禍根 5
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「ヴィシャ」
シュオウがその名を呼ぶと、長い髭の大男、ヴィシャははっきりと頷いた。
ヴィシャが進み出ると、呼応するように群衆から大きな声があがった。
「連中が興奮しちまってる、話をするにもここじゃ落ち着けねえな、それに…………」
ヴィシャはネディムを湿っぽく睨みつけた。
「私はご遠慮したほうがよさそうですね」
ネディムの提案にシュオウは頷いて、
「頼む」
ヴィシャの案内で路地裏に移った後も、シュオウは自分から目を離そうとしない人々に困惑の表情を浮かべた。
「わけがわからねえって面だな」
言ったヴィシャにシュオウは頷いて、
「どうしたんだ」
「奴らの顔を見りゃわかるだろ、あんたを見て喜んでるんだ」
「俺を……?」
ヴィシャの言葉通り、人々の視線に敵意や悪意は感じられない。
「シュオウって名は、今やここらじゃ下手な王様より有名だぞ。あの騒ぎの時にもそうだったが、ムラクモを捨ててこっちについたうえ、大公から直々に准将に取り立てられたってんでな、城勤めの連中から一気に下街まで話が広まってる」
「それで、ああなったのか」
つかず離れずの距離にいるジェダが、群衆を見ながら言った。
ヴィシャがジェダを見て、
「……あんたはたしか」
「ジェダだ」
シュオウの短い紹介にヴィシャは顎を上げ、
「あの時の公子様か。あんたみたいなのまで国を捨てて出てくるなんてな。それも、てめえを捕まえて処刑しようとした国にわざわざ戻って来るなんて、物好きなことだ」
ジェダはなにも言わずヴィシャから視線を逸らした。
シュオウは自身へ視線を送る人々を見つめ、
「ここへ来るまでに痩せた人達を見かけた、ここにいる皆も……」
ヴィシャはざわつく民衆を眺めて溜息を吐き、
「糞ったれ大公がムラクモとの戦を始めてから、上からの取り立てが日増しにきつくなってる。家業で溜め込んでた分と方々から掻き集めたもんで、蓄えが尽きた連中に少しずつ食い物を配ってはいるが、それも俺の手が届く範囲でやっとこってとこだ。別地区じゃ餓死する奴もでてきた、ここらも時間の問題だ……ッ」
怒りを堪え、苦い顔で説明したヴィシャの顔も、よく見れば衰えが窺える。
「食料の猶予はどれくらいある」
シュオウの問いにヴィシャは顔に苦渋を滲ませ、
「ほとんどない、金も蓄えももうじき底を突く。山中に隠して用意させた畑があるが収穫は細く、他にはもう飯の種がねえ」
悲壮に語るヴィシャの言葉の後ろで、痩せた人々がシュオウに熱の籠もった視線を送っている。
ジェダは人々を見やって、
「重税と飢えで先の見えない苦しみに耐えているなか、平民の出でありながら戦地の指揮官に任じられたシュオウに、なんらかの希望を見出した……彼らの表情には、そういった意味合いがありそうだ」
ヴィシャは頷き、
「……あいつらの、あんな顔はひさしぶりに見る。あんたらがどういうつもりでムラクモを捨ててこっちに来たのか知らねえが、あいつらはあんたが自分達を救いに来てくれたと思ってんだ、勝手な妄想だとしても、縋り付きたいほど、ここには希望がねえのさ」
言いながらシュオウを見るヴィシャの瞳も、どこか弱々しさが滲んでいた。
シュオウは再び痩せ衰えた人々を見やり、
「……金を渡せば、皆に食料を調達できるか?」
ヴィシャは眉をくねらせ、
「まあ、できるだろうが……今は持ってる奴らに足元を見られる、平時よりかなり値が張るぞ、それに半端な金で手に入る食料じゃ、焼け石に水だ」
「多少でも賄えるだけの分はある」
クモカリに管理をまかせている資金を思いながら言うと、ジェダが顔色を変えた。
「あの資金はこれからの活動にかかせない、足場が不確かな現状でむやみに消費していいものじゃないはずだ」
「そうだな、でもこれを知って放っておけるか」
ジェダの意見の正しさを知りながらも、シュオウは苦しげにそう漏らす。
