重たい雪 1
重たい雪
1
ターフェスタの主要な要塞の一つ、アリオトに所属する輝士達がずらりと通路の左右に並んでいた。その間を輝士の一団が列を成して行進している。真昼の陽光を受けた新雪のように輝く銀髪を持つ彼らは、ターフェスタ公国の名門、ワーベリアム家に連なる者達である。
規律正しく、背筋を伸ばし、整った足並みで行進を続ける集団、その先頭に在るのは、ワーベリアム一族でも際だって真白な長い髪を揺らして歩く銀星石の主、プラチナ・ワーベリアムだ。
プラチナが歩く度、左右に並んだ輝士達が恭しく頭を垂れた。まるで風の通り道で植物が辞儀をしていくようなその光景は、銀星の名を冠する燦光石への畏怖と、プラチナという個人に対する敬意の表れだった。
「ワーベリアム准将、御入室ッ」
両開きの扉の前で、控えていた輝士が告げて扉を開く。長大な机が広々とした部屋に鎮座するそこには、会議のために、各部署の責任を負う立場にある者達が集っていた。
すでに到着していた上級輝士達はプラチナの登場と同時に席を立ち、椅子から離れて頭を下げる。カトレイから派遣された軍を率いるオーデイン・バルは、気怠そうな態度で彼らに倣い、立ち上がった。
同じく、すでにこの部屋で待機していたナトロが、
「プラチナ様――」
呼んで、中央奥の椅子を引く。
プラチナが着席し、その近くの席にワーベリアム家の輝士達が腰を落としていく。日頃ワーベリアム家当主の補佐役を務めるリディア・ワーベリアムは、プラチナの右隣に立ったまま控え、左隣にはナトロが腰の後ろで手を合わせ、胸を張って足を広げた。
「着席を」
プラチナの声かけを待っていたかのように、立っていた者達が粛々と席に腰を落とす。また、最後に椅子を引いたオーデインが着席すると、皆の怒りが込められた鋭い視線が寄せられた。
プラチナは咳払いをして皆の注意を引き、
「――この集いに感謝を。それではさっそく、評議を始めましょう」
しかし、水を差すようにオーデインが、
「軍議、ではないのですか」
ターフェスタに属する輝士達が皆、オーデインを不快そうに睨めつける。
プラチナは落ち払った態度でオーデインを無視し、
「――アリオトの現状評価を」
プラチナが全体を見渡しながら言うと、一人の輝士が立ち上がり報告を上げる。
「先の戦闘により、我が軍は甚大な被害を受けました。特に乱入した狂鬼の群れによる死傷者の数は継戦のための許容範囲を大きく超えています。失われた晶士の人員補充もままならず……」
ターフェスタの輝士達が暗く顔を沈める。犠牲者達の悲惨な姿を思い出し、プラチナもまた瞼を落として祈りの言葉を心中で唱えた。
だが、そんなしめやかな空気を嘲笑うように、この場に参加する唯一の異国の人間、オーデインは愉快そうに鼻を鳴らす。
プラチナはオーデインを鋭く睨みつけ、
「なにがおかしいのですか」
千本の刃のように突き刺さる視線を物ともせず、オーデインは不遜に胸を仰け反らせて座り直した。
「あなた方は、さも狂鬼の襲来を凶事のように語っているが、あれがなければターフェスタ軍は形勢有利であったムラクモ軍に蹂躙されていたのではありませんか」
「なんだとッ――」
怒り、猛る輝士が椅子を押しのけ、立ち上がった。
「――我先にと逃げ出しておいてその口か! 皆見ていたのだぞ、お前達カトレイの兵が、我らを盾にして早々に戦場から去ったその背を!」
輝士達の強い怒りの眼は、オーデインを捉えたまま放さない。
オーデインは涼しい顔で、
「私の部隊の練度が勝っていたことが罰に値するというのであれば、謝罪の意をお伝えいたしましょう。しかし南山に、藁の下に腐魚を重ねる、という言葉もあります。保存にしくじった大量の魚も、思いがけず別の形として息を吹き返す事もある。その後、その発酵したその食料が村を飢饉から救ったという逸話でありますが、今回の事もこれと同じ事を言えるのではないでしょうか」
「よくもそんな、ふざけたことをッ!」
ターフェスタ側の輝士達から醜い怒声が巻き起こる。場の乱れが頂点に達しようかと言うとき、プラチナは卓を拳で叩いた。硬く丈夫な木材が、拳大に激しくへこみを残す。それほどの威力から生まれた轟音により、場は一瞬で静寂を取り戻した。
プラチナは皆を睥睨し、静かに語り始めた。
「この戦いは今もなお、国庫に多大な負担をかけ続けている。これ以上の戦費拡大を防ぐためにも、ムラクモへ正式に使者を派遣し、一時停戦の申し入れをしたいと考えています」
静寂は破られ、どよめきがあがった。
一人の輝士が立ち上がり、恐る恐るプラチナへ問う。
「しかし、それでは大公殿下の命に背くことになります……」
プラチナは頷き、
「すべての責は私が負います。今はまず、現状を立て直す時。傷を負ったのは我々だけではなくムラクモも同じなのです。心ある指揮官に誠意を持って訴えれば、通じるものと信じます。時を得て、その間に他の門に置かれる軍から補充を得られるよう殿下に願います。それが叶えば、借り物の兵力を削減することもでき、流出する我が国の財、その出費を節約することができるはず」
ちら、とプラチナから視線を送られたオーデインは冷笑を浮かべて目をそらす。
カトレイと契約し派遣されている軍隊は、出陣の度に追加の費用が発生する。それに加え、勝利した際にはさらに報酬を上乗せする事が約束されていた。彼らに支払われる金は、ターフェスタの民に課せられた重税によって賄われている。プラチナの思惑は、その現状を少しでも良い方向へ修正することでもあった。
ざわつく空気はそのまま、各自が目配せと囁きにより、互いの疑念を訴える。が、しかし、名家たるワーベリアム一族を従え、背後には冬家六家の一つ、カデン家の名を負うナトロが従順に控え、国で唯一の燦光石を持つプラチナの意見に、反抗する者は一人もいなかった。
