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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
54/184

回廊の二姫 1

     Ⅹ 回廊の二姫






 1




 闇に閉ざされた廃坑道に、ふわりと浮かぶ一点の明かりがある。


 凛々とした水底のような青と、月影のような虚ろな白が混濁する耀きは、小さなガラス管のなかで水に揺れる夜光石のかけらが放っていた。


 その光がおぼろに照らす二人のムラクモ輝士、アイセとシトリは、長らくこの地下世界のなかを彷徨い歩いていた。


 「あの時、ターフェスタの兵士たちに連れていかれる彼を見つけて、助けに行こうって決めて地下に入って、それからずーっとここにいて……威勢だけはよかったよね。それからずっと、ずっと、ずっとずっとここ、ここにいるだけ」


 歩きながら言うシトリの言葉には、糸を引きそうなほどねっとりと粘り気が含まれていた。


 「いちいち説明口調で嫌味を言うな、悪かったな道に迷ってて」


 携帯用の夜光灯を手に、先頭を行くアイセは口を尖らせる。


 「だいたい、お前がすぐに疲れたとか言って頻繁に足を止めるからこうなったんだ。私ひとりならとっくに城までたどり着いていた」


 目を尖らせて睨むアイセから視線をはずし、シトリは冷めた顔で髪をかきあげた。


 「たどりつけたって二人だけでどうするの。下手なことしてうまくいかなかったら、それこそ余計な迷惑が増えるだけだとおもうけど」


 アイセは強い目をさらに吊り上げる。


 「なにもしないよりいいだろう、行動することに意味があるんだ」


 シトリは周囲を見回して大げさに肩をすくませた。


 「それで迷ってたら意味ないじゃん。ひょっとしてだけど、もう彼はとっくに脱出してて、わたしのこと探してるかもしれないのに。こんな所でうろうろしてたら見つけてもらえない」


 アイセはシトリの頬を摘み上げ、

 「自分だけが対象みたいにいうなッ」


 抵抗するシトリと揉み合っているうち、どちらともなく手を離し、腰を降ろす。

 二人が同時に落とした溜息が、反響して広がった。


 シトリは汚れることも厭わず、手をつき足を広げてばたつかせる。


 「疲れた、お腹すいた、お風呂入りたい、着替えたい、お化粧も直したい」


 アイセは膝を折って抱え、顔を落とす。


 「お前はいつもそれだな……。方角は間違っていないはずなんだ、かなり歩いたし、そろそろ城の近くまで来ていてもおかしくない」


 ターフェスタの市街地に広がる地下道をアイセは甘くみていた。整然と道を成した排水路を想像していたが、実際のそこはかつての坑道や労働者用の簡易施設、水路などが混沌として入り交じる、地下に存在するもう一つの街のような構造になっていたのだ。


 行き止まりに遭遇すること十数回。上の様子を探ろうにも、頭を出す所すら簡単には見つからず、感覚と水が流れる方向を頼りに城のある方角をただひたすら目指している。


 シトリに強がってみせても、彼女の言うとおり下手に動いたことが失敗だったのではないかと、不安に思い始めていた。


 「ん……?」


 遠方から強く水を打つ音が聞こえた。無意識に誘われて足を運ぶ。

 明かりを持つアイセが一人で動き出したことで、シトリは抗議した。


 「ねえ、ひとりで行かないでよ」


 文句を言いながらきちんとついてくる足音が聞こえ、アイセは振り返らず、そのまま音のするほうへ歩を進める。


 行き着いた先は流れの強い太い水路だった。

 こつんと、靴になにかが当たり軽い衝撃が伝わる。


 「なんだ……」


 アイセは光を当て、足元を確認する。

 ぬっと青白い光が照らしたそれを見て、思わず掴み上げていた。


 「人形、か」


 背後から覗くシトリは、

 「うげぇ」

 と嫌悪を込めた声を漏らした。


 その人形は見るからに古く、薄汚れていた。基礎の部分は木彫りで、人の形をしており、胴体全体を覆うようにふわりとした黄色いドレスを着せてある。そこまではよくある平凡な物だが、この人形は首から上が風変わりな作りとなっていた。頭の部分に魚の顔がついているのだ。