ジェダがさらに口を開きかけたその時、
「よければ、その事に関しては、カルセドニー家が力添えをさせていただけませんか」
突然声が聞こえた。シュオウ達が一斉に視線を向けると、路地の死角からネディムが悠々と姿を現した。
*
――クロムが主に選んだ相手。
ネディムは感覚を研ぎ澄ませ、距離を置いて立つシュオウを観察していた。
精悍な顔つきからは若さに矛盾するほどの老成した気配も感じる。際だって鋭い目つきは生死を賭ける戦いに身を投じてきた、歴戦の戦士のようだった。
複数人のムラクモ輝士達に、祖国を捨てさせるほどの決断をさせた人物。その特異さを正確に認識できている者は、しかし意外なほど少ないのである。
あのヴィシャという男は下街の親方衆の一人であろう。余所者であるシュオウとは顔見知りのようだが、
――デュフォスの預かり人、か。
手持ちの少ない情報からそう予測する。
二人は真剣な顔で話し込んでいる様子だった。ヴィシャにあからさまに警戒されていたため自ら申し出て距離を置いたが、シュオウの副官として、重要な話の輪からはずれたままでいるつもりなどない。
――隙あり。
シュオウの警護につく輝士達は群衆に注意を取られていた。
外套のフードを目深にかぶり、広場に置いてある箱や荷車を盾にしながら、シュオウ達のいる路地裏へと距離を詰め、物影からこっそりと話に耳を向けた。
――食料、金。
会話からそんな内容が聞こえてくる。
頃合いを見計らい、ネディムはフードはずして姿を晒し、
「――よければ、その事に関してはカルセドニー家が力添えをさせていただけませんか」
そう声をかけた。
ジェダが声を尖らせ、
「盗み聞きか」
ネディムは首を傾け、
「どのようなお話をされているのか興味があったもので、つい。ですが聞いていてよかった、ご懸念の件、当家が協力させていただくことができるかもしれません」
シュオウはネディムを見て、
「どういうことだ」
「細やかながら、カルセドニー家が保有する食料貯蔵庫がございます。お望みとあれば、それを開放いたしましょう」
「カルセドニー、だって? なんなんだ、どうなってる……」
ヴィシャがシュオウとネディムを交互に見つめる。
シュオウは険しく目を尖らせ、
「……そのための条件は」
「見返りはなにも求めません、理由が必要なのであれば、私の売る媚びを受け取っていただく、ということではいかがでしょう」
ジェダが声を低くし、
「ふざけているつもりか」
「とんでもない、今の言葉に嘘偽りはありません」
「話にならないな。見ず知らずの人間から多大な施しを受け取ることなどできるか、後になってどんな借りを作ることになるか……シュオウ、まともに取り合う必要は――」
シュオウはしかし、素早くネディムの前に立って、
「助かる、頼みたい」
あまりの即決ぶりに、ネディムは意表を突かれ、声を詰まらせる。
「…………受けて、いただけるのですか?」
ジェダが声を荒げて、
「シュオウッ、簡単に受けるべき話じゃない、必ず裏が――」
「簡単じゃない、彼らには必要だ」
シュオウの視線の先にある人々を見ても、ジェダは不満を露わに声を上げようとする、がシュオウの強い視線に気圧されるように、吐きかけた言葉を喉の奥へ飲み込んだ。
ネディムは真顔で、
「私を、信じていただけたのでしょうか」
シュオウは首を振り、
「そうじゃない」
ネディムは意外そうに眉を上げ、
「ではなぜ」
「今、必要な物が目の前にあるからだ」
ネディムはシュオウを凝視して、
「それは――」
柔く笑み、
「――実に、痛快なお答えですね」
輝石を胸に乗せ、辞儀をした。
*
「なんてこった……」
カルセドニー家が所蔵する倉庫の中を見たヴィシャが溜息交じりにそう漏らす。
きちんと管理された貯蔵庫の中に、整然と食料が敷き詰められている。ぱっと見で全体像はわからないが、蓄えが潤沢であることは間違いない。
ネディムは手を広げ、
