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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
59/184

黎明の一矢 <後>






 4




 集団から投じられた石塊が、道を塞ぐ輝士の頭を痛打した。


 「投げたのはだれだァ!」


 怒鳴ったヴィシャに返る声はない。

 群衆の血走った眼は、一様に前に固まる輝士達に集中していた。


 額に石を受けた輝士は、うずくまって顔を押さえた。目や鼻を滑り滴る血が、顎をつたって地面に濃く痕を残す。

 抑えた手の隙間から、憎悪の感情が溢れた。


 その時、たしかに場の空気は変化した。


 石を受けた輝士が立ち上がり、腰に下げた長剣に手をかける。

 輝士の行動に、群衆のなかから地鳴りのような怒声が沸き起こった。


 再び一石が投じられた。つられたように、一つ、また一つと、石塊が輝士の集団を襲う。


 それは、明らかに一線を越える所業だった。


 軍隊という力の集合体に対して、自ら戦を仕掛けたのだ。

 攻撃を受けた側は、身を守るために反撃をする正当な理由を得る。


 虐殺、という言葉が、現実味を帯びて頭に浮かんだ。


 怯えて縮こまる幼い娘を抱く力が、無意識に強さを増す。


 ヴィシャは先頭に立つシガを見た。


 常人離れした力を持つ男が、懸命に群れのなかから飛び交う石塊に手を伸ばし、巨体を押して必死に止めようとあがいている。だが、もはや穏便な方法で彼らを止めることなど不可能な段階にきていた。


 改めて見渡した群衆に、驚くほど知った顔が少ない。

 思わず、固唾を飲み下す。


 ――いつのまに。


 動員をかけた人数はとうに超え、群れは統率をとるのが難しいほど、数を増して膨れ上がっていた。


 老若男女を問わず、人々が集まっている。

 ヴィシャの起こした、そもそもの騒乱などきっかけにすぎなかったのだ。燃え上がった炎を、溜め込んだ鬱憤という名の風が煽り、大火となって止めどなく広がり続けている。


 着込んでいるというのに、ヴィシャは骨の芯から凍えるような感覚を味わった。自らがいったい何を始めたのか。何に加担したのか。


 次に輝士達が選ぶ行動によっては、今いるこの場は血に染まる。


 もはや、力づくで止めるほかない。


 各所に立つ仲間たちに目を配った。それぞれが、たしかに目配せに頷きを返した。

 約束をしたシガの協力も期待できるだろう。合流したムラクモの輝士達も手を貸すかもしれない。


 まだ引き返すことができる。

 ヴィシャが心を決めた、その時だった……


 耳元で、甲高い風鳴りのような音が流れた。


 「――俺の声が聞こえるな」


 その声はあきらかに、この場にいる者達が発する音とは異質なものである。そして、その声には聞き覚えがあった。


 「あんたか……」


 声の主は、娘を救い出すと約束を交わした若者、シュオウである。

 ヴィシャはすぐに周囲を見渡し、その姿を探した。


 「声だけを届けている、探しても無駄だ」


 ヴィシャは険しく眉間に力を込める。


 「どうしてわざわざややこしい真似をする」


 シュオウはその問いを無視した。


 「ユーニとは再会できたな」


 「あ? ああ……すまん、あんたには借りができた」


 思わずユーニを見つめていた。愛娘は独りで話し続けている父の姿に、不思議そうに首を傾ける。


 「レイネも見つけた、怪我は負っているが、命に問題はない。無事だ」


 その一報に猛烈に安堵した。肩に溜まっていた力が崩れるように抜けていく。


 「ああ……本当、なのか……なんと言って礼を言えばいい」


 シュオウはたしかに約束を果たしたのだ。

 一度は諦めた娘達を、二人共無事なまま抱きしめることができる。

 また、我が子の成長を見守ることができるのだ。それは、なにものにも代えがたい生き甲斐であり、希望という名の生きる糧でもある。


 ヴィシャは緊張を失わないよう自戒しつつも、安堵していた。

 この騒動を止めるための、唯一の不安が取り除かれたのだ。


 「ちょうどいい、この騒ぎももう限界だ。これから力づくでも止めなきゃならねえ、今すぐ――」


 しかし、言葉は途中で遮られた。


 「だめだ」


 唐突な有無を言わさぬ物言いに、戸惑いを覚える。


 「……何を言いやがる、終わりだ、すでに手を出すやつらがでてきた。これ以上のことがおこれば、軍も黙っていないだろう。ここまで無事でいられたのが奇跡なんだ」


 「俺の許可があるまで、この騒ぎは止めさせない」


 正論の通じないシュオウに苛立ち、ヴィシャは奥歯を擦った。


 「ふざけるなよ、これ以上はねえ。俺は約束を守った、十分に注意を引いたはずだ」


 「こっちの目的はまだ果たせていない。これから城に押し入って仲間を連れ出す。そのために、俺にはまだこの騒ぎが必要だ」


 「知ったことじゃねえ、そのために何人が犠牲になるか、わからねえとは言わさんぞッ」


 「始めたのはヴィシャ、あなただ。子供達を失ったと思い、自棄になって、大勢を巻き込んで恨みを晴らそうとした」


 ヴィシャは苦い顔で唸った。


 「……ああ、そうだ。だからこそ、命懸けでも止めなきゃならねえ」


 「子供達が無事に戻るとわかった途端、慈愛の精神に目覚めたのか。あなたは自分のために数の力を利用した。都合よく日常に戻ろうとするな。首謀者として始めたことをやり遂げろ。ここで引き返しても、もうなかったことにはできない」


 「言われなくたって、てめえだけ助かろうなんざ思ってねえ。だがな、この流れに巻き込んだ連中まで、むざむざ殺させてたまるか。ここが限界だ、これ以上なんと言われようと、俺は力づくでこの騒ぎを終わらせる」


 「そうか……なら、せざるを得ない理由を与えてやる」


 ヴィシャは再び、固唾を飲んだ。

 硬さを増したシュオウの声に、嫌な予感がしたのだ。


 「おい、気をつけて言葉を選べ……あんたは恩人だ、恨みたくねえ」


 重い息遣いが、音のみで緊張を伝える。


 「……皆を扇動し、群れを城の前まで前進させろ。拒否するなら、レイネとの再会は諦めろ」


 瞬間、全身の血が煮えたぎる。

 歯が割れそうなほど強く食いしばり、暴れ狂いたくなる衝動を必死に押さえ込んだ。


 「子を盾にして俺を脅すのかッ!」


 父の怒声に怯えたユーニが強く瞼を閉じた。


 「そうだ、俺はあなたを脅迫している」


 憎らしいほど、シュオウは平静な声で答えた。


 「まて、本当にレイネを助け出したのか。自分の都合を通すために、嘘をついているかもしれん。話だけで、なにも証拠がないんじゃ――」


 「将来、娘の結婚相手が現れたときに、相手の男を酔い潰すため、雪解けの音という高級酒を樽一杯に用意して保管してあるらしいな。この話しをしていたとき、あなたがでかい図体に似合わず涙ぐむ様子を、レイネは面白がって笑っていた」


 シュオウは、ヴィシャとレイネの間で交わした約束と、その時の状況を口にした。そこにいた本人から直接聞かなければ知り得ない情報だ。


 ヴィシャは肺の中を空にした。


 レイネはシュオウの手の内にある。

 命を引き換えにしようとも惜しくない子の命を握られているのだ、もはやヴィシャに選択権はなかった。


 「たいした奴だと思いかけていたが、見下げ果てたクズ野郎だったな。クソったれがッ……」


 踏みしめる一歩は、死出の旅路へ続く直通の道である。


 ユーニを抱いたまま、ヴィシャは群れの先頭を抜け出し、立ちつくした。


 群れる民衆が送る視線のすべてが、ヴィシャに集う。

 ヴィシャの不可思議な行動に、人々は一瞬静まり返った。


 静寂のなか、シュオウの声がヴィシャの耳朶を震わせる。


 「猶予はない、今すぐ命令しろ――進軍だ」


 ユーニを抱く手は震え、止めどなく湧く汗が首筋をつたう。


 ――くそッ。


 非力な民の集団を、まるで軍隊のように言われ、腹立たしさが一層増した。


 ヴィシャは覚悟を決め、大きく空気を吸い込んだ。


 「このままじゃ埒が開かねえ、領主に直接俺たちの声を聞かせてやる。城に向かうぞ、皆、俺の後に続けェ!」


 怒号と歓声が入り混じり、掲げられた炎が、まるで生物のようにうねり、揺れ動いた。




 それはぞっとするような光景だった。

 武装した軍を前に、民衆が襲いかかるように前進を開始したのだ。


 「まじかよ……こいつら正気なのか」


 人の波に押されるまま、ナトロが青ざめた顔で状況を憂いた。


 「なぜ……」

 プラチナは悲痛な面持ちで現状を俯瞰する。


 興奮状態にあった群衆を、さらに煽るように騒ぎたてたヴィシャの行動は不可解だった。


 プラチナは人波を押し分け、先頭にいるヴィシャの元へ駆け寄った。


 「何を考えているのです、今すぐ彼らを止めなさいッ、このままでいけば、どうなるかあなただってわかるはずでしょう!」


 ヴィシャは血走った眼でプラチナを一瞥した後、


 「俺に言うなッ、もう止められん……」


 と苦々しく一言を残し、さらに前進する速度を早めた。


 人波のなかにじっと佇み、呆然とヴィシャを見送るプラチナの耳元に、シュオウの声が鳴った。


 「――聞こえるか」


 不自然な音の聞こえ方に、耳を押さえながら四方を見渡す。が、シュオウの姿はどこにも見えなかった。


 「どうやって……今、こっちは大変なことにッ――」


 状況を伝えようとしたプラチナに、シュオウの冷淡な声が返る。


 「知っている。ヴィシャに指示を出したのは俺だ」


 言葉に驚き、プラチナは胸の前で強く拳を握った。


 「あなたが!? なにをさせたのかわかっているのッ――」


 集団の先頭は、まもなく前を固めるターフェスタ軍と衝突する。緊迫した状況にあって、不気味なほどシュオウの声は落ち着いていた。


 「俺はヴィシャの子と、あなたが捜していた件の殺人者を捕らえている。ヴィシャは絶対に前進を止めない、子供を人質にして脅したからな」


 目の前の景色が歪むような感覚に囚われた。


 「なにが目的か、あえて聞きません。けれど、自分のしたことの重さを理解しているの? このままでいけば、いったいどれほどの命が危険にさらされるのか」


 「ああ……だから、あなたがいる」


 「な……にを……」

 予期せぬ言葉に、プラチナの語気は弱る。


 「プラチナ・ワーベリアム、命令を出す。銀星石の力で皆を守り、前進を続けさせろ。この群れは城を目指す。無事な到着を見届け次第、全軍を掌握し、支配下におけ」


 人が変わったような高圧的な態度。分を超えた要求をするシュオウに、呆然として言葉を失う。


 群衆に肩を押されながら、プラチナは静かに息を呑む。


 「それはだめ、聞けない……銀星石は……プラチナ・ワーベリアムは、ここに在ってはならない存在なのですッ」


 口調は、自ずとワーベリアムの当主、銀星石の主としての様になる。


 「そうだろうな、あなたにも事情があるのは知っている。だから、理由を与える。指示通りにしなければ、捕らえた殺人者を解放する。強い男だった、一度逃がせば、簡単に捕まることはないだろう。そしてまた同じことを繰り返す、そのために大勢が命を落とすことになる」


