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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
43/184

猛禽

     Ⅲ 猛禽












 そこはターフェスタ城下の仄暗い一角にある、古い一階建ての兵舎だった。


 黄色く枯れかけた蔦が巻く建物の前に立って、ターフェスタ公国軍下級武官セレス・サガンは、看板に掲げられた鷲の紋を見上げて目を細めた。


 「猛禽……」


 この兵舎を割り当てられた部隊の名を呟いて、セレスは建物の窓に反射して映った自分を見て嘆息する。


 無造作に放っておかれた油っぽい髪と、不健康に落ちくぼんだ目の隈。乾いた唇はひび割れて赤い肉がむき出しになっている。手甲に青緑色の彩石がなければ、浮浪者と間違われてもおかしくはない。年齢で二十歳になるセレスの容姿は、知らない者から見れば十歳以上は老けて見えるだろう。


 ──ひどいものだ。

 セレスは青暗くこけた頬を撫でて自嘲した。


 鈴を鳴らして扉をくぐると、前が見えないほどの紫煙が部屋中に充満していた。

 室内の構造は酒場や宿の食堂によく似ている。


 開けた入り口から煙がするりと抜けていくと、各所に置かれた丸い卓を囲む異様な姿をした者達が一斉にセレスを睨みつけた。


 「あ……の……」


 そこにいる全員が初老か、中年以上の年に見える男達だった。ある者は前に激しく背筋が折れ曲がり、また別の者は片目が一目でわかる義眼であり、そのほかにも、すれ違えば人が道を避けていきそうな容姿をした者達ばかり。


 彼らの共通点は他に、山賊のように髭を伸ばしっぱなしにしていることと、不潔そうであるという点においてよく似ていた。

 特にそれらの姿が異様に映るのは、全員が手甲に乗せた石に色が付いている、ということだろう。


 茶色く欠けた歯をむき出して、顔面にえぐったような大傷をつけた厳つい男が立ち上がる。


 「なんだ、道にでも迷ったのか」


 セレスは緊張から固唾を飲み込んだ。


 「あの……監察部隊猛禽への配属命令を受けて参上しました、セレス・サガンです。本日付で二等監察官の階級をいただきました」


 男達はぽかんと口を開け、そして盛大に笑った。


 「あんたみたいな小綺麗なのがここ《猛禽》に寄越されたってか」


 セレスは懐から大公の印が押された配属命令書を広げて見せた。

 厳つい男は紙を取り上げ、一読して紫煙を用紙に吐きつける。


 「おい、本物だぞ。あのバカ以来の落ち輝士がきなすった」


 落ち輝士、という言葉にセレスはぐっと奥歯を噛みしめた。

 厳つい男は命令書を返し、ぽんと肩を叩く。


 「着任を了承した──俺は部隊長のハゲワシだ」

 「ハゲワシって……それが本名ですか」


 ハゲワシはにやりと欠けた歯を見せて笑う。


 「ここじゃ各人に猛禽の絵姿をつけた手袋が支給されるのが習わしだ。俺たちは家に見放された落ちこぼれ者、ここへの配属が決まった時点で名なんてないのと同じなんでな。望むなら名を捨てたって誰からも文句は言われねえ」


 ハゲワシは言って右手にはめた赤い手袋を見せた。甲の部分に北ではあまり見ることのないハゲワシの影姿が縫い込まれている。


 監察部隊猛禽は軍と警邏隊の影に位置する汚れを負った集団として存在していた。


 猛禽は身内である軍内部から忌み嫌われている。それは、仕事の多くが軍人を相手に素行調査や逮捕、捕縛を行うためである。時にその対象として指名されるのに、石の色は関係なく、容疑者の生死を問わず、との任務が言い渡されることもある。


 所属する者達は貴族家出身でありながら輝士になれなかった者達。また、はじめからその資格を与えられていない者達である。


 ターフェスタを含む聖リシアを国教とする国々において、輝士という役職は神の使徒として特別な意味を持つ。神官の洗礼儀式によって名と家名の間に神より与えられし石の名を戴き、それをもって初めて神と国家に仕える輝士として認められるのだ。