やがて訪れる静寂は、皆の迷いが消えていく証となり、彼らの視線は真っ直ぐプラチナへと寄せられた。
プラチナは皆の顔を見て頷き、
「まずは正式な使者をたてる前に前触れを送り、あちらに交渉の意思があるかどうか、確認をしたいと思います」
しかし、その言葉に意義を唱える者が現れた。
「お待ちください、准将」
発言者を見てプラチナは目をしばたたき、
「ボライト様……?」
立ち上がったのは、白い長衣を纏った一人の老人である。彼の名はボライト・ワーベリアム。ワーベリアム家の重鎮であり、プラチナにとっては、幼少の頃によく遊んでもらい、多くの教えも受けた、歳の離れた兄のような存在である。彼はこの戦場へ、プラチナの相談役として同行をしていた。
「慎重であることは美徳、ですが刃を交えた相手との交渉は簡単にはいきません。心へ訴えるのであれば、誠意を示さねばならないが、准将はすでにその一手を打っておられる。戦場に打ち捨てられたままであった遺体の引き渡し、その誠意は十分に伝わっているでしょう。そうであれば、すでに前触れは済ませてあるものと思われます。この後は私が交渉役となり、ムラクモの拠点へまいりましょう」
ボライトの申し出に、戸惑う空気は特にワーベリアム家に連なる者達の間から漏れ出した。
プラチナは眉を顰め、
「ボライト様はご老体の身……賛成はできません」
ボライトは豊かに蓄えた白いヒゲを撫で、
「年寄り故に警戒を少しでも和らげる事ができるのです。それに、相手方の信を得られぬ場合はこの身を証として捧げることをお許し願いたい。我が身が准将の血族であるからこそ、その価値が生まれます。どうかご許可を――得たければ、まず与えねばなりません」
停戦の意を証明するものとして、自身が人質となると、ボライトは告げた。彼は一族でも一目置かれる存在であり、ワーベリアム家の者達からその意に反対を訴える者はいない。
プラチナは無言で深く息を落とす。おもむろに上げた視線がボライトと重なると、子供の頃から見慣れている温かな眼差しと微かな頷きが送られた。
プラチナは顎を上げ、
「……ボライト・ワーベリアムを使者として認めます。ムラクモと交渉を進め、一時停戦の約束を取り付けてくるように」
ボライトは深々と頭を垂れ、
「拝命いたします、ワーベリアム准将」
プラチナは潤んだ目を細め、
「……どうか、お気を付けて」
と囁くように言った。
*
朝の光が部屋を照らす。
深界、ムラクモの軍事拠点ムツキの傷病者達を集めた部屋で、テッサ・アガサスが盛大に窓を上げると、寝台に身を置く者達から不満の声があがった。
「やめてくれ、せっかく暖炉で温めた熱が全部出ていってしまうじゃないか」
テッサは両手を腰に当てて、
「淀んだ空気は傷、病の毒になります。私に文句があるのなら、アガサス家当主である父へお伝えください」
皆の視線がついたての奥に腰掛けるバレンへ向けられた。バレンは食べかけの粥を運ぶ手を止め、酷く人相の悪い顔で部屋中をなぞるように、ぎろりと目線を動かす。途端、不満げだった者達は一斉に視線を逸らし、各々の寝具にすっぽりと全身を隠してしまった。
バレンの傍らに席を取るレオンは笑って、
「我が家のこの顔付きが役に立ちましたね」
窓と入り口の扉を開け放ってきたテッサはふわりと鼻息を落とし、
「損をすることのほうが多いけれどね」
「……すまん」
バレンは眉根に溜めた力を緩め、謝罪の言葉を吐いた。
レオンは弱り顔で父をなだめ、
「でも昨日は、今まで経験したことがないほど他人と視線が合いましたよ」
テッサは首を傾げて、
「狂鬼の腕の話を聞きたさに、でしょ。あれを皆に見せるようにだなんて、ジェダ様も変わった事を願われるのね」
レオンは頷いて、
「嫌なら断ってもいいと言われたけど、そんなわけがないからね。僕達を救い出してくれたあの人の成果をもっと知ってもらえるにはいい機会だとも思ったんだ。加工を始める前だったし、それも丁度良かった。けど、まさか輝士達があれだけ興味を持って集まるとは思わなかったよ」
シュオウの手により、タイザと呼ばれていた猿の狂鬼の腕からは、すでに輝石がはずされている。この行程により、骨や毛皮などを残すことができる。古来より、狂鬼が残す素材は高価な代物として価値があった。特に毛皮などは王侯が万金を用意したとて、望むままに手に入れる事は難しいのだという。
狂鬼を狩るという行程において、石を傷つけずに討伐することはとても難しいのだとシュオウは語っていたが、レオンはその言葉の意味を、正確に把握しきれずにいた。
「あの腕、いつまでもそのままにはしておけないんじゃない」
テッサに言われ、レオンは頷いた。
タイザの腕はきめ細かい高級な布地に包み、窓から城壁にぶらさげた状態で置いてある。冬の冷気で、腐敗を遅らせるためだった。
「職人を呼べればいいのだがな」
バレンが窓の外を眺めて呟いた。
ユウギリに滞在中のサーサリア王女の影響で、現在ムツキとの間では人の行き来に制限がかけられていた。職人が見つからなければ自分が作業をしてもいいと申し出てくれたシュオウも、今はムツキにその姿がない。
テッサとレオンの二人も、窓の外をぼんやりと見つめる。
「無事に向かわれているといいのですが」
レオンの呟きに、テッサも同意を告げた。
アガサス家が事態を知ったのはシュオウ達がムツキをすでに出立した後である。昨日の展示会の好評を依頼主のジェダに伝えようとしたレオンは、早朝からその姿がシュオウと共にどこにも見当たらない事に気づき、シュオウの隊で料理番をしている大男から話を聞いてようやくなにがあったのかを知ったのだ。急な事で驚きもしたが、理由が王家からの直々の表彰となれば、それはなにより誇らしく、それを聞いたバレンも大いに喜んでいた。が――
「どうにも、落ち着かん……」
突如、独りごちるようにバレンが言った。
