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KURO~気まぐれネコは事件と遊ぶ~  作者: 天笠恭介
第三章 ネコ《少女》の瞳は闇で光る
12/18

その1



 その日もまた、至って平穏――とまでは行かないまでも、まあさして何か特別でもない朝だった。

 強いてあげるのであれば、今日もクロが早朝からどこかへ出かけてしまっているということぐらいだろうか。

 僕の知らぬ間の事とはいえ、今の彼女が行きそうな場所は大体検討が付く。何せ彼女は僕の学校で起きた事件に興味を引かれているのだから、どこかへ行くとすれば学校以外にはないのだ。


 現在時刻は朝の六時過ぎ。いつも通りであれば洗濯物を手早く干してから朝食の準備に取り掛かるところだが、今日は朝食の準備といっても自分の分だけしか用意するものがない。

 一人分、しかも自分用にだけ作るのも何か悲しいものがあったため、僕は昨日の晩の残りを二つの弁当箱と一つのタッパーに適当に詰め入れる。

 今日は柔道部も早朝練習があるはずなので、クロ探しのついでに宗也に差し入れを持って行ってやるつもりだった。


 そんなこんなで家を出て学校に着いたのが七時十分頃。あんな事件があった直後とはいえ、グラウンドでは陸上部が早朝練習を行っていた。

 表向きはただの自殺事件だ。ほとんどの生徒にとっては日常の中に現れたわずかばかりの異常に過ぎない。だからこそ、生徒たちの顔に暗い影などありはしないのだろう。


 威勢よく声を上げ、失敗に励ましを送り、成功に喜び笑い合う。


 それはよくある風景で、それゆえに学校という場所にあるべき風景だった。

 僕はありふれた風景の中を進んで行く。目指す場所は武道場――だったのだが、


「あれー? シロっちじゃん。何でこんな早くに学校にいるの?」


 突然声をかけられたかと思ってそちらを向けば、にやっとした表情の春霞先生がジャージ姿で仁王立ちしていた。何か獲物を見つけた肉食獣のような雰囲気を帯びているのが気になる。


「いいねぇ。あたしついてるねぇ」


 うんうんと一人納得しながら頷く春霞先生に、僕は首を傾げるしかない。が、どことなく嫌な予感はしていた。知らぬ間に口元が引きつりかけていたのは、きっとそのせいだ。


「よっしシロっち。ちょっと手伝って。というか教師命令。手伝えコラ」


 ズビシッと豪快に僕に指を向けながら、春霞先生が堂々と職権乱用としか言いようのない宣言をした。

 正直な話、いくら教師命令であっても通常の学業外であるこの時間においてその効力が発揮されるわけはないのだが、さりとて僕としてもそう事を急いでいるわけでもない。

 ここは一つ先生の言う事を聞いておいて損はないだろう。もしかすればそれが後々役に立つ事に繋がるかもしれない。


 刹那の脳内会議で答えを出した僕は、


「いいですよ。何をすればいいんですか?」


 特に逡巡する事もなく春霞先生の申し出を受けた。


「……やけに素直じゃない?」


 どこか拍子抜けしたような顔になった春霞先生だったが、


「ま、いっか。ちょい、ついて来て」


 すぐにそんなことはどうでもいいかと考え直したらしく、くるりと踵を返しつつくいくいと指で僕に指示を出してきた。

 そのまま先生に先導されて連れて行かれた先は西校舎の裏手、すなわち職員専用の駐車場がある場所だった。土や砂利ではなくしっかりとコンクリが打たれおり、そこそこにお金をかけて整備されたものらしい。

 春霞先生はその駐車場内を迷いなく進んで行き、前向き駐車してあったとある車の前で立ち止まった。


「……へえ、これ、先生の車なんですか?」

「うん。小型だけどオフロード性能がいいのよね。とは言っても、車はそんな詳しくもないんだけどさ」


 そんな事を言いながら、春霞先生はポケットから取り出した小型のリモコンか何かを操作し始めた。ピッという電子音と共に、車のバックドアが駆動音と共に開いて行く。最近はこういうところも電動化しているようだ。