 だがこうした儀式はそれを受ける者へ一定の条件が化せられていた。輝士への道を望む者の美醜の善し悪しや家柄により、是非が決められるのだ。


 「あの、僕は──」


 うつむいて、セレスは言いかけた言葉を途中で止め、唇を舐めた。

 ハゲワシはセレスの首に手を回し、頭をわしわしとなで回した。


 「ち、ちょっと──」

 「身の上を語る必要はない。ここじゃ不幸話なんて酒の肴にもなりゃしねえんだ。きな」


 ハゲワシは部屋の奥にある酒注ぎ台の中をまさぐり、赤い右手袋を二つとりだした。

 手袋の甲に描かれた影を見て、セレスは力なくその名を呼ぶ。


 「ハヤブサ……?」


 手袋はいつから使っているのか、すり切れた箇所も見えるほどくたびれていた。

 ハゲタカは他に短剣を二本、たわしのようにまとめて巻いた捕縛縄、そして彩石の行使を封じる高密度の白い封じ手袋を一つ、台に置いた。


 「猛禽うちはお前を歓迎するぜ。ちょうどあのバカのお守りが逃げちまって、人手が欲しいと思ってたところだったんだ」


 セレスは首を傾げた。

 「あの……バカって?」


 兵舎の入口が力強く押し開けられ、外の冷めた空気が室内に流れ込んできた。


 「おはよう、雑草諸君!」


 赤い手袋をはめた右手を掲げ、赤み混じりの灰色の髪にどこを見ているのかあやふやな大きな垂れ目、手甲に深緑の輝石を持つ男が入り口に佇んでいる。

 目立つ赤い外套を着込み、腰には二本の短剣と、背には白い弓を負っていた。


 「あれがそのバカだ、今日からお前の相棒になる──」

 ハゲワシは言って入り口にいる男を呼んだ。

 「──おい、クロム、新入りだ」


 クロムと呼ばれた男は、おおと声をあげ、両手を広げてセシルの両肩を強く叩いた。


 「なんと! 大歓迎だよ新入り君ッ、私は神に愛されし男クロム・カルセドニー、一度聞いたら忘れられん良い名だろう。君の名は言わなくてもいい、私がもっと相応しい名を進呈するのだからね。そうだな……かぶらだ……かぶら頭、君にぴったりの名だ! よろしく頼むよかぶら頭くん」


