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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
初陣編
27/184

第九話 暗中の光

     Ⅸ 暗中の光











 「手に、入れてまいりました……」


 見覚えのある一対の剣を差し出したリビの声は重かった。

 受け取ったそれの状態をたしかめるべく、バ・リョウキは鞘に収まった剣を引き抜いた。


 「──完璧に手入れが行き届いている。どこにあった?」


 「戦場にうち捨てられていた刀剣類は、まとめて倉庫に保管してありました。状態の良いものであれば再利用し、程度の悪い物はひいきの旅商に見せて安値で引き取らせるのだとか。ですが、これに関しては逸品物がゆえに高位の武官が戦利品として引き取っていて、行方を追うのにそれほど苦労はありませんでしたが、頼み込んで譲ってもらう代わりにたんまりと金をせびられましたよ……」


 リビはがっくりと肩を落とす。その様子からして、相当にふんだくられたのだろう。


 財布を軽くしたリビは、裏路地でカモを探す商人のように手をもみながら、

 「あのお、その剣を取り戻すのに使った分を旅費でまかなうわけには……」


 バ・リョウキは、勇気あるその願いに強烈な睨みを返した。

 「──いきません、よね」

 リビはそっと溜息をこぼす。


 剣に目を戻す。自身が手にする岩縄には及ばずとも、これもまた名のある名匠の作であると一目でわかる。刃の長さは独特で、一般的な長剣には足らず、短刃の軽剣よりも長い。おそらく、これを扱う者の質に合わせて造られているのだろう。刃と鞘の間にある飾りは、間近で改めて見て、牙をむいた狼である事がわかった。ただの飾り模様かと思ったが、これは紋章ではないだろうか、と不意の疑念がわく。


 「牙をむいた狼の紋に心得はあるか?」


 叔父からの問いに、リビはアゴに手を当てた。


 「狼を象徴としているのは、ムラクモのアデュレリアが有名ですが」

 「そうか……あの氷狼の一族」


 東地において、王国を支える狼と蛇の二家は、世界にその名を知られる名門中の名門である。それを聞かされて思い出したことに、バ・リョウキは焦燥にも似た脱力感にみまわれていた。


