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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
開戦編
70/184

曇天下の戦い <前>

 曇天下の戦い 1






 隔てるもののない外界で、響き、重なって吹き荒ぶ風の音は、人の喉が振り絞る、臨終の悲鳴のようにも聞こえた。


 重く湿った曇天の下、地上に広がる色のない森。そこはより不気味に、微かにも慈悲を残さぬほど、暗さを増している。


 流血の舞台として選ばれた深界の一角は、不自然なほど人の生ずる音がない。違う国の者たちが、互いの敗北を望む戦場において、始まる戦いを前に皆が意図して音を消し、中央に集う両軍の長を一心に見つめていた。


 親衛隊を引き連れて、ターフェスタ軍を指揮するゴッシェ・ダイトスは、一人騎乗したまま先行して戦場の中心へ向かう。呼応するように、対するムラクモ軍を背負うアスオン・リーゴールも、帯同する輝士らを置き去りにして馬を進めた。


 互いの息の音が聞こえるほどの距離。一呼吸ほどの間を置いて、最初に口火を切ったのはゴッシェだった。


 「名のある将と対する覚悟できたが……若いな」


 仏頂面で言ったゴッシェへ、アスオンは柔く誠実そうな眼差しを向け、


 「お互いに。見た所、僕とあなたとではそれほど年の差は感じません」


 目を合わせたまま、ゴッシェはふと目元に張り詰めた気配を滲ませた。


 「冬華六家の一、ゴッシェ・ログ・ダイトス」


 淡々と述べた名乗りに、アスオンも同様に返す。


 「重輝士、アスオン・リーゴール」


 微かに頷いたゴッシェは左手を上げて見せ、


 「慣習に倣い、手を合わせるか」


 それは古い戦士の仕来りである。輝石を乗せた手を合わせ、どちらの石が重いかを比べ合う。血を流さず、簡易的な格付けを済ませるのだ。


 アスオンはゴッシェの手を一瞥し、首を横へ振った。


 「必要はないでしょう。触れて熱を感じれば、あなた方から勝利を得る事に躊躇いが生まれる」


 ゴッシェは僅か、軽蔑の意を込めて苦笑する。


 「勇ましく聞こえるが、軟弱者の言葉だな。この程度のことで敵を討ち果たす気概を失うようでは、とてもこれより起こる事に耐えることなどできまい」


 「なんとでも。結果はすぐにでますよ……個人の意思など関係なく」


 眉間に皺を寄せたゴッシェは鷹揚に空を見上げた。


 「……たしかに。天もまた、早期決着を望んでいるようだ」


 浮いた視線を追い、アスオンもまた頭上を見上げた。空を覆う鉛色の雲は濃く、誰が見ても、それが雨を降らせる可能性を内包したものであると、ひと目でわかる。


 「我々は、戦いの延期を検討すべきではありませんでしたか」


 曇り空を見上げながら囁くように言ったアスオンに対し、ゴッシェもまた声を殺して、


 「検討はした。が、そちらからの申し入れがなかったのでな」


 顎を引き前を見据えたアスオンは、


 「こちらも同じです。わかっていても、正しい道を選べない時もある……不合理なものですよね、面子というものは」


 両者は初めて共感を込めた笑みを浮かべ、微かな笑声を交わし合う。


 ゴッシェは巨体に相応しい体格の軍馬を操り、熟れた手練で真逆を向かせた。


 「互いに死力を尽くそう、アスオン・リーゴール」


 アスオンは口元に力を込めて、

 「はい、よろしくお願いします」


 それぞれの言葉を交換し、両者は背を向けて馬を走らせた。


 連れ立った護衛の輝士、そして副官であるバレンと合流したアスオンは、ゆったりとした歩調を維持しつつ、緊張した面持ちでバレンへ語りかけた。


 「敵軍の陣容が厚い」


 バレンは日頃の数倍、凶悪に見える強面で頷いた。


 「左翼にリシアの百色結晶紋章旗、右翼に黄色黄金の軍旗。後者はカトレイの援軍兵と見受けますが、これは想定外の戦力となります」


 「はい。しかし、考えうる最悪の予想からは逸脱していない。北方各国から精兵の援軍が駆けつけることのほうが、より現実的な懸念でしたから」


 「同じ信仰を持てども、北は一枚岩ではありません」


 「そうですね……東地を護る我々には、それが常に有利となります」


 バレンはしかし、不安を残した様子で鋭い眼光でアスオンを凝視した。


 「懸念は他にも残ります」


 「わかっています。この空模様、この場でもしもの可能性を心配していない者などいませんよ。ですが、ここに集っているのは人類の精鋭たる輝士達。万が一の事が起ころうとも、対処できるだけの力はあります」


 「は……そうであれば、と願います」


 理解を示しつつも楽観した感想を述べたアスオンへ、バレンはなお晴れぬ心地を滲ませていた。


 「アガサス重輝士」


 あらたまって名を呼ばれ、バレンは畏まって呼びかけに応じる。


 「――は」


 「……勝てるでしょうか、我々は」


 たゆたうように視線を流したバレンは、前に居並ぶムラクモの軍勢を見つめた。


 「慢心なく挑めば、我が軍に負けはありません」


 「――――はい。ありがとうございます」


 アスオンはバレンに倣って自軍の様相を観察した。視線は、ある一点に惹き込まれる。頑丈そうな黒の盾を一面に構え、右翼の最前で時を待つ、とある従士の部隊だ。先頭に立つ従士長の表情は、遠目に読みとることはできない。が、側に控えるサーペンティア家の公子と共に、彼らは緊張を滲ませる他の者たちとは別種の落ち着きはらった気配を帯びているように、アスオンは感じていた。


 自陣へ戻ったアスオンら一行を、巨大な生物のようにうねる集団が飲み込んでいく。


 アスオンと目を合わせて、頷いたイレイが激しく軍馬を嘶かせ、轟くような叫びをあげた。


 「神の名の下、仮初めの結束に頼る馬鹿共を血祭りにあげるッ――」


 イレイの激しい叫声が轟くと同時に、両軍から戦いの開始を告げる合図が鳴り響く。


 腰から長剣を抜き放ち、アスオンは眼前の敵軍へ切っ先を向け、矢継ぎ早に命令を放った。


 「各従士隊進軍を開始――前列晶士隊は適宜砲撃準備を――輝士隊の投入は敵の出方を見る」


 副官であるバレンが、胸を張り大声でアスオンの命令を各所へ伝える。


 まもなく、前線に配置された従士達が白道を踏み鳴らす重低音が鳴った。これこそが、真に戦闘の開始を告げる最初の音となった。




     *




 「始まったな――」


 聖輝士隊を統べるミオト・ダーカは馬上から前進を開始した両軍の歩兵達へ視線を向けた。


 周囲からざわつきが上がるのと同時に、ミオトはその原因に気づく。


 「――なんだあれは」


 視線の先にあるのは、ごそごそと固まって動く物体。まるで黒色鋼の鱗をまとった生物のように、意思を持って戦場を鈍足で前進している。それは密集し、整然と列を成して盾を構える集団だった。深界での戦を知る者にとって、この光景は異様な事として目に映る。


