夕影の思惑 1
Ⅶ 夕影の思惑
1
北方諸国最東端に位置する都市国家ホランドを睨み、ターフェスタとの境界を守護する要塞メラック門の司令官を勤めるプラチナ・ワーベリアムの下に、不意な来客が訪れていた。
「こちらは、ターフェスタ商会上人衆まとめ役の首長殿です。ワーベリアム准将に直接の目通りを強く望まれておりました。下の者達に門前払いをされそうだったところを、偶然このリディアが察知し、お通しいたしました」
姪であり副官であるリディア・ワーベリアムから淀みない紹介を受け、プラチナは頷きを返してその行いを評価した。
「良い判断でした」
リディアは誇らしげに微笑み、人差し指で鼻頭に軽く触れた。
首長はすすめられた椅子には目もくれず、深々と伏礼する。
「かの銀星石様の御尊顔をたまわり、生涯で比することなき名誉にございます。よもや、直接の目通りが叶うとは思わず、粗末な格好にて拝謁することをお許しください」
プラチナは首長へ歩み寄り、その肩を掴んで椅子へと誘導する。
「顔をおあげに。これは非公式の会見ゆえに、礼法を気にする必要はありません。この場においてはどうか対等な関係に」
首長は激しく首を振り、あごに溜めた脂肪の塊を揺らした。
「いいえ、めっそうもございません、こうしてお話を聞いていただける機会を得ただけでも感謝の念が尽きません」
着席しても頭を下げ続ける首長に、リディアが咳払いをかけた。
「──准将は多忙な身の上。首長殿の必死な嘆願をお知りになり、お会いすることをお決めになられました。このうえ、お時間を無駄にされるのはいかがでしょうか」
首長は、リディアとプラチナの顔を交互に見て、言いにくそうに唇を濡らした。
「願い事があってまいりました……書簡にて陳情することが叶えば本望でしたが、こうしてお顔を拝することが叶いましたゆえ、無礼を承知で願います。どうか銀星石様には都にお戻りいただき、治世の乱れを正していただきたいのです」
大仰な話にプラチナはいぶかり、
「突然なにを……」
「幾日か前のこと、ムラクモから派遣された特使団が都を訪れたことはご存じでしょうか」
プラチナはリディアと顔を合わせた。
初めて聞く話にプラチナは、いえと否定する。
ターフェスタの都を守護する警邏総督という役を解かれ、その後の事が気がかりではあったが、現在の役職である規模の大きな拠点のまとめ役は、なにかと労を必要とする。雑務も多く、生来まじめなプラチナは多忙を背負い込み、前任地での出来事に気を配るどころではなかった。
首長の神妙な表情をみて、プラチナは続きを促した。
「表向きの理由は和平のための事前交渉ということでした。ムラクモとの間にくすぶっていた国境沿いの争いは我が国には常々不安の種。我々上街の人間にとって、ムラクモとの友好関係は念願のことでして、私も諸手を挙げて歓迎気分でいたのですが、どうにも、お上の対応がおかしい……それを悟ったのは、彼らがムラクモ特使団を数日の間、宿場に監禁状態に置いたことからでした」
プラチナは瞼を見開いた。
「そのような無礼を……」
「ええ、城からの貸し切りの申し出があったのが、我が商会の管轄地にある宿場だったことでわかったことですが、知ったときには大いに肝を冷やしました。ただ、ことはそれだけで終わりませんでした。准将閣下はムラクモの輝士ジェダ・サーペンティアという者を?」
プラチナは思わずリディアと目を合わせた。ここ数年の間、時節を問わず頻繁に耳にする名だ。彼の名を呼ぶ北方人たちの声に、汚泥のような呪いの念が込められていたことを、プラチナはよく理解していた。
「今回のムラクモ特使一行のなかに、その輝士が同行しておりました……」
「な──」
耳を傾けていたリディアが小さく声をあげた。心中、プラチナも同様である。
プラチナは強ばった声をあげる。
「忌みに濡れた名の者が友好の徒として訪れたと? そんなわけは。ムラクモとて、そのことを知らぬわけがない。それに、件の輝士は蛇紋石公のご子息だったはず」
首長は二度三度首を振る。
「そうなのです。それが、大公の名の下に、すでにジェダ・サーペンティアは拘束されております」
たまらず、プラチナは腰をあげていた。
「まさか、いったいなにを理由にして──」
生死を決する方法がどうであれ、戦場での行いを罪に問うことはできない。正式に派遣された特使を正当に拘束するには相応の理由と覚悟が必要になる。
「特使一行らが市街地に逗留した後に起こった殺人への容疑です」
プラチナは、自らが最後まで決着させることができずに置いてきた、市街地で発生していた事件のことを思い出していた。
「彼がそれを行ったというのですか」
首長は曖昧に首を振る。
「そういうことになっています。それがなんとも……話によれば、そのムラクモの輝士は、親衛隊直々の監視下にある宿場を抜け出して上街の市民を殺めたというのですが、誰が聞いてもおかしな話で……」