 ──老いたものだ。


 「アデュレリアの紋をのせた剣を所有していたということは、あの男は、かの一族に縁のある者なのでしょうか」


 「かもしれぬ。あれほどの才が、これまで誰の目にも止まらなかったとは考えられん。下賜されたのだとすれば、納得もいく」


 バ・リョウキは二本の剣を、竹筒にしまい、寝台下の奥に隠すように置いた。


 「それを、あの男にお渡しになられるおつもりでしょうか」

 「その通りだ」

 「なぜ我々が────いえ、叔父上がそこまでなさらなければならないのですか」

 「本気を奮えぬ相手を倒したとて、それは真なる勝利とはいえぬ」

 「ですが、そのために叔父上はア・ザン総帥の顔に泥を塗りました。もしこの件が上にあがれば、宮中でのお立場に傷がつくかもしれません」


 バ・リョウキは甥の心配を一笑に付した。


 「現王家はバ族の後ろ盾を必要としている。この程度の事は見逃すだろう。それに、虜囚を嬲る趣味はア・ザン殿にとっては恥部であろう。ことさらに騒ぎ立てるとは思えん」


 「そうかもしれませんが──」

 リビは不意に視線を泳がせた。

 「──ところで、あの男はどこに? 部屋にかくまうようなことをおっしゃっていたと……」


 「公主が私室に連れていかれた」

 「は? えッ!?」


 バ・リョウキは目を白黒させる甥に、事の簡単な経緯を説明するが、リビはまるで納得した様子なく挙動不審に部屋の中をうろついた。


 「なぜお止めしなかったのですかッ」

 「ア・シャラ殿の提案は理にかなっていた。あらゆる面倒をはぶき、我が目的の成就にも適う」

 「だからといって、若い娘と得体の知れない男が同室にいる事を許したというのですか?!」

 「拘束だけは、きつくはずさないように言ってある」

 「そういう問題ではッ」


 バ・リョウキは食い下がるリビに辟易して諭すように言う。


 「ア・シャラ殿はできぬことに手を出すようなお方ではない。公主が当日まであの男の身を保護すると約束したのだ。私はそれを信じた。それだけの話だ」


 リビは咄嗟に部屋の戸に手をかける。


 「考え直すようにいってまいります、止めないでくださいッ」

 「好きにしろ。だがよく考えてみろ。あの娘が、一度やると言ったことを簡単に反故にするような人間かどうか、を」


 間を置いて、リビは結局、部屋にとどまった。

 疲れた表情を隠すようにうつむいて、夜明けの梟のように声を漏らす。


 「……叔父上、もう帰りませんか。国家間で交わした約定は先の戦で果たしたはずです。歓迎されてはいても、我々は所詮、余所者です。私は、もうここでの生活に疲れました」


 「そうしたければ一人で帰るがいい、許可は与える。だが私にとって、あの戦はまだ終わってはいないのだ。掴みかけた勝利を確かなものにするまでは、この渦視の地こそが我が身を置くところ」


 あしらわれても、リビは帰り支度をしようとはしなかった。

 弱音を吐いた甥の本音が、ア・シャラに起因するものではないか、と薄々にながら予感する。年長者として適切な言葉をかけてやりたいという親心を持ちながらも、剣の道にのみ生きてきたバ・リョウキには、色恋に関して吐く言葉など微塵も持ち合わせてはいなかった。






          *






 ア・シャラという人間について、シュオウはまだろくに知る事はなかったが、部屋に連れてこられる間に通りすがりの屈強な兵士達が、彼女を見る度に怯えたように肩をすくめていたことで、相当に武闘派な娘ではないのか、とおおよその人物像を想像した。


 自分を襲った男を片足で組み敷いていた様子からしても、並の人間ではない。それが左手の甲にある色のついた輝石から生じる力かどうかまではわからないが、少女の体躯で大の男を組み敷くだけの力が、生まれ持った肉体の力のみで行われたとは、到底思えなかった。


 通された彼女の部屋は、バ・リョウキが寝泊まりする小綺麗な部屋を遙かに凌駕する広さがあり、並ぶ豪華な調度品の数々は、この部屋がまさしく王侯のためのものであると、うるさいくらいに主張している。


 「悪趣味だろう?」


 自分を連れ、ここまで歩いてきたア・シャラの一言目がそれだった。

 返す言葉などない。

 シュオウはただじっと、部屋の隅々まで観察する事に努めた。


 「この部屋から外に出ようと試みるのは、すすめられないな。ここは要人のための部屋で外からの侵入が難しい造りになっている。内から外へも同じことだ」


 頭の中を覗かれたような気がして、シュオウは口をへの字に曲げる。

 「考えていない」


 見透かしてか、シャラはほくそ笑む。


 「お前はやることがいちいち見苦しいが、そこが面白い。不器用にもひたすらに生きようとするその姿は私好みでもある」


 まるで達観した世捨て人のように、少女は言う。その言葉が自分を見下して言っているように聞こえた。


 「見苦しい、か。父親を噛み殺そうとしたことを言っているのか」


 挑発するつもりで言ったそんな言葉も、しかしシャラは小指の先ほどにも平常心を崩さなかった。


 「そうだ、それがなければ、お前をここに連れてきてはいない」


 シャラは、ふかふかとした真紅の長いすに腰掛け、前髪をかけあげる。シュオウに向けた目は、曲がりなく曇りもなく、ただ強い。


 「勘違いするな。私は酔狂でその身を預かったのではない。剣聖殿に約束したとおり、命を守るために引き受けたのだ。お前は、あれほどの人物が異国の将の顔に土をつけてまで勝負を望む人間だ。それを思えばこそ、このア・シャラはシュオウという男の命を引き受けた。お前はただ、私の傍らで時を待てばいい」


 しばしの間、シュオウはア・シャラと視線を交わす。

 偽りなく、自身の身を守るために面倒を引き受け、ここへ連れてきたのだとすれば、むしろ感謝すべきではないか。そう考えれば、むしろこの娘とは良好な関係にあったほうが身のためかもしれない。小遣いを手に菓子を選ぶ子供でも、それくらいの計算はするはずだ。