「ここにある物すべて、ご提供いたします」
シュオウがヴィシャに頷くと、ヴィシャは連れてきた部下達に指示を与え、さっそく運び出し作業に取りかかる。
「これだけあれば、しばらくはかなりの人数が食いつなげる……どうやって礼をすれば良いんだ」
親身に言うヴィシャにシュオウは首を振り、
「俺の物じゃない、感謝なら――」
ネディムに視線を送った。
「これらは民にではなく、あくまでもあなたにご提供させていただくもの、その者が言う感謝を受けるのに、私はふさわしくありません」
ネディムの言葉を聞き、ヴィシャは頷いてシュオウの肩に手を乗せた。
「今は俺が代表して礼を言う……言葉もないが、とにかくありがたい……」
シュオウは頷き、
「分配はまかせるぞ」
「ああ、まかせとけ。それとな――」
ヴィシャはネディムを気にした様子で声をひそめ、
「――あんたの置き土産は無事に俺の手の内にある。若いほうは何度かぶっ殺してやろうかと思ったがな、半殺しですませておいた。今は山奥で働かせてる、俺の娘がつきっきりでこき使ってるから心配はするな、もし必要になったらいつでも言ってくれ」
「わかった」
「皆にこの話を伝える。連中に夢を見るなと言わなきゃならねえと思ってたが、俺が間違ってたのかもな……」
そう言ってヴィシャは場を離れ、大声で持ち出し作業を仕切り始めた。
ネディムは倉庫の外を指し、
「運び出しの作業にはしばらくかかるでしょう。近くに庭園があります、本宅で父が手入れをしているものとくらべれば、野原に毛の生えた程度のものですが、よろしければ待っている間にご案内いたします」
シュオウは首肯し、
「ここを頼む」
護衛の輝士達にそう告げた。
ネディムを先頭に、シュオウとジェダがその後に続く。
――それにしても。
庭園に通じる通路を行きながら、ネディムは後ろを歩くジェダから送られる強すぎる視線を感じ、苦笑した。
眼光が鋭くとも、人格はいたって穏やかなシュオウとは対照的に、本来の彼の副官のように側に控えるジェダという人物は、微笑を浮かべた表面上の見た目とは異なり、居心地の悪さを感じるほど、その視線は鋭利な刃物のようだった。
――ジェダ・サーペンティア。
彼の輝士としての能力は、北方に轟く悪評がなにより証明している。
本来ならば、サーペンティア家で蛇紋石を継ぐ後継者筆頭とされてしかるべき才人であろう。
視線、所作、表情のすべてから、傑出した力を持つ者が放つ、桁外れの自尊心が溢れ出している。
――これほどの者が。
シュオウがターフェスタ大公に自身を売り込んだ際、ジェダは彼に自分の頭を踏ませたのだ。その時の光景は、今もネディムの記憶に深く刻み込まれている。
――クロムが選んだ、そして。
ジェダもまた、このシュオウという男を選んだのだ。
庭園に着くと、ジェダが辺りを一望して、
「本当にたいしたことはないな」
抑揚もなく率直に感想を述べた。
手入れは不十分で、季節のせいで艶やかな花も咲いてはいない。
ネディムは長衣の袖に両手を隠し、
「子供の頃は、ここで弟とよく遊んだものです」
景色を俯瞰して、深々と白い息を吐き出した。
シュオウは振り返って倉庫のほうを見やり、
「カルセドニー家にとっては、あれは必要な蓄えだったはずだ」
ネディムは首肯し、
「たしかに、それは否定いたしません。ですが、あなたがあれを必要としていたので提供させていただいた、ただそれだけのことです」
ジェダはネディムを強烈に睨めつけ、
「根拠と理由のない善意は信用に値しない」
その言いようにネディムは頭を下げ、
「率直なご意見に感謝を。どうにも私は他人に不信感を抱かせやすい質のようで、ボウバイト将軍にも罵られたばかりなのですよ」
シュオウは一歩踏みだし、
「将軍を知っているのか」
その名を聞いた途端、シュオウの目の色が変わった。
ネディムは頷いて、
「エゥーデ・ボウバイトは侯爵にして将軍、ターフェスタで有力な大家の長です。好戦的な近隣を睨む西門の総督を長年こなし、ボウバイトが抱える兵は土地柄、練度の高い精兵が揃います」
