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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
開戦編
65/184

二色のキセキ <後>

 二色のキセキ 2






 音もなく枝から落ちた枯れ葉を、他人行儀な冷たい風が連れ去っていく。


 舞うこともなく、渇いた葉は現の支流に飲み込まれ、ぼろぼろに朽ち、忘却の彼方へと消え、その姿を見ることは二度とない。


 七色に光を放ち、儚く散り散りに、人であった跡形が砂のように舞い去ってゆく。


 人々が天を見上げ、祈りの言葉を紡ぎ出す。


 人望の厚い男だったと、口々に皆が思いを語り、赤く目を腫らした巨体の男の背を撫でて去っていく。彼は故人の家族だった。血は繋がらずとも、実の親子よりも厚い絆で結ばれていた。同じ時を過ごし、同じ物を食べ、同じ空気を吸った。それだけで十分、家族だった。


 知らせは突然に訪れた。


 ムラクモ王都にある評判の店、蜘蛛の巣をきりもりするクモカリは、その日も目まぐるしく訪れる客の相手に汗を流していた。


 忙しない日常の最中、子供の頃から知る懐かしい顔が店へ現れた。再会を喜ぶより先に、持ち込まれた凶報に胸が締め付けられる。昔なじみが携えてきたその報は、故郷にいる育ての父が死んだという現実をクモカリに告げた。


 「どうしてよ……」


 父の身体があった硬い石の台座へ縋り、枯れることのない涙を落とす。


 商売を成功させ、若い頃から過酷な採掘仕事に従事してきた父を王都へ呼び寄せ、楽な老後を過ごさせてやりたいという目標のため、懸命に汗を流し、支度金を用意するため、命まで賭けた。


 だが、思いは実ることなく、泡となって消えた。

 手遅れの後悔が幾千の針となって絶え間なく胸に突き刺さる。


 「げんきだったじゃない――」


 最後に見た姿を思い出す。そこに慰めなどなかった。見落としたことがなかったかと、それはただ自らを罰するに等しい、無意味な振り返りにしかならない。


 終わりのない自己嫌悪に対し、防御の術はなく、ただ鈍らせることでしか立ち向かう事が出来なかった。


 葬送を終えた後の夜、クモカリは止める声を無視して大量の酒を煽った。

 たとえ愚かであろうと、傷ついた心はそれを必要としていた。


 皆が寝静まった深夜、クモカリは故郷を飛び出した。

 麻痺した感覚は夜の深界への恐怖心を曖昧にする。

 勇気でも蛮勇でもない。ただひたすらに後ろ向きな力、逃避という求めに応じて足を動かした。


 歩みは遅く、酒が切れる度、足が止まった。

 王都へ戻る道をはずれ、不毛な寄り道を繰り返す。

 あてどなく、ついには、王都に次ぐ都アデュレリアに立っていた。


 街の中心部へ至る。その喧騒は異常なほど賑わいを伴っていた。

 ひしめく屋台を眺める子供達が、しきりに声をあげてはしゃいでいる。


 「おまつり……」


 聞こえてきた情報を元に、クモカリは独り言ちた。

 冬の祭りに賑わうアデュレリアの街中で、一人密かに感謝する。現実からの逃避を求める今、人々が日常を忘れる一時に、ここへ訪れた運命にである。


 居並ぶ居酒屋から一店を選び、足を踏み入れる。

 懐からあるだけの金を抜きとり、クモカリは買えるだけの酒をすべて注文した。


 許容量を越えた酒が、あらゆる心、神経を鈍らせる。

 ただ飲み込むだけの酒に、味も感じない。


 金が尽き、店を出たクモカリは裏側の狭い通り道に身を横たえた。


 街に溢れる活気の外で、一人、ただ現状への救いを求めて瞼を閉じる。


 ――たすけて。


 誰でもいい。

 なんでもいい。

 求める声は心の内で消え、外へ出ることはない。


 いつまでも続く嵐の中にいるようだと、クモカリは思う。


 少しして、表通りから複数人が路地に入り込んでくる気配を感じた。


 「すごい人出だな――」


 男女の声が入り交じる。彼らから、この喧騒にひどく参っている様子が伝わってくる。

 しかし、今のクモカリにとっては何ら興味のないことだった。


 彼らが交わす会話を意識の外へ追いやり、ぼやけていく意識に身を任せて眠りに落ちた。心地よさなど微塵もなく、ただあるのは、残飯の饐えた臭気と、湿った地面から伝わる、傷みを伴うほど冷たい感触だけだった。




     *




 うねるような重たい音を伴って、人々の喝采が鳴り響く。


 アデュレリアの街を練り歩く巨大で禍々しい角を伸ばす狼を模した人形に、豪奢な氷服を纏う男が、剣を手に馬上から人形に一撃を薙いだ。狼は大きく首をうねらせて悶絶して大地に倒れ、開けた口からだらりと大きな舌が零れ落ち、痙攣を続けてやがてぴたりと動きを止めた。


 喝采は轟音へと変わり、拍手に交えて踏み鳴らされる足音が、地鳴りにも似た重低音を響かせる。


 「素敵な巡り合わせ……」


 領地アデュレリアの中心街で開催される冬迎えの祭りを眺めながら、ジュナが言った。


 二階建ての大きな居酒屋の隙間から、シュオウとジェダ、そして空になった酒樽に腰を落ち着けるジュナの三人は、見える祭りの様子とその喧騒に圧倒されていた。


 ジュナの目に映る世界に、あるものすべてが新しい。

 これまで書物や話の中でしか知りようのなかった出来事が、目の前で音や香りと共に、溢れ出さんばかりの現実として繰り広げられている。


 隙間から覗く世界を、ジュナは好奇心に突き動かされながらじっくりと観察していた。疲れを忘れて目を大きく開き、人々が奏でる音を聞き、胸いっぱいに無数の香りを吸い込む。


 強い酒の臭いと、食欲を刺激するタレの香りを撒く串焼きの屋台の煙がそこかしこに漂い、あちこちに置かれた簡易の長椅子に腰掛け、重そうな腹を抱えた男達が赤ら顔で絶え間なく酒をかっくらう様子は、見た目に決して良いとは言えずとも、祭りの彩りに相応の花を咲かせていた。


 「よりによって大祭の日にかちあうとはね……」


 先へ視線を送りながら言うジェダの声に力はない。

 三日三晩を越えて寝ずに歩き続けてきたジェダは疲れきった様子で顔色も悪かった。


 シュオウが窺うようにじっとジェダの様子を観察し、なにか言いたげに口を開けた。先を制して、ジェダは彼が得意とする皮肉めいた顔で見返す。


 「大丈夫か、なんて聞かないでくれよ。ご覧の通りさ、強がりを言う余裕もない。時々意識がどこかへ飛んでいるみたいだ。逆に、どうして君は平然と立っていられるのか、こっちが聞かせてもらいたいくらいだよ」


 ジェダの軽口を聞き流し、シュオウは懐から財布を取り出して表通りへ足を向けた。


 「もう少しだけ我慢しろ。領主邸の敷地まではここからまだ歩く。今のうちにまともな水と食料を腹に入れておいたほうがいい。適当に確保してくるから、ここで待ってろ」


 ジェダが頷いた後、シュオウはジュナへ視線を向けた。ジュナは屈託のない笑みを返し、理解したことをシュオウへ告げる。


 どこか心配そうに顔を残しつつ去っていくシュオウへ、ジュナは小さく手を振った。


 シュオウは見送りに気恥ずかしそうに視線を逸し、そそくさと足を早めて通りの人波の中へ消えていく。


 ジュナはそんな彼の態度に好意的な笑声をおとした。初対面の時に抱いた恐怖心は、もうすっかり和らいでいる。

 シュオウはジュナにとって家族を救ってくれた恩人だ。アデュレリアへ到着するまでの小冒険の間に聞いたターフェスタでの事を知れば、その思いはさらに強まった。


 ジェダは見ない間に、信じられないほど自然体に振る舞っている。信頼できる誰かとの出会いが、頑なだった心を溶かしたのは間違いないのだろうが、ジュナにはそれが、命を救われたことだけが原因とは思えなかった。


 ジェダにとって、サーペンティア家は忌むべき存在でありながら、愛すべき拠り所でもあった。恐れ、敬い、羨望。様々な感情を集約したその家を、彼は捨てる覚悟を決めたのだ。ジュナを救い出した行為はそのまま、そうした意味を合わせ持つ。


 ジェダがそれを一人で選択できたはずがない。彼は間違いなく、シュオウという人間の存在で、今後の運命を大きく左右する選択をしたのだ。


 ジェダはシュオウに対し、友という枠以上の強い心を抱いている。双子の片割れであるジュナには、聞かずともそれが理解できた。


 ジュナは弟へ目をやった。


 閉じた眼が糊で張りつけられたように、ジェダは瞬きを一回するごとに、瞼を開くまでの間隔が遅くなっていく。


 「大丈夫? すこし座って」


 ジュナの心配に、ジェダは瞼をこじ開けて必死な微笑みを浮かべた。


 「……心配いらないよ。領主邸までたどり着ければ一息つけるからね…………といいんだけど」


 最後に付け加えた一言は、聞き取るのがやっとなほど小さな声だった。

 ジュナは眉を顰める。


 「私はその、アデュレリアの御当主のところへ預けられるの、よね……」


 「ああ。この街の様子を見てもわかるだろう。ホランドとの戦を控えても、領民達は皆娯楽を心から楽しんでいる。それだけの余力があるんだ。ここなら、たとえサーペンティアが本腰を上げて姉さんを狙ったとしても手出しはできない――――」


 ジュナは唇を噛み、窺うようにジェダを見つめた。


 「でも、アデュレリアというのはサーペンティアの血をとても嫌っている人達、でしょ」


 ジェダは疲労で薄暗い顔を傾げて聞く。

 「心配なのかい」


 ジュナは頷いて自身の左手にある輝石を撫でた。


 「色はないけれど、私も……サーペンティアの人間だから。ここの人達にはきっと歓迎されないでしょうね」


 ジェダは瞼を落として顔を地面へ向けた。


 「そうだね……その通りだろう。だが、シュオウはここの主にとても好まれている。その彼に正面から頼んでもらえれば、氷長石の加護を受けられるんだ。心配はいらないよ」


 ジュナは姉を安心させようと微笑む弟へ、柔らかく笑み、頷いた。


 おそらく、ジェダの言う通りに事は運ぶのだろう。ムラクモで三指に入る大人物が、一人の青年をそこまで特別視しているという話も、現実に目の当たりにしたわけではないので確証を得られないが、ジェダが勝算なく、一族へ剣を向ける救出作戦に手を出すはずがない。


