禍根 4
4
兵士の格好、白木の建材、冷気を纏って香る冬の花。
居場所を変えたシュオウにとって、そのどれもが見慣れぬものたちだった。
「つい最近まで戦っていた相手だ、居心地の悪さを訴えても仕方がないんだろうけどね」
無遠慮かつ、棘のある視線に晒されながら、ジェダが軽口を零す。
シュオウは周囲を軽く見て、
「襲ってこないだけましだ」
シュオウとジェダの二人は連れ立ち、城内を歩いていた。
ターフェスタに入り、バリウム侯爵の後押しを受けてアリオトでの任務を受けてからも、ターフェスタ城内に身を置く間、行動の自由は与えられていない。
幾度かの申請を経て、市街地へ外出する許可をとりつけたのは昼前のことだった。
シュオウは周囲を見渡し、
「シガはどうした、出たがっていただろう」
出立を間近に控えても、シガの姿はどこにも見当たらない。
ジェダは無感情に、
「腹を下したらしい、なにか傷んでいる物でも口にしたんだろう」
「そうか」
深く探るわけでもなく、シュオウは理由を聞いて素早く納得した。
歩くほど、刺さるような視線が絶えず、シュオウへと送られる。
「……嫌われてるな」
シュオウがむすっと言うとジェダは微笑み、
「敵意の視線もあるが、実際君へ向けられているものの多くは好奇の視線だよ。憎悪の視線の大半は僕に向けられたものだ、それもいい加減飽きたけどね」
ジェダは目を閉じて肩を竦める。
中庭に面した回廊を歩き、城の裏手から厩舎の一つへと足を運ぶ。
入ってすぐ、地面に這いつくばるようにして四つん這いの姿勢になっている老人の姿が目に入った。ターフェスタ公国の元宰相、ツイブリである。
「…………」
ツイブリの姿を見て、ジェダが静かに目をそらした。一つの国の政の中心に居たかつての宰相は、不潔な藁屑が散らばった厩の地面に転がる馬糞を素手で拾い集めている。
気づいたツイブリは顔を上げ、
「これは、お二方……お出かけになられるのでしょうか……」
力なく掠れた声、暗く窪んだ目元と痩けた頬は、心身の状態がよくないことを示している。衣服はみすぼらしく、くたびれた麻袋のように汚れきっていた。
シュオウは膝を突いたまま見上げる宰相の前で腰を落とし、
「これを」
手巾を差し出すと、ツイブリは大きく首を振って後ずさる。
「私はあの不祥事以降、すべてを失いました。極刑に値する罪を犯しながらも、長年のターフェスタへの献身を考慮するようにと嘆願した者達に救われ、こうして我が身と一族の命だけは見逃されております。その代わりに、宰相であった私は現在、素手で馬糞を片付ける役目を与えられているのです。ご配慮には感謝いたしますが、この手についた汚れは生きていられる事への条件でありますゆえに、どうかお気になさいませんように」
地面にこするように頭を下げる老いたツイブリの姿は痛々しい。
ツイブリは以前、ターフェスタ城からシュオウが逃亡する際に、まるでそれを助けるような動きをしてみせた。彼がどうしてそんな行動をとったのかはシュオウにも、またツイブリ本人にもわからないままである。
「できる事があれば――」
思わず、シュオウはそう口にしていた。
ツイブリは首を横に振って声を落とし、
「いいえ、あの元監察隊の者がなにかと……私や、苦境に立たされる私の家族のために手を貸してくれているのです。なぜか、と問うと、私があなたに味方をしたからだとか。望んでしたことではなく、胸を張れることではありませんが、孤立する我が身には得がたい救いであったため、甘えているしだい。そういうわけで、すでに私はあなたの恩恵を受けているも同然なのです」
「シュオウ――」
ジェダがシュオウの肩に手を添え、
「――行こう、あまり時間の猶予は与えられていない」
シュオウは頷き、立ち上がった。
別の世話役が用意してきた一頭の馬をジェダが引き、外へと向かう。見送るツイブリの目は、シュオウを捉えて一時も離れることはなかった。
巨大な門の手前側に、バレン・アガサス重輝士と、子息の輝士レオンが馬に跨がり待機していた。シュオウが姿を見せると二人は下馬し、腰を落として恭しく一礼する。
先に顔を上げたバレンが、
「准砂、護衛役としてお供をさせていただくため、待機しておりました、ご許可を願います」
ムラクモでは重輝士であり、遙か上の階級にあったバレンが、シュオウに対し部下としての態度を貫いている。シュオウはまだ、バレンの態度に慣れていなかった。
「……わかった」
シュオウはためらいを交えて頷き、許可を与えた。
ジェダの操る馬に二人乗りで跨がる。城から市街地へ通じる橋を渡る途中に後ろを振り返ると、バレンとレオンの二人が距離を置いてぴったりと後をついてきていた。両者とも、緊張した面持ちで周囲に気を配り、護衛役としての仕事をこなしている。
「君はそろそろ輝士に対して、上官として振る舞う態度に慣れておいたほうがいい、ぎこちなく見えるぞ」
ジェダの指摘にシュオウは眉間に皺を寄せ、
「……難しいんだ」