 ところで、先生の所有する車はちらりと背面のエンブレムを見た限りジムニーという名前らしい。スペアタイヤがむき出しのままくくりつけられている様に、僕はアウトドアな印象を受けていた。

 車高もよく見る車よりずいぶんと高い。クロなら簡単にもぐりこめそうな感じだ。


「なんか道なき道を行きそうな車ですね」

「そうね。実際山篭りの時とか重宝したわよ。ウインチも付いてるからぬかるみにはまっても大丈夫だしね」

「へえ。そうなん――山篭り?」


 ガサゴソとトランクの中を漁りながら応えていた春霞先生の言葉に、僕は思わず聞き返していた。山篭りという言葉を今になって聞くことになろうとは思っても見なかったせいだ。しかもこの先生の場合、古式ゆかしい意味での山篭りである可能性が非常に高い。


「っそ。山篭りはいいわよ~。心身ともに鍛えるって意味では最高ね。今度の強化合宿でやってみようかしら、っと」


 トランク漁りを継続しながら返答していた春霞先生は、話しの最後で目的の何かを見つけ出したようだ。車に突っ込んでいた上半身が外に戻ってきた時には、なにやら一抱えほどもある白っぽい布の束らしきものを持っていた。


「はいじゃこれちょっと持ってて」

「わっとと――んっ!」


 ひょいと無造作に放られたそれを慌てて受け止めた僕は、その予想以上の重量に思わず声を出して踏ん張らねばならなかった。

 手から伝わる感触は厚手の布生地で、それ故に恐ろしく丈夫そうである。


「何よ変な声出して。大して重かないでしょ?」

「そりゃまったく持てないほどじゃないですけど、予想よりかははるかに重いですよ。なんですかこれ?」

「ん? 柔道部の秘密兵器最新版。まあ、その状態じゃ使い物にはならないけどね」

「えっと……?」


 分かったような分からないような、いや、まったく分からないと言うべきだろう。なんとなくこれ以上尋ねても明確な答えは得られない気がしたので、僕はあえてそれ以上何も追及しなかった。

 そうしてすっきりしない状態のまま僕は春霞先生が次々に持ち出す同じような布束をその手に抱えていく羽目になり、その枚数はついに八枚を数えた。

 一枚一枚は分かっていればそれほどでもないのだが、八枚ともなれば二度は二桁に達せそうな重量になっている。正直これは結構しんどい。


「春霞先生。これ以上あるとちょっときついんですけど」

「え? もう限界? 軟弱だねぇシロっちは。……まあ、それは八枚しかないからそれ以上は増えないけどね」


 パンパンと手をはたいた春霞先生は、しばし車の中――チラリとのぞき見たが言葉に出来ないくらい雑多な有様だった――を見つめ、


「うっし」


 何かを決めたのか一つ頷くと、


「んじゃあ一先ずそれを――」

「先生?」


 僕に何か指示を出そうとして、その言葉を女性特有の高めの声に遮られた。

 僕と春霞先生が同時に声のした方へ視線を向けると、そこにはセミロングの髪をそよ風に遊ばせる、どこか見る者を惹き付けるような少女が立っていた。目元の泣き黒子がまたなんとも言えない魅力を少女に与えている。


 身に着けているのは荒神高校の制服だ。組章の色が一年生のものなので僕と同級生のはずなのだが、これだけ目立つ見た目をしている割にはトンと記憶に無い。

 いや、正確にはどこかで見たような気がしないでもないのだが、どうにも思い出せないでいた。


 誰だっけ?


 僕が突然現れた人物について記憶を探っている内に、


「ん? おお。しょ――金井じゃないか」


 やあと親しげに手を上げた春霞先生が、僕に聞き覚えのある苗字を口にした。


「どした? 今日は早くに来る日でもないだろうに」

「あ。えっと、その、ちょっと相談したい事があるんですが……」


 春霞先生に金井と呼ばれた女子生徒は、僕の方をちらちらと気にしながらも春霞先生となにやらぼそぼそ小声で話を始めた。

 音量が小さすぎて僕の耳には意味のある言葉が届かない。唇の動きでも読めればいいのだが、春霞先生は僕に対して背を向けているし、女子生徒の方はさりげなく口元を僕に見えないように手で隠している。