 ミオトは気の抜けた声で副官の名を呼んだ。


 「ルイ……」


 「ここに――」


 「私と同じ物を見ているだろうな」


 「はい――おそらく」


 「なら、あれはなにか」


 「密集して進軍する小規模の軟石兵部隊である、と」


 「…………幻ではないのだな」


 ミオトは腰から小型の望遠鏡を取り出し、片方ずつ色の違う目で筒の中を覗き込む。目に映る光景に、盾を構えて進む集団を率いるように、大きく先行して駆けてくる二人の男達がいた。一方は銀髪眼帯のムラクモ軍人、もう一人は傭兵然とした長身の南方人だ。


 ふ、とミオトはほくそ笑む。


 「――よろしい。ルイ、前に配置した各軟石隊を下がらせ、さらに冬華へ伝えを出せ。先行して陣を成した敵歩兵部隊に打撃を加える」


 命令を告げたミオトへ、ルイが懸念を含めて問いかけた。


 「砲撃を待たず、進んで先発隊をかってでるのですか」


 「そうだ――我ら聖輝士隊は直々に死にたがりの勇者を歓迎する」


 「相手はあのムラクモです。アレも、秘策あってのことかもしれません。この戦はターフェスタの物、わざわざ先んじて我らが斥候とならずともよろしいのでは」


 冷ややかに諫言するルイへ、ミオトは華やぐように煌々とした笑みで応じた。


 「秘め事があるのなら、尚の事初期に叩いておくべきだ」


 ルイははっきりと目を見開いたまま嘆息して、

 「……道端に的があれば、矢を射ずにはいられませんか」


 ミオトは高々と抜剣し、

 「愚問ッ――――聖輝士達へ告げる、我らは戦場で群れて固まる愚か者共を蹂躙するッ」


 ミオトの合図と共に、前衛に立つ聖輝士達が一斉に各々の武器を抜き、取り出した。


 満足そうに頷くミオトの横顔へ、ルイが平素の態度で言葉をかける。


 「勇者、だったのでは」


 ミオトは胸を張り、

 「馬鹿だ! どのような思惑があろうとも、あれほど無防備を晒すなど。敵を侮った罰として手酷くこらしめてやる――」

 鮮血のように赤い舌で一筋、唇をなぞった。


 駆け出したミオトへ、壮麗な装束を纏った聖輝士隊が続く。各人へ指示を伝えた後、急ぎルイはミオトの後を追従した。




 件の黒盾を構える部隊との距離が縮まり、ルイがこわばった声で警戒を促した。


 「隊長ッ、先頭の南方人、硬石級です!」


 遠目に映る巨体の南方人を見やったミオトは歯を食いしばった。


 「やはり、策あってのことか」


 「密集部隊を引き連れた地を這う硬石を持った南方人――不気味です、一度引いて様子を見ましょう」


 「ありえん! 一度出たものをのこのこと戻れるものか。よろしい……油断なく、初手から全力で挑むのみ。消極的かつ安全に脅威を排除する――」


 剣を鞘に収めたミオトは彩石を讃えた左手を突き出す。込めた力に呼応するように、手の平の先から薄く曇った暗い気体が湧き出した。


 「――いでよ」


 押し殺した発声の直後、ぼわりと分厚い雲のような巨大な濃霧が、ミオトの前方へ広がる。


 「聖輝士隊、散開――袋を叩けッ」

 ルイの叫びを合図に、濃霧の両翼へ分かれ、聖輝士の群れが疾駆した。




     *




 「なにかくるぞッ」


 シガの叫びを聞き、シュオウは首肯を返す。

 二人は、背後から盾を構え鈍足で前進を続ける部隊よりも、大きく先行していた。


 前面から圧を感じるほどの分厚い濃霧が押し寄せる。

 直前に窺えた様子から、突撃をかけてきた輝士隊の先頭にいた者によって起こされた事であろうと推測する。


 ――広い。


 濃霧は端が見えないほど広範囲に広がりつつある。

 シュオウは思考から、回避、という可能性を消し去った。


 並走するシガへ向け、シュオウは声を張り上げる。


 「足を止めるな、突っ切って元を断つ」


 霧に呑まれる直前、胸一杯に空気を吸い込み、息を止めた。その行動をシュオウに選ばせた遠因は、一瞬頭の中によぎった、かつて力を使う様を目の前で見たことのあるムラクモの王女にあった。


 視界は白と灰に覆われる。


 陽の光が遮られ、暗く澱んだ霧のなかに閉じ込められた。足元にある白道の切れ目がなければ、方向感覚を失ってしまうほどの視界の悪さだ。


 「ひゃッ――」


 引きつったようなシガの力ない悲鳴が聞こえた。直後、目の前から突然に鋭利な剣先が現れる。予想だにしない、一切の気配を感じない不意の攻撃に、全身を伝う血流が激しさを増した。


 シュオウの眼はしかし、現れた剣先の軌道から寸前で身体を避ける。が、


 ――なにか。


 不安に近い漠然とした違和感が残った。


 使い手の姿はなく、見えるのは、ただ暗い霧の中で現れた剣の攻撃という現象のみ。その一撃を躱した後、振り返って見た先には、もう剣の姿は消えていた。


 「ぎゃッ――」


 また、近くからシガの悲鳴が聞こえた。立て続けに、


 「――痛ッ」


 霧に包まれてから後、度々聞こえるシガの声から、この現象に毒性がないことを確信する。


 「ふう」


 古くなった空気を強く吐き、シュオウは歩速を若干緩め、周囲を観察する。まもなく、濃霧の中から鋭い槍の一突きが見舞われた。


 ――また。


 その一撃はたしかな現実感を伴いながらも、心地悪い違和感も滲ませている。音もなく、そして攻撃を繰り出しているはずの殺気を帯びた人の姿がない。目に映る現象は一瞬であっても、動作を緩やかに捉えることのできるシュオウの眼は、その不自然さを確実に掴み取っていた。


