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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
小休止編
32/184

七色のヒナたち

     Ⅱ 七色のヒナたち











 「たしか、カザヒナさんの」

 命令書を確認した守衛の招きに応じ、宝玉院の敷地に足を踏み入れたシュオウは、案内を申し出たユウヒナと共に、古めかしい学舎に通じる庭を歩いていた。


 「はい、カザヒナは姉です。あの時は、大変失礼をいたしました」


 先導するユウヒナの歩みは遅かった。シュオウにしてみれば、半歩にも満たない歩幅で静々と歩を運んでいる。

 校舎に続く道の脇には木々がまばらに植えられていて、庭に点在する花壇には、季節の花が瑞々しく命を咲かせていた。舞い降りた小鳥たちが、忙しなく地面をついばみながら、心地良い鳴き声を奏でている。


 出迎えに参じたユウヒナという少女について、シュオウが抱く印象は薄かった。アデュレリアの本邸に居候していた時に、一度紹介された覚えはあるが、後に起こった出来事があまりに強烈であったため、記憶の隅においやってしまっていたのだ。


 ただ一点、彼女との関係を象徴する記憶といえば、ユウヒナ自身が言っていたように、シュオウが自らの身の安全と引き替えにして、結果的に命を救ったことだろう。


 カザヒナの血縁であるユウヒナは、容姿のうえでは一点だけ、姉と大きく異なる特徴を持っていた。彼女の髪は宵闇の内の影のように黒い。


 歩きつつ、ちらと様子を窺ってくるユウヒナは、シュオウの考えを察したのか、肩にかかった自身の髪を持ち上げた。


 「これ、変に思われますよね、カザヒナの髪とはまるで違うのですから。姉妹であるといっても、納得いただけませんか」


 シュオウは即座に首を振った。髪の色を除けば、ユウヒナの容姿はカザヒナの特徴と重なるところが多々ある。大きくて涼やかな浅い紫色をした瞳に、すっきりとした鼻筋から口元にかけての造りも上品で、きゅっと結ばれた口元が心根の強さをうかがわせる。カザヒナや、アデュレリアの当主であるアミュとは大きく異なる髪色にしても、毛先が外に跳ねた癖毛は、ユウヒナの姉と同じ特徴を濃く受け継いでいた。


 「よく似ている。若い頃のカザヒナさんと話しているみたいだ」


 ユウヒナが一瞬、口角を下げて歪めたのを、シュオウは見た。

 ユウヒナは足を止め、アゴを少しひいて、再び歩き出す。

 話題の切れ間に、底知れぬ気まずさを覚えたシュオウは、話題を代えることにした。


 「どうして来るとわかったんだ。俺だって、指示を受けたのは昨日の事なのに」

 「家から知らせが入りました。あなたがここへ配属されるので、その間のお世話をするようにと」

 「世話って、きみが俺を?」

 「はい、滞在中は私を副官とでも思いお使いください。あるいは、女官でもかまいません」


 突拍子もない申し出に、シュオウは困惑した。

 「じぶんの事は自分で出来る」


 「困ります。あなたの補佐を務めるようにとの指示は氷長石様直々のお言葉なので。アデュレリア一族にとって長の言葉は王のそれに匹敵するのです。ですが私自身、舞い込んだ恩返しの機会を喜んでいないといえば嘘になります。どうか慈悲と思い、命の恩に報いる機会をお与えください」


 言葉のうえでは懇願するようではあっても、ユウヒナの口調は氷柱のように鋭利で冷たい。それが心からの申し出であるのか、彼女を知らないシュオウには即座に判断できなかった。


 「考えておく」

 気持ちのなかでは申し出を固辞したかったが、ユウヒナの立場を考慮して、先送りともいえるいったんの保留を提案した。

 「はい」

 ユウヒナはそう言って短く返した。


 ゆったりとした歩調のなか、シュオウは外から眺める宝玉院の景色を観察する。苔むした外壁は、歪な形の石材をパズルのように精巧に組み上げていた。継ぎ目に補強素材を用いていないこうした建築様式は、ムラクモの市街地では見たことがない。


