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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
初陣編
20/184

第二話 つがいの輝士

     Ⅱ つがいの輝士











 初めて踏むオウドの地は、土と焦げの臭いがした。


 シュオウは、活気のない粗末な露店が並ぶ市場を抜ける途中、商い人に兵舎への道順を聞いて、周辺の景色を眺めながらのんびりと歩いていた。


 すれ違う人々の大半は、赤みを帯びた褐色の肌をした人々。食べ物を載せたカゴを手に、おしゃべりを楽しみながら歩く若い女達は、シュオウを見ると途端に押し黙り、目を背けて足早に駆け出していった。


 強く陽が照る時間帯。居住地区は、縦長に空に伸びる白い粘土壁の建物が並び、全開にされた窓からは巣のようにヒモが伸び、洗濯物が戦列を組む兵士のように整然と干されていた。


 建物の間に落ちる日陰を歩きながら、目的の場所を目指す。よいせと背負いなおす荷物袋は、旅立ちから日を追う事に重さを増していた。


 教えられた道は真っ当な経路ではなかったらしく、目印として与えられた情報を頼りにしても、どうにも進む道への自信が失われていく。


 木々に隠れた坂を上り、途中に置かれていた鬼を象った小さな石像に目をやりながら汗を拭った。

 坂を登り切った先に見えた建物を見て安堵する。


 現れたのは巨大な建築物。その形状は独特で、邸と呼ぶには情緒に溢れ、城と呼ぶにはあまりに軟弱である。

 苔蒸したような色をした門は全開にされ、門の天辺には、南方戦線本部と書かれた看板がさげられていた。


 門を守る茶色い制服を着た従士達が、退屈そうに佇んでいる。

 彼らに命令書を差し出して用件を告げると、あっさりと中へと促された。しかし道案内をしてくれるほどの親切心はなかったようで、空中をなぞる従士の人差し指を頼りに、自力でこの兵舎の責任者の下まで命令書を渡しにいかなくてはならなくなった。


 外から見るより、中から見るこの兵舎の構造は複雑怪奇であった。門を抜けた先の正面には、開かれた大広間があり、その部屋の奥には、黒くて大きく、頭に二本の角を生やし、大きな鼻の穴を膨らませながら、尖った犬歯を剥いて口を開いた鬼神像が鎮座し、見る者を威圧するように正面を見据えている。


 独特な香の臭いがきつく、猛々しい鬼神像とあいまって建物の中の異様な雰囲気を増幅させていた。


 結局どこから入っていいのか、どこが部屋としての機能を持っているかもわからず、中庭を抜けてあちこちに伸びる廊下を目で追いながら、執務室を探して彷徨った。


 しばらくの間敷地内をうろついた結果、シュオウは見事に道を失っていた。見回しても奇妙なほど人気はない。歩き続けながら、入口へ戻る事も検討し始めたその時、中庭の奥の日陰の中で上半身裸で乾布を手に背中を擦る男と出くわした。


 「お?」


 男は四十そこそこといった風貌で、ふわりと柔らかそうな栗色の髪に、もみあげからアゴまで続くヒゲをはやした、一目で軍人とわかる逞しい肉体の持ち主だった。輝石がくすんだ焦げ茶色をしている事から、この男が輝士階級にあるのはまちがいなさそうだ。


 旅の装備のまま佇むシュオウを、軍人風の男は足のつまさきから、頭の天辺まで舐めるように観察した。


 「道に迷ってしまって」


 短く現状を伝えると、男は納得を得たりと数度頷いた。


 「なるほど、たしかに迷っているという顔をしている。それで、君の目的地はどこなんだ」


 「着任の挨拶のため、ここの主のいる所まで」


 「ふむ、なるほどな――」

 男は少し垂れ気味な目尻で、思索を巡らせるように遠くを見つめてから言った。

 「――よしわかった、俺が案内しよう、付いてきたまえ」


 礼を言う間もなく、男は裸の上半身に乾布をひっかけたまま、礼を言う間も与えずに歩き出してしまった。


 彼の指示に従い、靴を脱いで階段をあがり、よく磨かれた木造の長い廊下を歩く。角を二つほど曲がった先に、町並みを一望できる視界の開けた廊下にさしかかって、そこから見える光景に、シュオウは思わず足を止めた。


