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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
51/184




 5




 ヴィシャの背を追いながら、その人物を観察する。

 恰幅の良い男で人相は最悪。日々を誠実に生きている者が彼とすれ違えば、誰もが関わりたくないと願うだろう。


 実際、周囲にいるのはガラの悪い男たちばかり。その男たちが、ヴィシャを見る目に注目した。


 その一挙手一投足に注目し、身に危険がないか常に気を配っている。得体のしれない訪問者であるシュオウとプラチナに対して、おかしな真似をすれば命を賭けてでもヴィシャの盾になる。注視を向けてくる彼らの目はそう告げていた。


 この男には群れを率いる統率力がある。彼の事を話していた老婆の態度からしても、ヴィシャは国や貴族といった枠の外にいる別種の権力者といえるだろう。


 長方形の卓の一番奥にヴィシャが座り、その手前側に対面する形でシュオウとプラチナが席についた。


 プラチナはそわそわとしてどこか落ち着きがない。忙しなく目線を動かす最中に一瞬、ちらとシュオウへ視線を向けてくる。

 今も痺れたようにじんと熱を持つ、傷ついた右手を気にしている様子だった。


 「話の前に確認をしたい」

 卓の上に重そうな腕を置き、ヴィシャがグイと厳つい顔を寄せる。


 「なにをです」

 プラチナは静かに怒りを燻らせながら、ヴィシャの顔を凝視した。


 ヴィシャは顎をしゃくり、シュオウを指して言う。

 「さっきのやりとりからすると、あんたはムラクモの人間だな」


 シュオウは黙したまま首肯した。


 ヴィシャは次に視線をプラチナへ向ける。

 「じゃああんたはなんだ」


 「私はターフェスタの者です」


 ヴィシャは渋い顔で数度頷くが、はじめから答えがわかっていた様子である。


 「逃亡中のムラクモ人を連れて現れた輝士殿、か」


 噛みしめるように言って、ヴィシャはシュオウとプラチナを交互に観察する。


 「なにか納得できないか」

 聞いたシュオウに、ヴィシャの野太い声が返ってきた。


 「さあな。だが、それは置いておく。まずはあんたらの話とやらを聞かせろ。この忙しいときに、くだらねえ話ならただじゃおかねえぞ」


「私たちは――」


 プラチナが口を開きかけるが、シュオウはそれを制した。

 何よりまず、確認したいことがある。


 「ここへ来るまでに見てきた外の騒ぎ、あの暴動の首謀者は、ヴィシャ、あなたじゃないのか」


 ヴィシャは鼻の穴を膨らませ、

 「なぜそう思う」


 「あなたの事を話してくれた人が言っていた。ヴィシャという男は慈悲深い人物だと。そんな男が、外で国や軍を相手に暴れている人々を無視して建物の中に引きこもっている。おかしいと思うだろう。たぶん、あなたは外の騒ぎを掌握している。事態の全容を把握しているからこそ、これだけ落ち着き払っていられるんじゃないのか」


 ヴィシャは人相の悪い顔をさらに凶悪に歪め、シュオウを凝視した。


 「もしそうだとして、だったらなんだ。まさか、会いに来た理由はそれを聞くためじゃねえだろうな」


 ヴィシャははっきりと否定しなかった。シュオウはやはり、と得心する。

 彼は下街という地を裏で支配する実質的な権力者だ。でなければ、あれだけの人々を動かすことはできない。


 この男は使える、と計算する。

 群れの統率と数の支配は、そのものが力だ。


 これから話す内容、その結果によっては、ヴィシャに戦力としての価値を見出すことができる。


 ――考えろ。


 以後の言葉は重要な意味を有する。

 シュオウは慎重に伝える言葉を選んでいく。


 「子供達が行方不明だと聞き、たしかめるためにここに来た」


 ヴィシャの顔色が一層険しいものになる。


 「なるほど……わざわざ異国からの特使様が、俺の子を心配して声をかけてくれたってわけか、ありがたくて涙がこぼれそうだぜッ」


 感情的に皮肉を吐き捨てるヴィシャを、シュオウは無感情に受け流す。


 「知っていると思うが、俺の仲間はやってもいない罪に問われて拘束されている。俺はその疑いを晴らしたい。そのために事件の詳細について調べていた。その過程で、あの凶行があった夜、ヴィシャという男の子供達が行方不明になったと聞いてここへ来た――」