 次にまた、前から襲い来る攻撃に対し、シュオウは避けることなく、あえて目に見える刃の先に薄皮一枚分程度の皮膚を晒した。


 鋭く切りつけられたはずの腕を見ても、そこに傷はない。


 ――幻。


 証拠を得て、その結論をシガへ伝えようと振り返ったその時――

 視界右側の濃霧から、濃く漏れ伝わってくる光に気づく。その輝きは高速で濃度を増していた。晶気による遠隔攻撃である。


 が、本来その性質として大きな有利を持つ晶気の一撃は、張り巡らされた濃霧の牢獄によって、その利点を大幅に損なっていた。


 ――まるわかりだ。


 健やかな空気よりも、この霧は強烈な光を帯びる晶気の接近を如実に伝えてくれる。


 躱すのはたやすかった。むしろその晶気による一撃は、正確に狙いを定めたものかどうかも怪しく、だらしなく空中を漂って直進し、数瞬で存在感を消失した。


 ――これが本命なら。


 たとえ、正常な状態で放たれた晶気であっても、シュオウにとってのそれは脅威に値しない。現状を易し、と判断する間際、また目の前に幻の刃先が現れた。


 無害なそれに対し、力を抜いて応じる瞬間、突如、底冷えするような寒気に肩が震え上がる。


 ――ちがッ。


 とっさの判断から、シュオウはその場で膝を崩してしゃがみ込む。頭上をすり抜けていった長剣の一撃。跳ね上がった髪の毛先が、実体ある物体に触れ、僅かに切り落とされた。


 不自然な体勢からしゃがみ込み、勢いまま背中から倒れ込む。逆さになった視界の先に、剣を構えて馬で駆け抜ける輝士の後ろ姿が見えた。


 なぜ気づかなかったのか。責めるような自問は、即座に脳裏を駆け巡った。


 目に見える幻にはなく、現実にあるものとはなにか。思考は間断なく、当然の答えを用意する。


 ――音。


 そう、先程の一撃には、あって当たり前の音がなかった。馬が駆ける馬蹄の音、剣を振りかぶる風切り音。それらの音がなく、実体のある攻撃が突如、濃霧の中から現れたのだ。


 地面に背をつけたまま、剣の鞘で白道を打ち付けた。が、そこから生じて当然の音がなにも聞こえない。


 歯を食いしばり、シュオウは立ち上がる。


 ――いつのまに。


 大勢が入り乱れる戦場に立ちながら、濃霧の中で視界を閉ざされて以降、そこから聞こえてしかるべき音が消えていることに、今更ながらに気づく。


 歩調はゆるやかに、再び前へ向けて足を出した。前後の方向感覚は辛うじて残っている。


 四方から、虚を突いて見舞われる剣撃、槍の一突き、振り下ろされる巨斧。選択の余地なく、すべてを回避した。


 濃霧の中で見る敵の攻撃は、次第に頻度を増していく。都度、足は止まり、前進するどころか躱すごとに後退を余儀なくされていた。


 幾度か同じような経験を経たとき、ふと前から迫りくる槍の一撃に注意を惹かれた。無数の攻撃のなかで、その一撃が理由もなく気になったのだ。


 ――いや。


 自身の思考を否定する。


 理由は、ある。


 ただ、直感で察知したそれを言葉にできていないだけなのだ。


 眼が捉える槍の軌道。躱しながら観察するそこに、シュオウは答えを見出した。


 ――重い。


 硬い金属で造られた武器は重さを伴う。たとえ怪力であっても、それを操るにはかならず、予備の動作や、ささやかなぶれが生じるものだが、この濃霧が見せる幻影の一撃には、それがない。


 槍が虚空を突いてすぐ、その先から現実の事である騎乗した輝士の姿がぬるりと現れ、また濃霧の奥へと呑まれて消えた。


 シュオウは前へと駆け出した。


 前方から再び鋭い剣の一撃が見舞われる。が、


 ――軽い。


 その軌道は完璧にすぎる。まるでそれは完全無欠な状態で、疲れもなく、迷いもなく放たれた神の一手のように淀みがない。


 覚悟を決め、シュオウはその一撃に身体を晒し、勢いそのままに突っ込んだ。


 刃が身体に触れた瞬間、衝撃も痛みもなく、剣はシュオウの身体を通り抜け、後方へと消え去っていく。


 さらに力を込め、石の地面を蹴った。


 右方、濃霧の中から幅広の剣が突き出された。その剣先は会釈をするように微かに頭を落とし、辞儀をしている。瞬間、剣の腹を両手で挟み、力の限り大地に足を踏ん張った。


 手から伝わる確かな重み。眼前に剣を握ったままの輝士が転がり落ちてくる。剣を奪い、シュオウは切っ先を横たわる輝士の首に突き立てた。


 驚きと混乱に塗れた輝士の顔。血を吐きつつ、喉を突かれた輝士はシュオウへ視線を釘付けにしたまま、首元に爪を立て藻掻き苦しむ。


 「ッ――」


 前後左右から多彩な武器の一振りが見舞われる。目に映るそれが幻であると頭ではわかっていても、突発的な攻撃に身体は強張り、躱すための予備動作を無意識にとってしまう。


 ――止まるな、動けッ。


 自分へ言い聞かす。

 足を止めることは、敵の用いる戦法の餌食となるだけだ。


 見極めた幻を置き去りに、全速力で直進を続けた。


 やがて、視界の先に淡く景色が浮かびあがる。その先に、馬上から手を突き出した女輝士の姿を見つけ、シュオウは腰に差した得物の一つを抜き、大きく振りかぶった。


 ――見えた。




     * 




 自身が振り撒いた濃霧に、朧に人型の影が浮かび上がる。ミオトがそれを察知した次の瞬間、縦に回転しつつ、緩やかな弧を描いて迫りくる何かが顔面に直撃した。


 「――ッ?!」


 不意の出来事だった。


 頭ががくりと後ろへ下がる。衝撃で首が揺さぶられ、顔半分に熱を帯びた感覚と、均衡を奪う不自然な重さがぶら下がっている。


 「ダーカ隊長ッ……」


 驚愕に押し殺した声を絞るルイが、仰け反るミオトの背を支えた。


 喉を鳴らす。


 恐る恐る違和感の根源を探し、顔に手を伸ばした。顔面の半分、左目に突き刺さった極小の短剣がある。


 肩から下りた冷気が腹の底へと滲む。失せていく血の気とともに身体の力を失い、ミオトは座った姿勢を保つこともできず、馬上から脆く崩れ落ちた。




     *




 濃霧の切れ間を抜けると、現象の発生源と思しき輝士が、顔面を押さえて崩れ落ちる様が見て取れた。


 ――当たった?


 それは威嚇のために投げた投擲用の小短剣だった。無欲から生まれた偶然の結果を早々に受け入れ、シュオウは足を止め、背後へ注意を向ける。


 静寂は去り、耳には戦場にある喧騒や怒号など、本来の音が戻っている。


 先が見えないほど濃く広がっていた霧は徐々に薄れ、左右に展開する輝士と、道中で頭を抱えて小さくうずくまり、肩や背から血を滴らせるシガの姿が見えた。


 一騎ずつ、左右両面からシガを狙い、赤い外衣を纏う輝士らが襲いかかる。


 「もう見えるッ」


 シュオウが発した叫びにシガは頭を上げてきょろきょろと周囲を見渡し、思い切り顔面を引き攣らせながら、尖った犬歯を剥いて立ち上がった。


 一方の輝士が、発光する鋭利な晶気の刃をシガへ放った。しかし、シガは臆することなく、自ら進んで放たれた一撃へ向かって突き進む。


 シガの身体能力は際立って突出していた。強靭な巨体をしならせ、突風のように直進する。輝士の晶気に身を晒し、左腕に傷を受けながらも、その程度は刃物で皮膚の表面を破られた程のものでしかない。


 輝士とすれ違う寸前、シガは馬の首を取り、そのまま力まかせに引きずり倒した。


 倒れ込んだ輝士の胸に一発、豪腕から振り下ろされた拳が突き刺さる。文字通りに風穴の空いた身体は、その者が絶命したことを裏付けるのに十分な説得力がある。


 シガを狙って動いていたもう一人の輝士から、露骨に怯えの色が滲む。その輝士が握る斧槍の先を濡らす赤い色を見たシガは、


 「おまえかァッ!」


 空気を伝い、震えを感じるほどの怒声に、輝士を乗せた馬が激しく頭を振って後ずさった。


 シガは殺めたばかりの輝士の肩に足を置き、片手で死体の首を千切り取る。異様な行動に怯えを見せた輝士は、背を向けて距離をとろうと馬を駆った。が、長い腕で振りかぶったシガは腕をしならせ、手にした死体の頭を、逃げる輝士の背に向けて投擲した。


