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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
173/184

殺戮 9

殺戮 9






 老いたる者から幼い子どもまで、二十人を超えるボウバイト一族に連なる者たちが一カ所に集まっていた。


 そこは、ボウバイト一族の傍系をまとめる中年の男、ウラーゲン・ボウバイトの邸宅である。


 建物の奥まった箇所、厚い壁の奥に隠された部屋のなかに閉じこもりながら、暴徒と化した民衆から隠れるように、安全のために身を寄せ合っていた。


「暴徒の群れがここまで来るのかどうなのかッ、まだわからないのか?!」


 家宰に怒鳴りちらすウラーゲンの背後には、高く積み上げられた数々の蓄財が置かれている。


 邸の隠し扉の奥に一族と各自の私財が集められ、それぞれの声や息使い、不満や不安がたちこめ、そこはまさしく雑居房に等しい粗末な避難小屋と化していた。


 家宰は手巾で汗を拭いつつ、

「申し訳ございません、ご主人様。対処に当たる者らに問い合わせをしているところではございますが、なにぶんこのような事態でして……」


 ウラーゲンの息子、レンビットが楽器を片手に、

「ばかかお前は、下っ端に聞いたところで意味ないだろ。こういうときは頭にいるやつに直接聞くのが賢いんだ」


 ウラーゲンは途端に頬を緩ませ、

「おお、さすがだな。おい、都内の兵を仕切っているのは誰だ」

 息子に向けていた柔い表情を一変させ、家宰をきつく睨みつけた。


 家宰はまた滲む汗を拭い、

「ご主人様、それが……わかりません」


 レンビットは声を裏返し、

「はあ?! 父上からの命令をうけてどれほど時がすぎたと思ってるんだ。父上、このような無能には体罰を与え、即刻馬糞拾いにでも降格させるべきです。代わりの者は私が選びますので」


 家宰は慌てて膝を折り、

「お、お許しを――この職を失えば家族を養えなくなりますッ。老いた母もおりますので、どうかご慈悲を、出来る事はなんなりといたしますッ」


 ウラーゲンは平伏する家宰を冷たく一瞥し、

「ならばさっさと指揮官を見つけ出せ。そしてこう伝えろ、ボウバイト家が援軍を要請している。ただちに兵を出し、当家の守りを固めるようにと」


「た、ただちにッ――」


 家宰はよろけた足でつまずきそうな勢いで隠し部屋を出て行く。その様子をみてレンビットは指を指して嘲笑った。


「見ましたか? あの慌てようを。できるなら最初からそうしていればいいのに、平民というのは鞭の音を聞かせるまでまったく怠惰で働こうとしません」


 ウラーゲンは目尻を下げ、

「そうだな、お前はひとを使うことに長けている生来の支配者だ。お前のような優れた者が次のボウバイト侯爵となれば、我が一族の未来は明るい」


 レンビットは得意げに歯を見せて笑い、

「そうだ、今のやりとりで良い詩を思いつきましたッ、題名は走狗と鞭の音です。忘れる前に書き留めておかなければ――」


 ウラーゲンは、ペンと紙を手に夢中で文字を書き綴る我が子を見て目尻を下げる。が、すぐに現実を思い出し、上げていた頬肉を落として溜息を吐いた。


 ――無能な大公め。


 戦勝に気を良くし、都内の兵や輝士の多くを連れて遠征に出ていったドストフ・ターフェスタの顔を思い浮かべる。


 そもそも、ドストフがどっしりと腰を落ち着け、凱旋する戦勝軍を出迎えていれば、この度の乱も広がる前に鎮圧できていたに違いないのだ。


 現大公であるドストフは内外に小物ぶりが知られるが、まぐれで東方の大国に勝利を収めた喜びを抑えきれなかったのは明白である。


「まったく、いい迷惑だ……」


 下民の集団に怯える、などという恥ずべき現状を愚痴りながら、ウラーゲンの心中にはもう一つの不安が燻っていた。


 ――まさか、あのムラクモに勝って戻ってくるとは。


 心中穏やかでいられないのは、ボウバイト家現当主であるエゥーデが後継に推すディカの存在である。


 戦場に連れ出されたディカは、戦地で率先して兵を指揮するという、これまでみせたことのない動きを取り始めているという。


 これまで当主の座になど微塵も興味を示さなかったディカが、もし心変わりをしたのだとすれば、ウラーゲンにとって我が子であるレンビットの家督継承を阻む、最大の障壁ともなりえるのだ。


