発足 2
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雪の降る夜。
ムラクモから渡ってきた面々が、一つの部屋に集っていた。
「腹が減った飯だ飯、皿を持ってきたぞ」
シガが巨大な円形の物体を片手に載せながら現れると、食事を並べていたクモカリは大きく首を傾げ、
「ちょっと、どこからそんな大きなお皿拾ってきたのよ」
シガは漠然と後方を指さし、
「通路にあった鎧が持ってた」
アイセが呆れ口調で、
「それは皿じゃなくて盾だろう……」
シガは拳で盾を叩き、
「飯がたっぷりのればなんでも同じなんだよ」
「同じじゃないの、そんなものに食べ物を置いたら不潔じゃない」
クモカリはシガが持つ大きな盾の上に素早く四枚の皿を並べた。
その時、外から戻ったシュオウが、
「シガ、もう腹は大丈夫なのか」
「シュオウ、戻ったのか」
アイセがその名を呼ぶと、一人でだらりと横たわっていたシトリが、素早く駆け寄った。
聞かれたシガはシュオウに得意げな顔をして見せ、
「なんでもねえ、寝てる間に治ってた」
「なに言ってるのよ、げっそりした顔でうずくまってお祈りしてたくせに」
クモカリに実態をバラされ、シガはぶすりとして、
「……気合いを入れて治してたんだよ」
シュオウは肩を竦めるクモカリと目を合わせ、労うように頷いた。
シュオウは後ろへ視線を流し、
「クモカリ、実は一人追加がいる」
クモカリはきょとんとして、
「あら」
シュオウの視線の先から現れた男を見て、シガが顔を強ばらせた。
「ネディム・カルセドニーと申します、本日はこちらの集いにお誘いをいただきまして」
ターフェスタ側の人間であるネディムの登場に、場の空気が緊張を帯びる。
僅かな沈黙の後、アイセが一歩進み出て、
「ようこそおいでくださいました、私は輝士、アイセ・モートレッドと申します、どうかお見知りおきください」
ネディムは行儀良く辞儀をして、
「ご丁寧にどうも、皆さん、どうぞかしこまらず。どうか、いつも通りにお過ごしください、大切なお時間に水を差すのは本望ではありませんので」
クモカリはにっこりと微笑み、
「どうぞ、ゆっくりしていってください、食材をいただいて、私が中心になって調理したムラクモ式の味付けだから、お口に合うかわからないけれど」
ネディムに飲み物と食事を手渡した。
ネディムは品良く微笑みを返し、
「お気遣いに感謝いたします。ありがたいことに、ちょうどお腹が減っていたところなんです」
遅れて入ってきたジェダは、室内を一瞥して壁際に寄りかかり、無言のまま瞼を落とした。
ネディムを中心に初対面の者達が挨拶を交わす中、シガは彼らに背を向けて、虎視眈眈と食卓の上の料理の山に狙いを定める。
――肉、俺の肉。
衣を付けて揚げ焼きにした肉料理が山盛りで置かれていた。傍らに置いてある甘辛いタレを見つけ、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
ごくり、と大きく喉を鳴らし、シガは皿の上の肉料理をほとんどすべて取り尽くして、その上からタレをどばどばとかけ尽くした。
――今しか。
皆の視線は突然現れた客に集中している。今この時こそ、食べたいものを誰に咎められることもなく独占できる唯一の瞬間なのである。
だがその時、
「ぬ――」
その不可解な一言に顔を向けると、いつのまにか隣に、見た事がない若い女の姿があった。
彼女は、ぼんやりと視線の定まらない双眸をシガの皿に向け、
「それ、ください」
シガは威嚇のために鋭い犬歯を剥き出し、
「誰だお前」
少女はすまして姿勢を整え、
「アデュレリアより、ジュナお嬢様のお手伝いのために派遣された、リリカでございます――ぺこり、すそそ」
品良く辞儀をする一連の動作に、自分の口で奇妙な音を添えながら頭を下げる。
シガは不信感を露わにリリカを睨めつけ、
「アデュレリアだ? 知らねえぞお前のことなんて、いきなり現れて俺の肉を寄越せだと、ぶん殴られたくなければさっさと消えろ」
高々と見下ろされ、猛獣が唸るような声で脅されても、リリカは表情一つ変える事なく、
「あなたが知らなくても、リリカはあなたを存じ上げております。シガ様、ムツキに到着して間もない頃、あなたはお一人でこそこそと本を読んで泣いておられましたね、たしかあれは、女性向けの悲恋を描いた――」