 朝靄のなかで眠たげに佇む校舎の姿に飽き始めていたシュオウは、沈黙をきらって、共通の知人であるカザヒナを話題にだした。


 「お姉さんはどうしてる」

 姉の近況を聞かれたユウヒナは、両肩をヒモで縛られたようにすくめた。

 「健やかです、カザヒナは、いつもそうですから」


 多分にトゲを含む口調だった。これまでシュオウに対していた態度が、ユウヒナという人物にとって、いかに柔らかなものであったか、今ならわかる。


 「なにか気に入らないことでもあるのか」

 ユウヒナは視線をおとす。ゆるやかだった歩調が、さらに重さを増した。

 「カザヒナは──変なんです」


 汗をたっぷり吸い込んだ洗濯物に顔を押しつけて、恍惚の表情を浮かべるカザヒナの姿を思い出し、シュオウは思わずこくんと頷いていた。


 「あの人には自分というものがありません。子供の頃から、一方で泣き顔を見せたかとおもうと、直後にけろりとして朗らかに笑ったりして、大人達から気味悪がられていたそうです。私が知る限り、カザヒナはその頃のまま大人なりました。人を見てころころと性格を入れ替えているようで、気持ちが悪いんです」


 変、という言葉の意味へのとらえ方に、シュオウのそれとユウヒナのそれは、大きな隔たりがあるようだった。

 シュオウにとってのカザヒナという人物は、多少おかしな趣向を振りまく傾向があるものの、人格者であり、有能な輝士であり、思いやりに溢れた才女である。


 「あの人は骨身を惜しまずに助けてくれたし、俺の剣の師匠でもある。悪くいう話を聞かされても、返す言葉がでてこない」


 ユウヒナはついに足を止めた。顔をおとしたまま、左手に握った拳を、右手で覆った。


 「ごめんなさい、愚痴をお聞かせしてしまいました。別にカザヒナを憎んだりしているわけではありません。つきっきりで看病をしてくれたときは、肉親の情も、少しは感じました。輝士としての技能に優れ、若くして当主様の補佐を務めています。過去にはカザヒナを嫌っていた大人達も、今では顔色をうかがうようになりました。優秀で有能で、自慢の姉です。けど、苦手なんです、あの人が」


 知っておいてほしかった、とユウヒナは言って、歩みを再開した。

 触れてほしくない話題、というのは誰にでもあるものだ。共通認識によって打ち解けることができるかもしれないと期待したカザヒナの話は、ユウヒナにとってのそれであったらしい。

 

 だだっ広い玄関ホールへ案内され、そこを抜けた先は、左右に広がる長い廊下があった。先がかすんで見えるほどの長廊下には、教室であろう各部屋への扉が整然と並んでいる。その光景は壮観だった。

 目視したところ、広大な校舎は長方形に伸びる一階立ての構造で、中央には広々とした芝生の生えた中庭がある。ユウヒナに連れられるままそこへ入ると、庭師風の老人が、しゃがんで草むしりをしていた。

 黙々と作業にはげむ老人を尻目に、シュオウはユウヒナに聞いた。


 「今更だけど、どこに案内してくれるんだ」

 「主任師官マニカ女史の元へ。着任の報告はそこですむはずです」


 ユウヒナはきちんとシュオウの状況をふまえ、適切な場所へ誘導してくれていた。一人で来ていたら、今頃はどこへ行けばいいのか迷ってうろうろしていたに違いない。


 中庭をしばらく歩き、北側の廊下へ抜けた。見渡しても人影がない。

 「静かだな」

 「あと少ししたら、登校する生徒達の喧噪で賑やかになります。それはもう、うるさいくらいに」


 北廊下に入ってからしばらくして、角を曲がって現れた一人の女生徒の姿を見つけたユウヒナは、おもむろに足を止めた。


 前から来る女生徒もユウヒナに気づいた様子で、両者は互いに視線を重ねる。

 声が届く距離までくると、対面から来る女生徒は顔を上げて不適な笑みをつくった。


 「あら、ユウヒナさん、こんなに早くにどうしたのかしら? まだ時間を間違えるようなお歳ではないでしょう」


 嫌みな口調で語りかけた少女は、年頃はユウヒナと同じくらいで、淡い黄緑色の輝石と左右に結った髪が印象的だった。美人だが目つきが悪く尖った雰囲気を帯びていて、胸を張って上から見下ろすような態度が、高飛車な性格をおもわせる。


