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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
50/184




 4




 警備兵達から聞き出した遺体を保管した施設は町外れにあった。


 ――おかしなものに巻かれた。


 プラチナの同行は有無を言わさず、といった風だった。彼女の立場からすれば当然のこと、シュオウは警戒すべき異国の軍人だ。

 だがプラチナの態度には抵抗された場合を憂う様子がなかった。燦光石を持つ人間の余裕がそうさせているのだろう。


 ――つまり、おれは雑魚か。


 燦光石を持つ者からすれば、得体の知れないムラクモの戦士は脅威ではないと思われているのだ。


 奮う力が天変地異の領域にまで及ぶとされる燦光石。一人の人間が策もなく立ち向かうにはあまりに無謀であろう。


 その石が持つ力のほどはわからないが、プラチナという人物は、これまで接してきた燦光石を持つ誰よりも親しみやすい空気を纏っていた。ある種の幼稚さ、あどけなさを残しているにも見える。


 「あなたのその髪は、カツラなのよね」

 道中、柔らかな言葉遣いで、プラチナがシュオウに問いかけた。


 「そうだけど、この下もたいして変わりはない。特徴を隠すためにかぶっているだけで」


 シュオウはカツラを少し浮かせて、なかの地毛と眼帯を見せた。


 「ああ、あなたが……。東方にいる同胞とはめずらしいわ」


 「見た目だけだ、俺は自分の出自を知らない」


 話に繰り返し頷きながらプラチナはシュオウをじっくりと観察し始めた。


 「大きな眼帯……たしかに目立つ。それを隠すためだったのね」


 シュオウはカツラを直し、プラチナに渡された新しい地図を見た。


 「これ、目的地までの曲がり角が三回しかないぞ」


 目の前に地図を突き出すと、プラチナはぎゅっと固くまぶたを閉じる。


 シュオウは呆れて口元を歪めた。


 「おい……地図が読めないんじゃなくて、最初から見るきすらないんじゃないか」


 「そういう細かい物を見てると頭が痛くなってくるので。途中に誘惑に満ちた細い分かれ道があるだけで入ってみたくなるでしょう」


 シュオウへ同行を求めたプラチナは地図を見るのが下手だと言って道案内の役を求めた。が、これはもはや地図が読めるかどうかの問題ではない。


 共に道を行くプラチナは落ち着き無くあちこちに目をやっていた。しかもその対象は動いている物ばかり。虫や鳥、道行く人々など様々だが、どうやらこれは彼女の癖らしい。そして道に弱いことの原因もここにあるのかもしれない。


 「老犬でもこの道は間違えない……地図も読めずによく将の役目をこなせるな」


 プラチナが目を細め、くすくすと吹き出した。


 「ああ、おかしい」


 「ん?」


 「ただの懐古です。石を継ぐ以前は、まだあなたのように気さくに接してくれる人も多かったなと。こんな開放感はひさしぶり、一人の人間でいられるってこんなに身軽なことだったのね」


 遠く過ぎた日々を憧憬するように目を細めるプラチナ。その横顔を眺めながら、燦光石を持つ者の大きな特性を思い出す。


 「そうか、燦光石を持つ人間は老いるのが……。じゃあ本当は何歳くら――」


 プラチナの顔を暗い影が覆い眼光が禍々しい色を帯びていた。ちらと向けられる横目が、それ以上聞くのか、と覚悟を求めている。


 覚悟はなかった。

 シュオウは咳払いをして顔をそむける。


 プラチナは目を白くして遠くを仰ぎ見た。


 「齢の雰囲気ではほとんど変わらない親族から、オバオバと連呼される者の気持ち、あなたにはわからないでしょうね」


 「わ、わからない」


 プラチナは前を向き、自嘲するように微笑んだ。


 「さきほどのあの兵士たち、私の顔を正面から見ても正体に気づかなかったでしょう」


 「ああ……たしかに」


 「銀星石を持つ私を正面から見る者は少ないんです、頼んでもいないのに頭を下げて敬ってくれるから。そうされているうちに、自分でも自然と銀星石の主、プラチナ・ワーベリアム准将という役を演じることが上手になっていく――」