 胸の前で握る手が、強さを増していく。

 短い間に共に過ごした、シュオウという人物を思い浮かべる。

 そして、あの暗い家のなかで起こった悲劇に涙する、強さと優しさを兼ね合わせていた、あの横顔が脳裏に蘇った。


 「……嘘です。あなたに、そんなことができるはずがない。あなたからは強い慈悲の心を感じた。無闇に弱者を不幸に追いやるような人間ではなかった。私は、あなたという人を信じています」


 心から訴えかけるプラチナに、シュオウはあくまで冷淡に言う。


 「現実を……ヴィシャを見ろ。俺があなたの言うような人間なら、彼は今頃そこにはいない――」


 言われるままに、プラチナは前を見た。

 すでに距離が開いている。が、巨体のヴィシャの頭は後方からでもはっきりとわかった。


 「――最後まで俺を信じるのなら、そうしてそこに立っていろ。その結果、ヴィシャと子は死に、前進を続ける人々も無事ではいられない。加えて、この街に多くの不幸をばらまいた殺人者は、再び息を吹き返す。指示はすべて伝えた。あとは自分で考えて決めろ」


 言い切って、耳元にあったシュオウの気配は途絶えて消えた。


 嵐の中心に立ち、プラチナは受けた言葉の数々を止めどなく反芻する。


 猛る群れとそれを扇動する者。それに対峙する者。

 上がった炎はより強さを増し続け、すべてを灰に変えるまで、消えることはない。


 ――なんてこと。


 プラチナは初めて強く現状を把握した。


 追い込まれているのは、ヴィシャでも、彼に扇動された民でもなく、この場ですべての炎を消す力を持つただ一人の存在、燦光石を持つ自分だけなのだと。


 行動を選択する自由はもはやなく、対策を練るだけの時もない。いつのまにか、首に堅固な鎖がからみつき、ほどけなくなっている。


 信じて送り出した一人の若者の姿を思い、プラチナは担ぐ不動棒を振り上げ、その先で地面を思い切り叩きつけた。




 *




 プラチナとの交信を断ち切り、フクロウは額に溜まった汗をぬぐい、尻もちをついた。


 「緊張、しました……」


 シュオウは力の抜けたフクロウの肩に手を置き、労をねぎらった。


 背の高い建物の上に身を置く二人は、そこから全体の動きを観察していた。


 なにより気になるのは軍の動向だった。


 正面から押し寄せる群衆の波に、軍は武力を持って対抗しようとするはず。ヴィシャが猛烈にシュオウの要求を拒絶したのも当然のこと、これは自殺行為にほかならない。


 だが、ヴィシャも含め、群れの大半は知らないのだ。自らが、ターフェスタという国において最強の盾に守られているという事実を。


 「ワーベリアム准将は動くでしょうか」


 憂うフクロウに、シュオウは頷き返す。


 「絶対に動く」


 確信がった。プラチナは自身の置かれた立場、状況を超え、民の生活を案じて一人でここまで乗り込んでくるような人間だ。

 目の前で大勢が無下に殺されるかもしれない状況を、保身のために放置できるはずがない。


 見守る状況に、ある変化が訪れた。

 驚いたようにフクロウが声を漏らす。


 「なんと……」


 青い光を携えるターフェスタ軍が、前進を続ける民の群れに、道を譲ったのだ。


 規模の大小にかかわらず、衝突が起こると踏んでいたシュオウは、これを意外に思った。


 「良心のある指揮官がいるのかもしれません」


 フクロウの予想に答えはない。

 いずれにせよ群れの前進は続くのだ。


 群れを扇動するヴィシャの姿は、しだいに遠く、小さくなっていく。

 ユーニを抱く大きな背中は、微かに震えているようにも見えた。

 輝士達を前に、いつ攻撃されるともしれないこの状況で、無防備に行進を続ける人々を心配するヴィシャの心持ち想像すると、いたたまれない気分になる。


 なにより彼が望んでいたものの最後の一つを引き合わせ、心の底から喜ぶ姿を見ることもできたのだ。が、シュオウはその選択をしなかった。ヴィシャは今、この世界でなによりシュオウを恨み、憎んでいるだろう。


 ――迷うな。


 優先すべきは己と仲間たちのこと。

 敵地にあって、信頼と善意に頼ることを、シュオウは選択しなかった。これはその代償だ。


 ――正しいとは思わない。


 そう何度も言い聞かせてきた言葉を、再び己に浴びせかける。


 シュオウは腰を上げ、目当ての建物を見つめた。


 「予定通り、今から城に入る」


 彼方は僅かに明るさを帯び始めている。

 深い夜の終わりは、もうそこまできていた。




 5




 眠りにつくターフェスタの領主ドストフは、側付きの護衛輝士の呼びかけに目を覚ました。


 「殿下」


 「……なにごと、だ」


 かすれて消えてしまいそうな弱々しい寝ぼけ声で、ドストフは問うた。


 「下街にて湧いた暴徒が上下街の境界を突破したとの知らせが入りました。一直線に、こちらを目指して侵攻中とのこと」


 その一報を聞いても、寝起きのドストフの頭に入るまでに、いささかの時間を要した。


 「ふうむ……ぼうと、か――」


 粘ついた口の中で舌をころがしながら、ドストフは聞いた言葉を一つずつ噛みしめる。


 「――暴徒だとッ」


 跳ね起きて靴に足を伸ばすが、慌てすぎたせいで踏み間違え、前のめりに倒れ込んだ。


 床に倒れ込んだまま、助けの手を払いのけ、ドストフは声を荒げた。


 「デュフォスは!? すべてあやつにまかせておいたはず。あれはなにをしているッ」


 「それが、どこにもお姿がありません。捜させていますが、デュフォス卿の居所を知る者が誰一人いないのです」


 「なん、だと……」


 瞬間、ドストフの脳裏に忠実な臣下であったはずの裏切り者、ツイブリの姿が浮かんだ。


 ――まさか、デュフォスまで。


 重用してきた若き輝士。デュフォスには大権を与え、親衛隊の長という栄誉と共に重要事の指揮をまかせてきた。

 裏切るはずがない。が、デュフォスが行方不明になることなど、今までなかったことだ。


 猜疑心は病魔のように心を蝕んでいく。


 だが、なにより現状、ドストフが心配しなければならないことは他にある。


 「連中はいったいなにが原因で騒いでいるのか」


 「報告によれば、繰り返し叫ぶ言葉のなかに、拘束されたムラクモの輝士、サーペンティア家公子の解放を求める声が含まれているとか」


 その名に、ドストフは胸の奥が締め付けられるような心地がした。


 「なにゆえ、下民どもが異国の輝士の身を案じるッ」


 「……申し上げます。案じているのは公子の身ではなく、東方の怒りを買うことを不安に思ってのことであるかと」


 ドストフは肩を落とし、天井を仰ぎ見た。

 城へ押し寄せようとしている民衆の怒りが、不用意に大乱を招こうとしている領主への失望が原因だとすれば、一応の納得はできる。


 ――愚民どもめッ。


 ドストフは心中で反乱を起こした領民を罵った。

 ジェダ・サーペンティアの処遇について、ムラクモはこのことを了承済みなのだ。そのことを知らず、無用な騒ぎを起こした愚か者たち。ドストフの目に、彼らはそう映る。


 「殿下、集う者達の行いはすでに大罪に相当します。屠るための大義名分としては十分、どうかご決断ください」


 武力を用いる許可を求める輝士に、ドストフはつい、皆殺しにせよと口にしそうになり、慌てて頭を振った。


 「いかん……いかん! リシアより多数の高位神官方が集うこの時に、領民の血を流せば私はいいわらいものだ! 皆が私を嗤う、領民に刃を向けられた無能な領主と侮られるッ、それはいかん、それだけはだめだ、早急に火を消さねば……」


 王の石なく、ワーベリアムの温情によって玉座に座る哀れなドストフ。

 そんな陰口を叩く者は決して少なくない。


 明日、ジェダ・サーペンティアは審問の後に処刑される予定だった。


 「延期だ」


 「……は?」


 「ジェダ・サーペンティアの審問を一時延期するッ。当面の間は無事なまま丁重に扱うと言って愚民どもを宥めればよい。生きている公子の姿を見れば奴らも気が収まるだろう……今すぐ支度をさせよッ」


 物言いたげな輝士を睨みつけ、ドストフは大きく手を振った。


 「は、はい、ただちにッ」


 一人残されたドストフは、乱れた寝間着姿のまま、虚空を見つめた。


 ――ヴィシキ老には。


 残る不安は、そもそもの発端である、ジェダの命を欲した老人が、処刑の延期を飲むかどうか。


 ――報告は明朝でいい。


 いまこの一時、押し寄せる民衆に矛を収めさせる事が、なにより優先すべき事である。




 寝室で一報を耳に入れたヴィシキは、歯をむき出し、皺だらけの顔をひきつらせた。


 「おのれ、ドストフめ……どこまで骨のない男なのだッ――」


 寝間着のまま起き上がり、外衣を羽織らせようとする手を払い、指示を飛ばした。


 「審問官を叩き起こし、今すぐ聖堂に集めよッ」


 ドストフ・ターフェスタは意志薄弱で気弱な人間だ。一時のこととしておきながら、状況に流され、いつジェダ・サーペンティアを解放すると言い出すかもわからない。


 ――もはや、委ねてはおけぬ。


 破るように扉を押し開け、ヴィシキは一直線にジェダを封じた牢を目指し、駆け出した。




 *




 外で起こる騒ぎのため、深夜にもかかわらず、城のなかは混沌とし、騒がしさに包まれていた。輝士や兵士達が、慌てて武具を纏って外へ向けて駆け出していく。城内の警備はまるで機能を失っていた。