 「おはようございます、アズアさん。起き抜けに歯も磨かずに登校なさったようですね、離れていてもここまで臭いますよ」

 ユウヒナは手で鼻先を覆った。アズアと呼ばれた少女は、顔を赤くして声を荒げる。

 「み、みがきました!」

 ユウヒナは涼しい顔で受け流し、ふんと鼻を鳴らす。

 「きちんと磨いていてそれですか。ごめんなさい、無神経なことを言ってしまって」

 「ぐぬ……」


 言い返す言葉が思い浮かばなかった様子のアズアは、怒りの眼でユウヒナを睨みつけた。


 「それでは、失礼します。この方をご案内している途中ですので」

 ユウヒナの言葉を受けて、アズアは視線をシュオウに重ねた。

 「どなた、ですか」

 アズアは聞きながらシュオウの左手の甲にある輝石を見た。

 ユウヒナはアズアの視線を遮るように体を横にずらしてシュオウの前に立つ。

 「当家の大切なお客様です」

 アズアは首を真横に折った。

 「アデュレリア……の?」

 珍品でも見るようにまじまじと観察され、シュオウは眉をひそめた。

 アズアはしたり顔で笑みを浮かべる。

 「さすがは狂犬の一族ですのね、もてなす相手まで柄が悪いよう──よう、で……」

 ユウヒナは一歩前へ出て、黙ってアズアをじっと睨んだ。

 まるで蛇に睨まれたカエルの如く、アズアは笑い顔を引きつらせる。


 「ふ、ふんッ、どうでもいいですけれどッ。わたくし本を返しにきましたの。急がないと始業時間になりますから、これで失礼いたします。ごきげんよう」


 恭しく一礼して、アズアはユウヒナとシュオウの横を通ってそそくさと姿を消した。どこか歩調が小走りで逃げていくようにも見える。


 「いまのは?」

 「そこにいるだけで悪臭を放つ蛇の子、同級のアズア・サーペンティアです。昔から家を引き合いにして何かとからんでくるので、うんざりしています」


 サーペンティアと聞き、二人の娘達の間に流れていた緊迫した空気に納得がいった。

 思い返せば、アズアは、シュオウの知るかの一族の容姿の特徴を濃く感じさせる。限られた空間に置かれる宝玉院での環境は、犬猿の仲である両家の子女達の距離も縮めてしまうのだろう。


 「まいりましょう、時間を無駄にしてしまいました」

 促されるまま、シュオウはユウヒナの後を追った。


 少し歩くと、廊下の隅におかしな雰囲気を放つ、入り口を見つけた。側にある看板には、中へ入ることを強く警告する文言が綴られている。


 「ここは?」

 「迷宮です」

 「迷宮って、学校にそんなものがあるのか」


 「この先は実技訓練場に繋がっています。訓練場は山を差し挟んだ向こう側にあるので、通常、そこへ向かうためには山を徒歩で越えなければなりません。ですが、ここを通れば、労なくそこへ辿り着くことができるので、楽を望む者達が時折この迷宮に挑むのです」


 シュオウは暗がりで奥の見えない迷宮の入り口をまじまじと見つめた。


 「中は危ないのか」

 ユウヒナは首を傾げる。

 「さあ、私は入ったことがないので。ですが、命を失った者がいるとか、二度と出てこなかった生徒もいたとか、そうした噂は子供の頃からよく耳にしてきました。どれも信憑性に欠ける内容ですけど」


 事実が含まれているのだとすれば、この迷宮は子供達が生活をおくる場にはふさわしくない。


 ユウヒナから聞いた話を、噂話だと一笑に付すことが出来ないのは、入り口におかれた仰々しい警告文のせいだ。しかし、本当にこの迷宮に危険があるのだとすれば、ここを管理している大人達は、知りつつ入り口を塞ぐことをしていないということになる。おかしな話だ。


 「迷宮の攻略を試みた先輩方は多くいました。ある人は入り口からヒモを通そうとしたり、またある人は目印をつけて臨み、なかには無事に向こう側に辿りついた方もいたようですが、なぜか、ヒモを通しても目印をつけても、少しすると綺麗に全部なくなって、元通りになってしまうのだとか。道順を覚えても、その通りに歩いたはずが、もう先へ抜けることができなくなってしまった、などという話も聞いたことがあります」


 聞いているうち、シュオウは背中にぞくりと冷たいものを感じた。

 「気味が悪いな」

 「はい、ですから、ここに近寄る生徒はあまりいません。どうか、ないものと思ってお過ごしください」

 「……そうする」


 わざわざ危険を進んで買うほど、こんな怪しげな場所に興味はない。

 歩みを再開したユウヒナを追いながら、シュオウは振り返った。

 ぼお、と気味の悪い風鳴りを轟かせる迷宮の入り口は、なにかを飲み込もうとして開かれた、口のようにも見えた。


 他の扉より一層大きな門構えの部屋の前までくると、ユウヒナは振り返って一礼した。

 「マニカ女史の執務室です、あとのことは中でお聞きください。始業時間が近いので、私は一端ここで失礼いたします。またのちほど」


 感謝を言って別れたあと、シュオウは扉を前に、ゆっくりと息をはいて心を落ち着けた。拳でノックすると、中からしゃがれた老婆の声で、どうぞと返事があった。


 部屋に入ると、机に座り、小さな丸メガネをくいと下げて上目使いに老婆がシュオウをじっと見つめていた。髪は白に染まり、顔にはいくつもの深い皺が刻まれているが、冷厳としていて品が良く、大きな瞳と整った面立ちが、若かりし頃はどれほどの美女であったかと、思わず想像させた。