 もし、この戦勝をディカの手柄として喧伝でもされれば、掌握する一族のなかで心変わりをみせる者が出てきてもおかしくはない。


 書いた詩に即興で弦楽の音色を乗せ、得意げに歌を口ずさむレンビットを見つめながら、ウラーゲンは湿った溜息を再び漏らした。


 そのとき、さきほど血相を変えて出て行った家宰が再び部屋のなかに戻ってきた。


 レンビットは歌を止めて家宰を睨み、

「今度はなんだ? 外が恐くて出られないなどと言うつもりなら――」


 家宰はレンビットを無視して、迷うことなくウラーゲンに歩み寄り、

「今しがた、エゥーデ様よりの使者が到着しております。ご一族の保護のため、エゥーデ様の邸に集まるようにと――」


 ウラーゲンは腰を浮かせ、

「戻ってきたのか……」


 すかさず、長椅子に横たわっていた男が立ち上がり、

「あの連中が保護などと。エゥーデは明らかに我らに敵意を持っています、こんな時に集まれなど、なにか思惑があるのかもしれません――」


 一族でも末端に位置する親族の男だが、彼は全身に酷く怪我を負っていた。気持ちの早るウラーゲンが、戦地にいるエゥーデに向けて言伝に送り出した男だが、戻ってみれば、現地で酷い扱いを受けたという。


 彼が抱く個人的な恨みを別にしても、たしかに、国を揺るがすような事態が起こっているこの時に、関係が良いとは言えない親族たちを積極的に保護しようなどと考えるだろうか。


「たしかにな――」


 ウラーゲンは言いかけて、しかし突如外から聞こえた騒音と、怒声に肩を竦めた。


 ウラーゲンは背後を振り返り、我が子と忠実である身内の者たち、それに手元に置かれている蓄財を一望し、生唾を飲み下す。


 ウラーゲンは誰にともなく口を開き、


「いや、まさか我らを集めてなにかしようなどと考えるはずもない。下手なことをすれば、現当主とはいえ一族の信頼を失うのだ。だが、この緊急時にこちらを集めて脅しにかけよう、というくらいのことは考えているのかもしれない。それか、一族が一堂に会すこの機に乗じ、ディカの戦果を見せびらかすためかもしれん」


 末端の男は食い下がり、

「やはり身の安全をお考えください。このようなときにわざわざ呼び寄せるなど不自然です。奴らは品性ある中央のボウバイトとは違い、野生の獣そのもの、暴力的で話よりも手をだすことを好むような野蛮人どもだッ」


 納得しかけていたウラーゲンは再び迷いを滲ませ、

「……もしも、のこともないとは言い切れないか」


 だが、いまはなにより、身の安全を図るべきときでもある。向こうには戦場での一戦に耐えうるほどの兵がいる。その保護を受ければ、下民の群れに、状況の見えない乱に怯える必要もなくなるが、一方でそこへ飛び込むことに不安感も捨てきれない。


 ――いや、まて。


 本来、本流である当主の継承を盤石なものとしていたのはエゥーデのほうだ。その道に影が差したのは、ウラーゲンの謀略によるものである。


 ――あの時と同じように。


 ウラーゲンは一転して目に力を宿し、

「男たちに武装させるのだ、すべての使用人にも武器を持たせ、私兵どものなかに混ぜる――」


 末端の男は顔色を変え、

「ウラーゲン様、まさか――」


 ウラーゲンは曖昧に首を振り、

「これはもしもの場合に備えてのこと。なにがあるかはわからんが、先に手をだしてきたのは向こうだ、ということになれば、な?」

 含みを持たせ、頷いて見せる。


 家宰や使用人たちに指示を飛ばし、ウラーゲンは集う一族の者たちに腰を上げさせた。


「上手く運べば、あの時のルデイのように――」


 他界したエゥーデの娘の名をつぶやき、ウラーゲンはここへ居たるまでのことを、密かに頭に思い描いた。




     *




 エゥーデの娘、ルデイ・ボウバイトは優秀な人間だった。


 若くして一族の武闘派を掌握し、領地の運営にも優れた才気を発揮した。


 馬術大会があれば優勝を総取りにし、戦いに出れば必ず殊勲をあげて帰還する。リシアの承認の下、早々に准将の位にまで上り詰め、名実ともに神に愛されたような存在が持つ欠点は唯一、潔癖であったことくらいである。


