深意の攻略戦
XII 深意の攻略戦
1
吸い込んだ空気は全身を巡り、緊張に凝り固まった筋骨を解きほぐした。
手足を広げて横たわる。
すぐ側で完全に意識を失っているセレスを見て、シュオウは溜めた息をゆっくりと吐き出した。
――強かった。
セレスはやはり強敵だった。加減をしながら戦ってよい相手ではなかった。良い勝負だった、と相手を称える気にはならない。まだ肝心な部分で、なにも解決していないのだ。
左手を天井へ突き上げる。
肩に刻まれた切り傷が焼けるように痛みを伴った。
それよりも、今はなにより気にしなければならない事がある。
命の石とも呼ばれる輝石には、大きくひび割れができていた。これは晶気の刃を受け止めた結果の事、生身に受けた傷よりも、よほど深刻な被害である。
――なんともない。
これほどの傷を輝石にあたえれば、命核は壊れ、人体は間違いなく昇天する。シュオウはそれを見たこと、実際に経験したことでも理解していた。
戦いの最中、勝ちを確信したセレスが大いに油断を見せたのも当然のこと。これは異常なことだ。
「ご無事ですかッ」
回廊にひとの声が響いた。
起き上がり、後ろを振り返ると、息を切らせたフクロウの姿があった。
「大丈夫だ、とりあえずは、な」
フクロウは荒い呼吸を懸命に整えながら、
「……安心しました、倒れているように見えたので、なにかあったかと」
真剣にシュオウの身を案じているフクロウに、どこかこそばゆさを感じながらも、彼に頼んだアイセ達の事が気になった。
「案内を頼んだ皆は……どうなった」
「地上へ上がるまでは見届けました。冬華のカデン様がおりましたので、その後の案内は問題ないと判断し、場所だけ伝えて、引き返しました。心配でしたので」
報告を聞いて胸をなでおろす。市街地はヴィシャが起こす騒動のため、混乱に包まれているはず。夜の闇も手伝い、紛れて行動するのに苦労はないだろう。
シュオウはフクロウを見つめ、
「助かった」
「いえ、この程度のこと――」
フクロウはシュオウの受けた身体の傷に気づき、顔色を変える。
「――お怪我を……すぐ処置をします」
フクロウは歩み寄り、屈んで腰にまいた薄布を抜き、ほどよい大きさに噛み切って、シュオウの肩の傷に当てる。そして、何かに気づき動きを止めた。
「な……そんな――」
フクロウは恐る恐るシュオウの左手を掴み、割れた輝石の状態を確かめる。
「守るために咄嗟に盾にした」
フクロウの手が震えを帯びていく。
大きな目を血走らせ、顎を歪ませ、額から大粒の汗をこぼした。
「石が、壊れている……これほど大きくひび割れて、なぜ何事もなくいられるのか……」
「さあな、よくわからない」
シュオウはどこか他人事のように言う。が、それ以上の感想が出てこないのも事実なのだ。フクロウの動揺は極自然の反応だった。シュオウにとっても、自身に起きた事を、未だにはっきりと飲み込めていない。
「奇跡的に命核が無事だった、ということなのでしょうか。とにかく、これは一刻も早く医者に見せるべきです。そのことに意味があるかどうかもわかりませんが」
フクロウは震える手で、なにもしないよりは、と言って薄布を何重にもして巻き出した。
包帯に包まれた左手を見つめ、シュオウはおもむろに立ち上がる。
「今はこれの事を気にしている余裕がない。とにかく身体は無事なままなんだ、それがわかっていれば十分だ」
懐に閉まってあった封じの手袋を取り出し、横たわるセレスの左手にはめる。
「セレス・サガン……生きているのですか」
シュオウは頷き、
「こいつを拘束して、もうひとりの子供の居場所を聞き出す」
フクロウの手伝いを得て、セレスを彼自身が持っていた頑丈な捕縛縄で拘束する。
シュオウは改めて回廊全体を見渡し、首を落として横たわるデュフォスに注目した。
その首に指を当てると、たしかな脈を感じた。
「生きている」
