鞘のない剣 1
鞘のない剣 1
灰色の森。貪るように無数の命を育み、また砂塵に舞う粒ほどに、数えきれない死を内包する世界。
白道。人の及ばぬ世界に穿たれた、意思と欲とが産み落とした希望を繋ぐ糸。欲望は果てしなく、灰色の世界に白色の異物を突き通す。その行く先に終わりはない。
ここは深界。
生者が上げる叫びと、末期の喉が漏らす終わりの声とが混じり合い、彩りのない世界に、音という名の色を飾る。
世界は当たり前の形状を記憶し、その輪郭を維持していた。
*
朝。
淡い白靄に包まれる深界を、一台の豪奢な馬車が進んでいた。
その馬車に揺られる一人の輝士と、老人がいる。
両目の端にある小さな黒子が特徴的な、優しげに垂れた眼差しの持ち主。ムラクモ王国軍所属、重輝士アスオン・リーゴールは、小窓から覗く、ありきたりな景色を横目で流しながら、夜の曇り空のように深く暗い藍色の髪をそっとかきあげた。
「アスオン坊ちゃま……ほんの僅か、お目にかかっていない間に本当にご立派になられました」
湿っぽい声でそう言った老人へ、アスオンは藍色の髪の隙間から、青く透き通った瞳を向け、苦笑する。
「……坊ちゃまは勘弁してくれないか。僕はもう、子の親になっていてもおかしくない年齢なんだからね」
リーゴール家が抱える使用人筆頭のトガサカは、歳に似合わぬ立派な体躯を大袈裟に揺らし、目に溜めた涙を嬉しそうに拭った。
「申し訳ございません、アスオン様。なにしろこのトガサカは坊ちゃまが赤子の頃からお側にありましたゆえ……あの気弱で、虫けら一つ殺めることなく逃していたようなお子が、このように立派な輝士としてご活躍されている今が、誇らしくてたまらないのです」
アスオンは若干の照れを感じつつも、涙で白髭を濡らすトガサカの背を優しく撫でた。
主従関係にあり、貴族と平民という明確な線引きがされる因習に覆われたこの世界で、両者のやり取りは不自然に思えるほど親しみが深い。が、アスオンにとってこの関係は心地よいものだった。
トガサカはその人生をリーゴール家の繁栄に尽くしてきた人物だ。幼い頃から気弱な所があったアスオンに、様々なことを教えてくれた人生の師でもあり、親身になって成長を見届けてくれた親のような存在でもある。
リーゴール家現当主である母からの信頼も厚く、一族に関するあらゆる事柄に意見し、関わる事が許されている、有能な当主補佐としての地位も有していた。
「僕も、爺の元気な姿を見てほっとしている。家族の無事はどのような財宝とも引き換えにできないことだからね」
目を細め、トガサカを見つめながらアスオンは柔らかく頬を上げた。
「もったいないお言葉。すべては御母上ニルナ様の寛大かつ英明なる御心のおかげ――――そうでした、ニルナ様といえば、アスオン様のご活躍を耳にされ、心から喜ばれておいででございました。地方で起こった鉱山での蜂起を無血でお鎮めになられたこと、流石は坊ちゃまだと、このトガサカも芯より感服いたしました。重輝士へのご昇進もまったく当然のことと巷では評判。退役輝士の集いにて、終始アスオン様の名が語られ、途切れることはなかったと聞き及んでおります」
トガサカの褒め口上に、むずがゆくなった鼻頭をかきながら、アスオンは眉を下げた。
「僕はただ、労働者達の不満に耳を傾けただけだ。進んで血を流したいと思う民はいないのだから、理由を知れば、きちんと解決への道が見えてくるからね」
トガサカは大きく首を振った。
「多く、高貴な方々のなかに、そのように寛大な御心を持つお方は少ないのです。力を用いず難事を解決できるのは真に力を持つ者の証。アスオン様はきっと、この度の戦でリーゴール家の名と共に、ムラクモの歴史にその名を刻まれるお方となりましょう」