シガはわなわなとあごを震わせ、空いた皿に独り占めしていた料理を移してリリカに差し出した。
「……持っていけ」
リリカはぼうっとした目で、肉料理が一つ載った皿を見つめ、
「リリカはお嬢様のご命令で東奔西走する毎日、今日も今日とて歩き回って、とてもお腹が空いています。この揚げ肉料理はリリカの好物で、クモカリ様が作るタレの味付けもとても美味しく、食欲がそそられます、ですがたったこれだけではお腹も心も充たされず、その悲しさのあまり、あの時辛そうに涙を拭われていたシガ様のお顔を思い出してしまいそうになります、たしかあの本の題名は――」
シガは思いきり歯を食いしばり、尋常ではない手際で肉料理を皿に積み上げる。
「…………これで、足りるかッ」
リリカは鷹揚に頷いて皿を受け取り、
「大層、満悦です――しゅばッ」
その一言と同時にリリカがしゃがむと、姿が忽然と消えていた。
シガはきょろきょろと辺りを見回した後に手元に視線を戻し、
「くそ、俺の肉……あんな変な奴に……ッ」
恨めしそうに、減った肉料理の山をじっと見つめる。そうしていると、するっと横から誰かの手が伸びた。
「取り過ぎだ、また腹を壊したくなければ量を控えたほうがいい、手を貸そう」
ジェダが素早く肉を一つ、自身の皿へ移し取った。
「あ!」
シガがジェダを睨んでいる間に、
「美味そうだな、もらっていくぞ」
シュオウが肉料理を二つ、手づかみで取って頬張った。
「おい!」
またシュオウに抗議を言おうとしている間に、
「はいはい、みんな並んで、今日の主菜のお肉料理を配るから」
シガの持つ盾の上から、クモカリの手で肉料理を載せた皿が奪われる。次々と皆の皿に移されていく肉を見つめながら、
「がああッ!!」
シガは一人空しく、誰の心にも届かない孤独な悲鳴を轟かせた。
*
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします――――」
一通りの挨拶を終えたネディムは、天を仰いで咆哮を上げる南方人、シガを見つめた。
目立つ長身と鍛え抜かれた筋骨たくましい大男が、大きな声で叫び声をあげていても、誰一人それを気にした様子がない。それが普段からの彼の仕草なのか、仲間であろう者達は、すっかり慣れているようだった。
シガはひとしきり吠えた後、気落ちした様子で並べられた料理を皿に集めていく。
ネディムは哀愁漂わせるシガの近くへ歩み寄り、
「ネディム・カルセドニーです、はじめまして」
気の抜けた顔をしていたシガは、途端に鋭く目を怒らせ、
「俺に話しかけるな」
とりつく島もなく、刺々しい言葉を吐く。
「ご無礼を、ですが、あなたとはまだご挨拶をさせていただいていませんでしたので。ところで、さきほどお腹を壊されていた、という話が聞こえましたが」
シガは視線を料理に戻し、
「お前になんの関係がある」
ネディムはクロムから手渡された下剤入りの焼き菓子を思い出しながら、
「関係がない、とも言い切れないもので」
警戒心を露わにしていたシガが、ほんの僅か素の表情を見せ、眉を歪めた。
シガは再び料理を皿に盛り付けながら、
「用がないなら消えろ、この国の人間と話すことなんざなにもねえ」
「私は間もなく、正式にシュオウ殿の副官としての任を負います。以後はあなたとも顔を合わせる機会が増えるでしょうから、今のうちにお互いの交友を深めておくというのは――」
最後まで言う前に、シガは猛った顔をネディムへ向け、
「くだらねえ戯言をこれ以上聞かせるなよ、お前らターフェスタの連中は俺達が憎いはずだし、俺もお前らがきにくわねえ。戦場で、俺のいない間に、うちの連中をやられてるからな」
偽りのない怒気を向けてくるシガに対し、ネディムは瞼を下げ、
「戦場でのことはそれはそれ。仰るとおり、双方に抱える恨みはあるのでしょうが、幸いなことに私は、あなた方に対する個人的な恨みは持ち合わせていません。どころか、むしろ弟を無事に保護していただいたことに恩すら感じているくらいです」
「カルセドニー、弟……そうか、あの馬鹿の……」
ネディムは目を開き、にっこりと笑みを浮かべ、
「ええ、その兄です」
シガはネディムの後方に視線を送り、