「優秀な人なんだな」
「仰るとおり、ボウバイト将軍は歴戦の古強者、将軍の抱える兵士も含め、味方になれば大変心強くはありますが……」
ネディムは言葉を濁して言った。
シュオウは淡々と、
「俺に手を貸す気はない、か」
ネディムは頷き、
「実のところ本日、その件を確認してまいりました。かの人物はあなたをよく思ってはいない。ただでさえ少ない戦力の一つは、あなたにとって、内なる敵となる可能性が高いのです」
深刻に語るが、しかしシュオウは顔色を変えることなく、ジェダと視線を交わす。
「その程度のことは想定の範囲内だ」
言ったジェダが、胸を張って腰に手を当てた。
シュオウは頷いて、
「初めから期待はしていない」
不安げな様子もなく、そう言い切った。
ネディムは視線を強め、
「ボウバイトを敵に回しても問題はない、心配する必要はない、とそうお考えなのでしょうか。直截に申しますが、それがもし油断と過信からくる不穏の種への過小評価なのだとしたら、考えを改めていただかなくてはなりません」
シュオウは強い視線をネディムに返し、
「甘く見ているつもりはない。ただ、初めから負けることを考えていない。俺に協力しないからといって敵になるわけじゃない、方法を考えて、利用する。そのために――」
左手を差し出し、
「――力を貸してくれ、必要なことがあれば教えて欲しい」
力強くそう言った。
「…………」
嬉しい驚きというものがある。
純粋な心から発せられる言葉に油断やごまかしは感じられず、あるのはただ勝利を求める貪欲さだけ。
ネディムは自身の輝石を乗せた手を出し、
「ご期待に添えるよう、尽力することをお約束いたしましょう」
互いの輝石の重さを感じながら握手を交わした。
ジェダが咳払いをしながら肩に積もった雪を払い、
「運び出しを見届けたら本来の目的に戻ろう」
ネディムは握ったシュオウの手を引き寄せるように力を込め、
「本来の目的、というのは?」
シュオウは肩にかけていた外套をめくり、
「仕立て屋を探しにきた」
中に着た茶色いムラクモ従士の軍服を見せた。
「なるほど、それなら――――」
*
ネディムは上街地区にある高級な仕立て屋へシュオウを案内した。
豪華な店の造りと看板を見上げ、シュオウは表情を曇らせる。
「もっと安い店がいい、あまり金をかけたくないんだ」
ネディムは首を振り、
「東門の司令官に着任されるのであれば、格好を気にするのは当然のことです。身なりはわかりやすく、その者の地位を示しますからね」
ジェダが頷いて、
「不本意だが、僕も今の意見に同意する」
シュオウは不機嫌に、
「俺の見た目なんて、誰も気にしてない」
「気にするさ、これからどこへ行こうと君は注目の的になる、よくもわるくもね。今の時点で二対一だが、もう一人に聞いて見よう――」
ジェダは護衛役のバレンを見やり、
「――アガサス重輝士はどう思う?」
振り返ったバレンはばつが悪そうにシュオウから目をそらし、
「申し訳ありませんが……お二方の意見に賛同いたします」
ジェダは微笑して、
「三対一だね、もう一人に聞いてもいいが」
皆から一斉に凝視されたレオンが顔を強ばらせるが、シュオウは白い息と共に嘆息し、
「わかった、ここにする……」
ネディムが颯爽と扉を開き、
「値引き交渉はおまかせを、言い値で物を買ったことは一度もありませんので」
爽やかに言い放つ。
後に続くジェダが、
「誇らしげに言う事か」
カルセドニー家当主の存在に気づいて平身低頭で接客をする店主に注文を告げると、複数人の職人達がシュオウの寸法を測り始めた。
シュオウがなすがままになっている間、ネディムとジェダは店内に置かれた生地を選びにかかる。
「生地の質は最上級のものを、丈夫さも兼ねたものがいい」
ネディムは同行する店主にそう指示を与えた。
「問題は色だな――」
