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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
外交編
41/184

逆風

     Ⅰ 逆風












 白熱する太陽の光線は雲に柔らかく遮られ、市街を覆う濃霧と溶け合い、白昼夢のように、とある聖堂の一室を照らしていた。


 その部屋には重々しい儀式用の台座があり、薄白布をかぶせた遺体が置かれている。

 爆ぜるように扉を押し開けて、台座に駆け寄った老人、ライコン・ヴィシキは嗚咽を漏らし、手向けに置かれた花々をなぎ払って、むごい現実を覆い隠す白布を引きずり落とした。


 あらわれた現実と対峙して、ヴィシキは一瞬声を失った。

 「……これが……私の可愛い孫娘、エリミオ……だというのか……」


 齢二十を迎えたばかりの孫娘の成れの果て。その姿は、多くの人々に溜め息をつかせた美女としての面影もない。

 切り離された五体各所は黒く太い糸で強引に縫い合わせられ、薄らと開かれた眼は、なにも映すことなく青白く濁っている。


 リシア教会〈女神派オトエクル〉三大主教の一人であるライコン・ヴィシキは、日頃かぶった威厳ある仮面も忘れ、目鼻からあふれんばかりの悲しみを漏らし、背後に控え伏礼する男に錫杖を投げつけた。


 「貴様に預けたすえがこれだッ」


 ヴィシキは男に詰め寄り、震える頭を踏みつける。成すがままされる男の名は、ドストフ・ターフェスタ。一国の領主であり、ターフェスタ大公と呼称される身分にあった。


 「お、お許しをッ、なにとぞ、お許しを──」

 「黙れ、黙るがいいッ。卑しいターフェスタの小せがれめ!」


 ヴィシキは繰り返しターフェスタ大公の頭を踏みつける。なお気が収まらず、落ちた錫杖を拾って、うずくまる体を打ち始めた。


 「離ればなれになってしまった体では、もはや神の御許にかえることすらできぬッ。あれほど前線に置くなと言っておいたはずであろうに!」


 ターフェスタ大公は必死に許しを請い、悲鳴にも似た泣き声をあげた。


 「申し訳ございませんッ、ですがエリミオ様ご本人が望んだことだそうで──」

 それはこの状況において、烈火に油樽を投げ込むに等しい言葉だった。


 老体に似合わず、馬鹿力でうずくまるターフェスタ大公を引きはがしたヴィシキは、仰向けになったその身を踏みつけ錫杖の先で顔を繰り返し殴りつけた。


 「我らオトエクルの後ろ盾なくして、ターフェスタが平穏無事に国土を守れるものか、とくと考えるがいい。そのうえ貴様は神の御石すら持たぬ卑小な主君ッ」


 打たれ鼻から血を流しながら、ターフェスタ大公は懸命に両手の平で顔をかばう。

 「仰るとおり、仰るとおりでございます──」


 手を止め、肩をゆらすヴィシキは血の気が下がるのを感じ、糸が切れた人形のように尻をついた。弱り切ったターフェスタ大公と目を合わせ、台座に横たえられた愛する者の亡骸を指さす。


 「だれがしたことかわかっておろうな。戦の流儀を捨て、美しかった孫娘にこれほどむごい死を与えたのがいかなる者か……知らぬわからぬとは言わせぬぞ」


 ターフェスタ大公は小刻みに数度頷いた。


 「……すでに、我が国の輝士の間で、その名を知らぬ者はおりません」


 ヴィシキは這うようにターフェスタ大公に迫り、歯をむき出して顔を寄せた。


 「その愚物を生かしたまま捕え、我が前に引きずり出すのだッ。己のした蛮行を悔いるまでこの手でなぶりつくし、命乞いをさせ、最後には死を望むまで痛めつけ、大罪にふさわしい苦痛と恥辱に満ちた凄絶な死をあたえてくれるッ」


 浅く呼吸を繰り返すターフェスタ大公は、震えるように小さく首を振り、すがるようにヴィシキに手を伸ばした。


 「それが、エリミオ様を殺めた者は、東方四石に連なる公子でありまして……」


 激高したヴィシキはターフェスタ大公の手を跳ね除け、その首に手をまわした。


 「相手がムラクモの王族であろうとかまわん、必ず我が前に跪かせるのだッ。できぬというならば、オトエクルは今後一切ターフェスタを庇護せぬぞ。北は野心あるホランド、南は異教徒、東に大壁が如きムラクモを前にして、我らの支援なしにターフェスタが一国として成り立つものか。考えるまでもないはずだッ」