 ジェダは先にある大通りとの境に立ち、警護するように様子を窺っている。

 その背を追いながら、ジュナは路地の先へ視線を向けた。


 ――ここに。


 未だ夢を見ている途中ではないかと思うほど、世界に広がる開放感に感覚が追いつかなかった。家を覆う壁がすべて消え去り、そこから見えた景色は四方に広がる崖っぷち。そんな頼りない心地を覚える。


 自身のいる建物の隙間の奥で、酔いつぶれて寝転がる大男の足がもぞもぞと地面を這っていた。大男の動きに驚いた残飯を漁る猫の背が揺れ、積まれていたゴミが派手に崩れ落ちる。


 ジュナは再び弟へ目をやった。


 大きな物音がすぐ近くで鳴ったにもかかわらず、ジェダは首を揺らして立ったまま眠りへと落ちかけている。早く、ゆっくりと落ち着いた場所で休ませてやりたい、そう思っていた矢先、


 「ジェダッ――」


 ジェダは不意にかくりと首を落とした。即座に目を覚ますが、首を落とした勢いにつられたように、前のめりに倒れた身体が表通りの人の流れに飲み込まれる。


 「姉さ――」

 手を伸ばすジェダは、しかし激しい濁流のように流れる人波の中に飲み込まれ、その姿はあっという間に見えなくなった。


 ジュナは一人、薄暗い路地に取り残された。


 心は落ち着いていた。ジェダはすぐに戻ってくるだろう。が、隣接する居酒屋の裏口から、複数の酒に酔った男達が姿を見せたことで、ジュナの心に一抹の不安がよぎる。


 ジュナは密かに皮肉な微笑をこぼした。


 ――そうよね。


 望まぬことは、常に望むことより多く訪れる。そのことを、ジュナは身をもってよく知っていた。


 男達は市井の人々とは雰囲気が異なっていた。帯びる空気にいがいがとした棘がある。外の経験に乏しいジュナにも十分に理解できた、彼らはいわゆる無頼の輩だ。


 酒瓶を片手に肩を組んで下品な笑いを漏らす彼らは、まもなくジュナの存在に気づいた。即座に、全員の口元に下卑た色が張り付く。


 「うおっと……とんでもねえ美人がいるぞ……」


 一人が前のめりでジュナを値踏みするように見つめるも、側にいる別の男が冷めた顔でそれを止めた。


 「おい――」


 ジュナにはわかった。止めに入った男はジュナの容姿を見て貴族ではと疑ったのだ。が、その視線が左手の輝石に集中すると、安心したように止めていた手をどけた。


 「――なんだ、見るからに…………驚かせやがって」


 ジュナはかぶっていた外套のフードから僅かにはみ出していた淡い黄緑色の髪をしまい入れた。


 男達の人数は三人。彼らは互いに据わった目を合わせ、にたりと笑み、ジュナを見た。


 「あんた、えらい美人だ。こんなところで一人でいるくらいなら、俺たちの酒に付き合っちゃくれねえか。上流にいい店があるんだ、極上の酒と飯を奢るぜ」


 一人の男がそう言って、ジュナの腕へ手を伸ばした。

 ジュナは手を引き、強く睨めつける。


 「一人ではありません。すぐに連れが戻ってきます。私のことは放っておいて、このままあなた達だけでそのお店に向かってください」


 男は口元だけで笑みを作り、


 「そいつはねえな。誘いを断られてむざむざと引き下がれば俺の名が廃る。それにな、俺はあんたが気に入った、侍らせて高い酒を食らいたい。なあに、なにもとって食おうって言ってるわけじゃねえんだ、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいだろう、今日は祭りの日なんだしよ」


 酒臭い息を吐いて笑みを浮かべる男へ、ジュナは冷めた微笑を返す。

 「お引取りください――――あなた達の身を思って言っています」


 言うと、男達はわざとらしく怯えた声を演じて騒ぐ。


 「おお、おっかねえ。その連れとやらが本当にいるとして、俺たち相手になにかできるほど腕っぷしがたつっていうのかい。あんた、形は派手だが、いいとこの人間じゃねえだろう。俺らと同じ濁り石を持って、まさか輝士を連れたお姫様なんていうわけもなし。ちょっと見た目がいいからって俺たちを見下してるならえらく気分が悪くなるぜ」


 理性を欠いた血走った眼をした男の手がジュナの腕へ伸び、強く掴んだ。


 「はなしてください」


 拒絶の意を示したジュナを男達が嗤う。その直後に、ジュナの手を掴んだ男の身体が真横に吹き飛んだ。


 呆然とするジュナの目の前に、大きな拳が突き出されている。その手の主は路地の奥で横たわっていたあの酔っぱらいだった。体格の良い男達をさらに上回る巨体で、拳を突き出したまま、定まらない視線でふらふらと身体を揺らしている。薄く生える短髪と伸びた髭の隙間には、なぜか落ちかけの化粧の跡が見えた。


 「いやあるおんらにむりじいするらんて、さいてーよ、あんらたちッ!」


 拳を突き出す大男は、呂律の回らない奇妙な女口調で叫んだ。


 あっけにとられていた二人の男達は事態を把握し、怒りにまかせて拳を振り上げる。が、大男は手際よく、二人に一発ずつ拳を叩き込んだ。顔面を強打された二人の男達は、その場に崩れてぴくりとも動かない。


 大男は血のしたたる自身の拳をだらりと下げ、男達が手にしていた酒瓶へ手を伸ばし、中身を勢いよく飲み干した。


 ジュナは急な出来事に戸惑いながらも、助けてくれた大男に礼を告げるため、口を開いた。


 「あの……どうもありが――」


 「ジュナッ!」


 言いかけで、路地のなかにジェダが転げそうな勢いで駆け込んでくる。

 ジェダは三人の横たわる男達と、拳から血を滴らせ、ジュナの目の前に立ち尽くす大男を見て、怒りと敵意を露わにした。


 「お前……」


 胸の前に握った拳の周囲に唸り音をあげる強風が発生する。

 その敵意を一身に受ける大男はあまり動じた様子もなく、酷く酔った様子でその場で身体を揺らしながら、据わった目をジェダへ向けていた。


 ジュナは慌ててジェダを止めようと手を伸ばした。

 「ジェダ、待ってこの人は――」


 その時、通りからまた人影が路地に滑り込んだ。ジェダは一瞬そちらへ注意を向ける。


 「ほうひたッ――」


 深刻な顔で、しかし口に子供向けの甘い菓子を刺した串をくわえながら、現れた人物の正体はシュオウだった。


 両手に飲み物を入れた器と串焼きを握りながら、シュオウはこの場の有り様を見つめ、大男を睨めつける。


 大男は現れたシュオウに気づき、視線を向けた。その直後、感情が窺えなかった赤ら顔が悲しく歪み、激しく肩を揺らしながら大粒の涙を零す。


 急な大男の態度に、ジェダは圧倒されて拳に集めていた力を霧散させた。


 大男は泣きながら酒瓶を手から離し、

 「シュオウ――」


 名を呼ばれたシュオウは驚きに目を見開いた。

 大男は駆け出し、ジェダの横を通り過ぎて、手に食べ物を抱えたシュオウへ飛びつく。

 シュオウは手にしていた食べ物を外へ除け、大男から受ける激しい抱擁に身を任せた。


 「フモ、ハリ……?」


 口に菓子を加えたまま、シュオウがそう言うと、大男はさめざめと泣きながら、

 「シュオウ…………私のパパが……………………」


 途切れた言葉の後で、大男が大声を上げて泣きじゃくる。

 ジェダとジュナは事態を把握できず、ただ、じっと大男の抱擁を受け入れているシュオウの様子を、呆然と見つめていた。




     *




 街の上流へ向け、シュオウはぐったりと力なく項垂れる巨体を背負って歩いていた。


 「クモカリ、だったか」


 ジェダからの問いにシュオウは頷いて答えた。


 「俺がムラクモへ来てすぐ知り合った。深界踏破試験の従者として同行した仲間だ」


 アデュレリアの街中で、それも裏路地の隙間でのクモカリとの遭遇は、シュオウにとってまったく想定外の出来事だった。


 クモカリは体中から強い酒の臭いを漂わせ、血走った眼でシュオウに気づいてから、力のかぎり泣き喚き、突然ふと糸が切れたように、深い眠りへ落ちてしまったのだ。その場に置いていくわけにもいかず、シュオウはクモカリを背に乗せ、領主邸へ向かうことにした。


 「随分と荒れている様子だが、本当にアデュレリア公爵の下まで連れていくつもりなのか」


 ジェダの指摘に、シュオウは厳しい視線で返す。

 「反対か」


 ジェダは視線をはずし、首を横に降った。


 「いいや、ジュナを暴漢から救ってくれたというしね。反対はしないが、あちらがいい顔をしないかもしれない、と少し思っただけだよ」


 ジェダの背で、ジュナが悲しげな顔で零す。

 「ご家族を亡くされたようでした……」


 シュオウは首肯し、

 「育ての父がいると言っていた。きっとその人が――」


 クモカリはシュオウに気づいて後、激しく身を寄せて、父親が死んでしまったこと、その葬儀の帰りであること、そして、一人で死なせてしまったことを酷く悔やんでいる言葉を懸命に伝えていた。


 風変わりではあっても、どっしりと落ち着いた心を持っていたクモカリが、彼らしくない酷く荒れた様子で酒に溺れていたのだ。その心痛がどれほど負担になっているかは考えるまでもない。


 街の中心を抜け、上へ上がるほどに喧騒が遠ざかっていく。


 ジュナは後ろを振り返りながら、

 「静かになっていく――――少し、寂しい」


 姉を背負って歩くだけで精一杯の様子のジェダは、その言葉になにも返さず、ただ黙って歩いている。

 静寂が降りるより早く、シュオウはなにげなく返答をした。


 「これくらいが丁度いい」


 ジュナはシュオウを凝視した。


 「寂しいのが、ですか」


 シュオウは曖昧に首を傾ける。


 「街を行く人達には皆、家族や友人がいる。それぞれの人間にとって、本当に大切なモノは手の届く範囲にあるんだ。すれ違っただけの俺に居場所はない。それを感じるくらいなら、静かなところにいるほうが、よほど孤独を感じない」