ジェダは天井まで並べられた色とりどりの生地を見て呟き、棚から黒色の生地を取った。
「――やはり、これか」
ネディムは真紅の生地を手に取り、
「准砂はターフェスタの軍を率いるのですから、やはり北方で高貴な者が纏う赤が相応しいと思います」
ジェダは肩を怒らせ、
「上位になるほど色は濃さをましていくものだ、シュオウにはすべてを飲み込む黒色が相応しい」
「それは東方の仕来りでしょう。こちらでは深い赤は高潔さと情熱を思わせる色、大望を持ってターフェスタへ乗り込んでこられたあの方にこそ合います」
ジェダは風雪よりも冷たい微笑を浮かべ、
「僕と張り合うつもりか」
ネディムは一時も視線をはずすことなく、
「ええ、そうしなければ、あなたの側で副官としての席を確保するのは難しいと感じますからね」
ジェダは静かに表情を消し、
「なら、さきほどの方法に則るというのでは」
ネディムは微笑み、
「望むところです」
二人は同時に店主へ視線を送り、
「どちらがいい」
と選択を迫った。
店主は痛みを堪えるような引きつった顔で硬直し、額に脂汗をにじませる。
「えぁ……の……そうだ、奥で湯を沸かしていた途中でしたッ、見て参ります!」
店主は全力でその場から逃走した。
「どうしましょう、先ほどのように護衛のお二方に票を委ねますか、しかしそれではこちらが不利になるか……あなたはどう思われますか」
親しげな態度で接するネディムに、ジェダは不信を込めた視線を送る。
「どういうつもりで近寄ってきたか知らないが、謀があるなら今のうちに手を引くことだ、自分の腸の臭いを嗅ぎたくなければね」
ネディムは笑みを消し、
「敵と見做せば容赦なく抹殺する、それがジェダ・サーペンティアという人間の処世術のようですね」
「殺人を趣味にした覚えはないが、行く道にゴミが転がっていれば、全力でどかすさ。だから互いのために今のうちに真意を明かしておいたほうがいい、そうすれば無駄な時間も、無駄な死も避けられる」
ネディムはそっと笑みを戻し、
「知り合ったばかりのあなたに信用をされないのは当然のこととして、それでも私が語った言葉に嘘はないと申し上げておきましょう。ときに見えるもの、聞こえるものがそのまま真実であることもあるのですよ」
「身を切ってまでシュオウに尽くすような真似をして、そちらにいったいなんの得がある。言葉を信じるにたる根拠はなにもないじゃないか」
「それは、これからの行動で証明させていただくということにして、今はひとまず目先の問題から片付けていくことにしましょう。色の問題は、服を着るご本人に直接聞くということで、抜け駆けを失礼しますよ――」
ネディムは言って、赤い生地を持ったまま駆けだした。
ジェダは、
「あッ」
飾り気のない声を漏らし、慌てて黒い生地を持ってネディムを追いかける。
店主の弟子たちに全身を事細かに測られているシュオウは、目の前に突き出された赤と黒の生地を半眼でじっと見つめ、
「……考えたくない」
切り捨てるように言って、二つの生地を同時につかみ取った。
*
仕立ての依頼を終え、店の外に出ると、辺りは夕刻を過ぎ、夜が間近に迫っていた。
降り落ちる雪は粒の大きさを増し、一層寒さに拍車をかける。
「出立前に受け取れるよう完成を急がせます、受け取りも含め、後のことは私におまかせを」
ネディムが言った。
シュオウは下街のあるほうを見つめ、
「…………これから仲間達と今後の話を詰める、一緒に来ないか、ネディム」
「それは嬉しいお誘いです、が……」
険しい顔を向けるジェダをちらりと見やる。
ジェダは腰に手を当てて顔を逸らし、
「上官の命令を聞けないなら、この場で副官の座を退くべきだ」
降りしきる雪を背に、シュオウがネディムを強く見つめ、
「行くぞ」
ネディムは微笑みをシュオウに返し、
「喜んで、お供させていただきましょう……閣下」
言葉は白い煙となり、強さを増していく降雪の合間を縫うように、冬空に深く飲まれていった。