レオンは首肯し、
「私も感じます。どうも、増援が到着してから、なにかムツキの空気が変わったような感覚が」
右硬軍より派遣された輝士を中心とした補充兵。それを指揮するのは総司令官たるサーペンティア重将の長子、ゼラン・サーペンティアである。彼はしかし、増援を送り届けた後もムツキへ居座り、増援部隊の指揮権をリーゴール将軍へ委譲していないのだという。バレンはそのことを強く訝っていた。
だが、バレンの不安はそれだけではない。現在、ターフェスタ軍の拠点アリオトには、将として燦光石を持つワーベリアム准将が司令官としての任に就いているのだという。正式な情報として聞いたわけではないが、その事はすでにムツキの中で噂として広まりつつあった。
バレンが考え込むように黙したその時、
「アガサス重輝士、失礼します――」
部屋に入ってきたのはバレンの部下である女の輝士だった。彼女は深刻そうな顔で額に汗を浮かべて一直線にバレンの下へと駆け寄る。
「どうした」
問われ、女の輝士は耳打ちをする。
「軍議のため、ムツキの上級士官達に招集がかけられました」
バレンは眉を顰め、
「なにも聞いていないぞ」
女の輝士は頷いて、
「なにかおかしいのです。昨夜から裏で武器や馬の支度が進められているようで、そのうえ今朝になって急な軍議の招集、これではまるで急ぎの戦支度をしているようにしか……」
バレンはじっくりと思考し、
「レオ、手を貸せ」
レオンに身体を支えられながら立ち上がった。
「父上、どちらに」
テッサに問われたバレンは、
「軍議に参加する――私の軍服を用意しろ」
と短く告げた。
*
ムツキの作戦室には武装した輝士が数名、警備に立っていた。見慣れぬ彼らの姿にバレンは目を細める。
バレンは同行しているレオンから身体を離し、
「バレン・アガサス重輝士だ、中へ入らせてもらう」
輝士は扉の前に立ちはだかり、
「招集のかけられた方々はすべて入室済みです。部外者の立ち入りは固く禁じられている、お引き取りを」
その態度に不満を露わにしたレオンが、
「部外者……? 父は元帥より直々に任命されたムツキ司令官の補佐役だ、ここを通さないというのであれば、相応の理由を聞かせてもらいたい」
警備にあたる輝士達は互いに目を合わせ、
「……お待ちください」
そう言って一人が作戦室へと入っていった。
間もなく、部屋から出てきた輝士は頷いて、
「どうぞ――」
と部屋へ促す。
「父上――」
バレンの身体を支えながら、レオンが扉へと向かおうとすると、輝士が手を出して制止した。
「入室を許されたのはアガサス重輝士お一人です」
また、険しい顔をするレオンへ、バレンは首を振って身体を離した。
「かまわん、ご苦労だった」
レオンは頷き、
「ここで待ちます」
バレンが作戦室に入ると、呼び出しを受けたと思しき上級輝士達が、長く大きな卓に肩を並べていた。
ムツキの司令官ニルナに、その代理役を務めるアスオン、ニルナが抱える部下も含め全員が参加している。しかしそこに、見慣れぬ若い男の輝士の姿もあった。
――サーペンティア家。
彼は蛇紋石の主、オルゴア・サーペンティアの長子、ゼランである。
入室してその場で佇むバレンへ皆の視線が集まる。ゼランはバレンを一瞥し、尊大な態度で顎をしゃくり、着席を促した。
空いている席へ誘導され、バレンは若き輝士達の中、皺を刻んだ渋い顔で、静かに席に腰を下ろす。斜め向かい側方向に座るアスオンへ会釈をしたが、アスオンは気づいていないといった様子で顔をそらした。
全員が着席し、場が鎮まったのを見て、ゼランは一人立ったまま腰に手をあて胸を膨らませた。
「ここにいる者達にはすでに知る者もいるだろうが、現在交戦中である敵軍の指揮官として、燦光石を有するワーベリアム准将がその任についた。おそらく我々をを威圧しているつもりなのだろう」
息を飲む気配が染み渡るように部屋一杯に広がっていく。
ゼランは指揮杖を卓に叩きつけて、
「しかし、我々はその程度の事で怯むことはない。近日のうち、ワーベリアム指揮下のアリオトへ進軍を開始する」
話を聞いていたバレンは無言で顔を顰めた。
「ターフェスタの燦光石――銀星石と直に戦う、と?」
ニルナの部下の一人が戸惑い気味にゼランへ問う。
ゼランは一人立ったまま皆の視線を一身に集め、
「その通りだ――」
卓上に置かれたターフェスタ、ムラクモ両軍の状況を簡易的に模した図と模型を指し、
「――先の戦い、我らが勝利を目前にしていたという戦況下で、敵軍はその数を大幅の損耗したはず。これ見よがしになけなしの燦光石をアリオトへ置いたのは、状況の不利を見てターフェスタの領主が焦りを見せた証拠だろう。つまり、今は押すべき時ということだ」
得意げに言うゼランの表情は、ときおり下品な笑みを浮かべ、どこか悪戯を楽しむ子供っぽい幼稚な雰囲気も滲ませる。
居並ぶ者達は、皆なにか言いたげに目を合わせるが、各々がゼランを恐れているかのように、口をつぐんでいた。
バレンは胸から深く息を落とし、
「反対をいたします」
言った途端、全員の視線がバレンに集まった。ぎょっとしたように驚きを見せる者もいるが、大半の者達は安堵の表情をバレンへ向ける。
にやついていたゼランは笑みを消し、バレンを憎々しげに睨みつける。
「……貴殿は」
「バレン・アガサス――重輝士、であります」
バレンはゆっくりと立ち上がって名乗った。階級の部分は、あえて声量を上げて伝える。
ゼランは一層視線を険しくして、
「バレン殿……質問ではなく、反対である、と言われるのか?」
バレンは首肯し、
「初戦と同じ状況であれば勝ち目を見る事はできました。ですが、かの石が相手となれば結果は見えなくなる。焦らず、相応に対策を用意してから事に当たるべきです」