アスオンは苦笑しつつ溜息をついた。
トガサカの過剰なまでのアスオンへの心酔ぶり。これが情からくる、ある種の親ばかのような感情なのだと理解している。
大仰に未来の夢を語る言葉をこそばゆく感じながら、トガサカの言った戦という言葉を反芻し、神妙な顔で視線を落とした。
――母様はなにをお考えか。
ターフェスタ公国からムラクモへ正式な宣戦布告をされたのが、今より一月近く前、冬に入る間際のことだった。
ターフェスタに呼応する形で、北方諸国のうちムラクモとの国境を面するホランド王国も同様に参戦を表明し、それを受け、ムラクモはグエン・ヴラドウ元帥の命により、ホランドへの対応をアデュレリア麾下の左硬軍に、ターフェスタには、サーペンティア率いる右硬軍が当てられた。
ターフェスタが、外交任務で訪れていたサーペンティア当主家の末子を、不当な言いがかりをつけて拘束し、拷問にかけたこと。また、そうした状況下から件の公子が逃げおおせた事が発端となり、ターフェスタはムラクモへ、正式な宣戦布告を発したのだ。
アスオンを驚かせたのは今回の戦の経緯ではなく、子息を不当に拘束されたサーペンティア家を差し置いて、母であるニルナ・リーゴールが将軍として予備役から復帰し、この戦争の前線指揮官として着任した事である。
ターフェスタとムラクモの間に通る白道は広大で重要な交易路だ。その場で起こる戦が苛烈さを極めることは想像に難くなく、実際、歴史のなかで多くの血が流されてきた血塗られた地帯でもある。
国境沿いで起こる偶発的な戦闘とは違い、この度の事はターフェスタが元首の名の下に高らかに宣言した、後々に名がつくであろう大戦となる。そのような大仰な場で、ニルナが現場の指揮を執る事になるのだ。
――僕までもが。
ニルナは権力を行使し、遠方の砦に勤めていたアスオンを正式に手元へ召喚した。
ほんの少し前に、頭に湧いた母の行動に対する疑念。アスオンはそれを自ら笑い飛ばす。
――愚問か。
退いていた軍務へ復帰し、そこへ後継者である息子を呼び寄せた母の想い。それは、次代のリーゴール家当主のための箔付け以外のなにものでもないのだろう。
突如、不自然に馬車が止まり、アスオンは前のめりに身体を投げ出した。
「アスオン様、お怪我ございませんか!? ――えい、なにごとかッ」
アスオンの無事をたしかめ、外へ飛び出したトガサカが御者に怒鳴る。しかし、すぐにしんと静まった空気を不自然に思い、アスオンも車外へ身を出した。
「なにかあったのか?」
御者とトガサカは、黙って同じように後方を見つめていた。
トガサカは目の上で手の平をかざし、目を細める。
「馬が怯えて動かないとのことで。どうにも、後ろから妙な気配が近づいてまいります……」
アスオンは白道の上に立ち、後方をじっくりと観察した。
深界の音に紛れ、不自然に鳴り響く重低音が後方から迫り来る。
胸の内を締め付ける緊張を感じた。
――まさか。
ここは深界、人の世界ではなく、この世界を支配するのは凶暴凶悪な狂鬼達。だが、その不安はすぐに解消された。
後方から向かってくる重い音の正体は、立派な体躯の馬が引く、隊商のものと思しき馬車の群れだった。
隊商の一団が猛烈な速度で通り過ぎて行く。
先頭の馬車を駆る男の風体は異様に目立った。
浅黒い肌をした巨躯を誇る南方人である。一瞬ではあるが、すれ違う瞬間に、巨躯の男の色のついた輝石が見えた気がして、アスオンは不思議に思い、微かに首を傾げた。
アスオン達一行の横を、重そうな荷物を乗せた荷馬車が通り過ぎていく。最後の一台が通り過ぎるとき、その馬車の荷台にひとりの青年が腰をかけていた。