 すごみをきかせるヴィシキと目を合わせたまま、ターフェスタ大公は壊れた玩具のようにただ繰り返し頷くのみであった。







 ターフェスタ領主ドストフ・ターフェスタは自室にこもり、老宰相ツイブリと顔を合わせて密談を交わしていた。


 「ああ、なんということに、私はどうすればよいのだ」


 頭を抱えるドストフの前で、ツイブリは指を合わせてもっともらしくうわずった声をあげる。


 「猊下よりお怒りいただくことは覚悟のうえでしたが、よもや孫女様を殺めたものを差し出せ、とまでおっしゃるとは……」


 ドストフは薄い髪をかきまぜ、後悔を滲ませた嗚咽をもらす。


 「私のせいだ、ついあの方の迫力に押され、殺めたものを知っていると言ってしまった」


 ツイブリはドストフの肩をささえる。


 「よいのです、殿下。件の公子の名はすでに知れ渡るところ。隠していたところで、すぐに猊下のお耳に届いていたのは間違いありません……しかし、こうなってしまっては、国庫を半分差し出せといわれたほうがまだしも簡単にすみました」


 「そうだ、そのとおりだ。よりにもよって相手は蛇紋石預かる風蛇の子。戦場においても出陣は不定期ときく。出てきたところで、人馬入り交じる深界の戦場でひと一人を見つけ、生け捕りにしろなどと、とうていうまくいくものか……」


 ツイブリはドストフから手をはなし、腰に手を当て部屋のなかを歩き始めた。


 「しばし時を置いて再度面談に臨まれるのはいかがでしょう。猊下はご遺体を前に興奮しきっていた様子。すこし時を置けば、多少なり冷静さを取り戻されるというもの」


 ドストフは顔をあげ、鼻がもげんばかりの勢いで左右に振った。


 「それはないッ、あの顔を見ておらんからそんなことが言えるのだ。威厳あり穏やかであったヴィシキ老のあの顔……邪教の信徒どもが拝む下品な偶像も逃げ出すであろう有り様であった」


 ツイブリは深く鼻息をおとし、あごをなでる。


 「さようで……であるならば、やっかいなことになりました。今現在、オトエクルの支援をなくしては、我が国存亡の危機にかかわりますぞ」


 ターフェスタは東西南北に連なる交易路の中継地として、かねてよりその名を広く知られる都市国家である。しかしそこを治める領主には代々王の石とも呼ばれる燦光石がなく、ターフェスタは領地安堵のためいくつかの後ろ盾を必要とした。その一つが聖リシア教内部において一大派閥として強権をふるう、女神派オトエクル教会の存在である。


 異教圏である南、また神を持たない東方ムラクモという国家をのぞいても、北方から西方に数多存在するリシア教圏国のおおくは、ターフェスタが有する豊富な通行税収をうらやみ、虎視眈々とその領土を狙っていた。


 「蛇紋石の子をさしださねば猊下のお怒りは収まらん。しかしそれはおいそれと手に入るようなものではないッ。どうすればよいのだ、わたしはどうすれば……」


 長椅子に横たわり、子供のように泣いて頭をかかえるドストフ。その傍らに腰掛け、ツイブリは血走った眼を見開いてうなり声をあげる。


 「力尽くで捕えることができぬとあらば、策を講じればよいのです」


 ぴたりと泣き止んだドストフは、腫らした目をこすり、強く鼻をすすった。


 「策といえ、いったいなにができる。よもや、サーペンティアに直接交渉をもちかけ、子息を寄越せとぬかすつもりではあるまいな」


 ドストフの軽口に、しかしツイブリは同意する。


 「その通りでございます」

 「……馬鹿を、言うな」


 「ですが、それしかございますまい。現実的に考え、我らが自力で件の人物を手に入れられるかの確証はありません。ならばことを単純に考えるのです。我らが猊下への贄を手に入れるためにもっとも確実な道は、相手方の同意を得るための交渉でございます」


 ドストフは目の前の小卓を叩いて激怒した。


 「他国に子を差し出せと言われ、命を奪われることをわかっていながら頷く親がどこにいるッ。そのうえ相手は東方の大貴族なのだ。家名に泥を塗るようなこと、検討すらするはずがない」


