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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
開戦編
78/184

十重二十重の前兆

 十重二十重の前兆






 風雨に洗われた戦場の跡に、臭いはない。


 散っていった命の残滓は、多くがそのまま残されている。

 戦いの痕、ターフェスタ軍の兵士らが散り散りに持つ明かりが、この場所の凄惨な有様に、僅かに慰めを与えていた。


 ターフェスタ領、城塞アリオトの将であるプラチナは、周囲に気取られぬよう沈鬱な顔を隠して唇を噛む。


 一国の兵士達が身命を賭して戦いに挑んだ戦いなのだ。その結果が生む光景は想像に易いが、現実は思っていたよりもさらに過酷なものだった。


 切り裂かれた肉の破片はどこを向いても目に入る。零れ落ちた臓物は乾いてどす黒い色で散らばり、夜光石によって構築された白い道は、一時の雨により染み渡り、褪せた赤で穢されている。


 元の形を保った遺体はほとんど残されていなかった。深界に取り残された亡骸は、餌食となるのが定めである。


 プラチナは落ちていた千切れた一本の指をとり、神への祈りと許しを願う。


 側に控えていた付き添いの重輝士が前へ出て、

 「プラチナ様、どうかご命令を」


 皆の視線が集まっている。一人一人の顔を見て、プラチナは銀星石を胸の前に置いた。


 「ここまで共に来てくれた皆に感謝を。苦労をかけますが、弔いに間に合う遺体をすべて収容します。周囲を気にせず、作業に集中してください。あなた達の身は我が名と石に賭け、必ず守ると誓います」


 力強く、皆が無言で頷く。これからの作業を思えば、彼らの顔付きは望外なほど精気に満ちていた。


 遺体の収容作業は、夜明け頃まで続いた。その頃になると、純白に見えるプラチナの長い髪は、乱れて所々濁った暗い色がこびりついていた。


 「これで最後――」


 輝石のついた一本の左腕を馬車に乗せ、プラチナは額に浮かべた汗を右手の甲でぬぐった。汚れのついた顔を見て、付き添いの重輝士が眉をひそめる。


 「御身を穢されてまで……敵のものまで集める必要があったのでしょうか」


 言って、憎々しげに見つめる先には、ムラクモ軍の軍服をまとう者達の遺体が積まれた荷台がある。とはいえ、その数はターフェスタ軍のものよりも、ずっと数が少ない。


 プラチナは寒風で流される髪を押さえつつ、

 「言い分はよく、わかります……」


 敵は憎い。当たり前の事だが、殺し合いにまで及んだ相手であっても、相手は同じ人間だ。信じる者が違うとしても、敬意を失ってはならない。そうした戒めとも、願いともつかぬ半端な思いに囚われる。


 思いを伝えようと、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。ムラクモ軍人らの遺体へ向ける重輝士の目、またその他の者達の視線も、強い憎しみを内に含んでいる。実際、仲間や家族を失った者達に、許せと言っても、それは容易いことではない。


 ふと、周囲の空気がざわついた。

 「東から――三騎ッ、ムラクモの輝士隊です!」


 報告があがり、皆が身構える。

 「ッ――」


 武器に手を伸ばした重輝士へ、プラチナは首を横に振ってみせた。


 青い軍服を着た三人の輝士達が近づいてくる。彼らは一目でわかるほど強く警戒していたが、目の前にいるターフェスタの集団を恐れてではなく、まだ暗い周囲の森の中を気にかけている様子だった。


 三人のうち、中央に身を置く輝士が馬上から口を開いた。

 「ここでなにをしている」


 睨みを効かすムラクモ輝士を前に、ターフェスタ兵達が一斉に武器に手を当てた。プラチナは彼らの行動を制し、敵意がないことを示すため、礼儀正しく一礼をしてみせた。


 「ターフェスタ軍准将、プラチナ・ワーベリアムです。ここへは戦死した者達の弔いのため、様子を見にきただけ。これは敵対行動ではありません、どうかご理解ください」


 ムラクモ輝士は驚いた顔をしてみせ、

 「ワーベリアム……ッ」


 慌てて馬から降り、身を正す。他の二人もその後に続いた。彼らは遺体を積んだ馬車へ目をやり、そして、ムラクモ軍の戦死者たちをまとめた別の馬車を見て驚いた顔をする。


 「あれは、我々の」


 プラチナは頷いて、

 「勝手な行いをしました。ただ、捨て置くにはあまりに物悲しいと思い。それ以上、他意はありません」


 頭を下げたプラチナへ、両軍の兵士達が驚き、狼狽えた。

 ムラクモ輝士は所在なさげに辞儀を返し、


 「立場上、なにを返すこともできません――が、行いに敬服いたしました。よければ、あれを我々に引き取らせていただきたいのですが」


 「ええ、もちろん。それと――」

 目を細めて首肯し、プラチナは強調するように銀星石を胸に当てる。


 「――ムツキの長へ、プラチナ・ワーベリアムがアリオトの指揮官として就任したこと、お知らせ願います。改めて使者をたて、言葉を交わしましょう、と」


 馬車を馬に繋ぎ、引いていったムラクモの輝士達は、それぞれが朝日を背に、礼の姿勢をとった後、去って行った。


 「狂鬼とは違う。言葉が通じ、意思の疎通もできる」


 プラチナの言に、重輝士は膨らませた鼻から息を落とし、

 「ですが、奴らは我らの同胞を大勢殺しました」


 先に仕掛けたのはどちらであったか。晴れぬ憎しみに心を支配された様子の重輝士へ、プラチナはその言葉を伝えることなく飲み込んだ。


 改めて、複数の荷馬車に積み込まれた遺体を見る。


 ――はやく。


 飢える民、そして戦地で血を流し、事切れた者達を前にして、プラチナは思いを強く胸に抱いた。




     *




 ムラクモの軍事拠点ムツキを統括するニルナ・リーゴールは焦っていた。降って湧いた幸運が、指の間をするりと抜け落ちてしまったせいである。


 ムラクモという大国を統べる未来の国主たるサーサリア王女は、その姿を公に現すことは年に一度か二度。その王女がわざわざ、リーゴール家が指揮権を持つ戦場にまで駆けつけてきた。それは家名を高めるため、そして後継者である息子の出世にも大きくはずみをつける一生に一度、あるかないかの好機である、はずだった。


 だが、王女は用意された歓迎を受けるでもなく、ムツキに衝撃的な登場をして以降、部屋に閉じこもったまま姿を見せず、結局早朝のうちに後方の街、ユウギリまで帰ってしまったのだ。

 

 ニルナは険しい顔で執務机に肘をのせ、かみ合わせた両手の指に力を込める。爪の先が手の肉に食い込んだ。


 「せめて、会食への招きにさえ応じてくだされば……ッ」


 食事の席を利用して主張したいことは多くあった。先の戦いでのムラクモ軍の優勢、狂鬼の大群襲来という不運。ムツキの滞りない運用に、経歴に華々しいアスオンという若き指揮官のこと、傷病者達を隠していたことへの言い訳も。