バレンの言葉に、周囲の者達が控えめな頷きをして見せる。ゼランは目線のみを動かして彼らを一瞥し、
「敵に猶予を与えると? そんな悠長な事をしていれば、傷を癒やす時間を与えるだけだ。相手が油断している間に一刻も早く打って出るべきである」
ゼランの言いようには微かに必死さが滲んでいる。
バレンは日陰の中の巨岩のようにどっしりとした態度で、
「我が軍の行動に関する決定は、司令官たるリーゴール将軍、またその代理を務めるリーゴール重輝士が行うはずです」
その言に、なぜかリーゴール家の親子は肩を縮ませ、俯いた。
ゼランは不機嫌な顔をそのままに、
「どうやらよくわかっていないようだな。我が身は現在、右軍を統括する父、オルゴアの名代としてここにいるのだ」
バレンはゼランと真っ直ぐ目を合わせ、
「では――失礼ながら、それを証明する物を見せていただきたい」
「なに……」
ゼランの顔色が露骨に曇った。
「ムラクモ王国軍の片翼を担うサーペンティア重将ほどの権限を委任されているということ。それ自体がまったく異例な事と存じあげるが、事実であれば、御身はそれを証明するための物をお持ちのはずです」
バレンに指摘されたゼランは、指揮杖を強く握りしめ、歯をこすりあわせた。
「無礼だぞ……私は右軍より派遣された援兵を率いている。その証明として父上より預かったこの蛇の指揮杖を手にしているのだッ」
ゼランの手の中にある指揮杖は、双頭の蛇を模して作られた特注の品だ。たしかに、蛇を象徴とするサーペンティア家に連なる物は、それに関連した装飾品をよく身につけている。だが、
「物品だけでは判断がつきません。現地の司令官を超えるほどの権限を渡されたとなれば、それを証明する重将直筆の書の類をお持ちのはず。それを確認させていただきたいのです」
ゼランはいよいよ歯を剥き出し、不快感を露わにした。激しくリーゴール将軍を睨み、
「証人として、リーゴール将軍にすべての確認は済ませてある」
バレンは強面をニルナへ向けて、
「閣下、事実でありましょうか」
ニルナは一瞬だけバレンを見やり、
「……ゼラン様の意向はすなわち、サーペンティア重将の意に等しいと認識している。これ以上の物言いは上官への反抗と見なす、控えよ」
「それは、上官としての命令でしょうか」
「……そうだ、アガサス重輝士」
「…………は。失礼をお詫びいたします」
バレンは頭をさげる。が、
――なんだ、これは。
バレンは現状を強く訝しむ。
突然現れ、我が物顔で場を仕切っているゼラン。彼は本人の言う通り、まるで右硬軍の最高司令官である重将のように振る舞っているが、この事態の異常さに異を唱える者が他にいない事に、バレンは強烈に懸念を抱いていた。
実際、同じように感じている者は少なくないはずだ。が、ムツキを仕切るリーゴール親子の不自然なほど従順な態度と、サーペンティアという家名に怯えているせいか、表情の端々に不信感を見せつつも、誰も何も言おうとはしないのだ。
ゼランは大きく咳払いをした。バレンにはそれが、自身へ向けられた威圧のように感じられた。
「さて、話が逸れたが――各々に集まってもらったのは、先ほどの方針を伝えるためと、それに関しての意見を聞くためでもある。言いたいことがあるのなら今聞こう。なければ賛成とし、速やかに戦の支度を調え、ターフェスタへ進軍の予告を行うものとする」
一瞬の静寂の後、ニルナの側近である女輝士が挙手をして、
「申し上げます。次なる戦端を開く前に、敵の戦力を正しく評価すべきです。つまり、ターフェスタの燦光石が戦場に現れた際の対策を考えておくべきでは、と」
ゼランは彼女を睨みつけ、
「燦光石とはいえ、相手はただ一人の人間にすぎない」
女輝士は食い下がり、
「ですが――」
「燦光石と一括りにしても、その中には格が存在する。我がサーペンティア家の蛇紋石のように、優れた殺傷力を有する石であれば厳に警戒をすべきだろう。が、王の石も持たぬようなターフェスタの領主に屈服するような石など、果たして恐れるに値するだろうか」
ゼランの言葉を受け、皆がひそひそと言葉を交わし合う。
バレンは控えめに挙手をして、
「かの石がある戦場には、銀の雪が降るという話を聞いたことがあります。他にも逸話はありますが、伝説や噂の域をでない話ばかり。仮にその力が殺傷力で劣っていようとも、やはり燦光石を侮るべきではありません。私から提案ですが、宝玉院から優れた史家の派遣を要請すべきです。銀星石の力量を正確に把握し、対応策を練ってから戦闘に臨んでも遅くはありません」
ゼランは口角を歪め、指揮杖を卓に叩きつけた。
「しつこい……戦場に学者など不要、勝利のためには現地の将の迅速な判断が必要となる場面もある、今がまさにその時だッ」
バレンは痛みに耐えながら立ち上がり、リーゴール家の二人へ顔を寄せた。
「リーゴール将軍、どうか懸命なご判断を――」
ゼランが焦ったように手を振り合図を送った。部屋の隅に待機していた輝士達が、バレンの側に立ち、退室を促す。
リーゴール家の二人は、顔を背けたままバレンと目を合わせようとはしない。バレンはじっとりと視線を寄越すゼランを睨み返し、上官であるニルナへ一礼した後、促されるまま席を立った。
退室する寸前、
「バレン・アガサス重輝士……その不快な顔と共に記憶に止め置いてやる」
とゼランが告げた。
*
「父上――」
バレンが作戦室を出ると、通路の奥で待機していたレオンが駆け寄ってきた。身体を預けつつ、バレンはレオンの耳元へ顔を寄せ、
「人気のない場所へ――途中テッサを拾う」
強ばったバレンの声を聞き、レオンは真顔で頷いた。
指示通りに途中でテッサを呼び、アガサス家の三人は建物との間をつなぐ外通路で足を止める。元々下働きの者達のために用意されている粗末な道であり、さらに季節の寒さのため、人の行き来は極端に少ない。
「何事ですか」