 「この通路の奥です」


 身を隠しながら、フクロウは前を行くシュオウに告げる。

 ジェダが囚われていた牢部屋がある通路には、複数人の輝士や兵士がいた。


 「援護します、まずは――」


 しかし、シュオウは一人駆け出した。


 接近に気づいた輝士の一人が不審に思い、静止を促す。


 「まて、見覚えのない顔だ……そこで止まれ――」


 シュオウに向けて手を伸ばした輝士は、その刹那に腕を捻り上げられ、膝をついた。腕の関節を折り曲げられ、見るからに痛々しい様で悲鳴をあげる。反射的に身体が痛みから逃れようともがくが、シュオウが掴みあげた手は、それを許さなかった。下げた頭を、シュオウの足が踏みつけにする。


 その目で直に見るのは初めてのこと。


 ――なんという。


 まるで、答えが一つしかない複雑な問いを解いているように、一つずつの動作に無駄がなく、その結果、人体の破壊という完璧な答えが導かれている。


 シュオウの手が、対する者を掴んだ瞬間に起こる始まりと、その終わりまでの流れに、フクロウは我を忘れて見惚れていた。


 すれ違う輝士や兵士たちが、慌ててシュオウに襲いかかる。


 ある者は殺傷力の高い晶気の技を用い、ある者は慣れた手つきで剣を奮う。が、どの一撃もシュオウは難なく躱してみせた。その直後、攻撃をしかけた者たちは動きを封じられ、膝をついて頭を垂れていく。


 「くはッ」


 フクロウは思わず、笑声を零した。

 目は輝きを増し、口元には自然と笑みが浮かぶ。それはまるで、少年のような純粋さを秘めて輝いていた。


 すれ違うたび、シュオウに対峙する者達は、まるで臣下の礼でもとるように、通路にひれ伏して頭を垂れていく。


 ――痛快だ。


 彩石を持つ者。輝士という存在は、人間の世界において、存在そのものが力の象徴である。


 ――このひとには、関係ないのだな。


 色を持つ者と、持たざる者。

 その絶対の境界を曖昧にし、思うままに躍動する目の前の男の立ち居振る舞いに、フクロウの胸は幼子のように、無邪気に躍っていた。




 通路を制圧した後、シュオウは呼吸一つ乱さず、倒した者達の懐を探り、鍵を見つけ出した。


 牢部屋を開くと、牢のなかに閉じ込められたベンが、驚きに声をあげた。


 「本当に、きた…………」


 ぽかんと口を開け、鉄格子を掴みながら、ベンはシュオウをじっと見つめる。

 そこにいるはずのもう一人の姿が見当たらず、シュオウはベンに問う。


 「――あいつはどこだ?」


 ベンは険しい顔で、


 「つい先程、武装した神官を引き連れて現れた、彼に恨みを持つ老人に連れ出されてしまってね。そのことで、後からきたターフェスタの輝士達は慌てている様子だった。正直、あまり良い予感がしない」


 「行き先は?」


 「はっきりとはしないが、教会だか聖堂とかいう言葉を話していたな」


 フクロウへ送った視線に、明確な頷きが返る。 

 シュオウは鍵を差し、ベンを閉じ込めていた牢から解放した。


 片隅に、ここへ来たときに奪われた荷物がある。

 シュオウは急ぎ、自身の持ち物を取り戻し、身につけた。


 「おい」


 シュオウのベンに対する呼びかけは、本来の立場を思えば明らかに無礼でぞんざいなものだった。が、ベンは身を引き締め、屹立した。


 「あ、はいッ」


 「荷物をまとめろ。ジェダを回収してここを出る」


 小僧のように何度も頷いて、ベンは素直にシュオウの指示に従った。

 荷物を担ぎながら、ベンは力なく、不安げにこぼす。


 「しかし、本当にそんなことができるのだろうか……」


 通路の様子を窺っていたフクロウが、手招きをした。


 「今なら出られます」


 頷きを返し、牢部屋を出ようとしたときだった。

 シュオウの足首を、別の牢から伸びた震える細い手が掴む。


 「あなたは……」


 それはターフェスタの宰相ツイブリだった。

 荷物を抱えたベンが、悲しげにシュオウに告げる。


 「あのとき君をかばったことで酷い仕打ちを受けたのだよ。老体にここまですることもないだろうに」


 暗い部屋のなかの、さらに影のなかに身を置くツイブリの様相は、ベンの言うように、酷く痛めつけられている様子だった。


 ゆっくりと這いずりながら、明かりのなかに現れたツイブリは、悲痛な面持ちでシュオウを見上げた。


 「どうか……どうか、私に答えを……あの時、我が身になにが起こったのか、あれはあなたの仕業なのか……」


 シュオウはツイブリの手にそっと触れ、掴まれた足を引き離した。

 弱ったツイブリの手に触れたまま、


 「俺はなにもしていない。聞かれてもなにもわからない――」


 シュオウがターフェスタの拘束から逃れた際に、突然かばうような真似をしたツイブリの行いは、たしかに意図のわからないものだった。そのことで、彼が手酷い仕打ちを受けている現状を前に、不可解さはさらに増す。


 シュオウはツイブリの前に鍵を出し、


 「――望むなら、ここから連れ出すことはできる」


 弱々しい顔でシュオウを見つめるツイブリは、一度口を開け、すぐに閉じて首を横に振った。


 「そうさせていただきたい……が、私が姿を消せば、血族に害が及ぶやも。私はここに残り……誠心誠意、ドストフ様に許しを請います」


 シュオウは頷き、腰を上げた。

 部屋を出る間際、背中からか細いツイブリの声が耳に届く。


 「ああ、無念でならない……身の破滅に至った答えすら、与えてはくださらないのか、神よ――」


 返す言葉はない。シュオウは振り返らずに部屋を出た。




 通路に出てすぐ、その様相にベンは驚愕の声をあげた。


 「なんだこれは……まさか全部、君がやったのか……」


 言って、呆けたようにシュオウを見つめた。


 「はいッ――」


 シュオウの代わりに、なぜか力強くフクロウが肯定した。

 手慣れた調子で先頭に立ち、先を促す。


 「――城内にある聖堂はただひとつ、案内します」


 荷物を抱え、ベンが後に続く。


 「ありがたいが、君はいったい何者なのだ……彼のご親戚かなにかで?」


 言葉を交わす二人に続こうと足を踏んだ時、ベンが抱える荷物のなかから、小さな包が落ち、中から割れるような音が小さく鳴った。


 シュオウは落ちた包を拾い、その持ち主を思う。


 それは、ジェダが土産にと用意していた品だった。

 落ちて壊れたのか、中から割れた破片がぶつかりあう硬質な音が鳴っている。


 破片の感触を手に受けながら、シュオウはその包を懐にしまった。




 *




 曇りガラスの夜光灯は、漏れる淡い青の光を湛え、城内にある聖堂の内部を厳かに照らしている。

 急な用意だったためか、光量はあきらかに足りていない。

 そこかしこに落ちる暗い影が、本来の美しく荘厳な聖堂の雰囲気を殺し、暗く陰鬱な場所へと貶めていた。


 神の名の下、罪を問われる者を置く台座の上に、ジェダは捨てられるように置かれた。


 手や足に惨い拷問の痕が残るその姿をみて、集うリシアの審問官達からどよめきがたった。


 手をついて上半身を起こそうとしたジェダは、わずかに顎を浮かせただけですぐにそれを諦める。


 ――起きることもできないか。


 まるで他人の身体でも借りているようだった。

 指先からつま先まで、感じる痛みだけが、唯一自己を証明できる。


 小さく、腹の虫が鳴いた。

 自分にしか聞こえていないだろう。

 ジェダはうつ伏せのまま、微笑する。


 ――面倒だ。


 どんなに傷ついても、どれほど希望を捨てたとしても、生あるかぎり腹は減る。


 周囲に多数のひとの気配があった。が、ジェダはそれを確認する気すら失せていた。


 ――もういい。


 早くしてくれと、その思いにのみ、心は収束していく。


 傍らに誰かが立った。


 薄く開けた目に、粘り強くジェダを痛めつけてきた老人の姿が映る。


 老体に似合わず、威勢よく剣を引き抜く音が、聖堂にこだました。


 集う者達から、抗議の声があがった。

 老齢の審問官がヴィシキに諫言する。


 「主教、あまりの急な呼び出しに、我らは寝間着の上に聖衣を羽織ってまでこうして応じております。が、なんですか、これは。サーペンティアといえば、その名を知られる王石の一つ。その子息に対し、最低限の敬意も払わず、醜い拷問にかけたすえに唐突にこの場で処刑なさるおつもりか」


 ヴィシキは鼻息荒く、


 「黙れい! 体裁は整えた、部外者に文句を言われる筋合いはないッ」


 剣を振り上げたヴィシキに、審問官の厳しい声がかかる。


 「なりませんッ――一切の審問もなく高貴な血を流すなど、神の名を汚す野蛮な行い。断行されるとあれば、このことはリシアに持ち帰り、総主教にご報告申し上げます」


 振り上げた手をヴィシキは止める。


 「審問か……であろうな、そなたらはそれが役割なのだ。では、早急に終わらせてやろう。ジェダ・サーペンティアに問う、貴様は自らが死に相応しい罪を犯したと認めるか」


 顔は見えずとも、ヴィシキがほくそ笑む姿をありありと想像できた。

 この老人は知っているのだ、すでに、ジェダに生きたいと願う意思がないことを。


 ――茶番の総仕上げ、か。


 ジェダは、また場違いに笑む。

 残った力を振り絞り、恨みに我を忘れた哀れな老人へ、彼が最も望んでいる言葉を贈った。


 「……認め、ます」


 「よかろう、以上をもって審問を終了とする。罪人、ジェダ・サーペンティア。その身にふさわしい罰を受けろッ」


 ヴィシキの足に力が入る。


 剣刃が落ちれば、そこで終わる。

 僅かにでも、抵抗をしようなどという気は起こらない。


 ――逃げるのか?