 苛立つニルナへ、古くから仕える部下の女が、温かい茶を置きながら、

 「閣下、どうか心を安らかに。暗いお顔をされてばかりでは皺が増えてしまいます」


 ニルナは湯気の立つ茶を喉へ流し、

 「無理を言うな。殿下の来訪、我らへの労いのためとも考えたし、よもや我が子への関心ではとも期待したが、サーサリア様はまるでリーゴールへもムツキへも関心をお持ちではなかった。このことが王都に伝われば、さぞや暇人共のいい笑い話として広まるにちがいない」


 「そのことですが、昨日よりここは歓迎式での殿下のお振る舞いについての話で持ちきりのようです。サーサリア様の来訪目的は、一人の男性のためであったのでは、と」


 眼帯をした若い従士長の顔が浮かび、声を荒げた。


 「馬鹿なことをッ、そのようなこと、考えただけでも王家の血統と歴史に対する冒涜となるだろう。あれはきっと、殿下の旅の疲れがでたのだ。部屋から出てこられなかったことと合わせ、それで納得がいく」


 「事実として、殿下の身を受け止めたあの者は、過去にその身をお助けしたことがあったとか。サーサリア様はきっと、見知った者の様子がふと気まぐれに気になっただけではないのでしょうか。私も、かつての任地で懐かれた子犬をなでにいきたくなることがあります。今頃はきっと大きな姿となっているのでしょうけど」

 

 過去、査察の任務で訪れた地方での思い出を持ち出し、そう語った。


 彼女を含め、ニルナが抱える部下達は皆、輝士ではあってもより文官としての能力に長けた者達である。比較的穏やかな地方で、通行や租税、その他雑事の管理を行ってきたため、自然、軍に属していながらも、身近に荒事に長けた武官はほとんど存在しなかった。


 茶を運んできて、気を遣って慰めるようなことを言う。彼女のように、身の回りにはどこか、戦場には似つかわしくないおっとりとした調子の者達が多い。


 が、今のニルナにとって、身近な部下達が放つ呑気な空気は、ただただ厭わしかった。


 「殿下は当面、ユウギリに逗留なされるのだな」


 問うたニルナへ、


 「はい。仰せの通り、再々確認をいたしました」


 「であれば、まだ直接戦果をご報告する機は残されているということだ」


 拳を握る力が強くなる。これまで以上に、戦いたい、という強固な意志が芽生える。なにより、勝利を王家へ直接献上するために。


 「ご子息様は先の戦いで無二の戦友を亡くされました。副官であるアガサス重輝士も重傷となれば、ご子息様の補佐役に、戦に長けた者を派遣くださるよう、王都か右軍へ願ってはいかがでしょう」


 その提案に、ニルナは顔を苦く歪めた。


 「却下だ。それではリーゴールの失態として、むやみに話を広める結果になりかねない。宛がわれることに逆らえはしない。が、こちらから請うことは決してあってはならん――」


 ニルナは不意に言葉を止める。現状は不利であると決めつけるには早計だ。王都より派遣されたアガサス重輝士が戦線を離脱したとなれば、アスオンは一人で戦功をあげることができる。経験豊富な重輝士を側に置いて、若いアスオンが勝利を得たとしても、その手柄には必ず一定の疑念を持たれるはず。その懸念を除けるのであれば、王家や軍に対して、より純度の高い成果を主張することができる。


 ――アスオンなら。


 ニルナは我が子の武将としての適性を強く信じていた。

 器量よく、才知に長けている。一度つまずきはしたが、それを糧としてかならず立ち上がるだろう、と。


 執務室の扉を叩く音がした。応対した部下の表情には戸惑いの色が滲む。少なくない時を共にしてきたのだ、彼女のその様子だけで、もたらされた話があまり良い事ではないことは理解できた。


 「なにがあった」


 問いかけに部下の女は、

 「直接お聞きになるべき、かと」


 入室を許し、入ってきた者が上げた報告を直接聞いたニルナは目を見開き、腰を浮かせていた。


 「ワーベリアム、だと……」


 ターフェスタが擁する唯一の燦光石が、今まさに眼前に在ると知り、ニルナは肩にずしりと重さを感じて、へたれるように腰を落とした。


 頭の中は白一色に染まる。


 戦を預かる者として、敵国の有する最も希少な戦力を頭に置いていなかったわけではない。が、そのあまりに強い希少性のため、危険を伴う最前線への参戦はないだろう、と甘く考え、目先の懸念としてはまるで意識していなかった。


 ワーベリアム家有する銀星石は、ターフェスタが一国としての地位を確保するのに大きく貢献する燦光石である。その石が目の前に現れたとなれば、戦場での士気にも大いに影響を与えるはず。


 ワーベリアム着任の報告を上げた輝士はさらに続けて、


 「――ワーベリアム准将から預かった荷台に、戦死者の遺体が積まれています。許可をいただければ、覚えのある者達に確認をさせたいと思いますが」


 しかし、銀星石への不安で頭を一杯にしたニルナの耳に、その声はすでに届いていなかった。


 「あの、閣下……?」


 部下から声をかけられ、ニルナは思わず生返事を返す。


 「あ――ああ、かまわん、行け」


 感謝を告げ、輝士が退室する。


 「話し合いを求めている、とのことでした」


 部下の言葉にニルナは頷き、

 「どうせ休戦の申し入れだろう。けちはついたが、初戦は我が方が圧倒的に押していた。今後を不利とみて燦光石をふりかざし、公平な条件をとれると踏んでいるに違いない」


 言って、ニルナは奥歯を擦る。自身で語った可能性は、平時であれば悪い話ではない。戦争はあらゆるものを消耗する。戦いが長期に及ぶほど得るものは減り、疲弊していく。


 ムラクモ王国軍を統括する元帥は、他国の領土獲得を望んではいない。なにより消耗を少なく、より素早く戦いを終わらせることを望んでいるのである。


 しかし、軍を預かる将としてより前に、ニルナはこの戦いに家の未来を賭けていた。


 ――リーゴールはまだ、なにも成果を上げていない。


 ワーベリアムとの交渉によって休戦となったとしても、そこからリーゴール家の未来が約束されるほどの戦功は生まれない。


 戦を止めるにしても、先に戦いを仕掛けてきた側に、大きく損害を負わせる必要がある。それが叶って初めて、リーゴールはその名に栄誉と未来を約束される。


 「閣下のご推察の通りとすれば、先の戦いで敵の負った被害は、我々の思う以上に甚大なものであったと思われます」


 ニルナはその発言に頷き、

 「そうだ、相手が下手に出てくるのであれば、こちらが優位に立っているということ」


 部下は呑気な笑みを浮かべ、

 「仮にかの銀星石を叩いた、となれば、その勝利はどれほどの価値を持つことか。閣下とご子息様が得られる栄誉は計り知れません」


 ニルナは部下に背を向ける。恐れと希望が混沌として入り交じる心中を俯瞰し、しかしどちらに流されるべきか、慎重に考えを巡らせた。




     *




 テッサ・アガサスは、眠りの中で過去の景色を眺めていた。


 一人でいる時間が多かった。家名や容姿がものを言う世界は残酷だ。何を持って生まれるか、何を持たずに生まれるか、それを選択することは誰にもできない。


 父親譲りの険しい顔付きが人を遠ざけた。やってもいないことをやったと噂され、言ってもいないことを言ったと言われる。物がなくなれば犯人と疑われたこともあった。


 歳を重ねるごとに、自身に与えられた道のようなものを悟っていった。期待を捨てれば受け入れる事ができる。そういうものだと思えば、絶望もしなくなる。諦めることで強さを得た。いつしか、うつむいて涙を流すこともなくなった。