 言葉を切り、プラチナは目を細めて自身の左手の輝石を見つめた。


 「――ひとってそういうものでしょ。集団のなかで必要とされるものになろうとする。必ずしもそれを望んでいなかったとしても、上手く演じきれれば、それはそれで安心感もある。望まれる私があって、みんなから必要としてもらえる、それは幸せなことです」


 シュオウは視線を流し、人の世に出てからのことを思い出していた。

 「少し、わかるきがする」


 ひとは立場にかかわらず、生まれや場に囚われる生き物だ。

 シュオウは身をもってそれを体験し、そして同様に苦しむ人々の姿も見てきた。


 俯いていると、プラチナが覗き込んできた。

 「私は何歳くらいに見えますか?」


 「ぐ――」

 降って湧いた難しい質問に、シュオウは喉を鳴らして言葉を詰まらせた。

 「――俺と、同じくらい」


 かなり曖昧な回答ではあるが、プラチナは満足した様子で頷いた。


 「二十そこそこくらいに見えるでしょ。こうみえて一般の長命な者が生きる時間の半分は生きてきました。神の御石を持つ者のこうした特性をうらやむ者もいるけれど、酷い孤独と向き合うことになる。ひとりだけ時間のなかに取り残されるというのは酷なことなのよ」


 プラチナの話で、知人であるアデュレリアの当主の姿を思い出していた。


 「それはわかる、同じようなひとを知っているから。もっとずっと子供のような姿をしているが」


 プラチナは目を丸くした。

 「それは――」


 目的の場所が目視できる距離まできて、シュオウはプラチナの話を遮った。


 「そろそろ、つくぞ」




 たどり着いた建物は古めかしく大きな葬儀場だった。奥に枯れた蔦をたっぷりまとった教会の背中側が見える。


 建物の周辺に警備兵らの姿はなく、呼びかけに応じた老人も、遺体を確認したいと告げたプラチナに二つ返事で了承を告げた。


 ――警備が薄い。


 第一印象でそう思うほど、ここへ来るまでに見かける兵士の姿が減っていき、この施設と周辺にいたっては誰一人みかけなかった。


 遺体の安置所は地下にあった。

 薄暗い部屋は外よりもずっと気温が低い。


 飛べば頭を打つほど部屋の天井は低いが、奥行きは相当に余裕がある。奥の壁に置かれた古びた女神像と溶けた蝋にまみれた燭台が見えた。


 周囲にしきつめられた赤い絨毯も、壁掛けの明かり入れも、なにかもが古めかしいが、部屋のなかは蜘蛛の巣一つはられてはおらず、漂うほこりも感じない。


 案内役の老人は部屋のなかに置かれた複数体の遺体から一つの前に立ち、かぶせられた布に手をかけた。


 「覚悟してください、ひどいものですよ」


 そう言ってめくった布の下から、切り分けられた男の遺体が現れた。

 溢れるように漂った死臭に、プラチナが鼻を押さえる。


 「なんてむごい」

 絞り出すように言って、プラチナは膝を折って男の遺体に向けて祈りの言葉を唱える。


 シュオウは遺体の切断された箇所に注目した。ジェダが言っていたことを思い出したのだ。

 その行動に追従するように、プラチナが横から顔を覗かせてきた。


 「あいつが言っていた、この切断面は汚すぎると」


 「ええ、そういわれると。できの悪い刃物を用いた切り口のように見えますね」


 反対側から覗き込んできた老人も同調する。


 「そうそう、肉屋で買ってきた鹿肉なんかの断面がこんなふうになっておりますね」


 シュオウは嫌なたとえだと思ったが、たしかにそうなのだ。あまり切れ味のよくない刃物で、ぎこぎこと引くように切った肉の切断面とよく似ている。骨を切るのに手こずったのか、その部分になるとさらに醜い傷が多く残っていた。