 不意に、望んでもいない自問が聞こえた。


 ――ああ、逃げたい。


 かまわないだろう、と自答する。

 逃げることを悪とするのは、負けを知らない愚者の虚栄だ。


 ――もう、いいだろう。


 十分に戦ったんだ。


 ――残される者がいる。


 陳腐な台詞だ。

 もう、幾度となく思い返した。

 掘り返す思い出などすでにない。


 ――ジュナは。


 身体が震えた。


 ――やめろ、その名は。


 聞きたくない。

 考えたくなかった。


 胸を満たす空気の音にだけ集中する。


 吸って、吐く。その繰り返し。


 思考は無へと帰す。


 ジェダはただ、風を切る刃の音を待った。

 だが、いっこうに音はしない。


 代わりに、ヴィシキの手から剣がこぼれて落ち、耳障りな金属音が轟いた。


 膝をつき、悲鳴をあげながら、ヴィシキはジェダの隣に倒れ込んだ。

 白目を剥き、口からはだらしなく涎を零している。


 聖堂に、いなかったはずの男の声が通る。


 「この男を連れていく。抵抗するか?」


 覚えのある声だ。硬く、そして柔らかく、なにより強さを秘めた発声をする。


 ――君か。


 シュオウの問いに、審問官は答える。


 「否、我らは元より傍観者にすぎない。この場では、互いに触れ合わぬが得策と信じる」


 「ああ、それがいい」


 シュオウは倒れ込むジェダの顔を覗き込んだ。


 「生きているな」


 ジェダの目に、張り詰めた表情のシュオウが映る。

 ムラクモからここまで、退屈そうな顔をしていた頃のシュオウとは別人のように、いきいきとした姿でそこにいる。


 ――勝手な奴だ。


 輝石を封じていた手袋が切り破かれ、左手はひさしぶりに冷めた外気に触れた。

 抱え起こされる最中、シュオウはジェダを背負いながら言う。


 「帰るぞ」


 軽く言うその背から、滑り落ちたいと願っても、身体はいうことをきかなかった。この一時、ジェダの意識は、眠りに落ちるように遠のいた。


 


 6




 高らかに声をあげながら、民の群れは進む。

 領主の城目前にまで迫る頃、空を覆う黒はもう、色を失いつつあった。


 ユーカは群衆から絶妙な距離を取りつつ、輝士隊を帯同させていた。

 手出しを禁止した命令に縛られる現状、不利になる状況を避け、あえて無抵抗で境界を通過させるという策を選んだが、今のところ順調にことは運んでいる。


 ユーカは群れのなかで興奮しきった様子の人間たちを観察していた。

 ジェダ・サーペンティアの解放を、と訴える声が聞こえるなか、日頃の鬱憤や、高貴な身分の者達へ対する不平不満を叫ぶ声も多く聞こえる。

 普段の我慢を発散させられる心地よさからか、楽しそうに笑みを浮かべながら行進に参加する者も少なくない。


 「愚かなひとたち……」


 彼らはわかっているのだろうかと、敵対関係にある者達へ、僅かに同情心が湧く。


 彼らが越えたのは、上下の街の境界線だけではない。

 生と死を分ける、まさにその一線を越えたことに、気づいている者はいるのだろうか。


 「バカではない人間などいないさ」


 賭けに負けてから大人しく側にいるクロムが、そう言った。


 「あなたはそっちの側だろうけど、だからって私を巻き込まないで」


 前方に城を守護する正門が、はっきりと見えるほどの距離になった。

 重い門が開き、中から騎乗した輝士達が、隊列を組んで現れる。


 ユーカに帯同する輝士が声をあげた。


 「ユーカ様、これ以上は!」


 ユーカは頷き、胸を張る。


 「冬華、ユーカ・ネルドベルの名において抜剣を許可する! これ以上の侵攻は大公殿下の御身の安全を著しく害する。よって、反逆者全員を排除する!」


 ユーカの号令により、この場にいるターフェスタ軍全員が剣を抜き、輝士達は晶気の構築を試み、戦闘態勢をとる。


 気づいた人々から悲鳴があがった。が、すでにユーカの指揮下にあるターフェスタ軍は、彼らを完全に包囲している。


 「後片付けが大変そうだ」


 剣も弓も構えることなく、クロムは淡々と事態を見守っている。


 暴動に参加した子供や女たちから、泣き叫ぶ声があがった。

 これから起こる事を思い、ユーカは僅かにためらいを覚えた。


 ――どのみち、生かしておかれない。


 引き際を見誤った愚か者たち。

 その身に火の粉がふりかかっていると今頃になって気づいても、もう遅い。


 「全隊――」


 攻撃開始の命令を出す直前、頬に、冷たいなにかが触れた。


 「――え」


 見上げた空、周囲一帯に何かが降っている。


 「……雪?」


 空から舞い落ちる、綿毛のようなもの。

 それは銀色の雪だった。


 クロムは手を伸ばし、降りしきる銀雪を手に乗せて呟く。


 「重い……銀色の雪、これは、まさか……」


 包囲される民衆と、輝士達の間に動揺が広がる。


 雲ひとつない空から降る銀雪は、勢いを増し、一帯の景色を明るい白銀色で覆っていく。

 地面に落ちても溶けることもなく、銀雪は猛烈な勢いで降り積もる。


 前方、騎乗する輝士達の馬が、怯えたように後ずさりを始めた。

 積もった銀雪のなかから、猛獣のような低く重い嘶きが響く。


 積もる雪のなかから、獣の前足が現れた。


 それは蹄のある馬の足だった。しかし、前足から爪にいたるまで、すべてが銀一色に染まり、左右一対ずつあるはずの前足は、根本で枝分かれして左右それぞれに二本の足がついてる。


 まるで水中から這い上がるかのように、ゆっくりと頭が現れる。赤く光る目をした馬の頭部だ。


 生々しく躍動しながら、全身を銀雪のなかから現したそれは、前と同様、後ろに四本の足を持つ、八本足の巨体な銀馬だった。


 まるで金属から生み出されたようなその銀馬は、赤く光る不気味な眼で周囲を睥睨し、静まり返る民衆のなかに、鋼を打ち合うような足音をたてながら、ゆっくりと歩を進める。


 怯える人々が道を譲り、開けていくその先にいた一人の人物の前で、銀馬はおもむろに足を止めて、屈んだ。


 その者の一挙手一投足に、すべての視線が集う。


 はぎ捨てた外套の中から、若く美しい女が姿を現した。

 ターフェスタの輝士服をまとうその女は、長い金属棍を手に持ち、華麗な所作で銀馬にまたがる。


 馬を立ち上がらせ、高みから周囲を見下ろす女が、棍の先で積もった銀雪をこすり払うと、得物の先に槍状に発光する刃が取りついた。


 そのまま手にした得物で地面を穿つ。直後に、輝士達の周囲の銀雪の中から、鋭い槍が、天空を突き破りそうな勢いで、次々と生え、伸びていく。輝士達は牢に囲まれた囚人のように、その槍に取り囲まれた。


 すべてが現実を凌駕する光景だった。

 重たい銀の雪も、深界の化物のような姿をした金属の馬も。

 銀馬にまたがり、発行する槍を携えるその姿に、輝士達が次々と、その名を口にしていく。


 「銀星石様……」

 「プラチナ様……」


 その言葉に、ユーカはようやく女の正体を悟る。

 幾度も姿を見てきた。言葉も交わした。なのにすぐにわからなかった。


 ――なぜいま。


 プラチナ・ワーベリアムは、ここにいるはずのない人物なのだ。


 プラチナは銀馬の背から、よく通る綺麗な声を張り上げた。


 「輝士の力は弱き者を守るためのもの。ターフェスタ軍に告ぐ、その場に武器を捨て、すべての力を収めなさい」


 言葉を受けた輝士達に、ためらいはなかった。

 一斉に、皆が剣を銀雪のなかに放り捨てる。

 立つ者は膝をつき、騎乗した輝士達も馬を降り、全員がその場に膝をついて、胸の上に輝石を置いた。


 はっとして、ユーカは声を荒げる。


 「指揮権は私にあるッ、全員立って、すぐに剣を取って!」


 ユーカの指示に従う者は一人とていなかった。


 銀馬にまたがるプラチナが、ユーカと視線を交わした。


 「ネルドベル重輝士、矛を収めなさい」


 ユーカはプラチナを睨み返し、


 「これは重大な越権行為。ワーベリアム准将……この部隊は大公殿下のもの、あなたに指揮権はないッ」


 プラチナは唇を噛み、一度視線を落とした。


 側にいるクロムがくすりと笑った。


 「相手が悪い、もう誰もお嬢ちゃんのことなど気にしていないさ。諦めたまえ」


 クロムの言葉通り、輝士達の視線はすべてプラチナに注がれている。

 臣下の礼をとる輝士達は、まるで王にかしずく者のそれだ。

 皆が、銀星石の力を恐れ、そして敬っていた。


 ドストフ・ターフェスタはこのことを知っているのか。


 ――そんなわけない。


 下級輝士の服装で、民衆のなかから姿を現したプラチナを思う。まず間違いなく、独断での企てだろう。


 権限を超越し、ターフェスタ軍の主力を手中に収めたプラチナは、その時点で謀反人と呼ぶに相応しいほどの行いに手を染めていた。




 *




 シュオウはジェダを背負いながら、人気のない城内を駆けた。

 セレスから受けた肩の深手に、ひと一人分の重さがのしかかり、一歩を踏み、ジェダの身体が揺れる度に激痛となってシュオウを襲う。


 進む方向を憂い、ベンが足を止めて静止を促した。


 「ま、待ちたまえ! そっちは正面口だろう、逃げるなら、こう……もっとあるだろう、裏口とか、秘密の通路とか!」


 シュオウはその場に佇み、


 「正面突破だ。俺達は来たまま、全員でここを去る」


 ベンはしかし、不安を消せぬ様子で汗を浮かべる。


 「本当にターフェスタの軍を相手に突破などできるのかね……仮にそれができたとして、立ちはだかる深界をどう切り抜ける。一個の要塞を前に、ほんの数人しかいない我々がどう突破できるのだ。それに、あのやかましい娘達はどうした、君の連れの野蛮人はいまどこにいるんだッ」


 瞳を揺らし、浅い呼吸を繰り返すベンの肩に手を置いた。


 「説明している時間が惜しい。逃げるための出来る限りの状況はつくった。信じろ、かならず、連れて帰る」


 ベンは情けない顔で、シュオウの手当を施された手を見つめ、深呼吸をして、頷いた。


 シュオウの耳元に、晶気を用いたフクロウの声が届く。


 「――シュオウ殿」


 「どうだ」


 「予想通り、ワーベリアム准将は動きました。万事に問題ありません」


 シュオウは頷き、

 「よし、門を開けさせろ――」




 膠着状態にある城前広場で、プラチナは突如、耳に手を当てて、見えない誰かと話でもするように、何事か言葉を発していた。


 そんなプラチナの様子を訝り、ユーカは強張った顔で呟く。


 「なんなの……」


 プラチナは馬を進め、叫んだ。


 「開門!」


 その指示通り、城を守護する頑丈な門が開かれていく。


 中から現れたのは三人の男たちだった。一人は赤い輝士服を纏う、銀髪の男。あとの二人は、ムラクモの輝士服に身を包む、ベン・タールと、力なく背負われているジェダ・サーペンティアだ。