 アイセは手にした人形を凝視した。平凡な本体部分と比べ、ぎょろっとした濁った目、いまにもくぱくぱと動き出しそうなエラ、口の中で並ぶギザギザの歯まであり、魚の顔の造りは非常に精巧かつ繊細な彫りが刻まれている。


 アイセは息を呑んだ。なんという優れた造形物なのだろう、と。


 夢中で人形を見つめるアイセの肩に、手が触れた。

 現実に戻って振り返ったアイセに、シトリが言う。


 「それ、ゴミだから……ね?」


 アイセは顔を赤らめてシトリの手を払った。


 「わかってるさ、真顔で子供に諭すみたいに言うなッ」


 そう言って、人形を放り投げるため腕を振り上げる。


 「くッ」


 湧いた物欲が止めた手を、シトリの咳払いが再び動かした。


 ――これはゴミ、ゴミ。


 アイセは決意し、通路の奥へ人形を放り投げた。

 何事もなかったかのように手のほこりを払い、つんと顎をあげる。


 「さ、これでいいだろ、行くぞ」


 しかし、自ら宣言しておいて足は前へ動かない。例えようのない未練が湧き、この場から去ることを猛烈に引き止めるのだ。


 ――ああ、だめだ。


 「やっぱり持っていくッ」


 アイセは踵を返し、投げた人形を取り戻すため、暗がりのなかへ小走りで向かった。


 呆れながらついてくるシトリは盛大に溜息を落とした。


 「はあ、しんじらんない……あんな気持ち悪い古くて汚い人形のどこがいいの。ほんとに最悪の趣味ね」


 「なんとでもいえ。これは後学のため、ターフェスタの民の暮らしを知るための行いだ。貴重な資料として持ち帰るんだ」


 「はいはい。よく平気だよね、古い人形ってだけでも気持ち悪いのに……知ってる? 造られて時間がたった人形には心が宿るって。捨てられた人形はそれを恨んでる、だから人間を呪うって」


 「人形は物だろ、仮に心を持ったならそれは奇跡だし、それくらいで驚くほど、もう私も未熟じゃないんだ」


 言葉を交わしながら、アイセは人形を探した。


 「あった!」


 道の角に投げた人形を見つけ、アイセは喜々として手を伸ばす。そのとき、どこからともなく、ひとのすすり泣く声が聞こえてきた。


 人形に伸ばした手を止め、アイセは硬直する。

 「おい、いま――」


 小声で言うと、シトリはアイセの服を掴み、身を寄せた。

 「うん、きこえた……」


 さきほどの呪いにまつわる話を思い出し、アイセは人形に伸ばしていた手をそっと引っ込める。


 「だから言ったでしょ……」

 シトリはアイセの服を強く掴みながら後ろへと引いた。


 そっと流れてきた風と共に、再び泣き声が耳に届く。


 「ちがう、人形じゃないぞ」


 一瞬湧いた安堵を即座に消す。事が超常的な現象でないのなら、そのほうがより現実に即した危機ということになる。


 泣き声が聞こえてくるという状況はつまり、


 「だれかいるんだ」


 声を硬くして伝え、シトリも表情を引き締めて頷く。


 「どうするの」


 「……確認にいく。正しいかはわからないが、正体を知らないまま進むのも気持ち悪いだろ」


 若干の間を置いて、シトリは首肯した。

 「うん……」


 アイセはそっと人形に手を伸ばし、ベルトの隙間に挟んだ。

 心の準備を整えて、声のする方向へ慎重に足を伸ばす。


 進むほどにすすり泣く声は大きくなっていく。


 目の前に、わずかに開けた空間が現れた。大きな円柱型にくり抜かれたそこは、天井にあいた僅かな隙間から淡い月明かりが漏れ、風を呼び込む空気の流れの発生源となっていた。