 ジュナは複雑な表情を浮かべ、

 「そう、ですか――」


 「ん……」


 シュオウの背で、寝入っていたクモカリが寝言を呟きながら身体をよじった。揺れる巨体にふりまわされ、シュオウは右へ左へ、身体をよろけさせる。


 「大丈夫ですか」


 ジュナが心配そうに問い、シュオウは問題がないと告げた。


 「――ああ、少し重たいだけだ」


 「本当に、酷い荒れようだ。いくらなんでも飲み過ぎだろう。離れていてもここまで強い酒の臭いが漂ってくる」


 荒い呼吸の隙間から、ジェダが呆れたように言った。

 シュオウはかばうように控えめな反論を用意する。


 「良いやつなんだ。本当のクモカリは、落ち着いていて、話していると心が安らぐ」


 ジュナが悲しげな顔でクモカリを見つめ、


 「そんな方が、これほどひどく溺れてしまわれたのなら、ご家族とのお別れが、よほど耐え難い傷みを与えたのでしょう。かわいそうに。大丈夫かしら、これから……」


 シュオウは柔和に目尻を下げ、ぐったりとしたクモカリの身体を背負い直した。


 「大丈夫――きっと、少し寂しかっただけだ。必ず立ち直る」


 ジェダが汗を垂らしながら皮肉な微笑を浮かべ、


 「随分と信頼しているじゃないか。それほど長く一緒に居たわけでもないんだろ」


 そう言った言葉に、若干の棘が混じっていた。


 くすりと、ジュナが吹き出し、ジェダへひそひそと耳打ちした。

 「――――の?」


 言われた途端、かくんとジェダの片膝が折れ、転びそうになりながら、寸前で踏ん張った。


 姉に文句を言うジェダ。それを軽く受け流すジュナを見ながら、シュオウはどこか、二人に対して無邪気な幼さを感じていた。それは親しい肉親の間にだけ流れる、特有の距離感なのだろう。


 そんな二人を尻目に、クモカリが意識を取り戻し、周囲を見渡した。


 「……クモカリ、大丈夫か――」


 返事はなく、ただ首を横に振るのみで、再び首をだらりと下げ、酒臭い息を吐きながら寝息を立て始めた。


 「――大丈夫だ…………お前なら」


 眠ったクモカリへ、シュオウはそう語りかける。


 「時間はかかっても――――置いていけばいい」


 加えて言い、しっかりとクモカリの重さを我が身へ乗せて足を出す。


 その身からなにかを切り離し、置いていくとき。人はかならず前進している。ジェダがそうしたように、この一時に悲しみに暮れるクモカリもまた、同じであろうとシュオウは信じていた。




     *




 シュオウはクモカリを。ジェダはジュナを背負い、道行く人々の視線を受けながら、歩みを続け、前方に領主邸が微かに見える頃、道の先から武装した兵士達が駆け寄ってきた。


 「待て、お前たち、何用があってここへ立ち入った――」


 声をかけてきた警備兵はシュオウを知らない様子だった。シュオウは外套をはぎ、茶色い軍服を見せる。


 「――従士、か……」


 シュオウは頷き、

 「アデュレリア公爵へ繋いでもらいたい」


 警備兵達は顔を見合わせ、シュオウらへ険しい目を向ける。


 「氷長石様への面会の予定は聞いていない、軍務であれば書の一つでも提示しているはず。お前、見るからに東地の者ではないな。その担いでいる男は酔いつぶれているのか? そこの二人はなぜ顔を隠している。あやしい…………」


 警備兵らはフードを目深にかぶったジェダとジュナへ指を向け、これ以上ないほど眉を吊り上げて警戒心を露わにした。


 シュオウはクモカリを背負ったまま、辿々しく腰に刺したアデュレリアの紋がついた剣へ手を伸ばす。


 「シュオウが来たと、そう言ってこれを見せてもらえれば――」


 警備兵らは慌てて一歩退き、各々の武器を構えて険しく睨みを利かせた。


 「お前、ここを氷長石様の御領地としっての振る舞いかッ、ただではすまされんぞ!」


 シュオウが武器に手を伸ばしたと勘違いしたのだろう。冷静さを失い、一気に敵意を剥き出しにする彼らへ、シュオウは困惑した。


 「待ってくれ、違うんだ――」


 シュオウは剣から手を引いて説明しようとする。が、その時後ろから大きく張りのある声が場の混乱を一喝した。


 「静まれ、なにごとだッ」


 声を発したのは馬に乗った氷服を纏う男。彼は先程まで、大通りで行われていた見世物で、剣を振っていた主役と同一人物だ。


 警備兵らは武器を構えたまま、現れた男へ一礼して告げる。


 「隊長――怪しい者達がうろついておりましたので、取り調べを。そうしていると、この男が突然腰の物に手を伸ばしましたので……」


 男は馬上から険しく睨みをきかせ、

 「なんだと――」


 腰の剣に手を当てシュオウと目を合わせた途端、慌てた様子で馬から降り、シュオウの元へ駆け寄った。


 「あ――――これは……シュオウ殿かッ、ご無沙汰しております。覚えておられましょうか、見回り組、隊長のアサギリ・アデュレリアです」


 漆黒の癖毛を揺らし頭を下げた男、アサギリはアデュレリア領内、主に市街地の警邏を担当しているアデュレリアの若武者だ。纏う祭り衣装のせいで印象が随分と違っているが、シュオウは彼を知っていた。アデュレリアにいた間、幾度か挨拶を交わした覚えがある。


 「あ、の……」


 理解が及ばず、未だ武器を構えたままの警備兵らに、アサギリの拳が見舞われる。


 「馬鹿どもがッ――こちらはご当主の賓客として招かれていたお方だ。いついかなるときでも、アデュレリアはシュオウ殿を歓迎する。それをきさまら――」


 「お、俺達は新入りで――」


 「黙れ、言い訳をするかッ」


 シュオウはクモカリを背負ったまま、彼らの間に入ってアサギリを止めた。


 「アデュレリア公爵は」


 アサギリは拳を収め頷いた。


 「邸に。軍務を控え、現在は重将として、左硬軍指揮のための支度を整えられておられます」


 「すぐに会いたい。繋いでもらえますか」


 「それは――もちろん、しかし……」

 アサギリははっきりと首肯する。しかし、面を隠したジェダ達を気にするそぶりをした。


 アサギリはアデュレリアの治安維持が役目である。当然、身元のよくわからない相手を領主の下へ近づけることなど許さない。


 「顔を――」

 シュオウはジェダに対し、顔を見せるよう合図を送った。


 ジェダは一つため息を吐いた後、かぶったフードを下げ、淡い黄緑色の髪をさらりと流す。その瞬間、アサギリの顔色が変わった。


 「な!? お前は――サーペンティアのッ!」


 アサギリは躊躇いなく腰の剣を抜き取った。

 ジェダは冷え切った微笑を返し、


 「やあ、その節はどうも。ご丁寧に縛っていただいて感謝していますよ、隊長殿」


 「知ってたのか」

 両者に面識があったことを知らなかったシュオウはジェダへ問うた。


 「王女の滞在中にね。僕がサーペンティアと知って律儀に捕縛してくれたけど、拘束がぬるかったから抜け出すのは簡単だったよ」


 挑発するようなジェダの軽口に、アサギリは顔を赤くして目を怒らせる。


 「黙れ、薄汚い蛇の子めッ、再びのこのこと我らの地に足を踏み入れるとは……二度と入ってこられぬよう、その足を二本とも噛みちぎり、その血で立ち入り禁止の立て札を用意してやるッ」


 薄ら笑いでアサギリの暴言を受け流すジェダと違い、その背に身を置くジュナは、不安そうに顔色を悪くした。


 シュオウはジェダを諌め、アサギリの前に立ちはだかる。


 「皆、自分の連れです」


 アサギリは高ぶった感情を懸命に押し殺し、シュオウへ問いかける。


 「全員を連れていく必要があるのか」


 シュオウは、はっきりと首肯した。


 アサギリは強い憤りを抱いたまま、警備兵らへ指示を飛ばす。情報伝達のために一人が先行し、残った者はシュオウが担ぐクモカリを二人がかりで引き受けた。


 アサギリは上辺だけの最低限の礼儀を維持し、馬を引いて一礼する。


 「客人を当主の元までご案内いたします」


 そう告げ、先導を開始した。




     *




 領主邸に直結する道を行く。見知った景色に僅か、懐かしさを覚えた。

 正門をくぐってまもなく、邸の入り口からぞろぞろと行列を伴って、黒い軍服に身を包んだ小柄な少女が駆けてきた。


 小さな手を力いっぱい振りながら駆け寄ってくる姿は無邪気な子供のようだが、片方の手にある藤色に輝く輝石が、彼女の非凡な身分を強烈に象徴している。


 アデュレリアの長にして、ムラクモに四石ある燦光石の一つ、氷長石の主、アミュ・アデュレリアは、まるで久方ぶりに会う家族を出迎えるような気軽さと暖かさで、シュオウを迎えた。付かず離れずの距離で、その背後にはアミュの副官であるカザヒナの姿もある。


