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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
56/184

白緑の強者

     XI 白緑の強者






 1




 古道を揺らす爆音が轟いた。

 異常を察してシュオウはその場に足を止める。


 地面が揺れ、頭上から石塊が落ちてくる。


 「ぐッ……」


 帯同するフクロウが片耳を押さえて苦しそうに喘いだ。


 「大丈夫か?」


 「問題、ありません、音に驚いただけです。爆音が鳴る直前、微かに若い女達の声が聞こえました。子供の声ではありません」


 逡巡は一瞬、シュオウは決断する。


 「声のした地点へ行く」


 フクロウは頷いた。

 「すぐ先です、爆音の発信源と同地点と思われます」


 フクロウの案内通りに音の発生地点へ向かう。

 女の声という報告に、一抹の不安がよぎった。


 ――アイセ、シトリ。


 未だ居場所のわからない彼女たちではないか。だとすれば、さきほどのただならぬ爆音は、二人が異常事態に置かれている可能性を示唆している。


 前方の道に分厚い土煙がかかっていた。


 足を止めず、疾走を続ける。

 フクロウの晶気を用いた報告が耳に届いた。


 「煙の中、前方に多数の気配――」


 「飛び込むぞ」


 シュオウは前のめりに土煙のなかへ侵入する。


 「援護します」


 霧のような土煙が漂う暗い空間に、鈍い青の光を受けて短剣を振り上げる猛禽の背が見える。その先に、為す術無くその身を晒しているアイセがいた。


 シュオウは背後から猛禽の手首を取り、肘を折り曲げ、腕全体を背へ捻り上げた。痛みから逃げようと自然と膝を折り、頭を垂れる。手首を持ったまま、顎を踏み抜いて意識を奪った。


 アイセの無事を確かめ、シュオウはすぐに次の標的へ意識を移す。


 「まだいるな」


 すぐにフクロウの声が耳に届いた。


 「左方奥に二人、距離およそ十五歩」


 指示通り、敵のいる地点へ駆け出す。青い光の柱をあげる排水溝をまたぎ、距離を詰めると、すぐに二人の猛禽達の姿が見えた。


 前にいた一人が先にシュオウに気づく。すぐさま徒手を振りかぶった。


 ――晶気。


 走る速度をゆるめ、すべての動作を鈍くする。


 シュオウの動きをみて怯えととり、勝機とみた猛禽の目が光を帯びた。


 緑色に発光する指先が空を斬ると、三日月状の小さな風刃が放たれた。ゆるやかに、そして寸分の狂いもなく、シュオウは上半身のひねりだけでそれを躱す。猛禽の顔に驚きと恐怖の色が浮かぶ。


 予想外の驚きは大いに隙を呼ぶ。


 不安を含む感情の色を対峙する相手に悟られた時点で、この対戦相手は自ら練度の低さを晒したようなものだ。


 シュオウは速攻をかけ、猛禽の腕をとり、首を押さえて近くの柱に頭を打ち付ける。直後にだらりと腕を垂らし、身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


 一人を処理するのに要したのは数秒の事。その間に、もう一人はすでに晶気を用意して臨戦態勢を整えていた。が、突然両手で耳を抑え、悲鳴をあげた。その隙を活かし、背後にまわって首を絞めて意識を奪う。失神した猛禽の片足に蹴りを落とし、膝の骨を折った。


 「今のが援護か」


 「僭越ながら――」


 応じたフクロウの声は変わらず緊張を孕んでいる。


 「――警戒継続を、前に一、奥に二。向かってきます――」


 シュオウは身を屈め、姿を隠した。


 土煙を抜け、両手に短剣を握った猛禽が現れる。剣の刃が青黒い光を帯び、虫の羽音に似た振動音を響かせていた。


 猛禽はすぐ足元にいるシュオウに気づいていない。標的を見失った相手を狩るのは至極簡単だった。手首をとり、足を払って背中から身体を乗せて体重をかけ、倒す。力をかけるまでもなく、自然と身体は壊れる。猛禽は気絶して唾液を零した。