 その部屋の中央に置かれた柱の奥から、泣き声は継続して聞こえてくる。


 アイセはシトリを見て人差し指を口の前で立てた。

 互いに頷きあい、おそるおそる柱の奥を見る。


 「――ッ」


 思わず叫びそうになった声を押し殺す。

 見えたのは、柱に寄りかかって座る男の姿。銀髪に青いムラクモの輝士服を着た細身の青年がそこにいる。


 ――シュオウ。


 心のなかで叫んだ声は、実際に彼の名を呼ぶシトリの声でかき消えた。


 「シュオウッ」


 シトリは跳ねるように飛び、アイセを追い越して男の片腕に飛びつく。途端、部屋全体に悲鳴が轟いた。


 転がったその青年が、虫のように這いずり、青白い顔でアイセと目を合わせる。


 「違う……彼じゃないッ」


 アイセは硬直するシトリの手を引き、男から距離をとった。

 よく見れば、似ていると思った背格好も、髪の質も異なる、まったくの別人だ。しかしその顔には見覚えがあった。


 「あなたは……たしか冬華六家の」


 そう、要塞アリオトからターフェスタの都までの案内人の一人であった、若き親衛隊の一員、ナトロと名乗っていた男だ。


 ナトロはアイセらの輝士服に目を止め、怯えたような顔をする。


 「お、お前らムラクモのッ、まさか、あいつもいるのか!?」


 ナトロは左肩を抑えながら、汗をにじませた怯え顔で周囲を見回した。


 そのあまりの挙動不審ぶりに、アイセは警戒を忘れてただ首を傾げた。


 「誰のことを言ってるんだ……」


 「あの眼帯をはめたやつッ、あいつ、俺を叩き落として下敷きにしたうえに、気を失ってるあいだに肩をはずして行きやがった……」


 アイセはシトリと目を合わせた後、ナトロの前にかがんだ。


 「詳しく聞かせてもらおうか」




     *




 痛みに悶えるナトロを壁際まで運び、落ち着かせた後、二人はことの顛末について聞いた。


 サーペンティア家の公子ジェダにかけられた容疑については、疑問に思う部分が多々あるが、アイセの関心事はシュオウがすでに自力で城から脱出していた、という部分に集中した。


 「助けは必要なかったんだな」


 流石だ、と関心する間もなく、シトリに指で突かれる。

 半眼で見つめるシトリが口を開きかけ、アイセは先んじて制した。


 「ほらみろ、という言葉はやめろよ」


 シトリはすまして顔をあげ、

 「言ったとおりでしょ――」


 以降の言葉は口の形だけで表現した。

 シトリがつくった口の形を、一言ずつ頭のなかで唱えていく。


 ――ほ、ら、み、ろ。


 「くう」

 アイセはむすっとしてシトリから視線をはずした。


 アイセは肩を抑えて俯くナトロに語りかける。


 「じゃあ、それからずっとここに一人でいたのか、めそめそ泣きながら……?」


 ナトロは喉を鳴らして唸り、恥じ入るように顔をそらす。


 シトリは鼻で笑い、

 「だっさ」


 ナトロは爆ぜるように羞恥で朱に染めた顔をあげた。


 「体中が痛いんだよ! 肩の骨までずらされて、すこし体を動かしただけで死ぬほど痛いんだッ、ひとをわらう前に同じ目にあってみろよ……」


 「痛くても歩くくらいはできるだろ、ゆっくりでも仲間の元に帰って看てもらえばよかったのに」


 アイセの指摘に、ナトロは生気を失った青白い顔で歯噛みした。


 「俺の師匠は凄いひとなんだ……なのに弟子の俺が服をとられたうえに冬華紋まで持っていかれて、どの面さげて戻れってんだよ。俺はもう終わりだ、冬華の名を貶めたんだ、この体たらくじゃ、師匠の名にも泥を塗ってしまう。家の名も汚した、一族全員が恥をかく。それに、捜索隊もこなかった。もう死んだと思われてるか、捜す価値もないと思われている、か……」


 「ぐだぐだ言っているが、要するに、自分が情けなくて、恥ずかしくて身動きがとれなくなっていたのか」


 ナトロは沈黙したまま、腕を支え、苦々しく顔を沈めた。


 アイセは勢い良く立ち上がり、シトリに呼びかける。


 「よし、行くぞ」


 「どこに」


 「わからないけど、とりあえず引き返す。シュオウは城を出たんだ、今頃は城下で私達を探してるかもしれない。なにはともあれ、いまは合流することを一番に考えるべきだろう」