 「シュオウ、本当にそなたかッ」


 シュオウも自らアミュの下へ駆け寄り、軽く頭を落とす。


 「すみません、突然で」


 アミュはねぎらうようにシュオウの腕を擦る。その仕草は、若干老齢のそれを彷彿とさせた。


 「かまわん、そなたに対し、アデュレリアの門戸は常に開かれておる。それよりも、壮健な姿を見られて嬉しく思うぞ」


 朗らかに言うアミュへ、シュオウもほっと笑みを返した。

 アミュの背後に佇むカザヒナが、無言でシュオウへ手を振り、シュオウは再会を喜ぶ心を静かに表情だけで伝える。


 アミュの背後に居並ぶ者達は、そんな主の様子を険しい表情で見つめている。彼らのうち、老臣の一人が歩み出て口を挟んだ。


 「閣下、今は重要な軍議の最中なれば、再会をお喜びになられるのは、また後ほどということでいかがでしょう」


 アミュはその言へは返事をせず、大きな瞳でシュオウをじっと見つめ、問う。


 「突然の来訪であったこと、それなりの理由があるのじゃな」


 シュオウはしっかりと頷きを返し、背後に佇むジェダ達兄弟へ視線を誘導した。


 「力を貸してもらいたいことがあります」


 ジェダを見るアミュは、あからさまに顔を顰めた。


 「聞いてはおったが、そなたと蛇の小倅が伴って現れるとは……。その背にある者を見るに、この訪問に多いに関係しておると見て間違いなかろうな」


 厳しい目で睨まれるジェダは、疲れを隠して微笑を浮かべる。

 「ご明察ですよ、閣下。さすがの大人物、相変わらずお目が高い」


 嫌味すら伴う世辞に、アミュは不快感を露わにする。


 「黙れ、二度と見たくもない面であったが……まあよい。シュオウに免じて時を設けよう。ここは余計な視線が多い、場所を移すぞ」


 アミュが言うや、居並ぶ者達に戸惑いの空気が流れた。

 「お、お待ち下さい――」


 追い縋る老臣をアミュは一喝した。


 「うるさい。我がなくとも話くらい進めておくがよい。後ほど改めて聞く、うまく議題をまとめておけ。無能の群れでないのなら、その程度のことは出来よう」


 言い切って去っていく背に、老臣はぐったりと肩を落として承知したことを告げた。


 申し訳ないと思いつつも、シュオウは彼らに背を向け、中庭へ向かって歩を進めるアミュの後を追った。


 広い庭を抜ける最中、アミュはシュオウの顔を見つめ、呆れ気味に息を零す。


 「そなたは会う度くたびれた顔をしておるな」


 シュオウは落ちかけた瞼に力を込め、

 「休む暇がなくて」


 不自然に離れた場所から、カザヒナが声をかける。

 「そういうところが、とてもシュオウ君らしいですけどね」


 静静とした淑女らしく、今日のカザヒナは一歩引いたところで淑やかに振る舞っていた。が、その立ち位置だけは異様だった。シュオウよりも斜め後方に位置を取り、歩く速度を合わせてぴったりと同じ間隔を維持しながらついてくる。


 「カザヒナさん、どうしてそんな――」


 シュオウの問いに、カザヒナは逃れるように顔を逸らす。

 足を止めたアミュがカザヒナを怒鳴りつけた。


 「カザヒナ……わざわざ選んで風下に立つなッ」


 カザヒナの頭上に氷の球が現れ、落とされた。

 カザヒナは打たれた頭を押さえ、涙を溜めた顔ですねた表情をする。


 「だって、ひさしぶりで……」


 アミュは大袈裟にため息を吐き、

 「この阿呆はな、そなたが出ていってからも残していった洗濯物を洗わずに毎晩顔を――むぐ――――」


 言いかけたアミュの口をカザヒナが背後から塞いだ。


 「全部綺麗にしておきましたから、あとで着替えを持ってきますからね」


 おほほ、と上辺だけ上品に笑み、カザヒナは上官の口をふさいだまま、抱きかかえて先へ早足で駆けていく。

 その一挙手一投足を、ジェダとジュナの二人は無言で見つめていた。

 何か言いたげなジェダに対し、シュオウは先を制して説明する。


 「前から俺の臭いが気になるらしい――」


 シュオウは言って、頭を傾げながら自身の服の腋部分へ鼻を近づける。


 「――そんなに臭うか」


 ジェダはシュオウへ顔を近づけ、鼻を鳴らした。同様に、ジュナも控えめに鼻を寄せ、臭いを嗅ぐ。


 ジュナは無言のまま首を横に振り、ジェダは吟味するように思考した後、


 「普通の臭いだ。あえて言えば、汗臭い」


 と告げた。




 アミュが会談の場所として選んだのは別邸の応接間だった。その建物は、王女サーサリアが滞在中に寝床として提供されていた場所と同じである。


 部屋の隅に置かれた大きな長椅子にクモカリが横たえられ、重い寝息をたてていた。


 アミュは眠りこけるクモカリを見下ろし、

 「この者、見覚えがあるぞ。印象は随分と違うが……」


 「街中で危ないところを助けていただきました。偶然、シュオウ様のお知り合いだったということで」


 ジェダと並んで座るジュナがそう言った。

 アミュは背筋を伸ばして立ち、ジュナをしっかりと見据える。


 背後に屹立するカザヒナが、さきほどまでとは別人のように厳しい顔でジュナを睨めつけ、棘のある口調で語りかける。


 「慎みなさい。目の前におわすのは氷長石の主にしてアデュレリアの長、左軍を統括する重将であり、大領地を治める公爵のご身分にあらせられる。許可なく、御前にて発言をすることは無礼である」


 合わさるジュナの目が緊張と硬さを増していく。が、シュオウから見る彼女の様子に怯えの色は窺えなかった。


 「失礼いたしました」


 ジュナは両手をそっと腰のあたりに添え、整った姿勢で恭しく一礼する。所作は美しく、毅然としていた。


 アミュは深く息を落とし、サーペンティアの姉弟を見つめた。


 「そなたら、よく似ておるな。雰囲気は違えど、まるで……」


 ジェダは貼り付けた微笑を硬直させたまま、

 「彼女はジュナ、僕の姉ですよ。僕たちは双子で、ですから、ご覧通りです」


 「ジュナ……サーペンティア、か。なるほど…………石を見れば聞かずとも、どのような立場に置かれていたか想像はつく。そうか……あの禿頭め…………。そなたら二人をシュオウが我が前へ連れてきた理由は、たしかなことを聞かねばなるまい。シュオウ、聞かせてもらえるな――」


 名を呼ばれ、シュオウは頷いて応えた。


 「はい――」


 シュオウはことの始まりから状況を語り聞かせた。カザヒナとアミュは瞬きをすることもなく話に聞き入り、口を挟むことなくシュオウの言葉を飲んでいく。


 両人の表情を窺いながら説明をしていたシュオウは、彼らの顔色が、決して良好な様子ではないことに気づいた。


 「なるほど……随分と無茶をしたものじゃ。つまり、我に対する願いとは、その者の保護を望むということであるか」


 重く言ったアミュにシュオウは首肯する。

 アミュは一度瞼を落とし熟考した後、ジェダを見つめた。


 「ジェダ・サーペンティアに問う。これはそなたの願いでもあるか」


 ジェダは重そうな瞼に力を込め、アミュを見つめ返す。


 「はい。ここで匿ってもらえれば、サーペンティアは姉に手出しできませんからね。もっとも、守っていただける自信があれば、ですが」


 ジェダの言いように、カザヒナが怒声をあげた。


 「控えなさいッ、我がアデュレリアがサーペンティアに遅れをとると言うのか」


 空気に棘が増していくのと同時に、室温が氷室のように冷めていく。

 緊張していく場で、アミュがカザヒナを制し、告げた。


 「本来、サーペンティアの血に連なる者など、家の門をくぐらせるのも憚られるが、このことを願うのは他ならぬシュオウである」


 顔を明るくし、シュオウは前のめりに口を開く。

 「じゃあ……」


 アミュはシュオウと目を合わせ、頷いた。


 「うむ。アデュレリアはそなたに返しきれぬ借りがある。アミュ・アデュレリアの名に置いて、ジュナ・サーペンティアを庇護下に置くことを約束しよう」


 シュオウはほっと息を吐き、礼を言って背もたれに身体を預けた。

 アデュレリアの面々の前で硬い態度を貫いていたジェダも、どこか安心したように肩の力を抜いている。


 しかし、この場で一人、緊張した面持ちのまま挙手した者がいた。


 「あの、言葉をお許しいただけますか」


 ジュナは小さく手を上げ、カザヒナへ問いかける。

 カザヒナはアミュへ視線を投げ、頷きを確認した後、ジュナへ問うた。


 「なにか」


 「はい――――せっかくのご厚意ですが、このお話はお断りさせていただきたいのです」


 急なジュナの宣言に、ジェダは黙したまま呆然として見つめ、シュオウはぽかんと口を開いた。

 対するアミュとカザヒナは、直後に顔を険しく怒らせる。


 「なんじゃと」


 顔相険しく睨めつけるアミュへ、ジュナは淡々と言葉を紡ぐ。


 「再び申し上げます。私、ジュナ・サーペンティアはアデュレリアの庇護を必要としません」


 アミュから一瞬横目で見られ、シュオウは困惑して首を横に振った。


 「これまでの経緯を鑑みるに、この事はそなた達の間ですでに決まっていたことと思うが」


 ジュナは首肯し、

 「はい、そのように話は進んでいました。ですが、私は一度も同意を告げていません」


 たしかに、とシュオウはこれまでのことを思い出す。


 アデュレリアの面々に対峙してから、以前のような硬く鋭い態度を貫いていたジェダは、姉の言動に惑い、かぶった皮肉屋の面を忘れ、家族を心配する弟の顔に戻っていた。


 「姉さん、どうして……」


 ジュナは案ずる弟へ微かな笑みを返す。


 「話に聞いて知っていたけれど、ここの人達は本当にサーペンティアの血が憎いみたい。実際に会ってみて、空気を感じてそれがよくわかったの。もし、そんなところに私がいれば、この先アデュレリアはサーペンティアを害するため、あなたへ都合の良い命令を出すかもしれない。そんなの、これまでと何も変わらないでしょう」


 ジェダは目を見開き、黙ってジュナの話に耳を傾けていた。


 両足を踏み降ろし、アミュが怒りにまかせて立ち上がる。

 「我が人質をとり、その者を操ると言うかッ!」


 ジュナは正面からアミュの怒りを受けとめ、


 「わかりません。今お会いしたばかりの私には、あなたの人となりを知りようがない。でも同じことではありませんか。しようと思えばいつでも出来る。そうであるなら、受け身である側にとって、それを懸念することは、それほど愚かなことでしょうか」


 「……我に向かってよくも言うた。今の言葉、氷狼の長に対する愚弄ととるぞ――」


 僅か、拳を上げたアミュへ、シュオウは反射的に腰を浮かせた。

 まさか、という思いが浮かぶより前に、しかしアミュは拳を収め、再び椅子に腰掛ける。


 「閣下……」


 窺うカザヒナへ、アミュは片手を上げて応じ、鼻の穴を膨らませて強烈な鼻息を一つ落とした。


 「ふん…………腹立たしいが、主張に筋は通っておる。別に、我は進んでその身を預かりたいとも思ってはおらぬし、腹が立つ事以外、なにも損はせぬ。が、そなたらはそれでよいのか」