 霧のように舞っていた土煙は徐々に落ち着き、視界は晴れつつある。


 残された二人の猛禽はフクロウに聞くまでもなく視認できた。


 左右に並んで陣取る二人の猛禽が、同時に晶気を構築する。


 獲物へ向けて疾走する狼の如く、シュオウは身を屈めて駆けた。一方の足をすばやく取って骨を折り、もう一人へ左手を伸ばす。


 最後に残された猛禽は両手の内に鋭利な風の晶気を完成させていた。形状は獣の爪、殺傷能力の高さが一目でわかる。


 ――とどかない。


 決定打を与えるための一歩が足りない。シュオウの眼に映る緩やかな世界は、攻撃の到達時間で、相手が勝っている事を知らせている。


 左手を止め、より距離の近い右手を出した。下から縫込みを入れるように手を入れ、猛禽の肘の上を掴む。掌握する力は平常時の半分にも満たなかった。が、生じた隙を活かし、どうにか左手を伸ばして掴み直す。直後に致命傷を与えた。勝利の引き換えに、右手に激痛が走る。


 猛禽は構築した晶気を失い、悲鳴をあげながら転げ回った。

 シュオウは未だ意識の残る二人の頭を踏み抜いて意識を奪う。


 周囲の景色が見渡せるほど視界は正常さを取り戻していた。


 中央の中庭で、井戸を挟んだ奥にアイセ、シトリ、それに見覚えのない少女がいる。その少女を守るように抱えている男を見て驚いた。彼はシュオウが逃走に利用し、服まで奪った相手だったからだ。


 「シュオウッ」


 シトリが叫び、花が咲いたような笑みを見せる。同時に立ち上がったアイセ共々、一斉にシュオウへ駆け寄ろうとした。


 シュオウは厳しい表情を崩さぬまま、手を突き出して二人の足を止める。


 「まだ綱渡りの最中だッ」


 緊張した状態のまま、怒鳴るように声を上げたシュオウに気圧され、二人は一瞬怯えたように肩を竦ませる。


 くたびれきった様子のシトリと、体中に浅い傷を受けたアイセを見る。見た目には無傷である子供の姿を確認して、シュオウは僅かに表情の緊張を解いた。経緯はわからずとも、彼女達は命がけで子供の命を守ったのだろう。


 二人それぞれに目を合わせ、シュオウは告げた。

 「二人とも、よくやった」


 アイセとシトリは互いに視線を合わせ、ほっとしたように軽く笑みを浮かべる。


 ナトロが抱える少女と目を合わせる。状況から判断して、間違いなく行方不明であるヴィシャの娘。歳の頃からして妹のほうだろう。 


 シュオウは問う。

 「ユーニか?」


 少女は赤く泣きはらした目を見開き、小さく頷いた。


 「お父さんに頼まれて探しにきた。もう一人は、レイネはどうした」


 おどおどとして明瞭な答えを返さないユーニに代わり、アイセが懐から黒い手袋を取り出した。


 「この子の姉を連れ去った者が身につけていた物だ。いま襲ってきた猛禽という部隊の正装で、個人を識別できるらしい。彼らの狙いは、もしかしたらこの子と、この手袋かもしれない」