 だがこれをもってジェダがしていない、という確かな証拠とはなりえないだろう。遺体の観察を続けても、それ以上期待できるような情報はなにも得られなかった。


 老人が軽くこぼした一言に、シュオウとプラチナは息を呑んだ。


 「同じ日にあがってきたほうのご遺体の切り方は、もっと綺麗で腕がいいのですがね」


 プラチナが血相を変えて老人の腕を掴む。

 「それは、いまここに?」


 「あ、ああ、あります、ほれ、すぐとなりです」

 老人は聞かれたこと事態を不思議に思っているようだった。


 すぐに飛びついたプラチナは、隣の遺体にかけられた薄布をはがし、でてきた若い女の遺体を前に再び膝を折った。


 「ああ、やっぱり……」


 その遺体は胸から腰が斜めに切り離され、左腕が切断され、小指が無くなっていた。

 切断面はさきほどの男のものと比べても、ひと目でわかるほど違いがある。そこにははじめから何もなかったかのように、なめらかで淀みのない切り口があった。


 「私が最後に見たときより、切断痕がずっと綺麗になっている。これはもう刃物では……」


 無念さを溜め込んだ苦渋の声を出し絞り、プラチナは遺体へ祈りを捧げた。


 プラチナは強い形相で老人に詰め寄る。

 「このご遺体を運んできたのは?」


 「そりゃあ、警邏の方々ですよ」


 「なんと言っていましたか」


 老人は顔を伏せ、小さく言った。

 「いつも通りですよ……自殺、だそうで」


 「そんな……」


 自殺のはずがない、と誰もが思うだろう。


 「同じような状態をして、自殺、で死んだご遺体を、覚えてるだけでもう十数体以上は預かってきました。あなた方はお知りにならなかったので」


 プラチナは重く頷く。

 「ここしばらく遠方にいたのです。この女性の身元はわかっているのですか」


 「はい、上街の若夫婦の妻ですよ、子供を産んでまもないというのに、むごいことをする……」


 老人は独り言のようにそう零し、慌てて言い直す。


 「あ、いや……自殺、でしたな」


 シュオウは女の遺体を見ながら老人に聞く。

 「この遺体が発見されたときの状況は」


 「場所は上街の住宅街の側の裏路地、近所の人間が通報したようで、なんでも子供の悲鳴を聞いたとかなんとかで、出てみたらこの遺体が見つかったと」


 「子供……」


 最初にこの遺体を発見し、驚いて悲鳴をあげたのだろうか。


 「かわいそうに、幼い身でこのようにむごい現実を見てしまうなんて」

 同じように思ったのか、プラチナも子供への同情を口にした。


 プラチナは無言で遺体の髪をそっと撫で、はがした布を静かに戻し、口元を引き締め、バシンと強く自身の頬を叩いた。


 「このご遺体と似たような状態で運ばれてきた者達の情報が欲しいのですが」


 問われた老人は顔を伏せながら強く拳を握った。


 「はい……ですがなににお使いになるので」


 「もちろん、これをやった者を捕まえるためです。このような命への冒涜、自殺ですませてなるものですかッ」


 老人は顔をあげプラチナの手を両手で包む。


 「ああ、神に感謝を。ついにこの事を憂いてくださる方が現れた。よろこんで、ご用意させていただきますよ」




     *




 老人が用意した名簿を頼りに、シュオウは再びプラチナの案内人としての役をこなしていた。


 目標は殺された女達の住まい。殺されたときの状況などを聞き、手がかりがつかめないかと期待してのことだった。


 訪ねた先々で見た光景は酷いものだった。


 妻を殺され、やつれた顔で小さな子を抱えた夫。娘を殺され、孫を抱えて悲観に暮れる老いた被害者の両親。母を失い家で膝をかかえてすごしていた子供。


 共通していたのは深い悲しみと、怒りだった。遺族たちが皆、輝士服を着た者達へ強い怒りと恨みを抱いていた。去り際に、プラチナやシュオウへ向けて石を投げてきた子供までいた。