 アミュはシュオウを見た後、呆然とするジェダを見やった。

 ジェダはジュナを凝視し、


 「姉さん――」


 ジュナはジェダへ上半身ごと向け、

 「お願い、一緒にいさせて」


 ジェダは不安そうな顔で姉を見つめ、

 「でも僕には軍務がある、ずっと側には……」


 「わかってる。大丈夫、うまくやってみせるから」


 二人は互いに視線を交わし、やがてジェダは表情を緩め、

 「敵わないな。わかったよ、ただし、彼が同意するのなら、だけどね」


 皆の視線が一斉にシュオウへ集まった。

 シュオウはジュナを見る。視線からはっきりと強い意思が伝わってきた。


 「元々、無理やりここへ置いていく気なんてない」


 言うとジュナは微笑み、

 「ありがとうございます」


 事が決まったという空気になり、ジェダは身体を伸ばして長椅子の空いた部分へ身体を横たえた。


 「やれやれ……思う通りにはいかない、な……色々と話しを聞きたいけど、もう……限界だ…………」


 目を閉じてすぐ、ジェダは静かに寝息をたて、肩を揺らし始めた。

 その様子を呆れた様子でアミュが見つめる。


 「この一瞬で寝てしまったのか……」


 ジュナは自身の外套をジェダにかけながら、

 「弟はとても無理をしてここまで来ましたから」


 アミュはふてぶてしく、腕を組んでジュナを睨む。

 「そなたが無碍にしておいて、よくものうのうとしていられるな」


 ジュナは姿勢を正し、

 「無駄にするつもりはありません。私から、まだお願い事が残っていますので」


 「なに……」


 緩みかけていた空気に再び緊張が張り詰める。


 「この通り、私の足は不自由で、支えがなくては立つこともままなりません。うまく隠れて弟の側にいられたとしても、かならず無理がくる。ですから、氷長石様へ願います。変装、潜伏のための用意と、腕の立つ護衛を私にお貸しください」


 「いい加減にしなさい――」

 強く怒りを込めた怒声を吐き、カザヒナが剣に手を置いてジュナへ詰め寄った。


 ジュナは平然として、アミュへ向けた視線を外さない。

 アミュは副官を制しつつ、静かに緊張を込めてジュナへ問う。


 「この接見はシュオウに対する恩義への礼を尽くして特別に設けたものじゃ。そなたのために用意した時ではない。その者から不遜に願われ、我が応じると思うか」


 ジュナは首を横に降った。


 「いいえ。でも試みてみるつもりです」


 「試みる…………なにを言うておる」


 ジュナはふと笑みをシュオウへ向けた。


 「願いを叶えていただくため、それを願うことができるお方に、願うことをです」


 綺麗な顔で見つめられ、シュオウは無意識に半身をのけぞらした。


 「つまり、我に願うよう、シュオウに願うと申すのか」


 アミュの問に、ジュナは頷いた。


 「誠心誠意お願いしてみるつもりです。断られてしまうかもしれませんが、ここまでの好に頷いていただけるかもしれません。もし、シュオウ様が私の代わりに同じ事を願われたなら、アデュレリアはそれを断ることはできない。そうですよね」


 どこか要領を得ない様子で、アミュは曖昧に頷いた。


 「さんざん口にしてきた、いまさらそれを否定はせぬ」


 黙って目の前で起こることを見るシュオウ。ジュナの視線が刹那、重なる。

 暖かで温和であった銀の瞳の奥に透き通った鋭利な輝きが見えた。


 改めてアミュを見やり、ジュナは高らかに問いかける。


 「では、氷長石様にお聞きします。私は今の願いを叶えていただけるかどうか、シュオウ様に聞いてもよろしいでしょうか」


 その問は、この場にいる誰も予想しない一言だった。

 カザヒナは目を丸くし、シュオウは意図を掴むことができず首を傾ける。

 しかし、アミュは突然、耐えきれぬといった様で吹き出した。


 「はッ――なんと不遜で小賢しい。悪評にまみえたそなたの弟のほうがよほど可愛げがあった」


 ジュナは笑み、

 「褒めていただいたと受け取らせていただきます」


 アミュは腕を組み、憎々しげに、しかし敬意を込めてジュナに対する。

 二人の交わす話に理解が及ばず、シュオウは堪らず聞いた。


 「なんなんですか、いったい」


 アミュはシュオウへ視線をやり、


 「もし仮に、ジュナ・サーペンティアの願いをそなたが了承し、アデュレリアに乞うたならば、我は無償でその願いを叶えてやることになる。が、それよりも先に我が直接願いを聞き入れたなら、それはジュナ・サーペンティアへの貸しとなる――――シュオウ、そなたが願いを聞き入れるかどうかは不確定ではあっても、我が一方的に損を請け負う可能性がある。故に、損をする可能性を生むより先に、僅かにでも確実に得るものを残し、手助けを保証する機会を与えようと、この娘は言うておる――であるな」


 言って、アミュはジュナを見つめた。

 ジュナは華麗に微笑んで首肯する。


 「あえて申します。今回の事、私達双子へお貸しください。私、ジュナと、弟のジェダは、受けたご恩を忘れません。この先、時がきたら、私達に出来うる範囲で、最大限の力でお借りしたものを返します」


 「出世払い、か。都合の良い申し出じゃ…………が、存外悪い取引ではない」


 言ったアミュへ、カザヒナが驚いた顔を向ける。

 「アミュ様……」


 「楽な道を選ばず、あえて、形だけでも身を切ってみせた。損得の勘定をさせたうえで互いに利益を残す取引を持ちかけた。甘えたことばかり抜かすようであれば、シュオウがなんと言おうとこの場から叩き出してやるつもりでおったが……よかろう、望むものを用意してやる。が、これはなんら形のない可能性に対する投資にすぎん。故にたっぷりと利子をつけさせてもらう。言っておくが、高くつくぞ」


 凄まれたジュナは、落ち着きを維持したまま深く頷いた。


 「ありがとうございます、氷長石様」


 アミュは煩わしそうに手を払い、

 「いちいち石名で呼ぶな、うっとうしい――――カザヒナ、あれを呼べ、控えさせておろう」


 カザヒナは頷き、甲高い指笛を鳴らした。直後にがたがたと床の一部分が揺れ動く。皆の視線がそこに集まって間もなく、


 「しゅた――なんでしょ…………」


 おかしな擬音を加え、ぼんやりとした声で呟きながら、揺れていた床からではなく、シュオウの座る席の背後からぬるりと人影が姿を現した。

 シュオウは無警戒だった後ろからの気配に、慌てて椅子から飛び退いた。


 そこにぬらりと立ち尽くしているのは、見た目に若い少女だった。

 肩ほどの髪は黒く、眠そうな双眸は強烈に白を混ぜた淡い青。あまりにも薄い目の色のため、どこを見ているのか、視点がぼんやりとしていて定かではない。顔立ちは端正で愛らしいともとれるが、長所を消して余りあるほど、独特な気怠い雰囲気を帯びた娘だった。


 「この者は影狼という、我が囲う私設部隊の一員じゃ」


 アミュがそう説明すると、カザヒナが現れた女へ自己紹介を促した。


 「影狼、リリカでございます……へこへこ…………」


 リリカと名乗った娘は、付け加えた擬音のようなものに合わせ、頭を下げた。


 「見た通り……ではあるが、影狼でも一二を争うほど腕が立つ――」


 リリカは格好をつけるように奇妙な仕草をし、

 「きらん…………」

 と言って左手の甲を見せた。


 「彩石……」

 リリカの明るい青色をした輝石を見たジュナは小さく呟いた。


 「そなたの望む護衛役として、余りあるほど役は果たせよう」


 ジュナはリリカへ一礼し、

 「ジュナ・サーペンティアと申します。よろしく、お願いします」


 リリカは、

 「こくり…………」

 そう言って頷き、現れた時と同様のシュオウが座っていた椅子の後ろへその身を隠す。


 シュオウが先を追って様子を窺うと、その姿はすでに跡形もなく消えていた。


 「残りのものは別室にて用意させよう。ついでに身を清めてくるがよい。カザヒナ、頼んだぞ」


 「は――」

 主から命を受け、カザヒナが敬礼を返し、ジュナの前に立って一礼した。


 「――改めまして、重輝士、カザヒナ・アデュレリアです。お見知りおきを」


 視線を交わす二人に笑みはない。ジュナは真剣な表情でカザヒナからの礼に感謝を告げた。


 「ありがとうございます」


 「主の命により、別室へご案内いたします」


 ジュナが頷くと、その背後から再びリリカが姿を現す。

 「ぬぬぬ…………どっこい――」


 自身の動作にいちいち音をつけながら、リリカは細身でジュナをしっかりと抱きかかえ、先導して部屋を出るカザヒナの後をついていく。間際、目のあったジュナはシュオウへしっかりと頷きを送った。




     *




 ジュナとカザヒナを見送り、シュオウは他の者達と部屋に残った。

 計四人の人間が一部屋にいるが、意識があるのはシュオウとアミュの二人だけだ。


 「やれやれ、ようやく落ち着いて話ができそうじゃ」


 シュオウは立ち上がって姿勢を正し、頭を下げる。


 「すいませんでした。確認もせずに、ここへ――あなたなら助けてくれると、甘えた考えでここまで来ました」


 アミュはシュオウの前に立ち、シュオウの腕に手を置いた。


 「軍務をこなしてきたゆえか、そなたの態度も幾分か軍人染みてきたな。そのように他人行儀な振る舞いはやめよ。遠慮は無用、むしろ頼ってくれたこと、嬉しく思うておる」


 頭を上げ、シュオウは険しい顔を崩さない。


 「ありがとうございます」


 「……うむ。従士長、か。あの石頭、やはりそれなりに見る目はあったな。多く、人を束ねる立場となれば苦労も増えよう。今回の戦、配置はムツキであったな」


 「自分の隊は予備の戦力としてユウギリに残りました。先発隊からはずれただけなので、遠くないうちに移動の命令がでると聞いています」


 アミュはじっくりと頷いて、そうかと告げ、シュオウの前に置かれた卓に腰掛けた。


 「ターフェスタは商い人らが好んで通過する交通の要衝。実入りは良く財を貯えておる。統治者に王石がない故、ターフェスタを軽んじて嘲る者は多い。たしかに、輝士の質、量ともムラクモに遠く及ばぬが、財力に合わせ、優れた弓兵を主体とした軍と、背後にある堅固な繋がりを持つリシア教諸国家との繋がり、加えて名だたる燦光石の一つ、銀星石を持つワーベリアムが控えておる。決して、舐めてかかってよい相手ではない」