 ツイブリは膝をつき、仰々しく伏してみせた。


 「大公殿下の明智あるご推察、ごもっともにございます。しかし、交渉を持ちかける相手をお間違えになっておられる」


 「なに……」


 「東地ムラクモにあっては、サーペンティア、アデュレリアの二大公爵家ありとも、さらなる高見にあって彼の家々を牛耳る者、これ在り」


 ドストフは唾を嚥下する。

 「グエン・ヴラドウ、か」


 「ははぁ──その者の名は天地に轟き永年を生きる大樹の如く。今代においてはムラクモ王家であろうとも、彼の者の言葉は無視できぬと聞き及びます」


 「ええい、だからどうだというのだッ。話し相手が蛇から樹にかわっただけではないか」


 「彼の者、伊達に長命であるわけではありませぬ。よき耳と目を持ち、最良の結果を判断する心を持っておられる。大事は常に東地国土の無事。そのための労ならばなにを惜しむことのない御仁にて。欲する物がわかっている相手となれば、交渉ごとにこれ以上優位なことはありません。望む物を差し出し、引き替えに蛇の子を求めればよいのです。サーペンティアとて、グエン公の命においそれと逆らえるとは思えませぬ」


 「しかし、いったいなにを差し出すと……各地を見渡しても、ムラクモほど富める国はそうあるものではないぞ」


 「なに、簡単なこと。我らが向けた矢の先を当面の間下げると約束すればよろしい」


 宰相の提案に、ドストフは苦々しく頬を垂らした。


 ターフェスタはもとより、リシア教圏にある諸国家には、聖リシアの教主より異教を崇める蛮族を駆逐せよとの号令がかけられている。隣国に多くの異教国と接しているターフェスタは、かたちだけでも他国への定期的な侵攻をしなければならない事情があった。


 燦光石を持たない代々の当主には、国土を失うという慢性的な被害妄想を抱く傾向があり、今代の当主ドストフにおいては、歴代でも例に無いほど、強烈な劣等感にさいなまれた性格の持ち主であったがため、虚栄のため見栄のために、とくに資源豊富なムラクモの領土を勝ち取るべく、定期的に勝ち目のない小競り合いをしかけては敗北を繰り返していたのだ。


 「他国の目あるなか、この私に日和れともうすか!」


 声を荒げたドストフは、興奮して小卓を蹴り上げた。

 ツイブリはさらに頭を床にこすり低頭する。


 「めっそうもございません。ただ損得の計算を、と申し上げているのです」


 「しかし、私が矛を収めればターフェスタの名は笑いものとされるであろう! かねてよりこの地を欲すると公言するホランドなどは、まっさきに手を伸ばすにちがいないッ」


 「オトエクルの後ろ盾あるいま、ホランドごとき弱小を恐れる必要などがどこにございましょう。失うもの、得るものを的確に勘定せねば、それこそターフェスタは国名を失うことになりかねますまい」


 「しかし……」


 「殿下、ことを単純にお考えになられませ。我らは蛇の子を是が非でも手に入れる必要があり、そのための門戸を開く鍵は少ない。ですが幸運なことに、殿下はその鍵のうちの一つを手にしているも同然なのですぞ」


 しばしの沈黙の後、ドストフはやはり不安げに喉を鳴らした。


 「だが、あのムラクモが、停戦を呼びかけた程度で無茶な交渉に応じるとはおもえん。なにより、グエン・ヴラドウは私の言葉に信を置かぬはず」


 「なれば、信じるに足るだけのものを用意するまで。地位ある者を密使とし、人質を差し出し、加えてまばゆいほどの貢ぎ物を奉じるのです。もとより猊下から多額の金銭を要求される覚悟はありましたゆえ、安いものでございましょう」


 ドストフは唸り声をあげ、神妙に両手を組み合わせた。


 「ことがうまくいくと仮定して、蛇の子を迎え入れる名目はどうなる。拷問と処刑のために差し出せなどと、受ける方も出す方も、大恥をさらす羽目になるぞ」


 「そこはいかようにも。交渉を持ちかける際、正式な特使として使わす体裁を整えるよう配慮を願いましょう。我らは堂々と蛇の子を引き受ければよろしい」


 「しかし、戦場での殺生を罪に問うことはできぬ。公式の特使を拘束するには相応の理由が必要になる。並たいていのことでは世の目は欺けん」


 「その支度、この老骨にすべておまかせを。万死に値するふさわしい罪を用意し、蛇の子に着せてごらんにいれましょう。誰に憚ることなく、我らは罪人を処罰すればよいのです」