 市街地とは反対側にあたるその場所は、黄色い土に覆われた荒涼とした風景が広がっていた。そこかしこで上がる煙の下では、ボロ切れを纏って労働に従事する人々がいる。彼らは大きな焚き火の中に、細かな葉のついた枝や乾いた木材を放り投げていた。


 「物珍しいという顔をしているな。このあたりじゃ当たり前の光景なんだが」


 付き合って足を止めてくれた男は、共に風景に視線をやりつつアゴヒゲを撫でていた。


 「あれは、なにをしているんですか」


 「陶器を焼いているのだ、窯を使わんのは珍しいかもしれんがな。ここらで大量に採れる黄色い粘土質の土に、特別な石を砕いて作った粉を加えると粘りの強い良い土になる。それをこねてじっくりと焼き上げれば、煮込み料理用器の完成というわけだ。このオウドが持つ数少ない特産品の一つだな。まあもっとも、ここで作られる物のほとんどは市井の民が使う安物だ。かさばるわりに利益は少なくて、交易品としての人気はさっぱりだッ」


 男は早口でまくしたて、自身の説明に気分を良くしていた。


 どこへ行っても、かならずその土地で生きる人々の営みが存在している。

 王都では、労働者達の大半は石を掘って糧を得ていた。アデュレリアの人々は鍛冶、精錬や漁業に従事し、ここオウドの地でのそれは、焼き物だった。

 場所が変わるたび、目に入る光景も、鼻で感じる臭いも、空気の質も、なにもかもが違うという事を、シュオウは喜びとして受け止めていた。


 「楽しくてしかたがない、という顔をしている」

 唇を片側だけ釣り上げて、微笑みながら男が言う。

 「楽しいです」


 シュオウが真っ直ぐそう告げると、男は爽快に笑い声をあげた。


 「この光景を前にして喜んだ奴を見たのは初めてだ。風向きによっては涙が出るほど煙たいが、まあそれはおいおい慣れるだろう」




 長い廊下の角を三度曲がった先に、目的の部屋はあった。部屋の前で佇む警備兵は、乾布を肩にかけた男を見ると敬礼して声をあげた。


 「アル・バーデン准将閣下ッ、ケイシア重輝士が中でお待ちです」

 「おう」


 一言で応える男を見ても、特に驚きはしなかった。道中薄々そうではないかと考えがよぎったのだ。なにしろ、この男の堂々とした振る舞いを見るに、並の者にはない風格があったからだ。


 シュオウが目当てとしていたこの地の責任者である、アル・バーデン准将は、なにかを期待するようにチラチラとこちらに視線を送っている。


 ――驚いたほうがよかった、か。


 反応に迷っていると、中年の准将はがっくりと肩を落としていた。


 背中越しに手招きをされ、入室するアル・バーデンに続くと、広々とした部屋の中央に置かれた執務机に腰かける女の輝士がいた。


 ほっそりとした体に見慣れた黒の軍服。亜麻色の結い上げた髪は几帳面に整えられ、気の強そうな細い瞳には、軍人特有の鋭さがあった。彼女はアル・バーデンの姿を見ると一瞬破顔したが、シュオウの存在に気づくと、咄嗟に表情を引き締めて感情を隠した。