 彼らが抱いているのは犯人への怒りだけではない。本来、市民を傷つける者を取り締まる側の人間、犯人を野放しにしている国や軍への怒りも同時に併せ持っていたのだ。


 一件ずつ家をまわって話を聞くたび、二人の表情は暗くなっていった。


 最後の家へ向かう途中、シュオウはすっかり元気をなくしてうつむくプラチナへ声をかけた。


 「わかってきたことがあるな」


 プラチナは弱々しい声で応じる。


 「ええ、被害者はみな若い女性、そして必ず小さな子供を持つ母。住まいは上街の中腹、裕福な商人の元で働く者や、貴族の邸や城で働く使用人たちの住まいが多い部分に集中している」


 「全員が彩石を持たない平民たち、か」


 「そう……明確に一致した特徴の被害者ばかり。同じやりかた、同じような対象。この凶行を続ける者には強いこだわりがあるのね」


 「最後の家が見えてきた」


 名簿にあった家のなかで、ここだけが極端に市街地からはずれていた。そのため最後にまわしたが、これまでみてきたどの家よりもみすぼらしい外観だった。


 シュオウはボロボロで隙間だらけになった扉を叩いた、が応答はない。


 「ひとが暮らしている形跡がないな」


 シュオウがつぶやくと、家の庭奥からひとの気配があった。

 山仕事の道具を背負った老婆だ。


 「お偉い輝士様方がこんなところへなんのご用ですかね」


 「あの――」

 プラチナが事情を説明すると、老婆はああと手を打った。


 「そういうことでしたら、どうぞお入りください。ここを管理しとるのはあたしですから」


 「この家はあなたの持ち物なの?」


 「いえ、管理を頼まれとるだけで」


 老婆は山仕事の道具を置いて扉を押し開いた。


 中へ入っていく背を追いかけて家のなかを見たシュオウは思わず鼻のまわりを手で覆っていた。


 「なん、だこの臭い」


 老婆が喉を鳴らし憂鬱そうに溜息をおとす。


 「ひとの身が……朽ちた臭いでございますよ。家にしみついてしまって、いくら換気をしたってなくならんです」


 家の中に充満していたのは死臭だった。ぼろぼろの室内は床に敷かれた木材も腐りかけ、隙間で虫達が蠢いている。そこかしこに蜘蛛の巣が大量にかかり、漂う腐臭も相まって異様な空気を漂わせていた。


 促されて入った部屋の様子を見たプラチナは小さく悲鳴をあげて後ずさった。


 そこは子供部屋だった。粗末なおもちゃが散乱し、壁には子供が喜びそうな虹や顔のついた雲の絵がかかっている。

 その部屋の中央に、黒い人の形をしたシミが残されていた。大きさからして明らかに子供のものだ。


 「死んだのか」


 シュオウの呟きに、老婆は悲しげに頷いた。


 「仲の良い若い夫婦だったと聞いとります。夫は遠方務めの兵士だったそうですが、命令に逆らって逃亡したとかで死罪に。噂が広まり、残された妻は皆から関係を絶たれ逃げるようにこの山のなかのボロ家へ移り住んだのです。山仕事の途中に挨拶をする程度の触れ合いでしたがねえ、子供を大切にしていた優しそうな娘さんでした」


 老婆の語り続けた。


 母は食べ物を得るため、山で得た僅かな資材などを売りに街へ出ていた。子供は生まれながらに身体が弱く、外へ連れて出ることもできず、ひとり残して出かけることが多かった。


 そして、子の母は帰り道に凶行の犠牲となった。


 夫のしたことで身内からも背を向けられていた娘は、その遺体を引き取る者も現れず、残された子供の安否を気にする者もいなかった。


 「あたしが気づいてやれればよかったんだが、ちょうどね、その頃は山の上の方にこもっている時期で、降りてきて気づいたときには、この家の子は餓死して朽ちてしまった後だった。かわいそうなことをした……。天に貰われてしまう前に見つけて、きちんとした葬儀をしてやれたことがせめてもの救いです」