 「座りたい。いいか?」


 シャラの対面にある同じ形の椅子をアゴで指すと、シャラは即答で了承した。

 上等な寝台のようにやわらかな感触に、ほっと息を吐くと、シャラのくりッとした大きな瞳は、シュオウの手元に釘付けになっていた。


 「いまさらに気づいたが、指先がおかしな方向に曲がっているな」


 言われて見て、シュオウは他人事のように生返事をする。

 「ああ……」


 「まあどうしてそうなったかの見当はつく。医者を呼ぼう──」

 はりきって席を立ったシャラを、シュオウは咄嗟に止めた。

 「いや、いい、自分でやる。すこしの間だけでも、これを解いてくれるのなら、な」


 試みに提案してみるが、横目で見上げたシャラの顔は、駄々をこねる子供を見る母親のようだった。


 「剣聖殿からくれぐれも、縛りは解かぬようにと言われている。遅れをとる気はないが、私は根拠ない自信に振り回されるほど馬鹿でもない。だから、獣につけたくつわは、はずさない」


 「……なら手伝え」

 不満気にシュオウは言った。


 「──どうすればいい?」

 「指先を強く握って、堅く固定してくれればいい」

 「簡単そうだ」

 「ただ絶対に動かすな。下手にやれば、骨が割れて隙間に挟まる。そうなったら、一生指先が曲がったままになる」


 なぜか、シャラはシュオウの忠告を聞いて吹き出したように笑った。

 「まかせておけ」


 助けを借り、シュオウは手際よく脱臼した指を整復する。

 この手の事への対処法も、アマネからの教えあればこそ。壊す事、なおす事は一対のものであると常々聞かされ、教え込まれてきた。


 「さて、あと他に必要なものがあれば言うがいい。聞くだけは聞いてやろう」

 シャラの提案に、シュオウは即座に言った。

 「なにか食べたい、できればすぐにでも」

 「そうだな、ちょうど時間もよいころだ──」

 シャラは扉に向けて首を振り、外へと促す。

 「──案内しよう、家族の食卓へ」




 「たしかに、食事を共にしたいと言うには言ったが……。ようやく自分から声をかけてきたと思えば、これはどういうことだ! なぜこの男が同じ卓についているッ!!」


 鬼神の巨像が見下ろす、ぼんやりとした香のかおりがたちこめる食堂を、ア・ザンの怒声が埋め尽くした。


 三者三様に大きな丸卓を囲む面々は、それぞれに思うところを秘め、ここにシャラの言う家族の食卓などという和やかな空気は一変たりともありはしない。


 ア・ザンの右隣には娘のア・シャラがすました顔で箸を延ばし、そのさらに右隣には薄汚れた格好のまま、シュオウが目の前の料理を口の中に押し込んでいた。その勢いは、真昼の砂漠に一杯の水を注ぐが如しである。


 「食べ物をせがまれたのでな」


 目も合わさず娘にそう言われ、ア・ザンは怒りと不条理をかかえて、この世の終わりでも見たかのような顔でうめいた。


 「だからといってなぜここで食わさねばならん?! そもそも、どうしてお前がその男を連れているのだ! わけが……わけがわからんッ」


 対面に座す形となったア・ザンは、血走った目でシュオウを睨み、首筋をくるんだ包帯を手で撫でながら喚きちらした。


 シュオウはあえて口をつぐんでいるが、この場においてはア・ザンのほうがよほどまともな反応を見せているといえるだろう。それだけシャラのやりようは突拍子もない。これではまるで、わざと怒らせて反応を楽しんでいるようにすら思える。


 「バ・リョウキ殿が部屋に引き取って後、この者の命を早々に狙おうとした輩が現れたのでな。勝負の時までの間、この者の命を預かると剣聖殿に約束したのだ。あの剣聖が認める手練れだぞ、有象無象の手に渡すには惜しい」


 「またわけのわからぬことを……この男はな、私を噛み殺そうとしたのだぞ!? それをお前はなにも思わぬというのか」


 「そもそも、生殺しにして監禁していたのは父将であろう。一思いに命を絶つならよし、しかし半端に生かせば反抗する者もいるだろうさ。これに懲りて、悪癖を見直すべき、と娘たるこの身としては父を案ずる」