 「シュオウといいます、ここへ配属される命令を受け、挨拶にきました」


 言って命令書を手渡すと、下げたメガネをあげた老婆は目を細めてまじまじと書面の内容をたしかめた。

 「そうですか……本当だったのですね」


 老婆は書面から目を外すと、シュオウの左手の甲をじっと見つめた。即座に、渋く表情を歪める。

 老婆は見た目の年齢からは想像もつかないほど、しゃんとした腰つきで立ち上がった。


 「主師のマニカ・アンルです。欠員のでた剣術講師の補充を頼んではいたのですが、まさかあなたのような人間が派遣されてくるとは。正直、当惑しています。様子からしてあなたも同じようですが」


 シュオウは首筋をかきながら、鷹揚に頷いた。

 「急なことだったので、自分がなんのためにここに来たのかもよくわかってません」


 マニカは溜め息をおとした。


 「そうでしょう、宝玉院の長い歴史のなかでも前例のないことです。ですが、命令書は正式なもので、発行人はあのグエン様直々のもの。当校の院長も承知済みのことのようですから、疑念をためこむだけ無駄ということなのでしょうね。考えるのはよしましょう」


 想像していたよりも、着任の挨拶をしたマニカの態度は柔らかだった。

 色のない輝石を持つ身でありながら、高貴な子女達に剣の扱いを教える役を授かった事が、上流である貴族社会でどれほど異質なことであるかは考えるまでもない。


 嫌みや嫌がらせのひとつも覚悟していたが、マニカは当惑した様子をみせつつも、淡々とこの事態を受け入れているようだった。見た目から受ける厳しい態度ほどには、彼女は凝り固まった人間ではないようにおもう。僅かに交わした言動からは、前向きで楽観的な性格が見て取れた。

 シュオウは初対面のマニカに好印象を抱いた。


 「すぐにでも案内をしたいところですが、あいにくこの時間は剣術科目の予定がはいっていません。私もやり残しの仕事がありますから──」


 「待ちます」

 端的に言うと、マニカは表情を変えず頷いた。

 仕事の邪魔ではないかと気にかけたシュオウは、扉に手をかけた。

 「外にいますから」

 親切心から言ったつもりだったが、マニカは顔をひそめた。

 「中で座ってお待ちなさい。今、お茶をはこばせます」

 マニカは卓上にあった大きな呼び鈴をからんと鳴らした。 






          *






 「よし、あと十週!」


 甲高く笛を鳴らす金髪の暴君に、宝玉院の中庭をぐるぐると走る生徒達の恨みのこもった視線があつまった。


 「あの、先生、数学の、授業で、なんで、走らされないと、いけないんですかッ──」


 暴君に対して絶え絶えの呼吸で苦情を言った男子生徒は、返事を聞かずそのまま走り抜けて行く。


 青の真新しい輝士服に身を包み、王家の紋を刻んだ剣を腰に差した金髪の暴君、アイセは眉を怒らせて文句をたれた生徒を一喝した。


 「先生じゃない、私のことはモートレッド師官と呼べ! 喋る余力があるのなら頭を働かすために残しておけ。これから抜き打ちで試験を行う。走り終えた者から始めて、合格点に達しなかった者は最初からやりなおしだからな!」


 悲鳴にも似た声が、必死に走る生徒達からあがった。


 アイセは今、研修という名目で実際に教鞭をとっていた。とはいっても、正式な配属先が宝玉院に決まったわけではなく、卒業試験の合格者は例年、あちこちの部署を研修の名目でたらい回しにされ、広く浅く経験を得ることを求められるのだ。


 通常、研修生として配属される任地での期間は一月かそれにも満たないが、ここ宝玉院はちょうど教師教官に相当する師官の不足を招いており、予定より長く、卒業して縁の遠くなったはずの宝玉院に居座るはめになっていた。