 女は椅子から腰を上げ、軽く敬礼した。


 「おかえりなさいませ、閣下。お姿をお見かけ致しませんでしたが」

 「庭で体を温めていたら、新任の従士が道に迷って現れてな。ついでだから連れてきた」

 「新任って……まさかたった一人? 他に一緒に来た人間は!?」


 必死な形相で女輝士に聞かれ、シュオウは首を振った。


 「俺はアデュレリアで命令を受けて、そこから一人でここまで来ただけなので」


 アル・バーデンは笑う。

 「ケイシア、気にしすぎだ。心配しなくても最低限の補充兵くらいは送られてくるだろうさ」


 ケイシアと呼ばれた女は、視線を落として頷く。

 「ええ、そうですね」


 アル・バーデンはケイシアが座っていた執務机に腰を落ち着け、肌着に腕を通した。


 「いまさらだが言っておこう。アル・バーデンだ。ここの司令官兼オウド代官を務めている。この女はケイシア・バーデン、俺の忠実な副官兼、嫁さんだ」

 アル・バーデンは、言ってケイシアの尻をぱしんとはたいた。


 「ちょっと!」

 ケイシアは一応は怒ってみせるが、夫婦というだけあってどこかこなれた様子だ。


 「夫婦、ですか」

 唐突なその紹介にシュオウが目を丸くしていると、アル・バーデンはそれを嬉しそうに眺めていた。


 「めずらしい、という顔をしているな、いいぞ。たしかにムラクモ王国軍の中でも、夫婦で上官と部下という関係はめずらしいだろうさ」


 ゲラゲラと笑うアル・バーデンを、ケイシアが呆れた顔でたしなめていた。

 ケイシアは取り繕うように咳払いをして、軍人然とした強い視線をシュオウに向けた。


 「配属命令書を渡されているのなら、それを早く見せなさい」


 言われ、軍での経歴を記した紙と、オウドへの配置を指示する書簡を手渡した。

 ケイシアは糸のような双眸をより細めて、紙とシュオウの顔を交互に見合わせた。


 「名前は、シュオウ……従士曹?」

 それを聞いて、アル・バーデンが声をあげる。

 「ほお、若く見えるが、その歳で昇任されているとは、やるじゃないか」


 単純そうな夫とは違い、ケイシアの方は何か引っかかりを感じているようだった。彼女は紙の上の情報を読み取った後、配置命令書を手元に残して、身分を証明する用紙のほうをシュオウに返却した。


 「一通り把握したわ。ごくろうさま、と言っておきましょう。オウドへようこそ。階級からいっても、一部隊をまかせるのが妥当でしょう。人手不足だったから、正直に言って心の底から歓迎するわ」


 シュオウは軽く会釈を返した。

 「よろしくお願いします」


 形式的に挨拶をすませると、ケイシアは卓の上に置かれていた紙を一枚差し出した。


 「寝泊まりの場として、すぐ近くに兵舎を設けてあります。案内の者をつけるので、この命令書を持って隊に合流しなさい」


 新たな命令書を受け取って、シュオウは執務室を後にした。




          *




 扉が閉まったのを確認して、ケイシアは顔の緊張をほどいて夫のアルに向き直った。

 「気づいていて案内役を買って出たのでしょ」


 ケイシアは言って、腰のあたりをぽんと叩く。


 「当然だ。あれほどの一品、見逃すはずがない」


 というのも、着任の挨拶に訪れたシュオウという名の従士の腰にあった、一対の剣を指しての話である。それは一目でそうとわかる特注品だった。それだけなら一瞬の注意は惹かれてもそこで話は終わりだが、問題はその剣に氷狼の紋章が刻まれていたという事だ。


 「剣に紋章を刻む事が許されるのは、高位の貴族家でも序列の高い人間にかぎられる。あれを譲り受けたのだとしたら、アデュレリアに相当近しい人間ということになるわ」


 「アデュレリアから来たと言っていたのは、そういう意味だったのか?」


 「アデュレリアには謹慎処分中で滞在していたとあった。その前は採用試験を経て、シワス砦での任務についていたとも」


 「シワス!?」

 アルは目をむいて大声で驚きの声をあげた。


 「シワス砦といえば、田舎者が指を差して笑うこのオウドを遙かに凌ぐ僻地ではないか。東の端からアデュレリアのような都市を経てこんなところまで来たのか。それも氷狼の紋をつけた剣を携えて――わけがわからんな」