「種牛の交配に法外な額を要求しているらしいな、ウラーゲン」


 呼び出しを受け、顔を出した途端に浴びせられたルデイからの言葉に、若き日のウラーゲンは顔を強ばらせた。


 軍服を纏うルデイの側には、厳しく睨みを効かせる副官に、一族内でも下流に属する武闘派で人相の悪い面々が控えている。


 威圧的な空気のなか、ウラーゲンは顎を引いて唾を飲み下した。

「突然の呼び出しになにごとかと思えば、そんなわけのわからないことを――」


 すかさず、ルデイが懐から一枚の粗末な紙を取り出し、卓の上に叩き付けた。


「領地の牛飼いたちから直訴を受けた。内容は種雄牛のすり替えと交配料の不正徴収に関してだ。多方面から請求額を調べたが、明らかに権利の乱用であると認められる。ウラーゲン、貴様誰の許しを得てこんな真似をした」


 ウラーゲンは複数の視線から逃れるように俯いた。指摘された不正はすべて事実である。金で雇った荒くれ者たちを使い、たっぷりと脅しておいたはずだが、その効果が完全ではなかったことは、現状を見れば明らかだった。


 ウラーゲンは気を持ち直し、

「心外な……まさか、頭の悪い牛飼いどもの言う事を真に受けて、ありもしない私の不正を疑うというのか」


 ルデイは鋭く睨みを効かせ、

「ほう、偽りだと言うのか」


 ウラーゲンは臆することなく頷き、

「共有地の扱いを巡って少し厳しく対処に当たったのだ。連中がそのことを恨んで私を貶めようとしているに違いないッ」


 ルデイは卓に叩き付けた紙を持ち上げ、


「訴えはすべて血で書かれている。領主一族の人間を相手に声をあげれば、それは命懸けの行動となると、牛飼いたちはよく理解しているようだぞ。これが少し厳しく対処に当たられた者たちのすることか? これは我が民の必死の訴えだ。お前を呼ぶ前にすでに裏はとっている、くだらん言い逃れができる状況ではないぞ」


 年下の従姉妹から説教をするように問い詰められ、ウラーゲンは顔を引きつらせた。


「我が民、だと……? すでに領主のつもりのようだが、お前が次期当主であると一族のすべてが認めたわけではない。薄汚い牛飼いどもの言う事を真に受けて、いわれのない嫌疑をかけられるいわれなどないのだ! そもそも、家畜の繁殖を仕切る管轄権を有するのは私の家だ、これは先々代の頃より受けた役目であり一族が承認する権利なのだ、いくら領主家の人間とはいえ、頭ごなしに説教をするな。柄の悪い連中を連れて気が大きくなっているようだが、私とお前は同格なのだぞ!」


 激高して怒鳴り散らすと、ルデイの副官が拳を握って踏み出した。ルデイは素早く手で制し、


「アーカイド、やめろ」


「……は」


 ルデイはウラーゲンを冷静に見やり、

「かつての領主がどう言おうとも、現当主の意向こそが絶対だ。私はここにボウバイトの領主である母の名代として在る。ボウバイトの領地のすべては現領主エゥーデのものであり、貴様はその内の一部を管理しているだけにすぎない。家畜が誰に飼われているかを忘れれば、鞭をくれてやるのが主人の役目、今日はお前にそれを思い出させるために呼び出した」


 言葉のうちに見下すような調子を感じ、ウラーゲンは耐えきれず憤怒の感情に心を振り回された。


「よくもこの私に向かって――ッ」


 拳を振り上げ襲いかかろうとしたウラーゲンを、直後に屈強な男たちが取り押さえる。


 ウラーゲンは顔面を卓の上に押しつけられながら、

「離せ、くそお! よくも私を侮辱して――」


 ルデイはウラーゲンの顔を覗き込み、


「不当に得た利益はすべて徴収する。同時に、種牛の所有権も剥奪するが、どのみち貴様には過ぎたるものだろう。中央都に張り付き、飲み食いや遊びにしか興味を持たず、子馬に振り落とされるような軟弱者にはな」


 子どもの頃の失敗談を語られ、周囲からウラーゲンを嗤う声が漏れ伝わる。


 ウラーゲンは屈辱に歯を食いしばり、

「獣に乗るのが得意だからといって勝ち誇っていればいい! 私のことを笑いものにするが、お前の娘はどうなのだ! 絵筆を握って離さず、隙あらば地面に線を彫っているというイカれた娘のことだ! あんな出来損ないを生んでおいてよく――」