 ――まさかッ。


 ユーカは爆ぜるようにプラチナへ視線を送る。


 「これが目的……ムラクモの輝士達を逃がすつもりなの……」


 なぜ、プラチナがそうしようとしているのか、彼女の性格を思えば理解できないこともない。が、いまはどうでもよいことだ。

 ただひとつ、気にしなければならないのは、この事をターフェスタ大公が望んでいないだろうということである。


 ジェダ・サーペンティアは罪人だ。


 ターフェスタは、その名において罪人を捕らえ、裁きを下さねばならない。その機会をむざむざ逃し、無事なまま逃げられたとなれば、これはターフェスタの名と、その領主の名を傷つける、なによりの不名誉な事態を招く。


 ユーカはドストフに敬意を抱いていた。

 いかに才能があろうとも、まだ子供と呼ばれるほどの年齢であるユーカを評価し、相応しい地位と栄誉を与えてくれたのだ。


 ――許せない。


 主君へ恥をかかせる行いをしようとしてるプラチナへ、憎悪の心が湧いた。


 ユーカは周囲を見渡した。

 広場の近くに、大きな物見塔がある。


 「ねえッ」


 ユーカはクロムの服を強く引いた。


 「なんだね、お嬢ちゃん、眠たくなったのかい」


 軽口を流し、ユーカは試すような視線をクロムへ送る。


 「ネディム様の言うように、あなたが本当に弓の達人なら、あそこの塔から、ムラクモ人を仕留められる?」


 クロムは塔を見上げ、

 「ふむ……お嬢ちゃん……」


 クロムはひょろりと長い上半身からユーカを見下ろし、意味深に笑みをつくる。


 「なに……」


 「朝飯前というやつだ」




 冷たい外の風が、眠りに落ちていたジェダの覚醒を促した。


 目を開くことを億劫に感じながら、ジェダは薄く開けた目先に映る足元の様子から、そこが城の外であると知る。


 力を振り絞って身体をよじり、シュオウの背から逃れるように地面に落ちた。


 背に触れていた胸や腹から、急激に熱が失せていく。

 地面に肘をつき、かろうじて上半身を支えた。


 「おい……」


 頭上から、シュオウの戸惑いを含んだ声がかかる。


 「……僕を、置いていけ」


 「だめだ、連れていく」


 伸びてきたシュオウの手を、ジェダはたどたどしく振り払った。


 「足手まといになる」


 「そんなこと――」


 「あるだろう、この様を見ろ。肘をついているのがやっとの人間を連れて、どうやってここから逃げ出す気だ」


 「……時間の無駄だ。無駄口はもういい」


 再び手を延ばすシュオウに苛立ち、ジェダは俯いたまま歯を剥いて、出せるかぎりの声を振り絞る。


 「わからない奴だ――もう生きていたくないんだッ、僕を捨てた人の元へ帰る事が恐いんだ……ようやく終われると思っていたのに……君は傲慢な人間だ、この世界で不幸を背負って生きる者すべてが、救いを求めているわけじゃない……」


 一陣の突風が、シュオウとジェダの間をすり抜けていく。


 三度、ジェダの前にシュオウの手が差し出された。


 「手を取れ、ジェダ。心と身体は一体なんだ。身体が弱っているとき、心もそれに引きずられる。生きるか死ぬか、無事に帰って治した後に、もう一度よく考えろ」


 シュオウの左手は、薄布にまかれていた。なにげなく見たその手が気になり、ジェダは僅かに、面を上げた。




 彼方の奥深くから登る陽が、城や街に光を当て、多彩な陰影を生み出している。


 物見塔に登り、ユーカは備え付けの望遠鏡を手に、ジェダの姿を確認した。


 「あの、黄緑色の髪をした男が最優先。狙える?」


 望遠鏡を貸そうと差し出すが、クロムは受け取らず、目を細めて先を見つめた。


 「そんなものがなくても、標的は承知した」


 「この距離を肉眼で……?」


 クロムは背にある白い弓を取り出した。

 先を見下ろすクロムの目は、これまでとは別人のように鋭さを帯びている。


 「さすがに遠い……晶気の矢を射ても届きようもないな」


 「そう……」


 ユーカは落胆した。が、クロムを責めることもできない。彼の言うように、標的は遥か遠くにあり、風も強い。どちらにせよ、狙撃が可能であるとは到底思えなかった。


 「おや、勘違いをしては困るぞ、お嬢ちゃん――」


 クロムは腰に下げた小さな矢筒から、一本の実物の矢を取り出した。


 「――現実に重さを持つ矢に晶気をまとわせる」


 クロムの手にある矢を、発光する晶気が覆っていく。


 「が、この力をあの距離まで持続させることはできない。足りないぶんは実際の矢に補ってもらうとして、まだ足りないな」


 クロムは空中に手を出し、手の平を回転させた。そこに筒状の風が生み出される。


 風術に長けるユーカには、クロムの創り出した物がなにであるかすぐに理解した。


 「加速、口?」


 クロムは愉快そうに笑い、


 「ご名答だよ。外から内へ、強烈な風の流れを循環させる。その中心に矢を通せばどうなるか。お嬢ちゃんには、この先の説明は不要だろう」


 クロムは矢を思い切り引き絞った。


 「放てば当たる、本当にいいのだな」


 「ええ、やって」


 「恨みはないが、死んでもらおう。不意をつき、抗い難い死を与える。これぞ究極の暴力だ――」




 黎明の頃に放たれたその一矢は、風の筒を通り、猛烈に加速をつけ空中を切り裂いて進んでいく。


 空を泳ぐように光を放つ晶気が、次なる加速を助け、勢いをそのままに、彼方の標的を目掛けて飛んでいく。


 やがて光は消え、矢そのものが残る。


 勢いは死んでいない、ほぼ直線に近い状態のまま、矢は、放った者の意思に忠実に、その者目掛けて突き進んだ。




 シュオウの視界の傍らに、なにかが映った。

 再び、意思に反して世界は緩やかに変化する。


 ――また。


 その事態を憂う暇はない。

 緩やかに見える世界に、突如現れた異物の正体。それは一本の矢だった。


 今まさに、後方から突如訪れた鋭い矢が、ジェダの頭を目掛け前進を続けている。


 ――動けッ。


 ジェダに差し伸べていた手を、懸命に射線に合わせて動かした。

 矢の速度は尋常ではなく早い。


 ――絶対に、取る。


 失敗は許されなかった。




 「――ッ!?」


 突如、目の前に差し出されていたシュオウの手が何かを握りとった。


 ジェダの目前で爆ぜるように風が吹き荒れる。


 冷めた風に呼ばれるように、はっきり目を見開くと、眼前に鋭い矢尻があった。


 思わず、ジェダははっきりと顔を上げ、前を見た。そこに、今まで目に入らなかった世界が映る。


 「なんだ……これは……」


 前に広がる光景は異様だった。


 世界が銀一色に覆われている。

 城門から先にいる輝士達は膝をついて整列し、その奥に、見たこともないような化物染みた銀の馬がいて、さらに城の前に集った大勢の民衆の姿がある。


 その光景を背負い、シュオウは淡々とした表情で、ジェダを射殺すはずだった矢を掴み、いつも通りの表情でそこにいる。


 シュオウは振り返って空を見上げ、物見塔の天辺へ、握りとった矢の先を向けた。


 「シガ!」


 シュオウの叫ぶような呼びかけに、奥にある群れの中から巨体の男が飛び出し、物見塔へ向けて突撃を始めた。


 ジェダは、シュオウのその様を見て笑いを堪えられなくなった。


 「君は…………いつもそうやってきたんだろうな」


 シュオウは、そんなジェダを静かに見つめた。


 「どうするんだ」


 「ああ……なんだか馬鹿らしくなってきた。どうせ何を言おうと譲る気なんてないんだろう。いいさ――帰ろう、助けられてやる」


 ジェダは言って自らの力で立ち上がろうとした。が、傷を受けた身体は思うように動かず、途中でよろけた身体を、シュオウがしっかりと受け止めた。




 一部始終を望遠鏡で観察していたユーカが、消え入りそうな声で呟いた。


 「うそ…………掴んだ……矢を……」


 「はあ!?――そんなわけがあるものかッ」


 すでに成功を確信し、格好をつけて背を向けていたクロムは、裏返った声をあげ、ユーカを突き飛ばして望遠鏡を奪い取った。


 肉眼ではわからない、詳細な人物の特徴をたしかめる。

 標的の前に佇む人物、昇りかけた朝日を受け、輝く銀髪をした男の手のなかに、たしかにクロムが放った矢が握られている。


 「そんな、ばかなッ!」


 仮に初めから知られていたとしても、必殺を確信できる一撃だった。実際には完全に不意をついたものであったにもかかわらず、それを素手で掴み取るなど、到底人間業とは思えない。


 矢を掴んだ男が、ゆっくりと振り向き、物見塔に向けて矢の先を向けた。そのとき、男の容姿がはっきりと見てとれ、クロムは地響きのような唸り声をあげる。


 「あああああああああああッ――――」


 クロムの疑念は一瞬にして瓦解した。


 「――銀髪、大きな眼帯、鋭い眼! いた……いたァ! こんなところに! 運命だ……予言にあったお方に、我が必殺の矢を受け止められた。これぞまさしく天啓だッ――このクロムはついに生涯の運命を得た!」