 シトリは目を輝かせながら強く頷き、

 「うん!」


 ナトロが身体を揺らし、声を張り上げた。

 「……俺もいくッ、頼む、つれていってくれ」


 アイセは腰に手を当ててナトロを見下ろした。


 「さきほどの話から判断しても、我々とターフェスタは敵対関係に陥った状態にあると考えて間違いない。理由もなく敵を同行させるなんて、そんなわけがないだろう。いま現在、剣を向けられていないだけありがたいと思え」


 ナトロは食い下がった。


 「お前ら余所者じゃ、この辺りの地理はさっぱりだろ。俺が警備の緩い下街の底まで案内してやる」


 「そんなことをしてお前になんの得がある」


 「交換条件だ。地下を歩くための明かりが欲しい。それと、俺の肩を戻してくれ。飲んでくれるなら案内をするし、お前らのことも見なかったことにする。約束する」


 アイセは黙ってシトリと目を合わせる。それとなく思いを探るつもりだったが、肩をすくめてどうしたらいいかわからない、という態度を返してきた。


 道案内の提案は魅力的だった。が、同行を求めるナトロは、敵対している国の輝士である。しかも、その力の強さはアリオトのなかですでに見て知っていた。


 置き去りにすべきである。さらにいえば、後の憂いを断つために生かしておくべきではない。


 アイセはナトロの表情を観察した。打算を秘めた気配は感じられず、かわりに子供のように怯えた恐怖心だけが色濃く見えた。


 ――シュオウはやらなかったな。


 彼はナトロを完全に制しておきながら、命までは奪わなかったのだ。


 アイセは中空を握り、柳緑色に発光する晶気の剣を創造した。

 暴れる風の力を押しとどめた剣の先をナトロに突きつける。


 「いいか、舐めるなよ、その気になれば手負いのお前などいつでも対処できる。状況は二対一で、シトリもいる。少しでもおかしな真似をすれば、迷いなくこの剣を奮うからな」


 ナトロは油汗を浮かべながら一度頷いた。

 続けて、アイセは強く言う。


 「それと、もし約束を違えたら、お前がシュオウにやられてめそめそ泣いていたと国中に言いふらしてやる」


 ナトロは壊れた玩具のように止めどなく首を振り、同意を告げた。あまりの必死ぶりに、この遭遇をなかったことにしたいのはナトロのほうではないかと邪推してしまう。


 たっぷりと睨んで脅した後、アイセは剣を消して手を打った。


 「よし、ならまず肩を戻さないと――シトリ、なにか噛ませる物はないか」


 聞かれたシトリは視線を上にやり熟考した後、アイセの腰に垂れ下がる魚人人形を凝視した。


 「これはだめッ」


 人形を守るように後ずさると、靴に渇いて朽ちた太めの木の枝がぶつかった。アイセは枝を拾い、ナトロの口元へ運ぶ。


 「不潔だがないよりましだな」


 嫌がるナトロの頭をシトリに抑えさせ、無理やり枝をくわえさせた。


 「覚悟しろよ、ろくにやったことなんてないから、きっとめちゃくちゃ痛い――」


 木の枝を咥えたまま、ナトロは汗まみれの顔に涙まで流し始めた。


 「よし、いくぞッ――」


 断末魔をも凌駕する悲痛なうめき声が部屋中にこだました。




     *




 「くっそ、多少動きやすくなったが、さっきよりもっと痛くなった……」


 アイセの強引な治療が施されたナトロの肩の痛みは、それ以前よりも遥かに増している様子だった。完全に悪化したといっていい。


 「やると言ったのは私じゃないからな」


 言質はあるのだ。肩を直せと要求したのはナトロ本人なのだから、アイセはそのことで罪悪感を持つ必要を感じていなかった。


 「わかってる、責めちゃいないだろうが」


 顔色は悪いが、ナトロは本人が言うほど弱っているようにも見えなかった。足はくじいている様子だが、普通に歩いているアイセについてこられるくらいには無事だ。


 「それだけ動けて、これまでずっと時間を無駄にしてたんだな」


 自分を棚に上げたアイセの指摘に、ナトロは反論する。


 「だから言っただろう、俺は自分の失敗が――」


 「でも、今は帰ろうとしてるじゃないか」