 間をつくり、声に重さを乗せる。


 「――俺は、子供達が消えたのが、あの夜に起こった殺人の犯人となんらかの関わりをもったことが原因かもしれないと考えている」


 ヴィシャの顔色がみるみる悪くなっていく。さきほどまで見せていた群れの統率者としての威厳ある顔が消え、残ったのは子を心配する弱りきった父親の顔だった。


 「ああ…………同じことを考えたさ、俺だってな」


 「一応聞くが、迷子になったという可能性はないんだな」


 その問いにヴィシャははっきりと首を振り否定した。


 「俺の娘、とくに上の子は下手な大人よりここらを知っている。仮に迷ったとしても、一晩かけて帰ってこられないわけがない」


 「ここ最近、この街で子供が行方不明になり、見つからなかったことはあるか」


 「ねえな。皆がここで起こる人斬りの事を知っている。大人たちは身近にいる子供の安全に気を配っていた。だが、俺の子……上の娘は俺に似て気が強い。なんど叱っても目を離したすきに妹を連れてふらふらと遊びに出ることが多かった。あの子らが遊びに出そうなところは、できる範囲であらかた調べたんだが……」


 ヴィシャは悔しそうに歯を食いしばった。大きな拳を握り、罰するように、何度も自分の膝を強打する。


 黙っていたプラチナが耐えかねたようにヴィシャに問う。

 「なにか他に心当たりはないのですか」


 ヴィシャは途端、激しく怒り、卓に腕を思い切り叩きつけた。

 「おまえらがそれを言うのか!」


 プラチナは勢いにうろたえて身を引いた。


 「彼女は遠方にいたせいで近況に疎い――」


 シュオウはプラチナをかばってそう説明し、


 「――なにをそんなに怒っている。聞かせてくれ」


 「聞かせるもなにもあるか。この国じゃあ街人を殺してまわるおかしなやつがいても、領主は犯人を探そうともしやがらねえ。何度陳情しようとも耳を貸さず、あげく殺された者達はすべて自殺だとぬかしやがる。俺たちをずっと抑えつけておいて、ふらっと訪れた異国の輝士を犯人にしたてあげやがったッ」


 ヴィシャは悲痛に訴え、


 「全部俺のせいだ、おとなしく連中の言うことを聞いていたせいでこのざまよ、てめえの命より大切にしているもんが犠牲になっちまった」


 枯れ木から水を絞るようにそう語った。


 シュオウはプラチナと視線を交わし、

 「領主はこのことをなぜ放置してきた」


 「こうした事を統括するのは警邏隊の役割ですが、現在の責任者が自らの職分をまっとうしなかった、のでしょうね」


 顔を沈めてプラチナが唇を噛む。


 シュオウは悟られないよう険のある視線を、気落ちするプラチナへ送った。


 シュオウは生気を失って顔を落とすヴィシャへ語りかける。

 「子供達は生きているかもしれない」


 ヴィシャは雷に打たれたように身体を震わせた。

 「なぜそう思うッ、なにか知っているのか!」


 シュオウは落ち着かせるために一度間を置き、ヴィシャの血走った眼を見つめて頷いた。


 「調べてきた過程で確実にわかったことがある。あの日に見つかった二つの遺体は、それぞれ犯人が違う。ひとりは子を持つ若い母、ひとりは商店を営む男。後者は俺の仲間がしたこととされていて、おそらく犯行そのものが罪を着せるために捏造されたものだ」