 何かしら聞かれたくない事を話しているのは明白だった。


 まあそれはそれとして、僕は別の驚きに対処する方に忙しい。

 さっき春霞先生が女子生徒を金井と呼び、その彼女が僕を見るなりやや驚いたという事は、やはりそこで話をしているのはあの金井昌子という事になるのだろう。

 お下げを下ろして眼鏡を取り去るとああも変わるものらしい。写真で見た時と直接会った時は野暮ったい眼鏡のフレームに隠れていたようだが、あの泣き黒子が露わになっているのもすぐに同一人物だと思えなかった理由だ。


 なんていうか、宗也辺りに言わせればもったいないってところかな?


 元よりそのプロポーションで隠れた人気を持っている彼女である。それが実はこんなに綺麗でしたと知れればその日から告白ラッシュになる事は間違いないだろう。

 もしかしたら天夜先生は金井昌子の身体以外にもこちらの顔を知っているからこそ手を出したのかもしれない。

 そんな事を考えながら僕はしばらくその場でぼけっとしていたのだが、


「ああ、ほらシロっち。男で部外者のあんたはさっさとそれを武道場に持って行く。それだけ手伝ってくれればいいから、戻って来なくていいよ」


 ふとした拍子に振り返って来た春霞先生が野良犬でも追いやるようにシッシッと手で払ってきたので、


「左様で」


 僕は特に逆らう事もなく二人の横を通り抜けて武道場へ向かう。すれ違いざまに金井の方を見ると、彼女もまた僕の方をじっと観察しているようだった。

 おそらくは昨日の件で警戒されているのだろう。僕は彼女の腹部へは視線を動かさず、ただ単に怪訝な顔を作って相手の視線に応えてやった。何も知らない気付いていない振りをしておく方が得策な気がしたのだ。

 二人の会話の内容には後ろ髪が引かれたが、残念な事に僕は静先輩のように小型盗聴器など持ち合わせていない。おとなしくあきらめるより他にはなかった。


 そんなこんなで布束を抱えたまま武道場を目指す。目的地へと近づく度に意味不明な叫び声や畳に何かが打ち付けられる音が大きくなっていた。風通しを良くするために窓や扉が開け放たれているため、中の音は完全に駄々漏れなのだ。

 僕は布束を武道場の入口にどさりと置き捨て、開け放たれた扉からそっと中を覗いてみることにする。すると――


「セイッ!」


 ちょうど宗也が背負い投げを決めて相手を畳に叩きつける瞬間だった。素人の僕でさえ惚れ惚れするような見事な一本である。

 決められた方も呆然としているのか起き上がる気配が――


 ん? いや、あれ? あの倒れてるの人形か?


 よくよく見れば、宗也の背負い投げを受けた相手は道着を着た人型に作られた簡素な布袋だった。ちゃんと頭と両手両足があるため、瞬間的に見れば人間に見えなくもない代物だ。

 道場内を見渡してみると、他にも五人ほどが同じく人形を相手に投げ技や寝技を練習しており、後二体が壁に立てかけられていた。


「ん? よう、シロじゃん。どうしたんだよこんな時間に」


 僕が人形に気を取られている間に、目ざとく宗也がこちらを発見してしまったようだ。懐から取り出したタオルで汗をぬぐいながらずんずんと大股で歩いてくる。


「朝からクロの姿が見えないんだ。こっちに来てるかと思ったんだけど」


 言いながら、僕は鞄に入れて持ってきた前日の残り物入りタッパーを宗也に渡してやる。


「お? 今日はずいぶんと気前がいいな。いつもは頼んでも持ってきてくれねえのによ」

「少し多めに作り過ぎたってだけだよ。というか、素手で食べるなら手を洗いなよ」

「お?」


 渡した直後にタッパーの蓋を放り出した宗也は、僕の忠告が終わる前にすでに中身を口に含んでいた。しかも一つまみだった割に中身の五分の一は持っていっている。


「今時手を洗わなかった程度で腹壊しゃしねえよ。付いてるもんなんて自分の汗くらいなもんだぜ?」

「そこで倒れてる人型人形にはたっぷりと雑菌がわいていそうだけどね」

「あん? いや、あれも日干ししたばっかだからな。いけるいける」


 宗也が二つまみ目を口に放り込む。最後の台詞には僕の料理への賛辞も含めた二重表現のつもりなのだろう。どこかしらドヤ顔になっているのがちょっと憎たらしい。


 まあそれはともかく、僕の興味はもっぱら畳の上に横たわる人型だ。近くまで寄って見てみるとあからさまに人間ではないのだが、先ほどの宗也のように投げられる一瞬だけを遠目に見ればその形から人間と見間違う事は出来るだろう。