 一瞬にして場の空気が凍り付く。

 言った後になり、ウラーゲンは自らの失言に気づき、息を飲んだ。


 顔を押さえ付けられたまま、横目で見上げたルデイの顔からは、感情の色が消えていた。


「待ってくれ、今のは言い過ぎた――」


 血走った目で振り上げられた鞭を見た後、ウラーゲンはその意識を手放した。


 一夜明け、全身をずたぼろに打ちのめされたウラーゲンは、ただ呆然と座り込んで、空になった金庫を眺めていた。


 握りしめた拳に、食い込んだ爪が痛みを与えるが、それを感じられぬほど、心は酷く打ちのめされている。


 側に立つ近しい身内の男が、

「いくら領主家といえど、ここまで一方的な行いを受けるいわれはありません、一族全体に抗議を表明されるべきです、大公家かリシアに仲裁を申し入れるという手もあります」


 ウラーゲンは歯が割れそうなほど強く顎を噛みしめる。

「黙っていろ……」


「ですがッ」


「黙っていろッ。誰にもなにも言わず、なにもするな――」

 言葉とは裏腹に、

「――頭を垂れるためではない、機を窺うために耐えるのだ。いずれ、かならず時は来る。向こうが忘れるまで耐え忍び、絶好の機を待ち続ける。かならず、後悔させてやる」


 痛みと屈辱を脳裏に焼き付け、心中深くに復讐心をたぎらせた。




     *




 ルデイはその日、領内の見回りと訓練を兼ね、山中の険しい道を、兵を連れて行軍していた。


「迂回して北東の道を経由する、指示を出せアーカイド」


「ですが、それでは下山までに夜を迎えてしまいます。暗がりで悪路を行くのも心配です」


 アーカイドの忠言をルデイは笑い飛ばし、

「私の鍛えた兵は夜や悪路など恐れはしない。訓練の延長だと言いたいが、これは私用も兼ねている」


「私用、とは?」


 ルデイは一瞬、厳しい将としての顔を和らげ、

「山頂付近で取れる鉱石で、良き青を出せるものがあると聞いた。拾って帰れば、ディカを喜ばせてやれると思ってな」


 理由を聞き、アーカイドは釣られるように笑みを浮かべた。


「それは、ディカ様もお喜びになられるでしょう。幼くして腕前は名匠たちが唸るほどだと聞きます、それほどの才をお持ちであれば、良い材料の質を十分に引き出せるかと」


 娘を褒めるような言葉を聞き、ルデイは気を良くした様子で、

「まったく、あれの芸術趣味はだれに似たのか。うちの家系は手先が不器用な者ばかりだぞ」


 アーカイドは頬を和らげ、

「ルデイさまは絵のほうは?」


「まったくだ――私も酷いものだが、母はそれ以上だぞ」


「エゥーデ様が?」


 ルデイは頷き、

「子どものころにねだって馬の絵を描いて貰ったことがあるが、母が描いて寄越したのは腐った狂鬼かなにかとしか思えなかった。牙をはやした馬がどこにいるというのだ……」


 呆れながら思い出を語るルデイに、アーカイドはたまらず吹き出し、俯いて笑みを隠した。


 ルデイはしたり顔で、

「次に母に会うとき、お前が笑ったことを報告しておいてやろう」


 アーカイドは青ざめた顔になり、

「そ、それだけはどうか――」


 快活な笑い声を響かせながら、ルデイは兵士たちを引き連れて目的の地点を目指した。


 狭い岩の間を抜け、歪な悪路を進み、山頂付近の絶壁が広がる地点まで到達して、ルデイはしきりに首を傾げる。


「おかしい、聞いていたかぎりでは、上に登るほど簡単に見つかるとのことだったが」


 青色の絵具となる鉱石など、どこにも見あたらず、あるのは灰色の石塊と散り散りに生える雑草だけだ。


 夕暮れを過ぎて辺りは薄暗くなり、各自が手から下げる明かりでは、周囲の闇を照らしきることはできなくなっていた。


 そのとき、ぽつぽつと空から雨が降り始めた。


 暗闇のなか、アーカイドがルデイに顔を寄せ、

「戻りましょう、お探しのものは後日にひとを手配して探させます」


 ルデイは顔を顰めつつ、

「……そうだな。よし、撤収するぞ、全隊に知らせ」


 アーカイドが承知を告げ、その場を離れた直後、

「ん?」

 ルデイは違和感を覚え周囲に視線を巡らせた。


 当たりは暗闇、周囲は険しい崖が広がっている。

 そんな場所で、ルデイは何者かの気配を感じ取っていた。


「誰だ……」


 こんな状況で明かりを持たず、闇に乗じるように、ほんの一瞬のささやかな息使いが聞こえたのだ。


 ルデイが腰の剣に手を伸ばした直後、乗っていた馬が嘶きをあげて、思いきり前足を持ち上げた。


「な……ッ?!]