 アイセは手袋を投げてシュオウへ渡した。

 シュオウは手袋に縫い付けられた鳥の刺繍を見た。


 「その手袋には猛禽類の絵柄が縫い付けてある。持ち主は、街でひとをバラバラにして殺している殺人者だ。はやく連れ去られた子を見つけないとッ」


 アイセは必死に訴えた。


 「これが、あの……」


 やはり、レイネはあの女が殺された現場に居合わせていたのだ。


 耳元にフクロウの困惑した声が漏れて届く。

 「まさか、猛禽のなかにあの殺人者が、絵柄は……しまった――」


 音だけで聞こえるフクロウの声が、困惑から一転して緊迫する。


 「――注意をッ、後方に複数人がいます、戦いに意識を取られ、気づくのが遅れました」


 振り返って身構える。奥からゆっくりと現れた人物は、敵意もなく呆然と佇んだまま、声をかけてきた。


 「いまの話は本当なのか……」


 体格が良く、禿頭で顔面に大きな傷をつけた男だった。


 「ハゲワシ、猛禽の部隊長です」

 耳元でフクロウが告げた。


 シュオウはハゲワシへ話しかける。


 「お前たちの目当てはなんだ。この子の命を狙っているのか、それとも仲間が犯してきた罪を証明するこの証拠か」


 ハゲワシはナトロが抱える少女を見て、納得がいかぬという風に顔を顰める。


 「手袋を……それをこっちに寄越せ」


 「断る、証拠になる大切な物だ」


 「なら絵柄だけでいい、見えるようにこっちに……ちに……に……に……」


 ハゲワシは不自然に言葉を止めた。視線が定まらなくなり、口を何度も開閉して、声にならないうめき声を漏らす。


 ハゲワシの背後から、何かが飛び込んできた。

 それは赤い輝士服を纏った男だった。まるで弾き飛ばされように身体が転がり、柱にその身を打ち付けてだらりと首を下げる。割れた眼鏡の奥からだらりと血をこぼした。


 その男の顔には覚えがあった。ターフェスタ公国軍親衛隊の長、ウィゼ・デュフォスだ。


 意識のないデュフォスの姿に、ナトロが困惑した様子でその名を呼ぶ。

 「デュフォス、隊長……?」


 事態を飲み込めず、シュオウはじりと後ずさる。


 ゆっくりと首を後ろへ回すハゲワシの上半身が、肩から腰にかけ、斜めにずれた。肉の隙間から血が零れ、血溜まりのうえに上半身が崩れて落ちる。


 異常な光景に、ユーニが小さな悲鳴をあげた。


 奥の暗がりから、男の声がした。


 「ああ、よかった。本当によかった。いま一番欲しいモノが、勝手に目の前に現れてくれた……巡り合わせというのだろうか、こんなことってあるんだな……」


 闇の中から姿を現したのは若い男だった。ぬらりと背は高く、長い腕と大きな手。じっとりと湿った髪から覗く目は、暗く落ち窪んでいて生気がない。


 「……セレス・サガン、猛禽に配属されたばかりの新入りです」

 フクロウが男の名を、苦い声で告げた。


 セレスはふらっと上半身を揺らし、ユーニを凝視して微笑した。


 「お前をずっと探していたんだ、会えて嬉しいよ……」


 空間に怖気が漂う。


 ゴオ、と重い風斬り音が鳴った。


 直後、目の前にあったセレスの姿が突然に消える。


 ――いや。


 刹那の思考で、目に映る事象を拒絶する。

 目の前にあったモノが急に消えるはずがない。


 シュオウはすべての集中力を眼を凝らすことに注ぎ込む。


 ――いる。


 セレスはいた。なにかを手に持ち、振りかぶるような動作で、一直線に突進をかけている。その先にはユーニがいた。


 尋常な速度ではない。消えたと錯覚するほどの速さだ。シュオウはセレスの横っ腹に肩から体当たりをかました。


 両者の身体が派手に吹き飛ぶ。猛烈な勢いを殺しきれず、シュオウは地面を回転して転がった。


 アイセとシトリが不安げにシュオウの名を呼んだ。


 同時に転げたセレスは、上半身を起こし困惑の表情をみせる。


 「……あれ?」


 深夜の闇より暗い目が、シュオウを捉える。


 「なんで……」


 シュオウは立ち上がり、両手を広げ、ユーニの前に立ちはだかった。


 「お前の欲しいものは俺を倒さなければ手に入らない。これはお前の物か」


 シュオウは手袋だし、甲の部分をセレスへ見せる。


 憎悪の篭った必死な形相で、セレスが手を突き出した。

 「……そいつを……いますぐ返せッ」


 女達を醜く解体して殺してきた犯人を示す証拠。その持ち主であると、セレスはこの瞬間に認めたのだ。