 だがそれでも、生きていれば偶然に遭遇する事もある。


 彼女は宝玉院の同期だった。馬術の教練中、たまたま用意していた馬具の職人が同じだったと知り、そのことで一言二言、楽しげに言葉を交わすことができたのだ。


 後日、人間関係のいざこざか、言葉を交わした件の少女が、複数人にからまれているのを見かけた。


 身体は勝手に動いていた。複数人を相手に不利な戦いを挑み、大怪我を負ったテッサ。しかし助けたはずの彼女の顔には、なんら情もない相手からの手助けに、ただただ困惑し冷めた表情が浮かぶだけ。


 美談ではない。その後に友情が芽生えたわけでもなく、結果的にただ痛い思いをしただけである。が、不思議と満たされた心地を得ていた。


 父であるバレンにその話をすると、年季の入った苦笑が返ってきた。聞けば、何度も経験したような話だったという。弟のレオンにしても、見た目に一致しない柔らかな性格で苦労しているようだった。


 アガサス家の人間は酷くお人好しなのだ。受けた恩は忘れず、何倍にもして返したいと思ってしまうし、損な役回りに文句も言わず、淡々とそれに従事する。


 生まれ持ったものを呪ったこともあったが、成長した今、テッサはそんなお人好しな家族を、そして自身に流れる血を、とても好ましいと思っていた。


 いくつかの、ささいな思い出を俯瞰する。それらすべては今、現在に起こっていることではない。


 自覚があった、ここは夢の中だ。


 目を開けると、愛する二人の家族の顔が並んでいた。


 「よかった……」


 レオンが瞳を潤ませ、破顔している。輝石に色がついていなければ、市中をうろつく罪人としか思えないような容姿をしているが、弟が凡庸で良識を備えた人間であると、テッサは知っている。


 「……ッ……」


 隣にある仏頂面は、父のバレンである。無言で厳めしく睨んでいるような顔をしているが、その顔が涙を必死にこらえているせいであるとテッサは知っている。


 石のように重く、錆び付いたように動かしづらい身体。節々に感じる割れるような痛みと、手に暗く変色した傷跡を見つけ、現状へ至った経緯を思い出す。


 テッサは忙しなく周囲を見渡し、

 「まさか……帰ってこられたの……」


 レオンは涙を拭いながら頷いて、

 「信じられないだろう、あのときの、あんな状況で無事にムツキへ戻って来られたなんて」


 バレンも首肯して、

 「奇跡が起こった――いや、来てくれた、というべきか」


 要領を得ない話に首を傾げつつ、テッサは質問を続けようとして、しかし喉の奥の異常な乾きに咳き込んだ。


 背中を支えられ、レオンから水筒を受け取ったテッサは、少しずつ喉を湿らせる。喉が落ち着いたのを待って、続きを促した。


 「奇跡って、どういうこと、ですか……」


 バレンは頬に力を込め、鼻の穴を膨らませた。一見怒っているようにも見えるが、これは父が怒りとは真逆の方向へ興奮しているときの顔である。


 「あの従士長がな――」


 バレンは身振り手振りを加えて、その時の事を語り出した。それは驚きに値する話だった。家族ではなく他人から聞かされていれば、担がれていると思ったに違いない。


 「うそみたい、な話……」

 乾いた喉からがさがさとした声が出てきた。喉の渇きを感じ再び水筒の中身を口へ含む。


 テッサが毒に犯され意識を失ってから後の事を、バレンはさらに語って聞かせる。話が佳境にさしかかったとき、


 「それで、毒に犯されたお前に従士長が直接――」


 それは突如救援に現れた従士長の行動の詳細だった。彼が行った処置の詳細を聞いた途端、テッサは盛大に飲みかけの水を吐き出した。


 吐き出された水を一身に受けたレオンはずぶ濡れになった顔で虚空を見つめ、

 「わざわざこっちを向いて吐き出さなくてもいいじゃないか……」


 謝罪を忘れ、テッサは口を押さえる。聞かされた行為そのものよりも、そんな出来事を父や弟に目撃されていたという状況を想像して、制御できない羞恥心に我を忘れた。


 「ちょっと――もうちょっとだけ、横に、なります……」


 テッサは二人に背を向けて横になり、寝具を頭が隠れるほど深くかぶった。




     *




 しばらくして、テッサを包んだ寝具のなかから、穏やかな寝息が聞こえてきた。照れ隠しに頭を隠したまま、疲れてまた眠ってしまったようだ。


 バレンはほっと胸をなで下ろした。同様に、レオンもふっと肩の力を抜き、安堵した顔を見せる。


 「よかったですね、父上」


 「……どうなることかと心配していたが。よかった、本当に」


 バレンはテッサの寝具の上に乗せられた王家の外套にそっと触れ、眉をひそめる。

 訳あって、ではあるが、これは王女からの直接の贈り物だ。アガサスのような弱小の家であれば、末代までの語り草となりそうなこの出来事も、しかし本来ここにあるべき物が失せてしまったという事実に、バレンは重く気を落としていた。


 「不義理を働いた。従士長に詫びねばならん」


 レオンはバレンの手元を見て、

 「事情が事情ですから、きっとわかってもらえますよ。それにおそらく、あれはサーサリア様から直接――」


 バレンは手をあげ、それ以上の語りを遮った。


 「たとえそうであったとしても、私が直接借り受けていたものだ。許可も得ず、手放してしまったことにかわりはない。この手で返すのが礼儀であり、筋なのだ」


 レオンは幾度か細かく頷いて、

 「はい、父上のおっしゃるとおりです」


 バレンの性格からして、借りた物を直接返却しない、という行動はそもそも選択しうるものの中に一片でも存在しない。だが、昨日の出来事は、そのあり得ないことを起こしてしまうほどに、珍しい事だったということだ。


 傷病者をまとめたこの区画は、ムツキ全体を取り仕切る司令官ニルナ・リーゴールによって封鎖されていた。ご丁寧に、私的に保有する番兵まで用意して隠そうとしていたのだから、そこには明確な目的と意思があった。


 ニルナにとって、重傷者たちを集めるこの部屋の光景は、突然の訪問が決まった王女に対して是が非でも隠したいムツキの汚点であったのだろう。


 ――だが。


 ニルナの思惑に反し、王女はここへ現れた。


 ムツキの上層に位置する他の者が、わざわざ招き入れるとも考えにくい。ムラクモでは高位にある者でも滅多に拝謁が叶わない王女の来訪は、まさに戦に取り組む貴族たちにとってはこれ以上ない名誉なのだ。それはなにより、サーサリア・ムラクモが、現存する唯一の王族であり、将来の絶対的な君主となることが約束されている人物だからである。


 では、隠された部屋に王女が見舞いのために訪れる、などという珍事はなぜ起きたのか、という疑念が湧く。


 気まぐれと偶然により、ここのことを知ったのか。おそらくそれは否であろう。王女が慈愛に満ちた人物であれば、それもあり得る。だが、サーサリアという人物の気性は、まるでそうした優しげな性質とは真逆のものであるとバレンは知っていた。