 それは、一瞬のことだった。


 手から灯火が落ち、馬が制御を失って暴れ狂う。


 常人であれば一瞬で振り落とされかねないほどの暴れぶりに、幼い頃からの技が染みついたルデイは、巧みな技術で荒馬にその身を留める。が、それが災いし、次の瞬間、馬は闇の中で足場を失い、ルデイを乗せたまま落下した。


「ルデイさまぁぁッ!!」


 アーカイドの叫びを耳に入れながら、崖底へと落ちていくルデイは、その一瞬に黒い外套に身を覆う何者かの姿を視界に捉えた。その手元には、小さく細い刺突用の刃物が握られ、ルデイの末路を見届けるように、フードのなかに治めた暗い顔を向けてくる。


 ――やられた、か。


 風を切りながら、足場のない虚空を落ちていく瞬間、ルデイは身に起こったことのすべてを理解し、


 ――ディカ。


 心に、最愛の娘の顔を思い浮かべた。




     *




 上街でもとくに郊外に位置するボウバイト家当主の邸に到着し、ウラーゲンはすでに開かれていた門を通り抜ける。


 広大な庭を長々と貫く道を行くと、先に到着していたエゥーデが重々しい顔で出迎えた。


「……伯母上さまがわざわざのお迎えをくださるとは」


 エゥーデは険しい表情で、

「偶然こちらも到着したばかりでな。これで全員か?」

 頭を傾けてウラーゲンの背後に連なる馬車を見つめた。


 ウラーゲンは首肯し、

「戦地でのご活躍は、ここ中央にも届いておりました。無事なお戻りを心よりお喜び申し上げます」


 エゥーデは冷めた視線を返し、

「戦地に赴いたのは私だけではないぞ」

 言って、傍らに控えるディカを見やる。


 ディカは静々と進み出て、

「ご無沙汰しております、ウラーゲン様」


 ウラーゲンは雑に首を振り、すぐにディカから視線を外した。だが、そこに感じた違和感に引かれ、慌ててディカに視線を戻した。


 ――ルデイ?


 ほんの微かに、かつての宿敵の面影を娘の立ち姿に見つける。


 いつもぼやけて現に興味を持っていなかったディカの視線は、矢を射るように鋭さを持ち、彼女の母がそうであったように、佇まいに威容のようなものが滲んでいた。


 最後に見たときとは別人のような様相にまばたきを繰り返していると、密かにエゥーデの鼻息が耳に届いた。


 エゥーデは笑っていた。見てみろといわんばかりに、ディカの変容ぶりを誇っているようだった。


 遠く東の地にまで、エゥーデと共に戦場に出たディカは、なんらかの経験を経て当主の後継候補として自覚を強めたのは間違いない。


 ――これを見せつけたかったのか?


 一瞬、気を取られていたウラーゲンは、内心エゥーデを嘲笑する。


 強引に推そうとしている後継者候補が、いまさら僅かな成長をみせたところで、勝ち誇れるほどのことでもない。エゥーデは老い、耄碌しつつある、と思わずにはいられなかった。


「ディカ殿は良い経験をなされたようですな。伯母上さまも、さぞ誇らしいことでしょう。どこか、ルデイを思い出します、さすがは親子だ」


 エゥーデは途端に形相を激しく怒らせる。普段であれば、ルデイの死の真相に関して喧嘩腰に言葉をかけてくるものだが、この時は怒りを堪えるように言葉を飲み込んだ。


 ウラーゲンは知らぬふりをして周囲に視線をまわし、

「連れの者たちはこれだけですか? 私はてっきり軍を引き連れておられるものとばかり」


 エゥーデは唇を舐め、

「兵は適宜、事態の収拾のために配置してある。が、念のためこの所有地の保護のための兵も用意する……すぐにな」


 エゥーデが連れているのは少数の輝士隊のみだ。そして側についているのは副官のアーカイドにディカのみ。これではウラーゲンが所有する私兵隊と、彩石を持つ親族のほうが数が多い。