 矛盾をつかれたナトロはぎりぎりと歯をすり合わせ沈黙した。

 不安げなナトロの目は、アイセが手に持つ夜光灯に釘付けになっている。


 ――こいつ、もしかして。


 アイセは夜光灯を握り、懐のなかに隠した。途端辺りは暗くなり、光に慣れた目ではなにも見えなくなってしまう。


 「ひッ」


 男の声で悲鳴が聞こえ、アイセは夜光灯を取り出した。

 目の前にあったナトロの姿はなく、代わりに地面に伏した情けない男の丸まった背があった。


 「なるほど、暗いところが苦手なのか、だから天井から光が漏れるあの場所から動けなかったんだな。なんのかんの言い訳をしていたが、本当のところはそこなんだろ」


 「そ、そんなわけないだろ……」


 何事もなかったかのように、ナトロは立ち上がって咳払いをした。


 アイセは前進を再開しながら、必死に強がるナトロを叱った。


 「格好ばかりつけて偉そうにしてたが、実際は情けないやつだ」


 「だから怖くないって言ってるだろッ」


 アイセは疑いの眼差しを向けたまま、

 「実体験から言わせてもらうが、自分の弱さと正直に向き合えないと、いつか無理がくるぞ」


 「おおきなおせわだよ……」

 ナトロは面白くなさそうに口を曲げた。


 最後尾にいるシトリがまるで興味がない様子でアクビをする。


 ナトロは振り返って眠そうにしているシトリの様子を観察した後、前を行くアイセの腰で揺れる魚人人形を見た。


 「ひとのことばかり言うけどな、お前ら、緊張感なさすぎだろ。自分たちの置かれてる状況、ほんとにわかってんだろうな」


 「舐めるなと言っただろ、ムラクモの輝士は一人前と認めてもらう前に命がけの試練に臨むんだ。巨大な狂鬼の前に生身で立ったときのことを思えば、こんな状況なんでもないさ。それに……彼が、シュオウが自由になって動いている。そう思ったら不安なんて消し飛んだ」


 「シュオウって……あいつか。ひとりでなにができるんだ。いまごろきっと、俺から盗んだ服を着て、街中でこそこそ隠れてるのが精々だろうな」


 シトリが吹き出して笑った。


 「なにがおかしいッ」

 怒るナトロはシトリへ振り返る。


 シトリは上目でナトロを見て、


 「だって、ぜんぜん的はずれなこと言うから。ありえないから、そんなの」


 そう言って、先頭のアイセと目を合わせてまた笑った。


 「おまえらあれだろ、あいつの女なんだな。だから根拠もなくそれだけ信じてられるんだ。それはな、信用じゃなくて願望っていうんだよ――」


 ナトロの言葉に、アイセとシトリは怒るでもなく、ただほんのりとにやついた。


 「――なんで嬉しそうなんだ」


 アイセは足を止め、ナトロに指を突きつけた。


 「色々な意味で彼ほど強いひとを、私もシトリも知らない。シュオウは私の敬愛するひとだし、命の恩人でもある、お前なんかにはわからない絶対の信頼があるんだ。負けた腹いせに無駄口を叩いて、これ以上彼を貶めるのは許さないからな」


 図星をつかれたのか、ナトロは余裕をなくし、歯を剥いた。


 「負けてねえ! 不意をつかれて利用されただけだ。あいつは仲間を見捨ててひとりで逃げ出した。俺の物も奪った、ただの卑怯なこそ泥だッ――ぎゃ!?」


 荒ぶる感情にまかせて罵詈雑言を吐いたナトロの背を、シトリが思い切り蹴り飛ばした。

 前のめりに倒れたナトロは、思わず怪我をした左手で身体を支える。痛む腕は体重に負け、手首から肩までを巻き込んで盛大に倒れた。


 痛みのせいか、白目を剥いて気を失っているナトロを見て、アイセは責めるようにシトリを睨んだ。


 「シトリ、おまえ……」


 シトリはむすっとして目をそらす。

 「だって、むかついたんだもん」


 「だからって……一応けが人だぞ」


 「ねえ、こんなやつ置いていこうよ」


 「ううむ……」


 シトリの提案は正直なところアイセも臨む所である。が、これまでの道案内で順調かつ的確に引き返すことができていたのも事実。なにより、放置して野垂れ死にでもされたらと思うと、それも気分が悪い。