 「……根拠は、あるんだろうな」


 「手口は似通っていてもたしかに違う。切断された箇所、方法、それに手腕も。以前から若い女を殺して晒し者にする犯行は、この街に巣食う狂人の仕業と考えて間違いない」


 「それと、俺の娘達の無事になんの関係が――」


 「ある。この街で殺人行為がはじまってから、これまでに一度でも同じような殺され方をしていた子供を見たことがあるか」


 シュオウが投げたその問いに、ヴィシャははっとして顔をあげる。


 「知る限りないな……一度も」


 「その犯人は、子持ちの若い母親を殺すことに執着している。殺す相手を確実に絞って選んでいるんだ。そして、今回見つかった女性が殺された現地で、子供の悲鳴を聞いたという証言がある。子供達がその殺人の現場に居合わせてしまったのだとしたら、それは犯人にとって計算外の出来事だったはず。顔を見てしまったのだとしても、大人を切り裂いて殺せるような奴が、その場で目撃者となった子供を殺せなかったわけがない。子供達の遺体が見つかっていない以上、生きているという可能性は十分に考えられる」


 「そ、それは本当なのか!? 間違いないんだなッ」

 身を乗り出して必死に問うヴィシャに、シュオウは頷きを返した。


 ヴィシャの濁った目が、希望の光を取り戻しつつあった。


 シュオウは嘘を言っていない。

 が、結局聞かせた説明に、彼の娘達が絶対に無事だという確証はなにもない。すべて推測だ。


 だが、シュオウはヴィシャに僅かに希望を与えた。親切心からではなく、そこには、彼の持つ力を目当てとした打算がある。


 「ならすぐにでも仲間を集めて――」


 腰をあげたヴィシャをすぐに止める。


 「並の人間では無理だ。この犯人は彩石を持つ者である可能性が高い」


 言うと、プラチナが不安そうに肩を揺らした。

 遺体の切断面を見たときから、彼女も考えていたことであろうと予想していたが、今の反応でその確信は高まる。


 考えの根拠となるのは遺体に残る傷跡。あの女性の遺体にあった切断面は、とても並の刃物を使ってできるような芸当だとは思えない。


 そうなればよほど優れた名剣、刃物などを用い、達人並の技を持つ者がしたか、人知を超えた晶気の使い手によるものかのどちらかになる。


 比較した場合、どちらがよりありふれた存在であるか。


 「もし犯人が特別な力を持つ者だった場合、並の人間が束になってかかっても、皆殺しにされてしまうかもしれない。それに、大勢で探し回っていればそれを気取られ、犯人が焦って子供達を殺して逃げる可能性もある」