 クロムは上半身がこぼれそうなほど前に出て、物見塔の天辺から思い切り声を張り上げて手を振った。


 「我がきみぃ! クロムはここですッ、ここにおります! ここ、ここですッ!」


 が、当然声が届く距離ではない。


 ユーカの震える声が異常を伝えた。

 「……なにか、くる」


 「んう?」


 クロムは煩わしそうにユーカの言う先を見やる。

 それは押し寄せる巨大な壁だった。

 長い手足を大きく振り、褐色の肌に筋骨たくましい強靭な肉体を覗かせながら、長身の男が一直線にこちらに向けて走り込んでくる。


 「なんだあの獣は!?」


 勢いそのまま、男は物見塔に肩から体当たりをかました。

 激しい音と共に塔の根本が崩れ、背の高い物見塔は一瞬で均衡を失った。




 崩れゆく塔から、晶気の力で素早く脱出を図ったユーカは、緩やかに下降を続け、無事なまま地面に着地した。


 瓦礫の山の隅にクロムを見つけ、側に寄る。

 足がおかしな方向へ折れ曲がったクロムは、朦朧として微かに呼吸をしながら、ワガキミ、ワガキミと意味不明な呟きを続けている。


 「残念、まだ生きてる……」


 純粋に思うままの心を口にして、ユーカは早々に興味の先を切り替えた。




 シュオウはベンに、アイセとシトリ、そしてシガをまとめて合流するよう指示を出した。


 ベンが了解を告げ、駆けていく途中、物見塔が轟音をたてて崩壊し、そこへ皆の視線が集まった。


 「雑な仕事だな……」


 崩れた塔が撒き散らした煙を眺めながら、シュオウの背にいるジェダが呆れたように言った。


 シガのしたことを確認し、シュオウもその意見に同調する。


 「ああ。でも、役に立つ」


 ジェダは溜息をついた。


 「どうだろうな、所詮金で雇われる人間だ。主義も文化も異なる相手を、無闇に信用するのは危険だ」


 重い銀の雪の上を懸命に歩きながら、すっかり毒気が失せたように振る舞うジェダに、シュオウは一点、思うところをぶちまけた。


 「ひとつ、言いたい」


 「なんだい、聞かせてもらおう」


 「もし、またこんなことがあったら、次は最初から全部説明しておけ。わかっていたら、もっとうまくやれた」


 ジェダは大きく笑い、周囲を見渡した。


 「これ以上、なにをするっていうんだ。まったく、なにをしたらこんなことになるのか――」


 笑いながら、激しい痛みがぶりかえし、ジェダは苦痛に喉をうならせる。が、継続して渇いた笑みを絶やさなかった。


 後ろ頭で、シュオウがジェダの頭を小突く。


 「立てないくらい痛いんだろ。こんなときにへらへらするな」


 ジェダは笑うことを止めた。

 静かに息を落とし、


 「…………ああ」


 ひそかに鼻をすする音が聞こえたが、シュオウは何も言わず、黙って歩を進める。


 ほんの少し前まで死を願っていたジェダは、僅かな時の間にどういう心変わりがあったのか、とりあえず、その考えを捨てたようだった。


 ジェダが手をとると、確信があったわけではない。

 切迫した状況で、助けを望まぬ相手を救い出すのは困難で、迷いも呼ぶ。


 人間は生きることに幸福を得るのと同様、望んだ時に死を得られることもまた、幸福なことであると、シュオウは思う。


 本当に心底ジェダが死ぬことを望んでいたのなら。それが真実であるという確信があれば、シュオウは彼の言うように、救い出すことを諦めていたかもしれない。


 だが、シュオウはジェダの命を諦めなかった。それを強く後押ししたのは、歩く度に懐で音を立てる壊れた土産物の感触と重みだった。


 ――本音じゃないんだろ。


 ジェダが真に終わりを望んでいたのか。その答えは、彼が買い求めた、この土産物にある。生に僅かでも執着がなければ、後のことを考えたりはしないはずだ。


 歩く道の先に、ベンと合流したアイセ達が手を振って待っている。

 ジェダはシュオウにかける腕に、僅かに力を込めた。


 「いいか、皆が君に寄せる好意は武器になる。その気があろうがなかろうが、ほどよく愛想を振りまいておけ。多少呑気だが、あの娘達にも力がある、うまく利用するんだ」


 ジェダの急な忠告を訝り、シュオウは眉間を寄せる。


 「なんだ急に……」


 「上手く世渡りをしろと言っているだけだ」


 「……自分のことは自分で決める。大きなお世話だ」


 機嫌悪く言うシュオウに、ジェダは軽く吹き出した。


 「その台詞、つくづく君にだけは言われたくないな」


 前方から、銀の馬にまたがったプラチナが静々と向かってくる。

 相対する直前に、シュオウは足を止めた。


 下馬したプラチナは、武器を脇に抱えながら、ゆっくりと距離を詰めた。


 「あれは……」


 プラチナを見やるジェダが、不思議そうに呟く。


 「プラチナ・ワーベリアム。燦光石の持ち主だ」


 「それはわかるが、あの顔、立腹なんてものじゃない、君のことを恨んでいるようだ、いったいなにをしたんだ」


 シュオウは深く息を吐き、


 「いろいろあったんだ」


 そう言って、プラチナを待ち構えた。


 プラチナはジェダを一瞥し、険しい顔でシュオウを睨めつけた。


 「目的は果たせたようですね」


 すっかり固くなった態度で、プラチナは言った。


 「まだ途中だ」


 「……あなたが望んだ通りのことをしました。銀星石の名と力を誇示して、主の兵を強引にねじ伏せた。約束は守りました、今すぐ子供を解放し、捕らえた者の居場所を教えなさい」


 「無事な帰還までが目的だ。アリオトを安全に通過するための計らいが欲しい」


 プラチナは歯噛みして目を尖らせる。


 「このうえまだ要求するつもり……」


 シュオウはただ頷いた。


 プラチナは得物を回転させ、銀雪のなかに発光する刃を突き立てた。次に持ち上げたとき、そこにはなにもなく、ただの金属棍としての様子に戻っている。

 懐から取り出した紙を取り出し、それを得物に巻きつけた。


 「ナトロ!」


 「あ、はい!」


 プラチナは自身の得物を弟子へ放り投げる。

 重い武器を突然投げて寄越されたナトロは慌ててそれを受け取り、シュオウに負わされた肩の傷の痛みに悲鳴をあげた。


 「ムラクモ特使団に同行し、無事な越境を見届けなさい。アリオト司令官には、プラチナ・ワーベリアムの切な願いであると。その書と不動棒をあなたが持ち込めば、それが証明になります」


 ナトロは激しく嫌そうに顔を歪め、

 「承知……しました」


 その直後、城門の前で大声があがった。


 「なんだこれは!? ワーベリアム准将ッ、お前がなぜここにいる! 一体何をやっているッ!!」


 声をあげた男の姿を見て、プラチナが露骨に狼狽する。


 「殿下……」


 そこにいるのはターフェスタの領主、ドストフだ。

 すね毛の生えた生足が覗く寝間着姿で現れ、銀色に覆われた目の前の光景に目を白黒させている。


 ドストフはシュオウの背にあるジェダを指差し、怒声をあげた。


 「ジェダ・サーペンティア! 逃してはならぬ、皆の者、すぐにそやつを捕らえよ、生死は問わぬ、抵抗する者は叩き殺せ!」


 静まり返った周囲一帯に、ドストフの命令が虚しく響く。

 居並ぶ輝士、兵士達のなかで、命令を聞く者はだれひとりいなかった。

 ドストフは怒り、地団駄を踏む。


 「ええい、なにをしている! 私がわからんのか、私はドストフだ、ターフェスタの主だ!」


 輝士達の間に、少なからず動揺が広がっていく。が、皆が視線を送る先はドストフではなく、プラチナだった。


 彼らが視線を送る先に気づき、ドストフは声を震わせる。


 「プラチナ……命じろ、公子を捕らえよと、今すぐ命じるのだ!」


 プラチナは苦渋の表情でうつむき、強く唇を噛んだのみで、応じることなくその場に屹立する。


 「なんということだ……なんなのだこれは……」


 ドストフは膝をつき、呆然と前を見つめた。


 「俺達は行く。手配はしてある、距離が出来たら、例の男の居場所を伝える」


 シュオウは言って、うつむくプラチナの横を通り過ぎる。


 「あの南方人の男を引き渡すよう言っても、無駄なのでしょうね」


 「身を守るためにしたことで、咎めを受ける必要はない」


 すれ違う瞬間、重くプラチナが囁くように呟いた。


 「……信じていたのに。あの時、見た、あなたの涙を――」


 足を止め、シュオウは前を向いたまま、

 「終わった後に流す涙に、なんの意味があるんだ」


 プラチナから返る言葉は、なにもなかった。




 広場に集う民衆が、皆シュオウを一心に見つめていた。

 先頭に立つヴィシャが、前へ出て複雑な表情でシュオウを見る。


 「レイネのことは拘束していない。安全だ、居場所はすぐにわかる」


 ヴィシャはユーニを抱いたまま、片手をあげて頭をかいた。


 「そう、か……利用されたことを怒るべきか、娘を助け出してくれたことを感謝すべきか。色々なことが起こりすぎて、もう、俺にはわからん」


 「どちらでもいい」


 「……何がどうなっているのか。あの輝士の女が、まさかな……」


 シュオウは頷き、

 「あとは彼女の指示に従え。悪いようにはされないはずだ」


 ヴィシャは戸惑いを隠せぬまま、頷いた。


 「行くのか?」


 シュオウはヴィシャに首肯し、視線を寄せる仲間たちを見た。


 シガは砕けた石や埃をかぶり、全身が薄灰色に汚れている。

 ベンは周囲の光景に怯えた様子できょろきょろと視線をまわしている。

 シトリはげっそりとした顔で、それでもシュオウから一時でも目を離そうとしない。

 アイセは傷だらけになり、覇気のない様子で、疲れた顔でシュオウへ一度頷いてみせた。


 「みんな、帰るぞッ」


 シュオウの号令に、皆が一斉に頷いた。




 *




 ユーカは怒っていた。


 城門の前で力なく膝をつくドストフへ、誰も敬意をはらっていない。その命令を無視して、ターフェスタの恩恵に預かる輝士達は、臣下の一人にすぎないプラチナへ意識を寄せている。


 道を開ける民衆のなかを駆けていくムラクモの輝士達を見つけ、ユーカは力を用いて飛翔した。


 空中にあって、強力な風刃の塊を錬る。それは晶士が得意とする強大な力の構築である。


 ユーカの目論見に気づいたプラチナが駆け寄り、声を荒げた。


 「ユーカ、やめなさいッ!」


 ユーカは膨大に高まっていく力をそのままに、


 「やめない……冬華の主は大公殿下ただおひとり。あなたの言うことは聞かない」


 それに気づいたドストフが駆け寄ってユーカを見つめ、期待を込めて頷いた。


 ユーカは背負われて民衆のなかを進むジェダを睨みつける。


 ――逃がさないから。


 周辺すべてを巻き込むほどの力を創り出す。


 刹那、ジェダがおもむろに振り返り、浮かぶユーカと視線を交わした。疲れきった顔にあるその目が、感情のない蛇のように、冷徹な光を帯びる。


 ジェダが、左手の平をユーカに向けて突き出した。


 「あッ……」


 ユーカは突如、空中で均衡を失った。


 纏う風が急速に力を失う。無意識に行えるほどの訓練を重ねてきた力を、奮うことができない。

 落下の勢いにまかせ、ユーカはその小さな身体を地面に叩きつけられた。


 ――奪われた?!