 人と会うことを嫌い、自室に閉じこもり、気分のまま、側仕えの者達を傷つけることも頻繁にあったという。それらはあくまで噂の域を出ないが、やはりどこからか漏れ出してくる話が一つ、二つと増えるほど、ある程度の真実味というものを帯びてくるものである。


 ムツキの頂点に位置する者が隠蔽を試み、また王女自身も国のために傷を負った者達を案ずるような気性を持ち合わせてはいない。

 加えて、王女が来訪してから聞き知った事、そしてサーサリア自身の態度と奇妙な要求を合わせて考えれば、自ずと答えは見えてくる。


 封鎖された傷病者たちの存在を伝え、見舞いに行くように促したのはおそらく、あの若き従士長なのであろう、と。


 考えをまとめ、それをレオンへ伝えると、

 「はい、私もそう思います。ですが、そうすると……」


 レオンは不安げな顔をする。

 バレンは意味を察し、頷いた。


 「司令官の顔に泥を浴びせた事と等しい。それを意識していたのかどうか、わからんが」


 ここを隠そうとするニルナの所業には必死さが滲んでいた。ひとがなにより隠したい恥部を暴かれた時、大抵の場合、報復を企てるか強固な恨みを募らせる。


 レオンは頷いて、

 「そうとなると、彼が心配です。私が側につき、警戒をすべきでは。父上に行けと言われれば、今すぐにでも」


 その提案はバレンにとっても望むところだった。だが、

 「輝士であり、アガサスの名を持つお前が従士長につけば、今以上に悪目立ちをするだろう、かえって迷惑をかけることになりかねん」


 いまや形だけとはいえ、バレンは司令官補佐に相当するムツキ第二位に位置する人間だ。その息子であるレオンがべったりと彼の側にいれば、どんな影響を及ぼすか。それはたいがい悪い方への想像ばかりが浮かんでくる。


 納得のいかないという顔で頷くレオンへ、バレンは語りかける。


 「昨日の殿下の慰問、その裏にある真実を理解していないのだな」


 レオンは首を傾け、

 「真実、ですか……?」


 バレンは首肯して声を落とし、

 「我々の想像の通りであれば、かの者は、その意のままに難物として知られるサーサリア様を動かしたということ。つまり、私が知るかぎり、未来のムラクモ王から寵愛を受ける唯一の人間ということになる」


 レオンは若干青ざめた顔で喉を鳴らす。


 この期に及んで、サーサリアがなぜムツキへ訪れたのか、疑問を挟む余地はない。会いに来たのだ。ただ、一人の人物に会うためだけに。そして王女は、その相手の私物を欲するほど、強い感情を持っているということもわかっている。


 レオンは真剣な顔で、

 「尚のこと、心配になりますが」


 「良くも悪くも、殿下の寵愛を受ける者と周知されたのだ。おかしなことを考える者達も、半端な覚悟で手を出すことはできないだろう」


 「なるほど――理解しました。だからこそ今は静観すべき、ということ」


 首肯して、バレンは溜息を吐いて寝台に身体を横たえる。受けた肩の傷は深い。薬の効き目の切れ間には、声をあげたくなるほどの痛みを感じる。


 「痛みますか?」


 心配そうにレオンから問われ、

 「ああ、だが想定の内だ」


 レオンは腰を浮かせ、

 「医者を呼んできます、姉上のことも報告しなければいけませんし。父上はそのまま大人しくしていてください――」

 

 言われた通り、今は傷を癒やすべき時だ。気になる事は多々あるが、頭を切り替えるよう自身へ強く念じ、静かに瞼を落とした。




     *




 シュオウを入れた巨大な樽は、行きは数人がかりで運ばれ、帰りはシガ一人の手によって、ジェダの部屋へと帰還を果たした。


 蓋が開くなり、仏頂面のジェダが顔を覗き入れ、

 「なにをした、なにをされた?」


 シュオウはジェダを睨めつけ、

 「なにもない」

 立ち上がろうとして、しかし足腰に力が入らず、腕の力でなんとか踏ん張った。


 「体調はいかがですか」


 寝台の上にいるジュナに問われ、シュオウは首を回して頷いた。


 「寝過ぎた。身体は重いけど、昨日より楽になってる」


 安堵した様子のジュナから笑みを真っ直ぐに向けられ、シュオウは思わず視線を逸らす。


 シュオウが視線を逸らした先にはジェダの顔があり、

 「本当に、なにも、なかったのか」


 煩わしく感じ、シュオウは視線を逸らさずに、

 「ずっと寝てた。寝てたら朝になってた。起きたらあいつはいなかった――それだけだ」


 疑わしく思っているのか、ジェダが探るようにじっとシュオウを凝視する。

 一瞬の沈黙を破ったのは、シガの大あくびだった。


 「くあああ――俺はもう行くぞ。朝だからな、腹が減った」


 言って去って行く背中へ、ジェダが棘のある声で、

 「いつも常に、だろう」


 樽から出たシュオウは身体を伸ばし、手足に血を巡らせる。


 「俺も行く」


 ジェダは顔を険しくして、

 「まだ病み上がりだろう、ここで休んでおいたほうがいい」


 「十分休んだ。動かないでいるほうが疲れる。仕事に戻るぞ、お前も来い」


 不満げなジェダも、しかしシュオウが先に部屋の入り口へ向かうと、諦めたように嘆息した。


 ジェダはジュナへ肩を竦めてみせ、

 「行ってくるよ」


 ジュナは微笑して、

 「いってらっしゃい」




     *




 シュオウとジェダが部屋を出てすぐ、

 「ひょこ――」

 のっぺりとした声と共に、リリカが天井から逆さまに顔を出した。


 「――王女様との一夜を過ごしてきたわりに、随分とあっさりとした感じです。本当になにもなかったのでしょうか」


 ジュナは見上げて微笑み、

 「気になるなら調べてきてくれたらよかったのに」


 リリカは苦そうに顔を顰め、

 「昨夜も申しましたが、許可もなく影から王族を偵察するなんて、そんな恐ろしいことはいたしかねます」


 ジュナは戯けて肩をすくめ、

 「残念――でも、サーサリア様は随分とあっさり帰ってしまわれて」


 リリカは天井から顔を出したまま頷いた後、音もなく着地し、いそいそと茶の用意を始める。


 「そういうご予定だったのでは」


 「そう、なのかも……」


 ジュナは微笑を消し、考えにふけるようにあごを引いた。


 茶器を並べるリリカがジュナの顔をそっと覗き込み、

 「ご不満でもおありでしょうか」


 ジュナは呆けたように顔を上げ、

 「え……? あ、いえ、ただもう少し――考えていたよりもずっと静かだったから」


 「はあ――」


 リリカは気のない返事をして暖炉から湯を用意し、茶葉をたっぷりと詰めた茶器に湯をそそぐ。


 「――用意ができました」


 ジュナは完成した赤い色の茶を受け取り、

 「いつもありがとう」


 リリカは無表情に応じ、

 「本職ではありませんので、味についてはご容赦ください」


 ジュナは熱い茶を口に含みつつ、またぼんやりと思索にふける。


 「恋い焦がれる相手に、遠くから旅をしてきてやっと会うことができて、それがたった一日だけなんて、辛いわよね」


 リリカは立ったままぼんやりと頷き、

 「そういうものでしょうか」


 ジュナは黙して首肯する。


 「強く望んでいるものから潔く距離をとれるのは余裕があるから。会いに来たのにすぐに離れなければならない、でもそれを受け入れた。それはきっと、またすぐに会える、と思っている、から」


