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猛禽部隊の隊員、フクロウはぼやけた視界の先に、標的だった男の姿をみて息を呑んだ。
大きな双眼をギョロと動かし、周囲を観察する。
――暗い、湿気、汚臭。
適切に得ることができた三つの情報を元に、フクロウは現在地を地下、それも下水施設のどこかであると定めた。
「話ができるな」
首を下げ、フクロウは了承を示す。
「あなたは、ムラクモの輝士であるな」
返答はなく、男はカツラをはがして片目でフクロウを見下ろした。一方は眼帯に覆われているが、もう片方の開いた目は異様なほど鋭い。これほど強く濁りのない眼光というものを、フクロウは見たことがなかった。
「質問はおれがする。負けたお前に主導権はない」
――敗北。
男の言うとおり、フクロウは意識を落とし、完全に無防備を晒した。そのまま殺されていてもおかしくなかった。
――だが。
フクロウは拘束をされていない。手も足も自由なままだ。当然、彩石の力を発動することもできる。
勝ちに自惚れ慢心しているのか、とも思った。が、直後に脳天からつま先まで、凍えるような感覚が響く。
――怖気、が。
射抜くような視線。
言葉はなくとも、眼前のムラクモ輝士はたしかに言っている、
「やってみろ」と。
慢心などない、この男のなかですでに格付けがすんでいるのだ。この無様な手負いの鳥がなにを企もうと脅威ではないという確信。絶対強者からの視線。
――無駄死、であるな。
フクロウは肩の力を抜いた。同時に男がまとっていた怜悧な視線に、若干の陽光がさしたような気がした。なぜだか、この強者に褒められたような心地がした。
「なにをされようと部隊の仲間について語る口はない。それでもよいでしょうか」
「いい」
「……では、なにを」
「名前を」
虚を衝かれたような思いがした。
「フクロウ、と」
「本当の名か?」
「否です、元より名などなく。このような容姿ゆえ、生みの親に捨てられました」
ふ、と笑った男に不思議と侮蔑の色は感じない。
「人はつくづく外側で判断するのが好きな生き物だ。俺はシュオウという」
赤と黒の輝士服の袖の奥から白く濁った輝石を見せられフクロウは大きな目をさらに見開いた。
「驚愕、であります」
――外見で決めつけていたのはこの身も同様であったか。
「フクロウ、俺はここへ来たときのまま、ムラクモの者達全員でこの国を出るつもりだ」
フクロウは苦い顔をする。
「無謀、と言わせていただきたい。あなたの国から見れば、たしかにターフェスタは弱小。しかし、それでも都の重警備を突破し、堅牢な要塞アリオトの守備をたかだか数名で破るのは不可能であります。そのうえ、あなたの仲間の一人は罪人として拘禁されている」
「俺は護衛役としてこの任務に当てられた。同行者たちを守れないならここまでついてきた意味がない。無謀か、不可能か可能か、それを検討するつもりもない。ただできることをすべてやる、今はそのための情報がほしい」
シュオウの瞳は真っ直ぐにフクロウを見つめている。一切の気負いもなく、迷いもなく、自信と誇りに満ちていた。フクロウの目にはそれが眩しく映っていた。
「仲間のため……ということですか」
「やりたいことを優先しているだけ、つまり自分のため」
――笑止、同じことではないか。
実際のところ、戦場とは縁遠いフクロウにとって、ムラクモという国家が敵国であるという意識は薄い。個人的な恨みもないうえ、シュオウというこの男には結果的に命を救われた。薄っぺらい愛国心よりも、目の前の恩義が勝るのが正直な心だった。
「では、知りたいことを聞いてください。シュオウ殿、あなたにとって今は時が惜しいはず」
シュオウはじっくりと頷いた。
「まず、俺の仲間たちの現在の動向が知りたい」
「風蛇の若君と特使代表は城に。あなたを除く三名については依然、居所がわからないままです。ただ、巨体の南方人については下街の酒場通り近辺までの足取りは掴んでいたと聞いています」
「シガ、あいつ……」
シュオウは苦々しく言って、不機嫌な顔をみせた。
「あと二人、ムラクモの女輝士達の情報はないんだな」