 部屋の外からプラチナの嗚咽が漏れ聞こえる。


 残された黒いシミの側にあった馬の玩具には、小さな歯型が幾重にもついていた。


 シュオウはその玩具を手に握った。手の力が無意識に強さを増していく。


 床に残った黒いシミが訴えているようだった。

 孤独、不安や飢え、苦しみを。


 こぼれた雫が手に触れて流れ、消えた。


 かたわらから伸びた白い手がシュオウの手に静かに触れた。


 「強く握りすぎです」


 いつの間にか部屋にいたプラチナに指摘され、痛みを感じるほど力を込めていたことに気づく。

 プラチナは赤くした目でシミを見下ろし、そこへ手の平を落とした。


 「辛かったでしょう――」そう言って、祈りの言葉を静かに紡いだ。


 シュオウは部屋の様子をじっくりと眺めた。暗い部屋を僅かに照らす窓辺に、まだ新しい綺麗な花束が置かれている。


 「あれは、お婆さんが?」


 老婆はいえいえと首を振った。


 「ヴィシャの旦那様がね、定期的に届けてくださるのですよ。ここだけじゃなく、例の人斬りで残された家族方みんな、あの方が面倒みてるそうで」


 耳慣れぬ名を疑問に思った。

 「ヴィシャ?」


 祈りを終えたプラチナも興味ありげに顔をあげている。


 「下街の親分方の元締め様です。ここの死んだ子と母の葬儀費用をおだしになり、大事な証拠だからとこの地を買い上げてあたしに管理をまかせたのもヴィシャ様で。形はおっかないが、義理人情に厚いお方です。それなのに、あんなことになっちまうなんて……」


 「どうしたのですか」

 乗り出すようにプラチナが聞いた。


 「お子がね、行方知れずになっちまって。あのムラクモの方がやったとかいわれとる凶行の日の夜にね。それも二人いる娘さんの両方です。あれほど慈悲深いお方にあんな仕打ちをなさるとは、神様はなんて冷たいんだろう……」


 「同じ、日に……?」


 プラチナが目線をシュオウへ投げる。シュオウはその意味するところを理解していた。


 「そのヴィシャという男がいる場所を教えてほしい」


 シュオウの願いに、老婆は一瞬で顔色を変えた。


 「まずいことを言っちまったかね」


 プラチナが割って入り、老婆に頭を下げる。


 「お願いします。私達は荒事にするために聞いているのではありません、話を聞きに行きたいだけなのです。その少女たちの行方について、なんらかの協力ができるかもしれません」


 深々と頭を下げる輝士を物珍しそうに眺め、老婆は深く頷いた。


 「わかりました、信用します、お国の方でこの家のことを聞きにこられたのは、あなた方が初めてですからね。それに、どっちみちあの方は有名だ、黙ってたって居所はすぐわかるだろうしね」