 記憶は鮮明に蘇る。


 プラチナと共に見た惨い殺され方をした遺体。その結果に生じた数々の悲劇、あの暗く汚れた荒屋の臭いと暗い色――――


 「お前か……」


 シュオウの眼の光が一層強さを増す。

 セレスの濁った瞳はさらに湿り気を帯びた。


 背後にいるアイセ達に向け強く声を張る。

 「アイセッ、シトリッ」


 戸惑いながらも、二人からたしかな返事がくる。


 「その子を親元へ届けろ。側にシガもいる、届けしだい合流しろ」


 シトリが必死に声を絞る。

 「いやッ、こんなときに置いていくなんて」


 アイセも同調した。

 「そうだ、援護は!」


 「今はその子を守ることが最優先だ。案内役がいる、指示に従って急いでここを出ろ。父親に会ったら伝えてくれ、もう一人もかならず見つけると」


 シュオウは声を低くし、聞いているであろうフクロウへ告げる。

 「頼めるか」


 「承知」とフクロウの即答が返る。


 少女を守るように抱えたナトロを見る。ナトロはしきりに身動き一つしないデュフォスを気にかけていた。


 「ナトロ、だったな」


 言うとナトロは口元をひんまげて頷く。


 「お前の師が上にいる」


 「プラチナ様が!?」


 シュオウは首肯し、

 「この先、助けが必要な状況になるかもしれない」


 ナトロはシュオウとデュフォスへ交互に視線を渡した後、


 「くっそ、なにがなんだか……わけがわからねえが優先順位だ。忘れるなよ、とられた物は後で全部取り返すからな!」


 言葉の強さのわりには、目を合わせることを避けながら、ナトロはユーニを連れ、先行して部屋を後にする。その後をシトリ、アイセが続いた。


 「待てえ! 誰が行っていいと――」


 セレスは醜く濁った怒鳴り声をあげ、その身を前へ傾ける。


 シュオウはセレスの視界を遮るように立ちはだかり、腰を落とした。


 「順番を間違えるな」


 「お前……服のせいで一瞬わからなかった。見覚えがある……僕はお前を知っているぞ、お前たちがここへ来たときに見た、ムラクモの輝士だッ」


 シュオウは手にある白濁した石を見せる。

 驚愕したセレスの顔に一層の憎悪が高まった。


 「バカに、して…………いいさ、時間はかけない、晶気の力じゃないのなら、あれはきっとまぐれだったんだ。その身で味わえばいい、格好つけて一人で残ったことを後悔しろ、目の前にいるのは、お前が見たこともないような、最強無冠の使い手だ」


 セレスは両手で武器を構えるような動作をとった。が、その手には何もない。その両手を振ると、背後に立つ硬い石柱の一つが、斜めから切り落とされ、轟音をたて崩れ去った。




 2




 切り落とされた柱があげる土煙が漂う最中、シュオウはセレスと目を合わせたまま問う。


 「レイネは無事か」


 少女の名にセレスは眉をしかめて不思議そうに首を傾げた。


 「レイネ……? ああ、あの娘のことか。そういう名前なんだ」


 他人事のような、重みのない口調に苛立ちを覚える。


 「生きて、無事でいるんだろうな」


 その問いかけに、願うような心地が混ざっていたことをシュオウは自覚する。そして、セレスはその願望を込めた心の機微を敏感に察していた。


 「随分と必死なんだな……そんなにあの娘が心配か。なら喜ぶといい、生きているさ。ただ、誰にも見つからないところに隠したから、僕が戻らなければ、遠からず弱って死んでしまうだろうが」


 「ならいい。来い、お前を倒して居場所を聞き出してやる――」


 真っ向から対峙する姿勢を表明する。それを受け、セレスの顔貌は、むしろ力を失った。


 「一匹の蟻を前にした蛇のような気分だ。場違いな勇気というやつは、見ていて哀れさすら覚える。僕の事を知った連中を追わなければいけないんだ、今ならまだ間に合う、僕はまだ大丈夫だ。だから、その蛮勇に報いている暇はない、すぐに終わらせよう――」


 何かを構えたセレスが豪速で突撃を開始した。

 そのあまりの速さに、並の人間であれば目で追うことができず、姿が消えたように見えるのだろう。が、シュオウの眼は、相手の能力の大きな優位を打ち消す程度には相性が良い。


 ――問題は。


 頭の中で想像するのは目に見えない透明な武器。太い石柱を一太刀に斬り落とすほどの威力がある。左手を下に、右手を肩の前でなにかを握る様子から、おおよそ、その形状が長物の剣のような物であろうという予測をする。