「承知いたしました。それまでの間は、私の兵が御当主をお守りいたしましょう」


 エゥーデはそっけなく頷き、

「入るぞ、長旅で体にがたがきている。このような状況だが、一族の多くが介するこの場で、後継について話をしておくのもいいだろう。いつまでも長引かせておいては、ボウバイトの趨勢に悪影響も与えかねん」


「仰るとおりですッ、私にとっても異存はありません。安全が確保されているのであればなにも案ずることはない、じっくりと相談をいたしましょう」


 エゥーデを筆頭に、その他の者たちが邸のなかへと入っていく。彼らの背中についていきながら、ウラーゲンは密かに口の端を湿らせた。




     *




 応接間に入る間際、

「子連れもおります、よろしければ空いている部屋をお借りして、皆を休ませたいのですが」

 ウラーゲンがもっともな要求を口にした。


 エゥーデはしかし、

「全員を応接間に入れろ」


 思いもよらない返答を受けたウラーゲンは戸惑いつつ、

「で、ですが――」


 エゥーデはきつく睨みを効かせ、

「後継について、当主たるこの私が話をするといっているのだ。年齢立場を問わず、ここにいる一族に連なるすべての者が参加をする義務がある。不満があるか?」


 ウラーゲンは唾を飲み下し、

「い、いえ、ありません……」


 老齢の者から大人、その配偶者たち、さらにまだ幼い子どもたちが一つの部屋に足を踏み入れる。


 まだ足がおぼつかない幼児の姿を凝視しながら、ディカは全身を強ばらせた。


 本来であれば、使用人たちが忙しなく暖炉に火を入れ、軽食や飲み物の用意に勤しんでいるであろうその場所は、がらんとして、家具に埃よけの白布がかぶせられていた。


 入室した大人数がそれぞれに居場所を定め、白布をはずして腰掛けると、周囲の壁際に、武装したウラーゲンの私兵たちが陣取った。


 ウラーゲンは緊張した面持ちで、アーカイドと少数の兵士たちに視線を送る。


 エゥーデはアーカイドに向け、

「お前たちは下がっていろ」

 言って、首を部屋の外へ振った。


 アーカイドは一瞬エゥーデをじっと見つめ、

「……はッ」

 輝士たちに指示を送り、部屋の外に待機して扉を閉める。


 ウラーゲンは露骨に安堵した様子を見せ、長卓に着席した。


「難儀であったな、あれほどの荷物を運び出すのは苦労しただろう」


 珍しく、ほとんど棘のない言葉をかけられ、ウラーゲンは戸惑いつつ、額の汗を拭って頷いた。


「まったくです。一夜のうちに突然こんな……大公が不在の間にこんな事態を招いたとあっては、おそらくは誰かの首がとぶことにもなりかねません――そうだ、大公といえば、伯母上が軍を連れて戻られたということは?」


 エゥーデは落ち着いた態度で頷き、

「すでにお戻りであられる」


 ウラーゲンは顔を綻ばせ、

「それはよかった。ともなれば、この馬鹿な騒ぎもすぐに鎮まることでしょう。いや本当によかった、これでなんの心配もない。あとは、ボウバイトの行く末に関する心配事だけですが――」


 エゥーデは眉間に皺を寄せ、

「みなまでいうな、いい加減決着を付けなければならない頃合いだと、よくわかっている」


 エゥーデの言葉に、集う者たちの間に緊張した空気が流れる。


「私は長らく、孫のディカを後継候補筆頭として推してきた――」


 エゥーデは言って、ちらとディカを見やる。ディカは部屋の入り口近くに立ちながら、一族の者たちから送られる視線を、顔を落として受け止めた。


 エゥーデは続けて、

「――が、ディカはそもそも領主の座に興味をわずかにも持っていなかった。それでもと強く願い続けてきたのは、私のエゴであり欲でもあったが、共に遠征に出かけ、初めて戦場でディカと共に過ごしてから、その考えは変わりつつある。私は老いた、この座に長くは居られない」