 地図を渡し、老婆に目的の人物がいる場所へ印をつけてもらった。


 去り際に、黒いシミの側にそっとオモチャを戻した。


 ――なにも置いていってやれない。


 すべてが手遅れなのだ。そうとわかっていても、食べ物を置いていけないことがなにより悔しかった。




     *




 老婆に教えられたヴィシャの経営する下街の酒場へ向かう途中のことだった。


 「ありがとう」


 プラチナに礼を言われたシュオウは困惑した。


 「なんだ急に」


 「異国の人間であるあなたが、ターフェスタの、この国の民のために流してくれた涙です」


 「気のせいだろう」

 シュオウは不機嫌に言い捨てた。


 「……そうかもしれない。でも嬉しい、単純に嬉しかったんです」


 喜びを伝えるプラチナへ苛立ちを感じた。


 「俺は不快でしかない、あんな……」

 噛み締めた奥歯に力が増していく。


 「……かわいそうなことをしました。あってはならないことです」

 プラチナは微笑を殺し、鎮痛な面持ちで遠くを見やった。


 ――落ち着かない。


 あの家の臭い、床にこびりついた死の痕、生きたいと願って噛んだ玩具の傷。


 ――なにもかもが不愉快だ。


 あれが暴虐の果ての出来事だと、狂人のしでかしたことの結末だと、ただ単純にそう思うことができない。


 ――なぜだ。


 悲しみに暮れる人々を見て、孤独に死んだ子の汚臭に満ちた最後を見て、その怒りのすべてが、理不尽な気持ちが、痛みを伴って心に突き刺さる。


 その感情の終着地が、なぜ己の心の内にあるのかを理解できぬまま、疑念はただ不快な苛立ちとなって心の底に沈んでいった。




     *




 下街にさしかかると、途端に街の空気が一変した。


 日暮れが近い。


 薄雲の隙間から指す紅色の光に照らされながら、大勢の屈強な男たちが怒鳴り声をあげ、各所で兵士や輝士らとにらみ合いをしている。


 夕焼けに染まる街が、まるで血に濡れているように見えるほど、市街地は殺気に満ちていた。


 各所で民衆を抑えている大勢の兵士や輝士の姿をみて、上街で思いの外警備が緩かったことへの得心がいった。


 「聞いていたけれど、これほどの事態になっていたとは」

 周辺の殺気だった状況にプラチナは血相を変えた。


 「外套で輝士服を隠せ」

 シュオウは身なりを整えながらプラチナへ忠告した。


 言われた通りにしつつも、

 「なぜです」とプラチナが疑問を口にする。


 「こいつら、何かする気だ。輝士服を見る目つきが尋常じゃない」


 全身をすっぽりと覆うような格好で歩いていれば怪しまれても仕方がないが、むき身で出歩くよりはましだろうという判断だ。


 シュオウはプラチナの手を引いて目的の場所まで急いだ。


 怒りを帯びた民衆の波は、向かい風のように進行方向とは逆へと向かって流れている。その隙間を縫うように走り抜けた。途中、耳に届くのは一様にターフェスタの領主への不満と軍への怒りだった。


 「これはよくない……」

 プラチナは不安げにこぼし、握る手に力を込めた。




 ヴィシャの経営する酒場へとたどり着いた頃、かろうじて零れていた朱色の陽光はすでになくなっていた。


 店の入り口は体格が良く人相の悪い男たちがたむろして道を塞いでいた。組んだ腕の奥や、ぶかついた外套のなかに、全員が武器を隠し持っているような気配がある。


 ――数は、十五人。


 突破すれば騒ぎになる、とシュオウは直感する。

 話を聞くという目的のため、なるべく穏便に繋ぎを得たかった。


 シュオウはフクロウから渡された地図を確認する。


 建物が列をなして連なるように立ち並ぶ下街の酒場街は、外からみたかぎり別の入り口があるようには見えない。が、フクロウの地図にははずれの空き地から入ることができる裏口についての記述があった。