 なおかつこの人形は柔道着を着せられており、ズボンははいていないが本体の色が道着と同じ白っぽい色をしているためにまったく気にならない。

 これでカツラでも着けて後ろ向きにさせておけばかなりの確率で一瞬は騙せるはずだ。

 つまり、これを使えば奥山宏美のダミーとしては十分な性能を発揮する。


「……ん。やたら重いな」


 重量の確認をするために少し持ち上げてみるが、優に三十キロは超えている。感触から行って五十でも怪しそうだ。僕でも持ち運ぶには相当骨が折れる、というか無理。引きずるだけでも一苦労だ。

 もしこれを屋上まで運ぶとなると、人目も避けなければならない事を加味してかなり難解と言える。実行出来る人間はひたすらに限られてしまうだろう。


「そらそうだろ。それ五十五キロの投げられ君グレートだからな」


 呆れ半分の顔で宗也が僕の隣に立つ。


「投げられ君グレート?」

「おう。そいつの名前」


 宗也の太い指が示す先は、もちろん目の前にある人形だ。

 うん。ずいぶんなネーミングセンスだと思う。

 まあそれはそれとして、五十五キロの人形を軽々と背負い投げるというのもずいぶんなものだ。確かに宗也の体重よりは軽いだろうが、それでも八割以上の重量はある。さすがは柔道部員といったところだろう。


「シロだと最初は三十キロくらいの投げられ君グレートじゃないと怪我するぞ多分」

「え? 三十キロのもあるのか?」


 見た目が全部同じなために無意識の内に全て同じ重量があると思っていたが、どうやら違うらしい。

 三十キロの人形があるというのであれば、先の屋上まで運ぶという行為もさほど難しいものではない。誰にでも出来得る行為だ。


「おう。今は武道場にないけどな。他の場所に置いてある。ついこないだ盗まれてたのが戻ってきたんだ」

「盗まれた?」


 実に不穏な言葉である。悲しいかな学校での盗難事件はそれほど珍しいものでもないが、さすがに僕でもこんなものが盗まれたという話は聞いた事がない。

 だって、これ利用価値が限定されすぎるじゃないか。


「ああ。二週間くらい前にな。ま、あれって学校の備品じゃなくて春ちゃんの私物を提供してもらってんだけどさ。持ち運ぶの面倒だからって武道場に置きっぱにしてたんだが、そのせいで一番軽い奴を誰かが持って行っちまったんだよな」


 がしがしと宗也が頭を掻く。

 あれ? 春霞先生の私物って事は、このネーミングは先生のものって事か?


「んで、そんな事があったから人形は全部西校舎の一階の空き教室にしまうようにしてんだよ」


 西校舎の一階にはいくつか空き教室があり、そのどれもが倉庫のような状態になっている。そのどこかを利用しているというわけだ。


「けどよ。昨日、今日の練習のために春ちゃん命令で久々に引っ張り出しに行ったら普通においてあんのな。驚いて春ちゃんに連絡したら春ちゃんもすっ飛んできて確認してた」


 わけがわからんと宗也が思い出しながら首をひねっている。

 確かに聞いているだけでもおかしな話だ。しばらく行方不明だった人形が前触れなくひょっこり帰ってくるというのは不思議としか思えないだろう。

 だが、今の僕には不思議とは思えない。二週間も前に盗んだ理由はよく分からないが、最近になって戻ってきたのはおそらくその役目を終えたからだ。犯人が用意したダミーという役目を。