 クロムの勢いに圧倒され、黙って聞いていたセレスは、はっとして叫声を上げた。


 「ちょっと待って、カルセドニー……それって現冬華六家の一つですよねッ。名門中の名門じゃないですか……どうしてこんな」


 部屋につめる猛禽の面々が笑い声をあげた。


 「このバカはその六家様ご当主の弟君だ。阿呆すぎて輝士になれずめでたく俺たちの仲間入りってわけよ」


 ハゲワシのバカにしたような言いようも、クロムはどこ吹く風。さきほどまでセレスに向けて喋り倒していたというのに、今は鏡に写った自分の髪をせっせと撫でつけていた。


 「さて、今日の仕事振りをする──」

 ハゲワシの一声に、皆が席を立って彼の前に歩み出た。


 ハゲワシは葉巻をくわえたまま、


 「──一つ目、第十六弓兵隊のユーリとかいう野郎に、賭けの借金を踏み倒されたとの苦情がきてる。とっつかまえて事情を聞き出せ」


 一人が手を上げ、用紙を受け取って勢いよく外へ出て行った。


 「つぎ。めずらしいことに街の警邏組から助力要請が届いた。本日昼前頃到着予定の異国特使の護衛、及びそれを害する行いを企てている者を見つけ、処分せよとのことだ」


 ハゲワシの説明に、鏡を見つめていたクロムがさっと手をあげた。


 「その仕事、このクロムが引き受けよう! 今朝の亀甲占いでなにかを守ることが吉と出たのでね」


 クロムはハゲワシから一通の書を受け取ると、そのまま早足に外へ出て行った。

 呆然と見送るセレスの頭をハゲワシがはたいた。


 「なにぼうっとしてる、お前もいけ。あいつは占い馬鹿のどうしようもない野郎だが、監察としての腕は悪くない。側にいて仕事を覚えてこい」

 「……は、はいッ」

 支給品一式を抱え、セレスは慌ててクロムの後を追いかけた。







 「待ってくださいッ」


 猛禽の兵舎を出てすぐセレスは細い裏道へ入っていくクロムを見つけて呼び止めた。だが、彼は足を止めない。慌ててセレスは駆けだした。


 「ちょっと、待って! カルセドニー監察官!」


 その呼びかけに、クロムはようやく足を止めた。

 夕焼け空のような瞳を向けて、クロムは怒ったような顔をする。


 「かぶら頭くん、大声で名を呼ぶのはやめてくれないか。私は目立つのが嫌いだ」


 真紅の外套をかぶり、つるつるに磨き上げた先が尖ったブーツを履いて言うクロムを、彼に追いついて肩を揺らすセレスは呆然と見つめた。


 「あの、隊長が、あなたについて行けと。カルセドニー監察官のお手伝いをさせてください」


 クロムは前へ向き直った。


 「好きにするがいい、それが人間と動物の違いなのだ──」

 クロムは、しかしと言葉を継ぐ。

 「──君の言う私に対する呼称は受け入れがたい。私はクロム・カルセドニーであって、カルセドニー監察官ではない」


 歩き出したクロムを追って、セレスは首をひねる。


 「はぁ、それじゃあなんとお呼びすれば」


 「クロムで結構! 私の手袋の柄を指してクマタカなどと呼ぶ愚か者もいるが、私は私の名前が大好きだ。名とは自己の存在を証明するもの! 実に尊いものなのだ」


 「クロム、さん──」

 再度セレスは首をひねる。

 どうにもしっくりこないのだ。

 「──クロム、先輩」


 クロムはぴたと足を止めた。


 「先輩か、初めて呼ばれるが悪くない」

 「はい。じゃあ、そう呼ばせてもらいます、先輩」

 「うんうん、よろしく頼むよ、かぶら頭くん」


 セレスはしかめっ面をして、

 「僕の名前はセレスです。せめてそう呼んでください」


 クロムは胸を張って高笑いをあげた。


 「あっはっは、名などどうでもいいのだよ! 人の本質とは神の与えたもうた頭蓋骨のなかにあるうにょうにょとした物であって、名前など個々を区別できればなんだっていいのだ、かぶら頭くんッ」


 セレスは足を止め、軽やかに裏道を行くクロムの背をじっとりと見つめた。


 「言っていることがめちゃくちゃじゃないか……」


 建物の隙間からするりと、蜘蛛の巣を顔に貼り付けた黒毛の猫が飛び出してきた。

 感情を窺い知れない淡い黄緑色の瞳がじっとセレスを見つめている。

 セレスは口元を歪め、足下に転がっていた石を猫に向かって蹴りつけた。




 3




 大通りへ出ると、そこには非日常の喧噪が広がっていた。

 道を封鎖するように並んだ大勢の兵士たちと、その外側でなにごとかと注意を向ける市井の人々。広げた露店で商うことができず、おいやられた店主たちが警備兵たちに食ってかかって拘束されていたりと、周辺は物々しい空気が漂っている。