 「ならどうすればいい!」


 シュオウは立ち上がり、ヴィシャを正面から見つめた。


 「俺が見つける」


 「お前が……?」


 「俺の容姿なら街の風景に溶け込める、犯人に遭遇した場合、うまく対処するだけの力もある。ただ、そのためにヴィシャ、あなたの協力が不可欠なんだ」


 ヴィシャが食い入るように身を乗り出す。

 「聞かせろ、俺になにができる」


 「改めてたしかめたい、あなたは外の人々を、事態そのものを掌握しているのか」


 ヴィシャは明確に首肯した。


 「ああ、その通り、扇動しているのは俺だ。だが俺が命じただけであれだけの人間は動かない。みな我慢の限界だったんだ――」


 ヴィシャも立ち上がり、腰帯に指を入れシュオウを上から見下ろした。


 「――ようするにこう言いたいんだろう、俺に外の騒ぎを鎮めろと」


 シュオウは即座に否定する。


 「その逆だ、この騒ぎをもっと大きく、もっと広げてもらいたい」


 プラチナが慌てて声をあげた。

 「なにを言い出すのですッ」


 シュオウは無視して手持ちの地図を卓の上へ広げ指で示した。


 「現在地がここだな。外の騒ぎはどの辺りまで広がっているかわかるか」


 ヴィシャは戸惑いつつも地図の上で太い指を滑らせる。


 「俺たちは下街の人間だ。徒党を組んで上へあがろうとすれば、さすがに向こうも黙ってないからな」


 ヴィシャが指したのは下街と上街を繋ぐ境界の一つ、大きな川を挟んだ橋の手前側である。


 シュオウはヴィシャが指した地点から大きく東に逸れた部分を指で叩く。


 「こっちの区画へ通じる別の上街への道に、外の集団の半数を流したい」


 シュオウの提案にプラチナが異議を唱えた。

 「待って、そこから先は――」


 ヴィシャがプラチナの言葉を遮る。

 「その区画には貴族どもの家があるな」


 フクロウに渡された地図には各区画の詳細が書かれていた。シュオウが指し示したそこは、ターフェスタの輝士やその家族が住まう邸宅が立ち並ぶ、貴族たちの邸通りなのである。


 「そうだ、自分の家や家族へ危険が及ぶと思えば、市街地での境界部分に割かれる警備が増える。輝士達にとっても他人まかせにできない重要事になるだろう。各所の警戒が薄くなれば、隙が生まれて子供達を捜索するための行動をとりやすくなる。混乱が大きくなるほど、犯人の注意をそちらへ向けることも期待できる」


 ヴィシャは腰帯に指した指を何度も出し入れし、唸った。


 「俺も伊達に裏稼業を生業にしていない。ひとは自分に得のないことはしないもんだ。そうまでして、俺の子を捜す理由はなんだ。ムラクモ人であるあんたになんの得がある」


 シュオウは僅か言葉を詰まらせる。

 ヴィシャの問はシュオウ自身が疑問に思うことでもあった。

 彼の娘の救出、それに関わっていると思しき狂人の捜索。これらの事が己の目的のためにどう繋がるのか。


 ――俺はどうしたい。


 あの薄汚れた暗い家の中で見た光景が頭をちらつく。


 ――助けたい。


 その言葉に嘘はないのだとあらためて思う。

 あの悲しい光景を、意味もなく死んでいった子供の姿を、今度は防げるかもしれない。その思いは真実だ。


 だが、置かれた切迫した状況が、思うまま正義心を振りかざす場を与えてくれない。子供を捜すという行為と、ジェダの救出、他の仲間達と合わせてターフェスタを脱出するという目的とを結ぶことができなかった。


 ――考えろ。


 ヴィシャの持つ戦力は無視できない。

 シュオウにとって、彼らが生み出す混沌はあらゆる意味で都合が良い。


 ――そうだ。


 一つの考えが浮かぶ。

 ヴィシャの生み出す混沌を支配下に置くこと。


 このまま正攻法でジェダを救い出せないとなった場合、とれる手段は後先を考えない強行突破しかない。


 貴族階級の者達が住まう区画へ民衆による威圧をかけるよう促したことも、城を固める兵力を分散させる効果が期待できる。


 この状況を上手く使うことができれば、どさくさ紛れの逃亡劇には、強い味方となるだろう。


 外で起こる事態を完全に掌握するためにも、ヴィシャの娘達を見つけ出し、無事に救出することが必要となる。それが叶えば、ムラクモ特使団の脱出ために重要な布石とすることができるはず。


 ――繋がった。


 シュオウは強引にそう結論づけた。

 ほっとしている自分に気づき、結局、子供達の捜索に時間を割くための理由が欲しかったのだと自覚する。


 まず、答えを求めるヴィシャに、もっともらしい理由を返さねばならない。彼はシュオウに利があるかどうかを知りたがっている。相応の物がなければ、言葉に信を得られないだろう。