セレスの腕ならば、不意をついたあの状況で、ハゲワシにしたように、デュフォスを殺めるのは簡単だったはず。そのデュフォスが無事であるということは、セレスがあえてそうしたということになる。
フクロウがデュフォスの顔を覗き込み、深刻な表情で顎を撫でた。
「間違いなく、冬華長のデュフォス様。私からすれば、閣下と呼称しなければならないお方です。このような場所に自ら乗り込まれるとは」
シュオウはハゲワシの躯から血に濡れた捕縛縄をとり、デュフォスを縛り付けていく。
「そのせいでこうなった。口先だけで多くの人間を動かせる者が、直接自分から任務に同行した。それだけ、目撃者になったヴィシャの娘の存在が脅威だったんだ」
今回の件に巻き込まれた少女達を想う。一方ではデュフォスの企みに遭遇し、また一方で街の人々を恐怖させていた殺人鬼の犯行現場に居合わせた。これまで見聞きしてきた状況から判断して、彼女達があの夜に経験した事は、そういうことなのだろうと予測できる。
同じことを思ったのか、フクロウが苦くこぼす。
「まったく、不運な娘達です」
シュオウは気絶したセレスを見て、
「まだ運は尽きていない」
フクロウは強く頷いた。
「はい」
シュオウは周囲を見渡し、
「こいつを起こす前に、仕留めた他の者達を拘束する」
その言葉に、フクロウが勢い良く飛び出した。
「お手伝いします」
*
シュオウに圧倒され、倒された猛禽の姿は凄絶だった。
ある者は腕があらぬ方向へ折れ曲がり、ある者は足の骨を踏み折られ、やはりあってはならない方向に歪んでいる。ある意味、こうした姿は刃物で切りつけられた傷よりも、よほど痛々しく目に映る。
そしてシュオウという男が秘め、滲ませていた圧倒的な自信の正体を知る。彩石の力もなく、これほどの事を成せるのだ。
地下を脱出するムラクモの女輝士達が、彩石を持たない彼の言葉を守り、援護のために残らなかったことも含め、どれほど仲間から信頼されているのかを、よく示している。
意識のないかつての仲間たちを前に、フクロウは無意識に大きく溜息を吐いていた。
「いい気分はしないだろう」
背後から聞こえたシュオウの言葉に、フクロウは首を横に振る。
「誤解をしないでいただきたい。仲間だったとはいえ、我々猛禽は傷を舐め合うような、やわな群れではなかった。荒事にまつわる任務も多く、普段から皆覚悟のうえで役割を果たしていました。私はただ、目の前の光景を見て、自分の身にこれが起こらなかった事にほっとしていたのです。そしてこう思った、我が身を褒めたい、と」
猛禽達の身体を拘束しながら、フクロウはそう語った。
背後から、訝るシュオウの声が返る。
「どういう意味だ?」
「自賛、です。あのとき、あなたに逆らわなかった自分の判断は、間違っていなかった。軟弱だと思われようとも、命は無事であってこそ意味があると思います」
シュオウからの返事はなかった。
黙々と倒された者達の生存をたしかめながらの作業を続けていく。シュオウはあの混乱のなか、的確に標的を生かしたまま、行動力を奪っていた。が、ひとりだけ、命を失った猛禽の隊員がいた。
シュオウはその男の前に立ち、静かに亡骸を見つめていた。
その男は胸を鋭く穿たれていた。心臓を貫かれ、即死であったとわかる。
続く沈黙に、シュオウの顔色は険しさを増していく。
「この男を知っています」
沈黙を破ったフクロウの言に、シュオウは重く鼻息を落とす。
「知り合いか」
フクロウは首肯し、
「文字を好み、小さな動物が好きで、西方の茶や、東方の甘い粥料理を美味しそうに食べていました。およそ、こうした場には似つかわしくない人間であったと思います」
フクロウは瞼を落とし、祈りの言葉を心中で唱えた。
シュオウに言った事とは裏腹に、罪悪感は時を刻むごとに重さを増していく。
――代償、であるか。
裏切りには常に負の要素がつきまとう。それにより、より良い未来を掴んだとしても、行いは決して消えることはない。