 脳裏によぎる。その風景は銀色の重い雪が降りしきるターフェスタの街だ。


 「ワーベリアム准将が指揮を執ると思いますか」


 「さて、な。サーペンティアはこの件、条件付きで前線での指揮を休止明けのリーゴールへ譲った。ムツキに燦光石がないのであれば、ターフェスタもそれに合わせて銀星石を前に置かぬかもしれぬ。あの禿蛇頭がそこまで考えてそうしたのかどうか、甚だ疑問ではある。おそらく、体よく右軍を休ませただけであろうが。逃げ腰の態度は気に入らん」


 「左軍はホランドを睨んで北西の砦に詰めると聞きました。アデュレリア公爵は――重将はここで指揮を執るつもりなんですか」


 アミュは不敵にほくそ笑み、


 「我は行く。ホランドとターフェスタは同盟国とはいえ所詮は上辺だけのこと。ホランド王はターフェスタの此度の宣戦布告、勇み足と嘆いておるとか。同じ神を戴く国同士、形だけでも出陣はするであろうが、本音では刃を交える気などさらさらないはず。であれば、前線に氷長石を有する我が在ることで、攻めぬ言い訳を用意してやることができる」


 「戦いにはならない、ということですか」


 「うむ、おそらく――いや、十中八九ホランドは攻めてはこぬ。この戦に人、金を投じてあの国に得られる物はない。相手がアデュレリアであるゆえな。我軍には奴らが十回攻めてくれば、十回叩きのめすだけの力がある。結果の見える戦いを繰り返してもただ互いに無益なだけ。それがわからぬほどホランド王は愚か者ではない」


 大層な自信だが、アミュが言うそれは過信ではないとシュオウには思えた。


 だが、とアミュはシュオウへ顔を寄せた。


 「この戦を始めたターフェスタには不気味な動きがある」


 「不気味?」


 「宣戦布告より対戦の日取りまで異例なほど大きく間を開けておる。その理由はわかるであろ」


 「準備をしている……ですか」


 アミュはじっくりと首肯した。


 「多く、国事に害を及ぼすほど国庫を痩せさせてまで軍備を整えているという情報がある。警戒が高まり、詳細は得られなんだが、正面からムラクモへ戦を仕掛けたのじゃ。頼りが銀星石だけではない、と我は踏んでおる」


 シュオウは神妙な顔でアミュを見て、頷いた。


 「覚えておきます」


 「うむ――そなた個人に関しては、それほど心配はしておらぬがな」


 よし、と言って膝を打ち、アミュは立ち上がって背を伸ばした。


 「面倒な話は終いにしよう。今日は一日、ここに留まり疲れを癒やすがよい。そなたが使っていた部屋、読みかけの本もそのままにさせてあるでな」


 「いや、それが――」


 気遣いに感謝を述べるより先に、シュオウは現在の自分の置かれている状況を説明した。ジェダの名で理由を作ってきたとはいえ、すでに数日間に渡って軍務から逸脱した行いをしている。


 シュオウの話に耳を傾けていたアミュは熟考するようにうなりながら顎に手を当て、


 「そういうことなら、言い訳は用意してやる。そなたらが用向きで訪れた拠点で、うちの若い者がジェダ・サーペンティアを見つけて因縁をつけ、秘密裏に監禁していた。このことを知り、すぐに止めさせた旨を説明し、我が名を記した詫び状を用意する。これでよいな」


 「いいんですか……でも……」


 アミュの申し出はしかし、彼女の家に汚れを負わせるものだ。


 「かまわん、遠慮は無用と言うたぞ。さっそく後ほど、配下に命じて事の整合性をとれるよう、万事手配させておく」


 シュオウは僅か、肩の力を抜いて息を吐いた。


 「ありがとうございます。ジェダ達のことも含めて、色々と」


 アミュはシュオウへ愉快そうに、にたりと頬を上げ聞いた。


 「ジェダ、といえばあの娘な。自分から連れてきておいて、その態度に、そなたが一番驚いているように見えたぞ」


 シュオウは耳の裏をかきながら、

 「それは……もっとおとなしい性格だと思っていて……」


 アミュはジュナが出ていった扉を見つめ、腕を組む。


 「おとなしい、か。その見立ては誤りかもしれん。あの娘、持たざるに縮こまるのではなく、ないなりに手札を揃えて戦いを挑んできおった」


 「戦い、ですか」


 シュオウの呟きにアミュは首肯する。


 「いまなら買得、欲しければ売ってやる、この好機を逃すつもりか、と。あの言いよう、我にはそう聞こえたぞ」


 シュオウは黙してジュナの言動を思い起こしていた。


 「そこまでじゃ――」


 「いいや、間違いない。所作や見目に騙される者は多かろう。が、あれも間違いなく蛇の家の血じゃ。対しておるだけで我の中に流れる一族の血が、苛立ちをもって煮えたぎったぞ」


 真剣に怒りと苛立ちを表明するアミュへ、シュオウは問う。


 「よかったんですか、そんなに憎い相手に力を貸しても」


 アミュは不敵に笑み、歯を見せた。


 「ふん、あの娘に貸すものなど、我にとっては安いもの。あれが言っていた通り、ジュナ・サーペンティアにだけではなく、その隣に並ぶ弟に対する貸しにもなるのなら、貸付けの案件としてはそれなりに価値もあると考えた。が、それだけで家に逆らった蛇の子らに協力など微塵もする気はなかったが――」


 アミュはそう語り、シュオウへ一瞬視線を投げる。すぐに目をはずし、ちょこちょことジェダの元まで歩み、思い切り強く弾いた指で眠る顔の額部分を叩いた。


 ジェダは表情一つ変えないまま眠りこけ、色の薄い肌に赤い痕が残る。


 「本気で寝入っておるな、こやつ」


 シュオウは頷いて、

 「立ってるだけでやっとの状態でした。ほとんど休みなく、ここまで歩かせたので」


 言いながら、シュオウ自身、強烈な眠気と疲れを感じる。


 「ふむ――そのようであるな。しかし……よりにもよってサーペンティアと関係を結ぶとは……」


 どこか不機嫌そうにアミュは言う。


 「それは――」


 「よい、みなまで言うな。ターフェスタでの事、よく承知しておる。同じ時を過ごし、救出までしてのけたという。ならば見知りとなるのは当然とも思っておったが、よもや、伴って我が前に現れるとは思わなんだ。そのうえ、姉の処遇に関してそなたの許可を求めるとは」


 「あれは、形だけで」


 シュオウの言いようを、アミュは鼻で笑った。


 「このひねくれ者が形だけでも他人に従うような様を晒すものか。ましてや、我らの目がある前でなどな。こやつは輝士でそなたは従士長、本来立場としては逆に命令を告げるのはこれのほうじゃ――」


 アミュはシュオウの正面に立ち、険しい顔をする。


 「シュオウ、この双子のこと、蛇の家の出方によっては相当に面倒な事になりうる。そなたの手に余るのではないかと心配じゃ」


 シュオウはしっかりとアミュを見つめ、

 「……こいつを焚き付けたのは俺です。だから最後まで、かならず」


 アミュは身を引いて瞼を落とした。


 「そなたらならそう言うであろな――」


 目を開け、再びジェダの前に立ち、その両頬を摘み上げた。


 「――ええい、なぜだか前よりも忌々しい。ツバを付けておいた好物に横から手を伸ばされたような心地がするッ、このッ」


 静かに怒りながらアミュは眠るジェダの頬を上下左右へひっぱりまわした。


 「あの……」


 シュオウは言いよどみながら、僅か腰を浮かせる。

 アミュはジェダの頬をこねながら、振り向いた。


 「ん? なんじゃ、言いにくそうに」


 「さんざん世話になって、そのうえでさらに頼みたいことがあります」


 必死の形相で言うシュオウへ、アミュは笑みを向け、ジェダの頬から手を離す。


 「そなたにかぎり、遠慮されることはむしろ不快である。なんなりと言うがいい」


 「はい――」


 シュオウはアデュレリアへ来たもう一つの目的。金の支度についての相談を辿々しく告げた。


 「なんじゃ、そんなこと、改まって言うほどのことではなかろう――」


 アミュは部屋の隅にかかった布袋をめくりあげる。そこから現れた重そうな木箱の山をぽんと叩き、


 「――元々すべてそなたの物じゃ、もっていけ。当面、なにかを成すにしても困らぬだけの量がある。頼まれずとも渡すつもりでおった」


 金を詰めた木箱が幾重にも重なり置かれていた。シュオウの記憶にあるかぎり、フェース家から贈られた礼金の量を遥かに越えている。


 「こんなにはなかったはずです」


 「うむ。フェースからそなたに贈られた物に加え、アデュレリアよりの支度金をたっぷりと上乗せしてある。実はな、そなたが従士長に任命されたと知った時から用意しておいた。人の上に立つことになればなにかと入り用になるのは当然の事。なに、心配するな、後で返せなどとせこいことは言わぬぞ。すべてそなたの物じゃ。気前よく必要なことに使い、足りなくなればまた知らせよ。望むだけ我が用立ててやるッ」


 足を広げて目を見開き、アミュはそう強くシュオウへ宣言した。


 シュオウは木箱の山に触れ、いくつかの中身を開けてたしかめる。アミュの言う通り、中には見たこともない量の金がぎっしりと詰め込まれていた。


 目をやると、アミュはどこか誇らしげに顎をあげ、うんと強く頷く。


 「ありが――」


 向き直ってきちんと礼を言おうと、シュオウが頭を下げたその時、


 「らめよ! そんなのッ!!」


 大きな音を立てながら、奥の長椅子で眠っていたはずのクモカリが起き出し、赤ら顔に据わった眼で睨みながらアミュを指さした。


 「な、なんじゃ――」


 突然のことにアミュは半歩退いて胸をのけぞらせる。


 「ひとに大金を押し付けておいて返す必要がないなんて……そんなうまい話があるもんですかッ、てのよ……適当なことを言って、あたしの友達を騙そうったってそうはいかないわよ、このこむすめッ」