 アイセは今の状況を、しかし、悪くはないと思い始めていた。

 もともと仕切るのは好むところであり、得意であるという自負もある。言葉一つで候補生達を従える事ができるこの役職は、天職ではないかと思えるほど性に合っていた。

 足を止めてしまった小太りの女生徒を見つけ、アイセは強く笛を吹いた。


 「おい、そこ! そんな、ことじゃ──」

 ──あれ。

 怒鳴りつけようとして、アイセはふと視界の隅に捉えた見覚えのある人物の後ろ姿に気づき、声を失った。






          *






 その教室は、色とりどりの髪色をした生徒達で一杯だった。しかし、集まっている人数のわりには、そこはあまりに静寂につつまれていた。

 呆然として前を見つめる幼い候補生達の視線の先には、黙々と指先の手入れを続ける、青の輝士服をだらしなく着こなした、水色髪の師官がいた。


 「あの、アウレール先生……やることがないのなら、せめてご指示をいただけますか」


 まじめそうな女生徒が起立して言うと、水色髪の師官、シトリは視線をやることもせず、だるそうに受け答えた。


 「アウレールとか……そういう暑苦しい呼び方はやめてって言ったでしょ。それに、好きなことしてればって、何度言えばわかるの」


 そう返された女生徒は、気まずそうに着席した。


 「卒業試験の合格者だっていうから、期待してたのに……」

 そうささやき声で愚痴る言葉が聞こえたが、シトリは一切動じることなく、教卓の上に広げた化粧道具を選んで爪の形を整え始めた。


 シトリは師官として、主に宝玉院に通う晶士としての適性を持った子供達の面倒をまかされていた。晶士として身を立てたからという安易な発想によりあてがわれはしたが、卒業には遠いひな鳥たちはやたらにまじめで、シトリとしては、それが気にくわない。


 自由にしろと言っても聞かず、やることを求めて見つめてくるのにはうんざりだった。

 すべてを放棄してしまいたかったが、上にいる目付役の主任師官と、うっとうしい元同級生であり現同僚であるアイセの監視があり、それも難しい。妥協点を探った結果、シトリは授業にはでるが、ひな鳥たちの望む理想の先生を演じる事は一切拒絶した。


 あと数年もして、背丈が大人と大差ないくらいになる頃には、ほどよく手を抜くことも覚えているのだろうが、今の彼らは将来を夢見て真綿のごとく知識を飲み干さんと欲し、やる気に満ちあふれていて、シトリにとってはこのうえなく暑苦しい存在だった。


 突如、幼い男子生徒が立ち上がって声を張り上げた。

 「いいかげん晶気の扱い方をおしえろよ! それでも師官なのかッ」


 言った生徒は名のある良家の若君だった。その家柄は、たいして興味もないシトリですら知っているほどで相当なものだが、それでもシトリは態度を崩さず、まともに応じることすらしなかった。


 「おい、なんとか言え! ぼくを無視したら許さないぞ、父上にすべて言ってやるッ、アウレールなんて、家が一言いえば──」


 声変わりしていない甲高い子供の声は耳障りだった。シトリは低く唸る猛獣の鳴き声のような声音で、男子生徒の言葉を遮る。

 「うるさいな」


 男子生徒はシトリの声に怯えたように顔を引きつらせた。

  教卓を強く叩き、シトリは立ち上がって男子生徒を睨めつけた。


 「いい、聞きなさい坊や。この世界にはやりたくもない仕事をたらいまわしにされたあげく、愛しの君と離ればなれの生活を送りながら、毎朝うざい元同級生に起こされて、やっと終わったとおもった学校に連れて行かれるような、ほんっとうにひどい人生に耐えている人もいるの。ショウキノアツカイ? そんなもの使ったって肌は綺麗にならないし、愛する人に抱きしめてももらえないの! 親の名前を使って人を脅すくらい暇なら、一人でお箸でも振って、キシサマごっこしてればいいでしょッ」


 一方的にまくしたてると、先ほどまで強気に喚いていた男子生徒は半べそになった顔を隠すように、椅子にへたりこんで俯いた。

 なぜか、一部の生徒達の間から控えめな拍手がわいた。

 吐きだしてすっきりとしたシトリは、座ろうとして、落とした腰を途中で止めた。開いた教室の扉の先に、一瞬だけ見えた灰色の髪をした男の姿が通り過ぎたような気がしたのだ。