「シュオウがお前を呼んだなら好きにいりゃいい。だが、俺は最初から好い顔で寄ってくるやつを信じないことにしてる。この先、俺の目の届く範囲で舐めた真似をしてみろ……俺がこの手でひねり潰してやる」
脅迫染みた言葉を受けても、ネディムは爽やかな微笑みを浮かべ、
「今日こうして警告を受けるのは二度目なのですが、貴重な体験で、良い思い出になりそうです。ところで、もしよろしければこれを――」
ネディムが皿に載せた肉料理を差し出すと、シガはじっと睨みつけ、
「なんのつもりだ」
「不快にさせてしまったお詫びというのもおかしなものですが、あなたのお望みの物と拝察いたしましたので」
シガは不信感たっぷりにネディムを睨みつつも、その手はしっかりと差し出された料理皿に伸びていた。
「これは元々俺のものだからな――」
シガはネディムに背を向け、別の食卓へと場所を移してしまった。
ネディムは意識を切り替え、並べられた料理に注目する。
料理は見た目の仕上がりも良く、食欲をそそる良い香りが溢れ出している。
――腕が良い。
そんな感想を抱きつつ、料理を観察していると、背後からシュオウに声をかけられた。
「少し、いいか、向こうで少し話したいことがある、食べながらでいい」
そう言って、広い部屋の隅にぽつんと置かれた食卓を親指で指し示す。
「わかりました、まいりましょう」
ネディムは了承を告げ、素早く手頃な料理を皿に取り分けた。
シュオウの後に続いて指定の場所へ向かうと、和やかに談笑を交わす食事会の雰囲気が徐々に遠ざかっていった。
熱気と静寂の間で足を止め、集いの中心部を俯瞰する。
「こうして見ていると、皆さんとても仲がよろしい」
シュオウも足を止め、
「一緒に過ごしてきた時間もそこそこになる。全員俺についてきてくれた仲間たちだ」
「仲間、ですか。弟もここに参加できれば、さぞ喜んだのでしょうが」
ネディムの言葉にシュオウははっとなり、
「そういえば、クロムがいないな……」
視線を忙しく泳がせた。
ネディムは軽く頭を下げ、
「お伝えし忘れておりました、弟には、生家に戻って父に会うようにと私が向かわせたのです」
「じゃあ、今頃は」
「ええ、ひさしぶりに親子の絆を深めているのではないでしょうか、きっと話を弾ませている頃だと思います」
指定された卓につくと、目の前にシュオウが座り、シュオウの隣に遅れて現れたジェダが立ったまま位置を定めた。
二人の真剣な顔を前にネディムは、
「それで、お話というのは」
先に話を切り出した。
シュオウは、
「アリオトの戦力について」
「なるほど、指揮官として着任予定であれば、当然のことでしょう」
ジェダは右手を腰に当て、
「准砂や司令官といっても上辺だけ、実際僕らにはまっとうに現地の情報すら与えられていない。向こうに到着するまで仕方がないと諦めていたんだが」
ネディムは、
「私から話を聞けるかもしれない、と思われたのですね」
シュオウは強く頷き、
「知っていることがあれば教えて欲しい」
ネディムは背筋を整え、
「アリオトに配置された兵の数は、開戦時のものに及ばずとも、ある程度の補充人員が確保されます。それに加え、次戦においてはボウバイトが参戦を決めている。これにより陣容の体裁は整いますが、しかし直截に申しまして、それらの兵力を駒として計算できるかは、また別の問題です」
ジェダは険しい顔で首肯し、
「それは僕らも把握している」
その視線をシュオウへ流した。
シュオウは表情固く、
「俺はターフェスタに突然現れた余所者だ、アリオトの兵士達にとって、少し前まで戦っていた敵でもある。彼らが大人しく言う事を聞いてくれるとは思っていない」
「それについては、同意いたします。しかし、今日のあなた方の様子を伺うに、あまりその不利を、気にかけておられないように感じるのですが」
シュオウは首肯し、
「使えないものは使えない。だから、出来る事を考えたい。アリオトにはまだ他に、使えるものがあるはずだ」
ネディムは微かに顔を寄せ、
「なるほど……お考えのもの、カトレイではないでしょうか」
シュオウとジェダが同時に頷く。
シュオウは唇の端を僅かに濡らし、
「カトレイ軍は雇われの傭兵、その指揮権が誰にあるのか、それを一番知りたかった」
「カトレイの兵は契約によってその責務を果たします。そして現地での活動方針は、基本的に雇い主側の現地指揮官の意思が尊重されます」