 千切り取られた頭は、背を向けた輝士の背に直撃し、腹を破って貫通する。


 人の頭分、腹に穴を空けられた輝士は、

 「ぎッ――」

 喉奥から虫のような悲鳴を漏らし、落馬した。白い道に大きく広がる血溜まりを目にすれば、生死の結果に対し、一考の余地も残されてはいない。


 周囲に散らばる敵の輝士達が、戦意を失ったかのようにシガから距離をとった。


 シュオウはシガから注意を離し、奥へと目を向けた。後方から追従する自身の部隊は、強固に群れたまま盾を構えて前進を続けていた。戦場において小さな粒として存在する敵軍の歩兵達は群れに近寄ることもできず、遠距離から時折、まるで意味のない矢を散発的に射掛けるのがやっとである。


 その部隊を囲うように、左右から展開する別働隊の輝士達がいた。それは霧のなかで襲いかかってきた輝士らと同じ赤の外衣を纏う華麗な輝士達だった。




     *




 聖輝士隊、ターテル・エーセリヒは、仲間と共に標的と定めた敵集団の壊滅のため、馬を駆っていた。


 「ターテル、見て」


 同輩の女輝士、エルシア・ハヤイが指を差し警告した先、淡い黄緑色の髪をしたムラクモ輝士の姿がある。


 群れて固まる敵部隊と同様、その輝士の有様もまた異様であった。馬上にありながら駆ける事もなく、鈍足な部隊に連れ添って、まるで彼らを守護するように帯同している。


 「神の恩寵たる石を持つ者が、持たざる者を護るというのか。恥知らずな軟弱者めッ」


 軽蔑を込めて吐き捨てるようにそう言った。ターテルは自身が誇る豪腕にまかせ、両手に持った重量のある一対の棍槍を握りしめる。


 距離が縮まり、集団に帯同するムラクモ輝士の注意が聖輝士隊へと向けられた。部隊からやや離れ、その輝士は迎撃の構えを見せた。


 ――たった一人でなにができる。


 こわばった眼で睨みつけるターテル。随行するエルシアが、


 「先に撃つ、行って――」


 言ってその場に留まり、手の内から発光する水球を創り出す。水球は即座に弓矢の形状へと変化した。引き絞った弓に、呼応するように指先にある水の矢が形を大きく膨らませていく。


 先行したターテルの背後からエルシアの水の矢が放たれた。轟音と共に飛沫をあげ、発光する矢がムラクモ輝士へ直撃する。その寸前、鷹揚に一振りムラクモ輝士が手を振ると、エルシアの水の矢は強引に向きを変え、標的に命中する事なく天高くへと飛翔し、弾け散った。


 ――かすりもしないのかッ。


 敵は優れた晶気の使い手である。が、その評価は即座に取り消された。

 ムラクモ輝士がターテルへ向け、風刃を放った。しかしそれは、一時称賛にも似た気持ちを抱いたターテルを失望させるものだった。


 放たれた風刃は遅く、それを繰り出した者が酷く攻撃能力に劣っている事を示唆している。


 「なるほど、得意は守りのみ、か」


 ターテルは巧みに馬を操り、速度を維持したまま風刃を避け、ムラクモ輝士へ向けて突撃する。


 選りすぐりの戦馬の力と合わせ、並外れた豪腕から繰り出される重い棍槍の一撃。それを繰り出すため、得物を振りかぶった瞬間――


 「ッ――?」


 突如、目に映る視界のすべてが砕け散った。


 そう錯覚してしまうほど、見えていたなにもかもが一変する。天地は逆に、左右は止めどなく入れ替わる。光景のなかに時折、見慣れた自身の装具が見え、そのなかに血しぶきをあげながら散らばる腕や足、転がる胴体、酷い死を迎えた愛馬の姿もある。


 空中に蜘蛛の糸のように張り巡らされた極小の糸のような物があり、巻きついた血を弾きながら展開されている様が微かに目に映った。


 ――これ、は。


 自身の切り離された四肢を見つめながら、ターテルはこの時になって初めて、誰と対戦していたのかを知る。それは、神からの授かり者である人体を、一切の躊躇いなく石から切り離し、細切れに切り刻むという、悪名高きムラクモの輝士。


 ――ジェダ・サーペンティア。


 その名を仲間に告げたくとも、頭はすでに声を吐くための機能を失っていた。転がり、忙しなく移り変わる視界に、仲間達の姿が見えた。彼らが距離をとり、引いていくのを悟ったターテルは、死の間際、石と共に天へと向かう事ができなくなった不運を嘆きつつも、自らの死が警告として機能したことに、僅かな安堵の心地を覚えていた。




     *




 攻めかけてきた輝士隊を鮮やかに撃退したジェダ。部隊は依然、無傷のまま直進していた。


 現状が優位であることを確認したシュオウは、再び前へ向け駆け出す。


 狙いは一点。濃霧を撒いた輝士を討ち取ること。


 距離が縮まり、落馬した件の輝士の姿が鮮明に眼に届く。華やかな容姿をした女だった。他とは異なる、より一層華麗な軽鎧を纏う姿からして、彼女が特別な地位にある者であると推察できる。


 シュオウは腰から剣を抜き放った。


 女に寄り添っていた輝士が剣を持って立ち上がり、前に立ちはだかる。


 対する輝士が腰から小袋を取り出し、前方に中身をすべてばら撒いた。袋から飛び散ったのは、陶器やガラスの破片のような物。それらが地面に落ちるやいなや、それぞれが融合し、鋭利で太いトゲを成してシュオウを攻撃する。


 これまでがそうであるように、躱すことに難はなかった。


 シュオウが無傷ですべての攻撃を回避しても、対する輝士は臆した様子なく、次の攻撃動作に移る。その所作はなにより必死さを滲ませている。


 突く動作から入った輝士の剣技。軽やかでいて腰の入った優れた一撃だ。が、


 「な――にッ?!」


 驚愕に塗れた輝士の顔がシュオウを凝視する。


 シュオウは自身の身体がとることのできる動作ギリギリの状況でそれを躱した。その差は、自身の放った一撃が間違いなく入る、とそう確信してしまうほどの際どさ。触れた瞬間に破れる薄氷のような繊細さを秘めている。


 すれ違いざま、シュオウは輝士の手首をとり、自身の肩を肘に当て、体重を利用して逆向きに腕を折り曲げた。


 懸命に悲鳴を押し殺しながらも、武器を落として倒れ込んだ輝士を置き去りに、主として定めた標的へ剣を向ける。


 女は震える手で、片目に突き刺さった短剣を押さえつつ、地面に腰をつけたまま、迫り来るシュオウを前に怯えた顔で逃げるように後ずさった。


 恐怖と弱体。標的は戦意を失っている。


 剣を構えた。


 彼女が群れの長であるのなら、確実に仕留めなければならない。戦いにおいて、相手が人であれ化物であれ、弱点をつくこと、決定権を持つ頭をとる事は勝利を得るための必須条件である。