 ジェダはユーカの操る風に干渉したのだ。


 背負われたまま、冷たい視線を送り続けてくるジェダへ、憎悪の心が湧く。これは同じ力を操る者しての完全なる敗北だった。


 ――屈辱ッ。


 天才と呼ばれ続けてきた自尊心が、身体の痛みも忘れさせ、ユーカを立ち上がらせる。


 歯を食いしばり、ユーカは練り上げた力を見る。それはまだ、空中に残っていた。怒りのまま攻撃をしかけようと手をあげたその時、服の裾が鋭く切れて地面に落ちる。


 ユーカはその場に硬直した。


 様子を訝り、ドストフが声をあげる。


 「どうした、やれ! やるのだ!」


 汗が全身に湧き上がる。

 ユーカは動作を途中で止めたまま、身動き一つとらず、震える声でドストフに言う。


 「できま、せん……動いたら、死にます……」


 朝陽が広場全体を明るく照らす。


 まばゆいほどの銀世界にあって、その光がユーカの手足、首、胴体周辺に密に張り巡らされた、鋼線のように細く鋭い風の刃を照らした。


 硬直したまま、ユーカは見開いた目でジェダを見つめる。

 遠くはなれた相手に対し、音もなくこれほどの細やかな風術を用いることは、常軌を逸した高難度の技だ。


 触れればその瞬間、切り裂かれる。それほどの強度を繊細に維持できる力。瞬時に他者の操る力に干渉できるほどの力量。


 ――天才?


 ユーカは、己が受けてきたこれまでの評価を反芻する。

 そして、改めて見たジェダの冷たい目に、恐怖を抱き、震え上がる。


 ――私が?


 なにもすることができず、ユーカはただ立ち尽くした。

 ぐずる子供をあやすように軽々といなされ、ユーカはただ、去っていくジェダを見つめることしかできなかった。




 *




 「……ちゃっかり帰りの支度まで用意してやがる」


 街の出口に用意されていた人数分の馬を見て、同行するナトロは呆れたよう言った。


 シュオウに心当たりはない。

 フクロウの指示通りの場所に、水や携帯用の食料などと共に用意されていたのだ。


 人数分の馬が用意されていたが、ナトロを入れると一頭足りない。が、ジェダは重傷を負っているため、一人で馬に乗ることはできない。結果的にちょうど良い数となるが、シュオウはそれでも、一頭足りないと思った。


 ジェダをベンに預け、来た道を僅かに引き返す。


 ターフェスタの下街は静寂に包まれている。


 すこしぼやけた冷たい朝の空気は、一晩のうちに起こったことを夢のなかの出来事だったかと思わせるほど穏やかだ。


 「聞こえているか」


 そう、姿の見えないフクロウへ語りかけた。

 間を置いて、耳元に風の音が漂う。


 「――はい」


 「おかげですべて上手く運んだ。本当に助かった」


 「なにもしていない、と言うのはさすがに過剰な謙遜となりましょうか。例のものも、用意は滞りなく。皆様の無事な旅路を祈っております」


 左の拳を握る手に、いつのまにか力がこもる。


 「一緒に来いッ」


 シュオウの声には力みがあった。

 音だけのフクロウの気配から、惑いの息遣いが聞こえる。


 「…………私は残り、一人で潜伏します。仲間への裏切り、背信行為に手を染めた。その罰は負わねばならない。自分ひとりだけ、心地よい世界に逃げることは、恥ずべきことのように思うのです」


 身を引くフクロウに、しかしシュオウは諦めることができなかった。


 「ここよりもっと似合う場所がある。お前を連れて帰りたい」


 「…………ありがたい。ですが、やはりお断りいたします。正直に言えば恐いのです。ムラクモという、我らと違える理念を持つ大国へ行くことが。私は国を裏切り、あなたに協力をした。が、ムラクモという国に自らを売ったわけではない。あなたと共に行動して、新しい世界の片鱗を味わった。しかし、だからといって古いものをすべて捨てられるほど、私には自信がない。臆病者と笑ってください、そして、ちっぽけな自尊心を捨てることができないことも」


 フクロウの言葉には、消極的であっても芯がある。はっきりと拒絶され、シュオウにはそれ以上かける言葉が思いつかなかった。


 「なにも返せていない……どうすれば礼ができる」


 苦く言う言葉に、フクロウは笑声を返した。


 「もういただきました。自らが望むことをする。悪人を倒し、子供を救った。その単純なことで、今まで感じたこともないほど、誇れる気持ちを抱きました」


 晴れ晴れしいフクロウの言葉にも、シュオウの気は収まらない。


 「何かないのか、俺にできることや渡せるものは」


 「……では、叶うなら、一つだけ約束をいただきたい」


 「約束?」


 「はい。もし今後、あなたに一人で立つ時がきたら、その時には是非、一員として迎え入れていただきたい」


 シュオウは拍子抜けをした。


 「……わかった。だが、俺にそんな時がくるとも思えない」


 「さて、どうでしょうか。不思議と、自分で言っている言葉が、それほど現実離れをしていると思えません。もしもそんな時がきたら、私にはひとを見る目があったと、どうかお褒めください」


 冗談めかして言うフクロウに、シュオウも笑みをこぼした。


 「ああ、約束だ」


 「では、ご武運を――」


 別れを告げるより前に、フクロウの気配は途絶えた。


 「シュオウ、どうかしたのか?」


 心配して様子を見に来た、アイセとシトリが、じっとシュオウを見つめている。


 微笑みながらシュオウの顔を覗くシトリが、途端に表情を曇らせた。


 「なにか、あったの?」


 シュオウは真意とは真逆の表情をつくり、


 「いや、大丈夫だ」


 二人を安心させ、出口へと向かう。

 途中、並んで歩くアイセの曇った表情が気になり、シュオウは彼女の背に、そっと手を置いた。




 馬にまたがり、シュオウは皆の様子を窺う。

 喉が乾いていたのか、シトリが大切そうに両手で持った水筒から、渇いた砂のように水を飲んでいる。シガは、すでに自分の分の携帯食をすべてたいらげていた。


 ――本当に。


 フクロウという男がしてくれたことを思う。おそらく、ここへ至るまでに必要だった事のすべてを与えてくれたのだ。


 有能な人間だった。


 よく気を配り、物事を正しく判断する目を持っていた。そんな人間を、生まれ持ったことを理由に、望まぬ居場所に押し込め、蓋をしたターフェスタという国に怒りが湧いた。


 ナトロが、不快そうに声を返した。


 「早くしろ、ひとをとんでもない事に巻き込みやがって……アリオトを出る前に俺の物を全部返せよッ」


 シュオウはシガに呼びかける。


 「シガ、そいつの後ろについて見張ってろ。すこしでもおかしな真似をしたら、深界の森に捨てていく」


 尖った歯を見せながら、しっかりと後ろについたシガを見て、ナトロは単純に怯えて顔を青くした。


 馬上から、去るターフェスタに向けて、シュオウは大声で叫ぶ。


 「この国の人間は、人を見る目がないッ!」


 まるで捨て台詞のように言ったシュオウを、皆が戸惑い見つめている。


 だが、それはまさしく、シュオウからフクロウへ贈る最大の賛辞でもあった。


 シュオウは苛立っていた。心の底から欲する人材を、手に入れる事ができなかったことに対してである。

 自分をそう思ったように、そしてジェダがそう言ったように、シュオウは己の傲慢さを思い、自嘲した。


 しんと静まりかえる街に背を向けたとき、


 「ありがとう、ございます……」


 フクロウの最後の言葉が耳に届き、シュオウは振り返らず馬を走らせた。


 冷めた空気を切りながら行く。


 ここへ来た時よりも去るいま、なにか大きなものを無くした喪失感に囚われ、胸中を満たせぬまま、一時の出会いを果たした者達への別れの言葉を、小さく呟いた。









*.....*.....*.....*.....*.....*






 「やられた……」


 約束の通り、声で届けられた所定の場所に急いだプラチナは、地下の廃神殿の奥にある小部屋を開け、そこにいるはずの殺人者の代わりに、置かれていた趣味の悪い魚の頭をした人形を手に取って苦い顔をした。


 人形にくくりつけられていた薄汚い布に、文字が記されている。

 ウィゼ・デュフォスと共に、必要とする者に渡す――――そう書かれていた。




 *




 戸を開けて現れた父、ヴィシャの姿を見て、レイネはその大きな胸のなかに飛び込んだ。


 涙を流して再会を喜ぶヴィシャは、娘の顔についた痛々しい傷にそっと触れ、悲しげに呟く。


 「かわいそうに……」


 レイネは気丈に振る舞い、ヴィシャに笑いかけた。

 おそるおそる、ヴィシャの後ろからユーニが顔を出した。


 「ユーニ、よかったッ」


 レイネとユーニは、互いに欠けた一部を取り戻したかのように、強く身体を抱き寄せた。


 「パパ、こっち」


 後ろをむいて涙を拭うヴィシャへ呼びかけ、レイネは部屋の地下倉庫へ続く扉を開いて中を見せた。


 「これは……」


 そこにいたのは二人の男達だった。どちらも輝士である。一人はぼろぼろの状態で頑丈に縛り付けられたセレス、怯えた眼でヴィシャを見上げている。もうひとりのほうは気を失っており、眠るように縛られた身体を横たえていた。


 「そっちの気絶してる奴、相当なお偉いさんらしいよ。私を助けてくれたあの男が言ってた、上手く使えって」


 レイネの説明を聞き、ヴィシャはほくそ笑んだ。


 「あのやろう」


 一時は殺意を抱くほどに恨んだシュオウという男を思う。


 ヴィシャはシュオウに利用された。彼は自らの有利を得るため、大勢の人間を危険にまきこんだ。だが、終わってみればどうだったか。

 失ったと思っていた娘達が戻り、そもそもの発端としてヴィシャ自身が巻き込んだ下街の人々は無事なまま日常へ帰り、そして利用価値のある国の重要人物と、女達を無残な死においやってきた殺人者を捕らえ、引き渡してくれたのだ。


 「なんてこった――」


 終わってみれば、多くのことが良い方向へ収まっている。

 恨みを抱くどころか、言葉では言い尽くせないほどの恩を受けたことを知り、ヴィシャ深く溜息をついた。


 「――でかい借りができたな」


 ヴィシャは首をまわし、拳を握って指を鳴らした。


 「おれの大事な娘に傷をつけたのはてめえだな」


 すでの半死半生の状態である男を見下ろし、年季の入った強面で睨みつける。見つめ返されるセレスの瞳は、酷く怯えて揺れていた。


 「死なない程度にしときなよ、一応、証拠なんだからさ……」


 レイネに釘を差され、ヴィシャは素直に頷いた。


 「そういうわけだ、殺さずにたっぷりと痛めつけてやる。安心しろ、商売柄、こういうことには慣れてるからな」


 言って、ヴィシャは巨体から振り上げた拳で、セレスの顔面を強打した。




 *




 一夜のうちに起こった騒乱はすでに沈静化している。


 集った民衆は、傷ひとつ負わぬまま下街へと帰り、対処にあたっていたターフェスタ軍の面々も、それぞれが普段の持ち場へ粛々と戻っている。


 すべてプラチナの指揮によって行われた事だ。

 起こった事の大きさのわりに、事態は不気味なほど穏やかに収束していた。


 が、城の一室、領主たるドストフの住まうそこだけは、未だ嵐の暴風が吹き荒れている。


 「ジェダ・サーペンティアをむざむざ逃し、ムラクモ特使団の逃亡の手助けまでしてのけたッ」


 ドストフは部屋のなかで暴れ狂っていた。

 飾られた調度品や絵画を破壊し、引き抜いた剣で寝床を切り裂き、執務机の上にあるものをすべて床にぶちまける。


 伏して嵐の中心にいるプラチナは、気遣うようにドストフへ声をかけた。


 「殿下、おからだに障ります、どうか……」


 「黙れ! 誰のせいでこうなったと思っているッ、なにも事情を知らないくせに首をつっこんできおって。ジェダ・サーペンティアを望んでいたのはあのヴィシキ様だ! 我らの重要な後ろ盾であるあの方は、ムラクモ人に重傷を負わされる始末。もはや見舞いすらも拒絶された。オトエクルの恩恵なくして、これよりどうして政を行うことができようかッ」