ムラクモの従士服に身を包み、目立つ混じりけのない灰色の髪をしていて、さらに目立つ大きな黒い眼帯をした青年だ。
視線が、彼の鋭い隻眼と合わさり、アスオンは思わず背筋を鉄剣が貫くような錯覚に囚われた。
青年は視線を合わせたまま、進む先へ向けて親指を立て、強く腕を振った。
去っていく一団へ、トガサカが地団駄を踏み怒鳴りつけた。
「ええい、なんという無礼な者共! ここにおわすのがリーゴール家次期ご当主と知っての行いかッ」
怒るトガサカの背に手を当て、アスオンは静かな声音で諌める。
「かまわないよ、彼らにも事情があったのだろう。馬車へ戻ろう……僕達も彼らに倣って先を急いだほうがいいかもしれない」
「は、はい……しかし、なにゆえ我々まで」
ほんの僅か瞼を狭め、いま見たばかりの記憶を辿る。
「……なんとなく、忠告されたような気がしたからね」
あの従士の仕草は、きっとそういう意味だろう。
御者に可能なかぎり急ぐよう告げ、馬車は再び走り出した。
しばらくして、激しい揺れのなかで流れ行く景色を、激しい雨と雷鳴が彩った。
トガサカが青ざめた顔で窓から身を乗り出し、
「ええい、馬の足が千切れてもかまわん、もっと急げ! 大切な若様の身が化物共の腹に収まったとあれば、死んでもニルナ様に顔向けできぬぞッ」
灰色の森の奥深くから、狂ったように鳴く獣の声が一帯の空気を震わせる。深界を行く者達は、この音を雷よりも恐れるのだ。
――彼は、わかっていたのか。
その疑問が、アスオンの心に小さな波紋を残した。
*
ニルナ・リーゴールが率いる部隊が拠点とする地〈ユウギリ〉は旅の休息地としての色が強い宿場街である。
朝は市場、夜は酒場が活発になる歓楽街としての性質も強く、裏稼業を生業とする者達が、多く影で暗躍する薄暗い側面を持つ街としても知られている。
目前に多数の異教国家と通じる道を有するという特殊な事情と、その治安の悪さから長らく領主不在の地となっており、その管理は付随するムツキ砦の責任者が兼任することが慣例となっていた。
アスオンを乗せた馬車が作戦本部として利用される、かつての領主の残した別荘邸に到着したとき、その入口付近に大勢のひとの群れができていた。
群れを前に、それに気づいたトガサカが声を弾ませる。
「ほおッ、なんと、なんと、アスオン様の評判を聞きつけ、出迎えの者らがこんなに……まったく、野次馬根性というのは卑しいものでございます」
言葉では切り捨てるように言いながらも、トガサカの顔は興奮して赤みを帯びている。
「まいったな……」
アスオンは集うひとの群れを前に、前髪の形を整え、青黒い制服の皺を伸ばした。
「先に降り、鎮めてまいります」
馬車が止まり、トガサカが爆ぜるように降りた後、重々しく後に続いた。
地面に足を降ろした時、アスオンはその場の異様さをすぐに感じ取った。
集ったのは従士服を纏った正規のムラクモ軍人達、そして自前の装備に身を包む柄の悪い傭兵らと、ユウギリに暮らす老若男女たち。
しかし、彼らの視線は誰一人として、派手な馬車から降りたアスオンに向いていなかった。
ぽかんとして口を開くトガサカの視線を追うと、大勢の人々とその中心に、深界で見かけた、あの灰色髪の従士がいた。
彼を囲む人々の声は多様だった。ある者は本物だ、というような言葉をしきりにあげ、また別の者達からは、大層な称号が彼に贈られていたのだ。
――英雄。
その声を一部抜粋し、アスオンは心中で呟いた。
少し困ったような顔で、民衆をなだめようとしている青年従士の手の甲は、分厚く包帯で覆われ、その色を見ることはできない。が、着ている茶色い従士服から、その下にある石の色は容易に想像がつく。
――彩石を持たない、英雄……?