 「うぐッぐッ──」

 ア・ザンは娘との対決を放棄し、矛先をシュオウに切り替えた。

 「──貴様、よくもぬけぬけと、私の前で飯が食えたものだな」


 シュオウは威圧するア・ザンを睨み返す。

 「腹が減っていたんだ。もとはといえばお前のせいだ」


 「うぐ」

 シャラはくすりと笑い、もうほとんど食べ尽くしたシュオウの皿を見つめて、

 「それにしても見事な食いっぷりだ。よければ私の分も食べるか」

 「欲しい」

 「よし、ほれ──」


 シャラは手頃な揚げ物を一つ箸でつまみ、シュオウに口を開けるように促した。

 言われた通りに口を開けて食べ物を待つシュオウを前にして、ア・ザンはがっくりと肩を落として椅子を引いた。


 「今、私はこの世でもっとも不幸な父親に違いない……」


 愚痴りながら席を立つア・ザンに、多少の同情を含んだ視線を送りながらも、シュオウの興味はすぐに残された手つかずの料理に移っていた。




 後頭部をがつんと襲った衝撃に、シュオウは跳ねるように目を覚ました。

 「起きろ、朝の調練にいく」


 蹴り出されたのか、頭をささえていたはずの木製の枕はなく、シャラがじっとこちらを見下ろしていた。


 幅の狭い窓からは一切の光を感じることはできない。おそらく、まだ陽も昇っていない時間帯だ。


 部屋の隅にある柱に繋がれていたシュオウを解放し、シャラはひもで繋いだ家畜を放牧させるような気軽さで、シュオウの手首を封じる鎖にひもを通して引っ張った。


 ずきずきと痛む体と、まだ覚醒しきっていない疲れた頭をかかえ、シュオウはおとなしく、このひどく闊達な娘に従い部屋を出る。


 いつの間にか扉の前に立っていた若い番兵が、腰をおとしてすっかり眠りこけてしまっている。それを見てシャラは鼻で小さく溜息をつき、

 「余計な心配ばかりする」

 とこぼして部屋を離れた。


 「朝飯だ」


 振り向きざまに放り投げられた大きな葉にくるんだ食料を受け取る。見慣れぬそれの匂いを嗅ぐと、ほんわりとした焼き魚に似た香りがした。

 起きたての空きっ腹で、口の中に唾液が溢れる。


 「サンゴの田舎料理で、白身魚の身を練って蒸し焼きにしたものだ」


 聞いて、葉をむき、中にある白くでっぷりとした身の塊をほうばった。塩気はないが香ばしく、しっとりとしていて食感も良い。


 「うまい……」

 そう思わずこぼしたシュオウに、シャラは満足げに微笑む。


 「幼い頃、武術の教えを受けていた師父が、よくそれを弁当として持参していた。細君手作りのそれをうまそうに食べている姿がうらやましくてねだったが、下々の食べるものだといってしぶりつつも、こっそりと味見をさせてくれた。そのときの味が忘れられなくてな、今でも時々食べたくなるんだ」


 話半分にがっつくシュオウに、シャラは咳払いをして皮肉っぽく言う。

 「礼なら無用だぞ」

 口に含んだものもそのままに、シュオウは慌てて、

 「……ありふぁほう」

 と、野暮ったく礼を述べた。


 シャラは困った弟でも見るように生温かい視線を寄越し、すたすたと長い廊下を歩きだす。彼女の手にあるひもがピンと張る前に、シュオウは二歩ほど距離を保って後に続いた。


 どうにも、調子が合わない。

 もそもそと口に残ったものを咀嚼しながら、そんなことを思う。


 シャラは一目でわかるほど若い。年齢的には幼いと言ったほうがより適切なのだろうが、その所作や双眸の放つ光は、悠久を生きた賢人のようでもある。対している印象からすれば、百を超える年月を生きているというアデュレリアの公爵よりも、ずっと老成されているような気もする。