「代表として使わされている輝士が、わざわざ任務の最中に現地人を手にかけるとは思えない、その必要もない」
「それに、市井の者達はかねてより頻発する市街地での凶行を知っております。数々の嘆願を無視して未だに犯人はわからないまま。この件は、その凶手のしたことをムラクモの輝士になすりつけたのではないかと、私どもは考えておるのです」
「やはり、あれはまだ……」
自身がやり残したままの仕事が、そのまま捨て置かれていた事実にプラチナは驚きはしなかった。
「ことはそれだけですみません、下街の者どもが不穏な気を放っております」
リディアが首長に問いかける。
「犯人捜しをはじめた、とか?」
「わかりません、ただ武器や人を集めている気配があるとだけ。そのきっかけとなったのは、件の輝士が囚われたこととなんらかの繋がりがあるのは間違いなく、私はこれらの情報をつかみ急ぎ都をたちましたので、その後の詳細は把握できておらんのです」
プラチナは聞いた情報の整理を始める。
ムラクモから訪れた特使、ジェダ・サーペンティアが拘束され、その身には殺人の容疑がかけられている。それに呼応するように下街の有力者たちの間で不穏な動きが起こり、状況を案じた上街の有力者がこうして助けを求めにプラチナの元を訪れて今に至る。
プラチナは足りない情報を補うため、首長に問いかけた。
「ムラクモから派遣された特使は件の輝士一人だけですか」
「いえ、他に五名ほど。男女混合で、なかには我らと同じ銀髪の輝士と褐色の南方人まで混じっていたとか」
人数の多さと不一致な組み合わせを不思議に思いつつ、プラチナはさらに問う。
「その五名の現状は?」
「たしかな情報ではありませんが、うち数人は逃亡した、とか」
プラチナはあごに手を当て深く息を吐いた。
「では、今回の件はムラクモ側にとっても不慮の出来事であった可能性が高い」
首長はプラチナへ頷いた。
「ええ、私もこの件に関しては我が国とムラクモとの間に裏取引のようなものがあったのでは、と考えておりました。しかし、同行者の輝士達が逃亡したとなるとこれは……。相手はあのムラクモです。あの巨岩の如き国の怒りを買うことが、我が国にとってどれほどの損失か、考えるだに恐ろしい」
「ことはすでに重大な外交問題に発展しているとみて間違いないのではないでしょうか」
と、リディアも踏み出してプラチナに語りかけた。
プラチナはリディアを見返して口元を引き締める。
未だ状況を正確に判断できるほどの情報はないが、もし大公とその周辺がなんらかの暴走を起こしているのだとすれば、ムラクモとの関係に取り返しのつかない事態を招きかねない。
「そうであるならば、これは国家の危機と見做すに十分であると、私は判断します」
プラチナの宣言に、首長が爆ぜるように再び頭をおとした。
「銀星石様、なにとぞお立ちになり、国難への対処を願います。我々上人衆の心は一つ。金も人も、身を切ってでもワーベリアムを長としてお支えする覚悟でおりますッ」
伏して語る首長の大仰な言葉にプラチナは苦い顔をした。彼の言ったことは、プラチナに一軍人としての助力を乞うという程度のものではない。立場を超えて陣頭指揮をとれと願っている、遠回しにターフェスタ大公家にとって替われと言ったのだ。
リディアが首長に歩み寄り、その肩を強く蹴り飛ばした。
「分をわきまえなさい。大恩ある大公家に忠誠を誓うワーベリアムの当主に簒奪をそそのかすのか」
「も、申し訳ありませんッ、お許しを、どうか──」
縮こまる首長を前に、プラチナはリディアの態度を責めはしない。首長の言葉は命の石を落とされていてもおかしくない暴言だったのだから。
「玉座にあるべき銀の星」という言葉から始まる詩がある。それはターフェスタの市民、とくに比較的豊かな暮らしを営む上街の人々の間で囁かれている願いを込めた一文だった。
多くの国々で、燦光石の存在は自らの所属を代表する象徴である。しかしターフェスタを統治する大公家に王の石はなく、国民にとってターフェスタ一族は理想の象徴とはいえず、自然その配下にいる燦光石を有するワーベリアムへと目が向くのである。
民衆は自国をターフェスタではなく、ワーベリアムと呼びたいのだ。
銀星石の名は伊達ではない。誠実な人柄を代々受け継ぐワーベリアム家の血筋は、数々の仁徳ある逸話をもって人々によく愛されていた。彼らがその銀星石を頂へ望むのは無理からぬことなのかもしれない。
しかし、それらの希望を含んだ多くの詩や言葉は、プラチナにとっては一種の呪いだった。ただでさえ不信感を持って離さないターフェスタの領主ドストフの不況をかっているというのに、不幸なことに人々が願望を唱える呪文のほとんどは、領主の耳に届いているのだ。
静かにゆっくりとプラチナは首長の肩に手を添えた。
震える肩を優しくなで、怯えた顔を上げさせる。
「部下が失礼を。双方落ち着くため、一度退席を願います」
首長を外へ出し、プラチナは立ち上がったまま部屋の中でゆっくりと一歩ずつ足を踏みしめていく。そうしながら、現状を深く頭のなかで噛みしめていた。