 屈み、右方に身体を捻ってセレスの突撃を躱す。

 セレスは勢いをそのままに、全身で宙空を穿ち、回廊の内壁を突き破って奥の壁面に激突した。


 無傷で躱すことができた、と思っていた。


 「つッ――」


 胸元に感じた痛みに手を当てる。厚手の輝士服が裂かれ、入った切れ目から血がこぼれた。


 ――極浅い。


 が、喜ぶ余裕はない。敵の持つ武器の形状への予測は、はずれていたのだ。


 土埃をかぶったセレスがゆらりと立ち上がった。驚きと理解を超えた現実への不安の表情で、シュオウを見る。


 「まぐれじゃ……ないのか?」


 手についた血を拭い、シュオウは低くしゃがんで、両手をだらりと地面に垂らした。


 「俺をよく見ろ――セレス・サガン、お前の前にいるのは、お前が今まで見たこともない天敵、上位捕食者だ」


 シュオウは攻勢に打って出る。這うように走り、崖底から吹き上げる風のようにセレスの懐に入り込んだ。


 緩慢に時が流れる世界のなかで、視線が交差する。目はなにより、その人間の内面に近い小さなガラスの窓だ。セレスの目には明らかな怯えが混じっていた。


 ――こいつは、まともだ。


 瞬刻の合間に理解する。殺人の手法、執拗に思うほどのこだわりを持つ狂気の殺人者に対して抱いていた想像とはまるで異なる人物像。この男は正常な心を持った人間だ。慢心や動揺、悩みや不安、保身を意識した行動、動機、すべてに筋が通ったごく普通の、どこにでもいる人間の一人。


 常人であるのなら、その行動には一定の予測をたてることが可能である。ひとは不意の出来事に弱い。セレスもまた、必殺の一撃と確信した攻撃を躱され、動揺をみせた。これは勝機となる。


 セレスの手首を掴むため、左手を伸ばす。掌握した瞬間、勝利は決する。


 指先と肌が僅かに触れた瞬間――セレスは逃げた。


 逃げに用いた方法は豪速の突撃。勢いのまま、シュオウは手をはじかれ、体幹の安定を失う。


 セレスの突撃には予備動作がなかった。足腰の安定はなく、上半身はのけぞっていた。そんな体勢のまま、まるでなにかに吹き飛ばされたかのように全身が高速で移動したのだ。


 シュオウの知る、肉体の強化を得る晶気の力とは違う、これはおそらく、なんらかの自然現象に干渉する能力の応用なのだろう。


 ほとんど転がるように逃げたセレスは、立ち上がり、心臓の上を押さえて青白い顔でシュオウを凝視した。


 シュオウは余裕を持ってセレスの行いを評価する。


 「よく逃げた」


 戦いの最中に、的確に逃げるという行動を選ぶことは難しい。その点で、セレスはここで対峙した誰よりも武人としての感覚に優れている。


 「掴まれてはいけない、という気がした――」


 セレスは手首をさすりながら、唇を湿らせる。


 「――お前はなんなんだ、彩石もないのに、どうして僕と渡り合える」


 シュオウはゆっくりと歩み出て、


 「人間が持って生まれる素質のすべてが、石に詰まっているわけじゃない」


 セレスは険しく目を尖らせた。


 「ああ、そうだ、その通りだ。石の力だけじゃどうにもならない。僕には素質があったのに、他に足りない物があったせいで、こんなところで、お前みたいな得体のしれない存在と戦うはめになっている」


 セレスは前へ歩み出た。夜光石の光を漏らす排水溝の前に立ち、両手の中に、透明度の高い水のように燦めく物体を創出する。


 それは一見して剣のような形をしていた。かと思えば、溶けるように形を変え、斧になり、槍になり、短剣のような形状にもなる。


 「晶気を操る才能は複合的に様々な要素が絡み合う。思い描く力、それを現実の形として現す力、維持する力、その力に含むことのできる強度と役割。僕にとって、こんな物は遊びの延長だった。だからこの先を努力した。創造した力に、周囲の景色を上手く取り込むんだ。そうすると――」


 セレスは一歩後ずさり、夜光石の明かりからその身を逸らす。すると手に見えていた武器の形は完全に透明になり、跡形もなく姿を消した。


 「――凄いだろう、目に見えない透明な武器だ。この力と瞬速で駆ける技を合わせれば、相手がどんな凄腕の輝士でも絶対に勝てる、最強の力だ」


 そう語るセレスの顔は無邪気さに溢れていた。が、セレスは急に口元を歪め、また暗く湿った目で世界を見る。


 「だけど、父はこの力を他人に見せてはいけないと言う。大人しく、ただ生きていろと言うんだ。僕はこんなに強いのにッ、戦うことが使命である輝士の称号は、僕にこそふさわしいのにッ。お前は邪魔だ、最強である僕の前に、あってはならない存在なんだ。強さは僕に残された唯一の自負だ、これだけは絶対に奪わせはしない」