不安そうにテッサが問う。
バレンは二人の子供達からの視線を受け止め、険しい顔で口を開いた。
「雲行きが怪しい。到着したばかりのゼラン様が、一切の証明もなく、まるでこの戦争の司令官のように振る舞っている。そのご意志によれば、燦光石を置いたアリオトへ、早々に戦を仕掛けるというのだ」
レオンとテッサは目を見開いて違いに視線を交わした。レオンはバレンを見て、
「あの銀星石と戦うのですか」
バレンは首肯する。
「戦うのはいい、我々は仕掛けられた戦いに勝利するためにここにいる。だが、相手が燦光石とあってはより慎重に準備を整えなければならん。輝士の大半は若く経験に乏しい、良質な晶士は明らかにその数が足りていない。未だ傷の癒えていない負傷者も多すぎる。歩兵の戦力も不十分だ」
テッサは、
「リーゴール将軍はなにもおっしゃられていないのですか……?」
バレンは頭を横に振り、
「すべてを了承されているご様子、忠言に聞く耳を持たれていない」
レオンは深刻に喉を鳴らし、
「なぜそれほど急ぐ必要があるのでしょうか……先日も敵方から戦場に置かれたままの遺体が丁重に預けられました。そうした態度からも、現状、あちら側の指揮官は戦いを望んでいないようにも感じられます」
バレンは深く首肯する。
「……手柄を望んでおられるのやもしれん。ゼラン様、それにご子息を引き立てたいリーゴール将軍の思惑、か」
テッサは肩を怒らせ、
「そのために、無策で兵を極石の前に晒すというのですか」
バレンは深く息を吐き、
「私は元帥よりこの戦場の行く末を託された。疑念を放置し、このままただ見過ごすことはできない――」
レオンを強く見つめ、
「――レオ、お前に一つ使命を託したい」
レオンはまるでそれを察知していたかのように、明瞭に頷いた。
「はい、ご指示をください」
「夜を待ち、早馬を出してこの事を王都に知らせ、後の判断を仰げ」
レオンは承知を告げつつも、
「……ですが、今から向かって間に合うのでしょうか」
気になる所を問われ、バレンは喉の奥で唸った。そうしているとテッサが、
「ユウギリには今、シュオウ殿がいます。あの人にこの状況を伝えて、親衛隊に協力を願っていただく事はできないでしょうか」
「……なるほど」
バレンは小刻みに首を振った。
テッサのもくろみは、シュオウが王女サーサリアからの寵愛を受けている、という噂に基づいている。もしそれが現実の事なのであれば、たしかにレオン一人にすべてを背負わせるよりも、より良い結果を得られる可能性は高くなる。
「父上――」
テッサの提案を後押しするように、レオンはバレンへ頷いて見せた。
バレンは二人を交互に見て、
「それでいく、支度に取りかかれ」
*
光のある所、影は必ず落ちる。
互いに敵対関係にあると自覚するアデュレリアとサーペンティア。ムラクモ王国に在って強烈に光を発する両家には、大きな影が存在する。
サーペンティア家の抱える影の組織、無手と影蛇を指して、蛇の手足と呼ぶ者達がいる。侮蔑の意味を込められたその言葉も、しかし組織に属する者達は、好意的にその呼び名を受け入れていた。
したたかに身体を這わせ、隙を見て獲物をじわりと絞め殺す大蛇。その手足となる事を誇らしいとすら思い、終生の忠誠を尽くすのである。
夜更けのムツキ、倉庫の壁に開けられた穴に顔をつっこむガザイは、まさに蛇の手足としての役目に従事している最中だった。
あまりにも古い時代から増改築を繰り返してきたこの城塞には、封じられた部屋や通路が無数に存在している。その一つを見つけた部下の報告で駆けつけたガザイは、微かに風の流れを感じる古い通気口に明かりを入れ、中の様子を探っていた。
ガザイは通気口の底に指をこすりつけ、
「……いるな」
積もっているはずの埃も、古い蜘蛛の巣もなく、指には石材から剥がれ落ちた汚れが僅かに付着しているのみ。直近に、何者かが出入りに使っていた兆候である、とガザイは見る。肌でそれを察知したハイズリの感は、たしかなものだったのだ。
「奴らでしょうか」
部下に問われ、ガザイは首肯した。
「おそらくな。だが、いったいなにを……」
自問するようにガザイは呟いた。そこへ、
「頭領ッ――」
別の場所を調査させていた部下達が、慌てた様子で倉庫へ駆け込んでくる。二人組で、一方は右腕の袖を鮮血で赤く染めていた。
「どうした、なにがあった」
「――やられました、隠し通路に入ってまもなく……侵入者殺しの仕掛け罠です、飼い犬共の手口によく似ている」
部下は負傷者を抱えたままそう言い、血に濡れた短剣をガザイへ渡した。
ガザイは短剣の刃に光を当てて観察する。刃は油性のものを塗られたように、ぬるく光の反射を鈍らせていた。
「毒、か……。ここはいい、すぐに治療所に連れていけ」
承知を告げた部下達が去った後、ガザイはしゃがみ込んで罠に用いられていた短剣と通気口を交互に見る。
「いったいどういうことだ……」
華々しい輝士達が詰めるこの城塞ムツキに、その影をうろついている者がいるのはたしかだ。が、それがアデュレリアに属する者の仕業であるとして、わざわざその存在を誇示するように罠を仕掛ける事にいったいどんな利点があるというのか。
通路に仕掛けられた罠は通常、その先への侵入を防ぐ目的がある。つまり、隠し通路に仕掛けられていた罠の真の目的は、先にあるものを守るため、と考えられる。だが、
「これではまるで――」
ガザイは独りごちる。直後、はッとして顔を上げた。
部下の男が顔を覗き見て、
「頭領?」
「飼い犬が、我らの失せ物を守っているやもしれん」
部下は驚いた様子で、
「まさか、よりにもよってあの連中が……ありえません、アデュレリアはサーペンティアを助けない」