 だが、彼女からもたらされる高みから見下ろされているような感覚は、不思議と不快には感じなかった。

 シュオウは未だ、彼女にどう接するべきか、計りかねていた。




 今し方まで暗闇の中にあった中庭も、シャラとシュオウがそこに立つ頃になると、彼方よりほんの少しだけ顔を出した朝陽によって、視界を得るに十分な光が届いていた。


 静まりかえった早朝の空気は、まだ冷たい。


 中庭の中央部分には、なぜか上半身が盛大に欠け落ちた像があった。シャラはそこに場所を決め、石像の足にひもを結ぶ。いよいよ、飼い慣らされた動物のような心地がした。


 「体を動かしておけ。許された範囲であれば許す」

 シャラは慣れた様子で柔軟体操を始めた。


 歩ける程度には縛りに余裕がある両足に力を込め、シュオウは屈伸から始めて体の各部に活を入れる。数日の事ではあっても、無理な体勢ですごしていた日々が、すっかり体中を堅く強ばらせてしまっていた。


 突然に申し込まれた勝負に挑まなければならない今、正確な日にちもわからないままに、とにかく可能なかぎり普段の調子を取り戻しておかなければならない。


 「ほッ!」

 シャラは軽快に声をあげ、広い中庭をいっぱいにつかって、なんらかの武術とおぼしき型を披露していく。腰を深く落としてからの拳による突きから、頭のてっぺんに届こうかというほど高く上げた足のかかとで、轟音とともに空気を切り裂く。


 まるで舞を披露するような華麗な技の連続にシュオウは瞬きを忘れて見入っていた。

 「すごいな」


 声をかけると、シャラは動きを止め、呼吸を整えてシュオウを見る。その顔は満足げだ。


 「実は見せたかった。剣聖殿がみとめた人間の目で見た私はどうだ」

 「人を評価できるほどの自信はない。だけど、今のは良かった。とくに足技が」


 シャラは艶やかな銅色の足をぺしんと叩く。


 「これこそは生まれもっての父母と神からの贈り物だ。褒められるのは素直に嬉しい」


 ──やっぱり。

 得心する。シャラの持って生まれた彩石が持つ力が、足に非凡な力をもたらしているのだろう。だが、それが彼女のすべてだとは思えない。今見せた演武は、これまでに相当な努力を重ねてきた人間でなければできない芸当だった。


 「お前は剣の使い手だろう? 是非この目で見てみたいが、それは後の楽しみにおいておこう」


 シャラは再び調練に戻る。汗もかかずに自由自在に手足を繰り出す様は、見ていて爽快なほどだった。

 風切り音をあげ、様々な形で蹴りをだしながら、シャラの口角が徐々にあがっていく。


 「楽しそうだな」

 「楽しいさ! おのれの体一つ、その限界を問いながら手を伸ばし、足を伸ばす!」


 シャラは返事を寄越しながら、シュオウの喉元めがけて蹴りを出した。

 目の前には靴の裏。直後にゴウッと風が押し出された。

 足を下ろさぬまま、シャラが意外そうな声を出す。


 「怖くはないのか? 当たっていれば一撃で命を絶てた」


 そもそも、シュオウはシャラの一挙一動をすべて把握できている。はじめから自分に届かないとわかっているものが、恐ろしいはずもない。


 「悪くない。けど、足を撃つ時に軸足のつま先が浮いていた。根幹が揺らぐのは未熟な証拠。そこを意識すれば、いまの蹴りも逃げたくなるような一撃に変わるかもしれない」


 返事はない。ただ、シャラは黙って足を引き、先ほどと同じ所作で足蹴りを繰り出した。しかし今度は今の忠告を忠実になぞっている。

 稲妻が落ちたかという衝撃音に続き、嵐のような突風が起こる。シュオウはたまらず、両の手を前に出し、半歩後ずさった。


 目の前にある足が徐々に下がっていき、かわりに紅潮した顔で目を潤ませるシャラの顔が見えた。


 「──み、見たかッ?! 今の!」


 興奮しきった様子のシャラは、両手をあわせて口元に当て、ぱたぱたと足をばたつかせていた。

 正直なところ、思いつきに気になったちょっとした欠点を指摘してすぐに、ここまでの技の改善をしてみせるとは微塵も思っていなかった。この少女の持つ才は、純粋に驚嘆に値する。