 「うそ……」

 シトリは腰をおとすことなく、少しの間を置いて教室の外へ飛び出した。




 「げ、アイセ」

 宝玉院の長い廊下の途中に、ばったりと顔を合わせたシトリとアイセは、互いに気まずそうに視線をそらした。


 「シトリ、授業中だろ、こんなところでなにをしている」

 「そっちこそ」

 「む、別に……」


 いつも快活としているアイセには珍しく、歯切れが悪かった。

 シトリは目的の人物の姿を求めて視線を泳がせたが、姿は影も形もない。


 ──そんなわけ、ないよね。


 シトリの思い人はいま、遠く戦地にその身を置いている。過酷な環境にいるせいか、物や手紙のやり取りができなくなってから久しいが、そんな彼がなんの縁もない宝玉院の中をうろついているはずがない。


 日頃から会いたいと強く想う気持ちが幻でも見せたのだろう。そう決めつけて、シトリは肩を落とした。

 見れば、アイセもいつもより若干気を落としているようにもみえる。


 「ねえ──」

 言いかけてシトリはやめた。

 「なんだ」

 「べつに。いい、もうもどる」

 「私も、戻る」

 ぷいと顔をそらし、二人は背を合わせて逆方向へ歩き出した。






          *






 訓練場への案内をマニカが申し出たのは、心からの誠意であったとわかったのは、そこへ続く、長く伸びる急な坂道を前にした時だった。


 軽い登山といえるほど、坂道は険しい。マニカは張りきってシュオウの先を行くが、半分も登らぬうちに足がおぼつかなくなっている。だがそれでも背筋を曲げず、ぴんと張った姿勢を保っているのは、賞賛すべきど根性だった。


 「あの、一人でも行けますから」

 ぽっくり逝ってしまいかねないマニカの様子に、シュオウは耐えかねてそう提案した。

 マニカは苦しそうな呼吸を繰り返しつつ、それでも気丈に声を張った。

 「い、けません……新任の師官が配属された時には、主師であるこの私が紹介する決まりです、から」


 「じゃあ、戻って馬を用意しませんか」

 マニカはシュオウの提案に首を振った。

 「なりません、訓練場への道は自らの足で、というのが宝玉院の仕来りなのです」


 ユウヒナに案内されたときに、学舎の中で見たあのおかしな迷宮と、マニカの言った仕来りが、一本の糸で結ばれた。

 健脚なシュオウですら決して楽とは思わないこの道を、毎回徒歩で行き来しなければならないのだ。面倒をはぶいて近道ができるのだというあの迷宮の存在は、ここで生活する子供達にとってどれほどの誘惑となるだろうか。


 マニカについて坂を登りきると、眼下にある大きな広場に、色鮮やかな髪色をした候補生達が各種の実技訓練に励んでいる光景が一望できた。訓練用の木剣を握り、馬を駆って模擬戦を行う様子などは、まさしくこの宝玉院という場所が軍学校であるという事実を如実に物語っていた。


 「あそこが剣術の修練場です」


 緩い下り坂をゆっくりと下りたあと、マニカは広場の西側を指した。

 目的の場所には、人の上半身を象った木製人形が並び、その周囲で木剣を握る候補生達が、それぞれ好き勝手に剣を振り回したり、何もせず座り込んでお喋りに興じていた。


 とくにシュオウの目を引いたのは、何かを取り囲むように輪をつくって騒いでいる生徒達の後ろ姿だった。


 「あなたたち! 自習なさいとは言いましたが、遊んでいいとは言っていませんよッ」

 マニカに怒鳴られた生徒らは、肩をふるわせてばつが悪そうな顔で縮こまった。

 「そこ! なにをしているのです」


 一喝され、輪をつくっていた生徒らは道をあけ、輪の中心にいた二人の男子生徒の姿が露わとなった。一方は小柄で黒髪、もう一方はすらりと足の長い、金髪の生徒である。前者は地面に腹ばいになっており、後者の生徒が彼の後頭部に靴を履いた足を乗せていた。