「選べなかったんだな」
なにげなくそっと、シュオウが零した一言。フクロウはそれが真髄を突いていると思った。
「生まれに傷を持つ者達、猛禽の場合、その理由の多くは見た目です。国の名を背負う輝士に相応しくないと判断され、家にも見放された者は、生きるため職につかねばならない。受け入れてもらえる場所はかぎられる。生まれながらに華やかな道を行く方々には理解されないでしょう。我々にも、自負や夢があることなど。虐げられる者の気持ちは、同じような目に遭うまで、理解できるものではありません。私もきっと、美しく生まれていれば、猛禽を見下し嘲笑っていたかもしれない」
人格は受けた傷によって形が生まれる。傷の数が多いほど、その形はより鮮明に、凹凸を成して彩られていく。
思う心に浮かぶ言葉は、すべてこれまでの経験によって培われてきたものだ。
敵である者の死を前に、悲しみとも怒りともとれないような、複雑な表情を見せるシュオウという男について、まだわからない事が多い。
一般的な常識に照らし合わせても、彼の強靭さは尋常ではない。晶気を操る複数の戦士を相手に、それらを力でねじ伏せたのだ。
あのハゲワシを簡単に殺めたセレス・サガンとも、対決の末に勝利を収めている。
この若さで、これほどの武芸の才を持ちながら、しかし驕った様子もなく、歴戦の勇士のように落ち着いている。かと思えば、ふとした瞬間に見せる表情や仕草が、妙に幼くみえる瞬間もあった。
フクロウはシュオウが歩んできた人生の足跡を思い、一時の想像を巡らせた。
顔を上げ、シュオウは言う。
「前に進もう」
支度は整った。
意識を落としたセレスを見て、フクロウはしっかりと頷きを返した。
2
セレスの顔面に、叩きつけるように冷水を浴びせた。
「目を覚ませ、セレス・サガン――」
地をこするように重く呼びかけると、セレスは身体をよじらせ、薄く目を開けた。
「――続きを始めるぞ」
じっとりと揺れるセレスの瞳がシュオウを見上げた。
「僕は……負けたん、だな」
両手足を縛られ、封じの手袋をはめられたセレスは、完全にその身の自由を奪われた状態にある。
セレスの上にまたがるように立ち、強く凝視した。
「子供の居場所を教えろ」
問われ、セレスは目を泳がせる。
「殺せ……」
その一言を返し、シュオウの視線から逃れるように顔を背ける。
シュオウはセレスの髪を掴み、痛みを伴う強さで持ち上げた。
「残された誠意があると期待して静かに聞いている。もう一度言う、子供の居場所を教えろ」
折れた歯を覗かせながら、セレスは奥歯を食いしばって頭を振った。
「嫌だッ」
シュオウは眉根を寄せて、
「……そうか」
薄布で巻かれた左手をセレスの右手へ回し、小指を握って逆方向へ折り曲げる。
水の流れる音だけが聞こえる廃教会に、セレスの悲鳴が響き渡った。
痛みに悶えながら、しかしセレスは笑みを浮かべ、暗い目でシュオウを見上げる。
「はは……好きなだけやればいい、痛みならもうずっと受けてきた。これまでの恥辱の人生を思えば、この程度のこと、つまづいて転んだ程度の苦しみもないんだ。どんなことでもすればいい、そして痛めつけるのに飽きたなら、その時はどんな方法でもかまわない、殺してくれ」
微笑みを浮かべながら語り、涙をにじませる。濁った泥水のように暗いセレスの目は、もはや現実を捉えていない。
要求の通り、シュオウは隣の指も掴み折った。
「そんなに死にたいなら……子供の、レイネの居場所を言ってからにしろ、簡単なことだッ」
折った指を更に捻り、肉体に感じる苦痛をさらに上乗せする。
その度セレスは苦しそうに悲痛なうめき声を漏らす。が、まるで心を屈した様子をみせない。
「嫌だと言ったら嫌なんだッ、言うつもりはない。あの娘は僕への最後の手向けだ。道連れに死んでやる、僕に勝ったことを後悔しろッ」