 「子供達が本当に事件に関わっているのなら、その犯人を捕らえて、ジェダがしたこととされている殺人行為の真犯人として突き出す」


 ヴィシャがはじめて愉快そうに口角をあげた。

 「つまり、国のしたことを、同じ方法でそいつにかぶせてやろうってんだな」


 「……そうだ」


 「俺の娘達はそのついでということか」


 「ついでじゃない、本気で助けたいと思っている」


 ヴィシャは黙り込んだ。


 ――迷うな。


 考える間を与えてはならない。代わりに切迫感を植え付ける。


 「俺には二度目の機会を与えられるほど余裕はない、断られればこのまま去る。だが、これが子供達を救い出せる最後の機会になるかもしれないぞ」


 「……この騒ぎはいつまでも続けられねえ。相手の出方次第だが、もって一日、俺の見立てじゃ半日がせいぜいだ。それまでに俺の娘達を見つけられると約束できるのか」


 「絶対の約束ができるような状況じゃない。ただ、この件には俺と仲間たちの命運がかかっている。俺が必死だということはわかるはずだ。結果の保証はできないが、何かしらの答えは必ず見つけてみせる」


 ヴィシャは迷いを振り払うように自身の胸を強く叩いた。

 「わかった、その話に乗ろう」


 ――よし。


 この国で、平民とはいえ大勢の人間を動かせる実力者を味方につけた瞬間である。思う通りに事が運んだことを喜びつつも、胸の奥に罪悪感がこびりついた。


 ――俺は悪党だ。


 子を想う父の心を利用し、自らの目的のため保険としたのだ。なにを言い訳にしても、それは利己的な行為にすぎる。罪滅ぼしができるとすれば、言葉の通り、彼の子供達を無事に見つけ出すほかない。


 シュオウがヴィシャと結んだ約束に、プラチナが吠えて異議を唱えた。


 「その計画は見過ごせません! 輝士の家族を脅しにつかうようなこと……忘れているかもしれませんが、軍人ではない彼らもまた彩石を持つ者、退役した輝士も大勢いる。身の危険を感じればきっと力を奮うでしょう。そうなれば押し寄せた人々にも多大な被害がでるかもしれないッ」


 プラチナの異議をシュオウは予め予測していた。ターフェスタのまっとうな軍人である彼女にとっては、国の安全を揺るがすような重大な反逆行為と受け取るのは当然のことである。


 「暴動の参加者達に、自分達から手を出させないことはできるか」

 シュオウはそうヴィシャに問う。


 「おれの指示なら皆、耳を貸す」とヴィシャ。


 「そんなもの、なんの保証にもならないわ」

 プラチナは必死に食い下がる。


 「なら、あなたが側にいて監視し、彼らを守ればいい」

 抑揚なく言ったシュオウの提案に、プラチナは訝った。


 「私が……でも……」


 これでいい、と心中で呟く。これはシュオウの企てだった。


 突然に降ってわいた強大な力を秘める燦光石を持ち、まっとうな正義感を持つプラチナという人物。綺麗な顔で正しい言葉を並べながら、最善の方法をとろうとしない彼女に、シュオウは嫌気を感じていた。


 プラチナの言うがまま、思うままにことが進んできたこれまでの時間は、シュオウにとっても無駄な時ではなかったが、ここからは違う。


 「民衆と子供達の命がかかっている。そのうえでまだ不満があるか」


 睨めつけて言うと、プラチナは口をつぐんで俯いた。

 さきほどの乱闘騒ぎから、彼女は明らかに精彩を欠いている。現状、自身の思惑のまま事を進めたいシュオウにとって、それは都合が良い。


 共に行動をしてきてわかったことがある。プラチナという人間が権力者には珍しく、弱者に対しての深い慈悲を持っていること。民の安全がかかる局面があれば、そこに釘付けにできるだろうという予想も、まったくその通りに運びそうだ。


 プラチナは反論を止め明らかに迷いのなかにある。意思の決定を状況や流れに委ねはじめていた。


 プラチナを監視役としてここに残したいのは、民衆を守るためばかりではない。シュオウ自身が彼女から距離を取りたかったからだ。


 ――これでいい。


 この後、決断を迫られたとき、プラチナという存在は邪魔になる。彼女はまっとうな考えを持つ人物ではあるが、やはりターフェスタを一番に想う者である。シュオウとは目的の優先順位が合致しないのだ。