 突如、マニカの表情が怒りに染まった。

 「カデル・ミザント、今すぐその足をおどけなさい」


 カデルと呼ばれた金髪の男子生徒は、涼しい顔で眉を上げ、横たわる黒髪の男子生徒の頭から足を離した。

 「これでいいでしょうか、マニカ先生」

 叱られても余裕を崩さないカデルを、マニカはじっと見つめた。

 足で組み敷かれていた黒髪の男子生徒は、視線の集まるなかゆっくりと起きあがり、顔をおとしたまま、生徒らの一番後ろへ、のっそりと姿を消した。


 溜め息をおとし、マニカは佇むシュオウの背に触れた。


 「臨時の剣術指南として軍から派遣されたシュオウ殿です。前任の正式な代わりが決まるまで、高学年の授業を見ていただきます。みなさん、そのつもりで」

 生徒らの間でどよめきがおこった。

 カデルが咄嗟に挙手する。

 「先生、これは冗談かなにかなのでしょうね」

 カデルは左手の甲を前に出し、浅緑の彩石をこつこつと叩きながら、肩をすくめた。

 「冗談ではありません」


 「みなが思っている事をあえて言いますが、濁り石を持つ者に剣の教えを請えと、そうおっしゃるのですか。先生が言っている事は、牛や鶏に言葉を習えと言っているのと同じですよ。家畜に教えを願うほど、ミザントの名は落ちぶれてはおりません」


 くすくすと、各所から笑いが漏れた。


 「お黙りなさい、この人事は正統な手続きを経ています。いち候補生が口出しできる事ではないのですよ」


 「いち候補生であっても、不当を黙って受け入れるほど無力ではありません。この件は家に報告しますよ。とりあえず、この馬鹿げた状況を放棄して意思表明にしたいと思います。みんな、引き上げようじゃないか」


 カデルの言葉に同調して、生徒らは背を向けて学舎への帰途につき始めた。

 ──まあ、そうだろうな。

 拒絶の意をしめされても、シュオウは心に波風をたてることなく平静でいた。この程度の反応は容易に想像できたことだ。


 マニカは声を荒げて彼らを引き留めようとしているが、聞く耳を捨てた生徒達は無視をきめこんでいる。


 さきほどカデルに足蹴にされていた黒髪の男子生徒が、一人取り残され、控えめに後に続こうと足をだした。

 マニカが彼を呼び止めた。

 「アラタ候補生」

 「……はい」

 「怪我はありませんか」

 「…………はい」


 アラタと呼ばれた少年は、よれよれになった制服に砂埃をたっぷりとつけたまま、一礼して力なく去って行った。

 マニカはアラタの背を心配そうに見つめながら、


 「カデルのように、良家の者にとっては、この宝玉院は住みよい世界なのでしょうが。あの子は賢い子なのに、昔から家柄を理由にちょっかいをかけられていて」

 と、くやしそうに言った。


 マニカは踏み荒らされた地面に放置された無数の木剣を一つずつ拾いはじめた。シュオウも慌ててそれを手伝う。


 「ところで、剣術の腕前にはどれほどの自信があるのですか」

 片付けながら聞かれ、シュオウは顔も見ずに返した。

 「少しもありません、習いはじめて間もないので」


 マニカが手を止めたのに気づき、シュオウは顔を上げて彼女を見た。眉をあげ、口を半開きにした老婆の姿が、そこにある。


 「深入りすることは信条ではありませんが、どうしてあなたがここへ配属されたのかと思わずにはいられなくなってきましたよ」

 「本当に、そうですね」

 外からみれば、それはひどく間の抜けた会話であったにちがいない。




 訓練場の視察を終えて、再び宝玉院の学舎に戻った頃には、朝の涼やかな空気は、すっかり午後の暖かな日差しに押しやられていた。


 宝玉院の生徒らは、昼食を取るための長めの休み時間を、おもいおもいに過ごしている。

 訓練場からの往復ですっかり足腰がよたよたになってしまったマニカは、自室に戻るとシュオウを宿舎へ案内すると告げて冷めた茶を飲み干した。


 再び廊下へ出ると、ついさきほどまで誰もいなかったそこに、品良く佇むユウヒナの姿があった。


 「あなたは……用ならばあとになさい」

 マニカに睨まれても、ユウヒナは動じなかった。

 「新任の先生をお迎えにあがりました」

 「迎え? そんな指示をだしたおぼえはありませんよ」

 「この方は当家のたいせつな賓客ですから。当主様も、とても気にかけておられます」


 マニカは聞いて、珍獣でも発見したかのような視線でシュオウをまじまじと見つめた。


 「氷長石様が……?」

 「なので施設の案内でしたら、私がさせていただきます」

 ユウヒナの申し出に、マニカは気分を害したようだった。

 「必要ありません、候補生としての本分を忘れぬように」


 「必要です、この身は宝玉院でのシュオウ様の生活をお助けするようにとの命を受けております。この言葉がアデュレリアの長より発せられたものであること、くれぐれもお忘れなく」