 ドストフは視線をながし、とめどなく頷いた。


 「よい、よいぞ……」

 「さらに、義弟君を密使とし、太子様を人質としてグエン公へ引き渡すこと、お許し願いたく」


 ツイブリの願いに、ドストフは激高した。

 「ならん! へりくだるにも限度があるぞッ」


 「お怒りごもっとも。しかし差し出すものが破格でなければ、停戦を約束する言葉に信を得られませぬ。どうかご再考を、身を切らねば真に欲する物は手に入りません。蛇紋石の子の値段、とくとご再考のほどを」


 ドストフは沈黙の後、倒れ込むように長椅子に腰をおとした。


 「なんと情けない……血族の身をさらさねばならんほどに、このターフェスタ大公に力がないとは」


 ドストフは諦めの境地に達していた。力なく一言、許すと告げる。


 「この一件、踏み誤れば奈落の底に落ちる朽ちた吊り橋のようなもの。信用の置ける一部の者のみに話を通しましょう。〈冬華六家〉の長に現場指揮をまかせたく存じますが」


 「デュフォスならば……よかろう。しかしプラチナは──ワーベリアム准将はいかにする。あれが事を知ればかならず公の場で諫言するぞ」


 ターフェスタを支えるもう一つの実質的な後ろ盾として、燦光石を有するワーベリアム一族の存在があった。〈銀星石〉の冠を戴くワーベリアム一族は、遙かな過去に謀略の果てに国を追われ、流浪の果てに彼らに手厚い保護を与えたターフェスタ一族の恩に報いるため、代々大公家に忠実に仕えてきた臣下の家系である。


 今代の女当主プラチナ・ワーベリアムは、齢五十を超えてなお若々しいままであり、優れた人格と勇猛果敢で有能な将軍として、多くの者達から厚い信頼と羨望を受ける傑物である。しかし、その存在は劣等感にさいなまれるドストフにとって、目の上のこぶ以外のなにものでもなかった。


 それを感じ取ってか、プラチナは本来国軍の最高位にあってもおかしくない身ながら、昇級を固辞し続け、いまだに准将の位のまま、現在は活躍の機会がない都の治安維持を統括する立場に身を置いていた。


 「義に殉ずるワーベリアムならば、この一件にかならず口を挟むこと、とくと承知しております」


 「あのよどみない銀の瞳に見つめられ、たれながされる正論を聞くのはこりごりだ……アレが声高に反対を述べれば、皆がその言葉に耳を傾けよう」


 「であれば遠ざければよろしい。理由をつけ対北要塞メラック門へ送るのです。虎視眈々爪を研ぐホランドへの牽制にもなりましょう」


 「北門か……しかし、あの卑しいホランドは我が国土と合わせ、かねてよりワーベリアムの忠誠を欲していると聞く。目の前に置けば、あれがその言葉に耳を貸すやもしれんぞ」


 「ご心配ごもっとも。ですが、彼の地は奥方様の古里バリウムを背負う土地。准将の動向に目を配るのに難はありますまい」


 ドストフは無言のまま、ゆっくりと呼吸を繰り返す。伏した宰相に歩み寄り、その肩を持って立たせ、一つ大きく頷いた。


 「すべてをまかせる。よきにはからえ」

 「ははッ」







 「ワーベリアム准将閣下のおなありい──」


 やたらに美声を鳴らし、若い兵士の一人がそう声をあげると、ターフェスタ市街地の裏路地に詰めていた複数の兵士たちが一斉にひざまついて頭を垂れた。


 左右に割れた兵士たちの間を歩く准将プラチナ・ワーベリアムは、深刻に眉をひそめ、しずしずと前へ歩を進めていた。


 ターフェスタに一つのみ存在する燦光石、白銀に輝く〈銀星石〉を手甲に乗せ、真昼に煌めく粉雪のようにうつくしい銀髪を揺らす。赤の軍服の上から重厚な鎧を纏い、純白のマントをはためかせる後ろ姿に、プラチナの副官の一人であり叔母姪の関係にあるリディア・ワーベリアム重輝士は、うっとりとみとれて溜め息を漏らした。