 シュオウを見るセレスの目が重みを増した。


 ――こいつ。


 確信する。セレスは一定の覚悟を決めたのだと。

 慢心を捨て、不安を克服し、現実逃避を止め、シュオウという存在を敵と認め、倒すことにのみ集中する事を決意したのだ。


 目の前にいるセレスの身体が、途端に大きさを増したように思えた。


 ――認めよう。


 セレス・サガンは、本人が自称する通りの強敵。勝利を得るため、命懸けで攻略しなければならない相手だ。


 シュオウは周囲に転がる猛禽達が落とした短剣を見る。


 殺傷能力の高い武器は、この状況を凌ぐのに適している。が、その誘惑は振り払わなければならなかった。セレスは少女の身柄を確保している。居所を聞き出すまで、彼には無事でいてもらわなければならない。


 ――殺せない。


 強敵を前に力や手段を加減しなければならない。


 回廊に囲まれる中庭は広い。


 セレスの能力は広い場所であるほど有利になる。


 自由な動きを封じるため、隘路へ誘い込むという手もあるが、一方でそれは敵の優位を招きかねない状況にもなり、その隙に逃げたアイセ達を追われる危険も生む。


 ――ここで決着をつける。


 シュオウは現地点を戦場に定めた。そしてこの状況で利用できるものを探す。


 低い内壁に覆われる回廊。唯一の光源である夜光石の明かりを漏らす排水溝。林立する石柱。そうした景色のなかに一点、場違いな奇妙な物を発見する。


 ――人形?


 魚の頭をしたドレスを着た古びた人形だった。あまりにも風変わりな見た目のせいで、それだけがやたらに目を誘う。


 足をじりと踏みしめ、セレスはまたあの構えをとった。左手を落とし、右手を肩の前にあげた。どちらの手も強く握りしめられている。


 「勝負だ――」


 セレスは突撃を開始した。排水溝を越える瞬間、下から差す青の光は、セレスが手に持つ武器の形状を辛うじて映し出す。


 ――大鎌。


 それは農具の鎌のような形をしていた。武器と呼ぶにはあまりに非効率的な形状だが、幾度となくこの構えをして突撃をかけていたことから、この大鎌の晶気こそ、セレスの得意とする晶気の形なのであろう。


 武器の形に一定の予測を得て、シュオウはセレスの攻撃を躱した。

 ゆっくりと流れるシュオウの視る世界にあっても、高速で動くセレスから逃れるのは簡単なことではない。

 選択に一つでも間違いがあれば、その瞬間に身体はハゲワシのように解体されるだろう。


 攻撃を躱されたセレスは、大鎌を床に刺し、切込みを入れながら自らの勢いを殺す。


 ――くる。


 セレスは予備動作なく次の突撃をかける。それを躱し、また次を躱す。床に刻まれた傷痕が徐々に増えていく。


 シュオウは躱しながら少しずつ後退し、回廊の内壁を背負うようにしてセレスを待ち構えた。


 ――次でとる。


 肺のなかを空にして、全集中をセレスへ向ける。


 繰り返される突撃を、セレスは再び仕掛けた。動作はいままでと同じ、だが猛烈な違和感に襲われる。


 背筋に凍るような悪寒が走った。


 ――見逃した、なにかを。


 直感がしたのだ。

 直前までセレスがいた場所へ注意を向ける。そこには、あるはずの大鎌による傷がなかった。


 反撃のために迎え撃つ体勢でいたシュオウは、咄嗟に逃げの行動を選択する。が、


 「ぐうああ――」


 声を殺そうと足掻いても、抗いがたいほど痛みが左肩に刻まれる。

 懸念した通り、セレスは手に持つ武器の形状を変えていた。


 痛手を負ったシュオウより、セレスのほうがより蒼白な顔をみせた。


 「信じられない、お前には僕が見えているんだな……今の一撃は必中だった。彩石の力もなく、あの一瞬に躱せるなんて」


 シュオウの能力に驚嘆するセレス同様、シュオウもセレスに対する評価を引き上げねばならなかった。


 この対戦相手が秘める武人としての才は深い。陽の当たる場所にあれば、いずれ相応に名を残す人物となっていたかもしれない。


 この戦いは、長引かせてはいけない。


 時を与えるほど、この対戦者は強くなる。


 シュオウは平静を装い、静かに深呼吸をする。


 ――常道は捨てる。


 この戦いに規則や礼法はない。

 たとえ形が美しくなくとも、勝つための方法を選択する。


 「俺が彩石を持っていないとは一度も言っていない」


 シュオウは嘯いた。


 「な……に……」


 セレスはわかりやすく動揺をみせる。


 この男はよく語り、他人の言葉を耳に入れる。ひとの顔色を窺うような湿った目は、自身で語るほどには自信がないことを示している。確固とした己がないのだ。こういう人間は、往々にして他人の言葉を聞きすぎる。