 「そのうえ、謹慎処分が明けるのと同時に従曹への昇級が言い渡されている」

 ケイシアが言うと、アルは大仰に天井を仰いだ。


 「よけいにわからん。何者だ、ありゃ」

 突然に現れた謎多き人物について、ケイシアには薄々ではあるが、答えの糸口を掴みつつあった。


 「最近、王都から訪れた触れ人が言っていた事を覚えている?」

 「サーサリア様の遭難事件だろう。うちで詰めてる連中の間じゃ未だにその話が酒の肴だ」


 「そう。殿下は無事に救出されたという話だったけど、その時に現場に居合わせた平民の力添えによって、生還が叶ったともいっていた」

 もっとも、その情報を信じる者は誰もいなかったのだが。


 アルはアゴに手を当てて、したり顔をしてみせた。

 「わかったぞ、そのときの平民とやらが、いまの従士というわけか」


 ケイシアは微かに頷いた。


 「だとしたら筋は通る。まあ、本人に聞くのが一番てっとり早いのだけど、それで調子づかせて、こちらに特別な待遇を求められるのも面白くはないわ」


 アルは意外そうに眉を上げた。


 「特別扱いせんのか? 平民とはいえアデュレリアから剣を下賜されるほどの人間だ、機嫌を取れば氷長石様との繋がりを得られるかもしれんぞ」


 「だから、あなたは甘いといつも言ってるの。あの方は気に入った相手にはたっぷりと蜜を与えるけど、そうでない相手には正面から剣先を突きつけるような人。勝手な想像を元に不用意な事をして怒らせたら、私たちはそれまでよ。下手をすれば、このオウドで一生を終える事になる」


 アルとケイシアは、両名ともに下級貴族の出だった。わずかばかりの財産と爵位を継ぐのは兄姉達であり、欲しい物はすべて自力で手に入れなければならないのだ。


 軍においてはそれなりに腕の立つ輝士であったアルと、その時々で冷静な状況判断ができるケイシアの二人の協力により、武勲を上げて比較的早く出世の道を駆け上がったが、しかし思わぬところに落とし穴は開いていた。豪放磊落ごうほうらいらくな性格であるアルが、近衛軍での上官にあたる人物から不興を買ってしまい、嫌がらせとして誰もが着任を渋るオウドという土地へ送られてしまったのだ。


 着任において、司令官としての体裁を整えるために准将の階位を与えられ、代官という役職もおまけとしてついてきたが、その実は経済活動への介入すら許されていない名ばかりの名誉職であった。


 攻めるな、守れ、なにもするな。この三つを固く厳命したのが、一昔前にこのオウドを陥落させた張本人である、王国軍最高権力者グエン元帥だったのだから、逆らいようも、苦情を申請する機会もない。


 宝玉院の卒業試験以来ずっと共に在り続ける、アルとケイシアの二人にできる事といえば、少ない予算の拡大を求めつつ、手持ちの貧弱な手駒を駆使して属領の防衛をしなければならない、という事だけだった。


 それは小さな額縁のなかで、一欠片の木炭を使って壮大な絵画を描けと言われたに等しい、難事である。


 アルは盛り上がっていた心を静め、視線を落とした。

 「……寒くなってきた」


 「名誉を得られない戦しかできない中で、輝士達の士気は低い。そのうえ抱える雑兵は、金銭の多寡でしか物事を見ない連中ばかり。アル、今が私たちの踏ん張りどころよ。このオウドでの任務を無事にやり遂げれば、きっとまた中央に呼び戻される機会はある。私たちの子に、爵位と領地を与えてちょうだい」


 自身の下腹部にそっと手を当て、ケイシアは願いを込めてアルに訴えた。


 「そうだった。何事にも近道はないか。引き締めてかかろう」

 子供のように口元を引き締めて言う夫を、単純だが愛しいとケイシアは思った。


 「それでこそ、私が選んだあなただわ」

 めずらしく褒められて喜ぶアルは、人差し指を立てて片眼を閉じて言う。

 「褒美に夜の酒を一本増やしてくれ」

 ケイシアは途端に真顔になり、顔をそむけた。

 「それはだめ、質素倹約が私たちにとっての最大目標である事を忘れないでちょうだい」

 「……はい」

 アルは項垂れて子犬のような鳴き声をもらした。




          *




 ラ・ジンと名乗った褐色肌の老人は、痩せた体にぼろぼろの従士服を着込んで、ついてこいと短く言った。


 尖った大きな丸太を繋げて地面に突き刺した壁に覆われる宿舎は、酷く不潔な空間だった。

 皮を剥いだ鳥や兎が無造作に干され、大量に湧いた蝿がたかっている。食べ散らかした骨や残飯が散乱する地面には、薄汚れた男達が座り込んで明るい時間から酒をあおっていた。