 ウラーゲンは腰を浮かせて身を乗り出し、

「ではッ」


 エゥーデは鷹揚に頷き、

「お前の推す子息が家督に相応しいというのなら、それを阻まずに見届けることもやぶさかではない」


 部屋に集う者たちから、密かに歓喜の気配が巻き起こる。


 ウラーゲンの息子であるレンビットは立ち上がり、

「エゥーデさま、それは本当ですかッ」


 ざわつく室内を一望し、エゥーデは険しい顔付きで手を上げた。ウラーゲンが慌てて、騒ぐ一同を落ち着かせる。


 ウラーゲンは生唾を飲み下し、

「しかし……なにか条件がおありなのでは?」


 エゥーデは頷き、

「家督を譲る前に、一つだけ心残りがある。我が娘、ルデイの死の真相だ」


 華やいでいた空気が一瞬にして凍り付く。まるでその過程が音となって聞こえてきそうなほど、集う者たちがぴたりと動きを制止させ、息を飲んだ。


 ウラーゲンは声を歪ませ、

「またそのことを……何度も関係がないと……」


 エゥーデは静々とウラーゲンを見つめ、

「知りたいのだ。私の先はもう長くなく、天に召される前に答えを知っておきたい。ウラーゲン、お前たちが我が娘の死に関与しているのか、それさえ聞ければ、もはや思い残すことなく当主の座を明け渡すことができよう」


 ウラーゲンは隠せぬ汗をそのままに、

「お戯れを……仮に伯母上のおっしゃる通りだったとしても、それを認めるはずがありません」


「恨みのために言っているのではない、後に残すディカのために言っているのだ。ルデイは強き者であったが、やりすぎた。傍系に連なる者たちの権利を取り上げ、尊厳に泥を塗った。愛娘であれど、恨まれるだけの落ち度はあった」


 エゥーデの語りから、偽りの感情は窺えない。迫真にせまる言葉を受けながら、ウラーゲンの波立つ心が、徐々に落ち着きを取り戻していくのがわかる。


「伯母上さま……」


 エゥーデは年相応にくたびれた顔をウラーゲンに向け、


「お前たちが次のボウバイトの実権を握った後、ディカの無事が心配なのだ。母子とはいえルデイとディカは別の人間。その恨みが仇となり、ディカを傷つけるようなことになれば、不憫でならない。だからこそ、ここで思いを打ち明け、すべての恨みを晴らしておきたい。両者にとって、それが先に続く禍根を断つための行いとなると信じてな」


 その語りは心からの言葉に聞こえた。


 心を打たれた様子の者たちが目に涙を浮かべ、ウラーゲンは心なしか肩の力を落としていた。


 ウラーゲンはゆっくりと後ろに視線を向け、我が子を見た後、一瞬だけディカに視線を向けて前に向き直る。


 そのままひとつ、大きく溜息を吐き、

「……これは仮の話ですが、もしも、ルデイの死に原因があったのだとすれば、それは事故だった、のだと思います」


 エゥーデは声を硬くし、

「事故、だと……?」


「例え話、ですが……ある者がいたとして、その者はルデイを少しだけ怖がらせたかったのだと……それが不運にも死に繋がってしまった……」


 目を見開いて凝視するエゥーデに気づき、ウラーゲンは慌てて、

「本当に、そこまでのことになるとはッ――その者もきっとそう考えているはずで」


 エゥーデは息を吐いて深く椅子に背を預け、

「ではやはり、その者のしたことによって、我が娘は命を落としたのだな」


 ウラーゲンは呼吸を浅くし、

「そ、その者も、過去に戻れるならばきっとやり直したいと思っているはずです、が……」


 エゥーデは突如、吹き出すように笑い、

「ルデイ亡き後、これ幸いと次期当主の座を狙うような動きをしていなければ、その言葉も信じられただろうが――」


 語る声が徐々に低くなっていく。次にエゥーデが姿勢を正したとき、これまでそこにいた弱々しい老婆の姿はなく、一声で大勢の兵士たちを震え上がらせる、歴戦の将軍の姿を取り戻していた。