 「いやッ――――――」


 殺意を込めて剣を振る寸前、女は突如、甲高い声で悲鳴を上げた。


 予想していなかったその反応に、シュオウの手に一瞬、鈍りが生じる。次の瞬間、


 「ッ――」


 右方、遠距離から放たれた風刃がシュオウを襲う。音と発光により寸前でそれを察知したシュオウは、のけぞって地面を転がり、その一撃を辛うじて避けた。


 転がったシュオウへ、弱々しい剣の一突きが見舞われる。腕を折って置き去りにした、あの輝士による一撃だった。その男は痛みで脂汗を滲ませながら、倒れ込むようにしてシュオウへ攻撃を繰り返す。転がった不利な体勢のまま、反撃を捨てて距離を取ることに専念し、冷えた硬い白道の上を転がりながら退避した。


 男は血走った眼で立ち上がり、女の下へ集いつつある輝士らに命令を告げる。


 「隊長を守れ! 後ろへ退く――援護をッ」


 自身も馬に拾われ、また隊長と呼ばれた女も、よろけた身体を抱きかかえられながら、後方へと遠ざかって行く。


 前に残ったのは聖輝士と自称していた複数の人間達。各々に特徴的な武器や晶気の気配を見せつつ、シュオウの前に立ちはだかる彼らへ、臨戦態勢を整えようとした時――


 「ぎゃ――」


 悲鳴を上げ、輝士達が次々と落馬していく様に、シュオウは呆然とした。


 どこからともなく飛んできた鋭い矢の一撃が、次々と聖輝士達の喉や胸を撃ち抜く。その矢は光を帯び、硬い防具ごと人体を貫く威力と正確さを併せ持っていた。


 奇襲を受けた聖輝士らは惑い、四人を失った後、混乱するまま散り散りに逃げ去っていく。


 不意の出来事に、呆然とするシュオウへ向け、白弓を握りしめた一人の男が必死な様子で駆け寄ってきた。明らかに敵であろう服装、容姿、特徴。しかし警戒を抱く気もおきないほど、その男は敵意もなく、一人異様な様相を晒している。


 焦点の定まらない双眸、緊張感の欠片も見いだせない弛緩した態度。色のついた輝石は彼が貴族であることを示しているが、出で立ちにはまるで品性が感じられない。


 が、なによりも異常性を感じるのは、彼の腰でゆらゆらと孤独に揺れている人間の生首である。まだ血の滴るそれを腰からとって持ち上げ、男はシュオウの前に立ち、肩で息をしながら嬉しそうに満面の笑みを浮かべて言った。


 「はあはあ……おまたせしましたッ、我がきブビ!?――」


 言い終える直前、男の顔面を伸びてきたシガの拳が殴り飛ばす。


 豪腕に千切れ飛ぶ男の頭をシュオウは一瞬想像した。だが――


 男は生首を手に持ったまま地面に倒れ、小刻みに身体を震わせて呼吸を続けている。気を失い、殴られた顔面を真っ赤に腫らしながらも、たしかに命を繋いでいた。


 「…………生かしたのか?」


 ぬるりと顔を覗かせたシガは、

 「加減なんてしてねえ……こいつ、寸前でなにかしやがった」


 突然現れた謎の援軍、しかしその理由も正体もわからないまま、シュオウは気絶した男の左手にある色のついた輝石を改めて見た。


 「彩石持ちだ。生きているなら捕虜になる――後ろに投げておけ」


 シガが男を掴み、後ろへ向けて高らかに放り投げる。意図不明の生首と共に、男は弧を描いて空中を舞い、視界から消えた。




     *




 「指揮官に報告ッ、左翼が崩れました…………守護につく聖輝士隊が散り散りに。一部がすでに撤退を始めている様子。密集した敵歩兵部隊が無傷のまま前進を継続。我軍の歩兵隊は足止めすらできない状況。このままでは、敵に左深部へ肉薄されますッ」


 その報を聞いたゴッシェは歯を剥いて怒りを露わにした。


 「ミオト・ダーカ……口だけの能無しか――」


 ゴッシェは大剣を手に、勇ましく吠える。


 「――カトレイ麾下右翼軍、及び中央軍は現状を死守。敵味方、両軍の広域砲撃の後、輝士隊は任意に敵を迎撃しろ」


 「指揮官はどちらへ」


 親衛隊の輝士に問われ、ゴッシェは顔相険しく部下を睨めつけた。


 「直接出向き、聖輝士隊の空けた穴を埋める――伝令ッ!」


 叫ぶように呼んだ伝令が膝をついて頭を垂れ、

 「は――」


 「ヘイレ・アーセルセの隊へ伝えろ、敵軍右翼、密集した部隊を直接砲撃――一撃で命中させろ」




     *




 ヘイレ・アーセルセはターフェスタでも上位を自他ともに認める晶士である。ヘイレは未だあどけなさの残る若い娘であり、この戦が初陣であった。


 伝令が持ち込んだ指揮官からの命令がヘイレの耳へと運ばれる。


 指示を聞いたヘイレは真顔のまま、

 「――言われるまでもありません」


 戦場で、自ずから群れて固まる集団は、晶士であるヘイレにとって巨大な的としか思えない。その様は滑稽であり、ある種の侮辱のようにも感じられた。大国ムラクモにとって、従士という下級の兵士らにすら、北方の戦士は侮られているのでは、と。


 頭上に顕現した事象、滞留する暴力と、維持、増幅を繰り返す水の晶気。そこに込められた思いは、言葉に置き換えることのできない怒りと、自尊心である。


 一点の攻撃に全力を込めた。


 指揮官の注文は一撃必殺を敵部隊に見舞うこと。


 暴れ、狂ったように威力を溜め込むその一撃を一個の球として抑え込む。無尽蔵に消費される体力、精神力に、意識を保つことすらやっとだった。


 「位置――」

 観測役がおおまかな距離、歩速を伝えた。


 特大高威力、そして高い命中精度を誇るヘイレは、


 「当たれッ――」


 その力は、振りかざした手を合図に、唸るような水音を湛え、天高く放たれた。


 すべてを振り絞った後に脱力し、ヘイレは事切れそうな意識を微かに繋ぎ止め、膝を落として自らの発した晶気の塊を見送った。




     *




 前方にあるシガの様子を見て、ジェダは満足気に深く息を吐いた。


 「あの男、化け物じみているな」


 シガの暴れぶりは凄まじい。すれ違う高速で疾駆する輝士を馬ごと引き倒し、一撃で屠る様。また、前に居並ぶ敵の兵士達を、草を千切るように容易く殺す腕力。遠隔から放たれる晶気にも臆することなく突撃する胆力も含め、シガの戦力としての価値は、ジェダの想像を遥かに超えていた。