痛みを受けた者の多くが見せる恐怖という感情が、セレスにはない。痛みを与えても、あるのは身体に予め備わった反応が返ってくるだけ、セレスの心に恐怖は生じない。それはすなわち、彼の心身の状態が一致していないことを示している。
シュオウは歯噛みした。この男は死を恐れていない。それどころか、望んでいる節さえある。
望む答えを得るため、心から屈服させねばならない。解を得るための鍵が必要だ。が、それは簡単なことではない。現状、向かい合う相手は、シュオウの知る痛みという、扉を開くために最も適した鍵が意味を成さないのだ。
鍵穴も鍵も、その在処すらわからない。
不快だった。
セレス・サガンという人間を知るためには、対話をしなければならない。その行為そのものに、シュオウは強い忌避を感じていた。
シュオウはセレスの身体に馬乗りになり、威圧するように低く喉を鳴らす。
「どうして女たちを殺した」
その問いに、セレスの虚ろな瞳が、再び現世へ戻った。
「弱いからだ。やつらは弱くて醜い下賤な生き物だ」
薄笑いを浮かべて言うセレスの言葉を聞き、全身を巡る血が熱を帯びていく。
シュオウは右の拳を握り、セレスの顔面を殴りつける。与えた痛み以上に、怪我を負った手に痛みが返った。
「お前がしたことを見た、あんな惨い方法で、ただ日々を平穏に過ごしていた人間を殺した理由がそれかッ」
「なにが悪い……僕は貴族家に生まれた、強者として生を受けた。やつらは弱い、弱い者は強い者に食われる運命だ。あんなやつら、どうなったって、この世界にはなんの影響もないんだ」
「強者が弱者を好きにしていいというなら、お前も俺に従えッ」
「嫌だッ、僕は弱者じゃない!」
投げやりだったセレスの態度が、次第に温度を上げていく。
「お前は俺に負けた。認めろ、食われる運命なんだろう、敗北を受け入れろ、俺の前にひれ伏せ! 認めろ、自分が弱者だと、敗北者だと」
怒鳴りながら顔面に無数の拳を浴びせる。目や頬は次第に腫れ上がり、元の顔の形がわからなくなるほど、セレスの顔は歪んでいく。
膨れた皮膚の奥で、セレスは尚も抵抗の意思を絶やさない。
「騙したくせに……口先で惑わせて得た勝利だろう。もう一度戦えば、僕が勝つ。お前は運が良かっただけだ。僕は天才だ、弱者なんかじゃない、凄い力を持って生まれたんだ、なのに――」
目の奥に溜まった涙が、流れる星のように落ちていく。
「――神は僕に力を与えておきながら、誇れる母を与えてはくれなかった」
セレスの目に、どこか縋るような粘り気が生じた。
口元だけで笑みを浮かべながら、
「自分を生かすためにやったんだ。傷ついた心を慰めるための贄が必要だったんだ、僕はただ生きたかっただけなんだ」
セレスが漏らす思考の一端を聞きながら、熱くたぎった血の温度は、冷めて色を失っていく。
朽ちた果てに、この世界に黒いシミだけを残して死んでいった子供の、あの光景が頭に浮かんだ。幾度となく振り払おうとしても、脳裏にこびりついたあの時の記憶が、繰り返し頭のなかで映し出される。
左右の別なく、拳がセレスを繰り返し殴りつける。
「お前は見なかったのか、自分のしたことの結末を――」
語りかけはすでに独白に等しかった。
「――お前がしたことを、俺には責める口がない。同じようなことをしてきた、俺はすでに大勢のひとの死に関わった」
心を占めるのは、怒りではなく苛立ち、そして不安だった。
セレスの顔を打ちながら、シュオウの目から涙が零れ落ちていく。それが殺された者達への憐憫の情からくるものか、怪我を負った右手を痛めつけているせいか、わからない。
「わかっていても、見たくなかった。死は一度で終わらない、命は繋がっているんだ――」
溢れる言葉が、終わりのない濁流のように流れ出る。
自らの言葉は空気を伝って耳へと帰り、その繰り返しのなかで、セレスと対することで生まれる負の感情の根を自覚していく。