 「別口がある、まわってみよう」


 同意したプラチナをつれ、地図を頼りに離れた地点にある空き地の細道から店の裏口へむかった。


 ひと一人がやっと通れるほどの狭い道を行く。

 細道を抜けると、外側の通路と遜色ないほどの広い空間が現れた。

 四方を建物に囲まれ、真っ暗なそこにも、外の喧騒はしっかり届いている。


 ヴィシャの店の裏口まで辿りつく頃にはすっかり暗闇に目が慣れていた。


 店の裏には堅固な扉があり、その前に袋詰めの食材が積まれている。その荷と共に、不自然に膨らんだ大きな袋があった。

 それを手でどかそうとしたプラチナの態度が豹変した。


 「これ……まさか……」


 プラチナが気づいた違和感。外側からみてもすぐにわかった。中に入れられているものが人の形をしたものだと。

 封を切ってなかを確認したプラチナは絶句する。


 遅れて覗き込んだシュオウも顔をしかめた。

 「輝士、だな」


 それは赤の軍服を着たターフェスタ輝士だった。へしゃげた頭からべっとりと血まみれの状態で、生死を問えるような状態ではないのは火を見るより明らかだ。

 もう一つの袋の中身も同じような状態で絶命した輝士の物だった。


 「許せない――」


 プラチナの目の色が別人のように変わっていた。担いできた袋から得物を取り出す。それは重そうな金属製の棒だった。


 プラチナは一回転して棒をしならせ、頑丈な裏口の扉を粉々に粉砕する。いきなり披露された馬鹿力にシュオウは肝を冷やした。


 「待てッ、こんな狭い建物の中でそれを振り回す気か」


 シュオウの心配は彼女の耳に届かなかった。


 「電光石火で制圧する!」


 叫び、一人酒場の中へ猛烈な勢いで突撃をかけたプラチナの横顔は、これまでの穏やかな様相を変え、別人のような顔つきになっていた。戦いに挑む武人のそれである。


 急ぎ後を追う。


 中に入ってすぐ、男女の悲鳴と物が壊れる音が鳴り響いた。

 短い廊下を抜けた先は厨房で、調理器具を持った料理人たちが怯えた様子で身をかがめている。


 「どっちだ!」


 その問に、料理人の震える指が答えを指し示す。

 厨房を抜け、店の中央部屋へ出た。そこはすでに戦場一歩手前の状態となっていた。


 歯を剥き出して怒るプラチナと、彼女を囲んで睨み合う屈強な男たち。

 プラチナは頑丈で重そうな棒を軽々と構え、戦闘態勢を整えている。その姿にシュオウは僅か安堵していた。


 彼女は銀星石という名の燦光石の力をふるおうとしていない。怒りに我を忘れているようでも、並の人間相手に本気を見舞うほど興奮していないということだ。


 プラチナと対峙する男の一人が懐から大きめの短剣を抜いて切りかかった。プラチナは武器で応戦しようとするが、周囲の椅子や食卓に棒の先をぶつけ、動作に遅れが生まれていた。


 ほらみろ、と言ってやる暇がないことを悔やみながら、シュオウは短剣を振る男の懐に素早く飛び込み、太い腕を取って全体重をかけて床に引き倒した。そのまま腕の関節を捻り上げる。


 男が悲鳴をあげてのたうちまわっているうちに、プラチナの棒術が二人の男を仕留めていた。みぞおちを的確に狙って軽く小突いただけのように見えるが、一撃を受けた男たちは、直後に白目をむいて意識を落とした。


 残りは前方の一人を残すのみ。奥にいて事態を困惑した様子で見守っている他の男たちはみな、みるからに戦闘員の枠の外にいる者達だ。


 プラチナも同様の計算をしたのか、それが一瞬の油断をつくった。


 背後から突如湧いた暴力の気配。


 太く短い剣を奮った男の一撃がプラチナを襲う。が、プラチナはやはり武人として突出した力量の持ち主だった。シュオウとほぼ同時に脅威に気づき、振り返って武器を突き出した速さは神業に相当する。


 ――まずい。


 プラチナの棒の先が男の顔面を捉えていることを、シュオウの眼が見抜いていた。とっさのことで加減ができなかったのだろう。


 プラチナのかける力と前のめりに襲いかかる男。二つを線で結んだ結果がむごたらしいものになると、この一瞬の時にシュオウだけが結果を予想していた。


 おそらく、男の右目から脳、後頭部の頭蓋骨までを一突きにしたであろうその一撃に対して、シュオウができたのは咄嗟に自身の右手を差し出すことだけだ。


 男の足を蹴り飛ばして剣の軌道を変え、プラチナの強烈な突きに右手甲を当てる。両者の無事を守ることと引き換えに、シュオウの右手の骨は強烈な痛みに悲鳴をあげた。


 衝撃は骨を伝い、濁った重音が全身に響く。


 ――逝ったな。


 師に叩き込まれた、経験としての無数の痛み。それを思い出し、シュオウは自身の右手の骨に並々ならぬ傷がついたことを悟った。


 怒りを忘れ、プラチナはシュオウに負わせた傷に戸惑いを隠せない。


 シュオウは叫んだ。

 「まだだ!」


 奇襲をかけてきた男は未だ健在である。シュオウの言葉で緊張を取り戻したプラチナはすとんと男の腹を棒で突いた。

 苦しげにうめいて、男は床に転がった。


 残った一人は脂汗をにじませながら後ずさっていく。すでに格の違いを悟ったのか、目には怯えの色があった。


 「そのくらいにしておけッ」


 部屋のさらに奥の扉から、地響きのような大きな声が通った。扉を押して現れたのは体躯の良い男。長く伸びた髭、睨むだけでひとを殺せそうな殺気、部屋の誰もがすがるような視線を送るその姿。