 目的達成のため、物事の流れを他人に委ねてはいけない。プラチナと出会ってからこれまで、他人の意思に流され始めていた状況を、もう一度自分の手に取り戻したかった。


 シュオウは振り返り、部屋のすみで佇むシガを呼び寄せた。


 「ヴィシャ、戦力としてこの男を貸す」


 シガは歯を剥いて反抗した。


 「まてよ、俺もお前と行く。仕事をさせろ、役立たずじゃないと証明してやるッ」


 「お前は目立つんだ、今はむしろ邪魔になる」


 「くそ」

 シガは不満気にそっぽを向いた。


 ヴィシャは、

 「助かるが、こんどは裏切るんじゃねえぞ」

 と言ってシガを睨んだ。


 プラチナはシュオウの計画への口出しを諦めた様子だったが、険しい顔でヴィシャの前に立った。


 「待って、まだ話があります。裏道へ置かれていた死体、あれをやったのは――」


 ヴィシャは一瞬シガへ視線をやり、

 「さあ、知らねえな」


 「そんなはずッ」


 「知らないね。騒ぎの最中に人混みのなかで倒れてたのを見つけただけだ。輝士が死んだと上に知られたら外の連中に危害が及ぶ。だからいったん隠しておいただけのことだ」


 プラチナは口元を引き絞り、それ以上の追求を諦めた様子だった。




 話を終え、シュオウは店の出口に向かっていた。去り際、こっそりとシガに言葉を残す。


 「絶対にこちら側から手をださせるな」


 「向こうからきたらどうする」


 「そのときは皆を守れ」


 「俺のやりかたになるぜ」


 シュオウはうなずいた後、シガの服を掴む。


 「外にあった死体、やったのはお前だな」


 シガはばつがわるそうに頭をかいた。それが答えである。

 潰されたような輝士の頭と、ここでシガを見たときから、おおよその検討はついていたことだ。


 そうと知っても、このことでシガを責める心はない。先に敵対行動をとったのはあくまでターフェスタの方だ。矛先を向けられた側には命を賭けて抵抗する権利がある。


 「これからやろうとしていることはまるで先が見えない。いざとなれば無理矢理にでもここを出る。覚悟だけはしておけ」


 シガは犬歯を剥き出して拳を叩く。

 「俺はそっちのほうがいい、ようやく面白くなってきた」




 シガに一時の別れを告げ、一人で店を出る。

 少し遅れてプラチナが出てきた。


 「ひどい計画です」

 プラチナが言ったその言葉ほど、責めの気配は感じない。


 「ここの人間なら、ゆっくりと犯人探しをしている暇があるんだろうが、俺達にとっても、行方知れずの子供達にとっても、一秒が惜しい状況なんだ」


 「でも、もし子供達を救い出すことができなければ、あの男はきっとあなたのせいにする。いちど希望を与え、それを奪われれば、人は正常な心を失ってしまう。そうなってしまったとき、この騒ぎをどうするつもりです」


 「なにを言ってもあの男は暴動をとめるつもりはなかっただろう。子供を失ったと思い自暴自棄でなにをするつもりだったかわからない。なら少しでも制御ができる状況に置いたほうがいい。敵だと思われるより、いまは味方だと思わせておくことに意味がある」


 図るように、プラチナが目を細めてシュオウを見つめた。


 「あなたを少し誤解していました。見た目よりもずっと優しげな若者かと思えば、考え方もなにもかも力任せにすぎる――」


 プラチナは言葉の途中でシュオウの右手を一瞬覗き見た。


 「――でも、さっきは助かりました、気を配ってくれていなければ、私はあのヴィシャという男の仲間を殺めてしまっていた。身を守るためとはいえ、無意味に民の命を奪うことになり、大きな後悔となっていたはず。恥じ入るばかりで……情けない思いが消えません」