「――俺もあの光景を生み出したかもしれない。それでもしたことを後悔していない自分に腹が立つ、俺は傲慢な人間だ、自分だけの心で、正しいと思うことを他人に押し付けてここまできた、お前と同じ人間だ。お前を見ていると気分が悪くなる、無理やり鏡を見せられているような心地がする。俺とお前が違うとすればただひとつ、勝ったか負けたか、その差でしかないッ」
繰り返し強打を浴びるセレスの顔は、もはや原型を保っていない。
膨れた肉の奥から覗く目が、強く睨めつけるシュオウの眼と交差する。そこにはっきりと、怯えが浮かんだ。
「よくも俺に、あんなものを見せたな――」
頭上より高く振り上げた左の拳を掴む手があった。物陰に身を潜めていたフクロウだった。
「鎮めてください、ご自分の身体の状態を忘れないでいただきたい」
静かに、セレスが嗚咽を漏らす。
「頼む、殺してくれ……もう生きていたくない、全部終わったんだ、僕は終わったんだ……」
シュオウはフクロウの手を振り払い、セレスの首を掴み強く握る。
「終わってない、レイネの居場所を言うまで望みは叶えない」
また、セレスは縋るようにシュオウを見た。
「無理なんだ、言えないんだ……あの娘を生きたまま返す気なんてなかった。全部話してしまった、生まれてからこれまで、抱えてきた悩みも苦しみも、恥辱もすべてを聞かせてしまった。生きて返せば皆に知られる……僕は恥に殺される……そんなのは嫌だ」
泣きじゃくる子供のように、セレスは顔を歪めた。
「……そうか」
シュオウは立ち上がり、セレスの髪を掴んで、排水溝へ頭を落とし、角に後ろ首を当てた。
水の中から上がる青い光の柱に影が落ちる。
「なにを……」
戸惑うセレスへ、シュオウは冷酷に告げる。
「首の骨をずらす――」
一瞬、ほっとしたような気配を、セレスは漂わせた。
「――勘違いするな、命は奪わない」
シュオウはセレスの胸を片足で押さえ、一方の足を頭の上で上げた。
「人間の身体には動作を生み出すための流れがある。その源流が絶たれれば、首から下は指一本でも自由に動かすことができなくなる」
セレスが喉を鳴らした。呼吸は荒くなり、シュオウの動向を気にして必死に目で追っている。はっきりと、セレスは恐怖の感情の一端を露わにした。
「……やればいい、どっちにしても抵抗できないんだから、今と何も変わらないんだ」
シュオウは冷笑を浮かべた。
「そんなに簡単な話じゃない。身体の自由を奪ったあと、全裸にして、これで全身の皮を剥ぐ」
シュオウは猛禽の持ち物であった短剣を取り、刃に青い光を当てた。
セレスはまた、喉を鳴らした。
「そんな、こと……」
「血が流れれば焼いて止める。そうしているうちに、お前は生きたまま醜い姿になる。身体の自由がきかない醜いお前を地上へ連れていく。上にはいま大勢の人間たちがいる。彼らの前に連れ出し、お前がしてきたことを教えれば、あとは彼らが――」
言葉の途中で、セレスがこれまでになく強く身体をよじった。
「いやだッ! やめろッ、そんな……汚らわしい死を、貴族に与えていいはずがないッ」
セレスのシュオウを見る目に、媚びを含む強い懇願の気配が浮かぶ。それはたしかな手応えだった。
――見つけた。
セレスの弱み、それは恥だ。恥は他人という存在があって生じる感情。拷問されようと、死の淵に立とうとも恐怖しなかった男が、敗北者となった姿を、大衆の前で晒し者にされることに、心底怯えている。
セレスは半狂乱となり、必死に拘束から逃れようと暴れだした。シュオウはその身体を強く踏みつけ、決して逃さない。
「想像しろ、無様な自分の姿を嗤う人々の姿を。醜い姿になって、身動きひとつできない様を、人々に記憶される自分を」
セレスの血走った眼に炎が灯った。血の混じった唾液を零しながら、狂ったように頭を振る。
「いますぐ殺せ! 僕を殺せえッ、慈悲をくれ、頼む、これ以上の恥辱には耐えられないッ」