 プラチナはリディアとは違う種の溜め息をこぼし、振り返る。

 「解散させなさい、人死にがあった場所で不謹慎でしょう」


 リディアはつんと鼻をあげ、片目にかかった長い髪を肩へ払う。

 「叔母上さま心外です、私がさせているのではありませんわ」


 横目で銀色の瞳にじっとりと見つめられ、リディアは頬を硬くして目をそらした。


 「地区外の警備兵が勢揃いしているじゃない。誰かが事前に予定を伝えなければ、こうはならないはずよ──」

 プラチナは足を止め、肩を並べて膝をつく兵士らに手を払った。

 「──担当地区外の者はいますぐ自身の持ち場に戻りなさい! 現場を荒らさないよう、足運びには重々注意を払うように」


 鶴の一声でそそくさと兵士らが退散していくのを見送り、プラチナはリディアの太ももをぺしりとはたいた。

 「制服が短い」


 リディアは片方の頬をふくらませ、

 「これでも伸ばしましたのに……」

 と嘯いた。


 薄暗い路地を行くプラチナと後に続くリディア。リディアは十九の誕生日を迎えたばかり。一方のプラチナはリディアと並んでいると歳の近い姉に見えるほど、その容姿は若々しい。実年齢にすれば二人の年の差は三十以上にもなるが、プラチナが銀星石の主であると知らぬ者から見れば、とうてい理解の及ばないことである。


 プラチナは路地奥に詰める数人の兵士達に頷く。ひと避けとして張られた縄がぐいと持ち上げられると、リディアはプラチナが手に持つ得物へ手を伸ばした。


 「〈不動棒〉をお預かりいたします」


 名を冠すその棒状の武器は、代々ワーベリアム一族当主に受け継がれてきた家宝の武具である。が、本来の名は〈三叉不動棒〉という名の三叉槍だった。今代の当主プラチナが刃をつけた得物を嫌ったがため、刃の部分は取り外され、今現在では文字通り棒としての役割を有するのみとなっている。


 受け取った不動棒を大切に抱き、リディアは奥へ行く叔母の後へ続く。

 路地の最奥には、たまねぎ色の薄布が無造作にかけられた死体があった。

 かがんで輝石を胸に抱いて祈った後、布をめくったプラチナは悲しげに目尻を下げて嘆息した。


 リディアは口元をおさえ、プラチナの背後からこっそりと死体をのぞき込む。


 「また、例の犯人でしょうか」

 プラチナは神妙に頷いた。


 「間違いないでしょうね。胸から腰にかけて鋭い刃物で一裂きにされている……左腕は肘から下が切り落とされ、残された手首には小指だけが無くなっている。被害者が若い女性であるということも合わせて、手口があまりに似通っているもの」


 死体は若い女のものだった。上半身は裸で胸から腰にかけて鋭利な刃物で縦に深く切り下げられている。そしてプラチナの言葉通り、左腕の切断と一部部位の消失が確認された。


 「三月もたたないうちに、市街地で三人目の被害者ですよ。これはもう──」

 リディアの指摘に、プラチナは深く息を吐いた。

 「そう、自らの行いを誇示していると考えて間違いはないのでしょう」


 言って、プラチナは深く奥歯をかみしめた。

 「昼夜を問わず警備兵が行き交っているのに……」


 一人ごちるようなリディアのつぶやきに、プラチナは即座に反応した。

 「足りないということでしょう。各地区の警備をさらに増員しなければ」


 「増員といっても、現状でも人員は通常時の倍、各人の勤務時間の負担も限度ぎりぎりですよ。これ以上は予算も人も、我々の裁量では届きません」


 プラチナは目を細め、亡骸となった女の頭をそっと撫でた。

 「そのくらいのこと、直訴すればどうにでもなるでしょう」


 立ち上がって自らの衣服のシワを伸ばすプラチナを、リディアは不安げに見上げた。


 「問題はそれだけじゃありません。これ以上国軍の兵士を市街地に流せば、下町の親方たちが黙っていませんよ。いまですら……」


 「必要があれば、今日中にでもこの身で乗り込んで理解を求めます」


 リディアも立ち上がり、強く口をひき結ぶ。


 「銀星石さま自らが出向くなんて言語道断、意味不明です! 准将位に甘んじているとはいえ、御身のご身分をよくお考えになってくださいませ。ワーベリアムの長が下町のヤクザどもを訪ねていくなんて、内外から強い反発がおこります」