 その実力に一定の信頼を置いていたシュオウの態度へ思いを馳せつつ、

 「嬉しい誤算だが、感心している暇はない――」


 戦場に、空気をつんざく爆音が鳴った。


 暗い空を彩る青の球体。


 ジェダは真顔で空を見上げ、密集して前進する部隊の中心に在るアイセへ呼びかけた。


 「きたぞ、迎える準備をしろ」


 群れの中心に立ち、アイセは空を見上げて青ざめた顔で言う。


 「なんだあの大きさ……あんなの……無理だッ……」


 ジェダは常歩で近寄り、


 「たしかに、滅多にお目にかかれるような代物じゃない。おそらく発したのは敵軍随一の使い手だろう。しかし喜ぶべきだ、相手は僕たちを脅威と見做しているらしい」


 「そんな……」


 狼狽するアイセ。その周囲を固める兵士達にも動揺が広がった。


 「ねぇ、いま逃げたら間に合うんじゃ……」


 アイセの側で肩を縮め、蒼白となった顔で杖を抱えるシトリが言った。


 ジェダは手綱を引いて馬を嘶かせ、


 「シュオウは前進を続けている。退却などありえない――なにも考えるな。ただ大きく、強固な傘を創造すればいい。中心ほど強く、高く、受けた力を外へ逃がせ」


 アイセは自身の頭上に手を掲げ、

 「簡単に言うなッ!」


 集団を成した部隊の頭上広く、緑色に発光する晶壁が現れる。並の輝士であれば、数秒の維持がやっとの防御の壁。それを広範囲に、強く長く維持するだけの持久力をアイセは自身の才気として有している。


 ジェダは隊に寄り添い、両手の平を迫り来る特大の晶気へ向けて突き出した。


 「ままにはしない――」


 唸る水音を上げながら、特大の晶気が落下軌道に入る。その脅威が迫り来る直前、ジェダは両手の爪を立て、虚空を引き裂いた。直後に十の風刃が現れ、水球に向かって放たれる。


 風刃は前進するほどに、周囲の空気を取り込んで大きく膨れていく。空高くへ舞い上がるそれが、巨大な水の塊に飲み込まれて間もなく、水球が三等分に割れ、微かにその身を切り離した。が、尚も水球は威力を維持し落下を継続する。


 ジェダは右手を地面から中空を引っかき、巻きあげるように腕を振った。地上から圧のある風が舞い上がる。


 吹き付けた風が分裂した晶気の勢いを僅か、削ぎ落とした。そして、アイセの用意した風の晶壁と激突する。


 唸る風鳴音。飛沫を上げながら晶壁を打ち砕かんとする青の水球。


 「く、ぐッ――」


 したたる汗をそのままに、アイセは腹の底から叫び、瞬きもなく自らの晶気の壁を維持し続ける。時と共に水球は輝きを失っていく。重低音が消え、勢いを失った水球は、やがてアイセの展開する渦巻く風の晶気により、ただ弱小な粒の滴へと砕かれ、散り、消えた。


 静かな水の香りが、辺り一帯の空気に溶けていく。


 長らく、人類社会において理として君臨し続ける一つの常識。


 彩石を持つ者と持たざる者。両者の圧倒的な立場の違いは、戦場においても顕著にその様相を晒してきた。


 ただ一方的に狩られる存在であった濁った石を持つ人間達を、社会において上位に位置する彩石を持つ者が護る。


 それは、強情にからまった、ほぐれることのない慣習という名の糸が、僅かにほつれた瞬間だった。


 アイセがぐったりと膝から崩れ落ちると同時に、頭上に張られた晶壁が消え去る。


 周囲に居た敵、味方を問わず、大勢の視線がシュオウの隊へと送られていた。


 盾を構える一団から、小さなざわめきが漏れ、波紋のように徐々に広がり、やがて勝どきにも似た歓声が上がる。


 抜け殻のように力なく地面に身体を落としたアイセを、シトリが労うように抱きかかえた。


 静寂はすぐに元の騒乱が打ち消す。最初の砲撃をかわきりに、戦場一帯に両軍の晶士による砲撃が放たれたのだ。


 直前の一撃に信頼を置いていたためか、シュオウの部隊へ二撃目の砲撃は届いていない。


 ジェダはシトリへ、

 「出番だ、アウレール晶士」


 シトリはぐったりとしたアイセを抱いたまま、

 「無理ッ……ここからじゃまだ届かない」


 「敵の砲撃は届いた。同じく出来ないというなら、これを君に頼んだシュオウの目が狂っていたということになる」


 ジェダの言に、シトリはジェダを強く睨めつける。アイセから手を離し、立ち上がって晶気の構築に着手した。


 頭上に上がる水球は次第に大きさを増していく。が、明らかに、先程敵軍から打ち上げられた物に、大きさ威力ともに劣っていた。


 黙って水球を見つめるジェダに対してシトリは、


 「さっきみたいなの、期待しないで」


 「一撃で敵を全滅させろとは言っていない。芯に届けばそれでいい。敵を怯えさせろ、彼のいる戦場に安全地帯など存在しないと知らしめるんだ。それくらいのことは容易くやってのけるだろうと、当然のように期待しているさ」


 シトリは横目でジェダを睨み、

 「ああもう、いちいち言い方がむかつく――」


 ジェダはシトリの悪態を聞き流し、部隊の皆へ声をかける。


 「聞け、ここから敵の輝士が放たれる――猛攻に備え盾をさらに密に、砲撃を終えるまで、隙間風一つも通さず現状を守りぬけ」


 ジェダの指示を合図に、盾を構えた兵士達が間隔を狭め、身を低くかがめた。




     *




 晶士による最初の砲撃が終わった。


 白濁した石を持つ兵士達の死体が累々と横たわる戦場へ、両軍輝士隊が出撃する。


 躍り出たターフェスタ軍の熟練した輝士の男が、生き残りのムラクモ兵士を狩る過程、先に見える異様な光景に息を呑んだ。


 自軍左翼へ直進していたあの黒い盾を構えた集団だ。ターフェスタ軍から放たれた特大の砲撃を直上から受け、なお無傷で健在しているという異様さに加え、その部隊の頭上に、発光する青い水球が蓄えられている光景を目の当たりにする。


 見た瞬間にわかる。それは晶士が構築する高威力の晶気だ。


 驚きは、貴重で稀有な才である晶士が前線深くまで立ち入っていることよりも、今まさに、戦場の深部で敵が本来の射程を大きく上回る攻撃を用意しているという現実である。


 ――いかんッ。


 奥歯を強く噛み締めた男は、輝士隊を引き連れ、敵部隊を強襲するために掛け声と共に馬の腹に足を当てた。


 同じく、この敵部隊の脅威に気づいた輝士達は多数いた。彼らは各々の判断で四方から、件の部隊へ突撃をかける。


 一隊が先んじて、晶気による遠隔攻撃をしかけた。だが、敵の軟石兵が構える盾と晶気が衝突した瞬間、晶気の一撃は黒い盾を貫くことなく防がれる。その一撃を受け止めたのは、白濁した輝石を持つ並の人間である。その周囲には群れる多数の人間がいて、互いに支え合うようにして身を寄せ合っていた。


 頑丈な黒い盾は、その物が持つ質の良さに加え、群れる強固な肉の塊に支えられ、輝士の能力でも容易く破れないほどの防御力を発揮している。


 さらに、突撃をかけた輝士隊に対して、いくつかの短槍が投げつけられた。面を埋め尽くす盾の隙間から突き出された切っ先に、ターフェスタ輝士らは突撃の手を緩め、群れの周囲を迂回するように退避していく。