 彼こそがこの群れの長であると、見た瞬間に確信する。


 「ヴィシャ、だな」

 シュオウが聞くと、男は頷かず顎をあげた。


 「俺の縄張りでよくも好き勝手にしてくれたもんだ」


 プラチナがヴィシャの前へ歩み出た。


 「話があってここへ来ました。ですが、なによりまず聞かなければならないことができた。裏に置かれていた輝士の死体について、なにか言うことがありますか」


 ヴィシャは髭を撫で、腰帯に親指を入れて動じる様子なく受け答える。


 「ない、と言えば俺はどうなる」


 「真実を語ると誓うまで説得します」

 そう言いながらプラチナは武器を構えた。


 ヴィシャは不敵に笑みを浮かべる。

 「そうだろうな、あんたらはいつもそうだ――」


 ヴィシャは言っておもむろに指笛を吹いた。


 「――こっちも無策で輝士を相手にしようとはおもってない」


 合図を元に部屋の奥から現れた男を見たシュオウは、呆れる心地で天井を仰ぎ見た。

 それは大男のヴィシャよりもさらに大きな体躯の南方人。


 「シガ……」


 雇用関係にあり、雇い主であるシュオウにシガは気づいていない様子でにやりと牙のような歯を覗かせて笑みをつくった。


 ヴィシャはごりごりと拳を鳴らすシガの肩に触れた。


 「頼むぜ。遠慮はいらん、軽くひねってくれ」


 シガはわずらわしそうにヴィシャの手を払い、首を鳴らしながら前進した。


 プラチナは警戒を強め数歩その身を下げた。シガが漂わせる強靭さに危機感を覚えたのだろう。


 「正直どうでもいいんだが、食わせてもらった分は返さねえとな。心配するな、一瞬で捻り潰してや、る――ッ?」


 シガが前進しながら拳を構えようとするそのさなか、シュオウはカツラをはずしてシガを強烈に睨みつけた。

 瞬時にシガの顔色が青くなっていく。強く握っていた拳から力を抜き、腕をだらりとさげて、すたすたとシュオウの横を通り過ぎて、背に隠れるように直立した。


 あっけにとられるプラチナと店の者達、そしてヴィシャ。


 シュオウは背後に立つシガに言った。

 「お前、肝心なときに少しも役に立たなかったな」


 「……うるせえ」

 シガはきまずそうに唇を尖らせた。


 プラチナが不安そうにシュオウへ問いかける。

 「あなたの仲間?」


 シュオウは首肯した。


 「お、おい、どういうことだッ」

 ヴィシャがシガを睨んで叫んだ。


 いたずらがばれた子供のようにそっぽを向いているシガに変わり、シュオウがヴィシャに答える。


 「この男の雇い主は俺だ、本人にまだその気があるなら、な」


 背後からシガの舌打ちが聞こえた。


 状況が一転、完全に不利となったヴィシャの顔はより険しさを増していく。


 「きさま、あれだけ好き放題に飲み食いしといていきなり仕事を放棄するきかッ」


 ヴィシャに怒鳴られ、シガはシュオウへ手の平を出した。


 「なんだ」

 「飯代、貸してくれ」


 金のかわりにシュオウはシガの脇腹を思い切り小突いた。


 「ヴィシャ、俺達はあなたに話があってここまできた――」


 自分で言いながら、シュオウはあちこちに転がった男たちを見て嘆息する。


 「――本当に、そのつもりだったんだ」

 追加した言葉が言い訳じみた空気を帯びて店内に響いた。


 ヴィシャは深く息を吐き、


 「この状況だ、どのみち拒否権はないな。いいだろう、奥の部屋で話とやらをしてみろ、少しでも価値のある話ならアクビを殺して聞いてやる」


 ヴィシャが向かった奥の部屋へ向かいながら、シュオウはプラチナを促した。プラチナはやや憔悴した様子で、シュオウの右手をじっと見つめ、黙って後に続いた。







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