 「約束を破ったわけでもないし、いまさら放っておくわけにもいかない。とりあえず休憩にしよう」


 抗議するシトリを無視して、アイセは適当な場所がないか周囲を探った。

 ちょうどよく、道の先を曲がったところに扉のついた簡易の宿泊施設のような部屋を見つけ、シトリに提案する。


 「あそこで休もう。あの男をつれていかないとな」


 後方に置いてある重そうな身体を見ながら、アイセとシトリは片方ずつ足を掴み、ずるずると部屋まで引きずった。


 アイセが部屋の扉に手をかけたとき、一瞬で気づく違和感が襲った。


 ――明るい。


 扉の隙間から、暖色の明かりが漏れてくる。


 アイセは晶気の剣を創造した。それだけでシトリにも異常が伝わる。

 足で扉を押す。軋みながら高音を奏でて扉が開き、剣を突き出したその先には、ランプの前で縮こまって震える、ひとりの幼い少女がいた。


 怯える少女と目を合わせ、アイセは一瞬硬直した。

 少女の潤んだ瞳が手にある晶気の剣に集中していることに気づき、慌ててそれを消す。


 「ああ、えっと……私たちは、その、なんだろ……とにかく大丈夫だ」


 安心させようとぎこちない笑顔を見せるも、少女は後ろで気を失ったナトロを見て、さらに怯えて部屋の隅へ身を潜めた。


 「し、心配いらない、この男は寝ているだけだから」


 シトリに指示を出し、ナトロを部屋に引き入れて扉を閉めた。奥からこっそり様子を伺う少女に気づき、アイセはナトロの頬を強く叩いた。


 「びゃ」

 顔をはたかれたナトロは変な声をあげ、釣られた魚のように身体を痙攣させた。


 「ほら、ね?」


 少女はおそるおそる歩み寄ってくる。

 落ち着いてその姿を眺めることができ、アイセは少女の気配に異常なものを感じ取った。よれよれになった服に疲れ切ったやつれた顔、散々泣きはらしたのか、目は充血してまわりの皮膚まで赤く腫れている。


 アイセは屈んで、いまできるかぎりの柔らかい声で語りかけた。


 「なにかあった?」


 少女は両手の拳を強く握り、上目遣いでアイセを見る。

 「だれ……」


 アイセははっとして自らの格好を見る。自分たちはターフェスタで見ることのない青の軍服を着ているのだ。


 「私はムラクモの輝士、アイセ。そっちは同じくシトリ。大丈夫、この国の人間ではないが、きみに危害をくわえるような者じゃない」


 少女は不安そうに唇を噛みながら、

 「アイセ……シトリ……」


 