 敵部隊へ迫りつつそれらの様子を観察していた熟練の輝士は、手を上げて振り返り、帯同する輝士隊すべてへ呼びかけた。


 「隊列を組み、塊となった敵部隊を崩すッ――」


 男は急場で輝士隊を束ねるよう指示を出した。輝士の防御手段である晶壁の扱いに長けた者を外に配置、隊を矢の形と成し、駆ける暴力である軍馬の群れの力と、輝士の能力を合わせて突破を試みる。が、


 視界の外から、白馬を駆るムラクモ輝士が単騎で躍り出た。黄緑色の髪、芸術作品のように淡麗な面立ち、にやけた口元。目を離し難いほどの美貌を秘めた、青の軍服を纏う若い男だ。


 男は重く、ムラクモ輝士へ叫ぶように声を浴びせた。


 「貴様の存在は想定済みだ、ジェダ・サーペンティアッ――」


 男の合図を機に、輝士の一人が手元に土塊の矢弾を構築した。それを前へ撃ち出すわけでもなく、輝士は土塊を前方高くへ放つ。


 男は輝士の投げた土塊へ向け、拳大の風圧を放って当てた。衝撃で砕けた土塊は土煙となって一帯を漂う。その土煙は、四方に張られた糸のように細い風の晶気を浮き上がらせた。


 この糸状の晶気は、それぞれが鋭い刃物のような切れ味を秘めている。戦場で激しく駆け抜ける輝士がこの晶気に身を晒せば、ただ通り抜けただけで五体はバラバラに切り刻まれる。


 目に見えないほど細く、なおかつ鋭い切れ味を維持している。それを狙い定めて空中にいくつも張り巡らせる、まさに神業である。


 これまで幾人もがその犠牲となってきた。不慮の事ではなく、意図して身体を散り散りにし、殺める技。石を砕き、その身が輝く砂となって天へと迎えられる事を信じているリシア教徒にとって、ジェダのとる手段は言葉にも代えがたい、最大級の侮辱的な行為に値する。


 男にとって、この悪名がついた敵との遭遇は望む所であった。対策は出来ている。その結果は見事、功を奏した――はずだった。


 張られた糸状の晶気が突如、しなる鞭のように形状を変化させ、突風となって押し寄せる。


 「――!?」


 躱す間も、声を出す余裕もなかった。


 隊列を成し、並んでいた輝士達の間を、幾重にも重なった線の冷風が、そよと静謐に吹き抜ける。


 硬直と静寂。


 動く者は誰もいない。


 ただ一人、この場で自由に動き回る人物がいた。ジェダ・サーペンティアだ。


 ジェダは軽く馬を駆り、男の横をすれ違う。男の視界に映る景色は次の瞬間、ぐるりと反転した。


 視界が不自然に浮き上がる。意思に反した動作にめまいを感じても、不快感を表明するための声を絞り出すことができない。


 「やあ、どうも――」


 視界の中に、不愉快で美しい男の顔が映った。彼はへら、と笑い、


 「――それしか出来ないと思われるのは勝手ですが、晶気を罠として使っていたのは、それが最も安全で合理的だったから。僕は別に、積極的に殺しをすることを望んで戦場に立っていたわけではなかった。これまでは、ね。僕はあなた方が憎くて切り刻んできたわけじゃない。自分の身を守れれば、それ以外のことはどうでもよかっただけなんですよ」


 勝者から贈られる、憎い微笑が末期の目に焼き付く。


 颯爽と馬を操るジェダは、言いたいことを吐き出し、飽きたように男の頭を放り投げた。転がり、目まぐるしく上下を反転させる視界の中、馬上に残された自らの身体が、血に塗れながら崩れて落ちる様が一瞬、見えた。


 周囲にいた仲間達の身体も同様の結果に至り、美しく気高い、神の力を授かった石を持つ輝士の群れは、ただ血と肉、臓物に塗れた汚物として戦場を彩る一点の赤いシミを残すだけの存在となった。




     *




 「寄り付いてくる輝士は撃退した。だが、これ以上の数が押し寄せれば防ぎきれなくなる。今のうちだ、構築を急げ」


 ターフェスタ軍の輝士も全員が手を余しているわけではない。彼らの多くは同じく戦場に放たれたムラクモ軍の輝士を相手に、命を賭して力比べに勤しんでいる最中だ。が、戦場の状況が必ず、一定の状態に保たれる事はないとジェダは知っている。


 急かす言葉を受け、頭上に水球を貯め込むシトリは歯を剥いて怒りを表明した。


 「焦らせないで!」


 指摘の通り、ジェダは焦りを抱いていた。

 シュオウの立てた今回の作戦、その最も重要な要素が、今まさに構築の最中であるシトリの晶気にある。


 鈍足だが守りの硬い軟石兵の群れを形成し、さらに馬から降ろした輝士、アイセを守りのために置いている。この歪な部隊は、表向きジェダを指揮官として、司令官の指揮下からは独立した存在として作戦を実行している。故に、この群れを護るために動く輝士や従士は存在しない。敵が本気で多大な戦力を向けてくれば、四方からの攻撃にジェダ一人と群れの防御力でいつまで耐えられるか、わからなかった。


 砲撃として用いるため、威力と射程を維持した晶気の構築には、その力を高めるほどにより繊細さと安定を必要とする。各国、軍人として用いることのできる晶士適性者は貴重であるため、晶士を死の危険が高まる戦場の中心へ送ることはしない。だが、


 「うッく……」


 今まさに、戦場のど真ん中に立って、頭上に構築した水球をより大きくし、力を蓄える晶士がいる。シトリは額から玉の汗を浮かべ、日頃のふわりと眠そうな雰囲気を一変させ、表情には必死さと余裕のなさを滲ませていた。


 強く増していく暴力を蓄えた水球に、その直下にあるシュオウの部隊の者達から不安の気配が漂いだした。彼らはわかっているのだ、この水球に込められた力がもし、この場で暴発すればどうなるかを。


 「もう……だめッ……」


 限界まで力を高めた事を知らせるシトリへ、ジェダはしかし許可を与えない。


 「だめだ、まだ足りない。もっと強く、大きくッ」


 「でも、もうッ!」


 「まだいけるはず、暴走を怖がるな、蓄えた力をさらに爆発させろ。一撃で敵に恐怖を植え付ける。それにはまだ足りない。もっとだ、常識が思い描く限界を突き破れ――――彼の下に凡才は不要、すべてを出し切り、力を示せッ」