 現場を仕切っている様子の輝士がクロムを見つけて歩み寄ってきた。


 「猛禽め……遅いぞ、いまごろやってきて」

 クロムは片方の頬あげ、

 「これでも急いで来たのだがね、カボチャ腹くん」


 「カボッ──」

 輝士は中年太りした腹を押え、ぎりぎりと歯をすりあわせた。

 「──他の連中はどうした、まさか寄越した人員がこれだけだと言うつもりか」


 輝士の視線がセレスへ重なる。セレスは気まずい心地を抱きながら頷いた。

 輝士は額に手をあてて天を仰いだ。


 「これだから猛禽などに助力を求めるのは嫌だったんだ。お前達は身内のあら探しばかりして……」


 ぶつぶつと愚痴をこぼす輝士に、クロムは少しも気にしていない様子で声をかける。


 「カボチャ腹くん、私にしてほしいことを言いたまえ。このクロムの時は有限だ、果てしなく続く凡人の言葉につきあっている暇はない!」


 輝士は唾を吐きすて、

 「くそッ。出しておいた依頼の通りだ、これからまもなくしてムラクモの外交特使一行がここを通過する。大通りは背の高い建物が密集していて人出も多い。あやしい動きをしている者を見つけたら、行動を起こす前に捕まえろ」


 「方法は?」

 クロムは腰の短剣に手を当てて問うた。

 「生死を問わず、誰であろうとムラクモの人間に指一本触れさせるな。大公殿下直々の厳重命令だ」


 焦点の定まらない目を剥いて笑みを浮かべたクロムを見て、セレスは静かに肩を震わせた。




 「先輩はどうして、ここへ……猛禽に配属されたんですか」


 輝士と別れて、大通り周辺の様子を覗うクロムへ、セレスはそんな問いかけをしていた。

 クロムは目線を寄越すことなく聞き返す。


 「どういう意味かね、かぶら頭くん」

 「だって、先輩はカルセドニー家の人間なんでしょ。あなたは名家に生まれた選ばれた人間だ。なのに……」


 「異な事を言うのだな、名家に生まれた人間が猛禽に入ってはいけないのかね」


 「望む未来を、栄誉ある将来を選べたはずです。監察官には軍での出世がない。ここでおしまい、誰も褒めてくれないし、誰も認めてくれません。それどころか、身内から唾を吐きかけられる仕事です。名を上げる機会すら得られないじゃないですか……」


 「君は輝士になりたかったのかね」

 「あたりまえ、ですよ」

 「なら、なればよかったのだ」


 セレスは歯をむき出して、


 「できるならそうしていました! だけど、僕に石名を与えてくれる司祭様は誰一人いなかった……どうしてかわかりますよね? 生まれが卑しいからです、家名に力がないからです。僕を弟子にしてくれる有力者の師匠も、誰もいません」


 目尻を震わせ、醜く顔を歪めるセレス。クロムは後輩の肩をぽんと叩いた。


 「卑下するのはやめたまえ、自分を愛せぬ者に幸福はない!」


 セレスは眼を剥いて鼻孔を膨らませた。


 「自分を否定できない者は一つところに留まります。いつまでも変わらず、進歩もないッ」


 クロムはただ微笑する。


 「好きに言いたまえ。運命を自在に選びとることができる、その選択が生か死であっても好きなほうへ行くことができるのが我々人間なのだ。それこそ神が人に与えた特権なのだよ、かぶら頭くん」


 「そんな器用な生き方なんて──いえ、もういいです」

 興奮を冷まし、セレスは僅かに瞼を落とした。


 「さて、奥か手前か。同時に二つを見ることはできないな──」


 クロムは言って懐から小さなサイコロを取り出した。三面ずつが赤と黒に塗り分けられ、一から六までの数字がきざまれている。色が別れていること以外、ごく普通のサイコロだった。