「彼らは国を捨て、君に従って運命を共にする道を選んだ。君は彼らの覚悟を淀みなく引き受ける義務がある。アガサス重輝士はさすがだよ、あの態度は好ましく合理的で理にかなっている。従属するなら常の態度から徹底すべきだ。モートレッドやアウレールに対しては自然に接しているだろう、彼女らにするように、というのも少し違うが……准砂という立場に相応しい程度に堂々と尊大に振る舞えばいいさ」
「准砂、か……」
そう呼ばれても、まるで他人に対してかけられたような言葉に感じてしまうのだ。
輝士制度に準じるムラクモも同様に、彩石を持たない者が将位を与えられる際、砂将軍という呼称が用意されるのだという。
アリオトの指揮官として任命されたシュオウは、その条件を満たすために准砂将軍という階級を与えられはしたが、それはまた、仮、という言葉が頭につく中途半端な状態でもあった。
「所詮は効率的に序列を示すただの言葉でしかない、あまり考えすぎないことだよ」
諭すようなジェダの物言いにシュオウは眉根を寄せ、
「そうだな」
が、口で言うほど簡単に順応できてはいないのだ。
「しかし……来た時も思ったが、あらためて見ると酷いものだ……」
遠目に市街地が見えるてくると、ジェダがそう漏らした。
シュオウは頷き、
「……前に来た時とは、別の街だ」
ターフェスタ市街地は荒廃していた。戦争や災害で荒れているわけでもないのに、街にはまったく人気がなく、当然のように活気もない。外交任務で初めて訪れたとき、ムラクモから派遣されたシュオウ達を見るために、大勢が賑やかに見物にきていた時の事を思うと、まるで別の街のように静まりかえっている。
シュオウは探るように周囲を観察し、
「監視がついたな」
輝士が二人、それに複数人の兵士が待機している。
「当然だろうけど、自由はくれないか」
ジェダは監視役達を凝視した。
「行くぞ」
シュオウが出立を宣言したその時、
「――こちらに向かって人が来ますッ」
警護につくレオンが報告をあげた。
レオンの視線の先を追うと、騎乗した一人の人物がこちらへ向かってくるのが見えた。バレンとレオンの両者が警戒を強めるなか、軽やかに馬で駆けてくる人物を見て、ジェダが独り言のようにその名を零す。
「ネディム・カルセドニー、だったか」
長髪、長衣を風になびかせ、ネディムは柔く微笑みながらこちらへ向けて手を振ってみせた。
ネディムがシュオウの目の前に来るより先に、アガサス家の二人の輝士が前に立ちはだかった。
ネディムは優しげな眼差しをシュオウへ向けて、
「丁度良いところでお会いできました、よろしければ、少々お時間をいただきたいのですが」
確認を求めるように振り向いて視線を送るバレンに対して、シュオウは頷いて許可を与えた。
ネディムは目の前まで来て馬から下り、腰を落として辞儀をした。
「このような形でご挨拶をすること、非礼をお詫びいたします。それと、我が弟クロムが多大なご迷惑をおかけしたことに対しても、カルセドニー家当主として正式に謝罪と感謝をお伝えいたします」
柔和で落ち着いた声音から、品の良さが滲み出ている。知っていても、本人の口からクロムが弟であると聞かなければ、二人が兄弟であるという事を忘れそうになるほど、両者の性質は大きく異なっているように見えた。
シュオウは端的に、
「こちらこそ」
と返した。
「あらためまして、ネディム・カルセドニーと申します、冬華六家ロウバイの輝士の称号をいただいておりますが、半壊状態の冬華の一員であることに名乗るほどの価値があるかどうか、自信をなくしているところではあります」
ネディムは軽い口調で言って、目を細めて笑みをつくる。しかし、彼の言う半壊の原因の多くに関与しているシュオウは、返す言葉がない。
「こっちは――」
シュオウとジェダは自らの名を返し、挨拶を終えた。
ジェダが棘のある声で、
「申し訳ありませんが、我々にはこれから予定があります、話ならまた別の機会にしていただきたい」
早々に会話を打ち切ろうとするジェダに対して、ネディムは長衣の袖を軽く振り上げ、
「正式な就任はまだですが、間もなく私は東征軍司令官補佐に置かれることになります。つきましては、アリオトへ入る前に上官となるあなたとの交流を持ちたいと思いまして。間違いがなければ、市街地の視察に出られるご様子、よろしければ、副官としていち早くご予定に同行を願いたいのですが」
ネディムの視線はシュオウに真っ直ぐ向いている。
その言葉を聞き、ジェダが隠しきれない苛立ちを露わにした。
「無礼だな、事前の申し入れもなく不躾に同行をさせろというのは。だいたい現状ではまだ正式な副官ではないはずだ」
ネディムは頭を下げ、
「ご指摘はごもっとも。引き換えに、というのもおかしな話ですが、冬華である私を同行させれば、つけられた監視を下がらせることができます。それをお望みかどうかはわかりませんが、大公直属の監視にぞろぞろと纏わり付かれるより、私一人だけのほうが、多少なり羽根を伸ばせるのではありませんか」