「はい、わたしが知るかぎり。うまく潜伏しているようです」
シュオウのこわばった表情が和らいだ。あきらかにほっとしている。そして、すぐに顔を引き締めた。
「……ジェダ・サーペンティアの命の猶予は」
「当職は軍において暗部です。上位の方々のお考えはわかりません、が、今のところ処刑を執行するという触れはありません。通例であれば教会から司祭級の派遣があり、神の名の元に罪の精査が行われた後に刑の執行となりますが、どれほどの時を置くかは案件によってまちまちです」
「なら、急がないとな――」
シュオウは腰から縄束をフクロウへ投げた。
「これ、は……?」
「傷つかない程度に自分を縛れ。俺はお前を殺さない、あえてそうしたいとも思っていない。だが生かしたまま野放しにもできない。お前にも立場があるだろう、それを言い訳にしてここでおとなしくしていろ」
縄を手に持ち、フクロウはそれをじっと見つめた。
――傷つかないよう、言い訳に。この身を案じてくれるのか。
思わず、目の奥がじんと熱を持つ。フクロウは優しさに慣れていなかった。ターフェスタ広しといえど、フクロウほど醜い者は見つからないだろう。ひとは容姿の良い者が好きなのだ。その逆はない。
――我ながら、こうも情に脆いとは。
呆けているフクロウの前で、シュオウが一段視線を強くした。
「つけたくなければ好きにしろ。ただ――次に外でお前を見たら、そのときは全力で対処する」
縄束を握るフクロウの手に力がこもる。
「なぜ、わたしを殺さなかったのです。我が身はこの通り、虫獣にも劣る醜い者。皆が嫌い、呪い、目を背ける。不安ではなかったのですか、私が目を覚ました後、あなたになにをするのか。おとなしくするふりをして背後からあなたを襲うかもしれないとは考えませんでしたか」
――混乱、わたしはなにを言っている。
「殺すかどうかの判断に見た目は関係がないだろう」
「ですが、わたしがあなたの立場であれば……」
――なにが聞きたい。
「お前は自分が言ったような、見た目どおりの男なのか」
唇が震えた。
でかけた言葉が居所を失って無へと消える。
フクロウは人生の大半、他人からの蔑みのなかで生きてきた。幼少期には命にかかわるほどのイジメを受け、隠れて生きる術ばかり磨いた。大人になったとき、その技が仕事の役に立ったのは皮肉だが、力をつけても私情のため、自分へトゲを向けてくる者達へ復讐したことはない。それをすれば、彼らの言葉通りのバケモノに堕ちてしまうとわかっていたからだ。
「わたしは、ちがうッ」
ただ話しているだけなのに、フクロウの呼吸は荒くなっていた。
頭の上からシュオウが鼻で笑う音が聞こえた。やはり、嫌なものは感じなかった。
「短い間だが、話していて、俺もそう思った」
フクロウは彼を仰ぎ見た。
この男は強い、吐く言葉にすら力を感じる。ムラクモが輝士たちの護衛に採石を持たない人間をつけていることに、なんら疑問を抱かないほど。
「あなたに――」
――解明。わたしはこの人に、認めてもらいたいのだ。
役に立ちたい。
ここでただじっと時を待つだけなど、つまらないではないか。
彼の辿る道の、その結末を知りたかった。吐いた言葉の通りのことを成せるのか。
「――協力をしたい、と願えば、信じてもらえますか」
シュオウの表情は固かった。
「無理だな」
願いを否定され、フクロウは視線を落とした。当然のことであろうと自嘲する。
しかし、シュオウの言葉はまだ切れていなかった。
「ろくに知らない相手を信用はできない。でも――」
フクロウの前に手が差し出された。
「――たすかる」
縄束を捨て、フクロウはシュオウの手をとった。
強張っていたシュオウの顔が、ほんの僅か固さを消している。それは彼が仲間を思って緊張をといたあの一瞬にみせた表情に僅かに似ていた。
手から伝わる熱い肌の感触。触れた瞬間、手の平に痺れを感じるほど、その感情は、裏切り者となる自己嫌悪を塗りつぶすほどの強い衝動だった。
――嗚呼、この身はなんと愚劣な。
国への裏切りを決めたこの瞬間に、フクロウの心はかつてないほど満たされていた。
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