 「──赤なら奥、黒なら手前。出たほうを先に見回るとしよう」


 放り上げたサイコロがクロムの手のひらに落ちた時、出た面は赤色を示していた。

 その様子を呆れて見ていたセレスの物言いたげな視線に気づいたのか、クロムは軽薄な笑みを浮かべてサイコロに口づけをした。


 「神のお言葉に従うことも、人に与えられた特権なのさ」




 道の反対側へ行き、二階建て酒場の外付け階段にあがったクロムは、そこでじっと下を見下ろして周囲の様子を観察していた。


 瞬きもせずじっと眼下を見つめる様は、獲物を狙う猛禽のそれを彷彿とさせる。

 隣りに立って、セレスもそれに倣い、高所から人々の動向をじっと見つめた。

 時がすぎるにつれ、人出はさらに多くなっていた。

 これほどの数の警備兵が道を囲っていれば、なにごとかと興味を惹かれるのも当然のことだろう。


 観衆のざわめきがどっと大きくなった。


 街の入り口側から騎乗した輝士たちがぞろぞろと進んでくる。その後から冬華の紋印をつけた若い輝士が二人。


 「親衛隊まで……なんなんだこれ」


 セレスは目の前の光景を不思議に思う。これだけの警護の動員と輝士による派手な行進。生死を問わずとまでいわれている特使一行を守るための措置にしては、あえて目立つようなことばかりしているような気がしてならない。


 これはよく言えば英雄の行進、そうでないならまるで重犯罪者の護送のようだ。

 やがて、明らかに他国の装いをした一行が現れた。


 ──東方の輝士。


 数にして六人。セレスにとって初めて見る大国ムラクモの輝士達は、あまりにも不揃いな一団に思えた。


 多くが純血であるターフェスタの輝士達は、面立ちこそそれぞれに違えど、髪色や雰囲気は皆似通っている。だがムラクモの輝士達は頭の先から足の裏までばらばらに違っていた。共通点といえば着ている服の色くらいなものだろう。


 一団の一人、褐色肌をした南方人風の男は、明らかに丈の合っていない袖の短い輝士服をまとっていた。

 「南の蛮族までムラクモの貴族階級にいるなんて」


 次いで見えた男を見て、セレスは息をするのも忘れてその姿に見入った。

 それは、まっさらな銀髪、大きな黒い眼帯をした若者だった。彼もまた体格に合わない服を着ていた。左手にある輝石は、長い袖に隠れているせいで色が見えない。


 ──貴族だ。


 セレスは若者の姿を見てそう思った。

 彼が輝士服を着ていたから、という理由だけではない。雪の日の空のような淀みない銀髪があまりに美しすぎるのだ。


 ターフェスタを含む北方民族は灰系色の毛髪を持つ者が多い。しかし皆がまったく同じ色をして生まれてくるわけもなく、平民階級にある者達のほとんどは、黒や白、赤といった色味がまだらに混じっているため、北方においては頭を見ればおおかた、その人間の生まれがわかるのだ。それは異国人にとっては、言われても気がつかないような些細な違いである。が、そこに生きるものにとっては、明暗くっきりと判断ができる個性だった。


 彼の後ろをついていくやたらに端正な顔をした輝士に、市井の若い女たちが黄色い声をあげているが、セレスの注意は銀髪の輝士に釘付けになっていた。


 「クロム先輩、ムラクモにも北方出身の貴族がいるんですね……」


 銀髪の輝士は片目で注意深く周囲の様子を探っているように見えた。その所作の一つずつが、ただの温室育ちの輝士ではないことを物語っている。


 ──護衛武官、なんだろうか。


 見た目の年齢からしてもまだ若く、交渉にやってきた特使ではないはず。しかし実力があるからこその抜擢にちがいない、とセレスは考える。


 銀髪のムラクモ輝士を見るセレスの目に、いつのまにか力がこもっていた。


 「先輩──国を裏切り、神を捨てた者の末裔。そんな人間でも、東方では輝士になれるものなんですね……」


 隣りにいるはずのクロムへかけた言葉に返事はない。

 「先輩?」


 見れば、いつのまにかクロムの姿はなくなっていた。慌てて周囲を見ると、階段を降りて人だかりの中をするすると歩いて行くクロムを見つけた。


 「先輩! クロム先輩ッ」


 クロムは視線も寄越さず一心に人垣の中の一点へ向かっていく。彼が目標と定めたのは二人組の少年だった。ぼろぼろの服を着て、冬物のぶかついて質素なフード付きの外套をすっぽりかぶるその姿。