 尚、ドストフは暴れて物を壊し続ける。


 「殿下、私がおります。ワーベリアムの忠誠は常にターフェスタと共に――」


 ドストフはプラチナの傍らに花瓶を投げつけた。割れた破片が身体に降りかかり、プラチナは目を閉じて顔を背ける。


 「よくも言う……あれだけのことをしておいて、まだお前を信じろとぬかすか。ツイブリも私を裏切った、忠臣であると信じていたお前は大衆の前で私を愚弄した。そのうえ、デュフォスを捕らえた反逆の首謀者は私を脅迫してきた。ジェダ・サーペンティアへ濡れ衣を着せ、罠にはめて処刑しようとしたことが外に知られれば、私はまた大恥をかくはめになるッ」


 ドストフを脅迫しているのは騒乱を起こした首謀者ヴィシャである。

 ムラクモの公子を陥れる計画の指揮をとっていたデュフォスの身柄を押さえられたのだ。そのうえ、市街地で発生していた殺人者も掴まれている。これは特に、ターフェスタにとって都合の悪いことだった。人々を無碍に殺めていたのが、彩石を持つ貴族階級にある者だったからである。捜索のための努力を惜しんでいたという事実を内外に知られれば、そのせいで強い不信感を生むのは避けられない。


 名誉に固執し、恥を嫌って他人の目を気にするドストフにとって、それを周知のこととされるのは、なにより耐え難い屈辱であった。


 皮肉にも、ドストフの強い劣等感が、脅迫の効果をより強固なものとする結果となっていたのである。


 「臣下に裏切られ、領民に脅される、姑息で王石もないドストフ・ターフェスタ。情けない私を……皆が嗤う、指をさして我が名を嘲る……」


 ドストフはうずくまり、声をあげて泣き出した。


 「殿下……」


 プラチナは、ドストフへかける言葉を失っていた。


 ドストフは僅かに顔をあげ、さきほど、自身が投げて割れた花瓶によって傷ついた、プラチナの白く綺麗な手を見つめた。


 「おお、お前の身体に傷をつけてしまったな――」


 その一時、ドストフは幼い頃の純粋で、気優しい顔を垣間見せる。


 「――お前はいいな。かつての若く、美しい頃のままだ……」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ドストフは傷ついたプラチナの手に、自身の手を伸ばした。

 プラチナは無意識に、触れそうになった手を引っ込める。


 「あ……」


 引いた手を抱きながら、プラチナは気まずく声を漏らした。


 残された手を震わせながら、ドストフの顔面は怒気を孕んで激しく歪んでいく。爆ぜるように立ち上がり、プラチナを見下ろして叫んだ。


 「こうなれば、力づくで名誉を回復するッ。正々堂々とムラクモに戦を仕掛け、我が武名を世界へ轟かせてやるのだッ」


 蒼白となった顔で、プラチナはドストフを見上げた。


 「お待ち下さいッ、いったいどれほどの血が流れるか――」


 「うるさい、黙れ! これはすべてお前のせいだ。ムラクモは送り込んできた和平の特使に大罪を犯させ、卑しくも逃げおおせた。これはターフェスタの名と名誉を傷つける重大な敵対行為。私は、この横暴に断固として立ち向かう。蛮族との大戦となればリシアはかならず兵を貸す。恥を忍んで、ホランドとの共闘も取り付けてみせよう。必ずや、ムラクモの領土を切り取ってくれる。こうなれば、人質として出していた義弟の命などくれてやってもよいッ」


 プラチナは許しを得る前に立ち上がり、懸命にドストフを諌めた。


 「戦端を開くことは重大事、一時の感情と思いつきで決めてよい事ではありません。ムラクモは強大な国、宣戦布告をすれば、眠れる巨獣を呼び覚ますことになります。国境で起こっていたこれまでの小競合いとは話しが違いますッ」


 ドストフは、しかし一片でも聞く耳をもたなかった。


 「これより他に手段はない――」


 「ドストフ様、なりませんッ」


 強く凝視するプラチナの視線に、いつも弱気をみせて目を背けていたドストフが、この時、一瞬でも目をはずすことなかった。


 「誰か!」


 ドストフの呼びかけに、部屋の外にいた護衛輝士達が現れる。


 「ワーベリアム准将は軍規に背き、重大な背信行為を犯した。よって、その罪により当面の間、拘束室にて謹慎処分とする。ただちに拘束し、部屋のなかに封じるのだ――ワーベリアム准将、これを受けるな?」


 命を受けた輝士らは、戸惑った様子で顔を見合わせた。


 プラチナを睨むドストフの目には、強い怯えの色が伺える。その指示は命令というより、懇願に近かった。


 「御命令に従います」


 言って、プラチナは輝士達に頷きかけ、おとなしく縛についた。




 *




 ムラクモに存在する四の燦光石の一つ、蛇紋石の主が居を構える地、サーペンティアは雨に濡れていた。


 数えきれないほど、木々の葉を打つ雨音で、世界は閉ざされている。


 サーペンティア家当主の子息ジェダは、両脇に支えの杖を当て、よろける身体をどうにか支えながら、父オルゴアの住まう邸を訪れていた。


 雨に濡れながらの訪問に、しかし直前で門番に静止を促される。


 「これより先には進めません」


 そう言って止めたのはジェダも顔を知る門番だった。


 「遠征からの帰還だ。いつも通り父への報告のためにきた。まさか、僕を忘れたとは言わないだろうな」


 門番は苦しげな顔をみせ、


 「若様……申し訳ございません、ご当主様はご体調が優れず、お会いになれません。指示あるまで例の場所にて待機せよ、と。そうお伝えするよう仰せつかっております」


 ジェダは嘆息し、先にそびえ立つ大きな邸を見上げる。


 遠雷が鳴り、空はより暗さを増した。


 ふと、眺める邸の窓辺にひとが立っているような気がした。


 遠く、距離があり確かなことはわからない。が、漠然とした予感があった。


 「父上ッ、ジェダです、ただいま戻りました」


 片方の杖を捨て、ジェダは邸に向けて手を振ってそう声をあげた。

 声が届くはずもない。が、ジェダはひとり、父に向かって話しかける。


 「帰ってきてしまいました。ご希望に添えず、申し訳ありません」


 遠く、邸にある一点の窓を見つめるジェダの瞳に、曇はない。


 「わかっています、あなたは僕が恐いのでしょう。一度捨てた子が、生きて戻ってきた。どんな顔をして会えばいいかわからない。恨まれているのだろうかと不安でたまらない。あなたは弱い人だ、愛と現実を天秤にかけ、最後に、かならず現実に屈してしまう」


 ジェダの脳裏に、もう霧のように朧気な記憶となった、無事であった頃の母の姿が思い浮かぶ。


 強大な力を持っていても、大勢を従える権力を持っていても、オルゴア・サーペンティアは、常識やしきたりの前に膝を折った敗北者だ。


 いつも背を丸め、卑屈に他人の顔色を窺って生きているオルゴアの姿を思い出す。


 「ご安心ください、父上を恨んではいません。あなたに捨てられたおかげで、僕は夢を見ました――」


 あの光景が、いまもまだはっきりと記憶に残っている。

 銀世界を背負い、大勢のひざまずく輝士達に囲まれ、広場に集う民衆の熱い視線を受けながら、堂々たる姿で一人佇むその姿が。


 ――見誤っていた。


 シュオウという一個の人間をだ。


 彼は優れた武芸で生まれの壁を超え、人々を魅了する。

 強大な怪物をも打ち倒し、一国を相手に大立ち回りを演じる様に、英雄の気配を感じていた。だが……


 ――あれは、英雄なんかじゃない。


 自らの思いを叶えるためだけに、あれだけの人間を動かしてみせた。

 あの時、見上げた先にあった光景は、まさに、ある一人の男が成した、なにより傲慢な所業の結末だったのだ。


 英雄とは他者の理想を叶える存在だ。それはときに、声援を贈る者達にとっての都合の良い存在と成り下がる。


 シュオウという人間が、あれほどのわがままを通す男が、そんな小奇麗な所に収まるとは思えない。


 はじめから器が違うのだ。

 我を押し通し、他者の理念を捻じ曲げ、自らの願望と理想で世界を塗りつぶす存在。


 それは父、オルゴアのような人間とは対極の存在である。


 想う心を真のこととして実現させる圧倒的な力と運を持つ者。


 ――あれは、覇者の卵だ。


 この先、シュオウがその殻を狭いと思った時、彼はかならず殻を破って外へ出るだろう。その時、手足となってその意を汲む者が必要となる。


 「面白いとは思いませんか、父上。この世界に食い込んで消えない境界線を、消してしまう者がいたとしたら……そうしたらきっと、僕やジュナのような思いをする人間は――」


 雨の雫に濡れる輝石を見て、ジェダは愛する姉のことを想った。


 運命は定まらず、未来に決まったことなど、ない。


 決意を胸に、邸に背を向け歩き出す。

 心を占めるのは、ここより先に想像し、創造する未知の世界への探求である。ジェダは痛みも忘れ、拳を強く握りしめた。


 ――僕が彼の剣になる。


 ぎこちなくとも、その一歩は、たしかにここから始まった。

 前を見るジェダの顔に、もう、色を失った微笑はない。


 懐にある壊れた土産物が、かちゃりと、小さく音を立てた。














物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。

外交編、完結です。

あとがきと今後の予定は、長くなるので活動報告に残します。

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― 新着の感想 ―
最高だった。 読んでいると敵味方関係なくどのキャラクターも好きになる。
もう良すぎる!最高!全員がいい意味で人間臭くて魅力的
[良い点] フクロウとジェダがシュオウの持つものを知り真の仲間になるまで、そしてその内心を余す所なく書き切っていて非常に胸が熱くなりました。シュオウの下にこれまでの仲間たちが集う時が来るのが楽しみです…
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