 プラチナは歳若い姪の肩にそっと手を乗せた。


 「なにかを求めても、ただ待っているだけではなにも得られない。私が頭を下げて民の安全を守れるのであれば、それが最良の選択肢なのよ。民国家を守るために邪魔になるような自尊心など不要。そんなものは一日でも早く捨ててしまいなさい」


 リディアは唇を硬く尖らせ、そして頷いた。

 「納得はしていませんが……上官の命ということであれば、承知いたします」


 プラチナは強く頷く。

 「あなたはここに残って遺体の搬送を見届けなさい。被害者の身元調べの指揮もとるように」


 「叔母上さまは?」

 「城へ向かい、さっそく人員と予算の増強を殿下に直訴してくる──あなたもしっかりね」


 マントをひるがえし、不動棒を受け取って颯爽と去って行く背を、リディアはふと呼び止めた。

 「叔母上さま、お城までの道順はおわかりでしょうか」


 プラチナは背を向けたまま足をとめ、おそるおそる右手方向を指さした。

 リディアは大仰に溜め息を吐く。


 「真逆じゃないですか……もう……お待ちください、案内役を見繕いますので」

 肩を下げ、プラチナは弱った声音で礼を言った。







 事件のあった現場を離れ、城で謁見の申し出を入れた後、即座に了承を告げられたことで、プラチナは戸惑いを抱いていた。


 プラチナは現在のターフェスタ一族当主、ドストフによく思われていないことを自覚している。ドストフは幼少期より卑屈さを漂わせる気弱な人間であった。歳がそれほど離れていなかったこともあり、一時は弟のように可愛がってもいたが、いつ頃からか目を合わせることを嫌うようになり、吐く言葉には侮蔑と忌避の色を混ぜるようになっていった。


 そして、プラチナが銀星石の後継者に選ばれて後、関係はより悪化し、ドストフはプラチナを露骨に無視するようになった。


 ドストフが家督を継いだ後、公の場で無視をきめこむようなことはなくなったが、かわりに彼はプラチナに対して意味も無く高圧的で他人行儀な態度で接するようになった。それは時がたった今もなお継続中である。