シュオウは逡巡し、ジェダを一瞥した。
ジェダははばかることなく、露骨に嫌気を顔に浮かべる。
次にネディムに視線を合わせた。少なくとも、外から見ている分には、敵意や悪意は感じられない。どころか、ネディム・カルセドニーという男は、一見してとても感じが良いのである。
――見ておくか。
自身の副官になるという、ネディムがどういう人物であるか、いずれにせよ知っておく必要はあるのだ。
シュオウは、
「わかりました、お願いします」
短く同意を告げた。
ジェダが物言いたげな視線を寄越すが、無言でそれを受け流す。
風に舞う粉雪が、行路に鈍色の影を落とす。
一行は市街地の奥へと向けて進み出した。
*
「…………」
シュオウは馬上から街の光景を見て嘆息した。
「ひどい状態だ、とお思いでしょう」
寂れた市街地を眺めながら、ネディムが声を落として言った。
「……ひどすぎる」
シュオウは問いかけに率直な答えを返す。嘘や世辞を返す気にもなれないほど、ネディムの言葉通り、街は荒れている。
人通りはほとんどなく、時折見かける市民は皆痩せ細っており、彼らはシュオウやネディムに気づくと、皆呆けた顔でじっと視線を向けてくる。顔の骨が浮かんで見える子供を見かけたとき、その様に酷く心が動揺した。
「短期間でよくもここまでの状態にできるものだ」
ジェダの呟きにネディムが頷き、
「君主が愚策を執った時、民は飢えるのです。これは必然といえる光景なのでしょう」
ターフェスタ大公への批判としか聞こえないネディムの言葉に、シュオウとジェダは意表を突かれた。
「……我々を試しているつもりですか」
ジェダの言葉にネディムは首を振り、
「とんでもない、偽りなく思いを口にしただけです。東方攻略のために用意した軍備は、この国の国庫が賄える額を逸脱している。足りない分の負担は民への重税で補われている状態ですが、それがどのような結果をもたらしたのか、その一部は目の前の光景に現れている。この事態を事前に防ぐことができる人物がターフェスタにはいました、が……」
「自分には関係がない、か……」
シュオウの憮然とした言いようにジェダが驚きを顔に表した。その態度から、口を滑らせたことを自覚し、苦い顔をする。
ネディムは視線を落とし、
「お言葉の通り、冬華という大層な位をいただいてはいますが、その実、私に主を諫めるだけの器量は足りていなかったのです。たしかに、この事態の責任の一端は我が身にもある、他者を責めるより先に自らを恥じるべきでした」
シュオウはネディムへ顔を向け、
「すみません」
ネディムは首を振り、
「お気遣いは無用に、それとできれば私に対しては部下として接するのと同じようにしていただきたいのです。副官となれば序列に則り、私は正式にあなたの下になるのですから、相応の振る舞いがなければ兵が戸惑います。さきほどの私に対する物言いはまさに望むところ、どうか今後もあのように接していただきたい」
シュオウはネディムへ視線を戻し、彼の表情をよく観察した。物腰は柔らかだが、あまりにも隙がない。友好を感じる一方で、会って早々に親しげな態度も、見ようによっては不気味である。だが、その言い様はもっともであり、誠意を感じた。
シュオウは控えめな態度を解き、意図して胸を張って頷いた。
「そうさせてもらう」
ネディムは長衣の袖を払って頭を下げ、
「感謝いたします」
ジェダの物言いたげな視線を受け止め、シュオウは黙して頷きを返す。言いたいことはわかっていた、気を許すな、と言っている。
「では、道行きの再開を――」
ネディムが前方へ手を流し、促した。
下街の奥まった場所にある小広場にさしかかったとき、人々が群れて集まっている様子が見えてきた。
「あれは……?」
シュオウの問いにネディムはその光景を凝視し、
「見るに、下街民の集会、といったところでしょうか」
集う者達は手に食器や容器のようなものを持ち、奥で列を作り並んでいる。その様子を見ていると、後尾にいた者達がシュオウを見て、突然大きな声を上げた。
「あ……ッ!」
シュオウを指さした若い男がそう声をあげると、列に並んでいた者達が一斉にシュオウへ視線を向ける。その途端、場は騒然となった。
状況が飲み込めないまま、人々の注目が一身にシュオウへ寄せられる。激しくなっていく喧騒と共に、一歩、また一歩と、群衆が固まりとなってシュオウへ向かってきていた。
「シュオウ――」
緊張した面持ちのジェダが声をあげると、バレンとレオンが盾となって前に躍り出る。
ネディムが硬い声で、
「これは……引き上げたほうがよさそうですね」
頷いたシュオウが後退したその時、
「鎮まれ!」
群衆の奥から大きく野太い声があがり、人々の注目がその声の主に集中する。集団が割れるように左右に広がり、その奥から一人の男が姿を現した。下街の一画を仕切る平民の有力者、ヴィシャである。
ヴィシャはシュオウを見るや、
「あんたかッ」
強面に似合わず、大きく口を開けて破顔した。