつもならばもうそろそろ、僕の作る朝食の匂いに釣られてやってくる頃だ。
今日のメニューは豚肉のしょうが焼き。彼女は肉も嫌いではない。
ふと背後に気配を感じ、同時にチリリと軽やかな鈴の音を聞く。
首だけ振り返ると、そこにはやや眠そうに目をくしくしとこする、黒色を纏った彼女がいた。
「もうすぐ出来るよ。クロ」
「……にー」
一つ鳴いて、彼女はテクテクとテーブルへ向かい、椅子に座る。
黒色のネコミミ付きナイトキャップを被り、真っ黒なパジャマにマジックテープにより着脱可能な黒猫尻尾を身に着けた彼女は、両手をだらんとさせて行儀悪く身体をテーブルに預けている。
彼女が小さく身じろぐ度、黒いチョーカーに付けられた銀鈴が音色を奏でた。
その姿に軽く嘆息しつつ、僕はガスを止め、焼きあがった肉を皿に盛り付けた。先に作っておいたサラダを冷蔵庫から取り出し、肉の皿と一緒に彼女の前に置いてやる。
白米は後で味噌汁と混ぜて出すとしよう。
彼女はスンスンと犬のように料理の匂いを嗅ぎ、ちらりと僕の方へ視線を向ける。
僕が頷きつつフォークを渡してやると、彼女は肉にフォークを突き立て、しょうが焼きのタレがポタポタ垂れるのも構わずにそれを口に運んで、もくもくと咀嚼を始めた。
傍から見ると、多分微笑ましい光景なのだろうとは思う。が、実際のところたまに餌付けしているような錯覚に陥る。
いや、初めて会った時にこうしてご飯を与えたことが居着く理由になったのだとすれば、これは間違いなく餌付けなんだろう。
我が家に居着いたネコは、腰まで伸ばした綺麗な黒髪を持つ、翡翠色の瞳が印象的な、可愛くて小柄な色白の少女なのだけれど。
自分の分のご飯を用意しつつ、僕はテレビのスッイチを入れる。今日も今日とて、ろくなニュースは流れていない。
政治家の汚職事件。有名人の脱税疑惑。どこかの小学校で起こった教職員の性犯罪。隣街で起こった銀行強盗事件。僕の通う高校の近所で起こった交通事故も報道されている。
そんなニュースをご飯を食べる片手間に眺めていると、突然携帯が鳴った。
着信を確認すると、中学からの友人でクラスメイトの春日野宗也からだった。ついでに時計を確認すると、現在時刻は午前七時半である。
こんな時間になんだろうかと首をひねりつつ、僕は通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『あ、シロ。やっと出やがったな』
電話口から開口一番、そんな言葉が飛び出してくる。
やっとと言われてもこれが最初の着信なのだが、つまりはコール回数が多かったと言いたいのだろうか。
ちなみに、シロというのは僕の愛称だ。犬や猫みたいだという評については甘んじて受け入れようと思う。
「何? 宗也。こんなに朝早くから」
『お前今テレビ点けてるか?』
「うん。点けてるよ」
『チャンネルを五にしてみろ』
「え?」
『いいから』
宗也の態度を不審に思いつつ、僕は言われるがままにチャンネルを五に合わせる。すると、
『――であり、死亡したのは同校の生徒で間違いないようです。この事件はわずか三十分ほど前に発生したもので、ただいま警察による現場検証が行われております』
興奮しているのか、やや早口な女性リポーターの姿が画面に映しだされる。
どうやら生放送のようだ。先ほどから方々へのやり取りのお粗末さ加減がひどい。上手く収集整理できていないのが丸分りだった。
『回したか?』
「うん。回したけど、これがどうかしたのか?」
生放送で事件報道というのは確かに珍しいかもしれないが、この程度のことで電話をかけてくる理由が分からない。
『シロ、気が付かないのか? リポーターの姉ちゃんの後ろをよく見ろ。校門が見えるだろ?』
「ん?」
言われて、リポーターを無視してその背景をよく見る。
「…………げ」
僕は思わず顔を引きつらせた。画面に映る校門には見覚えがある。加えて、その近辺にちらちらと見え隠れする人物達が着ているのは、僕が持っているものと同じく学校の指定ジャージだ。
ズボンは紺色一色だが、上着は白と紺のツートンカラーで、その境界は薄水色・水色・青色の三色ストライプでグラデーションっぽく色分けされている。
『分ったか?』
「うん。もしかしなくてもこの事件現場、荒神高校だよね」
どうやら自分の通う学校で事件が起きているらしい。しかもチャンネルを回した直後にチラッと死亡とか何とか言っていたから、多分学校の生徒が亡くなったのだろう。うん、大事件だ。
『ああ。いやマジびっくりしたぜ。って事で俺はカメラがいなくなっちまう前に学校に行くから、シロそのニュースの録画頼むわ』
「は?」
『バッチリ映ってきてやっからよろしく~』
「あ、ちょっと待――」
言い終える前にガチャリと通話の切れる音がして、続いて空しいまでのツーツー音が聞こえてきた。この音のもの悲しさは是正されるべきだと思う。
やれやれと溜息を吐き出しつつ、僕はテレビと兼用のDVDレコーダーのリモコンに手を伸ばして、何もないテーブルにぺたりと触れた。
「あれ?」
先ほどチャンネル変更した時に置いた位置にリモコンが無い。はてとリモコンの所在を探ると、いつの間にかクロが持っていっていた。しかも指の位置からしてすでに録画をスタートさせている。
まさか今の会話を聞いていて気を利かせてくれたのだろうか。
「クロ?」
「………………」
呼びかけるが、返事が無い。彼女は右手に持つフォークにしょうが焼きを突き刺したまま左手でリモコンを握り、先ほどまでの眠たげな目をパッチリと開いて、テレビ画面を凝視していた。
テレビ画面の中では相変わらず女性リポーターが早口にまくし立てている。
内容にほとんど変化が無い。重要そうなキーワードは荒神高校、二年の女生徒、屋上から落下、グラウンドで目撃、午前七時直前などといったところか。
クロと一緒に僕もじっとテレビを見る。そんな、無駄に意識を集中している最中、
「…………にー」
クロが――鳴いた。
鳴いて、ゆっくりと彼女は僕の方へ顔を向ける。
宝石のような翡翠色の双眸が、僕を射抜いた。
「……始まり、だね」
透き通る声でそう言って、ぱっと、花が咲いたような笑顔を作る。
美しく、可憐で、けれども儚く、背筋が凍りつくほどの魅力を持つ笑顔。
何度見ても見る度に魅せられる。僕を惹き付け、虜にして止まない笑顔。
だから僕は彼女に尋ねる。
「今回も楽しめそうかい? クロ」
「にー」
クロが笑う。無邪気に、笑う。