 クロムが彼らの腕を掴み上げたのを見て、セレスはぽかんと口を開けた。

 「貴族──」

 少年達の手甲には、色のついた石があったのだ。




 クロムが二人の少年の腕を掴みあげそのまま裏路地へ連れ込んだのを確認し、セレスは走ってその後を追った。


 背の高い建物の狭間に存在する細道。ここに光は届かない。


 じめって苔むしたそこで、クロムに捕まれた少年達は必死に暴れてもがいていた。


 「先輩ッ」

 「遅いではないか、かぶら頭くん。てっきり仕事を放棄したのかと思ったよ」

 「す、すいません。その子供達は──」


 クロムは少年達の手首をさらに持ち上げた。彼らは苦しそうにつま先立ちをする。外套がめくれると、腰に差した短刃の剣が姿を現した。


 「小さな暗殺者たちのようだ、誰を狙ってのことかはわからないがね」


 セレスは退路を断つため、少年達の背にまわった。

 近くにきて改めて見ればわかる。少年達の淀みない銀の髪、整った美しい面立ち。紛れもなく生まれに恵まれた者達だった。


 「離せ! 無礼は許さないぞ、僕はシッタバーン家の人間だ! 父は重輝士でアーデイ重将の副官、叔父上はモリア・シッタバーン、オトエクル教会の司祭だ!」


 権威ある者達の名を聞いて、セレスは思わず腰を引く。


 クロムはゆっくりと少年達を下ろした。

 セレスの目には彼が少年達に譲歩を見せたように映る。そう考えたのは少年達も同じだったようで、彼らは抵抗することなく、握られどおしだった手をさすり、その場に足を止めてクロムを睨めつけていた。


 「よくも邪魔をしてくれたな、あの緑髪の男は僕の姉上を殺めた輝士だ!」


 少年の一人がそう叫ぶと、彼の目から止めどなく涙があふれ出た。

 少年はさらに続ける。


 「三身に切り離された姉上の遺体を前に母上は心を病まれてしまった……父上は家に戻らなくなり、邸にいる者はだれも笑わない。全部あいつのせいだッ、僕にはあの男の心臓に剣を突き刺す資格があるんだッ!」


 聞いて、セレスの緊張はしだいに解けていく。それは、無意識下で芽生えた同情心を根拠とする油断であり、無責任な慈悲だった。


 だが、彼らを拘束したクロムが用意したのは言葉ではなく腰に差した短剣の刃だった。


 「な──」


 事情を訴えた少年の首に刃を当てて、クロムは狂人のごとく場違いな微笑を浮かべる。


 「豆粒くん、君の吐く言葉に私はなんら興味がない。それに私のほうも言っておかねばならないことがある、私には君たち二人の生殺を決する権利がある」


 少年達はクロムの物言いにびくりと肩を揺らした。


 「お、脅かしだ。知っているぞ、お前達は輝士じゃない、そんな権限があるものか! 黙って引き下がるなら見逃してやる、今のうちだぞ、さっさとどこかへ消えろ!」


 少年の肩に、クロムの短剣が突き刺さった。

 少年のあげた悲鳴は細道を抜けて辺りへ響く。しかし大通りから伝わってくる喧噪が、それをすべて打ち消した。


 「ちょ、なにを!?」


 驚いて一歩退いたセレス。隣りに佇んでいたもう一人の少年は腰を抜かして地べたに尻をついた。


 短剣を抜いて、クロムは鮮血に濡れた刃の先を再び少年の首に押し当てる。


 「脅しではないのだよ、豆粒くん。だが、私もむやみやたらに人を殺す狂い人ではない。最後の選択は君たちにゆだねよう」


 突かれた肩を押えながら、少年はクロムが取り出した赤黒のサイコロを見て震え上がった。彼がせんとしていることが理解できず、恐怖を感じたのだ。


 「な、なん──」


 痛みと恐怖に青ざめて、言葉を紡ぐ力も失った少年。

 クロムは彼に選択を投げかける。


 「赤か黒、選びたまえ。選んだ色が出たなら私はなにも見なかった。だが出なければ、神は君への罰を求めているということになる。喜びたまえ、生涯を賭けて天運をためすときがきたのだ」