疑念への未練を断てぬまま、アスオンは呆けて様子を窺っているトガサカの肩に触れた。
「着任の挨拶を済ませてくる。迎えを感謝する、また後で」
「あ、はい、坊ちゃま――」
追い縋るトガサカの声は、民衆の上げる歓声に打ち消された。
集団の横を通り過ぎる間際、一瞬、件の従士と視線が交差する。
やたらに眼光鋭く、見つめられたアスオンは、その場に一瞬足を取られるほど、強烈に身が重くなる錯覚を感じていた。
*
案内された扉の前に立ち、アスオンは身なりを整えた。
これは上官への挨拶だ。とはいえ、その相手が自身を産んだ母であることもあり、さして緊張するような事でもない、というのが本音である。
入室を促され従う。
暖炉から香る火の匂いが充満した広い部屋は、壁一面に古い本が並び、書庫としての趣を強く感じさせた。
抜いた瞬間に崩れ落ちてしまいそうな古書もあり、この邸の歴史の深さを物語っている。
窓際に置かれた立派な執務机で、ぴんと背筋を張って座る母、息子にその面影を色濃く伝えたニルナ・リーゴール将軍は、我が子を前に嬉しそうに目を細めて立ち上がった。
「少し、老けたな?」
その第一声に、アスオンは吹き出した。
「母様はお変わり無く。僕はその、任務に追われておりましたので、顔に出ているのかと。たくましくなったと言っていただけないのは残念ですが」
遠方に勤めていたせいもあって、アスオンがニルナと顔を合わせるのは久方ぶりの事だった。
ニルナはそっと表情を消し、
「アスオン・リーゴール重輝士、我が軍への着任を認める。戦場での活躍を期待している」
アスオンは頷き、
「ご期待に添えるよう、尽力致します」
と輝士の礼をとった。
「しかし――」
とアスオンは言葉を繋ぐ。
「――大変な重責を負うことになりましたね。このような大仰な場に……まさか母上が指揮を執られる事になるとは。ご子息の事もあるのに、サーペンティア重将はよくお認めになられましたね」
ニルナは片頬だけを上げ、笑みを浮かべた。
「安くはなかったよ。戦にかかる諸経費諸々、多くを当家で負担する事と引き換えに得た椅子だ」
大方、予想をしていた事であり、アスオンは特別、驚く様を見せなかった。
「そうまでして、ですか……」
「風蛇公は倹約家であらせられる。戦費の負担を条件に出した時から、むしろ積極的にあちらが売り手にまわっていたとすら思えた。が、グエン公の許可を得るには苦労したよ。私が数年、軍務より離れていた事、戦での経験不足を理由に強く難色を示されたが、風蛇公の強い後押しと、副官を近衛より派遣された者を当てる事を条件に、ようやく許可を得る事ができたのだ。本来、その座にはお前を抜擢するつもりでいたのだがな」
アスオンは心から顔を顰め、苦く言う。
「少領地しか持たぬ我がリーゴール家が、四石会議の決定を覆したことになります。他方より批判を受けかねませんね……」
「言わせておけばいい。そうした声は、勝てば多くが称賛へと変わるだろう。アスオン、この戦、お前には現場での実質的な指揮官として動いてもらうつもりだ」
アスオンは母の言葉に耳を疑った。
「え、は……? しかし、その役は母様が」
「私はもう歳だ。グエン公が懸念された通り、この身の将の位は、長年領内の些末な任務を手堅くこなしてきた結果の物。戦を指揮した経験の浅い私より、若いお前のほうがよほど適性があろう」
「僕が、指揮を……」
ニルナは立ち上がり、アスオンに背を向け、窓の外を眺めた。
「無事、戦を終えることができたなら、私は正式に軍務から退くつもりでいる」
「では……ついに」
「うむ。この戦いで功を上げ、アスオン・リーゴールは華々しく当主の座を継ぐ。事の運びによっては、昇進と恩賞を賜ることもあるかもしれない。ほどよく、ここ、ユウギリは長らく領主が不在だ」
「ユウギリを褒美にいただくおつもりですか」
ニルナは振り返り、笑みを讃えて頷いた。