「よからぬことをお考えではないのでしょうか」
リディアに言われ、プラチナは足を止めた。
「なにがいいたいの」
リディアは溜め息をつき、
「わからないとお思いでしたら、このリディアを見くびりすぎています。伯母上様は、あの老人の願いになんらかの形で応えたいと考えておいでなのでしょう」
「ええ、それは否定しないわ」
プラチナは即答した。
元来、ワーベリアムという一族の血がそうさせるのだ。
助けを求めて手を伸ばす者を放っておくことができない。君主としてはあまりに深い慈悲の性質は災いし、それが元で国を失い、現在ターフェスタの家臣に連なる経緯も根因は同様だった。
「どうか熟慮を。北門守護の命を受けながら都の政に口出しをすれば、明らかな越権行為ととられます。ターフェスタにおいて、我々ワーベリアムの立場をさらに危うい方向へと招きかねない危険行為です」
ワーベリアム一族において軍務や政務についているのは、ここにいるプラチナとリディアだけではない。
家名を背負った者の多くは都や各地方の軍事拠点などに詰めている。当主家であるプラチナの近親者のほとんども、都にあるワーベリアム邸に住まいを置いている。実質、それは人質としての効力も発揮していた。
「危うい行いであることは重々承知のうえ」
「でしたらッ」
「だから、身分を偽り、このプラチナ自らが様子を探りに向かいます」
プラチナの案に、リディアは一瞬硬直し、直後声を裏返して叫んだ。
「伯母上様!?」
「あくまでも非公式に。私は北門司令の座にある、許可なく役目を放棄することはできません──だから、北門司令プラチナ・ワーベリアムという名をここへ置き捨て、私は別人となり都へ向かう。それならば文句はないでしょう」
当然のことながら、リディアの表情は晴れない。
「文句なら無限にでてきます……おっしゃりようはまったくの非常識、意味不明で無責任な提案です、傍若無人ですッ」
意思を曲げるつもりはないと、プラチナは対峙するリディアを強く見つめた。
根負けしたようにリディアが視線を逸らす。
「伯母上様の真意、わかっているんですよ、あなたが本当に気にかけているのは、やり残してきた、あの件を解決したいのだということを」
すっかり見透かされていることに、プラチナはこそばゆさを感じ、自らの肩を抱き寄せる。
「民が怯えたままの生活をよぎなくされている。忙しさにかまけ、すっかり忘れてきてしまったこと。あなただって本当は気にかけているのでしょう? あの事を解決できぬままにここへ来たこと。今回のことは忘れ物を取り戻しにいけという神のお導きかもしれない。もちろん、ムラクモとの間におこっている不穏な事態も、この目でしっかりと確認をする。そのうえで現地で私ができることもあるかもしれない」
不安そうに瞳を揺らし、リディアは渋々頷いて了承した。
「わかり、ました……。あくまでご命令に従うという体裁ですが。出立の用意をいたしましょう、二人分の旅支度です、急がなければ──」
プラチナはリディアを押し止め、咄嗟に羽織っていた准将の軍衣をリディアの肩にかけた。
「あなたまでここを出てしまっては、北門に座るワーベリアムの長の姿が消えてしまうじゃない」
軍衣とプラチナを見比べてリディアの顔色が悪くなっていく。
「そんな、それ以上聞きたくありません……」
軽快に微笑み返し、プラチナは冷酷に告げた。
「さんざん言われてきたでしょう? 私によく似たその顔貌、存分に活かしなさい」
*
プラチナがターフェスタの都へ入るのにたいして労を必要とはしなかった。
リディアに用意させた標準的な輝士服と、ワーベリアム一族の傍系に属する若い娘の身分を拝借し、ありもしない架空の命令書を用意した。命令書に記載されている署名紋章はワーベリアム当主のもの。つまりプラチナ自らが用意した物であるがゆえ、下級兵士や並の武官などが口を出せるものではなく、その効力は絶大だった。
――空気が淀んでいる。
ひさかたぶりの都へ入って、プラチナが最初に抱いた印象がそれだった。自らが治安維持の総責任者であった頃とはあきらかに違う気配。不穏と陰鬱が合わさったような暗い澱が沈殿している。
北門にあった最速の馬を駆るため、都の危機を伝えにきた首長とはあえて別行動を選んだ。
街へ入った後は上街商会に属する者達と密かに接触を図り助力を得る手はずになっていたのだが、単独で市街地へ乗り込んだことがプラチナにとっての大きな失策となった。
見慣れたはずの上街に入ってすぐ、己の居場所がどこなのかわからなくなっていた。
目印としていた露天商の老人の姿も、荷車にのせた花を売る少女も、街の片隅で盤上遊びに興じる老人たちもいない。
――ここは、どこ!?
神の御石の継承者として選ばれ、人望厚く武芸に秀でながらおごること無く、心は常に主君への忠誠と民への慈愛で満ちている。傑物といえるこのプラチナ・ワーベリアムは、しかし生粋の方向音痴だった。