 「再度ムツキへ来訪されるご予定がある、ということでしょうか」


 「それは、わからない。でもきっと、この流れはまだ終わってはいないと思う。あまりにも静かすぎて、そう思ってしまう」


 「流れ、ですか?」


 ジュナはリリカを見据えて、微笑する。


 「私の弟に夢を見せたあの人は、たくさんのものを手にしている。きっと望めばもっと多くを。けどその自覚がなくて、それを望んでもいない」


 リリカはなにかを思い出すように目線を上げ、鷹揚に頷いた。


 「そのようなお人柄であると思います」


 「それでも、流れは止まらない……」


 ジュナは小さく呟いて遠くを見つめる。この部屋の外では大勢が、それぞれに意思を持って動いている。断片として得る情報を元に、彼らの行く末を占うにも限界がある。


 十重二十重とえはたえにからみあう運命の繋がり。それを観察するには、手も足も、現状まるで足りていなかった。


 歯がゆさを感じつつ、器の中に隠した唇で、誰にも聞こえない小さな声で一人の人物の名を唱える。


 「アスオン……リーゴール……」


 その名にかけた期待は、未だ叶う様子はない。


 ――もっと、いじわるな人ならよかったのに。


 心の中に止め置いたその言葉は――冷淡に、抑揚もなく囁かれた。




     *




 輝士の身分にある者達にとって、娯楽施設のない深界の拠点で最も人気の暇つぶしは、噂話である。


 どこかの家の凋落や、婚約、出産、商売の成功や失敗など、噂話の内容は概ね似たような中身が繰り返されるが、この日、夜明けを迎えてからのムツキは、王女サーサリアと黒い眼帯をした従士長のことで持ちきりだった。


 ムツキの司令官代理を務めるアスオン・リーゴールは、朝から憂鬱な顔で拠点内の視察を行っていた。


 通路を歩く度、各施設を見て回る度、どこへ行っても皆が交わす話の内容は同じ。そしてまた、アスオンの存在に気づいた者達は、皆揃って同じように押し黙り、しんと静まりかえった気まずい空気が漂うのである。


 ――わかっているさ。


 彼らの噂話に、とくに貴族という身分にある者達が交わす話のなかには、リーゴールの名も一緒になって登場している。

 華々しく王女殿下を出迎える用意をしていたはずのリーゴール家当主、そして次代の跡取り息子は、揃いもそろって王女にまるで存在を無視され、会食への招きにも応じてもらえず、早朝に何の前触れもなくムツキを去ってしまい、家名を売り込む好機に浮かれていたリーゴール親子は、大勢の前で大恥をかいただけに終わってしまった。


 交わされる噂話は時間が過ぎるごとに熱を帯びていった。それは、一部の者達が目の当たりにした、王女が平民の青年の胸に飛び込んだという話を元にしている。そのこと自体、物語のようでもあり、好奇心を刺激するのに十分ではあるが、反面それとは別に、あまりにも順風満帆に出世の道を敷かれていたアスオンに対して、その失態を歓喜と共に歓迎する者達もいる。


 ほとんどうつむいて歩くだけの名ばかりの視察の途中、中庭の影の中に置かれた荷馬車のまわりに、大勢の輝士達が群れてその様子を窺っていた。


 「なんだろう……」


 気になって呟いたアスオンへ、帯同するトガサカが、


 「わかりません、様子を見て参りましょう」


 集団の隙間へ滑り込んだトガサカは、間もなく青ざめた顔をして小走りで戻ってきた。


 トガサカは血の気の引いた顔でアスオンの腕を引き、

 「アスオン様、すぐにここを離れましょう――」

 「どうしたんだ――」


 戸惑っている間に、集団の一人、女の輝士がアスオンに気づいた。彼女はまるで眠っているように起伏のない表情のまま、涙を流していた。その腕の中には死者の頭部だけがある。


 彼女の虚ろで濁った目が、アスオンを捉えて放さない。その腕の中ではまるで、今すぐにでも恨み言を漏らしそうな死者の頭が、半分瞼を開いた状態でじっとこちらを向いている。


 奥にある荷台の中には、似たような状態の悪い遺体が、ぎっしりと詰め込まれていた。乾いた赤黒い血のこびりつく腕が、だらりと馬車から零れて垂れ、それが風に揺られて木の枝のように微かに揺れている。


 吹いてきた微風が、死者達の臭いを想起させる。むせかえるような息苦しさを感じ、アスオンは振り返って早足でその場を去った。


 「アスオン様ッ――」


 背後から呼びかけてくるトガサカの声は、すぐに聞こえなくなった。


 周囲の音が消える。異常なほど荒い自身の呼吸だけが耳につく。


 一時、王女の来訪という出来事で頭の外にあった、敗北の記憶が蘇る。仄かに感じた死者の臭いをきっかけに、戦場で目の当たりにした、親友の壮絶な死に際が、また頭の中で何度も繰り返された。


 無意識に駆けていた。足は自然と自室のほうへと向いている。が、乱れた呼吸に足がもつれ、倒れるように通路の途中でへたり込んだ。こみ上げてきた吐き気に逆らえず、アスオンは伏したまま激しく嘔吐く。


 そっと、背後から背中を撫でられた。


 「大丈夫ですか、アスオン……坊ちゃま」


 子供の頃のように、優しく背を撫でられ、しだいに呼吸が落ち着きを取り戻す。


 身体はしかし、ふらついて立つこともままならない。上半身を起こし、通路の壁に背を預けて休んでいると、近くの部屋からまた、複数人が噂話をする声が聞こえてきた。


 「アスオン様、お部屋へまいりましょう」


 不安げな顔をしたトガサカが、ここからすぐに去ろうと提案するのはよくわかる。今日は朝から、どこへいってもリーゴール家を嘲笑う言葉が聞こえてくるのだ。


 アスオンは頷いて立ち上がろうとするが、しかし耳に届く言葉を聞いて、動きを止めた。


 壁を挟んでぼんやりと聞こえてくるのは男達の声で、

 「不快だ。あの下品で薄汚いシュオウとかいう男、きっと殿下をかどわかしたに違いないッ」


 「その通りだ。あの若さでの出世もそう、偶然の結果で世慣れしていないサーサリア様にうまくとりいったのだろう」


 「もはや放置していいことではないぞ、ここの連中はまるで殿下があの輩に会うためにムツキへ来たのだというように話している。そんな事が周知の事となれば、ムラクモ王家に取り返しのつかない汚れがつくことになりかねん――」


 さらに続く彼らの話し合いは、ほとんど罵詈雑言に塗れた陰口だった。


 アスオンは立ち上がるのを止め、深くその場に腰を落ち着ける。


 口汚く個人を罵る彼らの声を聞きながら、不思議とざわついていた心中が落ち着きを取り戻していくのを感じた。


 ――落ち着く。


 偽りのない言葉が心中に染みる。しかし、それは癒やしと同時に痛みも伴う。


 「…………」


 唇を噛み、膝を立てて顔を沈める。


 ――僕には、僕がよく見える。


 自覚できる程度の賢しさは、見たくない物まで気づかせる。


 考えないようにしていた。それが恥ずべき感情であると考えていたからだ。手に入らないもの、届かないもの。それを持つ者へ抱く負の感情。


 「僕は、嫉妬しているんだ……」


 小さな声で、アスオンはそう呟いた。


 自身が劣った存在であることを、まざまざと知らされる。何事もそつなくこなし、周囲から評価を受けてきたアスオンにとって、それは初めて直面する、新たな自分との遭遇となった。