 「ラジンさん」


 黙々と奥へ進む老人に声をかけると、彼は足を止めた。


 「ラ、ジンだ。ラジンじゃねえ。ラは族名でジンが親からもらった名前だ。このあたりじゃジン爺と呼ばれてる」


 ジン爺はいがらっぽい声でそう言うと、再び足を前に進めだした。


 「ここは長いんですか」

 「さあな。ここで軍人を始めた頃は髪はたんまり歯も残ってたが、今はどっちもない。そのくらいはここにいる」


 泥で汚れた天幕の間をすり抜けながら、シュオウは少しでも情報を引き出そうと努めた。


 「五十五番隊の人数は?」

 渡された紙に記されていた、自分が預かる事になった隊を指して聞いた。


 「糞みてえな傭兵が四人、それにワシを加えて計五人だ。いっとくが綺麗な姉ちゃんがいるなんて期待するな。どいつもこいつも干した豚みてえな面してやがる。臭いも負けず劣らずだ!」


 反吐を吐かんばかりに、ジン爺はそう吐き捨てた。彼はところで、と言葉を繋げた。


 「あんた、何してその若さで従曹になんぞなれた」

 「なにって……」

 「言いたくないなら別にかまわんがな。どうせあんたも記念で来てる口だろう」


 記念とはどういう意味か、と聞きかけた時、ジン爺は目的の場所に到着した事を告げた。


 ぞっとするような汚さの天幕には、やたらに足の長い蜘蛛が無数に蠢いていて、油やら泥水やらにまみれて元の色がわからないほどの不潔さだった。


 促されてくぐったその先には、布地に透けるぼんやりとした陽光の下で小さな卓を囲む、体格の良い四人の男達がいた。全員が黒髪に乳白色の肌をした東地出身者と思しき人間達だ。 


 「てめえら、新しい隊長のご到着だ。挨拶しろ」


 ジン爺が声をかけると、四人の男達は一斉に振り向いてシュオウに視線を送った。その直後、彼らは盛大に溜息を吐いた。


 「ああ、くそ、またハズレじゃねえか」

 背の高い男が言うと、他の三人も興味を失ったようでブツブツと愚痴をこぼしながら卓の上に並んだカードに視線を戻す。


 「……お――」

 そんな彼らの注意を引き戻そうとした時、ジン爺が手を振って止めに入った。


 「やめておけ、無駄に疲れるだけだ。寝床に案内するからさっさと付いてこい」

 「ここじゃないんですか」


 天幕を出るジン爺の後を追いながら聞くと、大きな声が返ってきた。

 「豚小屋で寝たいならとめんがな。従士には馬小屋程度にはましな宿舎が用意されとる」


 なるほど、と頷いたシュオウは、次いで気になった事を聞いた。


 「ハズレって、どういう意味ですか」

 ジン爺は足を止め、不機嫌そうに溜息を吐いた。

 「あんたも質問が多いな……あれを見ろ」


 皺だらけの指が伸びる方を見ると、小太りの若い男が、屈強な傭兵風の男にあれこれと指示をされて、へこへこと頭を下げている光景があった。


 「あれがアタリだ。平民の出でも、そこそこうまくやってる商い人の倅どもが、箔をつけるために軍に入って、ほんのちょっと戦に顔を出して帰っていきやがる。大抵がどうしようもない糞ヘタレ共だが、金だけはそこそこ持ってるってんで、傭兵共が隊長としてやってきたガキに金をせびる。うまい酒と飯でもおごってやりゃ、連中だって馬鹿じゃないからな、戦になればガキ共のお守りくらいはするって寸法だ」


 「それで……俺がハズレか」


 シュオウは自身が受け持つことになった部隊の者達に、貧乏人だと思われたのだろう。それもそのはず、顔に眼帯をした灰色の髪を持つ人間が、東地において裕福な家の出には到底見えないだろうし、その見立てに間違いはない。


 「あんたらはな、隊長ですって面でただいればそれでいいんだ。戦に出て生き残ろうが死のうがワシにはどうでもいい。年寄りの戯れ言として一言だけ言っておくが、うちの隊の連中に言うこと聞かせようなんざ考えるなよ。あいつらが信じるのは金と酒と油まみれの肉だけだ」