 「自分のためにしたことだ」


 プラチナは厳かに笑う。

 「照れなくてもいいのに」


 シュオウは視線をはずして口角を下げた。


 「それとは別の話ですが、あなたの仲間のあの男。あの殺された輝士達をやったのは彼ではないかと、私は考えています」


 「……どうしてそう思う」


 「戦闘訓練を受けた輝士をああまでして殺せる者。南方人には肉体の機能そのものを強化する彩石を持つ者が多い。殺された輝士の頭は、まるで猛烈な腕力で押しつぶされたようになっていた。あの男の体躯をみれば、嫌でも想像してしまいます。あれだけのことを、彩石を持たない人間がしたとは考えにくい」


 「証拠はない」

 シュオウは断言した。


 「ええ、ですがきちんと精査をする必要があります。この件、これまでのこととは別にして、真実を明らかとすることを諦めるつもりはありませんからね」


 じっと見つめる銀色の瞳に、シュオウは沈黙を貫いた。


 「……もう行く」


 プラチナが不安そうに腕を組んだ。


 「これからどうするつもりです、たいした手がかりもないのに、本当に子供たちを見つけられると?」


 シュオウはヴィシャから預かった紙に目をおとした。

 そこには娘達の名前、年齢や特徴、普段の服装から遊び場まで、親の知るかぎりの情報が書かれている。


 「これを元に探ってみるつもりだ。もしかしたら、逃げてどこかに隠れているかもしれない」


 シュオウはヴィシャに言わなかったもうひとつの可能性に触れた。だが、これを言わなかったのは、そうであればとっくに子供達がヴィシャの元へ帰ってきているはずだからである。彼もそれはよくわかっているだろう。


 怪我を負っていて動けない、という可能性もあり、その場合はすでに死んでいることも考えられる。結局、どの予測もあまり希望を持てるようなものではない。


 「同行できないことが悔しい……」


 プラチナの言う悔しさは、彼女の誠実そうな人柄から出た真実の言葉だとわかる。あれだけのことをしてきた者を、その凶行を自らの手で止めたいのだろう。


 「あなたの言った通り、暴動に参加している人たちは危険な状況に置かれている。でも燦光石の力があれば、いざというとき国と民衆、どちらも制することができるはずだ」


 プラチナは重く頷いた。

 シュオウの右手へそっと視線をやる。


 「その右手、かなり腫れがでてきていますね」


 申し訳なさそうに言うプラチナに、

 「左手がある」と言ってシュオウは固く笑みをつくって見せた。


 プラチナはシュオウの右手を包むように両手でくるむ。


 「私たちは人間は理想と現実のハザマで足掻く哀れな生き物。ですが、あなたからは弱き者への慈しみと心根の強さを感じる。あなたを信じて我が使命を一時託します、どうか気をつけて」




 シュオウは外套をまぶかにかぶり、道を流れる人々の波の中にその身を投じた。

 去り際に思いを預けて寄越したプラチナのことを考えていた。


 ――呑気な女だ。


 プラチナは監視下に置くべきシュオウを野放しにした。それは一方的な思い込みによる信頼と、油断である。自身の過失によって傷つけた相手に対しての罪悪感も影響したかもしれない。


 ――全部持っているのに。


 この国で起こる不和のすべて解決する力をプラチナは有している。燦光石が持つ事象としての力、銀星石の主という権力者としての立場、人望、弱者を労る心。どれもが強力な武器でありながら、正体を明かして行動しようとはしない。当然彼女にも相応の理由があるのだ。が、シュオウから見れば、手にバケツ一杯の水を持ちながら、喉が渇いたと嘆いているようにしか思えない。