「強者は弱者になにをしてもいい。これがお前の選んだ世界だろう」
セレスの身動きが、時を止めたように静まった。
シュオウはセレスの頭に足を乗せ、繰り返してきた質問を再び投げる。
「さらった子供の居場所を教えろ」
傷だらけの唇を震わせて、セレスは大きく喉を鳴らした。
「…………言う、教える――」
セレスは、レイネを監禁した場所の詳細を語りだした。
フクロウに頼り、彼の顔を見ると、たしかな頷きが返ってくる。
シュオウはセレスの身体を引き、排水溝から頭をはずした。
あからさまに、ほっとしてセレスが溜息を吐いた。
「全部……教えた……もういいだろう……ひとおもいに……」
「まだだ」
言って、シュオウはセレスの顎を踏み抜いた。そのまま意識は絶え、身体の力が抜けていく。
背後に立つフクロウが声を張った。
「向かいますか」
シュオウは頷き、
「本当のことを言ったかわからない。この男も連れていく」
セレスを担ごうとしたシュオウを、フクロウが止めた。
「そのお体には障ります。私が――」
フクロウは言葉を止め、突然にあらぬ方を見つめた。視線の先を追うと、気絶していたはずのデュフォスが、目を開き、怯えたような顔でこちらを見ていた。
――気がついたのか。
短剣を持ったままシュオウが近づくと、デュフォスは震えて頭を落とし、足を泳がせた。
「た、たのむ、要求はなんでも聞く、だから――」
デュフォスの目に映るのはシュオウの握る短剣だった。
「いつから起きていた」
「そ、その男の叫び声で……」
「なら聞いていたな、この男が街で女たちを殺していた殺人者だ」
短剣の刃を見せながら、シュオウはそう語り聞かせた。
デュフォスは止めどなく頷く。
「なぜ探そうとしなかった」
「こ、殺しの手口を見た時から、わかっていた、犯人が我々の側の人間であると。知りたくなかった、もし立場ある者や、その身内がしているのだとしたら、ターフェスタの名に傷がつく、大公殿下のお立場にも悪影響が及ぶ」
自分の置かれている状況が理解できないまま、目の前の恐怖に支配されたデュフォスは、馬鹿正直にそう答えた。
この男は、止まない凶行を止めようともせず、愚かな冤罪を創り出し、ジェダに着せることに奔走していた。その企みに生じた綻びを正すため、こうしていまここにいる。
「この事に使えた努力を、少しでも別のことに使っていれば――」
シュオウは短剣を振り上げた。
「やめろッ――」
目を閉じて顔を背けるデュフォスの顔面を、短剣の柄で強打する。頭を揺らしたデュフォスは再び意識を失い、首を下げた。
*
暗い部屋へ入り、明かりを灯す。
湿気の多い、殺風景な部屋だった。
棚に置かれた女の指がある。持ち上げてみると、饐えた臭いが漂った。凶行の果てのもう一つの結末がここにある。いくつの指を置いてきたのか、黒く変色した血の痕は、古いものから新しいものへ、幾重にも折り重なって、醜い波紋に似た模様を成していた。
セレスの言葉通り、床下に通じる扉を開く。
そこにいた者の姿を見て、シュオウの強張った肩の力が抜けた。
――よかった。
少女はいた。
顔を激しく打たれ、痛々しい傷を負ってはいるが、それでも、立って震える自らの身体を必死に抱き寄せ、荒く呼吸を繰り返している。彼女の行いのすべてが、生者であることを示していた。
シュオウは床下に飛び降り、少女に歩み寄る。
見知らぬ男の登場に、少女は怯えた様子で後ずさった。
「レイネ、だな」
名を呼ぶと、少女は驚いたように目を開く。
「なんで……」
「ヴィシャに……お父さんに頼まれて捜していた――」
言って、そっと手の平を差し出した。
「――よくがんばったな」
レイネは全身を震わせ、大粒の涙をこぼし、シュオウの手を飛び越して、胸の中に飛び込んだ。
泣きじゃくる少女を抱き寄せ、そっと背中に手を当てる。布越しでも伝わる小さな身体の熱が、今はなにより愛おしかった。