部下の指摘はもっともだった。遙かな昔、領地の割譲を強要されたアデュレリアは、不遜な態度でそれを受け取ったサーペンティアを恨み、猛烈に憎んでいる。殺すことはあっても、助けることなどはしない。それが例え、石に色を持たずに生まれたジュナ・サーペンティアであってもだ。
だが、現実は常に至極単純なのである。真実を見るには深読みや常識を捨て、ただ目の前にある事象にのみ集中すればいい。ガザイは頭の中で状況を整理し、関係する者達に纏わる情報を丁寧に掘り起こした。
「ある……繋がりが……」
あの得体の知れない眼帯の従士だ。あの男はアデュレリア領に長期滞在し、氷長石自ら紋章入りの剣を下賜するほど、懇意の間柄であるという。
「取り付けたのだ、アデュレリアからの協力を」
ガザイの呟きに、部下は深く息をのんだ。
「では……」
ガザイは鷹揚に首を振り、
「失せ物から手練れを引き離したと思っていたが、まだ守り手が側にいる、ということ」
状況を鑑み、アデュレリアがジュナへ協力の手を与えたということであれば、相応に腕のある者を選んだはず。先のわからない入り組んだ建物の奥深く、不用意に手を差し入れれば、ただ致命傷をもらうだけの結果になりかねない。
ガザイは顔を苦々しく歪め、
「面倒な……」
手にしていた短剣を強く握りしめた。
*
リーゴール家に長らく仕える老使用人のトガサカは、二人の主を身近に観察し、その様相を不安に感じていた。
常日頃、堂々として賢明な振る舞いをしていた当主のニルナは、今は見る影もなく名家の若い輝士の機嫌ばかりを気にしている。そして、次代の当主であるアスオンは、戦から戻って以来、まるで中身だけが入れ替わってしまったのではないかと思えるほど、人が変わってしまった。
「アスオンがおかしい、と?」
夜の明かりが照らすニルナの私室で、トガサカは思う気持ちを主へ打ち明けた。
「はい、今日の昼の事です――」
会議を終えたアスオンが部屋へ戻る途中の事。通路ですれ違った輝士とアスオンがぶつかり、輝士が派手に倒れ込んでしまうという出来事があった。輝士はぶつかった相手がアスオンであると知ると、怯えたように謝罪を口にし、通路の脇に避けて頭を下げたのだ。
一部始終を見ていたトガサカは、その事をニルナに告げた。
ニルナは表情に困惑の色を混ぜて、
「たいしたことではないように思うが」
トガサカは首を振り、
「僭越ながら、私は見ておりました。あの時、アスオンぼっちゃまは、意図して自ら肩を当てに――」
ここの所、下ばかり見て歩いていたアスオンが、突然また人が変わったように胸を張るようになった。かと思えば、他者に対し、これまで見た事もないような強い表情で睨みつけるような態度もする。それはまるで、意図して他人を威圧しているように見えた。
「――あれほどお優しかったぼっちゃまが、突然あのような事をするなど」
ニルナは視線を泳がせ、
「……いや、それくらいでいい。アスオンはリーゴール家を背負う次代の当主となる男。いつまでも慈悲だけで出世の道を行く事などできはしない」
トガサカはなお食い下がり、
「変化が成長であれば喜ばしいことです。しかしながら、ぼっちゃまの変化はあまりに急すぎます。あれではまるで病にかかったようにしか――」
言いかけで、ニルナがドン、と強く足を踏みならした。
「ですぎだぞッ」
トガサカは床の上に膝をつき、
「口が過ぎました、どうかお許しください」
ニルナは深呼吸を繰り返し、静かに興奮を鎮める。
「戦という大事を経て、狂鬼の襲撃や友の喪失も経験した。アスオンが急激に変化を続けるのも当然の状況だろう。だが、それはあれにとって必要な事、成長には痛みが伴う事もある」
トガサカは頭を下げ、
「おっしゃる通りでございます。ですが、これより再び戦に向かおうという今、アスオン様の事をバレン様にご相談されてはいかがでしょうか」
ニルナは訝り、
「アガサス重輝士に、か?」
トガサカは伏したまま、
「はい。アガサス重輝士はあのグエン公が直々にこの戦争のために派遣されたお方。初戦から戻って以来、アスオン様はバレン様とほとんど口をきいておられません。今一度お側に置かれ、相談役としての働きを期待されるのがよいのではと」
「…………」
ニルナは黙して考え込んだ後、頭を振って背を向けた。
「私は寝に入る。聞いた話は胸に置いておこう。さがれ、ごくろうだった」
主が部屋の奥の寝所へ入っていくのを待ち、トガサカは立ち上がって部屋を後にする。思いが届かなかった事を自覚するその足取りは、石のように重かった。
*
夜は進み、一帯は静寂に包まれる。
レオンはバレンと共に密かに厩を訪れていた。並んでいる多くの戦馬達の中から駿馬に跨がり、防寒用の厚い外套を肩にかけ、出立を告げる。
「父上、行ってまいります」
「気をつけろ、夜の森はとくに危険だ」
「はい」
バレンは自身でしたためた書簡を手渡す。受け取ったレオンはそれを懐の奥へとしまい込んだ。
「では――」
だが、厩を出ようとしたレオンが、突如たじろいだ様子でその手を止めた。恐れに染まる息子の視線を追うバレンは、そこに立っていた一人の人物の姿を見て息を止める。
厩の入り口には、サーペンティアの精鋭輝士達を侍らせ、寝間着姿で立ちはだかるゼランがいた。
ゼランはしたり顔で笑みを浮かべ、
「子を案じる親の愛、実に結構なことだ。が、アガサス重輝士へ朗報をお伝えする、ご子息の身に危険はない。なぜならこんな夜更けにわざわざムツキから出て行く必要などないからだ」
ゼランが指を振ると、輝士達が抜剣し、レオンへ下馬を命じる。強ばった顔でバレンを見るレオン。バレンは首を振り、逆らわぬようにと意思を伝えた。
歩みよるゼランは硬直したバレンの肩に手を置き、その耳元へ顔を寄せる。
「はっきりと敵意を示した相手を、監視もなく放置しておくわけもないのだ――」
ゼランはまた入り口へと足を向け、