ジェダはシュオウを見て微笑を浮かべ、
「やはり、使えそうだね」
ネディムは小さく咳払いをして注意を引き、
「たしかに、従属を期待できないターフェスタ軍ではなく、外からの雇われであるカトレイを戦力として計算するのは、妥当で正しい判断といえるでしょう。しかし、私はそこに、副官という立場からさらに一つの懸念をお伝えいたします」
ジェダは訝り、
「懸念、とは?」
「カトレイ軍はたしかに、現地指揮官の意向を尊重はします、ですがその度合いは、軍を率いる指揮官の性質によって、大きく結果が異なることになる」
シュオウは目を細めながら、
「指揮官の、性質……」
ネディムは大きく頷いて、両手の指を組み合わせた。
「先の戦いで、カトレイ軍指揮官は戦死、後に現地で代理の者が指揮をとっていましたが、現在はカトレイから新たな人員と指揮官が補充され、アリオトに待機しているのが現状です」
ジェダが声を落とし、
「話の筋から考えて、その指揮官が誰か、知っているように聞こえる」
ネディムは首肯し、
「すでに調べはつけてあります、ビュリヒ・マルケ、敬虔なリシア教徒であり、有能で経験豊富な将軍、人柄の評判も良い堅実な人物です」
ジェダは首を傾け、
「申し分のない人材に聞こえるが」
「ええ、表面上は」
シュオウは訝りながら、
「裏があるのか?」
「ある一面から見たその人物は、品行方正で忠実に任務をこなす有能な軍人である一方、別の方向から見てみれば、あまりにも愚直な信仰心を持つあまり、異教徒に対して強烈な嫌悪感を持つ人物でもある。とくにマルケ将軍は、その多くが一切の信仰を持たない東方人に対して、強い侮蔑と差別心を持っているようなのです」
ジェダは、
「それは確かな情報なのか」
「個人的な伝を用いて知り得たことですが、それほど秘密めいた話でもないので、情報の確度を疑う必要はないでしょう」
シュオウは深く鼻から息を吐き、
「それが、懸念か」
ジェダはあごに手を当て視線を沈め、
「東地人を嫌う将軍、か」
シュオウは眉を顰め、
「いるだけ邪魔だな」
ネディムは顔の緊張を解きほぐし、
「仰るとおり、ですから件の将軍には、早々にご退場願いましょう」
「退場……?」
嫌気を露わにしたシュオウに対し、ネディムはなだめるように首を振り、
「ぶっそうな話ではありません、ターフェスタがカトレイと結んだ契約には特約があり、そのうちの一つに、指揮官の交代を求めることができるものが存在します」
ジェダが首を傾げ、
「特約、とは?」
「特定の条件下によって効果を発揮する約束事のようなもの。指揮官交代の要請に必要な条件はいたって単純、お金です」
シュオウは視線を流し、
「金を払えば、指揮官を交代させられる……」
「戦力として計算に入れるカトレイ軍の指揮官は、正常に意思疎通の図れる人物でなければなりません。それ故に、私はあなたの副官として、ここまでにお話してきた一連の案を具申いたします」
ジェダが食卓の上に片手を突いて身を乗り出し、
「それが可能だったとして、次の指揮官はどうなる」
「特約の引き換え条件として高額の支払いが必要となりますが、引き換えに、選任は雇用主の意思が融通されます、人材を見定め、現地のカトレイ軍の中から適任者を選択しましょう、これは決して高い買い物ではありません」
ジェダは立ち方を崩して腕を組み、
「僕たちにとって都合の良い人間を選ぶ……悪くない案だ」
二人の視線を受け、シュオウは僅かな間を置いた後、深くしっかりと頷いた。
夜が進む。
一つの部屋に集まった各々に、それぞれの時が過ぎていく。
一方はこれから先の作戦会議に、一方は賑やかな談笑で。
尚も続く、料理と暖炉の熱に包まれた和やかな団欒の彼方、上街郊外のカルセドニー家の邸で、先代カルセドニー家当主と、その息子クロムが、同じ食卓で顔をつき合わせ、夕餉の一時を共に過ごしていた。
だが、豪華な造りのカルセドニー邸の食堂は、ただカチャカチャとフォークとナイフを鳴らす音だけが空しく響いていた。
先代当主は難しい顔で肉を切りながら、
「…………最近、なにか変わった事はあったか」
クロムは死んだ魚のような目で、
「ない……」
口の中の水を零すように、だらりと答える。
カルセドニー親子の晩餐は、時を止めたような静寂と共に過ぎていく。
勢いを増した雪風が、食堂の窓を白く染めた。