 クモカリに怒りをぶつけられたアミュは、しどろもどろで慌てふためいた。


 「こ、こむすめじゃと……きさま、我がいったいだれか――」


 言いかけで、クモカリがぴしゃりとそれを封じ込めた。


 「だまりらさいッ。シュオウ、口約束なんて信じちゃだめよ。証拠がなければあとからなんだって言えるんだから」


 クモカリの大きく長い手の指先が、シュオウを指す。勢いに押され、シュオウは数回頷いた。


 「あ、ああ――」


 無敵の酔っぱらいに気圧され気味だったアミュは地団駄を踏み怒った。


 「ゆ、許せん――我が約束を破り、あとから金を返せとせがむような小物であると申すか、きさまァ!」


 クモカリは巨体で長椅子に腰掛け、暑そうに服のボタンを緩めながら身体中をかきむしる。それを終えると、再び理性を欠いた血走った目でアミュを見た。


 「らったら証拠をのこしなさいよ。口ではなんとでも言えるんだから。それとも、小さなお子様にはそんな難しいことはわからないかしら」


 おほほ、と挑発するように嗤うクモカリ。アミュは心底くやしそうに歯ぎしりし、


 「おのれッ、石を継いでより今日まで、ここまで軽んじられた覚えはない! よかろう、言ったことの証明としていくらでも書き残してやる、待っておれッ――」


 アミュは止める間もなく部屋の隅の棚から高そうな紙とペンを取り出し、猛る狼のように歯をむき出しにしながら、すらすらと綺麗な文字を綴っていく。


 書き終えると、強烈に机を叩き、ふんぞりかえって椅子に座るクモカリの前に突き出した。


 「ほれッ、どうじゃ! シュオウへ対し、アデュレリアから提供する資金いっさい、すべて返す必要なしと、署名つきで詳細に事細かく記してやったぞ! 望むなら後ほど印も押してくれてやる!」


 しかし、クモカリからの反応はなかった。代わりに身体を起こし、半開きの目を明けたまま、ぐうすかとたてる大きな寝息が部屋に轟く。


 錆びついた扉をぎぎぎと無理やり開けたような速度で、アミュがじっくりと振り返り、シュオウを睨みつけた。


 なにか強烈に物言いたげなアミュが口を開くより先に、


 「すみません……」


 とシュオウは謝罪した。




     *




 暗幕下ろした薄暗い部屋の中に、カザヒナと両脇に杖を挟み、支えとして、自らの力で立つジュナが姿を見せた。


 透き通るように美しい淡い黄緑の髪は、別人のように黒いカツラに覆われ、纏う服装は茶色いムラクモの従士服である。

 端正すぎる顔立ちに気づかなければ、遠目にはムラクモ王国軍に所属した土着の東方人にしか見えない。


 シュオウは話を終えた後、深い眠りに落ちた。それぞれに穏やかな寝息をたてる男達をよそに、一人起きたまま彼らを見守っていたアミュは、戻ったジュナを見て一つ、感想をこぼした。


 「上手く化けたものじゃ」


 ジュナはまた、朗らかに笑む。

 「はい、御礼を申し上げます」


 美しい顔だと、永年を生きる最中のアミュは思う。双子である彼女の弟ともよく似ているが、そこに落ちる影の形は多いに異なる。


 「蛇の家に逆らい、この後、どう生きるつもりじゃ」


 「弟と共に……家族を支えて生きていきます」


 「支えられて、ではないのか」


 ふと、アミュは控えめに辛辣な言葉を吐いていた。

 ジュナは動じた様子なく、微笑みを浮かべる。


 「私達にとっては同じことなのです――氷長石様」


 這いずる地の底の裂け目から、舐めるように覗き見上げるような視線を感じ、アミュは片足を下げ、対する者から身を遠ざけたくなる感覚に必死に抵抗した。


 沸いた生唾を飲むことを厭い、頬の奥に隠して告げる。


 「言っておく。シュオウは我が目をかけておる。この者は強く純粋である。助けを求め、その手に縋るのもよかろう。が、過大な期待をかけ、都合よく温情を利用しようとすれば、いついかなる時であろうと凍てつく狼牙がきさまら姉弟の喉を食い破るぞ」


 ジュナは自身を支える杖を震わせながら、懸命にその場に立ち尽くす。自立できているとは到底言えない。それなのに、浮かぶ顔はただただ力強かった。


 「心に留めておきます、氷長石様」


 サーペンティアという、風蛇を自称する彼の血脈において、当代の当主に本来の資質は微塵も見出すことはできなかった。朧気に知るその子らも同様、その有り様は酷く凡庸でしかない。しかし、彼ら血族にとって忌むべき存在として生まれ落ちたこの姉弟に、アミュはなによりも強く、憎き血の面影を感じていた。


 アミュは眠りに落ちたシュオウを見やる。子供のような顔で寝息をたてる彼は気づいているのだろうか。


 「ジュナ・サーペンティアに問う。恨んでおるか。そなたら姉弟に忌の生を課した家を」


 ジュナの目が見開かれ、瞬きが途絶えた。


 「――――ええ、とても」


 「………………」


 美しい容姿をした双子の姉弟。しかしそれは、毒を含んだ二本の蛇牙。封じられていたその牙を掘り起こしたシュオウへ、これを御すことができるのかと、いますぐにでも叩き起こし、問い詰めたい心地がした。




     *




 形相醜く、風蛇の城に居並ぶ者達の視線が、サーペンティア家当主オルゴアに注がれていた。


 「父上、大変なことになりましたね。ついにアレがしでかしました――」


 オルゴアの長子ゼランが立ち、血族会議の場で第一声を打ち上げた。


 「――どのような手を使ったかわかりませんが、サーペンティア周辺拠点に通過記録の残されていないジェダが、再びユウギリ周辺の白道を通過したというたしかな情報を得られました。行く先はおそらく、当初の任地であるリーゴール軍の第一拠点ユウギリ。奴はのうのう素知らぬ顔で日常へ戻るつもりのようです」


 並ぶ者の一人、サーペンティアに連なる退役輝士の一人が卓を強打し、口を開く。


 「あんなものを隠していたと世に知られれば、我らサーペンティアの名は嗤いものに。血族の若人らの縁談にも響きましょう」


 ひりついた空気は毒沼の如く、不毛に淀む。ざわつく空気の大半は怒声と混乱で占められていた。


 オルゴアの側に席を置く老婆が、一つ手を叩いた。途端、場に静寂が降りる。


 「ヒネア様……」


 口々にその名を呼ぶ声が、静寂に木霊する。

 ヒネアは地の底に引きずられたように曲がり果てた口を開く。


 「たとえ塵屑であろうと、当家の所有物を持ち去った者には相応しい罰を与えねば」


 「そのとおりですッ――」


 出席者の一人が両手を突き、立ち上がってそう叫んだ。


 「――いますぐサーペンティア麾下の輝士隊を動員し、ジェダを捕らえ、アレを存在もろとも隠滅せねば」


 上がった意見をヒネアは否定した。


 「派手に動けばこの騒動、自ら他家に喧伝するも同じこと。少数の精鋭を組織し、粛々と討伐をするべきでしょう」


 高々に挙手し、ゼランが立ち上がった。


 「その指揮は私におまかせください。不肖の弟がしでかした不始末。兄としてかならず報いを与えてみせます。必要とあらば拷問にもかけ、あのゴミの隠し場所をかならず吐かせてみせましょう」


 言ったゼランの顔には笑みが浮かぶ。

 ヒネアが満足そうに頷くと、並ぶ者達からその意を称賛する声があがった。


 が、突如会議の場に、荒れ狂う豪風がまきおこる。


 「ならんッ――」


 まきおこる風はさらに強さを増す。その発生源たる風蛇の主へ、皆の視線が注がれた。


 「――ジェダがやったという証拠はないッ」


 「で、ですが、父上、どう考えても――」


 責め口調で言おうとしたゼランをオルゴアは激しく遮った。


 「その姿を見た者はおらず、近辺を通過したとの記録もない。ジェダではない、賊の仕業なのだッ」


 「森の奥深く、配置された硬石を二名と複数人の警備兵を制圧し、ただアレを一人拐っていく賊などどこにおりましょう。父上、いい加減、ジェダに見切りをつけるべきです。アレはどのみち、ターフェスタに朽ちる運命だったはず。風のきまぐれにその一時が伸びたにすぎません。家の名誉を守るため、アレともども存在を消す丁度良い好機です」


 ゼランが並ぶ者達へ向け目配せをした。ぞろぞろと、一斉に兄弟達が立ち上がり、口々に長兄への同意を告げる。その空気に、静観していた他の者達もまた、同調する言葉を吐き始めた。


 腰掛けたまま顔を落とすオルゴア。強く握った拳を震わせながら、その周囲にドス黒く染まった濃緑の蛇が、緩慢に姿を現す。


 オルゴアの様子にいち早く気づいたヒネアは、青ざめた顔で詰め寄る皆を見やり、手を振り上げて止めるよう注意を喚起した。が、その警告はすでに手遅れだった。


 オルゴアを包むように現れた蛇はとぐろを巻き、感情の色を窺わせない眼を見開いて、細長い舌を伸ばしながら裂けた口を開く。その顔は心にもない微笑を浮かべているようにも見えた。


 目の前の異常を察知した者達が反応を示すよりも早く、研ぎ澄まされた風が爆風となって室内を襲った。無数の椅子が粉々に切り刻まれ、長く頑丈な卓は縦長に幾重にも切り裂かれて崩れ落ちる。


 吹き去った強大な力と共に、オルゴアが生み出した風蛇の形は、跡形もなく霧散した。


 部屋中を襲った燦光石の力。しかし、この場に傷を負った者は一人もいなかった。


 肩を揺らしながら、オルゴアが立ち上がり、手の内から創出した圧のある風で、すでに原型を留めていない残骸を吹き飛ばす。皆が恐れたように身を屈め、顔の前に腕を構えて身構えた。