「なるほどね。それで、何でその軽い奴だけ今ここにないんだ? せっかく戻ってきたんだろ?」

「ん? ああ。ちょっと破れて中の砂が漏れてたからな。修繕するまで使用禁止って事で放置されてる」

「砂? それってもしかして白っぽい砂?」

「おう。よく知ってんな。何でも春ちゃんが山篭りしてた時に川原で採ってきたもんらしいぞ」


 バンバンと宗也が人形を叩いてみせる。

 さすがにこの場で破くわけにも行かないので想像になるが、現場に残されていた白砂と人形の中身の砂が同じものだとすれば、その人形は落下の衝撃で破れて中身をこぼしたのだろう。

 そうなればあの場に謎の砂が散らされていた事に説明が付く。


「そんで今日春ちゃんが新しい人形袋八つ持って来てくれる事になってるから、中身を移し変えるんだとさ」

「ん? 人形袋八つって……ああ、そういうことか」


 その数を聞いて、僕はピンと来た。先ほど春霞先生に持って行けと言われた布袋は、つまりこれのためのものだったわけだ。

 思わぬところで謎が一つ解決したところで、僕は本筋の問題へと頭の中をシフトさせる。


「宗也。その人形をしまってる空き教室ってどこだ?」

「ん? ほら、ちょうど事件現場の――」


 宗也が指を立ててそんな説明を加えようとした瞬間だった。


「きゃああああっ!」


 グラウンドの方から悲鳴が聞こえ、次いで何かがぐちゃりと潰れたような音が聞こえてくる。


 僕と宗也は一瞬互いに顔を見合わせ、すぐさま武道場から飛び出した。出てすぐ先、グラウンドにいる陸上部の生徒が一様に上の方、校舎の屋上を見ている姿を確認して僕もそちらへ顔を向ける。

 すると、西校舎の屋上の縁に一人の女子生徒が立っており、茶髪を風になびかせている様子が視界に飛び込んできた。そして――


「あ」


 女子生徒の身体が前に傾いたかと思うと、一瞬の内に重力に囚われた彼女の身体はまっすぐに落下し、植木で見えなくなった直後に鈍い音が聞こえて来た。

 それは、武道場内で聞こえたものと同じ音だ。


「まさか――」

「あ、おいシロ!」


 背後から聞こえて来た宗也の声を無視して、僕は西校舎へ走った。武道場から西校舎までは目と鼻の先。一分とかからない距離にある。

 そうして現場に駆けつけた僕が見たものは、脳漿を撒き散らした二つの死体。写真で見るよりも数段リアルな死の臭いを放つそれは、数学教諭の天夜彰吾。そして、向坂絵梨だった。


「おいシロ待てって今の――うっ……」


 後を追ってきた宗也が惨状を見るなり即座に反転してどこかへ行ってしまった。少しして苦しそうな声と液体が地面に落ちる音が聞こえてきたので、まあ耐え切れなかったのだろう。

 確かにおおよその人間が見ればこれは吐きたくもなる。ただ、僕は一昨日もこんな感じの写真を見ていたせいかそれほどショックもなかった。せいぜいそういえば脳の色は灰色じゃなくてクリームピンクなんだなと無駄な思考を巡らせる程度だ。


 あ、静先輩に連絡した方がいいかな。


 ふとそんな事を思い立ち、ポケットから携帯を取り出した直後だった。


「おーいなんかすっげ嫌な音と悲鳴聞こえたけど大丈夫――って嘘また!?」


 すぐ後ろから春霞先生の素っ頓狂な声が聞こえて来る。そして、


「ちょ、シロっち携帯出して何やってんのこっち来なさい!」


 僕は春霞先生に腕を掴まれて引きずられるようにしてその場から遠ざけられる。どうも写真を撮っているか何かと勘違いされたようだ。ひどい誤解だと思う。

 とはいえ今何を言っても無駄だとも思ったので、僕は先生に引きずられるままに任せた。


 不意に、僕は一つの視線を感じてそちらへ顔を向けた。ばっちりと目があった相手は、金井昌子だ。彼女は僕にと目が合うとすぐに顔を逸らし、そのままそそくさとどこかへ行ってしまう。

 その姿に僕は内心首をひねるが、春霞先生に引きずられている現状では追いかけるわけにも行かず、とりあえずは先生への言い訳をどうしようかという考えに没頭する事にした。




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