 シトリは苦しげに歯を食いしばり、強く目を見開いた。


 「ああ――もう、うるさいうるさいうるさいッ!」


 叫びと同時に、頭上の水球はさらにグンと大きさを増し、震えを伴うほどの水音を立て始めた。発光はより強まり、その威容はさきほど打ち込まれた敵の水球に引けを取らない。


 ジェダは影を落とすほどの大きさとなった水球を見上げ、破顔した。


 「出来るじゃないか。いいだろう、狙う必要はない。敵の砲撃の軌道を頭に描き、そっくりそのまま返してやれ――――」


 必死の形相で、シトリが上半身を弓のようにしならせた。


 「水球を――」


 食いしばった歯で、ただじっと前を見つめ、


 「――放つ!」


 声と共に、巨大な晶気が天高くへと解き放たれた。




     *




 晶気を放った後、その場で崩れ落ち、朦朧としていたターフェスタ軍晶士、ヘイレの周囲が突如、緊張とざわめきに包まれる。


 異様な気配に急速に意識を呼び起こされた。


 皆が目をやる方、視線を送った先の空に、巨大で淡く発光する青い晶気の球が迫り来る。


 ――綺麗。


 自身の能力に引けを取らないほどの力の塊。それを目の当たりにしたヘイレは、向かってくるそれを見て、まるで空を宝石が泳いでいるようだと思った。


 次第に大きさを増していく青の水球。水色に輝く光を頭上に強く感じる頃、轟音と共にヘイレの意識は絶え、無のなかへと呑まれていった。




     *




 不快な轟音が一発、鳴り、轟いた。


 自軍の奥深く、この場で最も安全であるはずのそこに、巨大な晶気の砲撃が打ち込まれたのだ。


 多くのターフェスタ兵士らが、一瞬足を止め、その音がしたほうへと視線を送った。戦いの最中、晶士が配置される深部が攻撃を受けること、それはその戦において、強固な自軍の壁が突破されるほどの惨敗を喫している、負け戦であることを意味する。


 敗残兵となる。退却を余儀なくされ、敵の輝士に追われて一方的になぶり殺しにされる。地位ある者は捕まり、捕虜として幽閉され恥辱と拷問に怯える日々を送る。命を失い、家を支えるために稼ぐこともできなくなる。もう二度と、家族に会うこともできない。


 戦場に立ち、敵に立ち向かうために振り絞った勇気はしかし、負けの決まった戦いに挑むほどの強さを伴わない。


 各々が抱く恐怖は病のように伝播する。


 ざわめき、どよめく。


 夜の闇の中、暴風で波がうねる岸辺のように、仄暗い不安がターフェスタ軍全体に浸透していった。




     *




 白の大地を穿つ一撃、そこから上がった爆音が合図となり、戦いの状況が次の段階に進んだことをシュオウは悟った。


 地面を踏み込む足の裏から、食い込むような強い感触が返ってくる。


 シュオウ、シガの二人は、ムラクモ軍のなかで誰よりも敵の懐深くへ入り込んでいた。


 弓を構えたターフェスタ兵士十数名、そして馬を駆る輝士が六名。前に立ちはだかり、迎撃の構えを見せる。


 放たれた矢、遠隔の晶気による攻撃が見舞われるが、それらのいくつかをまともにくらっても、頑強な肉体を武器に直進を続けるシガとは違い、シュオウは傷一つ、汚れることもなく全ての攻撃をやりすごした。


 「――は」


 突然、腹の内にこそばゆさを感じた。


 ここへ至るまでの間、肩から湯気が昇っているのではと思うほど身体が温まっている。季節を忘れるほどの熱が全身へと行き渡り、目に見える物、向かってくる事象、それらが皆、路端の石ころや、ゆらりと風に運ばれる綿毛のように柔く感じられる。


 眼前にある敵意がたとえ今の倍、それ以上であろうとも、これを突破することに一切の難を見いだせない。


 長い得物を手に突撃をかける輝士へ向け、飛翔して迎え撃つ。跳躍から、喉元を撫でるような剣の一閃。肉が裂け、血が噴き出すよりも早く、シュオウの手は次の獲物へと襲いかかり、難なくその命を奪い取った。


 シュオウは並んで輝士の一人を討ち取ったシガへ、

 「正面はいい、左に向かって道を拓け――暴れてこいッ」


 シガは全速力で走り出す。


 シトリの砲撃が落ちてから後、敵軍には少なからず動揺の気配が窺えた。戦場に立つ者たちの集中力が絶え絶えになり、前を向く目が時折、後ろを気にしたように、頼りなく浮ついて彷徨っている。


 そんな状況に解き放たれたシガの存在は、まさに怯えて逃げ惑う大衆のなか、突如現れた猛獣のように、効果的に混乱を与える結果となった。


 シガの働きは暴れ狂う獅子に相当した。暴走する鉄の壁のように強力な輝士の力を圧倒し、駆る馬ごと叩き殺す。打ち、倒し、千切り。前にある人間は、シガに狙われた直後、惨い死体となって積み重なった。


 その活躍にさらなる自信を得て、シュオウは前へ、奥へと突き進む。


 いなし、躱し、生死の境界である肉、皮を刃でなぞる。


 進むほどに、シュオウは現状へ煩わしさを感じるようになっていた。

 切るたび、殺すたび。溢れる血臭と、喉から漏れる泡立つような不快な音に吐き気をもよおす。それらのまとわりつくような不快感が、進む足を鈍く、身を重く引きずった。


 突如、左右から冷気を伴う突風が吹き抜ける。圧に押され、前にいる敵兵らが耐えかねるように尻をついた。


 冷風が、のぼせた熱気を程よく奪いとっていく。


 完全に統制下に置かれた風の晶気。その使い手がだれか、即座に理解した。


 背後を見ぬまま、シュオウは身体に纏う全ての武器をまとめ、背後に向けて放り投げる。


 迫る馬の足音と共に、その音の主が投げた物を受け取った気配が伝わった。


 「戦場のど真ん中で、自分から武器を捨てるのは君くらいだろう」


 ひやかすような軽い口調で言うジェダの声を聞きながら、シュオウは軽くなった身体をなじませるよう、その場で跳んで足を踏み鳴らし、硬くなっていた首肩を回して馴染ませた。


 「前はいい、俺の隊を護れ」


 シュオウの言にジェダは、

 「わかっているさ、言われるまでもなく仕事はしている。ここからが大詰めだ――油断はするなよ」


 心配を置き去りに、踏み込む足が刻んだ距離は、この戦場に立ってから最も長く、力強い。慌てて放たれた無数の矢を躱し、深く、深く人体の懐へと飛び込む。五本の指が相手の手首を掴んだ瞬間、手足、身体が折れ曲がり、鈍い音をたてるのと同時にその身が崩れ落ちた。


 「ぐ、ぎゃあああああッ」


 悲鳴は苛烈に、そして醜く辺りを汚していく。


 その音は、死の瞬間に鳴らす喉から漏れる泡音よりも心地良い。受けた痛みにより、敗北を自覚した者が鳴らす嗚咽と叫声。自らが声を発することなく、勝者となった栄光を他者へと知らしめる、戦勝の楽音である。


 一切、瞬きもしない隻眼で複数の獲物を捉えるシュオウ。だらりと弛緩させた上半身と顔。腕を抱え、悲痛な叫びをあげながらのたうちまわる兵士を背後に背負ったシュオウへ、居並ぶ敵兵らの怯えきった視線が寄せられる。


 屈強な兵士らが、シュオウを見つめる目。怯え、恐怖、後悔。先に自分の身に起こる不幸を想像し、小動物のように浅い呼吸を繰り返していた。


 近くで暴れ狂うシガ、押し寄せる群れを成し、ジェダを帯同する密集部隊。


 眼前の光景、状況を前にして、戦いに挑む兵士達の空気が徐々に暗く湿りを帯びる。


 それは静かな空気を打ち破る、豪雨の前に落ちる雷鳴のように突如、始まった。


 敵兵の群れのなか、幾人かが声を上げ、後ろへと逃げ始める。前へ、前へと向いていた兵士達の意識が、この瞬間を境にして反転し、真逆へと大きく向きを変えた瞬間だった。







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