 使えない力ならないのと同じだ。


 歩きながら、シュオウは考えを巡らせた。

 とくに今回のこと、目的達成のための道筋をどうするか。


 ――疑いを晴らせたとして、ターフェスタがジェダを解放するか。


 自身への問いかけに、否という答えを用意する。

 正攻法でのジェダの救出は、すでに諦めるべきときにきていた。


 ここへ来るまでに見てきたターフェスタという国の現実。あれほどの凶行を重ねる殺人者を野放しにし、異国の軍人へ捏造した罪を着せるような不誠実な国に対して、相応の無実の証拠を突きつけたとしても、まともに取り扱うはずもない。


 ――連れ出すまではできる。


 ジェダの救出という目的にのみ絞るならば、シュオウにはそれを力づくで実行するだけの自信があった。しかし、問題は他の者達を全員連れ、追ってのかかる状況で無事にムラクモまでたどり着けるのか、という部分にある。


 敵の軍事拠点を数名で突破するには危険がつきまとい、灰色の森の中を複数人で突っ切るには、それ以上の危険を侵すことになる。


 これはジェダを拘束した側と対面で向き合う盤上の戦だ。シュオウの定めた勝利条件は仲間たち全員の無事な脱出。そのための確実な勝利を得るにはより強力な駒を手に入れ、敵の牙城に攻め込まなければならない。


 ――ヴィシャ。


 現状、かろうじて握る駒の一つである。無頼の輩を束ね、大勢の人間を動かすことのできる有力者だ。


 そして、大局に影響を及ぼすことができる強力な駒、燦光石を持ち人望もある将。


 ――プラチナ。


 プラチナの名が記された命令書にひれ伏した兵士らの姿を思い出す。あの力を有効に活用できれば、それが最善の方法になるだろう。だが、彼女は周囲に正体を知られることを嫌っている。


 現在、シュオウの追うもの。行方不明の二人の子供と、その原因である可能性が高い狂人。


 それは、二つの駒であるヴィシャとプラチナ、それぞれが強く欲するモノだ。


 ――手に入れれば。


 動かせる駒として、両者は申し分ない力を持っている。掌握し、適切に動かすことができれば、突破口を見出すこともできるだろう。


 まぎれる群衆のなかから不思議な言葉が聞こえてきた。

 「かいほう! かいほう! かいほう!」


 決して少なくない声で、領主への怒り、国や軍への怒りの言葉に紛れる解放という言葉。


 シュオウはヴィシャの言葉を思い出していた。


 自分が扇動しただけでは、これほどの人間達は動かない。


 そして群れにまぎれ、その言葉の意味を実感する。

 この命がけの暴動に参加する人々が真に恐れているもの。それはムラクモという大国の怒りをかうことなのだと。


 この人波が抱える怒りは二重構造になっていた。


 市街地で頻発する殺人を放置してきたこと。その罪を和平の使者として訪れたムラクモの輝士へ着せたこと。事実とは微妙に異なっていても、人々はそう思っているのだ。彼らは愚かな領主がとち狂ったのではないかと不安に思っている。そうした思いと日頃の鬱憤が合わさり、この群れを動かす原動力となっている。


 思う心は違えど、これだけの人間たちがジェダの解放と無事な帰国を願っていることは心強く思えた。


 ――ここからは綱渡りだ。


 シュオウは自身に協力を願い出た男のことを考えていた。この広い市街地で、たった二人の子供を捜すのは至難の業だ。だが、誰よりも早く、シュオウを見つけ出した彼の手腕はたしかなもの。いまはその力を頼りとしたい状況だ。


 安定とは程遠い。なにもかもが不確かな事態のなか、掴まるところのない大河のなかで漂っているような心地がする。


 ――皆は。


 人波に揉まれながら、潜伏しているアイセ、シトリのこと、そして囚われの身であるジェダのことを想った。




 冷たい外気を纏う夜は、怒れる群衆の熱気に焼かれている。


 長夜はここから始まった。







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― 新着の感想 ―
改めて読み返して見るとワーベリアムは本当にこの国に必要な全てを兼ね備えてるんだなぁと実感する
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