「――そんなことだろうと思っていたが、貴様らはやはり、糞にたかる虫、傷に沸く蛆そのものだ。言葉を喋るゴミ虫どもめ」


「い、今のはちが――」


 憎悪に塗れたエゥーデの視線と言葉に、ウラーゲンが椅子を倒し、つまずきながら立ち上がる。


 エゥーデは声を張り上げ、

「時がきたッ」


 直後に、部屋の本棚に欠けられていた幕の奥から、ジェダが姿を現した。


 突然の事に、一族全員と武装したウラーゲンの私兵たちが激しく動揺をする。


 ウラーゲンはへっぴり腰で、

「だ、誰ですかこの男は?!」


 私兵隊が一斉に武器を構え、ジェダに向けた。


 ジェダは構うことなくエゥーデを見やり、

「いいのですか?」


 エゥーデは憤怒の表情で、

「やれ――」

 と、冷酷に呟く。


 その瞬間、ディカの視界には事態もわからないまま、不安げに母を見上げる子どもの顔に釘付けにされていた。


 ――だめ。


 考える間もなく、ディカは無意識のうちに前に駆け出し、ジェダの前に立ちはだかる。


 エゥーデが驚いた声で、

「ディカ?!」


 ディカは両手を広げてジェダを睨み、

「やめてください、こんな方法で得られるものなどありません」

 腹の底から、まるでエゥーデのようによく通る声で強く叫んだ。


 ジェダはふっと笑みを浮かべ、

「しょせんは御母上の死に関与した者たちが相手では?」


 ディカはジェダをぴたりと見つめたまま、


「お母様もきっと、望んでなどいないはずですッ。恨みを抱えながらでも、共に歩んでいける道を模索します。私たちには言葉がある、思いを交わし合い、必ず共存できる方法を見つけてみせます」


 ジェダに向けて言う言葉は、祖母のエゥーデに向けて語られる言葉でもあった。


 ジェダは笑みを保ったまま目を細め、

「君はとても勇敢だ。下手をすれば僕に殺されていたかもしれないのに、危険を厭わず仇敵たちをかばうなんて、並大抵の意志でできることじゃない」


 心から賞賛を送るようなジェダの言葉と態度に、ディカは硬く結んだ糸をほぐすように、微かに緊張を和らげた。


 しかし、


「だが――」

 ジェダは突如、微笑みの強度をさらに上げ、

「――少しだけ遅かった」

 細めた視線を奥へ流した。


 ディカは恐る恐る振り返る。突然の事態に怯えていた者たち、ジェダに武器を構えていた者たち、そして立ち上がっていたウラーゲンが、不自然な状態のまま動きを止めていた。


 うるさいほど鳴る心臓の音を聞きながら、浅い呼吸を繰り返し、ディカは自らの体を支えきれず、半歩、静かに足を擦った。


 直後、ずるりと湿った音が鳴る。その音は幾重にも折り重なり、赤い鮮血を伴いながら、この場にいる大勢の人間たちの形を歪に変えた。


 縦横斜め、縦横無尽に線を引いたかのように、人の体がばらばらに切り刻まれ、血だまりの中に時間差をおいて、肉や骨が崩れ落ちていく。


 母に縋り付いていた子どもたち、まだ洗礼を受けていない若者たち、子どもの頃から覚えのある親族の年長者たち。一切の区別なく、そのすべてが一瞬にして命を失った。


 ゆっくりと立ち上がったエゥーデが、ウラーゲンの頭の残骸の前に立ち、血走った眼でそれを何度も強く踏みつけた。肉が潰れ、骨が割れる醜い音が、止めどなく室内に鳴り続ける。


 惨い殺戮によって部屋を満たす悪臭に刺激され、ディカは胸に溜めたものを、すべて血だまりのなかに吐き出した。











日々寄せていただく感想や誤字の報告、温かい応援の数々に感謝申し上げます。

このたび、多忙等の都合により一ヶ月ほど本作の更新をお休みさせていただくこととなりました。

週一での連載を楽しみにしていただいている方には大変心苦しく、申し訳なく思っています。


いつもいただく言葉や気持ちに、物語を形にしていく上でとても大きな力をいただいています。

連載再開を目指して準備を進めていきますので、ゆるやかにお待ちいただければ幸いです。

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小説の表紙
― 新着の感想 ―
ジェダ無双が続くね。普通にシュオウも勝てないのでは? 近距離ならともかく、中遠距離スタートなら、身動きが取りづらい場所で戦えば封殺出来るよね。
>> 芥宰 由紀成 アミュ様にもよゆーでできる。 例えばプラチナが一瞬で銀の盾を構築できるならジェダに勝機はないと思う。 ジェダは技術面ではピカイチだけど火力面では晶士程はなさそうだし、燦光石相手だと…
有象無象とはいえ彩石持ち数十人を気取られる事なく、一瞬で殺せるのって作中だとジェダだけかな? 燦光石保有者の本気を見てないけど、ジェダなら遅れを取るように思えん。下手しなくてもプラチナ様より強いんじゃ…
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