「――アガサス家のお二方には部屋にお戻りいただこう。寒い夜だ、まだ病み上がりと聞くご息女と共に、静かに身を休ませておかれるがいいだろう」
柔らかな言葉とは裏腹の、捕食者を思わせるような強い視線を受け、バレンは自身の企てが失敗に終わった事を悟り、指示のままに厩を後にした。
*
ユウギリの領主邸は静けさの中にあった。
豪奢な装具を纏う輝士達は美男美女の多い貴族達の中にあっても、さらに容姿に優れている。彼らは剣技、馬術、家柄、そして晶気の扱いにおいても特に優れた能力を持つ者達ばかり集められる王家直属親衛隊の輝士達である。
その親衛隊の面々は四方に展開し、まるで敵国の捕虜でも護送するかのように、ジェダ達を取り囲んで、領主邸の中を歩いている。一行にはアイセ、シトリ、シガも含まれているが、しかし先ほどまで一緒に居たシュオウの姿だけはなかった。
かつては彩り様々な髪色の輝士達が並んでいた親衛隊も、現在の隊長に代わってから趣が変わったことに、ジェダは微かな関心を寄せていた。
親衛隊所属の輝士達の大半は黒髪の若い男女、つまり大昔に遠方から渡ってきた者達の子孫ではなく、東方土着の貴族階級にある者達ばかりで構成されているのだ。
黒髪の輝士達に連れられ、一行は広々とした応接室のような部屋に通された。
出入りのための扉は一つ、窓ははめ殺しで換気のためのものではない。
アイセは状況に戸惑い、露骨に不安げな顔で佇んでいる。シトリはすぐに椅子に深く腰掛け、出来損ないのパン生地のようにだらりと身体を預けた。シガは険しい表情で部屋の扉の前に立つ一人の男を睨んでいる。ジェダも同様だった。
「それで、親衛隊長殿――シュオウはどこへ? 彼一人だけ別行動ですか」
ジェダの問いかけに、アマイは深く息を吐き、
「ええ、そういう事です……」
「我々だけをこの部屋に置くということですか。予定では殿下から直接の表彰を受け、再び任地に戻ることになっている。ただでさえ、ムツキからの献上品の運搬に余計な時を消費しました。僕もシュオウも隊を預かる人間です、できるかぎり早急に用件を済ませ、現地に戻らせていただきたいのですがね」
ジェダは友好的に柔く言葉を述べるが、その口調の端々には隠す気のない不信感が漏れ出していた。
アマイは渋い顔で頷き、
「おっしゃるとおりですね。ですが、殿下の命令により、あなた方にはしばらくの間、こちらの部屋で待機していただく事になりました」
「え……?」
アイセが思わず、といった様子で疑念の声を漏らした。
ジェダは、
「しばらく、とはどれくらいですか」
アマイは視線を落とし、
「翌日、またはその次の日か――」
そしてなにかを計るように部屋の面々を見渡し、
「――サーサリア様は、従士長との談話を強く希望されています。その件に関し、殿下がご納得いただけた後、改めて表彰の儀が執り行われる事となるでしょう。あなた方のムツキへの帰還はその後ということになります」
「そんな曖昧な話……」
アイセの呟きにジェダは首肯する。アマイを睨み、
「承服できない、と言えば?」
「あえて言うまでもない事でしょう」
アマイは言って眼鏡を指で持ち上げる。
壁に背をもたれて聞いていたシガは身体を浮かせ、
「だったらこっちも好きにさせてもらうぜ、こんな辛気くさいところでうだうだとしてるくらいなら、街の遊び場でも歩いてるほうがましだからな」
部屋を出て行こうとしたシガに、しかしアマイは扉の前で手を伸ばしてそれを制する。
「伝えたはずです、この部屋にあなた方を通したのは殿下の命令であると」
シガは足を止め、鋭い犬歯を剥きだした。
ジェダは腰に手を当て、
「我々を軟禁状態にせよ、と……本当にそれが殿下の命令なのですか」
アマイは眉間に皺を寄せ、
「ええ……その通りですなんですよ――」
言って、微かに頭を下げる。
「――非公式ながら謝罪をさせてください。あなたとアウレール晶士を追加で呼び寄せたのは、大仰な呼び出しの体裁を整えるためでもありました。が、まさかムツキから無許可の推薦が行われたうえ、支度を調える前に殿下が飛び出してしまわれたものでね。事前にご機嫌を伺う間もなく、彼の側に他人がいる姿を見られてしまい、殿下はそれを不快に思われたようです……。このことは、我々も望んでしている事ではありません。できるかぎり早く善処できるよう尽力を約束します。それまでどうか、穏便に過ごしていただければありがたい。衣食住の不自由なく過ごせるように注意を払わせておきます。用意できるものがあれば、外にいる者に伝えてください」
それでは、と言い残しアマイは去る。
「強制か……気に入らねえな」
シガが舌打ちをして、横長の椅子に身体を横たえる。
「同行していることに嫌みの一つくらい言われることも覚悟はしていたが、まさか完全に視界の外に追いやられるとはね」
言ったジェダにアイセが、
「自分の意思で外出もできないなんて、いくら王家の意であっても、こんな状況おかしいです……なんの理由もなく親衛隊に軟禁されるなんて」
「軟禁ったって石はそのままだぞ。こんなクズみたいな壁、腹が減ってたって簡単に破れるぜ」
シガは身体を横たえたまま、輝石のついた左手の拳を掲げる。
ジェダは険しい表情でシガを睨み、
「もう少し考える頭があれば、なぜ僕らの晶気を封じていないのか理解できるはずだが。相手はムラクモの未来の王だ、仮に尖った枝の先一本であっても、向けた瞬間にその場で極刑に処されてもおかしくない。石を封じないのは、僕らが何も出来ないとわかっているからさ。一名を除き、ここにいる三人は家名を背負って生きている。仮になにかをしようとしても、力で押さえつけるだけの自信があるという事なんだろう」
話を聞いていたアイセが生唾を飲み下し、微かに肩を震わせた。
「シュオウは、大丈夫だろうか……」
アイセは俯いて呟いた。
ジェダは横目でアイセを見やり、