「相応しい戦果を上げたならば、ねだる権利くらい得る事は可能だろう。我らにいただくことができれば、ここはユウギリではなく、リーゴールとなる。叶えば、かつてないほどリーゴールの名は高まるだろう」
アスオンは目を細め、顎を指で撫でた。
「たしかに、夢のある話です……叶うなら、ですが」
「アスオン、お前の器量ならばそれが出来ると信じた。まかせても問題はないな?」
惑いは、やはり生じる。このことは本来、分を超える大事なのである。が、望んだ所で得られるような機会ではない。多く、その身を切ってまでニルナが用意した成功への架け橋であり、怖気づくことなど許されるはずもなかった。
「……はい、ご期待に添えるよう、死力を尽くします」
ニルナは胸に溜めた息を吐き、
「うん、安心した。なに、心配はいらない。近衛より派遣される副官は戦場での経験が厚い輝士となるだろう。その者をお前の補佐につけるよう計らう。風蛇公からも精鋭二百騎を借り受けている。上手く使えば、ターフェスタが如き弱小国、討ち果たすことなど造作もあるまい。連中が悪夢にうなされ、神の名に縋って涙を枯らすまで、徹底的に痛めつけてやるといい」
「はいッ」
ニルナは満足そうに頷き、
「積もる話はあるが、ひとまず旅の疲れを癒やすがいい。部下に用意した部屋を案内させよう。ターフェスタより申し入れのあった戦開きまでには猶予があるが、これより諸々の支度に忙殺されることとなる。ムツキ砦へ移動する前に、今夜は一時、ユウギリで戦いの前のささやかな夕食会をひらくとしよう」
「トガサカも招いていただけますか」
「当然だ」
アスオンは笑んで頷き、礼をしてニルナに背を向ける。しかし部屋を出る間際、あることを思い出し、再び振り返った。
「そういえば、邸の正面口での騒ぎ、ご存知ですか」
「ん? ああ、把握しているよ。着任予定のとある者を目当てに、幾日も前から多方面より人が集まっている、とか。その様子では、到着したようだな」
「いったい何者なのですか? 民衆が、彼を指して英雄と讃えていましたが」
それを聞き、ニルナは鼻で笑った。
「ふ――部下からの噂話を聞いたにすぎんが、どうも、この度の戦の遠因となったサーペンティア家ご子息のターフェスタ脱出に尽力した者だとか。その功により、従士長への昇進を受けたとの話だったが――聞いた話にはかなりの尾ひれがついていたよ」
「従士長……あの若さで……」
「ことさら、お前が気にするような者でもない。それより、言い忘れていたが、近日中に右軍より件のご子息が我軍に合流される予定だ。お見かけした際には、よく挨拶をしておくよう留意しておくように。御名は承知しているな」
「ジェダ……様。そうですか、共に戦われるのですね」
アスオンはターフェスタとの因縁深き輝士の名を口にした。
かの者にとって、この戦争は大いに意義のある戦いとなるだろう。
しかし、アスオンの胸の内には、復讐に燃えているであろう公子の名よりも、あの隻眼の従士のことが気になっていた。
*
シュオウがユウギリに到着してから三日が過ぎていた。
戦支度のため、ユウギリには各地から徐々に、輝士や従士達が揃いつつある。
先発した部隊は、すでに最前線であるムツキ砦へ移動を済ませていたが、シュオウは呼ばれず、一時待機が言い渡されている。が、詰める事ができる人員にかぎりがある深界での戦闘で、それ自体めずらしいことではなかった。シュオウの他にも、予備の戦力として多くの輝士、従士がここユウギリで待機しているのが現状である。その数は、日毎に増していた。
従士長という立場になり、多くの兵士を監督する立場となったはずだったが、しかし実際には経験豊富な年配の従士長達が多くの仕事をこなし、まかされていたため、シュオウには手元に配属された少数の従士隊と、自身を慕って集った傭兵隊の自主的な訓練以外、することがなかった。
彼らに体力をつけ、健康を維持し、戦場で怯むこと無く戦い、生き残るための術を身に着けさせることを目標として訓練に励む。それが終わる頃、疲れきった彼らの腹は盛大に空腹を訴えた。