 「きみの名前は?」


 「……ユーニ」


 「ユーニ、か。どんな些細なことでもいい、なにか困っているなら聞かせてくれないか」


 ユーニは口をもごもごと動かすが声は聞こえない。

 アイセは胸を張って笑みを零した。


 「だいじょうぶ、世界最強のムラクモ輝士の一員である、このアイセ・モートレッドが相談に乗るといってるんだ」


 アイセの発言に、シトリが釘を差す。

 「もりすぎでしょ……見習いに産毛が生えた程度のくせに」


 アイセは立ち上がってシトリに食って掛かった。


 「うるさいな、だいなしじゃないかッ」


 おなじみの口喧嘩をはじめ、わいわいと声をかけあっていると、ユーニが跳ねるようにシトリの足元に飛びつき、泣き出した。


 「なぜ、シトリ……」


 必死にあやしていたアイセは呆然として肩をおとし、くっつかれるシトリは困り顔でおろおろとしている。


 「くッ、いってててて――」


 ユーニの泣き声で、ナトロが蒼白な顔で目を覚ました。


 「――なんだ、ここ」


 ユーニがシトリに抱きついたまま、泣きじゃくりながら声を荒げた。

 「おねえちゃん、つかまったッ、ひとごろしにッ」


 不穏な言葉の数々に、アイセは緊張した面持ちで聞き直す。


 「つかまったって……それは誘拐された、ということか?」


 涙をこぼしながら、ユーニは二度、三度と頷いた。


 「犯人は人殺し? どういうことか、もっと詳しく聞かせてくれ」


 急な事態を飲み込めないでいるナトロは肩を抑えながらアイセとユーニを交互に見やる。


 「なんだ、なにがあった、誰だこのチビっこ」


 ユーニは自身の経験したことを語りだした。子供の使う言葉、しかも泣きながらの説明は理解するのに苦労したが、それでも要点は得ることができた。


 彼女の姉であるレイネという少女と共に、凄惨な人殺しの現場に居合わせた二人は、その犯人に捕まりそうになった。レイネはユーニを逃し、その代償として自らが犯人の手におちてしまったのだという。


 話を聞いていたナトロは驚いた。

 「おい、まさか、それってあの……」


 「なにか知っているのか」


 「しばらく前からたてつづきに発生している凶行だ。市街地でひとをバラバラにして殺すやつがいるって」


 「そんなのが野放しにされているというのか? それを知っていて黙って見過ごしていたのか、お前は」


 「冬華は忙しいんだよ。それに管轄外だ、命令に背いてまでどうこう出来るようなもんじゃないのは、輝士であるあんたにだってわかるだろ」


 ナトロは内心では不満を溜めた様子で苦く言った。


 「じゃあ、そんな危ない奴に少女が連れ去られたというのか……」


 降って湧いた想像を超える事態に、アイセはユーニに確認をとる。


 「君の姉はどこで拐われた? どれくらい前のことだ?」


 ユーニは涙で濡れた目をこすりながら天井のほうを指差す。

 それはすなわち地上を指しているのだが、それ以上詳しく聞いても、幼い子供であるユーニには答える手段がない様子だった。


 深刻に、アイセはナトロに問う。


 「ターフェスタにこの手のことに対処できる部隊はあるのか」


 「あるにはある……が、手がかりなしじゃどうすることもできないぜ。いつどこで起こったことすらわからないんじゃな」


 「てがかり、か……」


 「これ、ひとごろしの――」

 ユーニが服の内から片方だけの手袋を取り出してみせた。


 側にいたシトリがそれを受け取り、

 「これ、お姉さんをつれていったひとがつけてたの?」


 ユーニは歯をくいしばって頷く。


 「手袋だけじゃな」


 ナトロの落胆に、アイセも密かに同意する。

 しかし、シトリの言葉で空気は一変した。


 「これ、鳥の影絵みたいなのが縫い付けてあるけど」


 突如、ナトロが暗い顔で狼狽した。

 「鳥の絵……まじかよ……」


 「心当たりがあるのか?」

 と、アイセ。


 ナトロは髪を指でかきなでながら、


 「猛禽という名称の監察部隊がある。そこの隊員はそれぞれに割当られた猛禽類の影絵を付けた固有の手袋をつける伝統があるんだ」


 「なら――」


 「ああ、やった奴がわかるかもしれない。絵柄はなんだ?」


 ナトロに問われ、シトリは目を細めて手袋を凝視する。


 「……これ、ワシ? ううん、ちがう。フクロウ……かな」


 アイセが自信なさげに言うシトリから手袋を奪い取り、光を当てて確認する。


 「ばか、どこがフクロウだ。こんな細身のフクロウがいるわけないだろ」


 シトリはむくれて頬を張った。

 「水浴びしてるフクロウに見えたの」


 アイセは絵柄をよく確認し、自身の記憶にある鳥の姿から最も近いものを選び、告げた。


 「これは……体型、翼の形状からして……たぶん、ハヤブサだ」


 アイセに絵柄を見せられたナトロも、はっきりと明確に頷いた。






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