 「アレでもなく、ゴミでもない……ジュナ・サーペンティアは我が娘だ!」


 怒り、浅い呼吸を繰り返しながら叫んだオルゴアへ、ヒネアが硬い声で語りかける。


 「……オルゴア、落ち着きなさい」


 オルゴアは血走った目を姉へ向け、睨みつけた。気圧されたヒネアは喉を鳴らし、自らの手を掴んで口をつぐむ。


 オルゴアはあっけにとられ、固まるゼランと他の子供達へ言う。


 「ジュナは賊に拐われた。すでにその命は奪われているだろう。無念だが、これ以上行方を追うことはしない。ジュナ・サーペンティアは、我が娘は死んだのだ――これ以上の一切の捜索、追及するような行動は禁じる。これはサーペンティア当主の意である。よいな……もしもこれに不満があるなら今この場で進み出ろ。ただし、その者は蛇紋石に逆らった者の無残な末路を皆に知らしめる事になるッ」


 「……ッ」


 なにかを言いかけて顔を上げたゼランへ、オルゴアはかつてないほど強く息子を睨んだ。普段気弱なその眼には、脅しではないと強い決意が滲んでいる。


 オルゴアは目の前で膝を付き頭を垂れる面々を見下ろした。


 「謀反人はいないようだ。お前たち、わかったのだろうな」


 ゼランの背後に居並ぶオルゴアの子らが、慌てて頭を垂れ、恭しく同意を告げた。日頃、滅多に怒ることのない父の有り様に、皆酷く困惑し、そして怯えていた。


 最後に頭を下げ、承知を告げたゼランは、下げた顔に醜く歪んだ口元で奥歯を噛み締めた。




     *




 疲れ切った様子の血族達を見送った後、ゼランは伯母から密かに残るよう言われ、オルゴアの目の届かぬ城の片隅で顔を突き合わせていた。


 「父上がまさかアレのことであれほどの怒りを見せられるとは思わなかったですよ」


 憎々しい顔で言うゼランへ、ヒネアは頷きを返す。


 「アレの身柄を押さえていた事で、ここまでオルゴアを御す事に難はなかったというのに。枷がとれた途端、すぐに本性を見せ始めた。このままではなし崩しにすべてなかったことにされてしまう……」


 「アレを攫ったのは間違いなくジェダですッ」


 「そのようなこと……幼子でもわかることよ」


 「ならば、なおさら放置はできません! ジェダは家の命に逆らった、明白な反逆行為ですッ。これを見逃せば奴を調子づかせることになるッ」


 「……それどころの話ではない。弟は――オルゴアはよもや、あの忌子へ石を――」


 腰から鞘ごと抜いた剣で、ゼランは手近に置かれていた作業台を叩き壊した。

 凶暴に歪んだ顔で前を見据え、息を切らしながら歯を剥く。


 「次の蛇紋石は私であると、伯母上様はおっしゃいましたッ」


 ヒネアは冷静に、そして冷酷に現実を口ずさむ。


 「ジェダがターフェスタから生きて戻ってきた時から、すべての予定は無に帰している。その修正もままならない間に、あの忌むべき塵屑まで奪われるなんて……。すべては私の見立ての甘さ。配下の組織〈陰蛇・無手〉の手練を置いたことで安心していた。そのうえ、まさかアレがサーペンティアに歯向かうなどとは……」


 「過ぎたことを悔いている場合ではありません。なにか対策を打たねば、このまま黙って見ておられるつもりですか」


 「配置した者らは全員、再起不能なほど手ひどく骨を折られていた。あのようなやり方はサーペンティアの流儀ではない」


 「協力者がいるのです。きっとジェダが依頼し、あのゴミを回収させたんだ」


 ヒネアは頷き、ゼランを腕を取った。


 「お前が自ら動き、アレを葬りなさい」


 「ですが……父上が……」


 「証拠を掴むのだ。今回のことを計画した張本人であると。できるのなら、本人に語らせてもよい。証明さえできれば、一族の者達は声を揃えて処罰を望むであろう。そうなれば意見を私が取りまとめることができる。オルゴアがなんと言おうと、サーペンティアの総意であれば、これ以上我を押し通すことなど、あの子にはできぬ」


 「……わかりました、ではさっそく弟達に命じて――」


 「お前一人でやるのだッ。派手に動けばオルゴアに悟られる。かならずアレのしたことと突き止め、動かぬ証拠を掴みなさい。オルゴアに気づかれぬ範囲で陰蛇の者をお前の指揮下に置く。上手く使いなさい」


 「はい――伯母上、かならず」


 恭しく頭を下げたゼラン。その顔には、下卑た笑みが取り戻されていた。




     *




 コトコトと規則的に車輪を鳴らし、進み行く馬車が一台、深界に在る。


 手綱を握り馬を駆るジェダは、横目でじっと視線を寄越すジュナへ弱り顔を返した。


 「……似合っているよ、もう何度も言ったじゃないか」


 ジュナは花が咲いたように笑み、嬉しそうに黒髪に指を通す。


 「だって楽しいんだもの。まるで別人になれたみたい。うまく入り込めたら、このまま軍隊で働けるんじゃないかしら」


 はしゃぐジュナへ、ジェダは暖かな視線を送っていた。それも当然の事。彼女は幼少期より、狭い世界に閉じ込められて生きてきたのだ。起こる事、見ることのすべてが真新しく、刺激を受けるのも無理はない。


 「あなたもとても似合ってる。あのカザヒナ様というお方、とても趣味の良い人みたい」


 現在、ジェダは髪を隠し、茶色いカツラをかぶって変装をしていた。アデュレリア公爵の用意した偽の身分に合わせ、色のついた輝石を隠し、別人になりすましている。


 アデュレリアの血に連なる者の暴走により、数日間に渡って拘束されていた。その創作に合わせ、所定の砦に入るまで、偽りの姿で深界を通過する手はずとなっている。


 「眠っていた間に、いろいろと状況が進んでいたからね。随分とあの小さな公爵様に要求をしたようだけど、世界有数の力を持つ人間を前に、怖くはなかったのかい」


 「少しも。だって、想像していたよりもずっと可愛らしい方だったから。内も外も、ね」


 腰掛けた席の底から、コンコンと指で叩く音がした。

 ジュナは足元へ向かって、

 「大丈夫よ、聞かれているってわかってて話しているから」


 ジェダは鋭く足元へ睨みを効かせた。ジュナが話しかけた相手は、アデュレリアが抱える私設部隊に所属する人間だ。おそらく彼女は、アデュレリアという家の影を担う者の一人だろう。


 アデュレリアからの預かり物は他にもあった。

 ジェダは振り返り、二頭の馬が引く屋根付きの荷馬車を見た。


 荷台には、シュオウがアデュレリアから手に入れた金を入れた木箱の山と、その傍らで具合が悪そうに眠りこける巨体のクモカリが横たわっている。後方の出入り口に陣取ったシュオウは、座り姿勢で背を預け、静かに眠りについていた。


 その荷馬車の片隅に、やたらに場所をとる大きな酒樽が置いてある。中身は空で、大きさは大人の男でも二、三人はすっぽりと全身を隠すことができるほど巨大だった。


 「本当にあれを持ち込む気なのかい」


 ジュナは振り返ってジェダの視線を追い、微笑みながら頷いた。


 「隠れる場所は必要でしょ?」


 無邪気に言うジュナへ、ジェダは眉を曲げて問う。


 「別に、酒樽じゃなくても――」


 ジュナは曖昧に答えを濁し、そのまま奥で寝入るシュオウを見た。


 「あの人は面倒な私達に手を差し伸べてくれた。不思議な人……お会いしてから一度も、恩に着せるような態度をしないの。ずっと前から知っていたみたいに、側にいると居心地が良い。ジェダ、あなたがあの人を選んだのも、今ならよくわかるわ。あなたにとても良くしてくれる。良いお友達ね」


 ジェダは皮肉に笑声をこぼし、シュオウを見た。

 「ターフェスタでは彼にしこたま殴られたけどね」


 「あら……でも、嫌じゃなかったでしょ」


 「ひとをおかしな人間みたいに言わないでくれよ」


 ひとしきり笑い、ふと、風が途絶えたようにジュナは笑みを消した。


 「……この人の好意に甘えきってはだめ。私達の家の事は自分たちで解決しないと」


 ジェダは重く首肯する。


 「おそらく、派手な動きはとらないだろう。今回の事、外に知られたくないと思っているのは他ならぬサーペンティア家そのものだからね」


 「でも、なにもしないわけはない……そうよね」


 再び、ジェダは重く頷いた。


 「彼らは必ずなにか仕掛けてくる。今なら逃げて隠れることもできるが――」


 ジェダの言葉を、ジュナが強く制した。


 「だめ。私達はあの人達に見せないといけない。手を出せば、無事ではいられないって」


 「そうだね……僕達は力を示す必要がある。でなければ――」


 ジェダは目を細め、眠るシュオウを横目で凝視した。


 「それが、今のあなたの夢、なのね」


 「無理を押してついてきたんだ。悪いけど、姉さんにも付き合ってもらうことになる」


 「心配しないで。あなたの夢は、きっと私の夢になるから。でも、そんなに上手くいくかしら。この人にも、ご自身の責任ある立場があるのでしょう」


 「……従士長なんて、彼にとってはなんの意味もない称号だよ。でも、それで満足してしまっているんだ。これ以上、もっと高く多くを望めるのに、彼はそれを欲していない」


 「……導くつもり?」


 「いいや、待つさ。側で支えながら、彼が心の底からそれを望む日が来るまで、ね」


 「そう……私達にもやることがあるものね」


 「……言っておくが、穢を見ることになるかもしれない」


 「わかってる。いつ、なにが起こるかわからない。だから……きちんと容れ物も用意したのよ」


 ジュナは微笑を浮かべ、背後に佇む大きな酒樽を見つめた。


 驚きに目を見開いたジェダは、しかしすぐに熱を冷まし、鏡合わせのように、ジュナとまったく同じ顔をして目を合わせた。






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小説の表紙
― 新着の感想 ―
クモカリのとこ笑った
[一言] ジュナの事は漫才姫コンビと同じ箱入りとと思いきや、かなり優秀周りがヒヤヒヤするぐらい攻める
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