 「ああ、驚いた」

 惚けたように言った、その一言で十分気持ちは伝わったはずだ。


 「日々、昨日よりもより良い自分を目指して励んできたが、今この瞬間、数年またぎの近道をした心地がする。ありがとう、お前の言葉は私を先へ導いてくれた」


 満天の星々のように目を輝かせて言われ、シュオウは照れくささを隠すように視線を逸らして鼻をかいた。

 シャラが初めて見せる年若い少女の、ありのままの表情を見て、不思議とシュオウは安堵していた。

 小刻みに飛び跳ねる度に、たゆたゆと大きく揺れる胸に目を誘われてしまうのは、生まれ持っての性のなせる力だろう。

 シュオウが自制心の活動を強く促して目をそらすと、不意にシャラが突拍子なく提案する。


 「なにか礼をしたい気持ちだ。望む事があれば言ってみろ。今の私は、常識の範囲内でなら、大抵の事にこたえてやってもいいと思っている」


 その言葉はあまりにも甘美な響きだった。

 欲しいもの、したい事はいくらでもある。窮屈な拘束をといてほしいと一番に頭に浮かんだが、さすがにそれは許さないだろう。


 自分の身を思っての欲求は枚挙にいとまがないが、必要十分な衣食住を得られている今、これ以上は贅沢であろうと、結局はその答えに至る。そうなってみて、改めて一つの気がかりが心に残った。


 「一つ、ある」

 「言ってみろ」

 「仲間達の無事をたしかめたい」

 その要求を、シャラは快諾してくれた。






          *






 地下牢の中、誰かがもらしたあくびが響く。

 置かれた状況のわりに、ムラクモの敗残兵達が囚われている牢部屋の中は、気だるい空気が流れていた。


 ──無理もねえ。

 とボルジは思う。


 ここでする事といえば、生きる分にぎりぎり足りる量が支給される食事と水を胃に流す事だけ。はじめのうち、皆ああでもないこうでもない、と愚痴ったり身の上話で気を紛らわせてはいたが、それにも飽きたのか、今では口を開く者も少なくなっていた。


 「俺たち、どうなるんだろうな……」

 退屈に耐えかねた誰かが、唐突に言った。


 「殺されるに決まってんだろ」

 また別の誰かが捨て鉢に言うと、即座に反論が飛んだ。


 「殺す気ならとっくにそうしとる。飯が出てくるってこた、まだ使い道があると思われてるんだろうよ」


 「使い道って、なんのだよ」


 「知るもんか。どこかで働き手にされればいいほうだろう。国によっちゃあ、捕らえたもんを深界の開拓に使うって話も聞いたことがある。糞田舎の開墾作業にでも使われるんなら、まだ儲けもんってこった」