     *




 「ああッ――」


 足運びにしくじり、テッサは廊下の端で転びそうになる。すかさず、レオンが身体を支えて踏ん張った。


 「やっぱり戻ったほうがいい、まだ目が覚めたばかりだろう」


 「思われているほどじゃないのよ、本当に」


 深界の生物から受けた毒は適切に処置が施されたらしい。幸運だったと聞かされたが、まったくテッサも同じ気持ちを抱いていた。


 肩を支える弟を見る。本当なら、この横顔を見ることはもう出来なかったはずだ。


 「どうしても、今?」


 テッサは前を向いて首肯した。


 「そうしなければ――いいえ、そうしたいのよ」


 朝に意識を取り戻し、再び眠りに落ちた後、夕暮れ頃にまた目を覚ました。クダカという医師の見立てでは、血の巡りも良く、身体を蝕んでいた毒も、残っている様子はないという。


 用意されていた、滋養のあるものを砕いて溶かした粥は不味かったが、身体のために喉に流し込んだ。


 再び目をつむっても眠気は訪れず、それならばとテッサはレオンに頼んで、こうして恩人の下へ、感謝を伝えるために足を運んでいる。


 ゆっくりと歩いて、目的の人物が仕切る隊が集まっているという食堂へ到着する。部屋からは豊かな味を連想させる食卓の香りが漂い、酒盛りのように楽しげな談笑が聞こえてくる。


 レオンは入り口に立つなり、首を突っ込んでおそるおそる奥を覗き込む。まるで不審者のような態度を疑問に思い、テッサは理由を問いただした。


 「レオ……なに、してるの?」


 レオンは肩を震わせ、

 「あ、いや……顔を覚えられたくない人がいて……」


 テッサが首を傾げていると、部屋から一人の若い男が二人に気づいて近寄ってきた。その男はしかし、来客に気づいて応対にきたという雰囲気ではなく、またか、とでも言わんばかりにうんざりとした調子で溜息を吐き、


 「これ――見えませんか」

 食堂の外の壁に貼り付けられた紙を指した。


 見れば、こう書いてある。


 「隊長は忙しい……?」


 レオンが首を傾けながら読み上げると、出てきた男は二度頷いて、


 「そういうことなので、輝士さまには申し訳ありませんが、今日のところはお引き取りくださいませ」


 慣れた調子でそう言って、男は雑な一礼を残し、戻っていってしまった。


 てっきり、取り次いでもらえると思い込んでいたテッサはぽかんと口を開き、レオンを見る。


 「なにか不味いことをした、のかしら」


 レオンはなにかを察したように首を振り、

 「姉さんが寝ている間に色々とあったからね。どうやら僕らも、蜜に群がる虫と思われたみたいだな」


 テッサは不快げな仏頂面をして、

 「あとで全部聞かせてもらうわよ」


 レオンはにたりと笑み、

 「きっと信じないよ」

 言いつつ、レオンの表情はやや優越感に浸っているようだ。


 「私だけが知らないなんて、なんだか嫌な気分……」


 そんなやり取りの直後、

 「なにか」


 背後から問われ、振り向いた二人は小さく悲鳴をあげた。


 「い?!――ジ、ジェダ様」


 レオンが背筋に槍でも刺したようにぴんと張り、硬直した姿勢で道の脇に身を逸らした。身の程をわきまえるべき下級輝士達へ、お手本として提供したいほど見事な所作である。


 テッサは病み上がりの身体のためその場から動けず、目の前に現れたジェダ・サーペンティアと対峙する形となる。


 近くで見れば、遠目に見かけたときよりもさらに美しい顔だちをしている。しかし、その容姿の良さは、不思議と異性として魅力的であるとは感じず、むしろその目に見られた瞬間、ぞっとするような冷気を感じ、足がすくんだ。


 テッサは固唾を飲み下し、目をそらさずに堂々と目的を告げた。


 「テッサ・アガサスです。森での救出の件で、シュオウ従士長に面会を希望するためにまいりました。その……ご許可をいただけるなら、ですが」


 ジェダは真顔のままややおいて、

 「……どうぞ、案内が必要なほど広くはないので」

 そう言って、ジェダは先に行ってしまった。


 棘を感じる態度から、明らかに歓迎されていないのがわかる。今の態度は、まるで用が済んだらさっさと帰れ、と言わんばかりだ。


 通路の隅で固まったままのレオンへ手招きをして、部屋へ入る。

 濃くなっていく食卓の香り、聞こえてくる談笑は賑やかさを増していく。部屋いっぱい、埋め尽くす人の群れ。

 老若男女が複雑に混じり合う独特な雰囲気は、威勢の良い街中の飲み屋のようだった。


 テッサはすぐに目的の人物を見つけた。灰色の髪をした後ろ姿が、簡易の調理場の目の前に置かれた長い卓に腰掛けている。隣には、先ほど話をしたジェダの後ろ姿もあった。


 ムツキの中で幾度か見かけた顔もあるが、テッサは完全に自身が異物としてここに立っていると自覚していた。


 「あっと、ごめんなさい――」


 愛らしい雰囲気の少女が、料理をのせた皿を手にテッサの脇をすり抜ける。


 少女は元気の良い声で、

 「シュオウさまッ――いえ、隊長さまを思って、がんばって作りました。是非感想を聞かせてください」


 首を傾け、笑みを浮かべる少女は、純朴な田舎娘の雰囲気を帯びていながらも、所作には一つずつ、異性を意識したような鋭い愛嬌を秘めている。


 調理場に立っているひげ面の大男が少女へ向け、

 「あなたもめげないわね。普通、アレを見たらああなるのよ――」


 テッサは大男が指さした先を見る。そこにはぽつんと肩を縮めて座る輝士の姿があった。ジェダ・サーペンティアの部隊所属となっているアイセ・モートレッドだ。彼女は露骨に元気がない様子だが、どこか怯えたような様子にも見える。その隣に座っている水色髪の晶士は、歯をむき出して、なぜかジェダの背中を睨みつけていた。


 大男に言われた少女は明るく笑って、

 「身分は違っても、機会は平等に訪れますから」

 力強く拳を握った。


 「ユギク、ちょっとこっち手伝って」


 ユギクと呼ばれた少女は返事を返し、

 「はーい、またあとで、感想を聞かせてくださいッ」


 一礼して、仕事へと戻っていった。


 淡々とユギクへ応対していたシュオウ。その背に向け、テッサはようやく声をかけた。


 「あの……」


 しかし、僅かに振り絞った声は喧噪に掻き消される。

 緊張に萎んでいた胸を膨らませ、テッサは大きく声を張り上げた。


 「あのッ!」


 加減を誤り、声は部屋一杯に響く。あれほど騒がしかった話し声がいっせいに鳴り止んだ。振り返らずとも、部屋中の皆の視線が突き刺さるのを感じる。


 しんとした空気の中、シュオウが振り返る。

 「アガサス重輝士の……?」


 聞かされた救出された際の話を思い出し、一瞬顔が火照る。しかし、すぐにここへ来た目的を思い出し、テッサはたどたどしく片膝をついて胸の上に左手を合わせた。鎮まった空気に僅かにどよめきの気配が差す。