 マニカは一瞬言葉を失った。かすかに震えた肩から、日頃の苦労がうかがえる。

 「同行ならば許可します。ですが休息時間のあいだだけですよ」

 作り物じみた笑みを浮かべ、ユウヒナは頭を垂れた。

 「感謝いたします」


 先頭をマニカが行き、少し距離をあけてシュオウがそれに続き、その後ろをぴったりとユウヒナがついてきている。


 長い廊下の途中にある、ぽっかりとあいた教室にさしかかったとき、マニカが中を覗いて突如怒鳴った。直後に衣服を乱した男女の生徒が教室から飛び出し、謝罪の言葉を残して走り去っていく。


 「まったく、なげかわしい……神聖なる学舎を不埒な寝所にしてしまって」

 歩きながらマニカが独りごちると、ユウヒナがシュオウの背後でくすりと笑いをこぼした。ユウヒナはシュオウにだけ聞こえるよう、小声でささやきかける。


 「愛をはぐくみ子を残す行為も、私は神聖であるとおもいます」

 「だけど、場所を選ぶ必要はあるだろ」

 シュオウがマニカの肩を持つと、ユウヒナは静かに微笑んだ。


 「そうかもしれません。でも、私たち人間は愛を持って心を結んだ相手としか子孫を残す事はできないのです。ですから、咲きかけたツボミを摘み取るような行為は、無粋なことだとおもいました」


 ユウヒナの意見も、的外れではないきがして、シュオウはなるほどと呟いた。


 「もしわたしたち人間が誰とでも関係を結ぶことができる生き物だったなら、若い男女を同じ場所に押し込める、この宝玉院の在り方も変わっていたのでしょうか」


 「異性同士であれば、誰とでも子供をつくることができる。そう言いたいのか」

 振り返って聞くと、ユウヒナは頷いた。


 「そうであれば、人間はもっと効率よく数を増やすことができて、深界に巣くう狂鬼達にも数で対抗できていたかもしれません。埒もない例え話ですが、時々そんなことを考えてしまいます」


 前を行くマニカが足を止めた。

 「聞こえていますよ。おやめなさい、人を虫やネズミのように言うなんて。聞いているだけでおぞましい話です」


 叱られたユウヒナは即座に謝るが、こっそりとシュオウに見せた顔には、小さくでた赤い舌がのぞいていた。




 「ここが宿舎です。師官の多くは通いで、ここも独身者が数人臨時の寝床としているだけですから、あまり気兼ねはいらないでしょう」


 通されたのは地下へ通じる奇妙な部屋だった。階段を降りて細長い通路を歩いた後、広い空間があって、そこから枝分かれするように十部屋ほどが連なっている。雰囲気的には宿舎というより独房だが、部屋の中は陽を取り込む設計になっていて、不思議と閉塞感はなかった。


 「給仕に話を通しておきますので、食事は希望する時間に運ばせます。洗濯に出したいものがあればカゴに入れて部屋に置いておけば係の者が回収するので、覚えておくように」


 「費用はどれくらいかかりますか」

 聞いたシュオウをマニカはおかしそうに見た。

 「宝玉院を安宿かなにかと一緒にしないでください。金銭的な負担をしいるような事はありません」


 シュオウは唾を飲み下し、体を前へ乗り出した。

 「じゃあ、食費は無料なんですか」

 マニカは訝りながら距離を置く。

 「ですから、そういっているでしょう」


 シュオウの脳裏に、褐色肌の大男の姿がかすめた。

 「できれば、手伝いとして、連れもここに呼びたいんですけど」

 「連れ? その方の身元はたしかなのでしょうね」

 シュオウは強く首肯する。

 「オウド司令官のおすみつきです」

 マニカは少し考えて、うなずいた。

 「いいでしょう、確認がとれれば正式に申請をだしておきます」


 聞いた瞬間、シュオウは拳を握りしめた。

 あの大飯食らいの食費が丸ごと浮くかもしれない。その思いだけで、この宝玉院という場所が好きになりそうだった。

 






シュオウもだんだん図太くなってきています。


前回の誤字を修正させていただきました。ご報告に心から感謝いたします。

また温かい感想の数々、本当にありがとうございます。なにげない一言から元気をいただいています。


次回の更新は一週間とぶ…かもしれません。

また、次回。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私たち人間は愛を持って心を結んだ相手としか子孫を残す事はできないのです。 これって前にもあったけど、比喩表現じゃなくて本当にそうなんだ。 面白い設定だなぁ
[良い点] だんだん俗世に染まってきて微笑ましい
[一言] こいつやったな…!
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