 「石の色に細工をしていたらどうだ。この白濁して見える輝石の色は、本当は別の色をしているかもしれない。なんの力もなく、あの速さの攻撃を本当に躱せると思うのか」


 セレスは固唾を飲みくだし、

 「実力を隠していたというのか」


 シュオウは語りながら、セレスの周囲に円を描くようにゆっくりと足を擦る。そうしながら、僅かずつ気取られないよう距離を詰めた。


 「戦いに勝つための奥の手は基本だ。俺はお前ほど自分に自信がない。だから奥の手を残した。お前はたぶん自分が思うよりずっと素直な人間だ。目に見える物だけを信じてしまう。だから気づかない、戦いの最中に、自分の足元に罠がしかけられていることに――」


 当然、罠などない。が、その言葉に飲まれたセレスはその瞬間、慌てて足元を見た。そこには、あの不気味な容姿をした魚人の人形がある。


 「ひッ!?――」


 不気味な人形に驚いて、セレスは喉を甲高く鳴らし、のけぞった。


 シュオウは強烈に地面を蹴る。距離は大股で二歩。一歩を踏み出した時、セレスは自身の置かれた状況に気づいた。セレスの右手に握る武器が、光を受けて形を現す。


 ――剣。


 ごくありふれた形状の剣。だがこの武器に重さはない。徒手を振るのと同じ速度で、剣が振り下ろされる。


 シュオウは左手を伸ばす、が僅かに届かない。


 一切の思考は消えた。


 ただ生きるための本能だけが働き、怪我を負った右手が前に出る。セレスの手首を掴み取った。たしかな手応えに身体に染み付いた勝利への道筋が自然と湧き起こる。が、しかし、


 ――力が。


 重傷を受けた右手は、セレスの抵抗にあっさりと屈し、引き剥がされる。


 解放されたセレスはそのまま武器を振り下ろす。シュオウにそれを躱すための時は残されていなかった。


 ――死。


 その言葉が頭をよぎる。

 躱せば確実に斬られる。できることは、受け止めることのみ。身にある部位で、最も硬いものを想像した。


 ――左手ッ。


 剣に対して自身の輝石を盾として差し出す。それ自体が命を失うかもしれない無謀な行いであっても、身体は無意識に動いていた。


 透明な剣先がシュオウの輝石と衝突する。刃が石にめり込み、割れるような高音が響く。セレスは勝ちを確信して笑みをこぼした。


 剣は輝石にめりこんだまま、たしかにその一撃を受け止めた。

 だが、シュオウの身体は無事なまま、そこに在る。


 笑みを消したセレスの形相が醜く歪んだ。

 「石を割ったのにッ、なんで!?」


 シュオウはセレスの眼前で上半身をしならせ、頭を高々と持ち上げる。


 「知るかッ――」


 突き降ろした頭突きが、セレスの顔面を強烈に打ち砕く。


 白目をむいて、セレスはその場に崩れ落ちた。




     *




 冷たい水が顔を打つ。

 血の味がする唾液を飲み込む途中、舌で触る欠けた歯の感触に違和感を覚えた。

 両手も両足も微動だにすることができない。左手にごわついた重い手袋の感触がある。自身の晶気を生じるための手応えは完全に喪失していた。


 「目を覚ませ、セレス・サガン」


 名を呼ばれ、熱を持った顎の痛みを抱えたまま、うっすらと目を開ける。


 さきほどまで対戦していた、銀髪のムラクモ人青年がそこにいた。


 セレスを見下ろす怜悧な瞳は、これまで見てきた誰よりも強い眼光を放っている。


 「続きを始めるぞ」


 決着はついたのだ。


 いまの言葉は、勝者が敗者へ贈る追い打ちの宣言である。


 この瞬間に、セレスは自らの命運が終わりを迎えた事を、強く悟った。






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小説の表紙
― 新着の感想 ―
[一言] 主人公の石はなにか特別なのかな
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