 「くそッ……地道な労働が嫌で剣を握ったってのによ!」

 「若造が、がたがたぬかしてんじゃねえ。生きてるだけましだと思って黙っとけい」


 「ちッ、あんたはいいよな、ジン爺さんよ」

 「……どういう意味だ」


 「あんた、サンゴの連中とは同郷じゃねえか。肌の色が同じやつぁいいよな、どうせ自分は殺されないとたかくくってっから、そんな余裕かましられるんだろうがよ!」


 「なんだとッ!!」


 怒声と喧噪。喧嘩をはやしたてる歓声があがり、牢の中は一気に騒がしくなった。

 今は、仲裁に使う体力すら惜しい。少しすれば番兵が止めにくるだろうとたかをくくり、腕を組んで目をつむるが、待っていてもなかなか止める声が入らない。


 ──どうした。


 ふとした違和感に顔をあげると、地下牢の入り口のほうから、なにごとか揉めているようなやりとりが、騒ぎに混じって耳に届いた。


 「──けど、こまりますよ」

 「少しの間だ。外にでて体を伸ばしている間にすむ」

 「……じゃあ、ほんの少しだけ……頼みますよ、なにかあったら自分の首が飛ぶんですから」


 鍵が開く音がして、人の足音が近づいてくる。

 ボルジは常ならぬ状況を察知し、喧嘩に熱中する暇人達を怒鳴りつけた。


 「おい、黙れ! 様子がおかしい」


 神妙な態度を察し、皆一瞬のうちに静まりかえった。

 蝋燭の灯りが、入り口から流れる風に揺れ、地面におちた人型の影を揺らす。

 すっと現れた人物を見て、ボルジは思わず声をあげた。

 「シュオウ!」


 立ち上がり、鉄格子を掴んで顔を近づける。周囲の者達も、その姿を見て格子の前に殺到した。


 「大丈夫か?」

 ボルジに向かって聞いたシュオウは、最後に見た時よりもやつれた姿をしていた。


 「こっちはなにも変わっちゃいない。それより、お前のほうこそ大丈夫かッ」


 シュオウは安心させるように軽く笑みをつくった。

 「ああ、ほんの数日閉じ込められていただけだ」


 軽く言うが、あちらこちらにくたびれた雰囲気を帯びている。

 シュオウは牢の中にさっと視線をまわし、壁際で背を向けたまま座るハリオに気づくと、一瞬声をかけようとして口を開いて、物言いたげな表情のまま、結局口をつぐんだ。


 シュオウはボルジに視線を戻す。

 「今の状況を説明しておく──」


 淡々とした状況説明を聞くにつれ、牢部屋の人間達の間でざわめきがひろがっていく。

 「バ・リョウキっていや、知られた英雄じゃねえか。まだ現役だったのかよ」

 ボルジが言うと、シュオウは小さく頷く。

 「らしいな」


 「その爺さんと戦ってなにか得られるもんがあるのか」

 シュオウは首を振って否定する。

 「たぶん、ない。負ける時はきっと死ぬときだろうし、勝てたとしても結果は同じだろう」


 「……わかっていても、受けるしかねえのか」


 「そうだな。ただ、その日までの待遇は少しましになった。おかげで、こうして皆の顔も見にこられた」


 牢の入り口からシュオウを急かす若い女の声がした。

 「もう行く………………待っててくれ。全員、絶対にここから出してやる」


 語気強く言うシュオウの言葉を、誰も笑いはしなかった。

 最後にシュオウと視線を交わしたボルジは、ただ歯を食いしばってグッと頷いてみせた。


 牢の中が再び常の状態を取り戻し、それぞれにシュオウの言った事を話すが、当然のようにだれも本気に受け取った者などいなかった。


 ただ、ボルジは、シュオウという人間が、口だけに終わる男ではないと知っている。

 虜囚達が騒ぐ声を聞き流し、ボルジは壁に寄りかかり、そっと目を閉じた。待っていろ、と言ったあの言葉の通りに。






          *






 「満足したか?」

 シャラの問いを無視して、シュオウは質問を返す。

 「あいつらはどうなる?」

 シャラはむずがゆそうな顔をする。


 「さあな。なにせサンゴにとっては滅多にない勝利だったから、処遇に苦慮しているとは聞いたが。今後について、私の知るところではないが、いずれにせよ敗者に相応しい所に置かれる事になるだろう。それが世の常だ」


 「そうか……」

 気を落とすことなく、シュオウは奥歯を強く噛みしめた。


 囚われの身である仲間達。彼らがみせた悲壮な表情。やつれた顔ですがるように自分の言葉に耳をかたむける姿を見たとき、シュオウの中で、ある一つの強い感情が芽生えていた。


 ──助け出してやる。絶対に。

 一心にそう思う。


 飢えながら、明日生きているかもわからない状況に、屈強な戦士達ですら、怯えて肩をすくめている。そしてその状況に置かれている者達は皆、寝食を共にした仲間だ。


 心は決まった。

 勝つこと、そして救い出すこと。

 無理だという理性と常識からシミのように漏れ出てくる雑念を振り払い、できる限りの事をしようと自身に言い聞かせる。


 「もう一つ、頼みがある」


 部屋に戻ろうとするシャラに、シュオウは遠回りを希望した。まずは、自分が囚われている建物の構造を、きちんと把握しなければならない。

 機嫌の良いシャラは、その些細な願いを了承し、シュオウは彼女に見えないように小さく拳を握りしめた。






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小説の表紙
― 新着の感想 ―
[一言] シャラと交流を深めた後、囚われた仲間たちを想い敵地から救い出すことを決意するのがとても良いです。
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