 少年は涙をこぼし、小刻みに震えながら首を横に振る。


 「選択を拒否するつもりかい? それもまた選択ではあるが、それでは私の教義に反するのだよ」


 クロムがにやけた表情を変えぬまま、首に当てた刃に力を込めた。


 「さあ、選びたまえ。次に同じことを言うつもりはない」


 少年は固唾を飲み込んで、

 「あ、あ──あか」


 聞き届けたその瞬間、サイコロは高らかに天を舞っていた。親指ではじかれたそれは高速に回転を続け、やがて上昇を停めて大地へと引き戻される。


 落ちて停止したサイコロの色は、黒だった。


 セレスは慌ててクロムの名を呼ぶ、

 「クロムせんぱッ──」


 クロムは握った短剣を横へ滑らせた。

 不快な喉鳴りが響く。

 クロムの短剣は勢いそのまま、少年の心臓を一突きにしていた。


 崩れおちた小さな命。彼の友であろう少年は半狂乱に悲鳴をあげ、這いずるように通路の奥へ逃げ出した。


 「選択放棄とみなすよ。神のお声を無視するとは残念だ、もう一人の豆粒くん──」


 クロムは背に負った白い弓を取り出した。矢もおかずに弦を引き絞るが、なにもなかったはずのそこには、白光する透明な晶気の矢が具現化していた。


 セレスは反射的にクロムに手を伸ばす。

 「待ってくだ──」


 それは高音に響く風鳴だった。


 クロムの手から解き放たれた晶気の矢は、尋常ではない速度で細道をかけぬけ、暗がりの通路を照らしながら逃げる少年の背を一突きに貫いた。


 血を吐いて倒れ、びくともしなくなった少年の姿を見て、セレスは呆然と膝をついた。


 クロムは横たわる少年の胸から短剣を抜いて、彼の着ていたぼろの外套で血を拭う。

 罪悪感のかけらも抱いた様子のない先輩監察官を前に、セレスは力なく語りかけた。


 「まだ、子供ですよ……」


 クロムはセレスへ顔を向ける。


 「かぶら頭くん、表へいって報告をしてきたまえ。死体の片付けは猛禽の仕事ではない」


 言って去る背を見送り、セレスは息絶えた少年の瞼を、そっと落とした。


 いまになってハゲワシの言っていたことを思い出す。

 クロムと行動をともにしていた前任者が逃げた、という言葉だ。


 ──ただ、逃げたんじゃないんだろうな。


 病んだのではないかと、いまのセレスにはそう思えてしかたがなかった。




 4




 物々しい厳重警備と、状況をよく理解していない様子の街人の歓迎を受け、シュオウを含むムラクモの一行は見るからに高級な宿泊施設へと案内されていた。


 「ここがあんた達の部屋だ」


 そこはおそらくその宿でも最上級の一室だった。

 やたらに広く、豪奢な調度品も目立ち、敷かれている絨毯やカーテンも一級品。別室として区切られた湯浴み場なども完備されている。

 だが、部屋に通されてすぐ、ムラクモ組の女達が不満を表明した。


 「私たち全員にこの部屋で過ごせというつもりですか……?」


 困惑とかすかな怒りを溜めアイセがそう聞くと、それにつられてシトリも声をあげた。


 「あのでかいのと同室って、ありえないんだけど……」


 シトリに名指しで指までさされたシガは、犬歯をぎらつかせて低く喉を鳴らした。


 「俺のほうから願い下げだッ、ぎゃあぎゃあやかましいうえに化粧臭くて飯がまずくなる!」


 応じていた冬華六家の輝士、ナトロはうんざりした様子で手を数度叩いた。


 「はいはい、喧嘩するなよ。いくら文句言ったって無駄だからな。あんた達は数が多すぎる、まとまっていてくれたほうが楽なんだよ。だいたい警護するほうのことも考えろよな。一応仕切りの用意くらいはさせるからさ、それでしばらく辛抱してくれ」