 一方的にまくしたてるジン爺の話は、忠告というより途中から愚痴へと変わっていたが、言葉の中から多くの有益な情報を拾うことができ、それなりに収穫はあった。


 従士専用の宿舎である木造建ての建物の一室は、傭兵達が寝泊まりをしている天幕よりも遙かにまともな、居住空間として最低限の体裁は整えていた。

 たしかに、あの老人の言うように外の天幕を豚小屋と評するならば、ここは馬小屋か安宿程度の質は保っている。


 シュオウには小さな個室が与えられた。とはいえ、寝台一つを置いて足の踏み場もないような狭い場所だったので、つい最近まで寝泊まりしていたアデュレリア邸の部屋とは比べるのも馬鹿らしかった。


 去っていくジン爺に礼を言って、シュオウは部屋に入って寝台に体を預けた。

 突然に降って湧いた従曹という立場にある今、しかしその実感はなにもない。


 ジン爺を含む隊の人間達への対応をどうすべきか悩む中、ある程度の参考としてまっさきに頭に浮かんだのは、シワス砦で従士達をまとめ上げていたヒノカジ従曹の背中であった。




          *




 「なんでだよおおおおおおおお!」

長身で細身の男、ハリオは目の前に広がる惨憺たる光景を前にして、雄叫びにも似た悲鳴をあげた。

 「ハリオぉ、これって夢じゃないんだよね……つねってくれよ」


 そう願った小太りの男、サブリの柔らかい腹を、ハリオはおもいきりつねり上げた。


 「いったッ! 腹じゃないよ、ほっぺただよ!」


 抗議する言葉も、ハリオには届いていない。放心状態で呆然と立ち尽くしている。

 サブリもまた似たような思いを抱きつつ、小汚い傭兵達でごったがえす宿舎を凝視していた。

 真っ茶色に汚れた天幕が所狭しと並び、どこからともなく運ばれてくる汚臭に鼻が曲がりそうになる。


 なんやかんやと愚痴りながら働いていたアデュレリア公爵邸は、ここと比べれば高級な宿場街にも等しかった、とサブリは過去をなつかしんだ。仕事はきつかったが、あの邸には眉目の良い若い女の使用人達が大勢働いていたからだ。


 それに比べてここはどうだろう。あるのは筋骨たくましい、一年中風呂にも入らないような中年の男達の姿だけだ。


 幸いにも、従士に与えられる宿舎は別にあるという情報を仕入れた二人は、そこへ向かう道すがらにぺらぺらとお喋りを続けていた。


 「どうにもおかしいんだよ。よりにもよって、一番来たくないと思ってた所に俺達はいるんだ」


 生気の抜けた虚ろな目で、ハリオがそうつぶやいた。


 「南の戦線には絶対に行きたくないって、何度も言ってたもんね」

 「それもこれも、全部あいつのせいだ」

 「あいつって、シュオウの事だろ」


 ハリオは数度頷いた。


 「なにが動向を知らせろ、だ! 氷姫の野郎、俺達が平民だからってめんどうな仕事ばっかりやらせやがって」


 「おい、野郎なんて言ったことが聞かれたら……」


 「うるせえ、かまうもんかッ。俺達だって人間なんだ、やりたくない事くらいあるんだよ、ちくしょうが。誰が好きこのんで殺し合いの最前線になんて来るもんか」


 元はと言えば自業自得だ。アデュレリア公爵に繋がりを持っていたシュオウを助け、その褒美に遙か雲の上にいるようなアデュレリア公爵の別邸で食事を振る舞われ、調子に乗ったハリオが酒の盗み飲みを提案し、流されやすいサブリがそれにのって、あっさりとバレて公爵の怒りを買ってしまったのだ。


 「まあまあ、これで酒代をなしにしてくれるっていうんだから。俺達が一生稼いだって払えない額だったんだし」


 サブリが落ち着いた調子で言うと、ハリオもようやく現実を受け入れたのか、溜息を一つ零して押し黙った。


 そこそこまともな従士用の兵舎に到着し、指示を受けた隊への合流を求めて叫んだ瞬間、丸太のように太くて固い腕が、サブリとハリオの首にゴキリと巻きついた。その瞬間、酒の臭いがぷわんと漂う。