 「姉さん……」


 背後からレオンが驚いた声を漏らした。当然のこと、テッサは輝士としての礼を、格下の従士長へとっている。


 テッサは姿勢を維持したまま思いを言葉として紡ぐ。


 「私と、それに私の家族、他の者達も、助けていただいて、本当にありがとうございました――」


 頭を下げ、そして顔を上げて微笑する。


 「――アガサス家の人間はお人好しを自覚しているのです。していただいたこと、私達は絶対に忘れません」


 シュオウは眉を上げて驚いた顔をしていたが、すぐに頬を上げて頷いた。


 隣に座り、黙って見ていたジェダは一瞬の笑みを浮かべて立ち上がり、席をずらしてシュオウの隣の椅子を空けた。


 シュオウはひげ面の大男へ、

 「クモカリ、二人分の追加を頼む」


 「あの……ええと……」

 戸惑うテッサへ、レオンが身体を抱え起こし、

 「歓迎を受けよう、ジェダ様の許可は出たようだよ」


 席はきっちり二人分空いていた。

 先に席についたレオンが、テッサが病み上がりであることを大男へ伝える。


 後に続いてテッサが席へつくと、部屋の中はまた、あの賑やかな声で満たされた。




     *




 王家親衛隊、隊長を務めるシシジシ・アマイは、ユウギリの領主邸の一室で、ムツキへ送る書状の内容に苦慮していた。


 おおまかな内容はすでに決まっている。ターフェスタとの初戦で著しい戦功をあげた者を王家の名においてユウギリへ招き、報奨を与えるというものだ。


 しかしこの書状、真の目的は別の所にあり、実際のところはサーサリアがシュオウに会うためだけに用意された催し事に等しい。


 アマイは命令を告げる書状に、シュオウという名とは別の名を書いては、またすぐにそれを丸めて捨てるという行為を繰り返していた。


 「なにをそんなに悩む事がある。面倒ははぶいて一人を呼び寄せればいいだろう」


 補佐役のアダタカ・キサカが呆れた調子で言う。


 アマイは眼鏡をはずし、こめかみを押さえ、

 「そう簡単なことでは……あれだけのことがあって、今更当の本人一人だけを呼び寄せれば、いったいどう思われるか」


 「はッ――いまさらだな。衆目の前で抱擁をして、ただよろけただけだと言ってすむと思っているわけではないだろう。アデュレリアでの事も認知されつつある。なにもないで通せるほど甘くはないぞ」


 アマイは溜息を落とし、

 「まあ、たしかに……」


 懸念は体裁を取り繕うことだけではない。想う相手を呼び寄せても、サーサリアは結局、王都へ戻らねばならないのだ。その時にはまた、別れが待っている。アマイにとっては、そうした状況に置かれたサーサリアが素直にそれを受け入れるかどうかが何より心配だった。


 キサカは懐から折りたたんだ紙を取り出し、アマイへ差し出した。


 「これを使え」


 「これ、は」


 「ムツキでな、初戦での戦果について可能なかぎり調べをつけた。いくらか見繕えば、最低限呼び出しの体裁も整うだろう。だが結局、ほとんどは件の者の関係者だ」


 「気が利きますね」


 アマイは記されている記録に目を通す。それは個人や隊の単位で評価に値する戦果を上げた者達の一覧だった。眺めている最中キサカが、


 「聞いただろ、深界での救出劇を」


 硬い声に、アマイは顔をあげて頷いた。


 キサカは握った拳を片方の手の平で覆い、


 「ターフェスタにムラクモ、両国の精鋭輝士達を赤子のようにひねり殺した狂鬼の群れをたった一人でなぎ払い、追い詰められていた連中を連れ戻してきたという……いったい何者なんだ、あの男は。得体が知れない、そんな者を俺たちは殿下の側に呼び寄せているんだぞ」


 キサカの表情は焦燥とも怒りともとれぬ、複雑な色を滲ませる。

 アマイは眼鏡をくいと持ち上げ、


 「曇りのない目で見るべきでしょう。彼は並外れている、そうとしか言えない」


 「…………」


 沈黙が降りる。その合間に、部屋の入り口の扉を叩く音がした。


 「入れ」


 キサカが入室を許すと、親衛隊の輝士が礼をして、

 「報告いたします。右軍より伝令があり、行動中の部隊のユウギリでの一時的な待機、その後ムツキまでの通行許可を求めています。到着は明日、夜半過ぎの予定とのこと」


 提出された書簡を受け取りアマイは、

 「サーペンティアの……」


 キサカは腕組みをしてアマイを見やり、

 「派遣された補充の兵だろう」


 書簡の中身は正式なもの、その名には右硬軍重将オルゴア・サーペンティアの署名と印がある。不審な要素は皆無であり、これを阻む理由もない。


 アマイは書簡に対する返答を兼ねた許可証を用意し、キサカを見た。

 キサカは頷きを返し、

 「まかせておけ、俺が確認をとる」


 アマイは許可証を手渡し、

 「親衛隊、隊長アマイの権限において、要請を許可します」




     *




 深夜のユウギリ領内は雲霞に沈み、夜よりも暗い。


 闇の中、大蛇の紋章を負った軍隊が群れ集っている。町並みからはずれた広場にて、一時の休息を伝えたのは、部隊の指揮官としての任を受けた重将オルゴアの副官、重輝士エルデミアである。


 輝士たちの携帯する夜光石の明かりが、光を放つ虫のように点々と闇の中で青光りを彩っていた。


 この光の群れが殺人に特化した戦闘集団のものでなければ、美しいと見とれる者もいただろう。


 「休息は一時だ、馬に食事と水を与え、朝を待たずにユウギリを出る」


 ユウギリは誘惑の多い下卑た街、そう評する者も多い。賭場や色香に溢れる踊り子達の集う酒場が多くあり、他では手に入りにくい怪しい薬物も取引が横行している。


 エルデミアは与えられた命をまっとうするため、部隊の者達に一時でも油断を与えることを避けたかった。煌びやかな明かりや装飾が目に入らない街外れを休憩地に選んだのもそのためだが、現在ユウギリに王族が滞在している、という特殊な事情も加味されている。


 作戦に滞りはない。サーペンティアが指揮下に収める軍の中でも、選りすぐりの精鋭達が集っている。エルデミアの手に握られている双頭の蛇を象った指揮杖は、彼らを束ねる権利を有する証明である。