「知っているだろう、彼がただ黙って相手をし続けるわけがない。惚れた側の弱みもある、なんとか言いくるめるさ」
アイセはシトリの側に腰を下ろし、
「惚れた――か、改めて聞くと、まるで現実味のない話だな……今頃、二人きりで話でもしているんだろうか。それとも…………」
ほぼ同時にシトリはしゃっきりとした姿勢で立ち上がる。常に柔くへなへなとした態度をとっている彼女からすると、まるで別人のようだった。
シトリは怒った顔で垂れた前髪に指を通してかきあげ、
「あの女……ぶッ、むぐぐ――」
言い終えるより早く、アイセがシトリの口を塞いだ。
「ばかッ、正気なのか!? 外に漏れたらどうするつもりだ」
「ふううむ、ふんむむふふひへふるッ!!」
口を塞がれた手の中で、シトリは何事か必死に訴えているが、なにを言っているのか聞き取ることはできない。が、その表情を見るに、アイセが懸念している通りの事を口走っているはずだ。
しばらく、なにかを必死に喚いていたシトリは、突如糸が切れたようにぐったり身体から力を抜いた。
「ちょっとシトリ? おいッ……」
床の上に零れ落ちたシトリから、寝息が聞こえてくる。
ジェダは眠るシトリの顔を覗き見て、
「道中休まずにここまで来たんだ、そのまま寝かせておけばいい」
アイセは呆れた顔でシトリを見下ろし、
「馬上で私に寄りかかってほとんど寝てたくせに……」
ジェダは暖炉に薪をたし、部屋を暖めた。火力の上がった暖炉の側に長椅子を寄せ、身体を横たえる。疲れと寝不足を抱えている身でも、しかし眠気をまったく感じない。無意識に奥歯を擦り合わせている事に気づき、自身が強く焦りを感じている事を自覚した。
アイセは床の上で眠るシトリに毛布をかけ、自身も椅子に深く腰掛けて目を閉じる。シガは用意されていた軽食を一人黙々と口へ運んでいた。
得られた休息は焦燥と疑念にまみれ、四人の心身とじわりと蝕む。
ぱちりと薪が跳ねる音が鳴り、部屋は静寂に包まれた。
*
他に誰も居ない室内で、サーサリアとシュオウは対面していた。
サーサリアの背後にある玉座に似た豪奢な椅子に、シュオウの黒い外套が折りたたまれて置いてある。
悲しげに眉を下げるサーサリアを前にして、シュオウは膝を折り、輝士達がするように大袈裟に辞儀をした。
サーサリアの息遣いから、戸惑いの気配が漏れ伝わる。
シュオウは、
「王女殿下、拝謁と表彰のための招きに心より感謝を申し上げます」
他人行儀な言いようにサーサリアは辛そうに息を吐き、シュオウの前に膝を折ってその肩に手を置いた。
「やめてッ……普通に、話して……私を見て……ッ」
シュオウはゆっくりと顔を上げる。眼光鋭い左眼に睨まれた瞬間、サーサリアは怯えたように肩を竦めた。
シュオウは眼は怒っていた。そして、激しく王女を睨めつけて言う。
「今すぐムツキへ戻りたい」
サーサリアはたじろぎながらも首を振り、
「……二人きりで、ゆっくり過ごしたかったの、だからこうしてッ」
シュオウはサーサリアの細い手首を掴み、
「今は少しでもあそこから離れていたくないんだ。ムツキは俺の家だ、仕事がある、面倒を見ている仲間もいる。ここへ来るまで無駄な時間をたっぷり使った、このまますぐにここを出たい」
肩を掴んでいたサーサリアの手を振りほどき、シュオウは立ち上がって部屋の入り口へ向かった。だが、扉の前で、サーサリアが手を広げて立ち塞がる。
目に涙を溜めながら、サーサリアは無言でシュオウを見つめている。そして、
「いや、行かないで……」
振り絞るように、サーサリアが引き留めの一言を呟いた。
シュオウはサーサリアの正面に真っ直ぐ立ち、
「外の奴らに命令するか? そうされても俺はここを出て行く。王女の命令に背いて親衛隊に刃向かえば、俺はその時点で罪人になる。そうなったとしても俺は仲間と一緒にムツキに帰る、絶対にだ」
主張した意思と、それが招く結果は、サーサリアの望むものではない。シュオウの強行な態度は彼女の弱みを理解してのことだった。
サーサリアは俯き、交差していた視線も途切れる。だが、それでも広げた手を下ろそうとしないサーサリアにシュオウは詰め寄り、微かに震えるその手を取って、優しく握った。
「約束する、ムツキが落ち着いたら、必ずもう一度顔を出す」
サーサリアは顔を落としたまま涙声で、
「……いつ?」
「いつまた戦いが始まるか、わからない。とにかく勝ってからだ」
愚直な答えに、サーサリアは泣き声を漏らした。だが、
「待って……」
そう言って、椅子の上に置かれていたシュオウの外套を持ち、差し出した。
シュオウは外套を受け取る。強烈に染みついていたタイザの臭いがすべて綺麗に消えていた。
「洗ってくれたのか」
艶々と黒光りする外套を手に聞くと、サーサリアは泣き顔を隠しながら頷いた。
シュオウは外套を見つめ、それをサーサリアに差し出した。
「この間の看病、ありがとう、助かった。これはこのまま次に会う時まで預けておく、頼めるか」
サーサリアは鼻をすすり、
「……うん」
再び外套を腕の中に抱き寄せる。
シュオウは扉に手をかけ、
「じゃあ」
別れを全身で拒むように、サーサリアは肩を震わせながら背を向け、床に座り込みさめざめと泣き伏した。
が、シュオウが部屋を部屋を後にしてすぐ、通路から騒ぎの気配を感じ、サーサリアは振り返る。
そこには、出ていったはずのシュオウの足があった。だがその位置、角度、すべてがおかしい。
シュオウは部屋を出てすぐの場所で、前のめりに倒れていた。親衛隊の輝士達が慌てて駆け寄る。その光景を前に、サーサリアは呼吸を止め、大きく目を見開いた。
次回の投稿は11月27日(夕方頃)を目標にして執筆中です。
予定変更がなければ、その日に活動報告と後書きで、読者の皆様にひさしぶりにご報告をさせていただきたいことがあります。
それでは、また次回。