 前を行く案内人に従って歩きながら、プラチナは向かう方向に対して疑念を抱いた。


 「ここより先は謁見場では──」

 先導者は、はいと頷く。

 「──私は殿下お一人にお目通りを願ったはず」


 こうした場合、案内をされるべきは領主の私室か応接室である。謁見広間を使うのは公式の行事や、外交特使を迎える時くらいのものなのだ。


 先導者は語尾を濁して曖昧に返答を用意した。

 「わたくしは、准将閣下をお通しするよう申し受けているだけですので、なんとも……」


 言われれば最後、案内を受ける身であるプラチナに反論の余地などあるはずがない。

 到着した謁見広間の扉が開かれると、プラチナは中の様子を一瞥してうっすらと口を開いた。


 左右一列ずつに勢揃いした重臣達。その奥で玉座に座るドストフの姿と、背後に控える六人の若き親衛隊〈冬華六家〉の面々。


 戸惑いのなか、プラチナは自身の弟子である冬華六家の一人の若者を見つめた。目を合わせ、かえってきたのはささやかな微笑と頷きだった。


 作法通りに赤絨毯の上を行き、玉座の前で膝を折って頭を垂れたプラチナは溜めていた息をゆっくりと逃がしていく。


 「面を上げよ」

 ドストフの言葉に従い、プラチナは顔をあげた。

 「プラチナ・ワーベリアム、大公殿下に拝謁いたします」


 ドストフは渋い顔で頷き、まっすぐ見つめるプラチナから視線を泳がせた。


 「殿下、お願いがあり拝謁を願いました。市街で発生している──」


 家臣団の中から一人の老人が歩み出てプラチナの言葉を遮った。宰相ツイブリである。


 「ワーベリアム准将、殿下はまだ貴殿に発言を許されてはおらん。礼儀にもとる行いは慎まれるべきでしょう」


 プラチナは眉間に皺を寄せ、ツイブリを睨めつける。

 「礼儀を語られるならば、事前の通達なく私がこのような場に置かれていることへの説明を求めます」


 次いで見たドストフは気まずそうに喉を鳴らした。


 「計ってのことではない。後日、正式に参内を命じるつもりであったが、ほどよく機会が重なったゆえここへ呼び寄せたまでのこと」


 プラチナは起立して一歩前へ出た。

 「いったい何事なのですか……」


 ドストフはツイブリに視線を流した。それを受け、老獪な宰相は精一杯胸を張り声をあげる。


 「ターフェスタ大公の名において、警邏総督ワーベリアム准将に命を下す。対北要塞メラック門へおもむき、司令官に着任せよ──以上である」


 プラチナは目を見開き呆けていた。それとは対照的に、周囲を固める人々の顔は皆朗らかだった。


 「私が北門へ……? 殿下、どういうことです。事前説明もなく、私を現職から解くとおおせなのですかッ」


 声を荒げると、ドストフは怯えたように肩をすくめ、顔を傾ける。


 「なにが気に入らんというのか……北門司令への昇進なのだぞ。ふさわしい将位も授けるつもりだ。ここにいる全員、満場一致で賛成したのだぞ」


 居並ぶ重臣達から祝いの言葉が口々にかかる。彼らの言葉に裏はない。皆心からプラチナを祝福していた。

 しかし、プラチナの表情は晴れない。


 「お待ちください。現在、市街地で不可解な殺人が発生しております」


 突然に聞こえるこの物言いに、皆が首を傾げた。


 ドストフは言う。

 「それがなんだ」


 「手口からして、手をくだしたものは同一者。死体をあえてさらすような真似をしていることも考えますと、おそらく同じ事がまだ続きます。すでに一部の市民らの間では動揺が広がっており、市街地の警備体制を強化したく、今日はそのための人員と予算の増強を願いにまいりました」


 ドストフはしかし、プラチナの言葉を鼻で笑った。


 「かりにも将であるそなたが気にかけるようなことか。転がる石が一つ二つ消えたとて、それがなんだというのだ」


 髪が逆立つほどの勢いで、プラチナは怒声をあげた。

 「ドストフ様ッ!」


 「ひ」

 ドストフは小さく悲鳴をあげ、肩をびくと震わせた。


 「……せめて、首謀者を捕えるまでは赴任をお待ちください」

 プラチナの譲歩に、割り込んだツイブリが否を唱えた。


 「小事を盾にして主君の命にそむくと、貴殿はそう仰るか。北門司令官は領地代官にも相当する重職ですぞ。ワーベリアム准将の国への貢献をふまえた、殿下の多大なる恩恵を無視なさると?」


 重臣達のあいだにざわめきが広がっていく。彼らの顔は一様に不可解さを示していた。

 プラチナはツイブリをじっと見つめた。老獪な宰相は一時も目をはずすことはない。


 ──偶然じゃない。


 急な転属命令を申し渡すこの状況。国の重臣達が集まるこの場でプラチナが命令に異を唱えれば、ワーベリアム一族はターフェスタに謀反心ありと見られてしまう。

 プラチナは半歩下がり、再び膝をついた。


 「メラック門への着任、謹んで拝受いたします。ですが昇級に関しては固辞を願います」


 ドストフは苦い声で、

 「好きにせよ」

 と呟いた。


 重臣らがほっと胸をなで下ろしている空気のなか、プラチナはさらに問いかけた。

 「私の後任はどうするお考えでしょうか」

 「当面のあいだはデュフォスに兼任させる」


 冬華六家の長、ウィゼ・デュフォスは玉座の後ろに佇んだまま眼鏡をくいとあげ、その冷淡な表情を少しも変えずに一礼した。


 「では、せめてきちんとした引き継ぎの機会を──」


 「ならん、無駄な時はないのだ。行き交う交易隊の噂によれば、ホランドは日々、練兵に武器兵糧の蓄えを強化していると聞く。その動向に留意し、銀星石をもってこれを押えよ」


 「……は」

 承知を告げ、顔を落としたプラチナは、美麗な顔を密かに歪めて、奥歯ギリとすりあわせた。











新章はじめます、2015年もよろしくお願いいたします。


外交編はサスペンス風味を取り入れたお話となっております。

シュオウにとっても、またそのほかの人物達にとっても非常に重要な出会い、遭遇のお話となり、その出会いの数々がこれから大きく物語を動いていくうえでの重要な歯車になってゆきます。


少しでも楽しんでいただけるようなものに出来るよう、がんばって書きますので応援よろしくお願いします。


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2月28日、書籍版の2巻が発売されます。

美麗なイラスト、本文の加筆修正と短編、担当編集者さんの努力が詰まった一冊です。

本屋さんなどで見かけた際には、是非とも手にとって見ていただけたら嬉しいです!

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