 練度も高く、無駄話もしない。優れたサーペンティアの輝士達の中から、しかし突如、不自然な声があがった。


 「なにをそんなに急いでいる、エルデミア」


 天上から見下ろすように、特徴ある高圧的な話し方。エルデミアはこの声に覚えがあった。


 集団から一人の若い輝士が歩み出る。目深にかぶった外套のフードをはずすとそこには――


 「ゼラン、様――」

 エルデミアは手にしていた指揮杖をだらりと下げ、

 「――なぜ、ここに」


 ムラクモに存在する四つの燦光石、その一つ蛇紋石の主たるサーペンティア公爵の長子、ゼラン・サーペンティアがそこにいる。


 ゼランは顔面を斜め上に傾けて粘り気のある笑みを浮かべ、

 「父上からの命でな。エルデミア、貴様の指揮権は今この時より、このゼラン・サーペンティアに委譲される」


 エルデミアは血相を変えて踏み出し、

 「お待ちください、そのような話はなにも。それに、この部隊はお父上がジェダ様にと――」


 ゼランはにやけた顔を醜く歪め、

 「サーペンティアの誇る精兵ばかり。奴に与えるには過ぎた玩具だ。我が父、風蛇公は過ちに気づいたのだ。考えを変え、この部隊を後継たるこのゼランに預けるとお命じになった」


 ゼランの視線は地面に落ちた指揮杖に向く。気づいたエルデミアは慌ててそれを握り直した。


 「私は直接、主たるオルゴア様より命を受けて作戦行動中の身にあります。指揮権の委譲について、それを証明するものがないのであれば、軍律に則り、上級輝士としてあなたの拘束を命じなければなりません」


 ゼランはまた、歪めた顔に笑みを取り戻す。懐から小さな木箱を取り出すと、それをおもむろにエルデミアへと放り投げた。


 受け取ったエルデミアは木箱の中身を見て硬直した。


 ゼランは鼻で笑い、

 「誰にでも秘密はある。財を隠し、ひとを殺め、そして愛を育む」


 木箱を掴むエルデミアの手が、震えを帯びる。

 「そんな……」


 見開いた目に映るのは、一本の人の指。大きさは小さく、細く。その指には特徴ある傷と、小さなやけどの痕がついていた。


 ゼランは片手を腰に当て、エルデミアへ歩み寄る。耳元に顔を近づけて、

 「一度だけだ、交渉はしない。指揮権を放棄し、指定の場所に姿を隠し、そこで大人しくしていろ。すべて事が終わった後、父上にはこう報告しておく。サーペンティア重将の忠実なる副官は、ユウギリに漂う色香に惑わされ、任務を放棄しました、とな。丸く収まれば、お前とその指の持ち主には、生きたままの自由を保障する。ただし、ムラクモ領の外でだがな」


 エルデミアの目の前に、ゼランの手の平が差し出される。エルデミアは血走った目で小箱の中身を見つめ、指揮杖をゼランの手の上に置いた。


 ゼランは子供のような笑声を漏らし、戸惑いながらも様子を窺う輝士達へ指揮杖を見せつけた。


 「これより、この部隊はゼラン・サーペンティアの指揮下に入る。硬輝士としてではなく、この身は現在、サーペンティア家当主名代の任にある。我が命に逆らう者は、父たる蛇紋石への反逆と見なし処断する。よく胸に刻みつけておけッ」


 居並ぶ輝士達が一斉に膝を降ろし、恭しく礼の姿勢をとった。


 ゼランの隣に立つエルデミアは闇の中に人影を見つける。その人影に呼ばれ、肩を落として去って行った。


 ゼランは輝士達へ、

 「エルデミアの指示を取り消す。休息を優先し、出立は昼前とする。宿の手配はすんでいる、皆よく身体を休めておけ」


 小さく、輝士達の安堵と喜びの気配が伝わった。馬を連れて案内に従い、部隊が移動を開始する。ゼランは広場に足を下ろしたまま腕組みをしている。


 ゼランの背後、暗闇の中から老人の顔がぬうっと浮かび上がり、

 「お許しを、予定より手間取りました」


 「結果間に合った。悪くない手並みだ、褒めてやる、ガザイ。伯母上の仕込みに間違いはないな」


 サーペンティアの暗部を担う組織、陰蛇の頭領ガザイは老獪な顔を沈め、恭しく頭を下げた。


 「は――ありがたき」


 「ムツキのほうはどうなっている、アレを見つけたか」


 「いえ、未だ。申し訳ありません、ですが、件のものが奪われた際、部下らを制圧した者の手口と、弟君がムツキで行動を共にする男の手並みがよく似ております。かの襲撃が弟君の企みによるもの、と証明する裏付けになるかと」


 「ジェダめ、おかしなモノを味方につけて粋がっているようだな」


 ガザイは鷹揚に頷いて、

 「それに、弟君がムツキへ配属の際、持参した荷物の中に、やたらに巨大な樽が一つ含まれていたとか。戦地へ赴く輝士としてはまったく不自然な手荷物であります」


 ゼランは笑い、

 「なるほど」


 「加えて、夜になると弟君の私室の前に、彩石を持った南方の傭兵が警護についている、との情報もございます」


 「やはり、アレはムツキにあると見て間違いないな」


 ゼランの言葉にガザイは同意を示して頷いた。


 ゼランは憎々しく顔を歪め、

 「父上は存じておられたのか。体裁を取り繕って、奴に戦力を渡し、腹心の部下まで派遣して庇護下に置こうとしていたようだが――」


 サーペンティア家当主であり、蛇紋石の主であるオルゴアは、苦境に立つジェダを幾度もかばうような行動をとってきた。しかし、サーペンティア家を実質取り仕切っていたのは、その姉であるヒネア・サーペンティアであり、生まれに恵まれていないジェダは、これまで幾度も不遇な状況に追いやられてきた経緯がある。


 父オルゴアの気まぐれの恋によって出来た、平民の血が混じる不純な弟に対する不満や憎悪は、ゼランを含め他のサーペンティアの血を継ぐ者達にとって共有してきた負の感情である。


 気弱で惰弱なところがあるオルゴアに代わり、冷淡で狡猾なサーペンティアを体現する性質を持つヒネアが実権を取ってこられたのには、オルゴアが大切に想うジェダと、彩石すら持たずに生まれてきた双子の姉の行く末を掌握していることが不可欠だった。


 しかし、その大事な要素を、ジェダは自らの手で奪い返したのだ。


 ゼラン、そしてヒネアの目的は至極単純なものである。ジェダが盗み出したものを再び取り返し、その犯行が誰の手によって実行されたのかを、他のサーペンティア一族に連なる者達に知らしめるのだ。それが叶えば、ジェダをかばおうとするオルゴアの気勢は再び失われることになるだろう。


 ゼランが生ゴミにも劣る存在としてしか認識していないジュナを見つけ出す。それが叶った時点で、誘拐がジェダの犯行と裏付けることができる。サーペンティアの抱える恥を、不用意に外へ持ち出した罪は重い。ジェダは相応の処置を受け、しかるべき立場へと落とされることになる。


 ガザイは皺だらけの手を合わせ、

 「すでに手の者は潜入させてあります、かならずやゼラン様のお役にたてるもの、と。その暁に、ゼラン様の御石継承の際には、何卒我らのお引き立てのほどを」


 ゼランは鼻息を吹き、

 「結果を出せ。必ずアレを見つけ出す。見つからずとも、何をしてでも奴に吐かせてやる。待っていろよジェダ……お前の卑しい生まれを思い出させてやる――」


 深夜の空、狂風が西へと吹き抜ける。


 雨の気配が、地上を染めた。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
次から次えと騒動が起きて、主人公は休む間もないな(笑) とても面白いです。 この小説の悪いところは止め時がわからなくて夜更かししてしまうところだな。
[一言] 大好き
[一言] 加藤純一最強だおww
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