 扉を閉めかけたナトロを、アイセが慌てて呼び止めた。


 「これからのことは──」


 ナトロは顔半分だけで中をのぞき込み、


 「あとのことはうちの隊長が取り仕切る、待ってればそのうち顔出すと思うよ。ぶっちゃけさ、俺たちも細かいことは聞いてないんだ──じゃあな」


 がしゃりと、鍵のかかる音が聞こえて、様子を覗っていたシュオウは急いで扉に駆け寄った。

 押しても引いても、重い扉はびくともしない。

 不安げにシトリが扉に触れる。


 「閉じ込められたの……?」


 もう一度強く扉を押しても、やはり手応えはなかった。


 「そうみたいだ」

 「これじゃあ監禁じゃないか……」


 アイセが深刻な顔で言うと、いち早く自分の寝床を定めたシガが、体を横たえながら鼻を鳴らした。


 「その気になりゃこんなしょぼい壁、俺が片手でぶちやぶってやる」


 アイセはシガに食ってかかった。


 「そういう問題じゃないッ、私たちは特使として正式に招かれたんだぞ、見張りがつくことはあっても、ここまで行動を制限されるのは普通じゃない、無礼にもほどがあるッ」


 シガはアイセの言葉へあくびで返し、

 「ぐだぐだ言ってるが、原因はわかりきってるじゃねえか。なあ、そこの無口な女男」


 皆の視線が一斉にジェダに注がれる。

 ジェダは無言のまま、壁に背をもたれかけ、腕を組んで目を閉じていた。


 シュオウは一行の指揮者たるベンを見た。

 ベンは部屋の中央で枯れ木のように立ち尽くし、青ざめた顔で自身の服の襟をつねっていた。

 ベンはゆらりと、ジェダの前まで足を向ける。


 「なんなのだ、この状況は……ジェダ・サーペンティア、私はなにも聞いていないぞ。どうして言わなかったッ、君がこれほどターフェスタの恨みを買っていると……」


 ジェダは瞼を開け、この旅に出て初めて無表情を崩し、微笑した。


 「随行者の素性を把握するのはあなたの役目だ。僕は聞かれなかったから答えなかった。それだけです」


 「そんな……」


 ベンは後ずさり、青味が指した顔をこねてベッドに腰を落とした。


 「ちょっと待ってくれ……上は君とターフェスタの事情を知らずに、この任務に配置した、のか……?」


 そんなベンの独り言ともとれる発言に、ジェダは壁から背を離して腰に手を当て応える。


 「僕がしてきたことを知る者は少なくない。外国との交渉を取り仕切る王括府がそれを知らないわけがないでしょう」


 青ざめたベンの顔は、もはや生気を失って蒼白になっていた。


 「そんな──わ、私は、いったいなにを背負わされた……まさか、お前達もなにか……」


 シュオウらをじっくりと見回すベンの充血した瞳。ここへ来て、彼は同行する者達の素性をまるで知らない事へ恐怖を抱いていた。


 ジェダはただ能面のように生気なく、ベンに向かって小馬鹿にしように微笑を向けている。


 誰もが口を開くことなく、しんと静まりかえる。それも束の間、部屋の扉を叩く音と、鍵をあける音がした。


 部屋に入って扉を閉めたのは、赤い輝士服を纏ったターフェスタの軍人だった。

 細長いメガネ、痩せた長身で切れ長の青い双眸、腰に細剣を差して、手にある輝石は深紫色をしている。

 輝士は薄い唇を開けてムラクモの一行に語りかけた。


 「冬華六家、長のウィゼ・ビア・デュフォスと申します。はじめまして、東からの旅人方」


 輝士はそう名乗り、右手を腰にまわして中指でくいとメガネを押し上げた。











感想、誤字の報告、温かいお言葉、本当にありがとうございます。

次回、物語が大きく動きはじめます。

それでは、また来週。

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コミカライズ版【ラピスの心臓 第3巻】2025年7月16日発売予定!

小説の表紙
― 新着の感想 ―
[一言] やっぱりシュオウの生まれはかなり身分が高いところなんだろうな
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