 「ようやくまともな補充の従士が来やがった」


 大蛇のように太い腕が巻きついた首をどうにか捻りながら顔を上げ、横目で見る声の主は、外でうろついていた小汚い傭兵に負けず劣らずの風貌をした強面の男だった。


 「あ、あの、あなたは……」


 自分より強いと思った相手にはすぐに腰が引けるハリオは、おどおどとした声で尋ねる。


 「七十番隊、隊長のボルジだ。今日からてめえらの上官になる。さっそく他の連中と一緒にしごいてやるからその小綺麗な服を全部脱いでこい」


 首を押さえられて引きずられながら、サブリは、もうどうにでもなれという心境でいた。横目で見るハリオの小さな双眸は、死んだ魚のように濁っていた。




          *




 オウドに着任してから一夜が明け、シュオウは目覚めと共に部下となった傭兵達の下に向かった。


 共に戦場に行く身として、彼らと最低限の会話くらいはしておきたい。だがそうした思いも、もぬけの殻となっていた五十五番隊の天幕を覗いた瞬間に意気は萎れてしまった。


 近場にいる者達に彼らの行き先をたずねても、自分の従士服と階級章を見た途端、彼らは不機嫌そうに押し黙った。


 この状況で唯一頼りになりそうなジン爺は、朝早くにどこかへ出かけていってしまったらしく、やはりその行方も霧の中である。


 ――ひどいものだ。


 当たり前のように人を御していた、アデュレリア公爵やその副官のカザヒナ重輝士、そしてシワス砦のあの老いた従曹を思えば、部下の一人とて、その居場所すら把握できていない今の自分が情けなかった。


 愚痴を聞いてくれる相手は誰もいない。中途半端に与えられた責任を、どう処理すればよいのか、その答えを得ることができない。


 兵舎の中には、ひどく怠惰な者達がいる一方で、木剣を片手に訓練に勤しむ隊の姿もあった。観察してみるに、そうした隊にはかならず、それを監督している強面で恰幅の良い仕切り役がいて、怒鳴り声をあげながら訓練を促している。


 人を御すという行為は苦手だ。上に立ち、あれこれと指図をして相手に言うことを聞かせなければならない。しかし、自分はここまでの歩みの中で、それに近い事もしてきた。頭の固い貴族の娘達を説得し、命すら狙ってきたこの国の王女にすら、最後には自分の意思を通して囮役までやらせてきたのだ。


 やってやる、という気持ちはまだ死んではいなかったが、しかし今のところ部下達の居所に関する手がかりはなにもない。時間を無駄にしているような気がして、シュオウは周辺の地理の把握に努めた。


 兵舎から街への、いくつか存在する道順を調べ、複雑怪奇な小道がどこへ繋がっているのかを把握しながら、一つ一つを頭に入れていく。その過程で、山の小高い場所へと伸びる一本の細道を見つけ、小さな丸太で簡単に作られている階段を昇って、その先がどうなっているのかをたしかめに向かった。


 険しいと言い切れるほどの傾斜。階段は高さも歪で、丸太が腐り落ちて欠けてしまった部分もある。


 どうにか昇りきった先には、小振りの祠のような建造物があって、その先に辺りを一望できる崖のように突き出した地形があった。そこに、見覚えのある人物の背中を見つける。


 ――准将。


 一人佇んでいたこの地の最高責任者であるアル・バーデンは、すぐにシュオウの存在に気づくと破顔して近寄ってきた。


 「よく会うな、という顔をしている。俺も同感だ」


 よく通る野太い声が、周辺に反響した。


 「本当に」


 彼はシュオウに手招きをして、柵が設けてある崖っぷちへと誘導した。


 広がる景色は見事なものだった。

 なだらかに傾斜を形成する黄色い山の先には、ぼんやりと霞んで深界の森が見える。大きな鳥達が永遠に続く青の世界を飛び、春のほがらかな日射がこの世界全体に彩りを与えていた。見上げれば、壁にも等しい大きさの金剛大山がどっかりと世界を睥睨し、稜線をこするように流れていく雲が、その山の雄大さをさらに際立たせている。