制服を着た従士達は、軍から一日二食の食事が提供されるが、軍に雇われていない傭兵たちにはそれがない。
シュオウはユウギリで過ごす時間の多くを、彼らの食事の世話のために費やしていた。
「今日も買い出しに行ってこい」
溜息を吐き、渋々財布を受け取ったシガは、嫌気たっぷりに愚痴をこぼした。
「俺たちはいつから飯屋になった……俺の力を荷運びに使いやがって――」
ぶつぶつと文句を言いながら、シガは買い出しのために街へ出ていく。実際、彼は買い出し要員として非常に便利だった。荷物がどれだけかさばろうとも一人で軽々と運べる力に加え、獰猛な獣然とした容姿のシガから、けちなぼったくりをしようとする商売人達は誰一人としていないからである。
夕暮れ時になり、シガが帰る前にシュオウは厩に置いたままにしていた野菜を入れた木箱を取りに向かう。が、入り口に差し掛かったあたりで、おかしな気配を感じ取り、足を止めた。
そこには、金糸で蛇の紋章を入れた外套を羽織る男女複数人の輝士達がいた。
濃淡に差はあれど、皆よく似た黄緑色の髪をしていて、手の甲には、同系の緑色の彩石を持つ。彼らは一人を囲むように立ち、囲んだ相手を手ひどく痛めつけている最中だった。
その様子を観察したシュオウは、暴行を受けている人物が知る者であると気づく。
それは、つい最近まで旅を共にしていたサーペンティア家の公子、ジェダだった。
ジェダは地面に伏してうずくまり、身体を守るように手足を寄せて身を固めている。そこへ、取り囲む者達が剣鞘で突き、執拗に足で蹴り飛ばしていた。
うずくまるジェダの視線がシュオウと重なる。
止めに入るために上体に力を込めるが、そこで一瞬、迷いが生じた。
加害者達が皆、被害者であるジェダによく似た容姿の雰囲気を持っていたからだ。
行動を起こす前に、囲む者のひとりがシュオウに気づき、他の者達の肩を引いて止めた。
皆が一斉にシュオウへ鋭い眼を向けた。そのなかの一人、年長者と思しき男が前に立ち、口元だけで笑みを作り、一枚の硬貨を投げて寄越す。
「忘れるのが賢明だ」
そう告げ、一人去っていく。その背を他の者達が慌てて追いかけ、後には埃まみれとなったジェダだけが残された。
シュオウは立ったまま、うずくまるジェダを見下ろし、声をかけた。
「平気か」
ジェダは顔を上げ、シュオウと目を合わせ呆れ顔をした。
「助けよう、とは思わなかったのか」
「家族の問題かと思ったんだ」
シュオウの言に、ジェダはさきほどまで暴行を受けていたとは思えないほど、軽く笑ってみせた。
「それは……まあ、その通りだ。あれは僕の異母兄弟達だよ。さっきのは冗談だ。手を出すなと目で告げたつもりだったんだが、それが伝わっていたんじゃなかったんだな」
身体を起こし、ジェダはシュオウへ手を差し出した。
怪訝に思いつつ、シュオウはジェダの手を取り、その身を引き上げる。
何事もなかったかのように、ジェダは輝士服についた埃をはらって背筋を伸ばした。
「慣れたものだろ。彼らは顔を傷つけない。そうするとひと目で暴行を加えた事がばれるからね。そうなると、自然、打たれる場所には見当がつくから防御は容易い。悪ぶっているが皆箱入りなんだ。人間を痛めつける知識が子供の頃で止まっている」
「そう、みたいだな」
強がりではない。ジェダは真実、いまの暴行で大きく負傷した様子がなかった。
「君はここになんの用で――」
ジェダは言いかけて、シュオウの視線の先を見つめた。
「――なるほど、そういうことなら手を貸そう」
「いや、俺一人で十分――」
軽くはないが、手伝いが必要なほどの荷ではない。が、ジェダは返事を待たず、よろよろと木箱を抱え上げた。
先程の事で怪我を負ってはいないが、ターフェスタで受けた傷が、完治した様子でもない。
「運ぶ先まで案内をしてくれないか」
包帯を巻いた指先を浮かせながら、重そうに木箱を掴むジェダは、シュオウの知る彼とは別人のように楽しげにそう言った。
その様に、余計なことをするな、とは言えなくなっていた。