 オウドの山肌では、労働者達が岩壁を削っていたり、焼き物を並べて焚き火の支度をしている。彼らの中には大山のほうを向いて、必死に手を合わせて拝む者達がいた。


 「このオウドに暮らす住民達のほとんどが〈クオウ教〉の熱心な信者だ。大山の頂上にいるとされる鬼神を崇め、ああやって頻繁に手を合わせている」


 アル・バーデンの説明を受けて、シュオウはぼんやりと呟いた。

 「クオウ教……」


 「君は北方の出身か?」

 「いえ、ムラクモの王都です」

 そう答えるとアル・バーデンは意外そうに眉をあげた。


 「なるほど。だがそれなら君も信じる神は持っていないだろう。宗教を持たない東地の人間から見れば、大山はただのでかい山だが、南のクオウ、北の〈リシア〉は、どちらもあの山の頂上に自分達の信じる神がいると主張している。どちらが先に頂上への踏破を果たすか、なんて競争で互いに血みどろの戦争を繰り返してきた。だがな、俺達ムラクモの人間からすれば、山の天辺にいるかどうかもわからんモノが、白か黒かなんてどうでもいい事だ。人間の生きるための欲求は神の存在をたしかめる事ではなく、日々の糧をどう得るのかに終始しているからな」


 遠目に大山を眺めるアル・バーデンの横顔には、不思議と憂いの色があった。粗野な質を持った人間かとも思っていたが、今の彼の顔を窺うかぎり、そうした印象はすべて霧消していた。


 「大山の先にあるもの以外にも、この世界には数多謎がひしめいている。上を気にする者がいる一方で〈世界の溝〉という大穴の底に鬼達の世界が存在すると主張する一派が、最近クオウの中で膨らんでいるとも聞く。君はそういう事が気になる人間か?」


 シュオウは遠くそびえ立つ大山を視界に収めながらに言った。


 「考えれば、正直興味をそそられます。だけど、今は手持ちのもので精一杯なので」


 「なるほど、良い心がけだ。預かった隊の連中とはうまくやっているか」

 力強く問うアル・バーデンに、シュオウは眉根に力を込めて笑って見せた。

 「はい。うまく、やってみせます」

 

 力強く言うシュオウを、アル・バーデンは満足気に見て、頷いた。

 「よし、よく言った。近頃、渦視城塞に動きがあると報告が上がっている。近いうちにここで待機している連中にも深界の砦に詰めてもらう事になるだろう。いつでも動けるように、支度だけはしておくといい」


 「ここでおこる戦の頻度は他に類がないと聞きました。相手は、よっぽどここが欲しいみたいですね」


 「このオウドに土地としての価値はあまりないのだがな。資源には乏しいし、特別な技術があるわけでもない。しかし、宗教的な見地で考えると途端に話は変わるらしい。昨日君を案内した本部兵舎は、元々クオウの寺院でな、占領後にムラクモ王国軍の施設として接収したらしいが、土着民達の感情を考えて中にはなるべく手を加えず、未だにクオウの僧侶どもの祈祷を許しているんだが……とにかくサンゴにとっては、ここは意味のある地というわけだ」


 「いっそ、相手に攻め込んで黙らせてやれば、面倒を減らせると思います」


 シュオウは思ったままを口にした。ただ黙ってやられていては、相手が調子に乗ると思うのは至極当然の事だ。

 アル・バーデンは横目にこちらを見て乾いた笑みを浮かべた。


 「それができればとっくにそうしている。渦視を落としてみせれば俺の名もあがるんだがな、それにはなにより金も人も、何もかもが足りない。まあ、どのみち金があったところで上からの命令は破れない。地に根を生やして負けない事。それがオウドに勤める俺達の仕事というわけだ」


 アル・バーデンは、目の前に答えがぶらさがっているのに、それに手を伸ばすことができない、というようなむず痒い顔をしていた。


 「はがゆいですね、軍というのは」

 「……まったくだ」


 風に漂う焚き火の香りを吸い込みながら、シュオウは本来遙か彼方の存在であるこの地の司令官と肩を並べて、しばらく、共に景色を眺めていた。







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